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はてなキーワード: 特待生とは

2020-11-29

奨学金600万円返済中なのに収入が激減して生活苦女性 月5万円の食費に批判殺到

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2004660.html

今日「3塁に生まれた人」ってネタホッテントリに入ってたけどさ、俺からすれば上の薄給奨学金の返済に苦しんで貧困生活に陥っているような人だって2塁で生まれた人に思えて、そういう人がアホな選択して人生どん底に陥っているのって自分でもどうかと思うけど、やっぱり否定し難いカタルシスがあるんだよね。

お前らがさらに上に不満垂らしてるうちに、下からも抜かれてるんだぞ間抜けってさ。

ブコメでは21万の収入に対して5万の食費や7.5万の家賃が高いことを非難されるのはおかしいって論調強いけどさ、それは日本労働環境を変えるために未来に向けて言っていけばいいけど、生活苦女性の今を変えるのに何の役にも立たない、甘やかしや傷の舐め合いでしかないんだよ。

未来に向けてと同時に今を乗り換えるための思考や行動をしなきゃいけなくて、それは両輪であるのになぜか混同されて、今を変えるための手段提示非難される。

で、心の中ではそういった今を乗り越えるための現実的な話ができないやつのことは、生きる力が無い人だって見下してるし、そういう人が未来に向けての話に傾倒すると哀れにしか感じない。

ちょっと自分語りすると、うちは親が一般的クズと言われる部類で生活力もなくて、小学校ときから高校には行かせないって言われてた。

でもやっぱり高校は行きたかったし、親に頼らず行ける方法調べて奨学金借金じゃないやつね)もらうしか無いと思って、残念ながら運動は得意じゃなかったか必死勉強頑張った。

結果的私立進学校学費免除特待生枠として受かって、入学時にかかる制服とか教材費とかはバイトしてすぐ返すからって必死にお願いしてなんとか入学した。

でも、俺もやっぱり子供高校でどんなお金がかかるかって調べきれてなくて、免除入学金、授業料以外にかかるお金も多くて結局1年で退学した。

その後は仕事して家にお金入れながら通信制高校卒業して、卒業と同時に家出専門学校入って講師コネバイトしてバイト先に就職して今では独立してしっかり稼げてる。

から義務教育以上を自分以外のお金で修了できてましてや大学まで行ってる人が生活すら苦しいのとかよっぽどアホなんじゃないかと思うんだよね。

そもそもみんな大学行き過ぎ。将来や学問のために大学行くのは全然わかるんだけど、大して意味のない行くだけの大学行って4年間でしたこと借金作っただけですとか本当にアホかと。21万の派遣なんて高卒専門卒でも全然できるじゃん。

結局、時間だけ浪費して、将来を考えず、自分への投資をせず(してもすべてドブに捨てて)、ただ流されただけのやつが今そのツケを払ってるだけ。

3塁にいるやつに勝てないことを環境のせいにするなら、自分たちよりさらに悪い環境にいるやつに負けることは何のせいにするのさ?

運?親?時代?こういうこと言うと生存バイアスってすぐ言い出すやついるけど、世の中なんて大なり小なり生存バイアスを持った人間しかルール作りしてないぞ。

まあせいぜい自分以外のなにかのせいにして、上向いて口開けてエサ放り込まれるの待つだけのクソみたいに人生送ってればいいよ。

それが望みんだんだろ?

2020-10-28

anond:20201028103242

言う通り、我が家全然お金持ちじゃないよ。

実家資産我が家資産は別と思ってるし。

あともうひとつの指摘の通り、夫の家もそこまでできるんだから貧乏だとは思ってないよ。

>夫母が高収入なのか実家金持ちなのか或いは夫父が金持ち離婚後も教育費出してくれたのか死別生命保険がっぽりだったのかは知らんが

上記のどれがだけど、でも本当だったら公立でもおかしくない家計だったらしいが、教育費に全振りしたっていう義母方針だったらしい。

あとは夫が頭が良くて、塾の特待生制度かに助けられた側面もあったらしく、そういうのも都会はすごいなーって思ったとこだった。

同じ教育費をかけたとしてもアクセスできるサービスレベルが違う…選択肢の多さとか…なんだろうその辺にすごく思うとこがあったんだよね。

都会でも中学受験しない家庭も多数っていうのもそうだと思うんだけどさ。

2020-10-27

スペックに生まれたけど不幸だ

自分は、そこそこ高スペックだと思う。

■頭が良い

ほぼ勉強せずに慶應入学できた程度にはいい。(先生に「東大!」と期待されたが後述の理由勉強しなかったのでがっかりされた)

■顔もそこそこいい

めっちゃいいというより、感じがいいんだと思う。告白はずっとされてきた。

実家がそこそこお金ある

親の年収2000万オーバー

■だが不幸

対人恐怖症だから

小一の時に、クラスに入った瞬間に人が多すぎてゲボ吐いた。それ以来ずっと吐きながら登校した。

登校中、足が震えて歩けなくなるので、遅刻しまくった。「不真面目」といわれ、高校では特待生(授業料払わなくていい)を取り消された。

予備校も怖くて通えなかった。高校の授業中も吐き気我慢するので精一杯で、よく限界をむかえて離席するのでまともな勉強なんてできなかった。(今思えば通信とかよかったのかな)

人と目が合うと目眩がするので当然友達もいなければ恋人もいない。告白されると怖くて、その人を避けるので、大学生の頃はそのせいで授業を切った。

今は人と接しない仕事でまあ暮らしていけてるけど。

精神科に通って、安定剤で多少はマシになったけど、未だに仕事で人に会う時は自分を薬漬けにしてもはや酩酊前後不覚にして臨む。帰ってから倒れ込んで20時間眠る

これがなきゃ、自分人生どうなってたんだろうと思う。豊かな人生だったかな?

一生、誰ともセックスもせずに死ぬんだよな。

一生、友達と酒飲んだりしないんだよな。

一生。

2020-09-26

anond:20200924204657

原因はaKBあたりからだと思うよ(上手い人もいるけど、ゆきりんとか)

韓国上手いっていってるけど、口パク殆どだよ。btsは生歌っぽいけどBLACKPINKは被せじゃないかな。たまに生歌披露して酷くて叩かれてるよ〜個人的にはあんな激しいダンスしながら顔もキメてるから歌下手でもしょうがいかな〜って思ってるよ。

現在歌が上手いアイドルを求めるならベビメタが1番じゃないかなぁ〜スゥメタルちゃんマジで上手いよ。さすがaks特待生ってだけあるよ。

あとハロプロとかスタダは、上手いかどうか別として生歌だよ(上手いメンバーもいるよ、)下手だと酷評されて毎回可哀想だよ〜

地上波で有名なアイドル(NiziUとか)が生歌で酷かったりすると、後々めんどいんじゃないかなこのご時世。アンチとか、それ以外にもネット自由感想書く人いるし。

2020-08-29

anond:20200829225728

へぇ、そうなんだ。それで、予備校特待生いけるじゃん(今もあるか知らんけど)。

2020-08-24

同時に2つの大学に在籍していた知人

現役時代慶應経済学部学費免除特待生合格して、仮面浪人(とはいえ数ヶ月で慶應は行かずに地元に戻ったみたいだけど)して東大理一に受かった同級生がいた

慶應2年(東大1年)の夏に会ったときはまだ慶應の近くに住んでてどっちの授業も受けてるとか言ってたけど、どっちも卒業するのは難しいだろうし慶應は辞めたのかな

東大に受かったこ高校にも報告せず落ちたって嘘ついてたのは慶應に通いたかたからなのかな

もう何年も会うどころか連絡もとってないけどふと思い出した

ネタじゃなくて本当の話

2020-08-21

留年経験者や大学中退者のほうが特待生よりも社会的成功する

私の上司は私文大学中退である、在学中は3回留年している。

しかし、大変仕事ができ人間的に素晴らしい人である結婚もしている。

一方私は国立大学特待生入学し、首席卒業した。

しか上司の4つ年上であるのにも関わず、私は仕事が出来ない為、出世していない。

ちなみに童貞であるし、彼女いない歴イコール年齢である

思うに、実家の太さがあると、精神的余裕から社会的成功するのだと思う。

上司地方名家出身である。私は地方の中級以下の家庭出身である

大学に行くために、それなりに努力をした。そのツケが競争によって生まれた歪んだ性格である

勉強だけは出来る無能社員という事実が、毎晩、私を苦しめる。

2020-08-13

この割れ切った世界谷底

「この割れ切った世界の片隅で」

https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a

この記事拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。

先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。

ただ、自分境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。

ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性邪推されることもないし、純粋ぼやきを書くのに最適だろう。

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筆者は田舎一般家庭という途轍もないギャップ必死努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。

が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。

たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。

私も北関東の片田舎公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴である東京大学に進学した。が、それは努力放棄の結果でしかない。

成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験彼女からすると慣れたものだろう。

だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。

中学校地元公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生暴行少年院に入り、卒業生がバイク学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。

そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)

受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。

(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)

高校に進学していきなり衝撃を受けた。

まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。

なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」

当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才天才の類にはなれない。

そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力放棄だ。

文系でもSEとしてIT世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系高学歴を目指した。

そして大学受験。ここで2つ目の努力放棄をした。

といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力放棄することに繋がる。

東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しか大学に入ってから受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。

(ここでも自分が勝てなかった奴は東大合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)

結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。

就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系秀才であり、文系エリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャ田舎成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャ成功しても育ちの良さをカバーするための努力尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

そういえば高学歴世界低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎公立中を卒業して必死努力して都会の旧帝大早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。

地元公立中を出た人間が、初めて都会の人間高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力放棄した。

周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。

どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間ライバルとして花を添えることしかできなかった。

一方でたまたま周囲の人間には恵まれ人生のものコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったIT世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底人生を歩んで行こうと思う。

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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから応援しています

この割れ切った世界谷底より

2020-08-10

anond:20200809024637

中学後半は部活キャプテンと県の強化指定選手に選ばれて、生徒会長もして成績は塾のえらい人に関西で有数の進学校受験を進められるぐらいだった。

その進学校部活特待生受験進学を許されず偏差値70越え公立校に進んで以来、留年しそうになるぐらい無気力人間になった。

2020-07-20

何も与えられなかった私と、与えられた人間への恨み

幼少期に家に本があり、勉学をする環境が整えられ、何より食べることに困らなかった人間が憎い。

私はとある部落に産まれ落ちた。教養常識もない。最近になり人間は1歳ではなく0歳で産まれてくることを知ったほどだ。幼少期は食事にありつけないことも少なくなかった。

物心ついた頃には母親はおらず、父には毎日暴力を受けて育った。

就学前の教育は一切なく、小学生になってから部落まれ忌避された。給食費等は父が払ってくれなかったので教師からも疎まれていたように思う。とにかく周囲の人間はすべて敵だったように感じていた。

何も与えられなかったが、知能と運動能力は著しく高かったと思う。

程なくして才能を見出され、野球を始めた。能力は高かったので、私がいれば勝てるという理由で月会費をチーム内の父兄負担してくれた。父が野球をしている私を見に来ることはなかった。

ただ、なんとか野球を続けることができたおかげで、中学時代関東ではそこそこ知名度のある選手となり、県外の高校特待生として進学することができた。父は中学を出たら働き手として収入源にするつもりだったようで猛反対していた。

やっと親元から離れることができた。高校では寮に入り野球漬けの日々を過ごしていたが、勉学にも懸命に励み、スポーツ馬鹿偏差値の低い高校ではあったが、定期テストで学年1位を譲ったことはなかった。

野球の方でも一定成功をしたので特待生大学からスカウトもあったが、将来を考えて一般入試でのいわゆる高学歴、難関大への受験をした。父はもちろん怒り狂っていた。

このあたりで母親と再開した。記憶の上では初めて会う母は、貧しいにもかかわらず私の大学受験支援してくれた。

結果として受験はまずまずの結果で、当時偏差値70前後私立大学合格することができた。野球しかしてこなかった人間としては上々だろう。

もちろん私立大学学費など身内の誰も払うことはできないので、私は700万円の借金を背負い大学進学をした。大学では飲み、賭け、遊ぶ、模範的生活を送った。この頃から父の存在は頭から欠落している。

その後大学から言えば当然程度の大手企業就職し、働くようになった。

ここから社会に馴染めない私の人間性とそれを醸成した環境の劣悪さに気付き、同時に「マトモ」に育った人間への嫉妬憎悪が芽生え始める。殴られないように父の機嫌を取っていた卑屈さが、幼少期に教育を受けられなかったせいで常識マナーが欠如している点が、他者の反感を買い、実社会での孤立を招いている。

かい家庭で育てばこんなことにはならなかった。努力できるレールが敷かれていればもっと良い企業に入っていた。環境が憎い。豊かに育った人間が憎い。愛されていたかった。愛とはなんなのか。お前ばかりなぜ愛されるのか。というように、環境から自分へ、自分から他者への憎悪へ、姿を変えて何かを恨み続ける人生を送り始めている。

見かけだけは普通人間を演じている。怒りや憎しみを抱えながらも。

私はこのまま何かを憎み続けて生きていくのだろうか。

2020-07-15

低能大卒職務経歴書

学歴:専門卒

増田読んでると色んな人の生活とか人生観とか色んなものが見られてすごく面白いから自分もまとめてみた。

正直事務とかふつう仕事は無理だろうなと高校のころからうすうす思っていた

注意欠陥までいかないと思う…けど、色々と普通のことが普通にできないからだ、銀行とか絶対無理タイプ

ていうかコンビニバイトも無理だったしスーパーレジ打ちもおぼつかなかったし後述するけど倫理観ちょっと常人とくらべてガタついてるところもある(あった)おまけにコミュ障すぎずコミュ強でもないが自分センスいいと思っている最悪な部類のやつだった

進学高でもなんでもない普通学校で成績は中の下か下の上だったので受験ははなから選択肢になくなんとなく選んだ専門学校に行ってた。学費免除特待生は受からなかった。

新卒で入った会社

うだつの上がらないままコネ待遇もよく確認できないまま新卒入社したところは所謂技術職で入った、専門学校勉強してたのとは全然関係ない仕事だった

初任給10万切ってたけどはじめてお給料もらえた時はめっちゃうれしかった。仕事ぶりはというと今振り返るとはっきり言ってかなり低能で、つかえねー部下だった

生意気な口ばっかりきくし特段仕事ができるわけでもない…人望もない…若いだけのクズデブミス多い…でもその割に上司ふつうに接してくれたと思う

激務すぎてやめた、社内のやりたい仕事へのルートすら能力が足らなくて開けないし、かといって激務のなかでこじ開ける努力をするのは困難と感じたのもあった。あとなんか2年目くらいかストレスのせいかめちゃくちゃ太りはじめて怖かった

でも4、5年くらいいたかな…お世話になりました…まじで…10ちょっとで月400時間くらい働いてたと思うけど…感謝

まり人に言えない派遣社員時代

こっから流浪派遣生活が暫くつづく、この期間が暗黒、黒歴史、一番社会人としてやばかったと思う

度を越した長時間労働・低収入だったか派遣になったとたんもらえる賃金自由に使える時間が爆上がりしやっと一人の人間になれた気がした

それはいいとして、そのうちの一社業務中に別のことに夢中になってたのがバレて(犯罪行為ではない)即効契約終了になったりしたのも懐かしいが、っていうかほんと今考えるとありえなすぎる

でもこれやりたい!と思うと我慢できなくなっちゃってたんだよな、我ながら怖すぎるだろ

他の就業先でも契約満了になったの直接いわれてないけど業務中のネットサーフィンがどうしてもやめられなくて、あれが原因だったんだろうな

どうも破滅するってわかってるのにそれでもやめられないみたいなところがあり、本当に怖い。今は加齢して枯れたのか人間としてちょっとましになってきたのかここまでやばいことはなくなった

暗黒期はそれなりに長かったが色々あって収入は増えたはずなのに初期はとにかくめちゃくちゃ金がなかった、お金なくて100円の野菜買おうかどうか腕組みして棚の前で15分くらい考えるくらいには金ほんとになかったよ、よく生きてたな実家帰れよって今なら思う。

理不尽なのはそれくらい貧乏だったのにデブはそんなに変わらなかったこ

体育会系ベンチャー

そっから一応技術的な成長とか将来性とかも考えて直雇用転職したが…次はまあなんかヤンキー体育会系ベンチャーって感じだった。2年半くらいはいたか

つるんでる会社もまあ数年前は話題になってたけど近年は資金繰り悪いとかそんなばっかで斜陽、パッとしない感じだった。だっさ…ていうか情弱かよ…?って正直思ったりしていた

なんか体質的に合わねーな、ハッスルハッスルしすぎだろ、ていうのが決め手になってやめた。あんまり自分スキルアップも見込めなかったし

ベンチャーって社長ワンマンだけど「一緒に目標に向かって頑張りたい」と「なんでお前のキラキラストーリー達成のために自分時間搾取されなきゃいかんのだ」の差はどこに出てくるんだろうね

体育会系方法論って小規模から成長するときには有効というのが傍でみててよくわかった、しか理解自分に合うかどうかは別

やめた後も薄目でみるかぎりスケールしてる(っぽい)のは素直に何よりです、みなさまとプロダクトのご多幸を影ながらお祈りしております

小休止から転職職能転換期

やめたあとは半年くらい充電休暇しつつ勉強しつつ転職活動だったがまあ引っかからなかった

今思えばお祈りあたりめーだろ、って感じの間違った自己アピールしてたな。その時採用試験受けて落ちてしまったけど感じのよかった企業は未だに好感度高い

ここで暇だから自宅で筋トレしてデブは脱却した。管理ハイになると体重って結構落ちるね、ほんとハイになりすぎて必要ないとこまで絞ってしま風邪ひきやすくなったりコスパ悪くなったので計画的に太った。すぐ戻った。BMI31→19.5→23。いまはもうちょっと太ったかもしれない。わからん体重計乗ってない

話がそれたが手元に残ったのは人材紹介から紹介されたまあ今までの経験は活かせるがガラパゴス業務母体はでかそうだけど成長につながらなそう…って感じだったのでしかとしてたが、いよいよのっぴきならなくなってきたのでそこに行くことにした

試しに100万弱年収アップ交渉してここは割りたくないって言ったら満額じゃないがまあまあ通っておいおい~まじかよって衝撃だった。逆に元々どんだけもらってなかったんだよってこれまでの自分ちょっと引いた

そんなこんなで最初に配属された部署いじめにあう、3年間くらいか

配属されたてのころにここでそんなこと言うなよなってレベル失言をうっかりしたこときっかけでまあ詳細は割愛するけど地味なやりかたでいじめられたわけだが逆にここでメンタルは相当鍛えられた

いじめてくるやつの仕事ぶりを見て絶対自分のほうがうまくやれるって思ったし実際自己評価しかないけど絶対自分のほうがいいものを作れてた

自分いじめてくるやつも役職なんかついてないヒラで(いじめてくるやつのほうが年上で年次は上だったが)上司は公平でいてくれたのは助かった。技術職は仕事自己満できるのが相当強いな

でもいじめ理不尽だしつらいし鬱一歩手前で家に帰ると何も手につかず風呂に入れなくなり汚く臭かったので上司面談されたりしてたが

いじめてくるくせに無能」「技術は裏切らない」

これを念じてたら頑張れた。いじめのせいで仕事休んだことなかったし(休んだりやめたら負けだと思った)仕事をかなり前倒しして仕上げて自己肯定感爆上で帰路につくのが超幸せで、今までで一番万能感に溢れてたな。家につくころには次の日の朝がいやでまたつらさが襲ってきたが。いじめられてて汚いが退社するときはめちゃくちゃ自己肯定感はあるというねじ構造だった

世間はこれをたぶん自己満て呼ぶんだろうしうるせーなその通りだよ、でもあの時の周りの人たち本当にごめんなさい。意味わからんときに涙だけ出てたりしたしカオスすぎた

ちなみにいじめてた奴はどっかにいるはずだがそれから社内でみることはあんまなかった。今は涙もでないし風呂も入れてる

そんな数年を過ごした後何回か移動もありつつ新しい仕事が降ってきた。自分で色々精査してるうち結構デカ案件に育ちそうだなーって思った。わりに普通の小規模案件として扱われててとくに注力しなそうな感じの雰囲気が漂ってた

適当にまわせばいいから、ってかんじでなんも社内資料とかなくて、まじかよってなりながら時間つかっていい許可もらってめちゃくちゃそのへんを整備した、例の一件で属人化には懲りてたか

いじめてくるやつがそういうのに関心が低く年次が上のやつが口伝していくみたいなクソ状態だった、今思ったけど自分地位キープするためわざとか?!)

そしたらなんかそのへんが評価されたらしく、その案件がでかくなってきたのとまあいい歳だったのもあり管理職になった。なったが、仕事は増えてるのに一向に給料があがんねーーー!!!バーカバー状態

なのでもらってる金以上の仕事はしないっていうのが確固たる信念になってきた

いかえると会社には何も期待しないし程々手を抜いても回るように整えていくって感じ、逆に効率化重視の動きに割り切れて自分はやりやすくなった

会社にはめちゃくちゃ自分就労倫理に基づいてそこまで求めてないやろってくらい根詰めて働く人もいるし、いろんな働き方をする人がいるからいい塩梅で回ってるのかもなって思う事も多々。自分みたいなのばっかりでもダメだしオーバーワークばっかりもだめだろう)

でも管理職ってやってみると結構面白いなと思うようになり、色々好き勝手暴れまわってたら任される仕事が増えてきた。

このへんで給料がぽんと上がりはじめる、管理するようになっておお、って額が昇給してた。おお、は単に今まで塩だった反動ではあるがなんのかんので前のわっしょいベンチャー退職時より1.5倍くらい年収あがったから運がよかったとしかいいようがない

来月から働く会社

でまあ半年くらい前にもうちょっと上の役職にならんか、と言われた

評価されたのは管理の実績らしく、業務としてはそのへんの割合が増えてくるってかんじらしい。おちんぎんがどうなるかはブラックボックスだって言われた。なんでだよ、最早期待してないからあがるかどうかはどうでもいいがそういう無責任不透明さが本当に嫌いだよって辟易通り越して悲しくなった

でもなーー、管理もおもろいけどもうちょっとプレイヤーでいたさもあったかスキル棚卸のついでに転職活動してみようかな、と考え始めた

自社で使ってたBtoBサービスが使いやすくて、最初になんとなくそ会社サイトみてたら募集があって風通し良さそうだなと思ったか

気軽なかんじでオープンポジションで応募したら受かった。面談自分フィットしそうな内容で、やっぱ職ある状態転職活動御社転職に値するかこっちも見極めますよ、って側面もあるから楽だった。不採用になっても受けてみてよかったなあと思っておでん食べてたら採用通知が来た。他のところは今回受けてないか転職しよっかなーから採用まで一か月くらいだった。働いてた会社淡々退職期間に入ったけど、社交辞令でも最終日に上司や同僚がつらかったら戻ってこいって言ってくれたのは嬉しかった

 転職先は新しい領域もいちからはじめないとなのもあり提示された年収だと手取り若干減りそうだけど手当が色々あるらしいかとんとんくらいか、まあ減額でも前職より学習環境は良さそうなので全然メリットある。あとする気ないが今まで見なし含だった残業代が出る。まあ昇給機会が多いそうだから健全会社ならなんとかなるんじゃね?でもコロナもあったし無理かな、まあいいや程々にやってくぞ、8月からまた1年生だ。

まあダメだったらウバーイーツの配達員とかも楽しそうじゃん。何個か仕事かけもちも良さそうだしご飯ほどほど食べれて雨風しのげればいいよ。

以上で職務経歴書としてはおしまいです。気づきは以下

振り返ってみて

低能大卒のわりに運がよかった、それに尽きる。

②結局自己肯定できればそれでいいと再認識できた

職歴振り返るとその時周りにいた人に改めてお礼を言いたい気持ちになった

失言が多いな、気を付ける

文章を書くのは面白い特に誰にも話せないことを書きちらすのは気持ちいい

⑥働くのは面白い

いい年のわりに未婚で恋人もおらずで友達3人くらいだが今のところそれで自己肯定がそんなに損なわれることはない

とくだん年収がめちゃくちゃいいわけでもなんでもないし子供のころからめちゃくちゃやりたかった仕事でもないしほどほどに会社というものが好きで嫌いだが

収入だろうがハゲだろうが童貞だろうが処女だろうが空気読めなかろうがギャンブル好きだろうが非正規だろうが正規だろうが

ひとに迷惑かけず犯罪行為もしてなかったら自分がアガってる状態キープできてるなら別に何でもよくない?

そりゃ自己肯定のもとが人によって仕事だったり家庭もつことだったり子供だったり配偶者自分の稼ぎだったり趣味だったり恋愛だったり、もっと別のことかもしれん。将来の不安する必要がないとか…?他にも色々あると思うけど。

まあでも自分は持ってるスペックにしてはよくやってるよな(他から評価は知らん)ていうのが強い、結局自己肯定最強だなって振り返りになりました。全部前職でいじめてきたやつのおかげかもしれない。感謝なんか絶対しないが勉強にはなった。

まれ変わったら大学生になりたいな

リタイアしたら勉強しなおして入るのもいいかもしれないな。数学美術史を学びたい。金ためとこ

2020-07-07

anond:20200707222436

早慶とか特待生枠あるやん。簡単なのに知名度あるから行っとけば良かったのに。

2020-06-29

anond:20200625054344

日本社会は「あたまのいい子の育て方」がこんなにも下手になってしまったんだね

理由はわかってる

高校教師なんて「あたまのいいやつがやる職業じゃない」から

エリートの子弟への「これくらい普通にできるやろ」偏見にどっぷり頭まで漬けこまれたのがおまえだ

問題を細分化しなさい

まずは薬をわすれずのんで、プロテインも飲んで、生きる

それとなんとか私立大学文学部にもぐりこんで

(金と名前をかける程度の学力があれば受かるし、なんなら進学校からなら特待生も鬱でもたいていとれる)

それからやりたい生活をやれ

まわりにはどうしても「ウパニシャッド哲学」か「王の書完全翻訳」か「完顔阿骨打の生涯を探求」くらいの

素人には全くわからないものを選んで、どうしてもどうしても死んでもやりたいって口先三寸でまるめこめ

地方住みなら選択余地がないか郊外私立大学教授の専攻みてえらべ

ただし年寄でやさしそうな教授はうっかり学長になって

ゼミをもたなくなることがあるから若いけど覇気はないくらいのやつでいい

宗教にひっかかったようなもんだが大学看板さえあればそれでいい

世の中はコロナ

昼間に起きられず登校もしなくても動画レポート卒業単位くれる大学放送大学以外にもいっぱいあるぞ

あつまって酒のんで騒ぎたくてもできないのは他の元同級生もおなじはずだ

SNSで流れてくるのは虚勢だ

2020-06-05

anond:20200605140315

私は妹だ。できのいい妹だと言われてきた。

ずっと「お姉ちゃん性格がいい、妹の○○(私)は頭がいい」と言われて育てられてきた。

お姉ちゃんは思いやりがある、お姉ちゃんは優しい、お姉ちゃん芸術センスがある。私はワガママ、人を思いやれない、勉強はできる。

勉強はできる」に縋りついていた。姉が何度学校ドロップアウトして、そのたびに親がせっせと違う学校入学金を払おうが、私はずっと特待生だった。「勉強ができる」ことだけが支えだったから、学校テストの朝はプレッシャーでいつも吐いてた。

就活をする歳になり、「もしここで良い会社就職ができなければ、私の取り柄が消えてしまう」という不安でしにそう。本命会社、ついに面接会場に向かう途中で、足が震えて立てなくなった。

道端にしゃがみこんで、お姉ちゃん電話した。お姉ちゃんはお昼休憩中だった。

私は泣きながらもう立てない、歩けない、面接に行けない、といった。お姉ちゃんは、「大丈夫だよ、お話しながら行こう、もし行けなくても大丈夫、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、どんな○○でも大好きだよ」といってくれた。

それでで、私は、なんとか面接会場にたどり着くことができた。

お姉ちゃんは思いやりがある、お姉ちゃんは優しい、お姉ちゃん、大好き。

2020-05-22

anond:20200522104522

特待生レベルになると学校勉強をまったくやってないからせめて「甲子園出場」くらいの箔が無いと終わる。

2020-05-17

anond:20200517083212

F欄の理事長家は政財界の有力者であることが多いから、そのコネが得られるなら悪くない。

地元トップから学部はF欄特待生、院で東大ロンダして、母校に教官として戻るっていうのはありかも。

2020-05-05

奨学金を借りる3無くん

奨学金

・誰かに払って貰うコネが無い

・事前に自分で稼ぐ甲斐性も無い

特待生になる頭脳も無い

奴らでしょ?

そもそも大学に行く価値なんて無いでしょ。

身の丈に合って無いんだよねぇ。

どうせ大学に通う大きな理由も無いんでしょ?

2020-01-20

私の大学入試について

厳しい両親だったので塾には行かせてもらえなかった。学習塾には中3の秋からようやく通わせてもらえて、頑張った高校受験たまたま偏差値の高い学校に進めたからか、もしくは父親は塾に頼らず大学合格していたのも「受験予備校不要」と錯覚させた要因なのかもしれない。いずれにせよ、人生方向性を大きく決めるであろう大学受験にはノーガードで挑む他無かった。

私の親戚は1人を除いて極めて優秀な大学を出ており、両親は当然私も自身のような大学に入るものだと思っていたらしい。両親が受験代を出してくれるのは二校(国立私立のみ)だった。何校も受験している同期が本当に羨ましかった。

結果、両方とも落ちて浪人が決まった。出身校がそこそこ優秀だったか授業料は相当安くなったが両親は激怒し、自分授業料を払えと行ってきた。この一年勉強するだけで人生は変わるのに、勘当されかねないので仕方なく予備校近くのうどん屋バイトを始めた。毎朝6時過ぎに家を出て18時まで勉強し、22時まで働いて家に着くのは0時過ぎ。バイトは週5日。

死ぬほど頑張って働いた金は親は全て取り上げられ、昼飯はトップバリュブランドカロリーメイトの偽物と冷水機の水のみ。必死勉強し、夏休み猛勉強のおかげで駿台偏差値は58から65に伸びたが秋口にとうとう気持ちが切れた。3日ほど寝込んだか親は知らんぷりで、今月のバイト代はどうなるとばかり聞いてくるので半ば絶望しながらバイトへ向かった。

年も暮れつつある12月、私は親から大学受験料は出さないとの通告を受けた。本気で死を考えたが亡くなった祖父の遺してくれた金を使って3校受験した。入試の2日前までバイトを入れて体力は限界に近かった。結果、滑り止め以外全落ちした。親は激怒した。何度も殴られて部屋はひっくり返され、散々な目にあった。

幸い大学特待生だったので授業料はほぼゼロ学生支援機構から金を借りて入学金を振り込み、本当に辛い浪人生活は終わりを迎えた。

いざ振り返ってみると、私以外の従兄弟たち4人は皆東大東工大に進んだ。彼らは高校一年の頃から予備校に通っていた。本当に親が憎かった。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだ。

最悪な大学入試だった。そのあとの人生も大概だが、人生においてこの時期が最悪だった。

anond:20200120070357

慶應医の特待生なら無料格安だった気が……まあそんな感じじゃなさそうだが

2019-12-18

おれら、つまりどこの大学にも特待生という学生集団はいる。

成績がひくくても異能のやつらとかな。

授業わかりやすかったよ。

2019-10-09

ノーベル賞受賞者を輩出した大学に入りたかった

トゥーンベリさんをうちのFラン特待生で呼べばギリギリからでも狙えるだろうか

2019-09-11

後輩たちに軽々と立場を抜かされた話

きっと当たり前のように誰だって経験したことのある話なのだろうけど、後輩や周囲に対する感情落ち着け方がわからなくて困っている。

人によっては嫌味に聞こえそうなので、誰にも相談ができず、同じような境遇の人がいたら聞いてもらいたい。

自分のことを、天才とは言わずとも、それに似たような人間だと思って生きてきた。

中学生の頃は、200人ほどいた学年でそこそこの勉強をすれば20-30位程度は取れたし、一言もやりたいと言った覚えはないのに気が付いたら部活動主将やら、学年代表やらをやらされていたことがある。

また特待生で行った高校(大抵が滑り止めで受けるような学校だ)では、入試では学年1位、以後の定期テスト100人10位くらいにはいたし、生徒会なんかもやっていた。友達も多くて、週末には遊びたい人が多すぎて困るとか考えていたくらいだ。

環境に恵まれていたし、自分天才だと思い込むには最適な18年間だったように思う。

後悔が始まったのは、大学に進学して以降のことだ。

高校卒業後、親の勧めでアメリカ大学留学することになった。海外に強い興味があったわけではなかったけど、留学とかかっこいいし、英語ペラペラとかかっこいいっていうミーハー留学理由だ。

しかしいざ留学して、何年たっても英語が上手くならないこと、そして勉強をしてもしてもついていけない現実に、絶望した。まあそりゃ母国語じゃないんだし、それを選んできたのは自分なんだし、甘えがあったのだろう。卒業単位を取るために寝ても覚めても勉強して、しかしそれじゃ足りなくて、せめてもと藁にもすがる思いで必死教授に取り入ったりもした。

その頃から、大した努力もせずに簡単に点数を取れるクラスメイトの姿が目につくようになった。必死教科書を隅から隅まで読んでも授業に追いつけないのに、適当に遊んでるはずのクラスメイトのが圧倒的にテストの点数が良い。見栄を張って良い大学行ったっていうのもこんなことになった原因のひとつだろう。

追いつけない自分が悲しくて、高校生までのリーダーシップみたいなやる気はどんどん失われて。2人しかいない友達と時々遊んで、勉強して、あとはひたすらネットしている4年間だった。

まあ変に頑固だったので、結局ちゃん卒業したのは偉かったと思うけれど、あのとき感じた絶望はいつまで経っても消えていない。

大学卒業して、外資系コンサル企業日本支部入社した。そこには、例えば中途採用日本大学卒業している新卒のような英語が得意ではないような人もいた。

しか社員ほとんどがいわゆる英語ペラペラの人たちで、かつ、頭の回転が速く、自分じゃ見えないような未来を見据えている人たちばかりだった。

持ち前のコミュニケーション能力最初の1年間はわりと成績は良かった。同僚にも恵まれていた。

一年後、後輩が入ってきて、自分の中に焦りが産まれるようになった。自分と同じ日本語という母国語世界で生きる彼らの英語力は、発想力は、頭のキレは、1年も2年も前に入社している自分の数段も上だった。

自分のような大して頭が良くない、ちょっとコミュニケーション能力が高いだけの空っぽ人間じゃ、そりゃ人事評価なんてあっという間に彼らに抜かされてしまうだろう。未来を見据えることなんて自分にはできないし、人事から評価自分自身たしかによく理解できる結果だった。

だけど、だけどだ。

同僚が新卒向けの説明会に駆り出されることになった。今回で行くのは2回目とのことだったが、自分に声がかかったことは一度もない。

昇格をして、昇格者向けの研修が入ることになった。しかしその研修予定名簿の中に自分名前はなかったし、代わりに後輩の名前が書かれていた。

周囲の才能には憧れているし、同僚に、後輩に勝てたことなんて一度もない。

だけど自分なりのプライドってものがあって、自分無能なんだって、きっと信じたくはなかった。

中高生の頃のように、自分の実力より低い場所にいたら、もしかしたら今頃周りにちやほやしてもらえていたのかもしれない。

しか大学生のあたりから、実力より高い場所でもうずっと背伸びをし続けている。

仕事を辞めるために転職活動を始めて、何がやりたいのかわからなくなった。しかし結局条件ばっかり見ていた自分は、転職先ですら背伸びしていることに気が付いてしまう。背伸びしないと生きられないはずなんかないのに、背伸びし続けることをやめられない。それはまあ、もう少し真面目に自分と向き合った転職活動をすれば良いだけの話なので、今回は置いておきたい。

まり言いたかったのは、自分より優秀な後輩たちと、自分より優秀な同僚と、どんな気持ちで接すればいいのかわからないってことだ。

多分、変に負けず嫌いなところと、変にプライドが高いところが、彼らに負けたのだと理解することを拒んでいるのだと思う。(というか負けを認めれば済む話のようにも思う)

後輩のことを、同僚のことを、すごいな、敵わないな、と思うし、一方自分にもそんな頭があったらなと妬ましく思いもする。

また自分への人事評価を、妥当だ、悪い評価じゃないしって思う自分と、どうして後輩より劣っているのだろう、どうして自分には声がかからないのだろう、と考えている自分もいる。

たぶん全部ひどいわがままで、自分客観的に見られていないだけなのだろう。

ただ、自分と同じような境遇の人たちは、後輩たちに軽々と抜かされた自分を、後輩や同僚への気持ちを、どうやって処理してるんだろうって、少し気になった。

同じような境遇だった人がいたら、教えてほしい。

2019-08-29

友達がいのない友人

出会って10年近くなる友人に友達がいを感じない。学生時代からベッタリの三人組だったがアラサーになっても未だにしょっちゅうあっている。あってるとき楽しいけど、帰ってきたとき雑談電話を終えたときの徒労感がすごい。

うち一人は喪女仲間とはいえ明るくてさばけていていいやつだなと思う。はっきりいうけど、相手が傷つくことはこらえるし、困ってるときには力になってくれて頼もしい。

けどもうひとりとは今更になって恨む気持ちが沸いている。

大学生のころ、私が研究に打ち込んでいたのをいつも「社会人になったらもうあそべないんだよ」と責めて、「なんのために勉強するの?なんのために大学いってるの?教えてよ!」と苛立っていた。本人も大学に行っていたし(しか特待生だった!すごい)、それなりに興味のあることだったはずだがとにかく不安な様子だったか就活中だから仕方ないと受け流していた。

正直、もちろん学生研究なんて一銭にもならないし、今は関係ない事務職してるし、好きだからしてるんだよとしか言いようがなかった。というか行ってるなら自分で考えるか、意味がないと思うならやめるかしかないだろって思ったけど、そんなの突き放すみたいで言えなかった。こんなにナーバス状態なんだし、って思った。私は普通の借り入れ型の奨学金で行ってたけど、行って良かった。いまも返してる……

本当になんでこんなにこいつは私を責めるんだと疑問だった。

特に驚いたのが、社会人なりたてのときに二人で出掛けたとき。私の会社製造部門がある。結局事務職になったけど研修期間は製造に配属になったらそりゃ大変だから不安もあるってポロッとこぼしてしまった。すると、「製造なんて底辺だ」とか「私はそうならないように就活たから」と一緒にショッピングモールを歩いているときに言われた。

正気か?と愕然とした。友達不安を打ち明けたときに、そんなそこまでマウントとるようなこと言えるんだろうか、って本当に驚いた。もし、自分がこれからのこと悩んでる友達にそう言われたとして、そんなこと言えんのか?とかそもそも考えるのか?って思ったら、あまりの考え方の違いにゾッとした。これやってけんのか?って寒くなった。そのころすでに出会って5年目くらいだったから気づかないもんだなと思う。

それからもいろいろそうことがあって無理かなぁって思っている。私はオタク腐女子なので絵なんかも書いたりする。書いた絵はツイッターにのせて、すこしばかりハートをいただいて毎日の糧にしているが、それもお互いみせあっていた。私はかなりのマイナー嗜好で、友達二人と分かち合えないこともあつた。寂しいけど萌えがないとめんどい絵なんてかけないので諦めている。しか友達自分オタクなのにとにかく口出ししてきて「理解できないことはやめろ」とか「気持ち悪い」とか、そんなんばっかで私は耐えきれず絵を消した。実は布教もしたけど、そのこは全く受け入れてくれず暴言じみたこともいい、私はへとへとになってしまった。もう一人は読むだけ読んでくれた。これが普通だとおもう。理解できなくても友人が大好きなものなんだから見てみるか、見てあげようかって思うものだと思う。

自分の考える大事相手の扱い方とあまりにも異なるので、私のことが嫌いなのかと思うとそれもちがうっぽい。

はっきりいって、嫉妬とか妬みとかそういうことなんだと思う。私が優れてなくても、前向きにやってるとかかんばってるつていうのですらイラついてるみたいだ。それはさすがに性格なので勘弁してくれと思うけど気持ち制御できない様子だ。

でも頑張ってツイッターアカウント私たちと切り離した。めにつかないようにしようとしたらしい。でも結局見ていたみたいで、私が仕事に悩んでいるツイートをしたらかなり過剰に刺さってしまったらしくかなりきつく、じゃあもう誘わない今までも不快だったんだろう忙しいのにごめん、さよならみたいなことを言い出した。

なんとなく、私も文面そのものが言いたいわけでなく、負担になってしまったんだろうかとかやっぱり心配してくれたのが独特に翻訳されたんだろうとわかった。

でも、そりゃないだろって思った。私もそういわれて泣けたし、無理かもと思った。結局私のツイッターも見てるし。お互い気にしないようにしよう!見てもいいしてか見てると思ったよって話して落ち着いたけど、正直今はつまらないことでも私のこと知ってほしくない。顔も見たくない。軽蔑するようなこと言われたジャンルは降りてしまった。いまのジャンル彼女が見てると思うと身動きがとれず、せっかく交流が持てた人たちがいない鍵つきアカウントで呟いている。大したこと話してないからと言ってるが、正直本拠地になりそう。いずれつまんなくなるだろうとおもう。また、ジャンルから去ることになるかも。恨んでしまう。

上の件の仲直りの電話も、最初申し訳なさそうにしてたけど最後は私に対する嫉妬や妬みをストレートに言っていた。半分冗談で、自分はそういう人間だって卑下半分本気半分これからも付き合うなら覚悟してって内容だった。あとは最近雑談。私がもういいよっていったから、全部忘れたって感じだった。気が緩んで、笑って許したけど、そっちは言ってスッキリたかもしれないけど、電話のあと私はがっくりきた。

ちなみにもう一人の友達は私の鬱ツイートには反応せず、でも簡単でも心配してるよと声をかけてくれた。

無理かも、無理かもとダマシダマシやって来たけどまた無理かもと思ってしまった。頑張って少し離れようと思う。大事な友人にしておくためにも本気のつもり。

タグタすいません。少し気持ちがすっきりしてなんとか寝られそう……

2019-02-14

anond:20190214172241

うち(地方都市郊外)の近所でのことだけど、中学校受験をする子はわりといる(35人クラスで2~3人)。

でも、ほとんどが公立中学に進学する。これは、不合格になっているわけではなくて、「特待生になれなかったから」合格しても進学しないんだって

中高一貫特待生学費の一部が免除)なら、小学生5~6年で塾に費用をかけてたほうが費用がかからないっていう判断

もちろん勉強したこと無駄にはならないし、そのままの成績を維持できれば、高校入試でまた特待生を狙える。

2019-01-13

友達が我々の努力嘲笑うかのようにアクアリウムに誘ってくる。

私には、大学の頃から仲良く…だが、どこかやりきれぬ思いを胸にしている封じられし獣どもがいる。共通のアビリティがあり、同い年で、お互いにアラームピアスを使わないため、愚かなる人間共に変貌を遂げてからも月一くらいで飲みに行っていやがる。帝国との戦争が終わり10年の旧知の仲で現在はお互い付き合ってる人はいない。

伝説に語られる汚れなき世界唯一神が、最近“神”の威光を畏れるかの如くアクアリウムに誘-いざな-ってくるよ。恋愛エクスペリエンスの気休めにもならねェ他の人間から見れば害悪しか過ぎない自分にとって水族館は、カップルで行く場所というイメージがあったから初めて誘われたクロノスは、「こっ、この者ぅ〜ッ…一体どこまで腐ってやがる……!!お前は男が如きで気を使わなくていいわ〜とか言ってたくせに、実は“神”を喰らい、最強になったはずのこの私のこと…その全てを捧ぐ…それで何もかも終わった、はずだったわけ!?」って驚いた。

されど真実には程遠い氣がしてきた。

なぜなら東京伯爵領の咎を背負いし数々の水文明のこの星における前線基地を双獣で制覇してきた――預言書にはそうあるからだ。もしかしたら人間界で言う今日(いま)死の間際の告白されちゃうかもと思って指先がチリチリしたのも黎明だけで、刹那となっては、帝国魔導学園では特待生である彼が真実という名の幻想水族館に行きたいだけな気がしてならい

ウミウシで至福に身を震わせてそうに世界を闇へと誘う封印されし彼奴、

深淵から現れし蛇龍であくまでも表面上は、喜ぶ彼奴、

リヴァイアサンに骨騰肉飛成し遂げる彼奴、

張り出されてるアプカルのプロフィールを神の威光を授かりし剣に詠む彼奴、

コバルトジェリーから水銀を取り出す彼奴、

イジュル・アル・バハルを私に似ておると詠唱する彼奴、

思い返せば、普通に文明のこの星における前線基地前世より繋がりし、我が恋心なだけな気がしてならない。アニムス恋愛心理解説するwebサイトでは「アクアリウムに誘-いざな-うのはアナタを好きだから★」的なことかいてあったのに神の声が聞こえぬな?(´;ω;`…噂には聞いていたが、これ程とはな……)

兄に、我が影の話としてそれとなく聞いたら「ヴァルキュリアスが預言書を信じるほど、グルガン族の男は思考《かんが》えてねーよ。ただ水文明のこの星における前線基地に行って連中を足止めしたかったのだが、最後に立っていたのはただ一人じゃ格好つかんから誘-いざな-っただけなんだろ」って言われた。

わかるようで、わかりたくない事はない。

壱拾年なにしてたんであろううなぁと少し重力の影響を強く受ける。

未だ見ぬ明日はジナギウムかぁ。

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