はてなキーワード: 在日2世とは
飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。
Aは温厚かつやさしい(悪く言えば途上国特有のおおらかさ、無頓着、放任)な人柄、2世ゆえ日本語が若干不自由(シンプルかつ直球ゆえ逆に分かりやすい場合もある)
Bは典型的日本人、(建前上は安全第一でも)安全より効率、せっかちで新人の不慣れな作業についつい手が出てしまいワッっと言葉のシャワーを浴びさせて自分の持ち場に帰ってしまうタイプ
Aはどんなに忙しくても聞くと教えてくれるので些細な事でも聞きやすい、BはBが気に食わないと手と口が出てしまうので聞きづらいし結果言われるまで待つことになる、メモを取る時もAはゆっくり小分けに話しメモを取る余裕を持たせてくれる、Bは自分の能率しか考えていないのでメモは継ぎ接ぎだらけになる
おっさん「見た目褒めてもセクハラなのかよ!もう何もしゃべれないじゃん!」
そもそも見た目、特に変えられない部分について喋ること自体がセクハラなんですよ。人が自分で変えられない部分なんか、指摘されてもどうしようもないし、けなされても褒められてもそういうの指摘される時点で『あ、昭和』的な事感じるだけなんですよ。僕なんか「目でっかい!」とかいろいろ言われて来ましたが出目金みたいな目がコンプレックスだったんですよ。自分じゃ変えられないところを人に指摘されてもなんかどうしようもないんですよ。黒人が「肌黒!」って言われたら嫌でしょうし、鼻でっけぇ人が「鼻でか!」って言われるのも嫌でしょうし、白人が「すごい白人!かわいい!」と言われても嫌なんですよ。あなたが褒めてるつもりでも、もうそういう「人が自分で変えられないものを評価対象にする」ということが不条理で差別的なんですよ。「在日2世!」だとか「地黒だよね!」だとか「目がでかい!」だとか「ハゲ!」だとか、なんか面白いですか?そんなこと指摘して面白い?身内ならまだ分かるけどなんで他人にわざわざ容姿の指摘しちゃうの?言うほど面白い話題か?髪型変えたかどうかならまだ自分でどうにかできうる場所だからまだギリいいとして、例えば「色白だね!」って言う人がいたとするとさその時点でそういうこと言う人の中では「色白=良い」つまり「色黒=よくない」っていう人間的に差別的で残念な思考が見えてしまうんだよね。分かりますか?変えられない部分を褒めるってことは、逆の性質を持ってる人のことを無条件で不条理に馬鹿にするような性質も同時に持っている人だってことを自己紹介してるんですよ。その感覚僕と共有しませんか?人の変えられない部分を指摘して面白いですか? うんち💩
帰化したのに、何故か民族の誇りと称して反日行為に勤しむ国会議員や在日2世・3世が居るが、こんなのは放置してはいけない。最早五族共和を目指した戦前ではなく、大戦により各国が独立の契機としたのは、民族自決、日本で言うならば日本民族であって、韓国朝鮮人・中国人は含まない。移民国家米国と異なり、日本の地で生まれてもそれは変わらない。嫌なら自分の民族国家へ帰るのが、民族自決主義の本旨。ヘイトではない。米国ではグリーンカードを貰う時に聖書に手を置いて米国に忠誠を宣誓する。日本国籍を付与する時はどうか。指紋押捺を免除するのは言語道断、再開すべきだし、大使を帰任させている戦争状態一歩手前の韓国や国交のない北朝鮮に遠慮することはない。入国にはビザを必要とし、入国拒否乱発でも可。沖縄の基地反対は中韓人ばかりというようなことを招かない様、断固として本国送還すべし。
https://monitor.gov-online.go.jp/report/kokusei201604201703/detail.php?id=1377351
多分、日本人が思ってるより在日韓国人って本国韓国人に歓迎されてないんだろうな。
兵役も回避してるし日本の社会保障に乗っかっていい思いしてるし、住民税みたいなものももちろん韓国に納めてる訳じゃないんだろうし。
もし万が一、日本が在日韓国人排斥ヘイト上等みたいな風になったら、本気でどこにも居られないんだろう。
在日が在日として生きているのは本人たちにとってはやむを得ない生存戦略なのかな。
かといって同情もしないし、日本の参政権もあげないし、在日韓国人としての生き方もいつまでも認めたくないが。
ちなみに知り合いの在日2世の韓国人のおじさんは印象として韓国人っていうよりもアメリカ人的なメンタリティの人だった。
明るくてはっきりと自己主張することに尻込みしない感じが韓国人っぽくもありアメリカ人ぽくもあった。ハーレー乗ってたし。
おじさん、自分は自分が本国の韓国人と同一の存在とは思ってない、かといって日本人でもない、どちらにもなれないって言ってたな。