2021-06-15

40過ぎて出世の道が絶たれ気力体力ないので死ぬ前に

俺は、死んだ。

 出世の道が絶たれ、徹底的に、かつ象徴的に干されたこともあり、社内における俺のキャリアが、いや、20年積み上げてきた「俺そのもの」が死んだ。

 金銭承認欲求のためだけに、仕事をしてきたわけではないが、所属するコミュニティにおける評価立場仕事を失うということは想像以上に精神がえぐられるもので、アイデンティティーが無に帰するには十分なものだということを、深く知った。

 残りの社会人生活25年、社内において自分が今後どう立ち振る舞っていくべきか。改めて、自分にとって仕事が何なのか、考えてみる。

 俺が仕事する目的は、主に以下の四点に集約される。

1.作業に没頭して充実感を得るため

2.人とワイワイつながり快を得るため

3.日々成長し続け、自己実現を図るため

4.社会貢献を実現するため

 これらは当然、評価収入に直結する類のパラメータではない。

 ※結果的に影響することはあるだろうが

 これらは、仕事自体を、QOLを向上させるための手段として位置づける考え方だ。年収が多少上がったところで、QOLはさほど変わらないため、世間一般的指標無視する。

一体、今まで何をしてきたのだろうか?


 ここであることに気がついた。自分場合上記4項目のうち、何1つ実現できていないという残酷事実に。要は、この二十年間、仕事の仕方をずっと間違えたまま生きてきたのだ。

 ただ漠然と、ひたすら効率的業務改善しつつ、作業を推進し社内や顧客から評価を得て、ひたすら目の前の仕事の成果を挙げ、出世して、年収を上げる、等といった働き方しかできなかった。無能社畜である

 今、改めてこれを見てみてみても、僕はこれらに何の価値も見いだせない。

 今後は、一つ一つの仕事について、上記4点の観点をどれだけ満たせているかをチェックすることにする。キャリアが死んだ今、社内政治ではなく楽しさに重点を置いて取り組むことが肝要なのだ

 ここまで書いておいてなんだが、当然、人生仕事がすべてではない。他で人生の活路を見出すことも考えた。例えば趣味だ。

 趣味に生きようと、誇りを被った楽器を出してきたが、全くやる気が起こらない。

 要は、俺は何がしたいのか。仕事も遊びも、残りの人生で何がしたいのか。

 「うぇぇえ!楽しいなあ」

 これなのだ。これだけでいいのだ。最期タンパク質の塊になるだけ。

 楽しかった(無論、刹那的意味でなく)記憶、それだけが最期に残るのだ。

 だから俺は残りの人生、この「うぇぇえ!楽しいなあ」だけを、ひたすら追い求めていく。

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