すごく長文ですごく愚痴
なにかの主張に使われることは望みません。今、数年たって要領が悪かったなぁっておもう事はいっぱいあります。
保育士と幼稚園教諭免許が取れる短期大学を卒業して幼稚園に就職した。
初任で年少組(3歳児~)20名弱おはな組(仮)さんの担任になった。
私の初任給は手取り丁度15万円+交通費(3か月定期代を1/3ずつもらう)
。
8:00には出勤 (バスでのお迎え当番が1ヶ月に2.3回7:50までには出勤)
園庭の準備をする(遊具にカバーをかけていたり水を拭いたり、園庭の水溜りを掃除したり)
もちろん素直に上手に着替えができない子だっている。着替えもせずに遊びまわったりしている。
そういった子の手伝いもしながら、園庭で遊ぶ子どもたちも見ないといけない、徒歩でやってくる子を門前で引き受けないといけない、お休みした子どもの制作もさせないといけない
一人ひとりかばんを開けて提出物や保護者からのお手紙を確認して、体に傷がないか、しんどくなさそうか チェックする。
私は毎日先輩の先生たちに「なぜ園庭に出てなかったの?門前にいなかったの?制作させてないの?先生のクラスの○○ちゃんが着替えられなくて戸惑ってた!」とお叱りを受けていた。
正直「もうどこで何をしていれば正解なのか」解らなかった。
登園~朝の挨拶~一日の遊び(制作や行事の練習)~お昼ごはん~自由時間~降園
教職をとったことのある方ならわかるだろうけれど
これらはその日そのときの思いつきで行われているわけじゃない。
私を含めクラス担任たちは毎日毎日 一日の流れを分刻みでスケジューリングしてそれを日案という形で毎朝指導教諭に提出していた。
まず年少組の先生たちと話し合った内容にそって 何時何分~何分までに説明して、実行して、できない子がいたらどうして、こうして、こういう声を掛けて、
A4の紙いっぱいにo.3mボールペンでみっちりと1日につき2~3枚書いていた。
はさみで丸を切る。 紙の端からはさみを入れて紙を動かしながら切ることを示して見せる。
難しい子どもを把握して早めに声をかける。終わった子どもにははさみを置き静かに待つように予め伝えることで事故を防ぐ、遊ぶことが予想される子どもからははさみを預かる。
こんな感じ。これを行動の逐一に書いていく。そして決して「できない子ども」とは書かないのだ。
初任の私はまずそれを指導教諭に渡す、すると次の日に足りない部分を指導される。
帰宅してそれを青いボールペンで修正、朝主任に提出して夕方指導を受ける。
帰宅して赤いボールペンで修正して当日の朝一番に再度主任に提出するのだ。
これを毎日繰り返した。つまり3日分の日報を修正含めて毎日書いていた。
どれだけ書いても終わらない、いたちごっこがつらかった。
制作物も行事や季節にそっていたり、発達に会わせているのだけれど
なぜ作るのか、なぜこの形なのか、どういう意味があるのか 子どもにもわかるように、そして行事に期待や思いを寄せられるように話さなくてはならなかった。
たとえば七夕 なぜ笹なの?なぜ短冊に願いをかくの?飾り物の意味は?
考えたことのある人はどれだけいるだろう。でもそういったことを逐一お話することが求められた。
また毎月1枚 その月に子どもたちに達成させたいことや、覚えてほしいことについてを記入して提出(※月案 これも学年主任、主任のWチェック)
毎週1枚 生活面で達成してほしいこと、衛生面についての意識付けをするための活動について提出(※生活案 同じくチェック)
他にも行事(遠足、運動会、発表会、参観、お祭りetc)のたびに特別指導案を書いた。これは5枚近くになるときもあった。天候などで行事が中止になった時のための普段の日案も書かなければならない為行事は大嫌いだった。
そこから何往復かするバスに乗せて子どもたちが完全に帰るのは16:00ころになった。
もちろん朝からそこまで休憩は一切無い。
14時~16時はバス当番でない先生で園内の掃除をして回る。各部屋に掃除機を掛けて、おもちゃを清拭して、廊下の泥を掃いて、トイレを洗って・・・
16時からは気になる家庭へ連絡をいれる。
熱っぽかった、けんかした、誰かに叩かれた、手を上げた、登園時には無かった傷(それが何かに押し当たっただけのスレでも)があった、登園時に泣いていた等などの理由で電話をかける。
そして次の日の制作物の準備に取りかかる。画用紙など画材を用意するのは園でしかできないから。
(子どもの描いた絵を完成品に仕上げたりするのは自宅で行うのが暗黙の了解だった)
1人600円の延長保育(おやつ付)は14:00~18:00 平均して15人ほどの子どもを1人で見るのだ。
1ヶ月に2回ほど回ってくる 延長保育に関しても同じように日報を提出した
子どもの事、ご家庭のこと全クラスの事を共有できるように一人ひとり発言していく。短くて30分、長いと1時間かかることもあった。
職員会議後には日案の指導が始まる。指導教諭から指導を受け、主任から指導をうけるといつも20:00ころになっていた。
私は自宅が少し離れていた為帰宅はいつも10時ころだった。そこから夕飯を片手に指導案を修正して、書いて、制作物の仕上げをして、気がつくといつも午前3時4時だった。
気を失うように寝て、6時半に飛び起きて出勤していた。
いつもお風呂から上がった後は勤務着(ジャージ)を着ていた。飛び起きてそのまま出勤できるからだ。
化粧もしなかった、朝ご飯も食べなかった。園で食べるお昼ご飯は詰め込むように5分もかけずに食べた。
だんだん寝てしまうことが多くなり、指導案の提出がずれて、しかられることも多くなった。ズレればずれる程自分が大変になるのに、どうしてもできなかった。書くことがなにも思いつかなかった。
家だと寝てしまうと思って夜にファミレスに行って指導案を書いた。6時前に帰宅してそのまま出勤した。
夕方の掃除の時間にトイレにこもって三角座りで仮眠をした。バスの中でも何度も寝てしまった(子どもが乗っているのに)
それでも一日も休まなかった。休みたかったけれど、園には余剰な人員なんていない、休んだら誰が私のクラスをみるの??
10月に園長先生から「来年度もがんばれるか。続けられるか?」尋ねられた。
「がんばります。来年こそはご迷惑をかけないようにしっかりします」そう答えた。
1月冬休み明け出勤の1日目「すみません。今年度で退職させてください」
引き留められなかった、当然だ。そのときには私は園の厄介者になっていたからだ。
情けなかった。自分の容量の悪さが不甲斐なかった、だんだん私の指導が御座なりになる指導教諭が怖かった、申し訳なかった。
そして冬休み前に行われた保護者との個人面談で「先生、本当に子ども好きなんですか?」
1人の保護者からそういわれたことで、私のなかでこの仕事への未練がなくなってしまった。
4月に学生時代に貯めたお金で買った礼服はちょっと胸周りがきつい服で入園式の写真に残っている。
卒園式で撮った職員写真では、礼服はガバガバのユルユルだった。
1年で10キロ以上は痩せた。3学期には保護者にも心配されるくらい急激に痩せていた。(元が太りすぎというのもあるかな)