はてなキーワード: 特待生とは
顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。
特に長距離ではすごくて、小学校のマラソン大会では毎年一桁台だった。
親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。
親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。
俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。
周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。
まあそれは、そんなもんだ。
周りが全然俺よりはやい。
俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。
不甲斐ない成績だった。
でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。
この挫折をきっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。
でも俺はたぶん違う。
14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。
俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。
特に県大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかにダサい存在かはよくわかった。
その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。
ホンモノは違うんだよ。
なんていうか、オーラでわかる。
正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。
ニセモノだったのは俺だけじゃない。
ほとんどはニセモノ。
俺はそっち側だった。
でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。
努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?
仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、
何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。
ああいう奴はなんなの?
意味がわかんなかった。
いや、今もわかんないけど。
実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。
まあその話はいいや。
普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校。
そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然大したことなくて、すぐエースになった。
俺みたいに陸上のスポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。
てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。
エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。
俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分の限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。
なにこれ?
は?
お前らはバカ?
偏差値xxあって何を見てるの?
とか思ってた。
当時俺みたいな中途半端な奴って学校に結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。
特待生で学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、
すげーサッカー上手かったのに部活の顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。
高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。
「マラソンってくだらなくね?」
とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。
はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。
だって、家族や友達で、陸上を否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。
いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。
「ごめん。陸上部辞めさせて」
家に帰って、俺は親に言った。
親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズをエナメルバッグに入れたまま。
けど俺の決意は固かった。
たくさん説教された。
俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。
それが一番心が痛かった。
でも俺はもう決めていた。
本当の自分で生きたい、って思っていた。
陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生。
そんなことを何回も言った。
陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。
心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。
だから、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。
俺はそこから、本当にやりたかったことにうちこむようになった。
それは音楽だった。
あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。
最初は冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。
俺はボーカル。
休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。
スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。
これが本気で楽しかった。
あ、これだ、って思えた。
陸上がつまんない、っていうことはない。
でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。
親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?
長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。
音楽は違う。
親は音楽なんて聞かなかった。
俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。
それでもめちゃくちゃ楽しい。
何時間でもやっていたい。
どんどん上手くなりたい。
俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。
どうして県大会のとき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。
たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。
親が望む、自慢の子供を演じていた。
けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。
俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。
音楽は、俺に直接喜びをくれた。
けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。
それで曲が完成する。
時間にしてみれば、ほんの数分。
それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。
で、忘れもしない文化祭。
俺の高校の文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。
軽音楽部とかフォークソング部とかのバンドが演奏するステージだったが、
他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。
俺たちもそこに出ることにした。
はじめてのステージだった。
その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。
実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。
結局そいつが一番すごかったのかも。
野外ライブで、俺らの番が来た。
バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだとき、ちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。
ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。
観客は結構集まってた。
ボーカルを俺がやっていたので、陸上のときの同級生・後輩が結構いた。
ギターもサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子が結構な数いるのが見えた。
自信があった。
後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いから尊敬してるだけだろ、
でも、これからは音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。
それまで偽りの自分で評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。
MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。
俺が想像していた観客の表情ではない。
なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。
当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。
俺はHydeに全力で心酔していた。
ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。
けど俺はHydeじゃなかった。
俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。
それから俺は、高校を卒業して、親のコネがあった地銀に就職した。
今年はじめて箱根駅伝を見た。
それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。
俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。
でも、そんなこと子供に言う訳はない。
願わくば俺の子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮しているのだろう。
ということで、帰省したものの朝まで寝付けなかった私が、タバコを吸いながら書いてみようと思う。完全なる自分語りとなることを許して欲しい。
生まれも育ちも北海道だったため、なんて事のない普通の市立中学に通っていた。しかしながら、赤ん坊の頃に白内症を患い、日中は殆ど目が見えず、親譲りの喘息と、アトピー性皮膚炎まで完備という、キャラメイク時のステ振りダイスが完全にファンブルっていたため、集団の中では嫌でも浮く存在になっていた。
自然光の中ではほぼ目が見えないので、通学途中に普通に電柱にぶつかったりするし、体育の授業でサッカーなんてやろうものならゴールポストにぶつかったりするし、10cmくらいまで近寄らないと顔も判別できないしで、他の人から見ればどう考えても頭のおかしいやつに見えたことだろう。当然ながらいじめもあった。小学生から中学2年生くらいまでが人生で一番きつかった(しかし小学生6年の時に面白キャラへの展望を見出し、そのおかげで幸運にも友達もいた)。
目が見えない道中はひたすら脳内にイメージを描いて妄想していた記憶がある。
そんか日々の妄想のおかげか、何故か文章能力だけはあったようで、小学生の頃書いたなんかの感想文が先生の心を打って、私に内緒で突然全文プリントに掲載されたり、中学の頃書いた読書感想文では国語の先生から「普段から小説書いたりしているの?」などと言われていたので、自分は将来文字を書いて生きていくことになるのかと思っていた。
そんな私の勉強法はというと、まず白地のノートが見えない(日中は黒板も見えない)ので、一度だけ集中して読み込んで、短期間で暗記することにしていた。なんの参考にもならなくてすまんな。人工光の中ではなんとか目が見えていたので、普通にテスト勉強などはした。
そして同じく人工光の塊であるテレビゲームが私の心の支えであった。喘息がひどくなっても、ゲームに集中していれば、なんとか発作をやり過ごすことが出来た。
ちなみに目は中学3年のときに手術を受けて人並みに見えるようになった。病院から帰る車中で見た、生まれて初めての鮮やかな景色の衝撃は今でも覚えている。
また、小学生の時から通っていた塾で出会った女の子のことを、中学から高校の終わり頃まで片思いするハメになるのだが、その子は頭が良く、とてもレベルの高い高校を志望していた。その子に出来る限り近づきたくて、志望校は少し無理をして高い所を目指したが落ち、このあたりからいよいよ根暗ロードへの扉が開いていく。
特待生だったので格安で通えるという理由だけで選び、格安で通える以外何も良いことは無かった。
例の好きな子のことはいまだに好きで、その子と話すためだけに塾を続けていた。高校二年生の時に人生で唯一告白されたときも、好きな子が居るからという理由で断った。その子は北海道のどこか偏差値の高い大学を受けるらしいということだけは耳にしていたため、その子との関係を続けたいがために、北大を目指した。というのは嘘だ。
実際のところは、高校受験に落ちたショックで完全に無気力になっていた。自分は何をやってもダメなんだと考えるようになっていた。物理や化学のテスト偏差値は当時30とかで、今思えば大学に行けるかどうかも怪しかった。特に行きたい大学も無かったし、先生からも見放されていた。
勉強に本腰を入れたのは高校三年の夏休みの終わり頃だったと思う。いよいよ将来を考えるという時期になった時、私は自分の心を支えてくれたゲームを作る側になりたいという気持ちが強くなったのだ。
そして、ゲームを作るのにはプログラムが必要だということを知り、情報工学系の大学に行きたいと考えるようになった。
そのことを塾の先生に相談したら、何をするにせよ基礎的な学問を学んだ方が良い、そのためには良い設備のある良い大学に行くべきだと言われ、東工大か電通大に行きたいと考えるようになった。
そこから毎日塾でセンター問題を解きまくった。学校の授業中も全て無視してひたすらセンター問題を解き、過去に参加した模試を何度も何度も繰り返した。
偏差値が最低のところからスタートしたのが、結果的に功を奏した。模試の過去問を繰り返すたびに必ず少しずつ点数が増えた。これが凄く面白くて、そこに自分はゲーム性を見出したのだと思う。
また、過去問を解くのに使ったルーズリーフを捨てずに毎日積み上げることにしていた。そこもゲーム化しようと思ったのだ。結果的に、自分のやったことがルーズリーフの山という形で可視化されて、それがモチベーション維持に繋がった。
そして願書を出す直前に受けたセンター模試でかなり良い結果を出し、今まで私のことは眼中に無かった担当教師も興味を示し始めた。
しかし流石に東工大には手も足も出ないだろうと思っていたので、前期も後期も電通大を受けようと思っていた。しかし件の教師にそれを伝えると、前期は北大の情報工学系を受けてはどうだろうかと勧められた。
かくして私は北大生になることが出来たのであった。
当時を振り返ると、理系志望者ながら国語と英語が得意だったため、センター対策も二次試験対策も勉強時間の配分を理系教科だけにほぼ全振りできたのが良かったと思う。
【その後】
表向きは男女平等・機会均等が重視される世の中でも根強く残っている理由は「差別は恥だが役に立つ」からなんだよね。
雇用側からすれば優秀で企業の要求に反抗することなくきっちり仕事をこなせる人が欲しいのであってそうでない人はいらないわけだ、そこから考えると。
学歴は本人の能力を計る上で役に立つ、東大とか早慶に入ってた人と偏差値50以下のFランレベルの学生だと素の頭の良さとか要領の良さで差が出る。
企業側としては新卒は仕事ができない無能と言う事は理解してるから大学で何を勉強したかよりも難関大学に入るレベルの頭の良さと要領の良さに期待しているわけ
そこに運動系のサークル所属もしくは部活動経験があれば体力や根性もあると見られるからさらに有利。
専門学校はバカが行く所と認識されているから大卒募集枠に専門の特待生レベルが挑んでも九割方書類審査で落ちるね、高専の方がまだまし。
あと高学歴って案外素直な子が多いから企業側が自分専用の労働者として調教しやすいってのも人気の理由、馬で言うとサラブレット扱いなんだよ。
性別は本人の将来性を計る上で役に立つ、企業側としては多少無理をさせても折れず働き続ける人が欲しいわけさ。
妊娠して産休とか生理を理由に休むような女に仕事を頼んでもいつ休まれるかわからないと言う不安を感じる企業が多い(表向きはそうでない所が多いけど本音は違う)
「産休は取るべき」と言う意見が世間に広まっている今でも表向きは寛大でも本音としては「忙しい時に産休取るんじゃねよーよクソ女」と考えている経営者が大多数。
生理も同じ、しかも女は結婚すると会社側が用意したキャリアパスを放棄してでも私生活重視で働くからかなり扱いにくいし思った通りに
調教できない上に辞める可能性も高いからどんなに優秀でも女ってだけで難色を示す会社が多い。(表向きは気にしてないけど)
女と比べると男はプライドをくすぐる様な事を言えばすぐに自らの私生活を犠牲にして企業に尽くす人が多いから人気なんだ、辞めにくし体力もあるしね。
本音としては生理は仕方がないにしても結婚・妊娠・子育てからほど遠いバリバリ働く独身キャリアウーマンが理想なのさ。
実際に企業を見たり経営者と話したりすればわかるけど、ネットの声だけが世の中を表しているわけではないよ?
はてなはweb業界の人が多いから伝統的な大企業に関しては何も知らない人が多いから理解できないだろうね。
もう一度言うよ?雇用側からすれば優秀で企業の要求に反抗することなくきっちり仕事をこなせる人が欲しいのであってそうでない人はいらないってのが本音、それを前提に就職活動や転職活動しないと病むよ。
今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。
小中は地方の公立に通った。自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手に学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、いわゆるヤンキーとも普通に友達だった。
クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。
成績もまあまあ良かったから、推薦で私立の高校に特待生で入って大学に行った。
大学は入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら通った。
大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。
学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。
入社後最初はカスタマーセンターに配属された。電話が死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。
それから色々経験して、5年目くらいにはやりたい仕事もポツポツできるようになった。
社会人7年目に入ったころ、上司から「あなたを管理職にしたい」的なことを言われた。
一瞬で頭にたくさんのことが浮かんだ。残業、満員電車、責任、会社への帰属意識。どれも人生で楽しくない要素ばっかりで、急になんでここにいるのかわからなくなった。
ここで初めて、レールから外れた。
今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。
自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。
29年間、自分で考えることをサボってきた。
この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかよくわからない。
ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。
受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。
会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。
ただ、今とても苦しい。
自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。
また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、地元に帰ったり、地方に移住したり、外国に行くことだってできる。
レールの外歴3ケ月の自分には選択肢が多すぎて頭がパンクしそうである。
【追記】
みんな想像以上に温かい言葉をくれて、泣ける。本当にありがとう。
今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。
自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手に学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、
地方の公立小中を出たけどいわゆるヤンキーとも普通に友達だった。
クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。
成績もまあまあ良かったから、推薦で私立の高校に特待生で入って大学に行った。
大学は入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら通った。
大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。
学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。
入社後最初はカスタマーセンターに配属された。電話が死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、
すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。
それから色々経験して、最終的にいわゆる会社の花形部署に配属されて思いっきり仕事した。
社会人7年目に入ったころ、上司から「あなたを管理職にしたい」的なことを言われた。
絶対嫌だと思った。今より残業が増えるし上層部に振り回されるしどんどんこの会社でしか生きられなくなる気がしたからだ。
ここで初めて、レールから外れた。
今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。
自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。
29年間、自分で考えることをサボってきた。
この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、
自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかがずっとモヤモヤしている。
ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。
受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。
会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。
ただ、今とても苦しい。
自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。
また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、
社会人3年目が終わったので、どうやってここまで来たのか書いてみることにする
一応ほぼ自分の金? で高等教育?の高専・大学~大学院までは卒業したので
金がなくて大学とかどうしよって思っている人とか
金がなくて子供を学校にやれねーなと思っている親とかが見てくれればと思う
中学で高校を選ぶときにまず、私立にはとてもじゃないけどやれないと言われた
よくもまあこのご時世に5人も作ったって話ではあるんだけど
公立の高校は県内だと最高70くらいの偏差値の場所しかなかったから
対して偏差値も変わらなくてお得な工業高等専門学校とやらに行くことにした
親からしたら早く働いて欲しかったみたいだからそこを進められたってのはあったんだろうけど
この『高等専門学校』略して『高専』は工業高校と短大を組み合わせた?みたいな感じの学校
だいたい全国の都道府県には1つづつ(ないとこやいっぱいあるとこもある)あって
基本的に工学系の学科の電気・電子・機械・情報・建築・物質・化学なんて種類がある
どのくらいしやすいかて言えば面接一回で受けた次の日に内定が決まるとか
でこれが就職の話で次に進学の話
難易度的には普通にセンター試験?(私は受けたことがないのでわからない)で入るよりも簡単らしい
大学4年間と高専の4・5年+大学3・4年だと高専+大学の方が安くなる
あと高専には専攻科っていうのがあって
ぶっちゃけ難易度やお金の面で言えば専攻科+大学院の方が簡単で安い
しょぼい国立大学でも専攻科よりはましだと思うので
この先40年近くそういうことと付き合うことになるということを考えてから進学して欲しい
とにかくつまらんかった
で高専の先生が良く言うのが君たちは技術者になるんだっていうこと
高専を出て、キャリアを積むこともできずにこのままつまらない技術者になるのは嫌だった
かといって研究者になろうとか起業しようとかそういう考えがあったわけじゃないけどとりあえず進学することにした
それどころか高専4・5年のお金も自分でなんとかしろって言われました
この辺が妥当だと思う
ということで奨学金を借りてアルバイトして授業料免除の申請をします
これが割と辛い
勉強面では
授業料免除しようとおもったらまあクラス5番以内には入っておきたい
で奨学金の一種(利子無し)を貰おうとすると10番以内には入っておきたい
さて、肉体労働も頑張って、成績でも頑張って
自分に残るのは?
親にははよ働いて欲しいといわれて
マジで辛い
高専からのルートなので高校からのルートよりは楽だと思いますがいやあ辛かった
金がないのに大学に行かせたい親とかがいたら
まあ覚悟して頑張って下さい
さて、ここまでは高専の話です
自分で金を稼いで高専に行っていた二年間の間の勉強で十分大学には入れました
某T大学とK大学は高専生には『教養』が足りないとうことなので
2年次編入になります
この二つの大学は高専時代の席次が3番以内だと入学料・授業料全額免除の特待生になれる可能性があります
自分も割と迷って結局いきませんでしたが、お金に困っている場合はかなりアリな選択だと思います
ちなみに編入試験は国立大学でも試験日程さえ被らなければいくらでも併願可能です
国立大学にバンバン編入していたので国立大に入りたいだけなら高専はコスパがいいと言えると思います
普通の高校からだと大学受験時に予備校や塾に行くのが普通だと聞いているので
そういう場所に全く行かない高専生は大学に行かしたい親から見れば凄くお得な教育機関だと言えます
工学部とは言えなんとか歴史ある国立総合大学様に編入できたわけですが
女はいねえし、高専生を少しお上品にしたみたいなやつらでいっぱいでした
サークルってやつにも3年生ながらに参加させて貰って楽しかった
まず研究室です
理系の学部の人はだいたい4年次、早ければ3年次に研究室に入ることになります
とにかくコアタイムとか辛いし
週報とか辛いし
実験はつらいし
論文はつらいし
学会とかつらいし
からだがいくつあっても足りません
正直就職したら楽になったって人の方が多いです
なんで自分で金工面して理系でやっていくというのはマジのマジで辛いと思います
(文系とか工学系以外はやったことないので比べようがないですけど)
次に世界の違いです
高専はまあ偏差値自体はそれほど低くもないのでいうほどアレな人はいません
私は高専の中でも割と貧乏でしたが、高専の連中とは割と話とかは合いました
そりゃあ私と同じく奨学金を借りて、授業料免除を受けて大学に通ってるやつもいます
なぜなら彼らはそれが帰ってくることを知っているからです
私の地元の中学の同級生には彼らのように勉学にお金や努力を賭ける人はあまりいません
そんなことするくらいならヴェルファイアでも買っていると思います
なんで、頭のいい大学生がそういう風な考え方でやっていけるのか考えれば
やっぱり親とか友達とか周りの皆がそのように考えて
そして、私はそれを凄く羨ましいと感じました
私もそんな環境ならもっと上にいけたんじゃないかとか情けないことを考えてしまいます
彼らは普通のことをやっているだけなのに環境や考えの違いを思い知らされます
その結果、家賃を携帯代を学費を食費を『自分の時間』を払っていることにやるせさなや怒りを感じて
まあ中々辛いです
色々思い知らされて
それでまあ工学自体は嫌いでしたが結局大学院までいくことになりました
大学院までいくころにはもう親はあんまり何も言わなくなりました
親からすれば大学院なんてもう聞いたこともないような世界だとかなんとか
技術者の『マネージャー』とか『研究者』になることが現実的になってきます
ついに勉強してきたことと実際の世界がしっかりとリンクしていることを感じることができます
やっとこさ高専のころのクソ詰まんなかった電磁気やイオンの動きやなんやかんやがついに意味を帯びてきます
まあつまんないことに変わりはなかったんですけども
英語論文2本出しとけば修士の分の奨学金は全額免除くらいは行けるでしょう
で就活です
工学部には学校推薦制度があってかなりの確率で内々定を貰うことができます
ただ、私は工学あんま好きじゃなかったので自由でいろんな企業を受けてたら
夜行バスと学割在来線を使っても交通費が10マンくらいかかってしまいました
ただなんだかんだ言って高いモノかっても安いモノかっても就活には影響しないのかなという感じです
私は某巨大スーパーのスーツに某ブラックで有名なチェーンのシャツ、ニット帽で有名なチェーンのネクタイとかで
就活してましたがなんだかんだ大手5社くらいから早々に内定者はもらえました
就活の百倍辛かった
こんな感じですね
だいたいアクアが二台くらいですかね?
そのくらいの金額でした
やっとこさ同期のみんなと同じスタート地点に立った感じです
高専の同期は結婚したり、でかい車かったり、下手をすれば家を建ててます
大学・大学院の4年間と奨学金を返し切る3年間で高専の同期とどれだけの差が開いてしまったのか
大学院の同期に三年間でどれだけおいて行かれてしまったのかわかりません
でも高専から現場の技術者になってもそもそもなにか違うという考えがずっとよぎっていたのではと感じます
原チャが廊下を走り回っている中学、ちょっと頭のいい高専、頭のいい大学とたどってきたおかげで
いろんなことを考えることができたと思います
学歴がなくても生きていけますけど学歴がないと見えない世界もあります
だからもし、貧乏だけど大学にいくとか、今勉強してることがなにか違うと感じてるとか
そういう人に見てもらえればと思って書きました
3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。
中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。
辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。
中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。
1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。
その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会に進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。
また冬が来た。
去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。
「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍が口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。
真冬で太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。
一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。
県大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。
僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。
東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。
勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。
僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。
ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。
2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。
そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。
設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会に運動部が出場するのは初の快挙だった。
僕らは涙を流しながら抱き合った。
顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。
数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会の舞台に立った。
1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。
実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。
全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。
詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイクで大会に臨んだ。
だがこの判断が間違いだった。
ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。
下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。
集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。
僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。
僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。
仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。
自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。
同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生の勧誘やらを前に迷っていた。
「これから先でも戦えるのだろうか」
全国大会で天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元の友達皆が行く近場の学校に入学しようと考えていた。
そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。
僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。
正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。
結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心はボロボロだ。
それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。
前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。
色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。
僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。
この事実を教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑だから走れ」と練習を強制された。
当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。
僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。
そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。
今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。
歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。
この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。
1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。
ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。
それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎの区間だったが。
少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。
怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。
それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。
僕は迷った。
でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。
少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしまい練習ができなくなる。
救いなのは大学はある程度自由にトレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。
ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝のメンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。
県大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。
正直箱根駅伝のメンバーにもなれない人間は実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。
でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。
人ならざるものが徘徊する馬鹿高校の窓際で机に突っ伏しながら「まだ働きたく無い!というか働けるわけが無い!」とグズグズ願っていた僕と、
貧乏にもかかわらず「大学くらいは出させないと!」という両親の思惑がよからぬ形で一致した結果だ。
とはいえ人並みの努力ができずやる気の無い僕がどこぞの名の知れた大学を目指せるわけもなく、地元にある誰でも入れそうな大学のよくわからない学部
を適当に選んだ。
しかし、こんな僕でも合格できるんだからAO入試ってすげえな。ホント大丈夫か?
今年の春に二年生になるけれど、大学は本当に良い。
好きな時に起き、好きな時に食べ、好きな時にセックスだってできる(大学に入って彼女ができました)。長時間の身体的拘束を伴う高校時代よりはるかに楽だ。
確かに講義はあるが、僕みたいなのが入るような大学なのでレベルは総じて低く、行っても行かなくてもどうとでもなる。
まあ、英語の講義でガチで「I have a pen」をやるとは思わなかったが。講師もニヤけるなよ。あれはちょっと傷ついたぞ。
新しく覚えたことといえばパチスロくらいだ。
ろくでもない友人に誘われてはじめたが、あれはハマる。
今やバイトで軍資金を稼いでは、パチ屋に行き時々大学に顔を出すと言う有様で、もう一生こういう生活を送りたいと願っている。
ああ楽しい。
僕がこういう生活を送れるのも国が奨学金をホイホイ貸してくれたおかげ。
だからその辺の一般人よりよほど国に対する感謝の気持ちは持ってると思う。
まあ、世の中的には「金を借りてまで大学に行くなんて無駄!」とか「必死に勉強して特待生か国公立を目指せ!」とか色々言われているのは知っている。
でも、少しくらいは大目に見てほしい。
言い古された言葉だけど、子供は親を選べないわけで、貧乏な両親の子供だってだけで一般的な幸せ(今大卒は一般的ですよね?)を
得るのに物凄く高いハードルが課せられるってなんだか不公平じゃん?それを直していくのが国の役目じゃん?
というか、そいういう話をしていくと最終的には不摂生が原因で病気になった人とかも責めざるを得なくなると思うんだけど、それはどうなんでしょうかね。
父親が死んだとき、生命保険金の半分を母親の額面にすることになった。兄弟の総意だしそれは問題ない。
受取人が俺になっていたから、俺が管理して毎月母親に送金することにした。月20万。でも10年も持たずに使い切ってしまう。
ところが母親は20万では足りないと言ってくる。ペットの病気だの何だの。
だから月22万送金するようになった。減りは早くなった。
でも働ける体じゃないし、大変そうだから、俺が地元に帰って家でも買って生活費用を抑えようと提案してみた。
家を探そうとしたけど、なかなか良いのが見つからない。1700万円ほどの家を見つけたら、そこは部落地区だから止めろと言ってくる。
場所とのバランスを考えて母親が気に入ったのは2700万円ほどする場所。まあ、でもそれは俺のためもあって言ってるんだろう。だから怒るということはなかった。
他の地区と色々検討しているときに、「もし結婚したとして、子供のことを考えるなら、荒れていると評判の地区は困るなあ」と俺が言うと一言。
あのさあ…。俺の金を何だと思ってるんだ?
俺は中学生の時、公立の2番手校に行きたがった。それを言ったら1番手校じゃないなら学費は出さない、と怒鳴ってきた。これは完全に見栄だけの理由。後から公立高校の学費なんて高校生自身でも全然問題なく払えるレベルだと知ったことは置いておく。
結局、私立の特待生で学費免除になったんだけど、それでも俺の教育費が高いと文句を常に言われた。バスの定期代が高いとも言われたから学期の途中から自転車で通うことにした。片道40分。
それだけなら普通だろうけど、小遣い1円もくれないからバイトもして、特待生を切られないために勉強もして、成績は学年トップ5には常に入っていた。
浪人はしたけど(浪人中の生活費や受験に関する金は母親も父親も一切払っていない)、良い大学に入って名のしれた場所で働いている。
俺は間違いなく努力して、悪くない結果を出していると思う。
「勉強なんかしても何の役にも立たない。勉強しか取り柄のないお前は人間としての魅力がない。運動出来ないノロマ。運動が出来る従兄弟は格好良いな。本当にお前は格好悪いな」
ずっと言われてきた。でも勉強を続けてきた。
やっと手に入れた俺の結果を、かつて俺を馬鹿にし続けてきた母親は当てにしている。
家でも買って、なんて言ったのが間違いだった。家を買った後の生活費は俺が中心で出すことになるだろうけど、そもそも現状の生活費の切り詰めからからしておかしいから、いくら持っていかれるか検討もつかない。
母親は「生活が苦しくて、おかゆだけの日が続く」とか言ってるんだけど、ウォーターサーバーをもう何年も置いている。解約を提案したら絶対に逆上して会話にならないから言わないけど。
この間なんか、携帯電話ショップに言われて家にWi-Fi接続を導入したらしい(俺は見ていない)。でも実家はパソコン置いてないんだよ。通信機器は母親のスマホだけ。そのスマホはちゃんと回線繋がってる。Wi-Fi要りますか?
Wi-Fiの解約を提案したら「解約手数料がかかる」ってさ。Wi-Fiに金を2年払い続けるのとその解約手数料今すぐ払うのと、額面計算して比べてくれよ。
こういうのをポンポンと契約されかねない。その解約の度に金がかかって、所得に対して支出が馬鹿みたいになりそうだ。
逆に、前にトイレの換気扇を俺が付けっぱなしにしていたら(俺は自分の家でもずっと付けている)、凄く文句を言ってきた。付けないことによって節約しているらしい。それで一ヶ月の電気代いくら浮くんだよ。付けっぱなしでも300円程度だろ。こういうところで自分は節約上手の生き方上手であるかのように振る舞ってくるのも疲れる。
で、月20万円で過ごせないのが信じられないから、月の支出を見せてくれ、削れるところを見直していこう、と言うと「何でプライベートなことをお前らに教えないといけないんだ」とキレる。
一緒に暮らしてやっていける気がしないよ。
育ててくれた恩は感じているけどさ、俺が母親から受け取ったのって、一般的な家庭からすれば遥かに少ないんだよ。それもありえないレベルで。
暴力・暴言の虐待は日常茶飯事だったしな。夫婦喧嘩の仲裁を子供たちでやったことなんて数え切れない。
すねて飯を食わないと言い出した母親におかゆを作ったら、「しつこいんじゃ!!!」と怒鳴ってお椀をゴミ箱に突っ込まれたこともある。
それなのに俺が、一般的な家庭における息子が親に渡すものよりも遥かに大きな世話をする必要ってあるんですかね?
というか、俺がいるから母親は俺の金を当てにしてくるんだよな。元々俺は家の中で存在するはずのなかった子供なんだし、いなくていいよな。
残額800万に俺の取り分を加えた1000万を全部送信して、バックレようか。
【追記】
予想以上の反響で驚いています。応援の言葉をくださった方にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
いくつか補足をしておきます。
・他の兄弟
兄弟も手伝ってはくれています。帰省のときに小遣いを母親に渡したりしているそうです。自分は小遣いは渡していません。
本文からも退場したわけではなく、見直しを提案したときには同席してくれていました。母のセリフが「お前らに」となっていたのはそのためです。
ただ、結婚していたり、正社員ではなかったり、ということで面倒を見るのは自分以上に困難と思われます。精神的にどうかは知りません。
・年金
評価は受けていたと思いますが、受取人が自分だったのは評価されていたからではなく、母を受取人に出来ない理由があったからです。(法的にどうなのか分からないので書きません。役所からはこの回避方法で問題がないという回答をもらっています。)
だから母は自分が本来の受取人であり、「管理してもらっているのではなく、預けているだけ、本来は自分の金である」ことを主張します。
贈与税がかかるから一度には渡せない、ということで自分の扶養に入れて、生活費を送っています。(ここは法に触れたら金を没収されるものなので母もすぐに言うことを聞いた)
税金の話をするまでは、「私が正当な所有者なのに、あいつは私に金を渡さない。100万ぐらい持ってくるのが筋だ!」と兄弟に愚痴を言っていたそうです。これは傷つきました。
・文章力
ごめんなさい。元々上手い方ではないのですが、それに加えて感情が爆発しそうになっていたので、何を書けば自分の感情が読み手に伝わるのかよく分かっていませんでした。
思い出したエピソードを詰め込んだ感じです。
10日ほど前に、やはり腹が煮えくり返って書いたものがありますので貼っておきます。ただ、一部ノイズをかけようとして情報に齟齬があります。両方にリンクを書き加えたのを以て本人だと見なして下さい。
自分語り。かいつまんだつもりですが長くなりました。ごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20161204200529
・「生んで~」
自分は母親に生んでもらっていません。兄弟は母親の実子ですが。自分は母親と養子縁組をして母親を扶養に入れています。ちなみに実母は実母で嫌いです。
http://anond.hatelabo.jp/20161219005939
【追記2】
騒動の最中に、母に「それなら増田じゃなくて姉と一緒に住むっていうことを考えてみても良いんじゃない?」と言ってみた。
母の回答は「それは私も考えたけど、すぐに良い人見つかったらって思うとなあ……(だから住むなら増田)」であった。
姉が母と一緒に住んだとして、再婚すれば母から再び独立する未来が見えている。
実家にお金入れて、奨学金返還して、父の車のローン払って、もういっぱいいっぱい。
友達との縁も切りたくないから交際費もかかるし、ぎりぎり切り詰めて月々貯金に回せる額が6万円(自立の為に3万+将来の為に3万)
家ではちょっと贅沢して新作DVD借りてヱビスビール買って、家で飲みながら見るような週末。
私には2年付き合ってる彼氏がいるんだけど、まーなんというか、お金に困ったことの無い人というか、高収入ゆえの金銭感覚の違いみたいなものを凄く感じる。
名門中高進学校→有名私立大→大手メーカー総合職→特待生、な順風満帆な社会人生活。
手当も沢山もらって、家賃も光熱費も全て会社持ちの、利便性の高い立地のマンションに住んでる。
具体的な金額は聞いたことがないけど多分相当貰っていると思う。(趣味はバイクとウイスキー集めで、そこらへんにお金を注ぎ込んでもまだ十分貯金できるくらいの余裕があるらしいので)
そんな彼だが、私にもその金銭感覚でもって話しかけてくるのが最近苦痛になってきた。
「一緒にツーリング行こうよ!たった10万あれば免許とれるし!ほらこのバイクなんか中古で68万だって!安くない?」
「この25年もの、すごく美味しいよね?最近よく飲んでるんだー。増田ちゃんも今度お薦めのお酒持って来てよ!安いのでいいから!」(それって鏡月とかでもいいわけ?)
「これ安くて品質いいし衝動買いしちゃったー!」(と言って3万円もするジャケットを見せてくる)
極め付けは「仕事でイタリアに行くことになったから遊びに来て!30万あればいけるから!」(一体どこから30万円を捻出すれば良いのやら)
それ相応の給料を貰っている人はその分消費して経済を回す方が良いのだろう。高い収入は彼の能力の一つでもある。そこはとても、とても尊敬する。
でもその金銭感覚を私にまで押し付けないで欲しい。まぁ、押し付ける気は全くないんだろう。彼の中での10万円って、多分そんなに高くない金額だと思うし「たった10万」は彼にしてみれば気遣いの一言なのだ。
彼の周りもボンボンから大企業に入った人ばかりだし、多分、手取り12万の正社員が存在していることすら知らないんじゃないかと、私は最近思っている。なんかむかつく。
そんな彼氏に最近プロポーズされた。イタリアから帰ってきたら結婚したい。考えといてね、だって。こんなに金銭感覚が違う人と結婚して、果たして大丈夫なんだろうか。
勿論彼のことは総合的にみれば本当に尊敬してるし、こんな奴にプロポーズしてくれる人なんてめったに居ないと思うので、受けるつもりでいるのだが。
「高収入の男性と結婚」てすごく世間的には憧れの対象かもしれないけど、私はどっちかというと、彼と私の格の差を生活レベルで毎日見せつけられるような予感がしてて、とてもじゃないが舞い上がる気持ちになれない。
高収入の男性と結婚→私が高収入になるわけではない。私は私で手取り12万の女のままだ。
だから私自身の生活レベルが変わるわけでは無いし、このみみっちさも変わるわけではないのだ。
かといって貧乏な男と結婚したいかと言えばそうではない。上手く言葉にできない。夫の収入で賄うことが何だか「負け」の様な気がしてしまって甘えられない。
私だってさぁイタリア行きたいんだよ。彼に会いたい。でもいきなり30万ポンと出せるわけないだろ。15万ならなんとか捻出できそうだけど…30万って…。
「15万円負担してください」って、言いたいなー……でもやっぱ、言えない……
なんでこんなやるせない気持ちにならなきゃいけないんだ。
本当に気づける要素が無かったのかな?
私学の高校行くって決めた時に親と相談しなかった訳じゃないんでしょう?
特待生でもなきゃ公立に比べて滅茶苦茶金がかかるんだから何かしら向こうも思うところはあったと思うんだけど。
まあ実家が出せないにしても私学なら特待生制度あるし(理系は授業料以外に何かとかかるから不適)、公立は授業料免除あるし、あなたの親が思っているほど必要経費は多くないかもしれない。
それに奨学金だって今までもらってこなかったんでしょう?それなら4年間分くらいなら自分で返せると思う。
こんなことを書くと反感や嫉妬を煽ることになるかもしれないから匿名で書きたい。
増田はアメリカの大学生で、国籍も向こうだが、7割5分くらいは日本人だ。
昔からプログラミングが好きで、十代からプログラマとしてあれこれ仕事をしてる。
ここ最近はブームに乗っかってiOSやAndroid OSのゲームアプリを副業で作っている。
ある有名なゲームのクローンアプリを作って公開してみたら、1日で100万円くらい稼げるようになってしまった。
1日100万円だ。つまり単純計算で3億6千500万円の売上があるってことだ。
好調な時は200万円とか、400万円とかいう日もあるから、下手したら4億円に届きそうな勢いだ。
メインは広告収入とアプリ内での課金で、4個ほどリリースしてる。
最近は運営を委託したりしているので、税引き後の手取りは半分くらいかな。
朝起きてログを見た時、最初は「やった!」と思った。だけど、それがもう半年以上は続いている。
もう正直怖い。
怖いのは、その稼いだ金を、自分は有意義に使えるのか?といったことだ。
こんな、人のコンテンツをパクって儲けるなんてことをしてる奴が…、
稼いだ金には未だに手をつけていない。
学費に充てろと両親から言われたが、特待生だしそもそも学費はかかっていない。
パーッと遊べばいいだろうという意見もあるだろう。
だが、それも怖い。一度崩れた金銭感覚を元に戻すのは難しいし、
その時に出来た友達とかが、金がなくなったのと同時にいなくなるのも嫌だ。
これだけ稼いでいることには家族以外には誰にも言っていない。
もはや部活動は児童虐待となっている。特に高等学校の部活動は、その傾向が著しく、実際のところ一時期よりはマシになっているのだが、現在も状況は続いている。
この児童虐待というのは体罰やいじめといった暴力事件の問題ではない。単純に現在の部活動は、その運用自体が虐待になっている。
一般の高校の場合、生徒は通常1日に6時間の授業を行うことになる。間に休憩時間を挟むがショートホームルームや掃除などを加えれば6時間程度になる。
そこに2時間も部活動をすれば8時間となり、これを5日間で労働者ならば法で定められる週40時間の労働に相当する。
大体朝の練習30分、放課後1時間30分も練習すれば丁度良い按配であり、その範囲内に留まる部活動も多い。
しかし大会で実績を残すような運動系の部活動では授業をあわせて8時間をゆうに超える活動が求められている。
相談に来る生徒の中には朝1時間半、放課に4時間、通学は自転車通学を部内規則とするため、学校から遠い家に帰るのは11時ごろという者もいた。
土日も午前午後の練習か公式or練習試合があり、1日の休暇もない部活動の相談もある。
企業ならば松崎茂と並べても完全にブラックといわれるような状況だ。だからこそ、運動部の経験がある人間はブラック企業に重宝される。
このような部活動の異常な活動時間が許されているのには一つの理由がある。
教育基本法など各種教育の法律には部活動を規定する法律の条文がほぼ存在しておらず、部活動は要約すれば『生徒が自主的な活動として課外活動をすることを援助し、教員が行動を監督しなくてはならない』といった趣旨のことが書いてあるだけだ。
つまり、部活動は本来「生徒の趣味」として行われているだけで、その援助をするため学校は場所を与え教員は事故や犯罪などのないように監督(指導ではない)するようにされている、ということである。
これは野球の甲子園などで確認できる。監督は審判に抗議してはならず生徒が行わなくてはならない、なぜなら生徒の自主的な活動だから。(どれだけ事実と馬鹿馬鹿しくかけ離れていてもだ。)
生徒の趣味であるのだから、どれだけ活動しようが学校による虐待に当たるはずもなく、教員も指導ではないのだから、そこに仕事としての給与や指導における特別手当が発生することは殆どない。(土日などの手当てはスズメが悔し泣きする位には出る。)
確かに部活動は完全に自由に選択でき所属非所属を選べる学校もある。だが当たり前のように部活動への所属が強制される学校も少なくはない。
部活動は指導の場ではないはずだが、部活動(特に運動部)を通して指導を行うことが期待されている現状は揺るがしがたく存在している。
部活動は教師の完全な指導と強制の下に行われ、自主的な活動が認められていない部も多くあり、退部すら許されず不登校になる生徒もいる。
部活動が生徒の趣味であり、教員は指導をするわけではないという建前があるからこそ、部活動は学校ごとに大きな不均衡をもたらす。(それが学校に利益をもたらすことにもなるが。)
まずもって問題なのは、教員には部活動を経営する教育は一切与えられていないということだ。
教員免許に部活動に関する必修講義は存在していないし、教員採用試験にも存在はしない。
現実の部活動においては教員が生徒を技術指導することが求められているが、その技術指導する教員が適切なスポーツ知識を持っているという前提はない。
そのため、公立高校ですらも部活動においては顧問となった教員によって生徒への教育成果に大きな差が現れる。
部活動は現実として、生徒への教育や指導となっており、その成果は後述するが生徒の進路にも大きくかかわってきている。
しかしながら、それは義務教育段階ですら機会も完全に不平等であり成果も完全に不平等である。
入試段階で学力偏重が問題であるならば、部活動の成果もまた評価の基準に含まれてよく、そしてその結果は生徒や学校によって偏りがあることは望ましくはない。
部活動が異常な拘束時間をほこっても行われるのには、これは誰でもわかることだが、そこに大きな利権が存在しているからだ。
学校の入学希望者は、その学校にどんな部活動があるかを明確に意識して選んでいく。ある部活動が全国的、県内でも有力であるかどうかは入学の大きな動機になっている。
部活動で大きな成果を出せば、(建前では成果の主体者ではないはずの)学校に大きな利益をもたらす。
プロになれば知名度は上がる。プロでなくとも実業団や有名大学に入れば、そこに企業や大学とのパイプができる。
大学は厳しくなってきたが、それでも推薦枠がある。それはともすれば進学率就職率に大きくメリットとなる。
指導する人間には、その働きに対して金を払う必要はない。存分に働かせれば良い。
資金が出せず設備を整えられないが成果は出してほしいため、労働者(生徒)には労働時間を増やして成果を出させようとする。
私立で学費免除などで多いが、公立高校でも独自入試、つまり一芸入試のようなものなど、いわゆる入試に下駄をはかせる行為も未だに行われている。
確かに学力だけで生徒の可能性を測るのは良くないかもしれない、高校に入れるのが学力によって選抜されることは不平等かもしれない。
しかし学校の成績は学力でつけなければならないものが他の活動で評価される部分よりも多くあるのだ。
定められた教育内容を覚えたといえない限り、それを卒業できる学力に達しましたと認めることは難しくなった。
下駄を履かした生徒の授業を担当することになった教員も悲惨である。下駄を履かせてどら猫を追っかけさせればそれで優に出来るなら良いが。
下駄を履いていない生徒に定めた最低基準と同じだけの成果を出さないことには、成績に可をつけられない。特に公立高校では、明確に許すことは建前上できない。
授業は、その特待生に足を引っ張られ、入試を越せない人間にすら理解できる内容まで落とさなくてはならない。
その上、多くの生徒には授業によって良い大学を目指せる成績まで上げることを求められる。
そして特待生を抱えるような部活動はやはり長時間の活動時間を生徒に課す。
前記したように、夜遅くまで活動する部活動も多く、それによって予復習をする時間も余力もない生徒が多く現れる。
(部活動は特待生のみでは行われず、多くの一般生徒までもが、それによって時間を取られることにもなる。)
疲労した生徒は、授業中に集中することが出来ない。研究結果では睡眠時間が6時間と8時間の生徒には明確な学力の差が現れている。
学力の落ちた生徒は、テストで赤点を取り補習や追試を受けることになる。そのために他の教科すら更に成績が落ちていく。
ここまで問題をあげつらってきたが、しかし、部活動が多くのメリットを生んでいることも事実である。
部活動は日本の高いスポーツレベルを支えている大きな要因である。
野球が世界トップレベルであるのは甲子園という高校野球の大きな競争があるからこそだといえる。
文化系においても書の甲子園やロボットコンテストなど、生徒の育成に大きな力となっている。
また文化への影響も大きい。
複数の生徒が同じ活動することは交友関係を広げ、違う学年との交流を生むことで認識に大きな幅をもたらす。
そして、多くの生徒が共有の「部活動」という体験をしていることは、創作などで「部活動もの」と呼ばれるジャンルを生み出す要因となっている。
多くの人に共有体験があれば、それは一般に受け入れられる創作物の幅広げることになる。
問題なのは、そんな成果や影響の大きい部活動を何一つ政治的な援助も規制もせずに野放図となっていることだ。
一部の教員によって支配されている部活動が体罰などの問題を引き起こす。
それは教員が全て強制の無償活動で行っているからであり、そこに「俺がやってやっているのに」という感情がなきにしもあらずといえる。(実際にそういう声も相談に上ってくる)
育ち盛りで可能性のある若者が、知識のない指導者によって無理な運動を強いられ体を壊す事例もある。
特待生として入学した生徒が芽が出ずに、退学を強いられる問題も起きている。
野球でも度々問題となったが、人材を求める企業などとの癒着も未だに多く存在している。
部活動をなくすべきではない。しかし、現状の大人の建前と利益によって児童生徒が被害を受ける状態は改善されなければならない。
そして出来るならば部活動のメリットをより大きなものにするべきだろう。
部活動が生徒の教育に成果を生んでいるのならば、それを教育活動として認め労働としての対応をしていくべきなのだ。
運動部の指導を運動の素人である教員に任せず適切な指導者を雇い雇用を増やすべきであるし、
少なくとも自民党と日本ユニセフには、存在していない児童への性的被害を問題視するよりも、現実に存在している過酷な部活動を問題にしてほしいところだ。
結論ありきの記事が多いのは、東京(中日)新聞も産経や読売に負けず劣らずなんだけど、はてサは、東京新聞の事を(あまり)悪く言わないんだよね。論旨には賛成だから?
たとえば医学部に行きたくなって、卒業までに5000万掛かります。育英会の貸与の奨学金しか貰えない学力です。って時に、悪いのは社会なんだろうか?アニメ専門学校だって、本当に有望なヤツには特待生とかの制度あるしね。
アニメ専門学校でも出してくれるなんて、親切な組織じゃん>育英会
学生ローンだからだろうけど。育英会だって自己破産なんかされたら取りっぱぐれだしね。元々、資産もなく借金がチャラになったのなら、いい話じゃないの。失うものもないんだし。
親が勝手に自分の名義で作った借金とか、全然、奨学金に関係ないし!!
本当にヒドいなぁ…
むしろ難しいのが当然だろう。例の顧問くらいのキャリアで簡単に上達させられるなら今頃NBAは日本人選手で溢れかえってる。
俺の母校のバスケ部はスラムダンクの某強豪校のモデルになったところだけど、練習中の顧問の指示はすげー事務的だったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130122151619
確かにバスケ部じゃないが、体育の授業なら1年受けてたよ。
指示を受ける側が全国から選りすぐられた特待生達で、全員がレギュラー維持もしくは二軍脱出のために死にものぐるいでやるのが前提の指導方法だったから、俺らみたいな普通の生徒にはもの凄く素っ気ない授業ではあった。当人からしてバスケ部の事しか考えてないような人だったしね。
http://anond.hatelabo.jp/20120310202830
俺は起業するつもりでいたから就職なんて全く真面目に考えていなかった。
適当にやり過ごしてチャンスが来たらとっとと辞めればいいと考えていた。
17歳で会社を作って(ただしほとんどおままごとの延長のようなもので儲けなどない)
腰掛けのつもりでIT系専門学校に特待生入学して肌に合わないから3ヶ月で中退して
20歳近くなって、親のコネでベンチャー企業にアルバイトとして入社して
周りはみんな優しくて温室のような環境なのが逆に不満だったりした。
でも1年半して会社が潰れそうになったので、転職サイトに登録して
(2005年当時はIT系は人手不足で俺みたいな経歴でもわりと潜り込めた)
今何をしていてもどこかで大逆転できるとたかをくくっていたから、
就職活動なんてせずに広き門を歩み続けてきた。
そんな俺も30歳を過ぎて思うのは、自己分析力やアピール力、
そして「嘘を付く力」が圧倒的に欠けているということ。
適当に生きてきた分、今になって苦労している感じだけど、
でもまあ、「0」を「1」にしたり「1」を「100」にしたりせずに
やりたい職種を進んできたので、別に潰れたりはしない。
起業の夢はとっくに潰えたけどな!
まあ何を言いたいかというと、
・就職活動の機会があるなら訓練の場として最大限に生かせば自分の糧になるんじゃね?(やったことないから知らんけど)
・就職活動に失敗しても、(アルバイトからでも)やりたい道に進んで時機を待ってれば、案外何とかなるんじゃね?
・エリートは嘘をいっぱい付かなきゃいけなくて大変だね^^ 嘘をあまり付かなくてもいい底辺っていいよね^^
って感じ。あじゃじゃしたー。