はてなキーワード: 漠然とは
追記----------------------------------
文の拙さや僕の不甲斐なさについてはたくさんのご指摘をいただきまして,もう十分ぴえんぴえんできたので,これから読まれる方は,タイトル(本題.まじでアドバイス欲しい点)について,この若造のエピソードを見てどう思うか(僕へのアドバイスでも,一般論に汎化させたもの嬉しい.語気荒めでもいいので)のコメントをいただきたいです.
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最初のいくばかを使って,自己紹介とタイトルの理由,この文章を書くに至ったエピソードを話させてください.
html, css, javascript(jquery, express, react(next), vue(nuxt)), python, php, sql(postgre, oracle), graphql, ruby, swift, solidity, unity, c, c++
業務レベルじゃなくていいならgo, kotlin, java, scala, dart, julia,後fpgaも少し.ハードウェア開発は結構苦手で回路図とか上手く書けません.
と主にチャラいところを薄く広くやってきてます.バックエンドは大体firebaseかgcpに任せているので,インフラあたりひいてはネットワークの知識が薄いです.大学もプログラミングはしますが,CSではないので受動的に学ぶ機会も特になかったです.何回かCTFにも出場しましたが,あんまりいい成績を残せなかったというか,毎回毎回超人たちのすごさを見せつけられてました...
自分の理解できる技術(not 言語)で,面白い(バズりそうなもの)をラピッドプロトタイピングすることは好き・得意で,いくつかミニバズっぽいことも経験させてもらってきました.
B3の夏くらいのタイミングで東一上場企業にインターンに行きました.(インターンとしては3社目.過去2社は知り合いに紹介してもらったスタートアップで主に簡単なweb開発か,社内ツールの開発を緩くしてました)
最初の業務は,システムの使用言語を主流のものに置き換えることでした.書き換えなので,基本的に頭を使うことはなくドキュメントを読みながら楽しくダラダラ進めました.もちろん書き換え先の言語でどうセキュアにやったらいいかなど,上司にレビューを貰いながら,増える知識も気持ちよくやれました.何より給料が良かったです.週三フルタイムで20万弱はもらってました.客観的に見てすごい待遇だと思います.分不相応とは思いませんでした.
ただ,この業務を3ヶ月ほどで終わらせて,次に振られた業務が問題でした...
ニッチすぎるし比較的新しいプロトコルで細かく言えないですが,多分このプロトコルの実装に携わってるのは日本で10人もいないはずです.
つまり難易度が急に跳ね上がった.これが辛かったです...言語はC++とJava.
ネットで実装例なんてクソの欠片も載ってないし,プロトコルの理解のために特許資料や論文をくまなく読む羽目になったのは本当に辛かったです.こういう理解であってますか?と上司に聞いて,違かったらしいが,次にその実装に伴うDB改革のタスクも振られかけてきて,僕はパンクしました.
そのプロトコルも理解しきれなかったし,こんな大規模なDB設計なんてやったことないので何からやればいいか分からない.もちろん今となっては一つひとつ順序立てて要件を解決していけばいいと分かっていますが,別件も相まって当時の僕はパンクしました.
個人的な事情(別件)はかなり精神的に僕を苦しませ,毎日の睡眠時間が3時間くらいになってました.
で,僕はインターンに行かなくなりました.個人的な事情の方が忙しいからと言い訳をして.業務は別の人に振られることはなくペンディングになってるみたいです.
追記----------------------
ぶっちしたわけではなく,普通に出勤頻度がだんだん落ちて最後に精神的な問題でほとんど来れなくなることを伝えました.業務も締め切りなかったので損失というか上司の頭を悩ませるようなことは無かったと思います(思いたい)
僕の人間性に関するご指摘が多くて結構びっくりしました(文章がダメ)が,結構人に迷惑かけたりして嫌われるのとか無理な性格なので,そこらへんは意識してない所から矢が飛んできたなぁという感想です.
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そのままずるずると1年間経ったのち更新をしない旨を伝え職場を後にしました.
ここまでが前提共有で,こっからが本題です.
追記-------------------------------------
(極めて個人的な)僕のつよつよエンジニアのイメージを共有すると,小中学生からプログラミングしてたり(高校生から始めたのといくつか次元が違う気がしてる),未踏や異能などを通して予算獲得経験があったり,企業でバリバリ働いてた経験があったり,Twitterでなにやらフォロワー多めで有名CTOと顔見知りだったり,みたいな感じです.百戦錬磨の30代~のエンジニアというより,中高で未踏ジュニア通してます,まだ20代前半です,もう1000万プレイヤー行きそうです.みたいなキラキラが僕ら大学生エンジニアにとって目につきやすく年が近い分,あぁ俺は未踏ジュニア落ちたなぁという劣等感とともに目で追っちゃうんだろうなぁ.なに書きたかったか忘れました...
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Twitterとかで(主につよつよエンジニア達によって)エンジニアのべき論が語られていますが,その理想像として
・ひいてはそれを苦と思わない
みたいなのがあると思うんですけど,これ無理だなって思っちゃったって話.とともに,皆さんはどうなんですか?という質問がしたいです.
インターンする前は,正直ツケ上がってたんです.同世代からしたら自主的にプログラミングしてるし(チャラいところだけ),大企業でインターンしてるし.
僕はきっとつよつよエンジニア(の卵)として(新卒でという意味ではなく近いうちに(漠然))1000万プレイヤーにエンジニアとしてなるんだろうなと思ってました(実際会社のエンジニアは結構超えてる人がいたし,インターン上がりならエスカレータ式に入社はできた).
でも,上記のことがあり挫折してしまいました.今までチャラくて気持ちいところだけやってたけど,仕事となると自分が扱ってこなかった技術を使わないといけなくて,扱ってこなかったということはつまり難しいということで.それを勉強することが,また勉強すべきだという共通理解のある分野で生きていくことが無理そうだという気持ちになりました.
このB4の夏,某カリや某INEや知り合い企業に応募する予定やお誘いを受けましたが,このことがあり全てやめましたor辞退しました.
短期なので直接的には関係ないですが,今後のキャリアを考えていく中で,盲目的にエンジニアインターンを乱発していくべきなのか悩んでいるところです.
とは言え,プログラミング以外に一般的な大学生に優っていることが特にないので,プライドの高い(人よりいい思い・待遇をしたいという欲求が強い)僕はどうしたらこのジレンマを抜け出したらいいのか分からなくなっています.
同じような悩みを持っている方や,経験して乗り越えられた方は,ぜひどうお考えなのかお聞きしたいです.
就職した先輩には,ここ仕事量少ないしオススメだよって言われたのですが,聞いた給料に少し不満があり(ここも僕のプライドが高いめんどくさい,この問題を難しくしてる点),総じてこじんまりと(言い方が難しいですが)レベルの低いところで少なめの給料で暮らしていくという選択肢は許容できません.
これも踏まえ,僕のようなクズと言われても仕方のない人材はどうしたら上手く(ストレスレスで高収入の意)生きていけるのでしょうか?
追記------------------------------
ただの深夜の殴り書きのはずが,少し反応が増えたので,文章を少し直しました.身バレ対策も兼ねて.
文章が鼻くそナメクジだったり,(技術スタックのところで)エンジニア的に記法がうざかったらすいません(ただそういう文化というか認識も,なんかやってないなぁというか苦笑いしか起きない人間です.すいません.)
あと,釣りとかイきりとかのコメント多かったのは結構心外でした(文章がダメなのはそう).
どう考えたって,あの技術スタック(なんか強そうなのが目に見えてない and 言語名しか書いて無いから各言語のレベル低そう and チャラい(と認識してる)技術しかやってない)で,イきれないのは分かり切ってるし,イきろうとするならもっとカッコつけて書くし,成果物も全部提示するし.という認識でいてました.
あと,雑魚だしクズって自認してるので,あんまり雑魚とかクズって言わないでください.病んじゃいます.あせあせ.
いくつかのアドバイスをくれた方ありがとうございます。マネージャーやITコンサルは確かになと思い、今日そういう職についた先輩に話を聞いてみました。先輩には博報堂や電通のクリエイティブチームをお勧めされました。Mまで入れるとあと3年弱あるので、そこの周辺の職を探していこうと思います。カンマピリオドについて酷評がすごくて驚きでしたが(増田初心者)、それ指定の文書を書くことが時々あるので、設定がそうなってます。読みにくくてすいませんでした。
p.s. コメントに返信はしてないので、元増田を名乗る人は偽物です。
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飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。
好きな芸人がいる
好きな芸人がお笑いファンではないネット民から漠然と好感を持たれていたり
声優や漫画を取り上げる企画で対象を辱しめることなく無難に取り上げたことでオタクから褒め倒されると
嬉しい反面、何も知らねーくせに、持ち上げるだけ持ち上げてラジオや深夜番組でのいつもの振る舞いを見たら「こんな下品な人だったなんて!」と反動で過剰に叩くくせに、はてなや棘やまとめサイトを使って煽動してリンチするくせに、何回もやられてるんだからな、ボクらはいつも虐げられる側ですみたいなしてんじゃねえぞアニメオタクどもがよぉ、変に持ち上げるな、散れ!という感情もある
好きな漫画がある
有名ファッション誌で大好きな漫画として名前を挙げたとかとんでもない登録数のYouTuberチャンネルで紹介したとかそういうのをイメージしてほしい
漫画のファンは唐突な出来事に困惑しつつも「あの漫画の名作ぶりが普段漫画を読まない人にも届いて嬉しい」と沸いた
絵が上手い人はそのアイドルが単行本を手に取っているファンアートを描いたりアイドルに感謝するツイートを投稿した
それがまずかった
バラエティ番組でアニメ特集があると聞くとそわそわするように、
アイドルのオタクも得体の知れない二次元オタクからの着火を恐れていたのか
アイドルファンが「漫画オタクさんがこんなこと言ってくれてるよ、嬉しい!」と集団で押し寄せて引用リツイートをしたりリプライを送ったりフォローしたり
アイドル関係ないツイートまでアイドル関係の話と誤解していいねを飛ばしたり
その漫画は今回のように芸能人がたびたび名前を挙げるほどの人気はあるのだが、ツイッターでその漫画を語るための専用アカウントを持ちファンアートを描くような人はあまりいない
数少ない神たちはアイドルファンを無下にできずすっかり参ってしまっていた
いっそアイドルファンのスレでそういった行為はやめてほしいと書こうかとも思ったが今や5chは高齢化が進んでおり距離なし引用リツイートするようなタイプの若いファンはそこにはいないだろうから意味はないだろう
リツイートした後は互いの持ち場に戻ってくれ
男は女をいやらしい目でばかり見る!性的消費だ!男はクズ!とか、女は上位の男にしか興味を示さない!寄生したがるばかり!女はクズ!とか
なんか小学校高学年くらいの時にこんな感じでクラスの男女が仲悪かったことあったなって思い出す。
あの頃って、女子はちょうど生理になり始め、男子は声変わりし始めるくらいで、男女の違いが明確になって性差が急速に意識されるようになるんだよな。
それに対する違和感とか嫌悪感とかなのかやたらと男女の仲が悪くて、お互いがお互いを見下してた。少女趣味をバカにしたり、下ネタギャグをバカにしたり。俺の場合は学年を巻き込んで男女が対立構造を作ってた。中学に上がってしばらくしたらいつの間にか無くなってたから、多分思春期特有の性差への嫌悪みたいなやつだと思うんだけど。
ネットで男女が対立してたりするのって、モテない底辺同士の哀れな戦いだろ〜ってよく言われてるけど…実はこういうガキの頃の漠然とした性差に対する違和感や嫌悪感から来る異性嫌悪を、大人になった今でも引きずってる人たちだったりするんじゃね?ってちょっと思う。
うーん…自分で書いてて的が外れてる気がしてきたな。まあ何はともあれ、生得的特徴を人格に結びつけて批判するのって不毛だな。
■好きな人が増えた。気がする
よく初恋の人の話題で保育園や幼稚園の先生が対象になったり小学校低学年の頃が取り沙汰されるけれど、
自分の場合は結構遅かったようで他人を恋愛対象として捉えてることを自覚したのは高校生の頃だった。
以来不器用ながらもアプローチをして数度振られ、この人以上に一緒に人生を過ごしていきたい人も出てこないだろうなと
若干ハタチ程度にして恋愛を早々に諦め恋愛のない人生設計を漠然と立ててきて、漫然とそのとおりに過ごしてきたわけだけど、
単純接触効果というやつか、就職して2年目ともなったこの頃、職場に気になる他人が出てきた。
そこそこの数の人間がいる中で、その人の行く先だとか、今日が休みかどうかをちらと確認してしまう。
多分罹患したのだろう。
一応社内恋愛を禁止している職場だし、こういう界隈にいるので年上で男性の自分からアプローチをするつもりはない。
が、なんとなく自分からそういう雰囲気を匂わせてしまっている感じがするし、
上手い人は部下の方からアプローチさせるように誘導というのも可能なんだろうなと思うとセクハラを禁止するボーダーとしての社内恋愛禁止論は
万が一にも向こうからお誘いがあったとしても、初恋が完全に自分の中で終わってなく、
題の通り好きな人が増えた状態で、億が一にも初恋の人からお誘いがあったら、全く自分と関わった人を不幸にしてしまいそうだから、
やっぱり自分に愛だの恋だのは向いてないのだろうなあなんて思ったのでした。
よく初恋の人の話題で保育園や幼稚園の先生が対象になったり小学校低学年の頃が取り沙汰されるけれど、
自分の場合は結構遅かったようで他人を恋愛対象として捉えてることを自覚したのは高校生の頃だった。
以来不器用ながらもアプローチをして数度振られ、この人以上に一緒に人生を過ごしていきたい人も出てこないだろうなと
若干ハタチ程度にして恋愛を早々に諦め恋愛のない人生設計を漠然と立ててきて、漫然とそのとおりに過ごしてきたわけだけど、
単純接触効果というやつか、就職して2年目ともなったこの頃、職場に気になる他人が出てきた。
そこそこの数の人間がいる中で、その人の行く先だとか、今日が休みかどうかをちらと確認してしまう。
多分罹患したのだろう。
一応社内恋愛を禁止している職場だし、こういう界隈にいるので年上で男性の自分からアプローチをするつもりはない。
が、なんとなく自分からそういう雰囲気を匂わせてしまっている感じがするし、
上手い人は部下の方からアプローチさせるように誘導というのも可能なんだろうなと思うとセクハラを禁止するボーダーとしての社内恋愛禁止論は
万が一にも向こうからお誘いがあったとしても、初恋が完全に自分の中で終わってなく、
題の通り好きな人が増えた状態で、億が一にも初恋の人からお誘いがあったら、全く自分と関わった人を不幸にしてしまいそうだから、
やっぱり自分に愛だの恋だのは向いてないのだろうなあなんて思ったのでした。
夜勤って、漠然とサボってるイメージ持たれてて、昼勤のパートさん達に嫌われがちだよね。
夜勤帯は納品が多いから、全部夜のうちに品出しするのは無理で、いくらかは昼にやってもらわなきゃいけないし、店の作業行程表でも品出しの一部は昼勤がやることになってたりするのに、知らないうちに夜勤が恨まれている。
あと、夜勤(と夕勤)が昼勤に嫌われるのは、連係プレーが出来ないからっていうのもある。昼勤は多いときは5人くらいの人数で協力しながらやってて、レジ受け持っていない人がレジ係が注文の復唱をするのを聞いて、すかさずホットスナックを種類と数間違えないようにササッと用意して、すぐに別のレジの袋詰めを手伝うとか、歌舞伎の黒子並みのことをやってのける。
俺の暮らしている家には洗濯機がないので、浴槽を選択用の桶に転用して、休日になるとぬるま湯を張って布類と洗剤をぶっこんでいる。当然、脱水も手作業だ。何が言いたいかというと、洗濯そのものは俺にとって苦行でしかなく、バスタオルやシーツ類を手絞りでギリギリやりながら風呂場で荒い息を吐いていると、俺は何をやってるんだろう、という気になる。指の皮とかがよく剥ける。
…
一方で、干し終わったあとの洗濯物を眺めること、これは好き。大好きと言っていい。
理由はまったくわからないんだけども、竿に吊るされたシーツとかハンガーに下がった大小の衣類が風に揺られているのを見ていると、ものすごく満ち足りた気持ちになる。洗濯物のそれぞれによっても風を受けたときの反応が違っていて、ハンカチだとか靴下なんかはささいなそよ風でも大きくひるがえるし、バスタオルなんかはかなりどっしりしていて、ちょっとやそっとの風では動かなかったりする(何しろ手で絞っているので水が抜けきっていないだけの可能性もあるが)。
…
洗濯物が干されている光景というものの何がそんなにいいのか、あらためて考えてみると、例えば自然界にf分の1ゆらぎという概念があって、あるいはそれに近いんじゃねえか、と思ったりする。
wikipediaでの説明は正直ちんぷんかんぷんだが(https://ja.wikipedia.org/wiki/1/f%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%8E)、一般的には「規則性と不規則性とが適度に混成された現象」と説明されることが多い。視覚における例ではろうそくのゆらめき、聴覚ではさざなみ等が例に挙がる。
言ったもん勝ちじゃねえの? という気もするが、実際、俺は火を見ているのも(焚き火のASMRとかあるのだ)波音を聴いているのも好きなので、洗濯物もあるいはそういう類かもしれないと思う。
風という、本来は不可視のものが、それを受ける対象によって見えるようになっている、とかそういうことだ。まあそれらしい説明はなんとでもつく。
…
ただ、もう一つの理由としてさらに漠然と感じるものがあって、俺は洗濯物ってなんだか人に似ているな、と思うんだよな。
風にいくつもの洗濯物が揺れているのをぼんやり見ていると、頭に浮かぶ表現が、「幸せそう」というものだ。洗濯物を見ていると幸せそうだと思ってしまう。
何かの小説や歌詞でそういう言い回しに触れたのかもしれないが、ググってみても見つからなかった。
洗濯物の大きさによって風にあおられたときの反応は違うが、強く吹かれた際は、みんな同じでばたばたはためく。それは家族って感じの一つの集合に見えなくもないし、はしゃいで遊んでるみたいだな、とも思う。
俺は脱水作業のあとで疲労しているところで、もしかすると、これを1万倍ぐらい強めると、子供のいる親が車で行楽地にお子さん連れていって、到着した先で娘や息子が駆け回ってるの見るときとか、しんどさも誇らしさも近いのかもしれねえな、と考えるが、子育てをナメるなよ、と言われたらぐうの音も出ないので、まあ洗濯物ってなんか家族っぽいよな、ってぐらいに留めておく。これなら主観なので言い訳も立つ。
…
ちなみに、はじめてお子さんが生まれてから最初の乳児衣類の洗濯を、「世界一幸せな洗濯」と呼ぶそうだ。「洗濯物 幸せそう」で検索したらこればかり出てきた。俺には嫁も子供もいないし、干してあるのはおっさんの肌着であって、浴槽に漬けると台風の後の川みたいな泥水が出てくる。
治療代と思えば随分と高く付いたが1000万まではいかなかったか、くらいで済むが、
あれだけ女に抱いていた欲情が思うほど膨らまなくなった、
かといってスッキリしたとか悟ったような思いはまったくない。
少しは楽になるだろうと漠然と思っていたことは何一つ楽になっていない。
まさかセックスにも気持ちいいセックスと後味の悪いセックスがあるとは思わなかった。
そして気持ちいいセックスも大して長続きしないことにもショックを受けた。
性欲とは何なのか、というよりも、もはや性欲とは別の欲があるように思えてならない。
その欲のせいで、浮気や不倫をしているヤカラが大勢いるのではないか。
既婚者連中も含めて、魂の童貞は90%くらいいるのではないのか。
惰性で消費してるものを切ったりとか
深夜の半分寝ているようなぼやけた頭でなんとなく書いているから、おかしなところがあっても読み流してください。
10年くらい前、当時通っていたバンドの活動休止とほぼ同時にバンギャを上がった。
そのバンドが大好きでインストやツアーを全通したり、ライブにフラスタ出したり、推しのブログやイベントでのトークで出たものをプレゼントしたり……とにかく全力でそのバンドを追っかけてた。何年も。
それなりに金を落とすしファン歴もまあまあ長い古参に分類されるような位置にいたバンギャだったから、メンバーはもちろんスタッフにも覚えられていたし、良くしてもらっていたと思う。
でも、同じファンからは面白くない存在だし、実際掲示板で叩かれたこともある。ご丁寧に個スレまで立てて散々ぶっ叩かれた。
それでも当時の私は「そんなに悔しいなら金落とせば?金を落とした私が優遇されるのは当然でしょ?」としか思っていなかったし、それを煽るようにさらにお金を落とすようになっていたから若いって怖い。
メンバーが不仲だとかなんとか……よくある話。
それでも活動休止前最後のライブは全力で楽しんで、私もバンギャ活動を一旦休止した。
メンバーはそれぞれやりたいことをやっていたから推しの活動を追ってはいたし、時折推しのイベントやライブに行くこともあったけれど、バンドを追っかけていた時ほどの熱量はなくて、次第に足が遠退いて行った。
活動休止した後すぐに病気をして、その症状が進行していたせいで余裕がなかったのも足が遠退いていった原因の一つだったと思う。
学校を卒業したり就職したり、病気が再発したり、その後遺症に悩んだり……時折彼らの曲を聴いて支えにしながら月日は流れていった。
そして一昨年、彼らは活動を再開。
一桁台の番号のチケットを持って馴染みのあるライブ会場へと向かう。
当時とは違って仕事を終えてから向かったから、開場時間はとっくに過ぎていた。
最前確実なそのチケットを手にしたら、活動休止前の私なら何が何でもライブを優先して、最高の場所を陣取って、全力で楽しんでいたと思う。
でも今は違う。
懐かしいライブハウスまで続く道を歩く間、期待でわくわくそわそわしていたけれど、開場時間を過ぎていることへの焦りはなかったし、最前を取れなかったことへの悔しさもない。
そして当時と違って足元はパンプス。
仕事終わりのオフィスカジュアルな格好で会場に入り、邪魔にならないように最後列の隅っこの方でステージを見つめた。
会場が暗くなって歓声が上がって、流れたイントロは活動休止ライブの時と同じもの。
周りのバンギャ達が黄色い声を上げてメンバーの名前を呼ぶのを遠くに聞きながら、私はずっと泣いていた。
私が本当に好きだったバンドが目の前にあって、推しはあの時と変わらずステージに立っていて、あの時好きだった曲をまたこの大好きな空間で聴けていることが、何よりも嬉しくて。
セットリストはほぼ全て活動休止前の曲で構成されていて、私はそれぞれの曲のイントロが掛かると同時に泣いていた。
まさかまたこうして生で聴けるとは思っていなかったからいろんな想いが込み上げてしまったのだけれど、それにしてもアホみたいに泣いた。人間歳を取ると涙脆くなっていけない。
散々泣いてアンコールでも泣いて、楽しそうな表情を浮かべるバンギャとは正反対の泣き腫らした酷い顔で、帰ろうとするバンギャ達に流されるようにして私は会場を出た。
駅へと向かいながらふと思い出す。
あの時はライブに行けば誰かしらバンギャ友達や友達ではないけれどよく見知った顔を見かけたものだけれど、その日は誰一人会わなかった。
当たり前だ。もうあの最後の日から10年近く経っているのだから。
そしてもう二度と彼らのライブに行くことはないなと漠然と思ったのだ。
別に嫌いになったわけではないし、活動休止後も彼らのことは変わらず大好きで、曲だって聞いていた。
でも、活動再開後の曲はどうしても好きになれなかった。
彼ららしさはきちんと残っているけれど、何かが違う。
ライブが終わった後に感じたことは、私はもう彼らと共に歩むことができないということだった。
昔の方が良かったなんてことは言いたくないし、言うつもりもない。
彼らが変化して、私もまた変化した結果、私は彼らを受け入れることができなかった。彼らの"客"では無くなっただけ。
それを認められず彼らに自分のお気持ちを押し付けて彼らの邪魔をするのは絶対にあってはいけないことだから。
私は10年前のあの日に歩みを止めてしまったのだからまた進み始めた彼らに無理に着いて行く必要はなくて、再び歩き出した彼らとあの時の私のように彼らが大好きな子達の背中を見送ることが、私に出来ること。
未練も後悔もない。
あるのは「あの時は本当に楽しかった」という気持ちだけど、それも今と比べてではなく、純粋に当時を懐かしんでいるだけ。
「歳取ったなぁ」と思うことはあるけれど、それは当然のことだし。
ただただ穏やかに好きなものとお別れしたものだから、なんだか不思議でこうしてダラダラと書き殴ってしまった次第。
本当に長くなってしまった……。
今でも彼らの活動休止前の曲を聞くことがあるのだけれど、歌詞はもちろんフリまで覚えてるんだから、ちょっとびっくりする。
もしこれを読んでくれた人の中に今の彼らを追いかけているバンギャちゃんがいたら、昔も今も最高な彼らをよろしくお願いします!
読者がどういう空想するのか漠然とした状態の文章で小説家はどうやって面白さをコントロールしてるんだって感じなんだよな。
自分だったらくどいぐらいに自分の視覚的イメージと読み手のイメージが一致するように書き込まずにはいられない。
文章で不十分だったら躊躇なく図示。読み手からしたらむしろ興を削ぐような行いなのかもしれないけれど、たとえ独りよがりの満足でも作品の解釈が自分のコントロール内に収まってないと気がすまないというか。漫画は少なくとも視覚面については描いた通りに見られるからそのとき描いたものと読者の反応を結びつけてフィードバックさせやすく読者の感じ方を支配しやすいのが利点だろう。
じゃあ、相手が君のことを好きになっても「将来君以外の人を好きになる可能性もあるから付き合えない」って言って断るの? それは相手を傷つけることにならないと?
結局のところ「相手を思いやってる風」に言っていても、君は本当はただ「自分」のリスクテイクをしているだけなのでは。
結婚って、別に100%自分のためにするものではないでしょ。たとえばボランティアって「自分個人」だけを基準に見たら不合理な活動だけど、社会全体とのかかわりの中の私、という立場からみるから、そういう存在も必要であり不可欠であると分かってくるようなものだよね(単純な、漠然とした「善」概念でやってたら、長続きしないか宗教になるしかないよね。あるいは「自己満足ですっ」って開き直るか。)。合理的選択としてボランティアに取り組む人にとって、基準は「個人」ではなく「社会」にある。これは、自己の定義を「自分」と言う個人の殻の外へと拡張しないと、理解できないことだよ。局所局所における部分最適(個人の利益の最大化)の総和は必ずしも全体最適(社会全体の利益)にならない。ミクロでもなくマクロでもない中ぐらいのサイズを基盤にするとき、そういう現象が発生するよ。たとえば近所の公園の清掃をどうする、ぐらいのサイズのときね。
同じように、結婚も、自分より尊重できるだろうと思える他人が現れて、その人が自分との未来を望むとき、その「二人の未来」のために自分の人生を賭けてもいいなと思うから結婚するのであって、「自分個人」という殻の中でものを考える限り結婚が合理的選択に見えないのは当たり前だと思う。あ、別にそれがいいとか悪いとか偉いとか偉くないとかいう話をしたいんじゃないからね。そうではなく、あなたが結婚というものを理解できないとしたら、それは結婚する人と自分とではそもそも前提としているものの見方が違うのかもしれない、と考えてみてはという話。
16日の未明、参院本会議で、日本共産党の山添拓議員が行った土地利用規制法案に関する反対討論の要旨は次の通りです。
本法案は、土地や建物の利用状況調査を名目に幅広い市民監視を可能とするものであり、その歯止めがありません。調査や情報収集の対象は誰なのか、条文上の制限がないことを政府も認めました。あらゆる人が対象となりえます。
職業や収入、交友関係やSNSでの発信など、個人に関わる情報について、「土地利用と関係なければ調査対象とならない」といいます。しかし、関係があるかどうか、判断するのは調査する側であり、条文上も限定がありません。
総理が必要と認める場合には、公安調査庁や自衛隊情報保全隊、内閣情報調査室などから情報提供を受けることも、条文上排除されていません。
既に、自衛隊のイラク派兵に反対する市民の活動が情報保全隊により監視され、公にしていない個人情報まで収集されていました。権力による市民監視と情報収集は、プライバシー権にあまりに無頓着なまま行われ、デジタル化で一層の深刻化が懸念されます。この下で、本法案は総理の一存により、さらなる情報収集と一元的な管理を可能とするものであり、第三者によるチェックや歯止めの仕組みはありません。
政府は、役所や事業者、地域住民から情報提供を受ける窓口を作るといい、密告まで推奨するつもりです。あらゆる手段が総動員されようとしています。利用規制の対象となる注視区域、売買等の届け出義務が罰則付きで科される特別注視区域、いずれも無限に広がり得ます。自衛隊や米軍の基地のほか、生活関連施設として、原発や軍民共用空港を政令で指定するといいます。しかし、条文上の限定はなんらありません。
生活関連施設は、国民保護法施行令に定めるように、発電所や水道施設、1日10万人以上が利用する駅、放送局や港湾、空港、河川管理施設など幅広く指定され得ます。沖縄では戦後、米軍が銃剣とブルドーザーで強制的な土地収用を繰り返し、住民が追い出され、基地があるがゆえの被害が今日もなお続いています。普天間基地を擁する宜野湾市は、市民の9割、9万人が1キロ圏内に居住します。沖縄は、国境離島としてその全島が注視区域とされかねません。安全保障の名の下に、どこまで権利侵害を重ねるつもりなのですか。
勧告、命令、罰則の対象となる機能阻害行為とはなんなのか、法律に定めはありません。罪となるべき行為は法律に明示されなければならない、罪刑法定主義の原則に反しています。
大臣は、5年後の見直しで、機能阻害行為を理由にした強制接収、収用手続を含めた検討も否定しませんでした。戦後制定された土地収用法は、軍事や国防のための収用を認めていません。戦争の反省に立つものです。軍事的な安全保障のために、再び国民の主権を制限しようとすることは、憲法の平和主義に反するというべきです。
大臣は本法案の立法事実を、外国資本による不動産購入を契機とする不安、リスク、懸念と表現しました。しかし、これまで安全保障上の懸念が生じたケースは確認されていません。漠然とした不安を根拠もなく重視すれば、疑心暗鬼が広がります。
安全保障上の懸念を持ち出せば、なんでも通るといわんばかりに、基本的人権を脅かし、市民監視を強める法案を、時間がないなか提出しておきながら、参考人質疑や野党の指摘も無視して採決を強行するなど断じて許されません。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-06-17/2021061705_03_0.html
「野菜ジュースは砂糖の塊の割には対して栄養価がない」という理論が最近持て囃されている。
だがそこから発展して「そもそも野菜って別にそんなに体に良いわけでもないだろ」という答えにたどり着くものが少なすぎる。
・ビタミン
・ミネラル
・食物繊維
ビタミンとミネラルはビタミン剤やカロリーメイト程度といった簡単な栄養食品で摂取できるし、なにより何も考えずに野菜をとっても多くが流れていくので、漠然と野菜を食べるだけなら野菜ジュースを飲むのと大差ないレベルでしか取れていないと思っていい。
食物繊維は単なるウンコの原料であり、大量に摂取することで得られる効果はウンコの量が増えることだけである。
最低限の摂取においては海産物・穀類・麺類でも足りており、極端にスナック菓子に偏った食生活を送らなければ問題ないし、それこそ野菜ジュースでも十分なレベルである。
・砂糖
の1点だが、そもそも砂糖とは単なる炭水化物であり、つまるところはカロリーというだけでしかない。
カロリーの過剰摂取は問題となるが、それが問題となる原因は食べ過ぎでしかない。
「うるせー俺は医者に痩せろと言われているけどポテチが食いたいからジュースなんて飲んでる余裕はねーんだ」というのならば勝手にすればいいが、その場合憎むべき対象は野菜ジュースではなくて自分の代謝の低さと歪な食生活の積み重ねである。
多くの野菜ジュース否定論者が言ってるのはまさにこの「ポチチは食いたい。ダイエットはしたくない。だから俺はジュースを叩くことでなんか痩せる努力をしてる感だけは出していきたい」でしかない。
そしてそんな連中に限って「野菜」として「じゃがいも」や「コーン」といったカロリーの高い物を思い浮かべ、好んで摂取し「俺は健康に気を使っているのに痩せない!」と言いがちなのである。
デブの最大の欠点は、自分がデブである理由について科学的に考えたがらず、そのくせインストラクターの語る安易な悪者探しには飛びつくことにある。
結論から言えば「栄養食品を憎む前に、白米を食べたがるのをやめろ」である。
コーンフレークの食べ過ぎは健康に悪いが、白米を食べることに比べれば全然問題はない。
「野菜ジュースが~~」は米びつの中身を玄米に変えたものが口にすべき言葉だ。
デブの原因が自分の栄養学に対する杜撰さと、運動習慣のなさであることを認めたがらないだけのやつが、雑なインストラクターの適当な戯言に飛びつく姿はいつの時代も醜い
年収300万円台の30代。頭はよくない。
なんのために生きているんだろう。
仕事はもうやりたくない。人と関わりたくない。なにもできないから関わる人がみんな怒ってしまう。不幸になってしまう。
突然事故が起こって死なないかなって毎日思った。自分のせいではないから。気が楽になると思ってる。
自殺は怖い。死んだあとに自分の人生のどこかで関わった人によくない影響を与えるのではないかと思ってしまう。
もう限界が近いと思う。
なるほど。
私の場合、「自己愛性なんちゃら」な人でも面白いなくらいの感覚なのと、もっと漠然と多かれ少なかれな誰もが持ってるバイアスにハマってるくらいにとらえてるな。
出世の道が絶たれ、徹底的に、かつ象徴的に干されたこともあり、社内における俺のキャリアが、いや、20年積み上げてきた「俺そのもの」が死んだ。
金銭や承認欲求のためだけに、仕事をしてきたわけではないが、所属するコミュニティにおける評価・立場・仕事を失うということは想像以上に精神がえぐられるもので、アイデンティティーが無に帰するには十分なものだということを、深く知った。
残りの社会人生活25年、社内において自分が今後どう立ち振る舞っていくべきか。改めて、自分にとって仕事が何なのか、考えてみる。
1.作業に没頭して充実感を得るため
2.人とワイワイつながり快を得るため
3.日々成長し続け、自己実現を図るため
4.社会貢献を実現するため
※結果的に影響することはあるだろうが
これらは、仕事自体を、QOLを向上させるための手段として位置づける考え方だ。年収が多少上がったところで、QOLはさほど変わらないため、世間一般的な指標は無視する。
ここであることに気がついた。自分の場合、上記4項目のうち、何1つ実現できていないという残酷な事実に。要は、この二十年間、仕事の仕方をずっと間違えたまま生きてきたのだ。
ただ漠然と、ひたすら効率的に業務改善しつつ、作業を推進し社内や顧客から評価を得て、ひたすら目の前の仕事の成果を挙げ、出世して、年収を上げる、等といった働き方しかできなかった。無能な社畜である。
今、改めてこれを見てみてみても、僕はこれらに何の価値も見いだせない。
今後は、一つ一つの仕事について、上記4点の観点をどれだけ満たせているかをチェックすることにする。キャリアが死んだ今、社内政治ではなく楽しさに重点を置いて取り組むことが肝要なのだ。
ここまで書いておいてなんだが、当然、人生は仕事がすべてではない。他で人生の活路を見出すことも考えた。例えば趣味だ。
趣味に生きようと、誇りを被った楽器を出してきたが、全くやる気が起こらない。
要は、俺は何がしたいのか。仕事も遊びも、残りの人生で何がしたいのか。
これなのだ。これだけでいいのだ。最期はタンパク質の塊になるだけ。
40代妻子持ち。
現在、出社は週に1~2回。
在宅の日は、会社行かなくて済むのは楽だが、あっという間に一日が終わる。
出社していた時は、残業を2~3h程度だったが、在宅のときは1h程度。
夜7時になると晩御飯に呼ばれて、飯を食うとそのあとはやる気がしないので、テレビ見てフロ入って、寝る前はPCでだらだらとYouTubeみたり。
在宅だと、決まったメンバーとだけZoomしているので、効率はそれなりに良いが、他部署の人と話す機会もなくなり、新しい情報なども入らなくなった。
Slackでたまに、面白い情報やニュースの時には、ちょっとだけチャットが盛り上がるがその程度だ。
週末になったところで、特にすることもない。
妻とは、以前は仲良かったが、コロナになって、セックスレスになり、今は、会話も少なく冷えた関係が続いている。
1人であてもなくドライブをしたり、図書館で借りた本をカフェなどで本を読んだりしているうちに時間はすぎて、また一週間が終わる。
この前2021年になったと思ったらもう、気付けば、半年近くが過ぎようとしている。
最近は、ワクチン接種が進み、明るい兆しも出てきてはいるが、この後世の中がどうなっていくのか、自分の生活はどうなっていくのか、漠然とした不安を感じる。
おそらく、完全にコロナ前に戻ることもないだろう。
今まで仕事に打ち込んできた。
趣味に充てる時間があるなら、家族との時間を大事にしようとしてきた。
そこに後悔はしていないが、現時点で何も持っていないことは否定できない。
何か次の目標を見つけないと。
そろそろ結婚したいなと思って、相談に行ってみた。不安だったけど、変な勧誘もなくわかりやすい話をしてくれて勉強になった。
それは良いことなんだけど、妙にそれまで漠然としていたことへの解像度が上がって、自分が直面している現実が結構深刻であることも分かった。
年収が400くらいは無いと首都圏じゃなくとも婚活で闘うのは不利であることを教えてもらった。結構キビしい現実だと思った。
でも、確かに、養われる可能性が世間的に高い女性の方から見れば、稼ぎがいい男と結婚したいと思うのは至極当然だとは思う。
せめてあと40万、年収が高ければすぐにでも活動できるんだなぁと思うとすごく歯がゆかった。
地元の同級生(公務員とか医者)がFacebookで既婚ステータスになっているのを見るたびに、本当に心の底から辛くなる。
酷いときは本当にうつ病なんじゃないかってくらい、希死念慮が強くなって、いっそのことこのまま婚活賞味期限が切れて、子孫を残す価値も希望もない状態で
オタク趣味の既婚公務員 が存在していることも不思議でならなかったのだけど、昨日今日と考えて合点がいった。
マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるのと理屈が同じだったということだ。
同級生の公務員は、結婚した時非正規の役所アルバイト(ー)で、オタク趣味(ー)で異性と出逢った。ということを忘れていた。なるほどなぁと思った。
というのは他人の話だ。問題は自分だというのは分かっているのだけど、本当に薬指が光っている同年代の男を見ると、本当に頭の中でその人が
セックスしているシーンが浮かんで勝手に架空のAVが再生される。俺はたぶん年間100本くらいは頭のなかでAV作っていることになると思う。
この事実は文章にして自覚しておかないといけないと思い書いたけれど、婚活には全然関係がないんだろう。
問題は自分自身なんだけど、ほんとに独身の自分が惨めで仕方がない。男として負けている、劣っているんだろうなぁと思う。
まずちんこがよくてまんこがダメなのは男女の性行為における責任の違いが根底にあると思っています
女性は妊娠、中絶(中絶も身体の負担は大きい)、中絶の費用というリスクがありますが男性のリスクって正直ほぼないと言えるんですよ 言い方悪いけど最悪逃げられるので
(共通のリスクとして性病がありますが共通なのでスルーします)
そういう「気軽に出来るかどうか」という男女の違い、責任感の違いが下ネタにも表れているのかもしれません
男性の方が気軽に下ネタを言える人が多いのはまんこを気軽に扱える立場(になれる存在)だからであり、女性が気軽に下ネタ(特にまんこ)を言えない場合が多いのは女性にとっての性器はデリケートな問題が付き纏うからだと思います
なによりも男女問わずそういう違いを漠然と理解している人が多いからこそまんこを気軽に扱ってはいけないと思っている人が多いのではないでしょうか
私としては、ちんことまんこは本来同列に扱うものだという点に関しては同意します
しかし我々人間には「社会性」があるので配慮すべき場面が必ず出てきます
上記のように男女の責任の違い、その意識からちんこはよくてもまんこは言いづらいという女性もいると思います
そこで「なんでちんこは言えるのにまんこは言えないの?」と言うと暗にまんこも言えという要求に聞こえます それではただのセクハラです
用は時と場合、相手との関係を考えた上で言いたい人は言えばいいし言いたくない人は言わなくていい、言いたくない人に言うことを強要しない
これが全てだと思います
世界に冠たる百万都市「世界の半分」隴西のバカでか李徴は全知全能博学才穎、天宝のウルトラ末年(残り二秒)、若くしてガチで嫌がらせレベルで長過ぎる名を虎榜に書ききれんほど連ねまくり、ついで限界集落江南尉に九十九か年補せられたが、性、バチクソ狷介、自ら恃むところバカかってくらい頗る厚く長城の如し、薄汚いクソ薄給賤吏に甘んずるを毛ほども潔しとしなかった。いくばくもなくちょっぱやで官を退いた後は、故山、超巨大山脈虢略に帰臥し、全世界の人民と国交を恒久的に断絶しまくって、狂ってんのかってほどひたすら寝ずに詩作に耽った。掃いて捨てるような下の下の下吏となって未来永劫長くクソデカい膝を低劣極まる俗悪なゴミ大官の前に屈するよりは、メッチャ偉すぎる詩家としての名を死後百億年に遺そうとしたのである。しかし、文名はびっくりしちゃうくらい容易に揚らず、巨人生活は日を逐うて苦しいとかいうレベルじゃなくなる。ギガンティック李徴は永遠にも思える時を経て漸くヤバすぎる焦躁に駆られて来て号泣しちゃった。この頃からその容貌もエグいほど峭刻となり、全身の肉が削げ落ち垂木の如き骨が秀で、刺さるほど鋭い眼光のみ徒に炯々と発光して、曾てありえんムズい進士に息をするように登第し続けた頃の豊頬のゲロマブ美少年の俤は、何処に求めようもない。数千年の後、エクストリーム貧窮に堪えず、妻子百万の大規模衣食のために遂に節を屈しまくって、再び極東へ赴き、一地方官吏の最要職を奉ずることになった。一方、これは、矮小なる己のクッソしょっぱい詩業に半ばと言わず完全に絶望し尽くしたためでもある。曾ての巨大過ぎる同輩勢数千は既に遥か最高位に進み、彼が天地開闢の昔、マジでクソの役にも立たんウスノロの鈍物として歯牙にもかけなかったそのノータリン連中の知能の足りん下命を拝さねばならぬことが、往年のちょー頭いい儁才バカデカ李徴のクソデカ自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くなく猿でも分かるわい。彼は怏々として微塵も楽しまず、マジでデカ過ぎる狂悖の性は愈々軽く引くくらい抑え難くなった。一光年の旅の後、公用で永遠の旅に出、悠久の大河汝水のほとりに生涯宿った時、遂にアホほど発狂した。或る夜半、急に顔色を七色に変えてデカすぎて宿に収まらない寝床から亜音速で起上ると、何か訳の分らぬことを親の仇のようにけたたましく叫びつつ取りも直さずそのまま真下にとび下りて、頻闇の真っただ中へ十万馬力のマッハで駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近一ミリ四方の果てしない山野を飽きもせず捜索しても、笑っちゃうほどマジで何の手掛りもない。その後ジャイアント李徴がどうなったかを悉く知る者は、ガチで訳わからんくらい誰もなかった。
翌年、四海に驍名馳せたる監察御史、世界の首都陳郡のでかでか袁傪という覇者、メチャクソ大切な勅命を奉じてクソ田舎の僻地も僻地嶺南に使し、途に世界の果ての果て商於の地に終生宿った。次の朝未だクソ暗い一切の光を失った世界の中に太陽よりも速く出発しようとしたところ、クソ野郎の駅吏が言うことに、これから四万キロ先の道に獰猛極まる悪夢の如き人喰虎が出血大サービスかってほど出まくる故、ザコの旅人連中は白昼でなければ、通れたもんじゃない。今はまだ朝が早いってか明けてないから、今少し数世紀ほど待たれたが宜しいでしょうと。うかうか袁傪は、しかし、一騎当千の豪傑集いし供廻りの冗談めいて多勢なのを心の底から恃み、痴れ者の駅吏のクソの役にも立たない言葉を徹頭徹尾無下に斥けて、一目散に出発した。デカいにも程がある残月の太陽とか霞むレベルの特大光量をたよりに林中の土地が余ってんのかってくらいだだっ広い草地を超特急で通って行った時、果して一万匹の超弩級猛虎が森林のごとき叢の中から躍り出まくった。メガトン虎は、あわやギガトン袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち巨身を現実ではあり得ないほど飜しまくって、元のバカでかい叢へ完璧に隠れた。並の大きさでない叢の中から巨大人間の割れ鐘のような声で「ガチであぶないってか九分九厘死ぬところだった」と延々と繰返し爆音で呟くのが嫌というほど聞えまくった。その大声に超袁傪はメチャクチャ聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟にガチのノータイムで思いあたって、夜だってのに辺りを憚らずバカかってくらいの轟音で叫んだ。「そのマジでっけー声は、我が友、バカでか李徴子ではないか??????????」タイタニック袁傪はギガンティック李徴と同年に人智を超えた最難関進士の第にひっきりなしに登り倒し、友人の少ないとかいうレベルじゃなかった天涯孤独の李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な聖人袁傪の性格が、峻峭な性悪李徴の人間のクズみたいな性情と衝突しなかったために決まっているであろう。
世を蓋うクソデカ叢の中からは、暫く数千年やかましい返辞が無かった。しのび泣きかと思われる蚊が泣いてんのかってくらいマジで微かな小声が時々頻繁に洩れまくるばかりである。やや数世紀あって、あり得ないくらい重低音の喧しい声が超早口で答えた。「如何にも自分は栄えある国のまほろば麗しの帝都隴西の世界最強の神に選ばれし偉大なる魂(中略)アルティメット超☆巨大ギガンティックバカでか李徴DXである」と。
雲を衝く巨人袁傪は恐怖を一切合切忘れ去り、山をも跨ぐバカデカい沛艾の駿馬から下りるってか落っこちてバカ盛叢に死ぬほど近づき、クッソ懐かしげに永劫にも等しい久闊を叙しまくった。そして、何故ギガント叢から出て来ないのかと怒られるまで問うた。デカ過ぎて叢から殆どハミ出てる李徴のクソほどデカい大声が答えて言う。自分は今や全くもって汚らしい最凶の異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましいにも程がある醜姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を至る所に現せば、必ず君に想像を絶する畏怖嫌厭の情をハチャメチャに起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも故人に遇うことを得て、顔から火が出るくらい忸怩極まる愧赧の念をも彼方に忘れ去る程にマジでクッソ懐かしい。どうか、ほんの暫くと言わず須臾の間でいいから、我が醜悪な今のマジで見るに耐えない外形を厭わず、曾て君の友バカでか李徴であったこのハチャメチャにどでかい自分と止めどなく話を交してくれないだろうか。
後で考えればクソ不思議だったが、その時、バカにしてんのかってくらいデカい袁傪は、この超自然の怪異を、実にバカかってくらい素直に受容れて、少しもバカにしてんのかなどと怪もうとしなかった。彼は多過ぎる部下に命じて絶え間ない長蛇の大行列の進行を無期限に停め、自分は巨大叢の傍らに立って、見えざる巨声ととこしえに対談した。どでか都のとんでもねぇ噂、超巨大旧友の天下に轟く消息、ギガトン袁傪が現在の地位、それに対するテラトン李徴の祝辞。太古代の青年時代にバチクソ親しかった者同志の、あの隔てのない早口にも程がある語調で、それ等が縷々綿々と無限に語られた後、ジャンボ袁傪は、李徴デラックスがどうして今のクソしょうもない身となるに至ったかを限界まで訊ね続けた。べらぼうに喧しい草中の声は滔々たる懸河の弁で次のように語った(ごく一部を抜萃)。
今から一兆年程前、自分が旅に出て黄河と長江を束ねても足りんくらいデカい汝水のほとりに泊った長々し夜のこと、泥のように一睡してから、ふと巨眼を覚ますと、戸外でバカデカい誰かがクソ長い我が名を来る日も来る日も執念深く呼んで遂に言い切れないでいる。死ぬほどうるさい声に嫌嫌応じて2万キロ外へ出て見ると、鼓膜破れるくらいでけー声はびっくりするほどドス黒い常闇の中からメチャクチャ頻りに自分を招く。覚えず、自分はクッソうるせー声を追うて走り出した。無我夢中に韋駄天もかくやの猛ダッシュで駈けて行く中に、何時しか途は無辺際の山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は上下左右前後の手で広大過ぎる大地を鷲攫みに攫んで神速で走っていた。何か身体中によく分からんがスッゲー力が充ち満ちたような感じで、息をするように軽々と地球レベルにデカい岩石を一足跳びに越えて行った。気が付くと、ガチでけぇ手先やマジでけぇ肱のあたりに三千丈の毛を生じているらしい。少しびっくりしちゃうくらい明るくなってから、千仞の谷川に臨んでデカ過ぎる姿を映してガン見すると、既にクッソ大きい虎となっていた。自分は初めバカデカい眼を信じなかった。次に、これはクソ長い夢に違いないと考えた。クソ長い夢の中で、これはクソ長い夢だぞと知っているようなクソ長い夢を、自分はそれまでに幾度と無く見たことがあったから。どうしてもクソ長い夢でないと悟らねばならなかった時、自分は極限まで茫然とした。そうして尋常ならざる懼れによってマジで膝がガクついた。全く、どんな没義道極まりない兇悪な事でも必然的に起り得るのだと思うて、海より深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。マジ分らぬ。全く何事もアホかってくらい我々一万匹には判らぬ。理由も分らずに押付けられたクソデカいものをバカ正直に大人しく受取って、理由も分らず飽きもせでダラダラと永遠に生きて行くのが、我々どでか生きもののさだめだ。自分は直に万死を想うた。しかし、その時、睫毛にかかってるぞってくらい眼の前を一億匹の月かってくらいデカい兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のデカすぎ人間は忽ち姿を抹消した。再び自分の中のクソデカ人間が目を覚ました時、自分のカバと渾名された口は巨兎のきったない血に塗ったくられ、あたりには億兎のぶっとい剛毛が嘘だろってくらい散らばっていた。これが世界最強虎軍団としての最初の経験であった。それ以来今までにどんなゴミカスみたいな限界極まってる所行をし続けて来たか、それはマジで到底語るに忍びない。ただ、一万日の中に必ず数億時間は、巨体人間の心が超音速で還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、巨人語も容易く操れれば、複雑な巨大思考にも軽く堪え得るし、経書のクソ長い章句をとんでもない早口で一生やってろってくらい誦んずることも朝飯前に出来る。その巨大人間の心で、ガチで巨大過ぎる虎としての己の世界一残虐な行いのあとを見、己の運命を二度見三度見と言わず幾度と無くふりかえる時が、宇宙で最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、デカブツ人間にかえる数万分の一時間も、日を経るに従って次第にハイパー駆け足で短くなって行く。今までは、どうしてスーパーウル虎などになったかと怪しんでいたのに、この間マジで何の前触れもなく唐突にひょいと気が付いて見たら、己はどうして有史以前、巨人間だったのかと考えていた。これはおしっこチビるレベルで恐しいことだ。今少し数ミリ秒経てば、己の中の超巨大人間のバカデカ心は、巨獣としての残忍非道極まりない習慣の中にすっかり埋もれてガチで跡形もなく消えて了うだろう。ちょうど、クソほど古い天を摩する大厦高楼のクソデカ宮殿の今にもボロボロに朽ち果てそうな礎が次第に指数関数的に増大する濁流のごとき土砂にマジの一瞬であっけなく埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の引くくらいつまらん過去を鳥頭みたいに一瞬で忘れ果て、一千万匹のウル虎スーパーデラックスとしてイナゴかってレベルで気狂いみたいに飛び廻り、今日のようにクソ長い途でアホみたいにデカい君と出会っても頑なに故人と認めることなく、君を一センチ角程度にメッタメタのギッタギタに裂き喰くろうて嘘だよなってほど何の悔も感じないだろう。一体、バカデカ獣でもクソデカ人間でも、もとは何か他の似ても似つかないグッチャグチャのゲテものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、原始の初めから今の形のものだったとバカ正直に思い込んでいるのではないか??????????いや、そんな事はマジで心底どうでもいい。己の中のクソデカ人間の心がマジですっかり跡形も無く完全に消え去って了えば、きっと恐らく九割九分絶対に、その方が、己は天上天下に比類なきしあわせ者になれるだろう。だのに、己の中の超ビッグ人間は、その事を、マジでこの上なく恐しく感じて毎晩ガチ泣きしているのだ。ああ、全く、どんなに、小便垂らすほど恐しく、腸の千切れるほど哀しく、満都の同情を誘うほど切なく思っているだろう!己がチョモランマ人間だった有史以来の世界の記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。ガチで誰にも分らない。己と寸分の狂いも無く同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり百パーセント人間でなくなって人生終了しちゃう前に、一つと言わず頼んで置きたいことが山ほどあり過ぎる。
袁傪はじめ無量無辺の一行は、毎秒息をゴキュゴキュのんで、叢中のけたたましい声の語る不思議に一生聞入って生涯を閉じていた。耳がイカれるような大声は矢継ぎ早に続けて言う。
他でもない。自分は元来メッチャ詩が凄い超カッケー詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、このクソおもんない運命に立至った。曾て作るところの詩数百万篇、固より宇宙の最初から、まだ世に行われておらぬ。山脈並みにうず高い遺稿の所在も最早世界中の誰にも判らなくなっていよう。ところで、その中、悠久の時を経て今も尚記誦せるものが数十億ある。これを我が為だけに末代まで伝録して戴きたいにも程があるのだ。何も、これに仍って一人前のクソデカ詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、全世界あらん限りの産を破り再起不能レベルまで徹底的に心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりと言わず何もかも後代に幾久しく洗いざらい伝えないでは、ガチで死んでも死に切れないのだ。
無数の袁傪は大多数の部下に口酸っぱく命じ、ギャグ漫画かってくらい巨大な筆を千人がかりで執って叢中の調子外れもいいところの放歌高吟のダミ声に奴隷のように随って書きとらせた。李徴の耳をつんざく声は叢の中から朗々と天の果てまで響いた。長短凡そ三十兆篇、格調メチャクチャ鼻につくレベルで高雅、意趣マジで天下無双かってほど卓逸、一万読して作者の才の非凡をまざまざと嫌になるほど思わせるものばかりである。しかし、でか袁傪はひっくり返るほど感嘆しながらもクッソ漠然とテキトーに次のように感じていた。成程、クソ虎作者の素質が第一万流に隷属するものであることは疑っても仕方無いじゃない。しかし、このままでは、第一億流の作品となるのには、何処か(非常に微妙にも程があるマジで心底どうでもよろしい些末な一点に於いて)欠けまくるところがあるのではないか、と。
旧詩をゲロのように吐き終ったデカブツ李徴のかしましい怒声は、突然調子を変幻自在に変え、自らを嘲るが如くにがなり立てて言った。
羞ずかしいとかいうレベルじゃないことだが、今でも、こんなあさましい忌むべき身と成り果てた今この瞬間でも、己は、己のクソデカ詩全集が長安風流人士の当然長安よりデカい大机の上に所狭しと棟に充ちるほど置かれている見事な様を、夢に見ることがしょっちゅうあるのだ。うすら寒い便所みたいな岩窟の中に物言わぬ死体のように横たわって見る夢にだよ。腹が捩じ切れるまで嗤ってくれ。巨大詩人に成りそこなって巨大虎になったマジで哀れ過ぎる愚鈍な大男を。(巨漢袁傪は太古の昔の甚大青年李徴のクッソ寒い自嘲癖を昨日のことのようにありありと思出しながら、心底哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩にコンマ一秒で述べて見ようか。このアルティメット虎の中に、まだ、曾ての完全体李徴が飽きもせず生き永らえている動かぬしるしに。
態度もクソデカい袁傪は又下っ端もいいとこの下吏にこっぴどく命じてこれを百万遍書きとらせた。その長ったらしい詩に言う。
本当偶因超巨大狂疾成凶悪殊類
開闢当時糞喧声跡共摩天程相高
超越渾我為馬鹿異物糞汚蓬茅下
完全体君已乗糞大軺気勢糞程豪
此永遠夕大規模渓山対糞明怪月
生涯不成気遠程長嘯但成爆音嘷
(訓、本当に偶たま超巨大狂疾により凶悪殊類と成る、超特大災患は馬鹿に相仍りて絶対逃るべからず、今日現在の超長大爪牙一体誰か敢へて敵せん、開闢当時の糞喧しき声跡共に天を摩する程相高し、渾てに超越する我は馬鹿の異物と為る糞ほど汚らはしき蓬茅の下、完全体なる君は已に糞ほど大きなる軺に乗りて気勢は糞といふ程豪なり、此の永遠の夕べ大規模渓山にて糞ほど明らなる怪月に対して、生涯気も遠き程の長嘯を成さずして但爆音の嘷を成す)
時に、引くほどデカい残月、昼かってレベルの極光は死ぬほど冷やかに、白露は気色悪いほどウジャウジャと地に滋く、樹間を渡るシベリアかってくらいの冷風は既に暁の近きを重ね重ね告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、お通夜かってレベルで粛然として、このデカ過ぎる詩人のゴミ過ぎる薄倖を嘆じた。ウルトラ李徴の胴間声は再び喧しく続ける。
何故こんな罰ゲームみたいな運命になったか判らぬと、先刻は口うるさく言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。デカデカ人間であった時、己は努めて全人類との交を避けて避けて避けまくった。人々は己を三界に比類なきまでクソ倨傲だ、クソ尊大だといった。実は、それが殆どクソデカ羞恥心に近似できると言っても一切語弊のないものであることを、おつむの足りん人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才と耳にタコができるほど五月蝿くいわれた自分に、超クソデカ自尊心がこれっぽっちも無かったとは神に誓って云わない。しかし、それはウルトラ臆病なハイパー自尊心とでもいうべきものであった。己はハチャメチャに上手過ぎて全米を泣かす詩によって名を成そうと生まれた時から思いながら、進んでクソでかい師に就いたり、求めてバカでかい詩友と嫌がらせレベルの頻度で交って切磋琢磨に寸暇を惜しんで努めたりすることを決してしなかった。かといって、又、己は棒にも箸にもかからないクソ平凡な俗物の間に伍することも欠片も潔しとしなかった。共に、我がクソ臆病なバカでか自尊心と、バカ尊大なクソでか羞恥心との所為に他ならないのである。己のクソでけー珠に非ざることを心の底から惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己のバカでけー珠なるべきを半ばどころか完璧に盲信のレベルで信ずるが故に、マジで一生グズグズして碌々と瓦に伍することさえも出来ない愚か者の極みだった。己は次第に超特急で全世界と離れ、全人民と無限遠まで遠ざかり、ガチで腸の煮えくり返るような憤悶と慙恚とによって益々己の内なるクソほど臆病な自尊心を多頭飼いして豚かってほどふとらせる結果になった。人間は例外を許さず誰でもクソデカ猛獣使であり、そのバカデカ猛獣に当るのが、各人の性情で間違いないのだという。己の場合、このバカかってレベルでクソ尊大な羞恥心がウルトラ猛獣だった。ウル虎だったのだ。これが己を完全に不可逆的に損い、妻子を拷問かってくらい苦しめ、友人を完膚無きまでに傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、性根の腐りきった不心得のろくでなしの内心に全くお誂向きにふさわしいピッタリなものに変えて人生終了しちゃったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていたマジで僅か一ミリばかりのクソほどしょっぱいなけなしの才能を余りにも無駄に空費して人生終了しちゃった訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長過ぎてクソおもんないが、何事かを為すには余りに短過ぎてやってらんないなどと口先ばかりのとんでもなく薄っぺらいバカの警句を弄しながら、紛れもない事実は、才能の不足を世界全土の全人民に暴露するかも知れないとのクッソ卑怯極まりない危惧と、蛇蝎のごとく親の仇かってほど刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。無知蒙昧の脳足りんで己よりも遥かに乏しい搾りカスみたいな才能でありながら、それをバカの一つ覚えみたいに専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもその辺を歩いているのだ。デカい上に多過ぎる虎と成り果てた今この瞬間、己は幾星霜を経て漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を地獄の劫火に灼かれるような悔を感じまくる。己には最早めちゃデカ人間としての生活は逆立ちしても出来ない。たとえ、今、己が岩の如く巨大な頭の中心で、どんな宇宙一優れた詩百億選を作ったりしたところで、どういう手段で国際的に発表できよう。まして、己の頭は日毎にってか秒単位で虎に近づいて行く。ガチでどうすればいいのだ。己の益体もなく湯水のように空費された過去は?己はマジで辛抱堪まらなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の己かよってくらいデカい巖に上