はてなキーワード: 特待生とは
球数制限をやると明らかに不利になるチームが出てくる。いいピッチャーを複数揃えた学校でないと勝ち進めないシステムを作ることになり、特待生を受け入れる高校に極端に有利になってしまう。あるいは急造の投手が登板して肩を壊すということにもなりかねない。高校球児を怪我から守るには、特に高校生投手の肩と肘を守るためには、球数制限よりは7回制の導入がベターだと思う。今でも日米高校親善試合は7回制でやっているし、中学生も7回制。
7回制のメリットは、投手の球数が減ること、熱中症のリスクが減ること、大会日程をより柔軟に組むことができることなど。デメリットは娯楽としての魅力を損なう虞があることと、選手が実戦経験を積む機会が減少すること。
デメリットもあるし、これが理想と言い切れるものではない。ただ、もし今後高校球児の健康を守る為にルールを変えるべきであるという社会の圧力が高まった時止むを得ず導入する措置として7回制を念頭に置いておくべきで、間違っても球数制限を導入するべきではないと思う。
とか、どこかに書いてあった。
そうだな。小学校高学年の頃にそういう発想があったらな、、と思った。
両親揃ってる子が羨ましかった。
元気に走り回る子が羨ましかった。
取り柄といえば、少しだけ成績が良かった。せいぜい上位10%内だが。
でも、大学行く金ないから意味ないと思った。今思えば、奨学金とかあったんだよね。
でも、喘息はよくならない。
そして、就職。
喘息は相変わらずだが、なんとかやっていけるか、と思ったが、入院。4回した。
でも最後の入院(2週間ICUで眠った)の後、発作が出なくなった。
たった1本の薬、吸入ステロイドの使い方だけで。
あれ?この薬こういうふうに使うんだ、、その薬は小学生の頃から出されていた。
発作がなくなると、不思議な感じだった。
でもこれが普通の人の毎日なんだな、これで普通に生きれるかも、と思った。
だから先に家を建てて、それから結婚して、子ども、の順番になった。
今思うと、結局、何も考えてない。
ただそうなっただけ。
結局、手持ちのカードで勝負するしかない、って書いてあったけど、
そんな事考えなくとも、みんなそうするしかないんだ。
意外とブクマされちゃったので、追記:
そう、自分でも気づいたけど、「手持ちのカードで勝負するしかない」って書いて、で自分の境遇書いただけです
その時の自分に言ってあげたいことは、
あんまり人を羨むな、
自分の境遇を嘆くな、
お前の人生そう悪くもないぞ
「今思うと、結局、何も考えてない」ってのは、手持ちのカードという意味で。
こんな境遇だから、必死で考えたよ。カードは切らないといけないんだから。
結果は、、半分空回りな感じ。
あのとき大学とか院に行ったら、どんどん求職状況悪くなる一方だった
他のカードでは、底辺私立の特待生ってのがあったなあ。どんな人生が待っていたのかな、、
実際は喘息悪化、成績低下w
声優の収入について覚えていることを書きます。ソースを貼り付けたいのだけど意外と手間取るだろうし眠いので裏付けません。
とはいえ、2chのコピペのような妄想でなく、気になった方が調べればソース見つかると思います。
おそらく、山寺さんか、林原さんのどちらか。どちらにしても声優業のみで活躍している人間ではない
②浅野真澄さんは30を目前に奨学金500万を完済した(アニスパより)
浅野さんはradioBの頃、ようやく極貧から抜け出しつつあり、実質5年間の中でどこかでペースを上げて返済している
(この間にもイタリア旅行しブランド物を買いあさっている)。同世代のOLよりは確実に貰っていているという発言
(30代前半男性レベルとまで言っていたかはわからない)もあった記憶があるため、
そこそこ活躍をしていれば20代後半で、600万くらいかと思われる
④一本あたりのギャラに関しては→http://koji-tsujitani.net/qa07.html
わりと妄想もあるだろうが、wikipediaの声優も参考に→http://ja.wikipedia.org/wiki/声優
レギュラー1本が毎クールあれば食うには困らないという発言を小野坂さんがしていた記憶がある。
事務所が引くマネジメント料が30%というのは割とよく聞く
ただし、1時間5000円~8000円くらいが相場な気がする。アニスパでは2時間×4週の月収が鷲崎さんにとって生命線となっている
という発言、意外と貰っているという発言から、1時間1万~1万5000円くらいかと思われる。
⑥キャラクターソングの歌唱料は売り上げに応じてでなく、固定(アニスパ)
例外があるような言い方をしていましたが、ほぼないと言っていいでしょう
⑦鷲崎健さんは、2008年、月収は多い月で50万、少ない月で20万と発言している(超ラジ)
⑨実家が裕福なケースがあり、多そうでもある(日笠さんの特待生記事など多数)。
ブログにあげられた食事、プレゼント、住居での年収の類推はかなり意味ない。
⑩当然のことながら、アニメのみが声優の仕事ではない(大沢のCM、81のNHK、青二のナレとか。吹替、企業PV)
谷口悟朗さんがそのことを嘆いていて、そこから年収が類推できる記事があるはず。
切りがいいので以上
一部同意。
実際、公や官が主導だとどうしても、前例主義になってしまう。
現状の否定ということがやりにくい。
現状路線の維持と規模拡大の結果、時代遅れの大艦巨砲主義がはびこることになる。
事実、安く学費高等教育を修めることが出来るというのは、貧しい家庭の子息にとっては幸運だったと思うけれども、国立大学がなかったらなかったで、私立大学がスカウトキャラバン的なことをやってたと思う。
っていうか、黎明期はどの大学も似たようなことをやってたわけだし。
国立大学がなかったら、私学の特待生制度、奨学生制度が充実してたはずで、貧しかろうが高等教育は修めることが出来たんじゃなかろうかと。
公費で大学経営をするのと、私学助成を進めるのと、どちらが対費用効率がよかったんだろうかと。
いや、たぶん明治大正昭和までは国立大学主導のほうが効率的だったと思うよ。
マッチングシステムが発達した今だったら、国は高等教育からは一歩ひいたほうがいいと思うんだ。
高い学費(たくさんの寄付と読み換えてもいい)で入学する大多数と、無料で修学できる少数、そんな形は悪だろうか?
たぶん、入学が学力で決まらなくなるという点で、学歴というシステムは成り立たなくなる。
頭がいいなら一流大学なんて特に苦も無く入れるわけだが
正直、一流大学には頭が良いだけじゃ入れないよ。
明青立法中以下の私立とか早慶の簡単な学部くらいなら、地頭だけでも入れるけど。
地頭がいい奴の特徴として、小中学校まではダントツに成績がいいし、良い高校に入っている。
なぜなら、高校受験までは授業さえ出てれば、特に勉強しなくても最難関高くらいにはカンタンに入れるから。
俺は、小学校の時に知能テストで関東で1位を取ったり、小4の時に何気なく友達と一緒のに受けた四谷大塚の全国模試で
塾生も含めた全国3位を取って正会員特待生を薦められたりしたが、家も貧乏だし、もともと勉強が死ぬほど嫌いだったので、
中学受験はしなかった。
それでも中学では普通に授業を聞いてるくらいで、受験勉強は一切せずに、高校はいわゆる東大に数十人現役合格するような
公立進学校に入ったが、そこから1秒も勉強しなくなってしまった。
いわゆるテスト前の「ぜんぜん勉強してないよ」とか言うレベルじゃなくて、授業の間中ずっと関係ない
その結果、高校では勉強しないと成績は落ちると言うこと、大学受験は地頭だけじゃ無理だということに気づいた。
あの911から八周年!
日本の記者は現場にも近寄らず、安全地帯から欧米の派兵を論評するなって
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また風向きが変わった。
カブールからのビッグ・ニュースが飛び込むまで、ドイツではNATO(正確には多国籍軍の現場司令官がドイツ人だった)の不手際による誤断で、アフガニスタン住民七十余名を米軍機が爆撃し、死亡させたことを非難する論調が強かった。
ドイツではメルケル与党の苦戦が伝えられた(ドイツ総選挙は27日)。
醜態は現場司令官の誤断、タンクローリー二台がタリバンに乗っ取られ、その周囲を武装したタリバン百余名の兵士が取り巻いている、と僅か一人のアフガニスタン住民の情報をもとに米軍に空爆を要請した。交戦協定では民間人が混じっている可能性があれば、空爆は行わない。情報は複数が望ましい。
西側マスコミは一斉に非難した。
オバマ政権とて言い訳に苦労し、しかしゲーツ国防長官は「我々は撤退しない。テロリストに屈服すれば米国ばかりか西側もイスラム諸国さえもが、テロリストの軍門に屈するからだ」と言明し、NATOのラムソセン事務局長も「早期撤退は考えていない」と記者会見したばかりだった。
誤爆現場には欧米のジャーナリストが飛んでいった。日本の記者は誰も行かなかった(フリーの記者がいるかも知れないが現時点で確認されていない)。
思い出されたい。
湾岸戦争、イラク爆撃のおり、NHKはアンマンから「こちら現場です」と放送しておりましたね。アンマンは隣国ヨルダンの首都、バクダットとは数百キロ離れていますよ。
そしてCNNは現場にいた。実況中継の映像は全世界に配信された。
毎年、戦場取材で死亡するジャーナリストは七十名から百三十名いる。
日本人はフリーのカメラマンがミャンマーで兵士に狙撃された事件が、記憶に残る。
▲急襲作戦はマスコミに伏せられた
タリバンが人質とともに潜伏した個所で、タリバンは英国人ジャーナリストら人質をクンデス郊外の陣地からパキスタンの無法地帯(タリバンの支配地域)へ移動させようとしていたからだ。
英国特殊部隊とアフガニスタン兵は急襲により英国人ジャーナリストを救出したが、通訳のアフガニスタン人は悲惨にも犠牲となった。タリバン兵士十数名が銃撃戦で死んだ。ブラウン英首相は、この作戦を承認していたとロンドンの「タイムズ」紙は伝えた。
救助された記者は英国籍(アイルランドとの二重国籍)のファレル記者で、アフガニスタン通訳のムナディ(四年間、カブールでNYタイムズ記者でもあった)はファレルを助けようとして銃弾に斃れた。
拘束されたのは日曜から水曜までの四日間で、あちこちを移動させられ、トヨタカローラのおんぼろ車で泥だらけの村や穀倉地帯を目隠しをされたりした。
生き残ったファレルが英国大使館に回答したところではタリバン側の扱いはよく、しかし、アフガニスタン人通訳をぶん殴ったり蹴ったり「おまえらは敵だ」と容赦なかったという。
食糧はそれなりに与えられ、水も飲まされた。
二年前にイタリア人ジャーナリストが通訳とともに拉致されたケースでも外国人ジャーナリストだけは扱いが良かった。
救出作戦には米軍が武装ヘリを用意し、要請があれば航空機も出動を準備したが、すべては英国特殊部隊が行った(NYタイムズ、9月10日)。最高司令官のマクリスタル将軍には逐一報告がなされた。
カルザイ大統領は「有能なアフガン通訳は残忍な方法で、敵に殺された」と強く非難し、ブラウン英首相は救出を決断した英国部隊を賞賛する一方で、「遺族にはちゃんと補償をしたい」と述べた。
かれは特待生としてドイツにも派遣され、ロンドンのタイムズの契約記者でもあり、ラジオ放送を開始する直前だった。極めつきに優良な記者だったと2001年か04年にかけてNYタイムズで同僚だった多くのNYタイムズ記者らが追悼と哀惜の談話をだした(NYタイムズ、9月10日)。
クンダス地区はタジク人とパシュトンの共生地区で倉庫の地下室にはロケット砲も隠されている。
英国特殊部隊のヘリコプターは午前貳時半から作戦を開始し、付近は銃撃音と爆発で地響き、銃声が唸り、ファレル記者自身もどちらが撃っているか分からない銃撃戦の渦中で恐怖の体験をしていた。
英語が聞こえた。かれは「私は英国人人質だ」と叫んだ。銃弾の嵐のなか、英国兵士に救出された。
通巻第2706号
時間がない、金がない、だから勉強できなくて就職も出来ない、と言ってる人を見るとふざけるなと思う。
確かに、生活保護レベルの貧乏ならば別だ。そういう場合は気の毒だと思う。
だが、一応親が仕事していて飯が食えてるレベルの家庭で、時間がないとか金がないとか、ただの甘えだ。
うちは貧乏だったので、小中高は公立で、塾にも行けなかった。
高校受験までは自力でなんとかなったが、大学受験になると取り残されてしまい、一浪した。
浪人中はさすがに予備校に通って勉強したが、高校が上位校だったおかげで特待生で、授業料はタダだった。
親は学費だけ出してくれた。生活費は奨学金とバイト。バイトは週2回だったので、勉強にはそれほど支障がなかったし、サークル活動も不自由なくできた。
大学3年の1月から公務員試験の勉強をして、8月に無事内定した。好景気で公務員の人気が落ちていた時だったので、楽勝だった。
公務員予備校の学費30万だけは、申し訳ないが親に頭を下げて借りた。(返済済み)
現在、平日は残業が多いが、残業代はほぼ出るし、土日は必ず休めるので趣味や遊びの時間は十分ある。日々楽しく過ごしている。
大学時代の奨学金の返済額はせいぜい月15000円。誤差の範囲内なので別に痛くない。無利子だし。
・高校受験(直前の3ヶ月だけ)
の合計1年10ヶ月だけだ。そのうち余計な金がかかったのは公務員予備校の30万だけ。
「忙しい」「金がない」、と甘えるな。勉強するのに時間も金も必要ない。大金持ちになるのはさすがに無理でも、公務員や地銀程度の中堅勤め人だったら、正直誰でも簡単になれると思う。それすらなれない奴は、ゲームのやりすぎかオナニーのやりすぎ。回線切って図書館行け。
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。
今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパートへ引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。
それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。
父は大学を中退して建築関係の株式会社に就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方支部長になっていた。
実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。
ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京の本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、
営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。
そして間もなく、母と共に自営業の飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。
全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近、店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。
父は年齢が年齢なので、派遣でインターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。
母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒーの卸売りを一緒にやっている。自営業。
母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。
もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京の本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。
そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。
しかし、不景気の煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。
俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。
電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。
そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生。
全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。
志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。
親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度(特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。
ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。
親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。
父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。
子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。
お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。
親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。
大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。
もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。
決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。
俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。
妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。
自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。
妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。
高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。
だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。
少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。
これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。
憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。
仮面浪人。
半年くらいとりあえずは入れた大学に行ってみてやっぱり前に狙ってた大学に行きたい!などと懇願し、休学する。ダメな場合は編入かねぇ。まぁ半年くらい学生をやってみると気分がずいぶん変わるので次の入試の時はだいぶ身が入るんではないかと思うが。経験談。あとできる限り特待生になるかもしくは国立に行くかあるいはランクが高めの私立に入るかしとくと説得はしやすいかと。どこにも引っかからなかったら予備校の特待生の試験を受けるのがいいんじゃないかね。あればだけど。
どーしてもだめなら専門学校行くのがいいんじゃないのか。高卒で働くのは難しい時代だということは親御さんもわかってるだろうよ。
最近、ヘッダーを消した2ちゃんの書き込みをコピペして、さも自分が書いた文章のように増田に投稿している人がよくいるね。コピペするなとは言わないけど、せめてヘッダーを残しておいて、ハンドルネームからどこの板が元ネタなのかを調べて(参考:http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7365/nanasi.html)リンクを張ったほうが好感が持てるよ。出来れば引用マークアップもね。
>>http://anond.hatelabo.jp/20080717070000 みたいなやり方は単なる盗作だもの。コピペブログからか拾ってきたのかガイドライン板から拾ってきたのか知らないけど、元ネタは2ちゃんの生活全般板の書き込みだよ。
- 669 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/06/24(火) 23:26:41 ID:te5WzdkT
- うちの両親の馴れそめは結構笑える
母親は東大出の学者で大学教授。専門分野では今では結構名の知れてる博士
父親は高卒で町のクリーニング屋の3代目でチョイワルぶってる親父、かなりの格差婚
親父は、若い頃はワルで馬鹿だったけど、ちょっとハンサムってことで商店街では人気者
母親は、頭がめっちゃ良くて、良い学校に特待生で入学したりと、地元の期待の星だった
年が同じで、実家が近所だったが(ちなみに東京の下町)、別に幼なじみというほどでもなく
親父にとって母親はずっと高嶺の花の憧れのお嬢様で、恥ずかしくてまともに口も聞けなかったと
時は流れ、両親26歳のとき、院生だった母親に病院長の息子とかのお見合い話が来た
その頃はもう真面目なクリーニング屋だった親父はその噂を聞いて大ショック
「失うものは何もない」と覚悟を決めて、母親に猛アタックをかけた
母親はまだ結婚するつもりなんてなかったし、よく知らなかった親父からの
突然のストーカー行為(当時そんな呼び名なかったそうだが)にも困っていたが
ある日、家の近くの歩道橋の下で親父が待ちぶせしてたら、
やってきた母親がそれに気をとられて階段で足を踏み外したんだそうだ
すかさず助けに入った親父、
落ちてきた母親を見事受け止めたが、自分は地面に顔面を思い切りぶつけて前歯が4本折れた
半年後に結婚- 672 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/06/24(火) 23:34:20 ID:te5WzdkT
- 父親が差し歯を光らせながら曰く
「そこで自分の身を犠牲にして守ってくれた父ちゃんに、母さんは惚れてしまったんだ」
母親こっそりと俺だけに曰く
「顔がそこそこ良いのだけがお父さんのとりえだったでしょ?
それを傷物にした以上、責任を取らないといけないと思って…」
そういうことだそうです。
美人というわけではありませんが、バリバリでかっこいい自慢の母親です
そして母親があの世代の女性としては珍しく学者として成功できたのは、自営業の親父が家を守って支えてきたから
母さんがドイツの大学に3年間赴任した時は、俺と2人で寂しそうだったけど頑張って強がってた
そんないつもかっこつけてる父親のことも尊敬しています
だけどな両親よ、
父親「せっかくの母さんの遺伝子だったのに俺が馬鹿なせいでお前が…」
母親「ごめんね、お父さん似の顔に産んであげられなくて…」
とまったく別々に申し訳なさそうに言われた時はかなり傷ついたんだぜぃ
via:クスッと笑ったorナイスと思ったレス紹介 Paat165
>>http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080715/1216079816
釣りにしてもどうかと思うわけです。
>>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080717070000
釣られ過ぎだし。
以上、頭痛で頭が痛いガ板民がお送りしました。
うちの両親の馴れそめは結構笑える
母親は東大出の学者で大学教授。専門分野では今では結構名の知れてる博士
父親は高卒で町のクリーニング屋の3代目でチョイワルぶってる親父、かなりの格差婚
親父は、若い頃はワルで馬鹿だったけど、ちょっとハンサムってことで商店街では人気者
母親は、頭がめっちゃ良くて、良い学校に特待生で入学したりと、地元の期待の星だった
年が同じで、実家が近所だったが(ちなみに東京の下町)、別に幼なじみというほどでもなく
親父にとって母親はずっと高嶺の花の憧れのお嬢様で、恥ずかしくてまともに口も聞けなかったと
時は流れ、両親26歳のとき、院生だった母親に病院長の息子とかのお見合い話が来た
その頃はもう真面目なクリーニング屋だった親父はその噂を聞いて大ショック
「失うものは何もない」と覚悟を決めて、母親に猛アタックをかけた
母親はまだ結婚するつもりなんてなかったし、よく知らなかった親父からの
突然のストーカー行為(当時そんな呼び名なかったそうだが)にも困っていたが
ある日、家の近くの歩道橋の下で親父が待ちぶせしてたら、
やってきた母親がそれに気をとられて階段で足を踏み外したんだそうだ
すかさず助けに入った親父、
落ちてきた母親を見事受け止めたが、自分は地面に顔面を思い切りぶつけて前歯が4本折れた
半年後に結婚
父親が差し歯を光らせながら曰く
「そこで自分の身を犠牲にして守ってくれた父ちゃんに、母さんは惚れてしまったんだ」
母親こっそりと俺だけに曰く
「顔がそこそこ良いのだけがお父さんのとりえだったでしょ?
それを傷物にした以上、責任を取らないといけないと思って…」
そういうことだそうです。
美人というわけではありませんが、バリバリでかっこいい自慢の母親です
そして母親があの世代の女性としては珍しく学者として成功できたのは、自営業の親父が家を守って支えてきたから
母さんがドイツの大学に3年間赴任した時は、俺と2人で寂しそうだったけど頑張って強がってた
そんないつもかっこつけてる父親のことも尊敬しています
だけどな両親よ、
父親「せっかくの母さんの遺伝子だったのに俺が馬鹿なせいでお前が…」
母親「ごめんね、お父さん似の顔に産んであげられなくて…」
とまったく別々に申し訳なさそうに言われた時はかなり傷ついたんだぜぃ
現場が儲けてて、高野連(元現場組)がその恩恵にあずかれなかったから、やっかみ半分で持ち出してきたと思うが(憶測)。
今まで放置しておいて、ある日を境に徹底をってのは無茶が過ぎると思うし、自分たちの責任を棚上げして、慈悲という
より想像力のない措置だなぁと思うわ。もともと引き抜きとか越境入学を阻止するためのルールだったっけか?転校すると
1年間対外試合禁止の規定とかはあるんだし、そっちのが実効性が高いでしょ。高野連が何のために今更こんなのを徹底
しようとしているのか、ちゃんと見極めないと、実際に特待生だったり特待生制度のある学校の野球部員がかわいそうな
事になるんじゃねぇの?