人ならざるものが徘徊する馬鹿高校の窓際で机に突っ伏しながら「まだ働きたく無い!というか働けるわけが無い!」とグズグズ願っていた僕と、
貧乏にもかかわらず「大学くらいは出させないと!」という両親の思惑がよからぬ形で一致した結果だ。
とはいえ人並みの努力ができずやる気の無い僕がどこぞの名の知れた大学を目指せるわけもなく、地元にある誰でも入れそうな大学のよくわからない学部
を適当に選んだ。
しかし、こんな僕でも合格できるんだからAO入試ってすげえな。ホント大丈夫か?
今年の春に二年生になるけれど、大学は本当に良い。
好きな時に起き、好きな時に食べ、好きな時にセックスだってできる(大学に入って彼女ができました)。長時間の身体的拘束を伴う高校時代よりはるかに楽だ。
確かに講義はあるが、僕みたいなのが入るような大学なのでレベルは総じて低く、行っても行かなくてもどうとでもなる。
まあ、英語の講義でガチで「I have a pen」をやるとは思わなかったが。講師もニヤけるなよ。あれはちょっと傷ついたぞ。
新しく覚えたことといえばパチスロくらいだ。
ろくでもない友人に誘われてはじめたが、あれはハマる。
今やバイトで軍資金を稼いでは、パチ屋に行き時々大学に顔を出すと言う有様で、もう一生こういう生活を送りたいと願っている。
ああ楽しい。
僕がこういう生活を送れるのも国が奨学金をホイホイ貸してくれたおかげ。
だからその辺の一般人よりよほど国に対する感謝の気持ちは持ってると思う。
まあ、世の中的には「金を借りてまで大学に行くなんて無駄!」とか「必死に勉強して特待生か国公立を目指せ!」とか色々言われているのは知っている。
でも、少しくらいは大目に見てほしい。
言い古された言葉だけど、子供は親を選べないわけで、貧乏な両親の子供だってだけで一般的な幸せ(今大卒は一般的ですよね?)を
得るのに物凄く高いハードルが課せられるってなんだか不公平じゃん?それを直していくのが国の役目じゃん?
というか、そいういう話をしていくと最終的には不摂生が原因で病気になった人とかも責めざるを得なくなると思うんだけど、それはどうなんでしょうかね。