はてなキーワード: 至難の技とは
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024inEZO 2日目その②
長めにやる事も想定して帰りの準備を全て整えてからレッドへ移動。前の方で観る元気はないので後ろの方で椅子に座って待機。中野さんの弾き語りでドロップからスタート。中野さんの歌うドロップ、とっても美しかったな…。最初からブチ上げるセットリストも良いけど、何だかこの順番と言うか出番が一番で正解なのでは?と思わせる程、曲を大切に歌ってるのが伝わってきて本当に素晴らしいスタートだった。その後キュウちゃんと達也さんのツインドラムでドラムセッション。こう言う機会でもなければ聴けないので貴重だよなぁ…と思いつつやっぱり耳が達也さんのドラムを追いかけてしまう笑
その後は久土さんを加えてTHE STALNの365。すごい迫力…!!ツインドラム最高…!!次に+イマイさん(達也さん曰く問題児笑)でteddy boy。こうやって聴くと何か不思議な感じだなぁ…。この辺りでチバさんってもう居ないんだなぁ…としんみりした気持ちになる。お別れ会も行ったけどずっと実感ないまま過ぎてて、でもこの日チバさんの曲を違う人が歌ってるの聴いて、もうチバさんの歌を生で聴く事はない事を突き付けられた感じがした。
一旦キュウちゃんが捌けてReiちゃんとハルキさんと達也さんでシャンデリヤ。プロボの時は少しテンポ落としてた気がしたけどここではオリジナルのテンポだった…と思う。しかしあのギターを弾きながら歌うのは至難の技過ぎる…。達也さんが「最近ミッシェルをよく聴いてるけど今更ミッシェル聴いてる元ブランキーって…笑」っての笑ってしまった。その後「かかってこいやー!!」って言っててお客さんの頭に「???」が浮かんでるのが見えた笑 達也さんはこれが通常運転です笑
Reiちゃんとハルキさんが捌けてLOSALIOSの面々か出てくる。TOKIEさんの時、一際歓声多くて分かるー!!ってなった笑 いつも美しい〜!!LOSALIOSでhit man。個人的にLOSALIOSの曲が聴けるのめちゃくちゃ嬉しかったしカッコ良かったけど、このWEEKEND LOVERSの企画をどう言う風に捉えてたかで反応変わってきてたと思う。これをチバさん追憶としてがっちり企画として期待してた人は何でLOSALIOS??と思ったと思うし後半のMANNISH BOYSとか意味わかんないって思ったかな?と感じた。個人的にはチバさん追憶込みのWEEKEND LOVERSと言うチバさん+達也さんの企画ってイメージで楽しみにしてたから普通に楽しかったんだよなぁ…。こればっかりは思い入れもあるかなとも思うし。ちょっと話題ズレちゃったけどLOSALIOSカッコ良かった〜!!周りはほぼ座ってるor寝てるだったけど1人だけめちゃくちゃ楽しんでいた笑
次はYONCEとイマイさんを呼び込んで1000のタンバリン。イマイさんのギター正直苦手なんだけどオリジナル聴けてる感じは良かった。YONCEはチバさんへのリスペクトめちゃくちゃ感じたな〜。本当に大好きなんだろうなぁと言うのがビシビシ伝わってきたし、曲に声がめちゃくちゃ合ってた。と言うかやっぱYONCEって本当にカリスマ性がすごいな…。あんな黄土色のだら~んとした無地ロンTなのに異様にカッコイイと言う…笑
YONCEが捌けてLOSALIOSでもう一曲。IQ69。この曲のTOKIEさんのベース本当カッコ良かった…!!LOSALIOSの曲もっと聴きたかったけどそれは少数派の意見だったっぽい…。でも私はこのライジングの地でやるWEEKEND LOVERSでLOSALIOSの曲が聴けた事が嬉しかったし最高に楽しかった。
バースデーの3人を呼び込んでLOSALIOS+the BirthdayでCISCO。CISCO始まった瞬間、寝てたり座ってた人がワラワラ立ち上がるの面白かった笑 キュウちゃんのCISCO生ドラムが聴けて嬉しい。ここで斜に構えて盛り上がらないのは損なのでバチバチ盛り上がりました(7月のリベンジも込めて)
LOSALIOSのメンツが捌けてバースデーでI SAW RIGHT。やっぱチバさん不在を感じさせられるな…と聴きながら複雑な気持ちになる…。
バースデー+BOSSさんでハレルヤ。個人的にこの曲すごく好きだった。アレンジ、めちゃくちゃカッコ良くて聴き入ってしまった。この日披露された曲の中でも上位に入る良さだった。
バースデー+YONCEでプレスファクトリー。YONCEは本当にチバさん愛に溢れてるなぁ…と言う歌声とスタンス。皆で歌ってみたいな事言ってたけど後ろの方は皆力尽きててほぼ歌ってなくて一人で歌う勇気なかった…笑
バースデー+中野ミホさん+イマイさんでOH!BABY DON'T CRY 。この辺り眠すぎて座ってた上に記憶ない…。多分ほぼ寝てた…。すみません…。
ハリーさんでBaby It's you。ハリーさん登場ですごい声援上がってた。流石…。しかし眠くて(ry
次の曲がバースデーとスライダーズのLet's go down the street。この辺りで重い腰を上げて立ち上がって観る。こんな機会多分もうないし…。めちゃくちゃカッコ良かったけどとりあえず立ってるので精一杯だった…。勿体ない…。そして次が世界の終わり!!また周りがワラワラと立ち上がってきて面白い笑 ハリーさんの歌う世界の終わりカッコ良かったなぁ。やっぱりこのメンツならハリーさんが歌うよねぇと言う選曲(YONCEがステージ袖ですごい盛り上がっていたらしい。YONCE可愛い)
ハリーさんが捌けて民生さん+バースデーで誰かが。近くにいた家族(小さい子供がシートの上で寝てて大丈夫か…?と心配になった)の奥さんがファンなのか旦那さんが寝てる奥さんを起こしていた。流石民生さんって感じで歌いこなしてたなぁ。予想してた感じよりハマっててすごく良かった。あとキュウちゃんのドラムが単純に好き。前向きと言うかストレートな歌詞をチバさんが書いた事に今はすごく励まされる(当時は何となく消化出来ないでいた)
一旦バースデーが捌けて民生さん+せっちゃんで恋のサングラス(せっちゃんがきょいのサングラスって言ってた笑)民生さんのギター何か変じゃない…?と思ってたけど普通にミスしてたっぽい笑 それ以外は豪華共演見れたし聴けて良かった。
民生さんが捌けて達也さんと堀江さんが出てきてMANNISH BOYSで猿の惑星。この曲が始まって達也さんのドラム聴いたら今までめちゃくちゃ眠かったのに脳が覚醒して目が覚めて脳が冴え渡ってきてすごかった。三井寿の名言「この音が……オレを蘇らせる何度でもよ」って感じでだった笑 個人的にMANNISH BOYS聴けて嬉しかったけど多分大多数は微妙に感じてたかも…。でもさ、WEEKEND LOVERSなんだから良くない!?とは思う…。せっちゃんがMCで今日札幌の狸小路の路地で見つけた服屋で買った服を着てきた、そこでチバさんも買ってたって話が出てもう一枚買いましたって言う感動の話なのに達也さんが「良いカモじゃねーか!!」って言ったり、チバ君会場来てるんじゃないかなってせっちゃんが話したら「怪談じゃねーか!!」ってツッコんでせっちゃんを困惑させたり、何か達也さんらしいなと思った笑 湿っぽい空気にさせないの私は好きだよ…!!
上記のメンツ+ハルキさん+イマイさんで涙がこぼれそう。イマイさんの独特のギター、久しぶりに聴いた…。この曲はこれこれって感じだよね…笑 涙がこぼれそう良かったなぁ。達也さんが叩くこのドラム好きだなぁと思ったり。
MANNISH BOYS+バースデー+堀江さん+ReiちゃんでWEEKEND LOVERS!!聴けるの一番楽しみにしてた曲!この曲大好き。この日、何故かこの曲でチバさんがもう居ないんだって自分の中で決定的に突き付けられて急に涙が止まらなくなって一人で泣いていた…。まだまだ歌っていたかっただろうな…と思うと同時に種類は違えどチバさんと同じ病に罹った自分も今後頑張れるだろうかと考えてしまい余計涙…。でもこんなに素敵なライブが観れたんだから頑張ろうって思えた一曲でした。蝦夷の地でこの曲を聴く事が出来て本当に良かった。
アンコールはバースデー3人でサイダー。ハルキさんとキュウちゃんが歌ってた。純粋に良い曲だなぁと感じた。チバさんらしいなと思える一曲。
最後湿っぽくなるのもあれなんでこの曲で締めたいと思いますとキュウちゃんの言葉から全キャストで演奏されたローリン。YONCEがものすごく楽しそうにしてたのが印象的だった。ツインドラムすごい良かった〜!!最後は明るく終わるの良いね。最後まで立って見れました!
途中でも書いたけどWEEKEND LOVERSのステージについて結構微妙だったって意見も沢山見たけど私はこれがライジングで観れて嬉しかったし楽しかったです。2時間?ぐらいだったけど個人的にはあっという間だったし(途中眠くはなったけど笑)演者側の追憶の気持ちが強くてこちら側が多少置いてけぼりでも良いのでは?と思う。あとそう言う役目にはあまり向いてないホスト役を達也さんがやっていたのもお疲れ様と言いたい。良い印象持たなかった人もいたかもだけど…笑 愛に溢れた良いステージだったと私は思います。
最後にセットリスト載せとく(自分の記憶用)勿論検索かけて調べてます。
2.中村達也+クハラカズユキ+山本久土+イマイアキノブ/365
3.中村達也+クハラカズユキ+山本久土+イマイアキノブ/Teddy BOY
6.LOSALIOS+イマイアキノブ+YONCE/1000のタンバリン
7.LOSALIOS/IQ69
8.LOSALIOS+The Birthday/CISCO〜思い出のサンフランシスコ
9.The Birthday/I SAW RIGHT
10.The Birthday+ILL-BOSSTINO/ハレルヤ
11.The Birthday+YONCE/プレスファクトリー
12.The Birthday+イマイアキノブ+中野ミホ/OH!BABY DON'T CRY
14.村越HARRY弘明+The Birthday/Let's go down the street
15.村越HARRY弘明+The Birthday/世界の終わり
16.The Birthday+奥田民生/誰かが
19.MANNISH BOYS+堀江博久+ヒライハルキ+イマイアキノブ/涙がこぼれそう
20.MANNISH BOYS+The Birthday+堀江博久+Rei/WEEKEND LOVERS
E.N
WEEKEND LOVERSが終わった後はもう燃え尽きてテントに帰って帰り支度に勤しむ。トイレ行ったりゴミ捨てしたりしてたらクリープハイプが始まった。何か割とイキってる(言い方)感じのMCでまだ丸くなってないんか〜と思いつつ聞いていた。まだトガッてる時期なのかな?アジカンがトリやった時はもう丸くなってた気がするし、トリやるバンドって丸くなってる印象だったけど、よく考えたら去年のトリもトガッてたわ笑 10時発の飛行機に乗って帰るので早目にバスに乗りたいと思い去年の教訓も生かして(バス乗る迄結構並んだ)早目にテントから出てとぼとぼひたすら歩く(テントサイトがトウモロコシだった為、入場口が遠かった)荷物が重かったけど充実感が勝っていた気がする。帰り道、演奏聴きながら歩いたけどやっぱ個人的に苦手な歌声…。まぁ世代交代ってこう言う事だよなぁと去年と今年のトリを見て感じています。あと今年も日の出は全く見えなかったです!!笑
問題の解明過程、 証明過程はテクニックで、どのような技術、テクノロジーによって解かれているのかが一般的に判明した場合、一般人が、日常的に困っている特定の問題に関して
独自にその、解決技を編み出し、その知見を利用されるおそれがある。
人工知能や電磁場を用いて、 妖怪の中身を変えてしまうということは、そういうことが出来るのではないか、ということは、科学的に予見できても、実現するためには、様々な道具を集めて、
精緻なテクニックにより間違いなく作っていく必要がある。予見するだけなら誰でもできても、実際に作るとなったら至難の技である。
人工知能と電磁場に関する教科書を書いて、様々な定理を発見し、中には、完全無欠な定理と評価されるものまで何でもかき集めて、より難しい問題に届くのではないかということである。
例えば、 幾何学の、 PowerThorem(方べきの定理)というものは、点Pが、円の中、円の外のどこにあっても成立するので、一見完全無欠なようにみえるが、幾何の世界では、あくまで
つねに道具として使用されているだけで、出現的技術とまでは評価されていない。
最近の小学生は、 建造物に人が住んでいることが技術であるとは理解していない。 安室奈美恵が、マンションに住んでいて、そこで光っている場合には、そういう住み方の技術である。
ただしオッサンどうしはあんまつるむことがないので情報にたぶん偏りがある、という前提で読んでおくれ。
1円でも安くセックスしたいオッサンというものが存在する。ソープやヘルスでは新人割引のある嬢にしか入らないオッサンである。
とにかく安くセックスしたいオッサンは「素人相手ならうまいことやれば安く(なんならタダで)セックスできる」と何故か思い込んでパパ活にも手を出す。
ぶっちゃけ大衆価格(=低価格)なソープより安くセックスするのは至難の技であるのだが……(低価格店舗なら60分で基本2万切るからね)。
本当にじっくり探せば低価格で応じてくれるモノ好きな素人女子や、常連化し仲良くなったら値下げに応じてくれる女子もいたりするが、こういうオッサンはアホなのでそこまでいきつけない。
(余談:パパ活界隈は男も女もアレな奴が超多く、それなりに安心して会える定期はマジで貴重なので、高額で新規を探すよりもちょっと値下げしてでも安心な安定・定期客と会う方が良い、という女子が存在する)
(余談2:ワイが今まで金を払ってセックスした経験だと、タダを除けば最安値は3000円であった)
(余談3:ワイの今の定期パパ活女子とは1万か1万5千でだいたい会っている)
最終的に、こういうオッサンは素人と高い金を出してセックスするのは難しいと理解した結果、諦めて風俗店舗へ回帰するか、それでも安くセックスしようとしてヤリ逃げに手を出し始める。
なんせパパ活だと黒服いないからね、酷いことをやろうとすればやれてしまう。
ちなみによくある手口としては
逆説的には、「ホテルに入る前にきっちり約束の金を渡す」が最も優良なオッサンということになるが、そうすると逆にバックレる女もいたりするので、
なおヤリ逃げる気満々のオッサンは、対策されたら素直に金を払う奴と、全力拒否してとにかく金を払おうとしない奴とに分かれるが、あぶねーオッサンに対抗するのは現実的に不可能なので、パパ活女子はなんかヤバそうな気配を感じたら目先の金よりも自分の身の安全を最優先していただきたい。
けっこう多い。風俗店舗利用するのはなんか抵抗あるみたいなオッサン。言い換えれば素人信仰ということかもしれない。
お前から金貰ってセックスするパパ活女子は当然他のオッサンからも金を貰ってセックスしてるという現実から目を背けているのではないだろうか。
パパ活初めて(なんなら処女)で見た目は清楚系美人、愛想良し感度も良しなできれば女子高生みたいなパパ活女子といつか巡り合えるみたいなドリームを胸に抱いているのかもしれない。
当たり前だがそんな女子はエロ漫画の中にしか存在しないが、まあ見た目清楚系で金さえ払えば愛想が良いパパ活女子は探せばいるっちゃいる(ただし激レア)ので頑張って欲しい。
なおワイ個人の経験としてはパパ活がガチ初めてですという女子を過去3人だけ経験したが、たまたま知り合った一人(離婚したてのシンママでその後ヘルス嬢になっていた)を除いては、そん時の定期女子からの紹介コースだったので、やはり既存顧客(?)は大事にすべきである。
リアル接点があるとむしろ色々めんどくさいので、後腐れなく女子と接してなんとなく癒されたい的な欲求を持つオッサンは実在し、そうすると合法的には主に水商売嬢が相手になってしまうため非常に高くついてしまう。
またプロは店外に色々と制約がある(てか原則としてやらない方がいい)ので、パパ活で1万くらい払ってこっちの都合の良い場所で会って何か会話して、みたいなのの需要があるんだよね。
パパ活界隈における「真に優良なパパ」はこういう感じで実在するが、当然レアキャラ(最初はセックス無しでいいが、基本的にはどっかでセックスさせろという話になるので)なので、もしこういうパパ定期客を持っているパパ活女子は本当に大事にしてやって欲しい。
まあなんというかベタだが、親のありがたみというものをひしひしと実感している。
会社の近くに引っ越したため「じゃあもっと働かせられるね!」と仕事を積まれまくっているのもあって、とにかく家事をする時間がない。家事をしないとどうなるか。洗濯物や洗い物は溜まり、部屋は荒れる。
実家にいたって自分の部屋くらいはちゃんと掃除していたが、いまの生活スペース全部を常に綺麗に保ち続けるのはなんというか至難の技だ。
土日を使ってなんとか溜めた家事をやっつけるが、それでも100%には追いつかない。実家の綺麗さには常に程遠い。
この間帰省したときに母のことを観察していたのだが、とにかく何があってもなくても常に家のことをやり続けていた。このペースでやり続けないとこの家は保てなかったんだ。くらくらしながらも、早速手伝おうと手を挙げた。
もう少しいろんなことを効率化したいし、一人暮らしを始めてしまう前にもっと母から色々教わっておけばよかったと思った。次の帰省では、なるべくもっと母に色々聞いてみようと思う。
このケースでは小学生男児の兄が持っていた漫画が一因となっていると主張している
このような事例を事前に防ぐ策として「性教育」「ゾーニング」が取り上げられているが 後者に果たして効果があるのか 甚だ疑問だ
何故なら現ネット社会ではエロコンテンツに容易にアクセスが可能だからだ
これで簡単に目当てのキャラクターのエロ画像…どころか濃厚なセックスシーンを視聴可能だ
さらにそれを掲載しているサイトを遡れば多種多様なエロ同人をお目にかけることができる
残念ながらそれは難しい
行動力があればコンビニ受け取りで中古のスマホでも買っちゃえばいいわけだし
同級生には電子辞書でブラウザを閲覧できるよう改造していた猛者もいた
ブラウザを見るツールはあちこちにある 完全に切り離すのは相手が小学生でも至難の技だろう
「ネット上におけるエロ同人誌海賊サイトの無法地帯化」をどうにか皆さんで社会問題化してくれませんか…?
そもそもの話エロ同人・エロアニメは18禁でゾーニングができてますし
だのに勝手に無料で読まれて性犯罪の片棒扱いされるとか理不尽極まりないでしょうよ…!
持たなくていいです
というか 2次エロ同人は前述した通りグーグル検索した際に引っ掛かりやすくなる要因となっていると考えられるので そういった切り口から非難するのもアリだと思います
根本的な話 グレーなことをやっているせいで作者がイマイチ声を発せず 海賊版がのさばる一因になっています
結果として自分の首を絞めている訳です
うーーん……
まとめると 「グレーをグレーのまま放置した結果産み出されたヤミに子供が巻き込まれてるよ」ってことです…?
(うまくまとまらなかった…)
グーグルさん何とかしてください
日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち
https://number.bunshun.jp/articles/-/851448
↑
今日この記事を読んだのだが、私が知る現状とは違うと思ったので、少し書いてみる。
私は高校時代はクラブチームでプレーをし、その後は学生時代の友人や仕事を通じで知り合った人々と草サッカーを楽しんできた。そんなわけで、引退した今でもサッカーに真剣なガチ勢や、テレビの試合やウイニングイレブンを通じて、「ちょっと自分もプレーしてみたいな」なんて思って飛び込んでくる、サッカーエンジョイ勢の両方を私は知ってる。
地域としては関東圏に限定されるが、他の地域もそれほど誤差は無いと思う。
僕は、日本に一番足りていないのは、「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」だと思っています。
週末に、仕事終わりに、競技レベルの高低とは全く関係のない次元で、おっさんがユラユラと集まって、しかし真剣に、サッカーをする。11対11である必要は全くなくて(どうせ最後は走れなくなって2対3くらいになるのだから)4対4でも、6対6でも構わない。
僕は大学卒業まで日本でサッカーをしましたが、各年代のチームメイトで、週末だけでもサッカーを続けている人間は数えるほどしかいません。皆、短くない期間打ち込んできたにも関わらず、です。
それはサッカーがプレーするに足らない、魅力のないスポーツだからではなく、熱中していた時にあった序列的な空気構造がサッカーを「つまらなく」感じさせてしまったからではないでしょうか。「サッカーと自分の蜜月関係」の間に、上手くいかない、嘲笑される、誰かにジャッジされる、という横槍がザクザクと入り込んで、サッカーを「誰かより劣っていた記憶」として、あるいは「自らを序列に当てはめた記憶」として刻んでしまう。好きで始めたサッカーが、ヒエラルキーの象徴に化けてしまう。
↑
このようにあるが、これは一部の世界だと思う。と言うよりも草サッカーにも階層があって、サッカーの上手い人は上手い人同士でつるみたがる。サッカーの上手い人達にとって、素人と一緒にプレーするのは基本的には歯痒いモノなのだ。
ボールの蹴り方からディフェンス時のボジション取り、チームメイトの狙いを汲み取っての連動的なオフザボールの動き、挙げればキリが無いが素人とプレーをすると、その全てがどうしても気になってしまう。
実際に草サッカーと言えど、ある一定のレベルにあるメンバーがいないと分かると、予定をキャンセルするサッカー上級者も私は見たことがある。いわゆる「介護プレイはゴメンだぜ」ってやつだ。悪く言えば差別と言えるかもしれないが、実際にハイレベルな人間同士でないと実現できない領域はあって、それが実現できた時の快楽が何ものにも変えられない魅力に包まれてるのも事実だ。
確かに冒頭の記事の中野遼太郎さんが語るように、見えない序列はある。ただし一部の世界で。ガチガチの序列がある草サッカーチームは、そもそもチームの存続が難しい。
東京都内で考えてみる。
サッカーグランドを借りようと思うと、2時間で5000円~10000円ほどかかる。しかもナイターの照明代金が30分ごとに1700円なんでプランの場所がちらほら……。結構なお金がかかる上に時間制限まであるのだ。
「それなら埼玉や千葉の河川敷に行って勝手にボール蹴ってれば良いだろ?」と思うかもしれない。実はそれもNGだ。地域の職員さんが勝手に利用してないかチェックするために車で巡回をしている。河川敷もその地域に住む人が抽選をして初めて使える仕組みだったりする。意外にも誰でも自由に使って良い場所は都内には少ないのだ。
さらにまともにサッカーをやるには10人以上は確実に必要だ。10人でも5対5のミニゲームができるくらい。その人数を忙しい社会人の中から集めるのは至難の技だ。22人ならもっと難易度が上がるのは想像に難しくないと思う。
これは私の妄想だが、あらゆる草サッカーチームは慢性的な人手不足なんだと思う。
変に「サッカーの上手い人には従うべき」だとか、学生時代のノリでやろうと思うものなら、金はかかるしマウントは取られるしで簡単に人は離れ、そのチームは満足にサッカーができない状態に陥るだろう。
草サッカーで個人個人の技術向上を常に考え、常に大会で勝利することを目指すガチ勢のチームの運用は、本当に難易度が高い。だから私が知る限りサッカーをしたい人には、どれだけボールを蹴ったことがなかろうが、基本的にはウェルカムな姿勢のチームが多いと思う。
上の項で書いたが、サッカーは都心では金がかかる。しかも人数を集めるのが難しく、それを継続するのも、相当なサッカーに対するモチベーションやメンバー同士の絆が無いと難しい。
フットサル場もサッカーと変わらずあるいはそれ以上の料金(10,000円以上など)を覚悟しなくてはならない。しかし、仲間内だけでやるなら10人集めれば条件はクリア。さらに当日に集まった知らないメンバー同士でフットサルをする個サルのチョイスもある。個サルなら1人2000円程度で参加可能だ。
なのでサッカーよりもフットサルの方が、現状ではエンジョイ向きであり、そっちに多くの人が流れているのではないかと私は推測してる。
おそらく冒頭の記事の中野遼太郎さんは、草サッカーの中でも上手い人達の世界しか見てなかったのかもしれない。ちゃんと目を凝らすと「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」は結構見つけることが出来るハズだ。
今回の記事は日本サッカーの未来を憂いて書いたと推察する。しかし僭越ながら言わせてもらうと、あなたがもっと危機感を持つべきは、『金のかかるグラウンド』の存在だ。
現在東京を中心に関東圏では、どこでボールを蹴るにしても金がかかる。しかも時間制限もある。サッカーやフットサルにおいて2時間なんてスグだ。ちょっとプレイしてスグにその場所をどかないといけない。そんな状態で例え経験者と言えど、サッカーをわざわざチョイスする人が、どれだけいるのだろう??
また、これからの未来を担うサッカー少年に対しても、この現状はマイナス。自由に無料でサッカーができる場所があるから、自分の技を磨けるのにその場所が有料で時間制限があるのだから、どうやってサッカーを上手くなるのだろうか??高校サッカーでもクラブユースでも、首都圏ではなく地方のチームが強い理由が、ここに表れてると私は思う。
本来サッカーとはボールと仲間さえいれば、どこでも楽しめるものだが、その本質とズレた状態が、今の日本の大きな問題なんだと私は思う。
捜査員がガルテン室内に入ると、その異様な臭いと光景で暫し立ち尽くした。
懐中電灯で照らされた暗い室内には、三つの乳幼児らしき死体が転がっていた。
腐敗が進み、白骨化が進んだ死体を見届けた後、奥の部屋から聞こえてくる打鍵音の方へ向かう。
奥の部屋には、物凄い形相でラップトップのキーを叩き続けるハンチング帽の男がデスクに座っていた。
捜査員員が声を掛けようとした刹那、ハンチング帽の男は突然金切り声で笑い始めた。
狂っている、そう感じつつもハンチング帽の男に語りかけた。
つづく
捜査員はハンチング帽の男に語りかけたが、男は不気味な笑みを浮かべたままキーを叩き続けるだけだった。
ラップトップの画面を覗くと、そこには何度も同じ文字が書き連ねてあった。
ーー何故、ぼくを置いて出て行った?
周囲には空の日本酒のビンが散乱し、ぷーんと酒の臭いが漂ってくる。
改めて懐中電灯で男を照らす。
崩れ落ちた男は白いシャツに花柄のスカートという異様な出で立ちをしていた。
「XXさんでよろしいですね?」
捜査員の問いかけに男はビクッと一瞬反応したが、そのまま動かなくなった。
顔を確認するため、ハンチング帽を取ろうとしたが何かで固定されているのかビクともしなかった。
少し力を入れて更に引っ張ると、鈍い音と共に大量の髪がハンチング帽と共に引き千切られた。
男の頭部が懐中電灯に照らされ、満月を思わせる煌々とした光を放った。
男はぶつぶつと呟き始める。
「ぼくの言う通りにやれば、サクッと月商百万は行きますねぇ。今ならこのnoteも貴方に百円で売ってあげましょう。
どうです?安いものですよ?」
つづく
ガルテンに捜査班が到達したのは、捜査員が連絡した1時間後だった。
ハンチング帽の男は、衰弱が激しいため救急車両に乗せられていった。
証拠品ではあるが、致し方ないだろう。
ハンチング帽の妻には直ぐに連絡が取れた。
麓の宗教団体の宿舎に世話になっているらしく、他の信者の付き添いがいる形での面会となった。
「あの人は家族を省みずパソコンに没頭していました。お酒が入ると豹変するんです。耐えかねた私は家を飛び出し、ここにお世話になりました。半年前くらいのことです。」
彼女は薄っすらと笑みを浮かべて、傍らの信者と寄り添っていた。
つづく
捜査員に鑑識からの連絡があったのは、宗教団体の宿舎を出て直ぐのことだった。
ハンチング帽の妻によると、娘が三人いるとの話だったが、おかしなことになった。
ーーーもう一人の女児がいない?
捜査員は意外な展開になったなと、急ぎ車を走らせた。
「春さん、遺体の検死結果はどうだった?」
袈裟春は神妙な表情で答える。
「ああ、遺体は三体とも他殺だった。
乳児は高いところから床に叩きつけられたようだ。死因は脳挫傷。
残る女児と男児は、共に斧の様なもので切りつけられたようで、死因は失血死だ。」
「他殺……ですか。」
捜査員は肝心の男児と居なくなっている女児について聞いてみた。
今、捜査班で手分けして女児の行方と男児の身元を聞き取り調査しているって話だ。」
袈裟春はそう伝えると、慌ただしく動く鑑識に指示を与え、部屋を出て行った。
捜査員はハンチング帽の男の様子を伺うため、取り調べ室に向かった。
つづく
取り調べ室の隣の部屋から、捜査員はハンチング帽の男の取り調べを眺めて居た。
ハンチング帽の男はうって変わって饒舌に取り調べに答えていた。
「やっこさん、ずっとあの調子なんですよ。
子供のことは全く知らぬ存ぜぬって感じで、自己責任とかよく分からないことを言うばかりで。」
ハンチング帽の男に依ると、子供は妻が連れて行った、自分へ全く知らないとのことだった。
男児のことも長女のことも全くわからないようで、ひたすらに自分の仕事の自慢を続けている。
「狂人ですね……。」
つづく
クラインガルテンから更に奥地にある荒地に建てられた小屋に、闇の中で蠢く何者かの姿があった。
人影が鈍く光る斧を翳すと、目の前の青年は驚きの形相でそれが振り下ろされるのを待つしか術はなかった。
あっと声をあげる間も無く、斧は青年の喉笛に一文字の醜い傷跡を刻みつけた。
その刹那、鮮血が宙を舞う。
崩れ去る青年は何かを掴もうとするように手を伸ばし空を握りしめた。
瞬く間に、物言わぬただの肉塊と化した青年を見下ろす人影。
ーーーこれは復讐……。プロブロガーは存在してはならない……。
そう呟いて、人影は返り血を拭いもせずに小屋を離れ、森の中に消えていった。
そして、荒地に再び静寂が訪れた。
つづく
その一報が入ったのは、捜査員がまだ寝室で静かに寝息を立てている時だった。
けたたましく携帯の鳴る音で安眠を妨害された彼は、不機嫌な声で応答した。
例のクラインガルテンの更に奥にある荒地の小屋に惨殺された遺体を発見したのは、同じNPO職員である森という男だった。
「猿さんが朝になっても戻って来ないので、探しに来たんです。
まさかこんなことになっているとは思わなくて……。」
彼の話によると、前日の夜にお世話になっている猟師の男のところに行くと言って出掛けたという。
死因は大量出血による失血死。
鑑識の話では凶器は周囲になく、犯人が持ち去った可能性が高いとのことだった。
念のためNPOの職員らのアリバイを聴取するも、時間が時間だけにアリバイがあるものはいなかった。
つづく
ハンチング帽の男は正気ではなかったし、その妻も他人事のようだった。
捜査線上に挙がった関係者のうちアリバイが成立したのはハンチング帽の妻のみであった。
三人の乳幼児の殺害方法について、まず脳挫傷の乳児は、ロフトの上から叩きつけられた可能性が高いことが分かった、
残る二人の幼児は、切り口に残った金属粉が荒地の小屋で殺害された青年の切り口のそれと一致したため、同じ凶器であると断定された。
しかし、誰が殺害したのか、行方不明の女児の行方や殺害された男児の身元については一向に掴めなかった。
荒地の小屋の事件の翌日、捜査員は殺害された青年が会いに行った猟師の家を訪ねたが長い間不在のようで彼の足取りも掴めなかった。
その後も、山奥の殺害現場では当然ながら目撃者もなく、徒らに時間が過ぎ去るのみだった。
つづく
衰弱はしていたものの、地下室には食料や水などが十分に用意されていたようで命に別状はなかった。
女児は血まみれの服を着ていた。
照合の結果、その血痕は殺害された三人の幼児のものと一致した。
しかし、女児の体力では斧を扱うことには難しく、殺害に関与することは難しく思えた。
「おとうさんが、みんないらないって。
おおきなぼうでみんなをたたいたの。」
女児の証言能力について認められ、ハンチング帽の男は緊急逮捕された。
彼は呟いた。
ぼくはずっとブログを書いてたのです。
早く、PCを返してください。
つづく
鬱蒼とした森の中、木の枝にぶら下がる人影が静かに揺れていた。
足元には黒光りする斧が投げ捨てられていた。
人影の顔が月明りに照らされると、そこには苦痛に歪んだ老人の顔があった。
その遺骸を見上げる人影が一つ。
彼は老人が確実に絶命しているのを確認すると、そこから離れた位置に落ちている猟銃を拾いその場を離れた。
男は猟銃を抱えたまま、また森の中に消えていった。
つづく
袈裟春は発見人の遺留品から唾液の入ったペットボトルを取り出して、軽くうなづいてみせた。
【作者からの挑戦状】
犯人は誰か?
解決編につづく
解決編1
「またお話をお聞きしたいことがありまして、お邪魔させて頂きました。」
ハンチング帽の妻は、少し怪訝そうな顔で捜査員の顔を見ていた。
ハンチング帽の妻はビクッと僅かに反応したが直ぐに冷静を取り繕った。
「我々がDNA鑑定したところ、長女はあなた方ご夫婦のDNA型と一致しませんでした。
貴女はご存知だったのでしょう?」
「あなた方夫婦に三人の娘がいるというのは、周囲でもよく知られたことだった。
しかし、何故か遺体には男児が含まれ、彼もDNA鑑定からはあなた方の子供である事実が判明しました。
ゴクリと息を飲む気配を感じる。
「多分ですが、生まれた時から女児と男児は入れ替わって暮らしていたのではありませんか?
一瞬の静寂の後、捜査員はこう告げた。
そう言って彼が目を合わせたのは、ハンチング帽の妻に寄り添う信者の男だった。
つづく
解決編2
捜査員は話を続ける。
そして、取り違えが起こった。
信者の男は少し怯んだが、直ぐに元の表情に戻った。
しかし、長女と男児が成長するにつれて違和感を感じるようになった。
そして、奥さんがDVを受けクラインガルテンから逃げ出してここに来た時に気づいてしまった。
そこに事件が起こったのです。
それをもう一人の娘が見ていた。
信者の男は不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「馬鹿馬鹿しい。では、男児も私が殺したと?私が殺す理由がない。」
捜査員は少しうなづいてこう返した。
奥さんと一緒になるにはハンチング帽の男の分身が邪魔だった。」
信者の男は凄い形相で睨み付けた。
「彼女は関係ない!私が彼女の安息のために自らの意志でやったことだ!」
ハンチング帽の妻が何か言おうとしたが、男がそれを遮る。
「神の啓示だ。プロブロガーがいる限り、私達家族に安息はないのだから……。」
つづく
解決編3
信者の男は告白するや否や、入り口のドアを開け部屋の外に飛び出した。
部屋を出た時には、別の部屋に男が飛び込むところだった。
彼が部屋の前にたどり着いたその刹那、部屋の中から銃声が響く。
扉を開いたそこには、猟師から奪ったと思われる猟銃で自殺を図った信者の男の骸があった。
しばらく立ち尽くしていると、ハンチング帽の妻がよろよろとその骸にしがみつき嗚咽し始めた。
つづく
<エピローグ>
事件の残る被害者については、ハンチング帽の妻から事情を聞くことができた。
NPO代表理事は、長女がハンチング帽の男の実子でないことに気づいたらしく、信者の男とハンチング帽の妻を強請ろうとしたために殺害されたとのことだった。
また、猟師の男については、罪をなすりつけるために自殺に見せかけて殺したようであった。
長女は責任能力のない年齢のため、当然罪には問われなかった。
また、ハンチング帽の妻も殺害に協力した訳ではないため、共犯の罪に問われることはなかった。
しかし、気が触れてしまったようで、クラインガルテンの周りを徘徊するのを度々目撃された後、ある日崖から転落してその人生を終えた。
つづく
<リ・プロローグ>
漆黒のクラインガルテンの中で、ハンチング帽の妻は自分の人生について悲壮感を感じていた。
まるで飯炊きの女中のような扱いが続き、自分の一生はこのまま終わるのかと思うと、涙が止まらなかった。
いつか白馬の王子さまが彼女を颯爽と救い出してくれる、そう願っていた。
そして、あの日。
ハンチング帽の男は一人で外出していた。
結局のところ二次創作はジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。
たとえばONE PIECE(冒険バトルもの)とかるろうに剣心(時代劇、剣戟アクション)とかの二次創作でも原作の主題抜きに、読み手は恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから。
二次創作では、原作の行間を埋めるお話が求められる。原作のアナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラの日常や人間関係の描写を犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。
それに、物語を展開させると、どうしてもストーリーの面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説は漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。
また、キャラぶれが生じ易いのも問題。登場人物の人間性は、たった一言、たったひとつの動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う。
文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説の醍醐味のひとつであると思えば、二次創作小説で長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。
という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作に転向して、なろうやカクヨムで書こうか。
だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリーの面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。
商業BL小説の大人気タイトル。BLは少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生はAbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番のネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタなネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物の心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこの主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである。
『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画。漫画家 榎本ナリコがプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画をオリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。
そもそも原作『幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係の描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップが存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである。
本書はそんな幽白の二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。
特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写を差し込んでくるので、驚嘆させられる。
メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。
収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画である。オリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だか分からない話になっている。ベタな恋愛コメディ同人に食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語。
KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL。
主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。
設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りをかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロの小説家だけ、という見本。
眼の疲れがひどいので新しい眼鏡を作りにいったら、ひょんなことから斜視が発覚した。
思えば昔から“見る”ことが苦手だった。
・屋外で正面を見るのが苦手。
・なんとなく不快感を感じて、何かをじっと見ていられない。
・浮き出る絵が浮き出て見えたことがない。
・友人に通りすがっても、声をかけられるまで気づかない。
・なんとなく左眼がおかしい気がするが、何がおかしいのかわからない
(コンタクトの処方箋のため定期的に眼科にかかっていたが、特に指摘を受けたこともない)。
これらは
が原因らしい。言われてみればなるほど!
今は外を歩くのがはちゃめちゃに楽しい。
親切な眼鏡屋の店員さん、あなたのお陰でとっても生きやすくなりました。
気づいてくれて本当にありがとうございました!
今はあなたのことをちゃんと知ろうとしなかったことを反省しています。ごめん。
それから原因不明の眼精疲労で悩んでいる方、上記の症状に心当たりがあったら
もしかしたら斜視が原因かもしれないので、ぜひ眼科さんに相談してみてください。
このエントリが、いつか誰かの参考になれば幸いです。
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
アカギタイツの炎上事件で、これまでの何気なく通り過ぎていた女性下着の広告というのが、「女性の肌や裸、身体のラインを可能な限り露出させなら、男にエロと見られてしまう要素を徹底的に消去する」という、根本的に矛盾した絶望的に困難なミッションをこなすための技法を、いかに研ぎ澄ませているかが改めてよくわかった。
単純な肌の露出度だけを比較して、「こっちはいいのか!」と吹き上がる表現自由戦士たちが相変わらずいるけど、そんな馬鹿みたいなナイーブな感性でよく表現がどうのこうのとか論じられるな、と正直あきれてしまう。
(追記)
性癖暴露は面白いからいいけど、既存の下着広告がそんなにエロい視線を浴びているとして、そうした認識が社会に一度広まってしまったら、これまで問題にならなかったような広告も不適切で規制されるべきという議論を誘発してしまう。せっかく女性下着メーカーの広告制作者が決してエロくならないように、絶対に炎上騒ぎにならないように努力しているのに、それをぶちこわすようなことを言っているという自覚が果たしてあるのかどうか。
あと女性下着広告は男からエロくみせないというだけではなくて、「同性からかわいく見せる」というミッションもあるので、その部分でエロさを完全に消去するのはかなりの至難の技と言うことだろう。
eスポーツって呼ばれてるの本人達ですら疑問だけど、それでもそう呼ばなきゃなにかしらの認可が降りないんじゃねえのかしら、知らんけど
でもってスポーツマンシップとかいう便利な言葉を使わせてもらわないともっと罵倒塗れになるし最悪リアルファイトに繋がるからスポーツ呼びしていろんな人間が関わってるから冷静にやらなきゃいけないものとして認識させてるんじゃないかしら
じゃないとなんでもありおじさんが出てきて「どうせスポーツでもねえんだし試合終わった後にボコボコにして俺に歯向かえないようにしてやる」みたいなこと言い出してもそれが本人達のゲームの範疇なら外野がどうこういう問題じゃないしな。
逆にスポーツという認識だからちゃんとした後遺症の無いルール作りをしようかってことにもなる。
ゲームという認識だと、ルール作りにその場のノリみたいなものが重なってしまって、勝っても負けても笑えりゃいいやみたいな結果になってしまう。
そんで、増田の危惧するような「こんな癖がある選手が有利になるようなゲーム作って」なんてのはそんなもんその選手だけにある癖でもないだろうし、なんだったらその癖を持ったゲームをしたこともない人間がそのゲームに触って全世界一位の座をほしいままにしてしまうかもしれない。
そして、そのゲームが好きならそこで折れないのがゲーマーだからその癖がある人間の更なる癖を見抜いて逆転で一位を取るかもしれない。
そんなもんイチローでもダルビッシュでもハンカチ王子でも選手一人一人が優秀だからってチームが勝てないのが野球だし
減量しなきゃいけないのに減量してこないで、敢えて重量をつけて戦って勝って相手の選手生命を断つようなボクシング選手もいるだろう。
公正ってのはその後の判断だ
eスポーツだって試合外でチートを使って除名されるプロ選手もいれば、大会中にチートを使ったことがバレる奴もいる。
陸上なんてドーピングをして追放され、国ごとオリンピックに参加できない国もある。
物理法則がと言っても魔術のような投球、アイススケートの四回転、こんなもんを素人が理解して出来もしないし、プロですら至難の技で。
ゲームのイカれた物理法則で戦い合うのはお互い様だ。FPSの壁抜きなんて意味がわからねえ、それでもお互いが使える技だからそれを使って戸惑う相手を秒殺する。
再現性のあるバグを使うのも、それも技だし、ボクシングでも使ってはいけない技がある。
その様子を見て、観客達は笑い、怒り、泣き、そして歓喜する。
一緒だよ、それじゃあ。
eスポーツはズルしか出来ない、んじゃなくて、スポーツ自体がズルができるもんなんだよ。
スポーツは物理法則があるから公正で平等、じゃなくてゲームというプログラマーとエンジンが決めた法則の中で使える技を全て使うから公正で平等、なんだよ。
地球だってスポーツ中にマグマが噴火したらスポーツ中止、隕石が当たっても試合継続、っていうルール付が無ければ永遠に試合は続くし、消化不良も発生する。
一緒なのよ、やってることは。
例えゲームのアカウントがマイナンバー付きの登録制になって、血筋でゲームキャラの強さが決まってしまうとしても、それで権利団体を呼び出して試合中に公正なシステムにさせるなんて裏技を使わないわけもない。
ただ想像力を超えてくるのが競技だったり物事なんだから、自分なりの公正で人をぶん殴ってたら同じような人間に増田が矯正させられちゃうよ?