出世の道が絶たれ、徹底的に、かつ象徴的に干されたこともあり、社内における俺のキャリアが、いや、20年積み上げてきた「俺そのもの」が死んだ。
金銭や承認欲求のためだけに、仕事をしてきたわけではないが、所属するコミュニティにおける評価・立場・仕事を失うということは想像以上に精神がえぐられるもので、アイデンティティーが無に帰するには十分なものだということを、深く知った。
残りの社会人生活25年、社内において自分が今後どう立ち振る舞っていくべきか。改めて、自分にとって仕事が何なのか、考えてみる。
1.作業に没頭して充実感を得るため
2.人とワイワイつながり快を得るため
3.日々成長し続け、自己実現を図るため
4.社会貢献を実現するため
※結果的に影響することはあるだろうが
これらは、仕事自体を、QOLを向上させるための手段として位置づける考え方だ。年収が多少上がったところで、QOLはさほど変わらないため、世間一般的な指標は無視する。
ここであることに気がついた。自分の場合、上記4項目のうち、何1つ実現できていないという残酷な事実に。要は、この二十年間、仕事の仕方をずっと間違えたまま生きてきたのだ。
ただ漠然と、ひたすら効率的に業務改善しつつ、作業を推進し社内や顧客から評価を得て、ひたすら目の前の仕事の成果を挙げ、出世して、年収を上げる、等といった働き方しかできなかった。無能な社畜である。
今、改めてこれを見てみてみても、僕はこれらに何の価値も見いだせない。
今後は、一つ一つの仕事について、上記4点の観点をどれだけ満たせているかをチェックすることにする。キャリアが死んだ今、社内政治ではなく楽しさに重点を置いて取り組むことが肝要なのだ。
ここまで書いておいてなんだが、当然、人生は仕事がすべてではない。他で人生の活路を見出すことも考えた。例えば趣味だ。
趣味に生きようと、誇りを被った楽器を出してきたが、全くやる気が起こらない。
要は、俺は何がしたいのか。仕事も遊びも、残りの人生で何がしたいのか。
これなのだ。これだけでいいのだ。最期はタンパク質の塊になるだけ。
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