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はてなキーワード: 反核とは

2017-11-14

高校生大使スピーチバンした核保有国

どの国かなんて黒塗りで情報量ゼロだと思うんだけど、

内容的にこの件で吹き上がっている連中の属性から

アメリカに違いないってことになっていて笑う

中国だと思っている人はほとんどいない

反核やってるのはまぁそういう連中だよな

2017-04-12

教育勅語ウヨクキラーコンテンツ

イデオロギー世間に広めたいならキラーコンテンツ必要

誰しもが「良いこと言ってる」と思ってくれるモノ、ね。

サヨクで言えば「平和」「反核」になる。

労働組合本来するべき賃上げを後回しにして「平和」「反核運動に力を入れてて笑うが。

森友問題クローズアップされた教育勅語ウヨクの人は御執心。

あれがウヨクキラーコンテンツになってるなろう。

中には誰しもが頷く内容も入ってからキラーコンテンツとしては申し分ない。

今後もキラーコンテンツとして使われるのだろう。もう一度国会決議やる必要があるかもね。

2017-01-10

フジロック2016の「政治を持ち込むな」批判再考(個人的感想)

時間もたって落ち着いた感もあるので。

フジロックで昨年、シールズトークショーに参加したことで批判を浴びた。

主に「フェス政治を持ち込むのはおかしい」

という批判だった。

その際にメディアで盛んに主張されたのが


音楽政治を持ち込むな」という主張はおかしい。

音楽が如何に政治と関わってきたのか?

という文脈無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である


と言う主張だ。

ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。


私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。

というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。

結論を出す前に少し基本的情報提示しておこう。


イベント団体アトミック・カフェ」が行うトークイベント

トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制沖縄憲法原発


ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである


アトミック・カフェフェスティバル(ACF)は、映画アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本1984年に開始した。


音楽を通じて反核脱原発を訴えていく」がテーマイベントで、1980年代には加藤登紀子浜田省吾宇崎竜童尾崎豊、ザ・ブルーハーツルースターズエコーズBOØWYらが出演していた。1984年日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代最後の開催は1987年であった。


2011年フジロックフェスティバルアトミック・カフェフェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所バイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージNGOヴィレッジの2か所。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7#.E3.82.A2.E3.83.88.E3.83.9F.E3.83.83.E3.82.AF.E3.83.BB.E3.82.AB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.BB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.82.B9.E3.83.86.E3.82.A3.E3.83.90.E3.83.AB

ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロック政治と密接に関わってきたからでもある。

ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。

※というか俺もそれほど詳しくないし。

ロックの曲自体反体制メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか

まぁそういう感じだ。


ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。


①そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?

安保沖縄反核脱原発というトークショーテーマ妥当


そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。

詳しく調べればまぁ、まず政治的メッセージの込められた歌はあるだろう。

しかしながら反核脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージ全然ない。

2016年フジロック反核脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である

まり現在ロック界の表現している内容とトークショーの内容があまり乖離しすぎではないのかということだ。

アジカン後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。

あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブMC政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。

普段から政治的発言あんましないんかい!wwwww

正直この発言を見てずっこけた。

そりゃ客も面食らうわ。

なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。

特に若い客なら当然そう思うだろう。

10台の客捕まえて、「俺達は政治的発言しないけど、過去の人はしてきたかロック反体制

とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。

今のロック雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。

そしてもう一点気になったのが以下である


安保法制沖縄反核脱原発というテーマ妥当

正直、安保沖縄反核脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?

と思うわけだ。

アニメが昨年大騒ぎだったのでアニメで語るけど

この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人生活について語る

とかならまぁわかる。

シン・ゴジラ君の名はポスト3・11について語る。

というのもまぁわかる。

そんなに好きじゃないけど。

でもフジロックでアトミックカフェ、というのはなんか

シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。

いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍虐殺したけどねって感じだ。

どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。

フジロックがそういうイベントから

と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評レベルが50年前走ってねぇかと思うわけである


と言うわけで反体制であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的お話をして

また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。

正直時間も立ちすぎてロックのもの反体制であるというのは無理が出てきている。

いまやじじいですらロックファンは山ほどいるのではないか

そんな状況ではロック存在のもの反体制とは安易には主張できない。

きちんと若い世代に伝える努力必要だと思う。

アトミックカフェをある種のイコンとか伝統としてフジロックに併設したいのは人間的心情としてわからんでもないが。

というわけでフジロックはなんかもうちょい具体的かつ現代的なトークショーもっと増やせ(ひどい

2016-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20161218221325

まー「日本を愛してるから反核原発反対!オスプレイは出て行け!」も「日本を愛してるから軍拡賛成!中韓には強硬姿勢を!在日二世三世も出て行け!」も同じ愛国者からね(笑

2016-11-20

「俺頭悪いからさ」という逃げ

飲み会とかでさ

例えばその人は別に嫌な感じの人じゃないんだよ全然

インテリぶる訳でも高飛車な訳でもない

雰囲気を壊さずやんわりと自分意見を言ったり、話の肥やしや助けになると思ってちょっと知識的な補足をしたりすると

とたんに必ず、

「頭いいね」というヤツが出てきて

声がデカめで割とモテる系の人間とかは「俺頭悪いからよくわかんないけど」っていう枕詞を付けてしゃべるようになる。

その瞬間

いい子ちゃん堅物優等生:その他の明るく楽しい性格いい人々っていう構図が出来上がる

その人が別にノリもいいしイッキとかもするしばか騒ぎもするし下ネタばんばん言うし空気普通に読める人だったとしても

ほんのちょっと知識的」な話題が出ると急に発言した人をやんわりと疎外するようなニュアンスを込めて発言するヤツがでてくるし、誰もそれを気に留めない

なんか変だ

別にいいんだよ馬鹿でも

そんなの関係ないんだわ

知ってようが知ってまいが

ただ

知らない事は悪ではないけど、知っていく事は善だ

と、俺は思う

あんまりにも、知識的な事を無意識に拒む人が多すぎる

そのくせ反核とか反戦とか言ってくるから痛々しくて何も言えなくなるんだよ

さっきまで「俺頭悪いから判んない」んじゃなかったのかよ

頭悪いヤツにそんなトピック勝たれるわきゃないんだよ

語る権利はあるけどさ

2016-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20160808005650

覚えてる範囲

ゴジラが変形したのを変態でなく進化だと呼ぶ。いや変態でしょ。「ゴジラ細胞分析した結果通常の細胞分裂突然変異を繰り返しており...」とかそういうSF的な説明があった上で科学者が「これは進化だ」と結論付けるとかだったら個人的には盛り上がったと思う。

はじめに「進化」という言葉を出したのは矢口だったはず。

首にタオルを巻いてる教授っぽい人は「突然変異」という言葉も使ってた気がする。

尾頭さんは「進化」だったかも。

普通ゴジラ通り道空間線量が変わってるなら「ゴジラ放射性物質をくっつけて歩いてる」が最初に来るべき仮説でしょ。なぜそれが出ないのか。

順番として、「ゴジラ動力源は何だろう?」という疑問が先にあって、もしかして核分裂? みたいになってからゴジラ通り道空間線量のデータが出てきたはず。

先に放射線量データがあってからの推測であれば、そういう仮説もありえたかも。


追記

・なんで誰も「核兵器ゴジラを殺した場合死ぬ人の数」と「ゴジラを倒せなかった場合死ぬ人の数」を天秤にかけないのか。唯一の核兵器使用容認の先輩的な人も国際政治的な理由で、登場人物価値観が判で押したように反核兵器使用なのが気持ち悪い。全編通じて誰も「どの選択肢が一番多くの命を救えるのか」という論点を持つ人間がいない。政治家なのに。

核兵器を使うと東京一帯が再生不可能になる、凍結作戦であれば被害は直近の3区だけで済む、という会話はしていた。

実際の熱核兵器威力は知らんけど。

シン・ゴジライマイチな点(ネタバレしかないと言っても良い文章

シン・ゴジラを見てきたのだけど、普通に面白かったのだけど、面白かったけどイマイチだと思う点が多かった。

なんとなく原因はわかってて、SF的な部分に気になる点が多かったのと、シン・ゴジラ長所自分にとって重要ポイントでなかったのが原因、要するに好み。これはカレーが好きとかラーメンが好きとかと同じような話なので、別に好きな人批判したり見下す意図はありません、この映画好きな人とは友だちになれると思う。

以下理由雑談勘違いもあるかもなのでなにかあれば指摘してもらえると嬉しい。

科学者科学者っぽくなさとか用語の使い方

出てくる科学者が知識としても思考としても科学者っぽくない。自分科学で飯を食ってるので余計に気になる。オデッセイレベルは無理としても...

ゴジラが変形したのを変態でなく進化だと呼ぶ。いや変態でしょ。「ゴジラ細胞分析した結果通常の細胞分裂突然変異を繰り返しており...」とかそういうSF的な説明があった上で科学者が「これは進化だ」と結論付けるとかだったら個人的には盛り上がったと思う。

普通ゴジラ通り道空間線量が変わってるなら「ゴジラ放射性物質をくっつけて歩いてる」が最初に来るべき仮説でしょ。なぜそれが出ないのか。

・ちょくちょく規制管轄らしい線量測定を「サーベイ」って表現してて、それも違和感定点観測サーベイとは呼ばない。多分モニタリングポスト空間線量。

・「0.4μSvという微量」とか言う会見とニューステロップ文脈からしてμSvはいわゆる空間線量を言っているのだと思うので、その場合単位はμSv/h、つまり、そこに1時間いた時にどれだけ被爆するか。μSvだけだとなんらかの時間での積算線量とかになる。この差は地味なようで「秒速〇〇発打てる機関銃」と「今日は〇〇発打った」くらい違う。少なくとも「自分のいる場所がどれだけ危険なのか知りたい人」にとってはとても大事な違い。

・「遺伝子情報人間の八倍だから最も進化した生き物」遺伝子情報多寡進化の度合いと比例しない。そもそも最も進化したって何?進化の回数(これも定義が難しいけど)なら虫とか世代交代の短い種の方が多いだろうし、頭が良いとかでないのは劇中から明らか、なら何を持って「最も」なんて言うのか、科学っぽくない表現

・一回目の上陸時、ゴジラは冷却のために海に戻った。なら、二回目に来た時にも「温めたら放熱できなくなって海に帰るんじゃねーの?」ってなんでならなかったのか。

確信がないのだけど、劇中でゴジラは体液の循環で体内の原子炉を冷却してるから、体液を凝固させれば動きを止められる。的な話をしてた気がするんだけど、これ、凝固させたら冷却不全になって次に来るのは過熱だと思うんだけど、なんで最後凍ったの?あまりに不整合なので、これについては自分が何かを勘違いしてるのかもしれないと思ってる。

・飛んでるものを撃ち落としただけで「フェイズドアレーレーダーと同じような機関が」って飛躍しすぎじゃないかな。撃ち落とすことが可能なだけなら超音波でも良いしめっちゃ耳が良いでもいいしちっちゃな目が実はあるとかでも良い。なんか測定したっって言ってたっけ?

半減期20日程度の新元素なら、1-2日もあれば半減期推定はできたはずで、ゴジラを倒してから判明するのは作劇上の都合なのが露骨ちょっとな...

・なんで凝固剤を口に入れたら飲んでくれるの?なんで飲んだら血液に混ざるの?口に入れても吐かれるかも、消化器官で分解されるかも、そもそも口から入れて体液に混ざるの?と疑問は尽きない。

・口に凝固剤を入れるシーンのゴジラの口が下を向いているのであれ流し込んでも重力で流れ落ちるだけでしょ。あの「かみ合わせの悪そうな口」の隙間から

最後凝固させてなんで冷えたのか、なんか-196℃液体窒素温度)って言ってたと思うんだけど、凝固剤とゴジラ血液の反応が吸熱反応だったのかもだけど、そんなところまで冷却させられる化学反応ないでしょ。多分(専門外なので確証はない)。冷温停止モチーフなら室温で良かった。

全体的に、実在地名を使ったり自衛隊とか会議とかについてはリアリティがあったり、専門用語がそのまま出たりとリアリティに寄せてるのにSF部分が整合性を投げてる感じなのが落ち着かない。あと、どう見ても福島第一原発事故意識している作りなのに放射線関連での用語放射線に関する知識の部分がグダグダなのが謎。個人的には現実には無いとしても、SFだし放射性物質を分解する生物とかそういうのは嫌いじゃないです。

2つか3つなら気にならないけど、ちょっと多い。感覚的にはひっきりなしで出てくる感じ。インターステラーとかグラビティとかオデッセイとかでもこういう違和感はあったけど、頻度が違う。

政治論的な部分

まりきじゃない、これはSF的な所よりもさらに好みの問題

閣僚11(?)人が死んだことで政府が変わるきっかけになる的な描写はなぁ...政権交代時はもちろん、自民党政権内ですら総理が変われば閣僚も入れ替わるけど本質的政府機能は変化しないのはご存じの通り。閣僚目標等を決めたりできるので影響は大きいけれど実運用官僚のしごとなので閣僚が変わっても組織は変わらない。臨時総理が若手に譲る的な意思を見せたのかもだけど、死んでない政治家達は生きてるわけだよね。

・省庁の縄張り意識悪玉論とかもちょっと出てきて安易だなぁと思った。じゃあお前、連携したくてもどこの誰に問い合わせたら良いのかもわからない状態連携できるか、ったら無理でしょ。突然連携しろと言われてできないのはしょうがないよ。

・なんで誰も「核兵器ゴジラを殺した場合死ぬ人の数」と「ゴジラを倒せなかった場合死ぬ人の数」を天秤にかけないのか。唯一の核兵器使用容認の先輩的な人も国際政治的な理由で、登場人物価値観が判で押したように反核兵器使用なのが気持ち悪い。全編通じて誰も「どの選択肢が一番多くの命を救えるのか」という論点を持つ人間がいない。政治家なのに。

ゴジラ演出

庵野さんのかっこ良いビーム演出とかがさほど好きではない。あまりにも旧作のゴジラ達に思い入れが強すぎて、斬新な演出庵野ゴジラが好きになれなかったというところもある。この点はギャレスゴジラのほうが好き。

斬新であるところは大多数の人にとってはむしろ良い点だったんだろう。

好きな点

主人公とか人間演出とか好きな点が多い。大統領になるとか総理大臣になるとかちょっとくすぐったいけど、いろいろな人が一生懸命なのは良い。

・散々言われているけど臨時じゃない総理大臣とかも含めて「無能キャラ」がいない。馬鹿勢力もいない。ゴジラがすごすぎるだけってところがかっこ良い。

総理閣僚と一緒に死んだシーンは、災害理不尽さみたいなものを感じて良いなって思った。でも最後まで見ると、あれはエピローグ後に「スクラップアンドビルド」って言わせるための作劇上必要な死だったのかなってなってちょっと残念。

ゴジラがかっこ良かった。言葉使いの所でツッコミはしたけど、ゴジラ進化し続けていて変形していく、というのも良いギミックだと思った。

次回作があったら見ると思う。

2016-07-31

シン・ゴジラ』のテーマ考察

本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品事件との比較から本作のテーマを考える。

※なお、細かい元ネタについては↓を参照。

■『シン・ゴジラ』の元ネタまとめ

http://anond.hatelabo.jp/20160731121447

1. 岡本喜八日本のいちばん長い日から考える

シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である

しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚政治家一丸となって事態対処するという姿勢は見られず、最終的な解決天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。

他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家官僚が現れたりはするものの、官僚政治家科学者(+ドイツ中国米軍)が”一丸となって”ゴジラ問題対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブメッセージがある。

2. 庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版から考える

シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。

しかし、両者はその後のストーリー展開が異なる。

エヴァヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命である自覚していくのだ。

しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。

そこで描かれるのは「みんなで協力して事態対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティック結論である

他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブ結論になっている。

3. 本多猪四郎ゴジラから考える

シン・ゴジラ』においては初代ゴジラリスペクトすることが明言され、ゴジラデザインストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。

ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器思想であるゴジラ水爆実験の影響で出現し、東京ゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。

他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題テーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。

しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。

まず、①原子力で動くゴジラ破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全クリーンエネルギー調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類福音をもたらすもの」とも言われる。

しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。

ここには、「核兵器使用には断固として反対するが、原子力活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。

4. 結論

以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器使用には断固として反対するが、原子力活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。

なんというか、大人結論である

5. その他気付いたが確証のないメモ妄想

◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎写真岡本喜八監督写真採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。

これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算オールファン批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。

ラスト血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発コンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。

ラストゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。

ヱヴァQとシン・ゴジラテーマは重なる部分あり。

(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。

(2) 危機対応するのが現実主義的な集団ゴジラ討滅のために核の使用も辞さな人類エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレである

すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団日本政府)に置くか、の違い。

◇牧吾郎反原発博士だったのではないか

妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。

国民生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。

その結果、①多数の東京都民疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。

(上の仮定が正しいとすれば)まさに牧吾郎の狙い通り(cf.広瀬隆東京原発を!』)になったことになる。

2016-07-30

シン・ゴジラ感想

まり映画は見ないし、映画批評なども出来るような人間ではないのですが、

大学で多少「核のイメージ」の歴史について勉強したことで、「ゴジラ」について関心を持ちました。

そんな折に、ちょうどシン・ゴジラが公開されると聞き、せっかくなので、見てみることにしました。

主に、核や戦争ゴジラについて意識ながら見ました。

特に印象的だったのは、最後のシーン。

ゴジラ血液凝固剤を流し込み、ゴジラを凍結させることに成功させました。

また、ゴジラ放出した放射能半減期は2~3年程度だったため、除染スムーズにいきそうだと希望が湧いてきたときのことです。

主人公矢口が語ったセリフは「我々はゴジラ共生するしかないんだ。」だったのです。

これは、ゴジラ第1作目(1954)の古生物学山根の「水爆実験が今後も行われるなら、またゴジラが現れるかもしれない。」というセリフ比較すべきでしょう。

1954年版のゴジラは、おそらく「反核」のメッセージが強いものだったと言えます。明らかに第五福竜丸事件被害にあったような、水爆実験などを批判しています

一方、今回の「シン・ゴジラ」を反核映画と捉えることは難しいでしょう。(少なくとも最後セリフからは。)

「核と共生せざるを得ない」ということがメッセージなわけですから

確かに、現実を考えると、核(ゴジラ)と我々の生活は切っても切り離せません。

ほとんど稼働していないとはいえ、原発は残っていますし、放射性廃棄物もたくさん残っている。

冷戦は終わって、おそらく核戦争危険はないといえども、今もアメリカなどは大量の核兵器を持っている。

反核」の想いを抱えている方々であっても、核が0になる世界を作り上げることは出来ないということはわかっていると思います

そのため、「反核」ではなく、「核と共生」というメッセージの方が現実味に即しているように思えました。

少なくとも、ここから1954Verとの差は読み取れます

2016-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20160714102559

もしかしてテーマっていうもの勘違いしてない? いや勘違いは言いすぎかもしれないけど、自分範囲を狭めすぎてない? ケチをつけたいんじゃなくて、もったいない映画は娯楽派の自分としては思います。なのでテーマ部分の内容について余計なおせっかいなどを書いてみる。

まず、映画に限らず、テーマっていうのは観客・読者が自身で見つけ出すもので、○○をテーマにした映画からそのテーマを楽しまなくちゃ理解しなくちゃダメ! て法はない。

そして物語作品は何もワンテーマ・ワンアイディア限定して作られてるわけじゃないのだから見出しうるテーマは多様に潜在している。だからもっと自由に好きなように観ればいいのでは?

初代ゴジラなんて設定からして明確に反戦反核テーマなんだけど、街を破壊し人々を殺戮するゴジラを観客が応援することは間違ってない。いや矛盾してるし間違ってるかもしれないけど、それでかまわないっしょ。

例えばゴーン・ガールを楽しんだ独身自分からすると、あれは結婚生活の話としてではなく性別すら関係なく「他人コントロールしたがる人」の邪悪さの話、人間に対する興味の話としてみてた。羊たちの沈黙冷たい熱帯魚みたいにある種のヒーローアイドル映画的な楽しみ方というか。もちろんこの見方強要するわけじゃないよ。

そもそも作品におけるテーマ至上主義は行き過ぎると、不謹慎不道徳作品をそれに理由批判することになる。ファイト・クラブテロリスト肯定の話で許せない!とかにいっちゃうわけ。そりゃテーマで善し悪しを決めるんだからそういう視点にもなりかねないよね。そうやってテーマを中心に考えると、結局はテーマの正誤を考えることになってしまう。ゴーン・ガール結婚生活の話だから面白くない、という考え方で、ネタバレまで検索しながら作品を探してるともしかして結局はそういうところに行き着いてしまうのではないかなあ、と。

もちろん内容が思い出せないとかつまらなかったのは好みの問題なので仕方ない。けどそこで(メインで扱われていると思われる)テーマが切実でないか意味がない作品、と考えを限定する方向に向かうのは結局は行き詰まりなんじゃないの、ということね。例えば増田的な見方で考えれば、他人人生まで消費し着飾った自分演出するゴーン・ガール主人公は究極の反消費社会反資本主義反面教師と捉える余地もあるのに、自分でそれをオミットしちゃっているのではとか、お節介ながら思ったりしました。(こんなこじつけはやろうと思えばいくらでもなんにでもできるのであまり意味はないかもしれないけど)

自分にとって切実なテーマを追い求めるのは重要なことだろうけど、それ以前に物語テーマを語る説教じゃなくて物語のものを楽しむものなんだから優先順位を変えた方が楽なんじゃないかと思う。

もう虚構物語に興味が持てなくなってるとかだったら仕方ないけど、ネタバレ検索して映画を探すくらいだからまだ物語自体を欲求してるんだろうから、どうせならたくさん楽しめた方がいいんじゃないかなあと思うわけです。そうじゃないなら、嫌味ではなく素直に実用的な情報を得る方がいいんじゃないかと思います

2015-02-09

志位委員長との対談メモ転載

2015-02-09

先日のエントリでも書いたとおり、1月共産党志位和夫委員長と対談しました。

記事はこちらに掲載されています → 前編 + 後編)

前回のエントリでは「共産党すごいね」と思えたポイントについて書きましたが、今日自分向けの備忘録として、対談の中で印象深かったコトをまとめておきます

1)共産党という名前を変えるかどうか、検討したことはないらしい

対談の中で、党名変更を検討したことはあるのかと質問したところ、答えは「ないですね」でした。

これはけっこう意外でした。ベルリンの壁ソビエト連邦崩壊して、「さすがにもう共産主義は終わりでしょ」って時期があったのに、党名変更について検討したことがないなんてびっくり。

あたしは(前回のエントリでも書いたように、主に)ブランド価値という観点から、党名維持は正しい判断だったと思ってるけど、そもそも議論もなかったという回答にはちょっと驚きました。

これって共産党の人にとっては「議論する必要さえ無いこと」だったのかな。ほんとに誰も「変えるべきでは?」と思わなかったの? 

2)大企業の無い社会を目指すわけではないらしい

共産党政策の多くは大企業に厳しいものなので、「もしかしてグーグルアップルみたいな大企業がない国が理想なんですか?」と聞いてみたら、そーじゃないとのことでした。

大企業存在自体問題ないけど、彼らは十分に儲けてるし、もっと負担を増やしても国際競争に負けるなんてことはない、と思ってると。

後半はともかく、共産党大企業存在自体を悪だと考えてるわけじゃないのね、というのは確認できてよかったです。

3)世代間格差存在しないと言い切られた

これもびっくりしました。プレイボーイ誌にも載ってるように、志位委員長は「私たち世代間で富が偏っているとは思っていないんです」と断言されたんだよね。

えー、そうなの!? あたしは「日本問題の元凶は(多くの場合世代間格差でしょ」って思ってるので、この点では全く意見が違います

志位さんは、「どの世代にも豊かな人と貧しい人がいる」と言われていて、それはその通りだと思います。でも、だからといって世代間格差存在しないとは言えません。

世代の中で貧富の差もあるし、かつ、世代間にも格差はあるよね。そしてどっちが深刻かというと、(私は)後者だと思ってます。なぜなら、同世代の中での格差経済力格差だけだから

経済的格差税制社会福祉などの再配分政策で解決できます。でもね、世代間格差経済格差だけじゃありません。雇用機会の格差であり、一票の価値格差投票率格差でもあるんだよね。

社員の定年を(65歳まで)延長しろとか、正社員解雇したければ「その前に新規採用ストップし、非正規雇用の人を解雇しせよ」とかい法律判例は、構造的に中高年を守り、若者雇用機会を奪ってる。

一票の格差においても、票の重さは地方都市部比較されることが多いけど、これを年代別に再集計すれば、高齢者の票の価値は、若い人の票の価値より、かなり重いはず。

ネットでの投票が認められないのだって政治家になろうとする候補者若い場合、圧倒的に不利だよね。スマホ投票ができるようになれば、若い人の投票率が大幅上昇して、この世代政治力もグッと高くなるのに、そもそも国会議員若い世代が少ないから誰も強力にプッシュしない。

というわけで、この点も意見は大きく違うかなと思いました。

4)低い方に合わせるのはどうかと思うけど、高い方に合わせる必要も無いでしょ

年金について志位さんは、「国民年金だと、月に 4万円しか支給を受けてない人もいる」と言われ、あたしは「教師の共働き世帯は、月に 40万円の年金をもらってる。

月 4万円しか年金がない人の支援必要な原資は、働いてる世代から徴収するんじゃなくて、多額の年金を貰ってる同世代高齢者から分けてもらうべきでは?」って聞いてみたところ、

志位さんの答えは「支給の水準を低い方に合わせるという考えはどうなのでしょうか」でした。

そりゃまーそーだけど、でもね、じゃあ、全員が「一人 20万円、夫婦で 40万円の年金をもらえる社会」を目指すわけ? それ、誰が原資を負担するの?? 

低い方に合わせなくてもいいけど、高い方に合わせるのも無理でしょ。お互いに歩み寄ればいーじゃん?? =つまり、月 40万円の世帯からちょっと出してもらえばいーじゃんと思いました。

5)「内部留保の取り崩し」は、極めてマーケティング的な意図から出た表現なのだ理解した

これが理解できたのが、今回の対談での一番の収穫だったかも。

対談内で志位さんは「内部留保の全額を取り崩せとは言っていない。1%から 2%の取り崩しでもかなりの賃上げができるはず」と言われてます

そんなちょっとでいいなら、内部留保の取り崩しとか言わずに「法人税を上げろ」と言えばいいじゃん。経済的効果は同じでしょ? と(私は)思ったのですが、これにたいする回答は、

大企業にはそれができるだけの体力がある、ということを言いたいんです」

というものでした。これには本当に感心しました。

まりね、別に内部留保でも法人税でも(実質的にはどっちでも)いいんですけど、「内部留保」っていう単語が、ものすごく「貯め込んでる」感じがする単語なわけです。

この単語を使った方が、「不当なお金を貯め込んでる大企業」というイメージ国民に伝わりやすから、そう言うのだと。

なるほどなーーーーー! 

これに関しては、私はずっと「なんでこんなワケのわかんないこと言うのかな」と思ってたのですが、そういう理由があったんですね。

それにしてもこういう言葉の選択が、前回も書いた「共産党ホント上手だよね」な点なんです。

★★★

記事になってない部分でも

志位委員長の後輩の東大生でも、最近企業就職せず起業する人も増えていますが、学生最初から労働者ではなく)経営者を目指す傾向をどう思われますか?」とか、

学生時代の学びではなく、大学授業料を払った対価として大学から得たもので、社会人になってから、一番役にたってる学びはなんですか?」など、いろいろ質問し、興味深い回答を頂きました。

そして、おそらく志位委員長を最もがっかりさせた私の質問は、「志位委員長はクラッシック音楽が一番の趣味とお聞きしてますが、それってちょっとブルジョア的じゃないですか?」という質問だったんじゃないかな。

委員長は「そんな心外な!」って感じの反応でしたが、「でもたしかコンサートチケットは高いですよね。もっと安ければ多くの人が行けるのに」ともおっしゃっていました。

で、ふと思いついたんですけど、共産党って貧しい家庭の子供たちを、毎年クラッシック音楽会ミュージカルに招待するとか、そういう活動をやればいいのに。

反核とか反原発とか反基地だけだと、「やたらデモが好きだよね、左翼って」って感じになりがちだけど、貧困家庭の子供達を音楽会に連れて行けば、「文化芸術にも造詣の深い共産党」ってイメージが打ち出せる。

せっかく無類のクラッシック好きの志位さんがトップに立ってるんだから、そういうこともやってみたら今後の党勢拡大に役立つのでは?

よく「経済格差教育格差につながる」と言われるけど、日本は国公立教育機関の質が非常に高いので、本気で勉強が好きな子が、経済的理由だけで進学できないって例は少ないと思うんだよね。

ところが文化芸術においては、勉強以上に家庭環境格差子供に影響を与えてしまう。だから共産党がそういう部分でなんらか「格差解消」に尽力したら、かなりかっこいい。

ということで、対談メモとしては以上。

最後志位委員長は、(お会いする前からそうじゃないかと思っていたけど、実際にお会いしてみると想像以上に)誠実で寛容で合理的で魅力的な方でした。こんな方と対談の機会を頂けるなんて、ほんとにブログ書いてて良かった! って感じです。

そんじゃーね

2014-08-24

ハリウッドゴジラについて

遅ればせながらゴジラを見てきた。作品感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦反核メッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間コントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。

以下が簡単な初代ゴジラストーリー

人類調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。

ゴジラ日本列島に襲来して壊滅的なダメージ

ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器若い科学者発明

しか博士はその兵器戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。

ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力研究対象にするべく生かすのか? 議論割れる。

結局、オキシジェンデストロイヤーゴジラ死亡。博士兵器悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。

ゴジラは60年前から反戦反核メッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学呪縛から逃れられない人類象徴的に描いている。「人類核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後セリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。

ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然神様といった人間にとってアンタッチャブル概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様世界人類想像したというキリスト教的な欧米世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界スタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。

その点、日本では不可侵存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類もののけ人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震台風が発生するとき容赦なく発生するのと同じこと。つまり本来自然神様人類の都合など考えない、極めて不条理存在であるわけだ。

もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球破壊」「寿司がまずかったら地球破壊」「ジャンケンに負けたら地球破壊」といったセリフオンパレードは、神様不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。

そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端社会派作品に堕してしまっている。

一つ興味深い点を挙げれば、人類ゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラ人類撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪宇宙人自然災害撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察自称して世界中西欧価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋である渡辺謙が発した「愚かな人間自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然子ども管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッドゴジラ反戦反核メッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカ外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。

2014-07-27

ゴジラ(2014)について(ネタバレ

今回の映画ゴジラが出てくる所は良かった。ゴジラが出てくる所「は」。

問題は彼が全部で15分くらいしか出てこない所だ。

まず最初

いきなり巨大生物化石?みたいなのが出てくる。これはまぁいい。「おおこいつがゴジラのご先祖か!」とか思う。

そこから生まれた何かでかいもの日本に向かってる描写がある。これもいい。

ここまで引いたら、当然その「でかいもの」はゴジラだと思う。

残念。違うのだ。

原発でのお涙頂戴もまぁパターンだ。これも許そう。

いきなり15年後に飛ぶ。そして、本当はあの日(原発でのお涙頂戴)何があったのか、が明かされる。

ゴジラに襲われたと思うだろ、普通

違うのだ。

代わりに出てくるのはでっかい虫。お前誰。

誰だお前。誰だこのエイリアンスターシップトゥルーパーズバグを掛け合わせて悪いとこ取りしたようなのは

虫はアメリカに向かう。どうやら日本に現れて捕獲されてたのはオスで、アメリカにメスが居るらしい。

そしてハワイで出てくるゴジラ。よっしゃ! 大破壊や!と思うも、なんとも消化不良に終わる。

ゴジラがあまり出てこないからだ。違いない。

専門家の芹沢博士意味ありげにあちこちで独白を入れるだけで基本的に何もしない。

「核を使うのはいけない」と言って米海軍提督ヒロシマの核爆発で止まった懐中時計を見せるが、提督はどっちにしろ核を使うので全く意味が無い。

ちなみに「大事にされている反核メッセージ」らしきものはここだけ。

そう、一番ナンセンスなのはゴジラや虫相手に核を使って倒す気なのだ

虫は原子力エネルギー源らしいし、ゴジラはもちろん(この映画での設定はどうあれ)「水爆大怪獣」だ。

核で倒せる訳が無い。そこをもう、こいつらは、台無しにしやがってしやがっておのれおのれ。

映画の設定でも体内に原子炉持ってるらしいですよ。

雌の虫の卵はラスベガス近郊の核関係の保存施設しまってあるらしいので、そこを確認しに一部隊派遣される。

大仰に一個一個部屋を確認していくも、何も起きないんだが、その虫の卵が入っていた所を開けると奥にでかい穴が開いてて、向こうにラスベガス破壊する虫が見える。

あほか。気づけよ。

お前ら脳みそ無いんか。

軍隊なのに、何かこう虫が襲ってきたとか、外から連絡無いんか。ほんまに虫がよすぎる。

んで虫やゴジラをおびき寄せる為に核弾頭で釣るんだが(ここらへんでもう楽しみはこの後にゴジラが出てくるであろう事だけ)

虫が襲ってきて「お前らに任せておけるかちんたらすんな」とばかりに持ってってくれる。サンフランシスコに。

虫が出すEMPパルス核爆弾が遠隔で起動できないらしく、主人公達が手動で起動する為に落下傘降下する。割りとどうでもいい。

サンフランシスコが虫に破壊される。これも主人公の奥さんとか子供主人公が連絡がつかなくなるくらいで本当にどうでもいい。

そう、シスコを灰燼に帰すのは虫なのだゴジラじゃない。ほんまにもうほんまにもう(略)

ここまで来てやっと、本当にやっと、ゴジラと虫が戦う。

この映画の見せ所はここだけなんで、存分に堪能して欲しい。その気がまだ残っていたら。

最後色々あって主人公家族と涙の再会。

ゴジラはまぁ定番通りひとしきり暴れたら満足して海に帰っていく。結局何もしなかった芹沢博士に見送られて。

総じてなんかこう、こんなに業界で絶賛されている理由がわからない映画だった。

2013-10-03

台湾における反核4・5・6運動



参加している人気俳優の一人に「仕事を干されることはないか」と聞くと、

それはないとの答え。

日本より民主的で自由な社会雰囲気を感じた。

日本と同様台湾では、政治家よりも多くの文化人がはっきり反核を表明しており、

国民投票を行うかどうかだけでなく、

2016年の次期大統領選の大きな争点になってきている。






菅直人オフィシャルブログ今日一言

http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11614275995.html

2012-07-28

関電前のデモにひとりで行ってきた。

http://anond.hatelabo.jp/20120717012523

東京では10万人規模のデモ最近頻繁に行われているらしい。

この間のクロ現でも首相官邸前の金曜日デモについてやってた。

大飯原発再稼働の時のデモUstreamで多少見てたが、ネットではやっぱりいまいちからない。

ただデモのためだけに東京行く気もない。


何が行われているのか、何が主張されているのか、どのような人が参加しているのか、どのように終わるのか。

この全国で行われている「再稼働反対」デモはいつまで続くのか。

わたし、気になりました。

東京、大飯前でやってるなら、原発動いてる関西でもやってるだろうと思ってTwitter検索

関西電力前で毎週金曜日にやってるようなので行ってみた。



デモははじめてだ。

学生運動もよく知らない。若い世代、に当てはまる。

ただフジテレビ抗議デモネットで見た。これはおかしいと感じていた。

それとは違うだろうと思って見に行った。


はじめ持った感想は、怖いだった。

何か、言い表せないが、何かが渦巻いているような感じがした。

脱原発の旗持ったおじさんが笑顔で歩いていた。


参加者はいろんな人がいた。中年のおじさん、おばさん、母親グループ若い父親。会社帰りのサラリーマンは少し離れて見ていた。

自分と同じ世代の人もいた。配信しているふうの人が何人かいた。


いろんな人のチラシや新聞を貰った。

オスプレイ配備反対、反核反原発We are the 99%平和活動系、労組系、共産党系、宗教・・・

「再稼働反対」とは便利な言葉だなと思った。人を集めてまとめる魔法言葉

今の反原発はいろんな団体が含まれている。


人が集まる場所は、2箇所にわかれていて、片方は「再稼働反対」と叫ぶところ、もう片方はスピーチアクションをするところだった。

「再稼働反対」というシュプレヒコールは耳につく。「再稼働反対(どんちゃんどんちゃん)」今でも頭に残っている。

ずっと聴き続けていたいとはあまり思わなかったので、できるだけ移動しながら見ていた。


ダイ・インという言葉と行動を初めて知った。

やっている人にとっては意味を持つのかもしれないけど、あの行為が何をもたらすかは自分にはあまり良くわからなかった。


がれき受け入れを行う予定の橋下をデスラー総統に見立て人類を滅ぼす気かと書かれたポスターがあった。

正直何書いてるのかよくわからなかった。


終了予定時刻の7:30になって終わり。多くの人は帰っていた。

グループで帰った人々のうち、いくつかはこれから飲みにでもいくのでしょう。

大規模Twitterオフ会かな、なんて思いました。


ただ、まだ残っている人がいた。

スピーカーを使って参加者が自らの思いを吐き出していた。

Twitterで行われている話とだいたい同じ。政府は隠しているとか、放射能危険であるとか。

切羽詰まったその声を聞いて、その不安はあまり体に良くないと思うよ、と心のなかで呟いた。


それが終わったら、あとは反原発ソングのカラオケ大会スピーカーで大音量。(どんちゃんどんちゃん


どうやって終わるのかが気になってたんだけど、全く終わりそうもないので帰宅



行ってみての感想は、やはり自分とは相容れない、ということだ。

まりうまくまとめられない。デモだけの話ではなくなっているし、散文になってしまうが許してほしい。


・なにか違った立場に立っている。

時々話に出されたストロンチウム。検出されたストロンチウム健康に影響のないレベル60年代の何分の一なのに、(参照朝日新聞デジタル:福島原発事故由来のストロンチウム、10都県で初確認 - 東日本大震災東京新聞:ストロンチウム 本当に影響ない? 監視・実測の継続必要:社会(TOKYO Web))「健康に影響のない」とは決して言わない。

60年代の何分の一とも言わない。

「嘘をついているから」という言葉が聞こえてくる。


・「再稼働反対」という言葉には、がれき受け入れ反対も結構割合で含まれているように感じる。

そこには、「放射能安全です」に対する反感、「放射能危険である」という不安が大きい。

もう、不安ではなく「すでに私たちは被害を受けている」という感覚を持っているようにも感じた。

がれき来ても0.00000何マイクロシーベルトも浴びないと思うよ。

そもそも原発以前から自然放射線を浴びてたんだよ、と言っても意味は無いのだろう。言えないけど。

放射能拡散を防ぐって、すでに拡散されちゃってるんだけど・・・

放射能をなくしたい」とかい言葉も聞こえた気がする。わりと医療とかで使われてると思うんだけど・・・とも言えない。


・なんかあんまりいい感じではない気がする集会だ。

不安が解消されるものではない。デモに行けばいくほど、恐怖が高まるのではないだろうか。

Twitter見て、放射能への恐怖が高まって、デモに参加して・・・

これが解消される日は、来るのだろうか。

その恐怖、和らげてくれるものは、どこにもない。


デモでは「これから私に起こる怖いこと」についての話をしている。

このデモが今後も続くためには「私」が「私達」にならないといけない。

東京では、福島に近い、飲み水への不安食べ物への不安などの理由から、これからも再稼働反対デモは当分、同規模かさらに多いくらいで続くんだろうと思う。まあ再稼働は大阪なんだけどな。

大阪では、続かないかもしれない。新たな原発が動くのであれば別だけど。やはりどこか「私達」の問題にはなっていない。がれき受け入れでは弱い。東京ほど多くの人を動かす力にならない。

原発動かず電力不足のほうが心配だし(デモでは「電力足りてる」らしいけど)。

距離が感情の隔たりを生んでいる。


・「再稼働反対」、「原発やめろ」という言葉はわかる。

いのちをうばうもの」、

福一の事故では確かに何人かの命は奪われた。

だけど、わからない。

これからがんが増えるかといえば、わからない。

「生活を奪う」というほうがしっくりくるのになぜそうしないんだろう。

かならずいのちがうばわれる。



というわけで感想まとめ。

デモTwitter大規模オフ会

・「再稼働反対」はみんなをまとめる便利な言葉

・恐怖、煽られる気がする。

反原発ソングのカラオケいる?

Smiling Sun - Wikipedia, the free encyclopediaバッチはなかなかいいね

2011-09-19

http://twitter.com/#/kuboken999/status/115594264444018688

昔はデモで『資本論』持ってないと、彼氏彼女出来なかったけど、

今は反核Tシャツ着てるだけで、彼氏彼女出来ます

森ガールの次は、デモガールでしょう。

所詮お祭り騒ぎがしたいだけか。

日本クラブシーンにはクスリがないかダメなんだという

妄言を吐くのも納得の軽薄さ。

2011-04-16

今回の件、原子力だけに問題を見ている人は視野が狭いと思ってます

http://anond.hatelabo.jp/20110416105733

分野違いの技術です。いわゆるITけが技術」と思いこんでいるなんちゃってITエンジニア」ではないので念のため。

今思い返すと、「本当はとっても恐いものである原発だけど共存してくしかいから、大丈夫だと思い込もう。そしてそれに足る事実は多少ある。」といった精神状態になってるんだろうな、と思う。

それは日本人ほぼ全員がそういう精神状態なわけで特異なことでもなんでもないですね。早い話、地震のこと考えればそうです。大抵の家は震度6強に耐えられるように作ってあるけど震度7となるとどうかわからない。震度6強でも微妙姉歯たいな例もある。でも国外脱出する人なんていないですよね。

しいですが、家を選ぶとき耐震性とお金トレードオフ」はみんな考えるわけで、「安全を金で売り渡す」というのは多かれ少なかれ誰でもやっていることです

原子力発電」というテクノロジー自体は評価されるべき部分もある筈で、ただ日本という地震大国には向かないのかなと思うだけです

個人的には今回の件、原子力だけに問題を見ている人は視野が狭いと思ってます耐震性はそれなりでも津波対策が甘かったってのは実は土木工学地震学全般の敗北なわけで、釜石の「世界一防波堤」が崩壊したのもそうだし、沿岸地域避難所津波に飲まれたのもそうだし、死者ゼロ福島原発事故よりも深刻な被害が数え切れないぐらい出ている。あとなぜかみんな騒がないけど、放射能汚染よりも崩壊した建物からアスベスト汚染の方が危険かも知れない。

そういう意味でこれはもっと、もっと深刻な問題じゃないかと思うんですね。「原発やめれば少なくとも事故は起こらない」って考えが甘すぎるんですよ。原発やめれば原子力事故は起こらないかも知れない、でも別のところで起こっている事故を止めることはできませんし、被害全体を考えれば原発事故氷山の一角しかない。社会システム全体として、対津波対策を根本的に考え直さないといけないし場合によっては津波を被ることは諦めた上でその上で助かる方法を考えるようにシフトしないといけないかもしれない。そういう、極めて重大な問題だと思ってます

自然災害テロの懸念が限りなく低い土地原発を運営することを考えた場合、大きなリスクの一つとして"運営側の体質"が挙ると思うんだけど、ここが腐るのって日本特有なの?」「日本人には原発は向かない」のか「人類にとって原発オーバーテクノロジー」なのか、正直僕には分からずにいます。

個人的には「オーバーテクノロジー」ってのは意味不明だと思ってます。例えば原子力発電と音声認識では後者の方が圧倒的に実用化が遅いわけですが、後者を「オーバーテクノロジー」って言う人はいません。要するに「自分が理解できないもの」を「人類の手に余る」と言っているだけだと思うんですよ。人類全てがお前と同レベルの知識しかないと思うな、とそういう人に対しては思います。

で、大事故というのは基本的に人間系の欠陥がなければ起こりません。ここを見れば色々事例乗ってますが、チェルノブイリはもっとひどかったわけだし、JCOとか福知山線脱線事故とかは完全に人間系の問題、ドイツICE脱線事故設計時に安全が疎かになっていた例、だいたいなんでもそうですローテクだろうがハイテクだろうが人間系がダメならダメだし、人間系が大丈夫なら最悪の事態は避けられるはずなんです

となれば、うまく行っている例から学ぶ必要があると思うんですね。女川原発もそうだし、もっとすごい例で言えば地震直撃でも安全神話継続中の新幹線です。こういったところがうまく行っているからには必ずそれなりの理由があるはずで、原子力にかかわらず社会全体がこのあたりから学ぶ必要があると思う。そういう意味で個人的には、東京電力国有化後役員を全員クビにして、東北電力JRあたりの植民地にしてしまうのがいいと思ってます

追記

私は原発賛成派でも反対派でもありません。というかこの二分法は意味がないと思ってます。まともな人なら賛成派であれ反対派であれ

原子力を置換できるよりよい方法(省エネ含め)があれば脱原子力を進める、そうでなければ現状維持のままよりよい方法(原子力の改良・改善を含む)を探す」

というところには合意できると思いますし、後は何をもって「よい」とするかの議論なわけで、実は見た目ほど立場が違わないわけですね。逆に、これ以外の理由を持ち出す人は環境エネルギーはなくてトンデモ話やイデオロギーの話がしたいわけだから無視してよいでしょう、と。私はそういう実用的な立場です

本文中では、現存の原子力の安全対策を東電にやらせることが前提のように書いていますが、原子力の即時撤廃が不可能廃炉だって時間はかかります)な以上、短期的にやるべきことは既存原子炉の安全対策であることは議論の余地がないと思うのでその点には触れていません。原子力を維持あるいは拡大するにしたって、脱原発を進めるにしたって、その過程で福島の惨劇が繰り返されてはいけないことに異論はないと思います。

追・追記

原子力だけに問題を見ている人は視野が狭い」と言っているのに、原子力だけに注目して原子力危険か否か、ということを語り、それでなぜか批判した気になっているブックマークのなんと多いことか。もう疲れたのでその種のコメントには返信しません。

ブックマークにお返事(追記・削除両方の方向で随時編集します)

fantoms フェイルセーフ知らないのか? 失敗学DBを参照しておいて、最終的に人が大丈夫なら最悪の事故は防げるとか何を見てるんだろう。 2011/04/16

私が言っているのはものと人間と両方のシステムを頑健にする必要があるということで、人間系が頑健ならものが頑健でなくてもよいなどということではありません。あと、今回の事故フェイルセーフへの過信が原因の一つであることも認識すべきでしょう。フェイルセーフ機構が破れた際の対応策がなかったのだから

white_rose これはひどい こういうのは始末が悪い。ほんともう2、3機別の原発でやられないとわからないのかも。そんなことになってほしくはないけど 2011/04/16

ではどうせよとおっしゃるですか?原子力に関しては私は具体的には安全策の拡充をしろとしか言っていません。選択肢の可否はさておき、即時撤退であろうがはたまた拡大であろうが、それが必要なことに疑問の余地はないと思うのですが?本文中にも書きましたが、廃炉にするにも時間はかかるのですよ。

banraidou 災害 ヒューマンエラーゼロにすることは不可能なんだけど……「人間系の改善」を簡単に見すぎじゃないかなぁ。「2ケタの足し算」ですら、正答率をいつ何時でも100%にすることは不可能なんだぜ? 2011/04/17

ヒューマンエラーゼロにすることは不可能ですが、少しでもそれに近づけなければいけないことは明らかです。これは原子力に限った話ではないし原子力の存廃とは無関係にその努力が必要だと言っているわけです。現代ではどんどんシステムが大規模化しているわけで、そうなればなるほど原子力に限らず事故が起こった場合の被害は増大するわけですから。そして、理想に近い例として新幹線を挙げたつもりです

hamanako この論旨でもんじゅ事故自殺者が2人も出ていて、2人目の方が亡くなってから3ヶ月しか経っていないことに触れないのには驚く。視野が狭いのではなく目が開いていないよ。これこそ人間系とやらの破綻の象徴だろ 2011/04/17

おっしゃる意味が全く理解できません。まず、「今回の件」が「東日本大震災の件」であることは文脈上明らかでしょう。それに、自殺が深刻な問題であるのは確かですがどう考えても別の問題でしょう。

bobjoker んー?突き詰めると全体コストの問題だけじゃないかな。で、震災前まで入れてないで計算していた今回の災害コストを入れると原子力は割高。その数字で今原発を止めたほうが低コストなら止める、というだけ。 2011/04/17

いや、コストよりも安全性の方が大事に決まっているでしょう。それに、コストの議論をすれば自然エネルギーに逆風になることにお気づきですか。原子力コスト面で批判するのはよくありません。火力依存助長するだけです

kagakaoru オーバーテクノロジーについて。一定の確率事故が起こるときに、その被害が局所的であれば許容(自動車など)、その被害が全人類に及ぶようなものをオーバーテクノロジーと呼ぶのでは。原子力もんじゅはどうか? 2011/04/17

自動車は非局所的に普及していますというのはさておくとして、福島はおろかチェルノブイリですら、被害半径は全人類と呼ぶにはほど遠いです。放出された放射性物質の量からいっても、大気核実験の方がはるか有害した原子力事故の被害を誇張するのは当該地域の人のためにも、また冷静な議論のためにも有害無益です発電所事故に限っても水力発電事故の被害は甚大リンク先記事著者は反核活動家であることに注意)ですし、そもそも水力なんてダム建設時点で一地域を居住不能にしているわけですよね。

perfectspell 「安全係数高めれば大丈夫神話。なら東京原発つくれば? /確率下げたとしてダメージを負いきれるかという期待値の話。又は安物買いの銭失い。 2011/04/17

です。「安全係数高めてもダメだった」ことが「原発に限らず」深刻だ、という話です。なお、東京はそもそも地盤が悪いので原発は無理ですが、たとえば少し検索した結果ベルギーのDoel原子力発電所はアントウェルペンというベルギー第二の都市の対岸に建設されています。「東京原発を」という人はなんでそういうことを少し調べてみようともしないのでしょうか?

kyo_ju 原発, 増田, 味わい深い ululunさんのブコメへの返事で放射性廃棄物の問題をスルーしてる時点で結論ありきなのが見え見え。 2011/04/17

そういうデメリットを全部考えた上で原子力が得策かどうか考えましょう、という以上のことは言っていないわけで、なんでそんな下司の勘繰りをされなきゃいけないんだか。あなたたいに人を敵と味方に簡単に二分する人のことですよ、「イデオロギー」の話がしたいのだというのは。だいたい放射性廃棄物の問題を「スルー」なんてしてないでしょうに。もう一度よく読みなさい。

TakamoriTarou web, 論説 全部グッチャグチャにして同レベルで考えるようだけど、それって同レベルで語れるものなの?複雑に絡み合ってる問題を単純化して各個撃破しか実務では解決できないよ。特に今は全体を語れるほど整理も終わってないし 2011/04/17

「今」の話ではなく中長期的な話をしているつもりです。また、「同レベル」で語らなければなりません。実際、我々がどうやってエネルギーを得るか(またはどうやってそれを節約するか)という意味では同レベルなのだから。個別の問題と「戦略」を混同してはいけません。

メタブクマから)TakamoriTarou web, 増田 レス読んで優越感との意味がわかった。増田は「理想を語る技術者」に陶酔してるんだ。森の未来を語る理想論だが木のために今何をするかには興味がない的な。だから現実改善を考える現実論者と話が咬み合ってない 2011/04/17

います。「興味がない」のではなく「わからいから言及しない」です原子力工学土木工学地震学についてはそれぞれの専門家に聞くべきです。あと、何を「現実論」とお呼びかは知りませんが、正しいかどうかもわからない認識に基づいて部分最適化を求めるのが「実務」だとのご意見には到底同意できません。少なくとも私はそんな姿勢仕事をしていません。

carrotsword 分野違いの技術屋って要するに素人ってことでしょ 2011/04/17

います。例えば眼科医や整形外科医でも素人よりは例えばインフルエンザのことははるかによく理解しているでしょうし、「診療科を問わず病気全般について言えること」については発言権があるでしょう。そういうものだとお考え下さい。

lucky12345 引用元が消えてるから引用してる部分だけから判断するに「オーバーテクノロジー」の意味誤解してるよ。人類が安全にコントロールしきれる技術かどうかって意味だろ。音声認識でそう言わないのは危険性がないからだろ 2011/04/17

同じことの繰り返しになりますが、「安全」の程度によります。「絶対安全」を求めるならばすべての物がオーバーテクノロジーになりますチェルノブイリを基準にするなら、たとえばBP原油事故水俣病も同等と思われるので化石燃料関係も無機材料関係も全部オーバーテクノロジーになります音声認識というか生体認証も失敗すればテロ犯を入国させる可能性があるのでこれもオーバーテクノロジーでしょう。要は「オーバーテクノロジー」という言葉情緒的なもので内容がないんですよ。

anon42 民間企業より国営のほうが安全になるってのは,どういう理屈なんだろう.そういう例があるの?利益追求の結果安全性が損なわれたというなら,安全確保が利益につながるような仕組みを作ることのほうが近道だろう. 2011/04/17

この点ですが、「国の管理下にあれば安全性が高まる」という議論は私も正しいと思っていません。単に、東電はこのままだと破綻だろうからハゲタカの手に任せるよりは政府が介入すべきではと思っただけで、別に「国有化」はそこまでこだわる部分ではありません。

flowing_chocolate 原子力, 技術 いくら原子力工学がしっかりしてたとしても、それ以外のどこかに穴があれば全てが破綻することになる、という話。政府運用者、一般人邪魔する勢力はどこにでもいるし、おそらく破綻へ導いている自覚もない。 2011/04/17

前半に関してですが、今回の場合原子力工学」も津波対応できなかったという点で「しっかりしていなかった」と言えますこの記事を見る限りおそらく、「ある分野でパラダイムシフトがあったときそれが隣接分野に浸透するまでには時間差がある」という現象の罠に落ちたようで、そういう意味で「時間切れ」だったのでしょう。同様のことが原子力に限らず起こっており、それが「地震学・土木工学の全面敗北」と書いた所以です。後半部については全く同意で、原子力関係者非人間化して金の亡者のごとくに叩く一部風潮は一時的なカタルシス以外の何も生まないと思います。大事故を起こす人は油断こそしているかもしれないが、悪意の人ではない、だからこそ恐ろしいのだともっと認識されるべきですね。

moilin 事故には多かれ少なかれ特異性がある。今回の事故原子力に関する問題がその特異性の大きな部分を占めるので(ヒューマンエラーとか一般的な事故論と別に)、これを特に切り分けて論じることもまた必要なんだよ。 2011/04/17

それ「も」必要でしょうが、そういう技術的詳細ならなおさら専門家の領域でしょう。素人が語るべきことではありません。一般人の視点では一般的な有害物質飛散事故です

kunioya JR新潟県中越地震脱線しても運よく止まった例を今回、緊急地震速報で生かした。「誤魔化す」文化と「改善する」文化の違いだろう。 2011/04/18

まさに東京電力についてはその「文化」がキーワードだと思ってます。一番大事なものは「安全」であるという認識のもと、「危険予知」「改善」という当たり前のことを日頃から行っていれば「全交流電源喪失」という古典的な問題の対応策は当然とっくの昔に立てられ、訓練が積み重ねられていたはずです。そのあたりの体質改善からやり直しでしょうね。

tatsuzawa 今回多くの周辺住民に避難を強いているわけだけど、例に挙げられた他の技術はそういう必要はない。アスベスト新幹線は個人の選択で回避できるし、津波はそうではないが人の手によって被害地が決まるわけではない。 2011/04/18

@tatsuzawa まあでも全体の合理性を優先して、人権問題たいなのはどうでもいいと思っている人は結構いることが今回の事故でわかった。

それを被災地の人に言ったらぶっ飛ばされますよ。というか16年前に阪神間に住んでいた者として言わせてもらう。ふざけるなアスベスト勝手建物に降って湧いたとでも思ってるのか?地震が起こった瞬間被災地からワープして脱出しろとでもいうのか?それとも当時12歳のガキだった俺の自己責任ということで全てお茶を濁すつもりなのか?ふざけるんじゃないよ。原発で作られた電力を使っておきながら、他人事たいな顔でなにを白々しい文明恩恵に浴するということは漏れなくリスクを負い負わせることだと知れ。少しは自分加害者だという自覚を持ったらどうなんだよ。原発さえ血祭りに挙げれば清く正しく美しい生活が送れますだと?現実を舐めるな。

2011-04-09

日本復興への課題3/3

http://anond.hatelabo.jp/20110409170039からの続き)

安心と不安
情報統制という妄想

上杉や広瀬は、政府東電対応についてこうも批判している。

事故発生当初から「東電は事故に関して隠している、嘘を言っている」、「政府は騙されている。メディア記者クラブは、東電が最大の広告主、クライアントだから遠慮して言えないのではないか」と、自分の出演しているメディアラジオ番組で言い続けていました

いま再び、70年前(太平洋戦争末期)の大本営発表と同じことが、起こっているんだなと思います歴史教科書をみて「こんなことがあるわけないだろう」と思っていたことが、実際に、目の前で起こったことに、びっくりしています。まさか自分がそんなことの当事者になるとは思わなかったので(苦笑)。

日本人は小さい頃から新聞テレビは正しい。雑誌インターネットは嘘ばかりだ。と思い込まされているんですよ。ただ、新聞テレビ情報は、政府の発表を記者クラブとしてそのまま報じる。彼らが独自に取材した情報と内容が違っていたとしても政府の発表を採用する。だから新聞テレビは正しいと思っている国民は常にその情報を信じるから、今回も同様の洗脳が起こっている。ただ、これまでとちょっと違うのは、若い人たちを中心にインターネットを通じて「あれ、何か違うんじゃないか?」とわかって来ていること。私のツイッタータイムラインも今朝ぐらいから「新聞テレビの言っていることと事実が違うぞ!」と結構大変なことになっています。まるで、エジプトとかチュニジアたいに。明らかにそこが変化して来ていますね。

大本営発表の再来という誇大妄想と、自分が時代を動かすんだという自己陶酔で完全に正気を失っている。

だが、科学誌『Nature』は上杉などと全く逆の見解を示している。

JS: 〔…〕私としては、現在データの量と質は、満足できるものだと思います。でも、ご質問のとおり、計測方法なんかの情報が抜けてたりして、データ解釈かしずらいのは事実です。これは、ひょっとしたら、翻訳の問題なのかもしれません。もしかしたら、日本語データレポートは、もっと関連情報がしっかり網羅されてるのかもしれません。

JS: 私もGeoffと同感です。難しい状況を鑑みても、日本側のデータ収拾の努力を批判するのはどうかと思います

GB: 私がひとつ言いたいのは、報道側がこの危機をどう報道していったかは、結構問題だったと思います報道は、最大値ばっかりをレポートする傾向にあります。とくに、放射能汚染の場合は、最大値じゃなくて、ある一定の時間内での積算値が問題なわけで、最大値は、それだけじゃ、あんまり関係ないわけです。実際、低レベル放射線長期間続くほうが、ほんの瞬間の最大値よりもあぶなかったりするわけで。

すでに紹介した早野龍五と辰巳創一も、これを支持している。

また、辰巳はこうも呟く。

さきほどのツイートに関連して,こうした抑制的,かつ整理された情報発信を日本の信頼出来る科学コミュニティーから出来なかったことは,今回の本当に大きな反省点だと思う.少しこんな話をするのは早いけど,望まぬ”次”が来た時,きちんと役割を果たせる体制を作ることは我々の世代の使命だと思う.

門外漢ながらこれには同感。今回の震災で、日本の学会学会誌は何とも頼りない。下手に東電を擁護しようものなら石を投げられそうな現状には同情するが、それでもバカなマスメディアとバカなネットユーザーに好き勝手させず、学会や有志が連名で声明を出すくらいのことはして欲しい。

煽られる不安

TBSの松原耕二は、震災発生当日から報道特番で「政府不都合な真実を隠しているんじゃないでしょうか」と明言し、「「念のための避難命令」という政府の説明はどうも納得できませんね」と連呼していた。

僕らは不安であっていいんだ。それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめいでいる。その不安は僕らのものだ。警報を切ってはいけない。

不安を増幅してはいけない、というのは、政府既存権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。

不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である不安はない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。

どこかの気持ち悪い物書きの文章。

風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報不足した時に起こる「正常な人間社会活動」ということです。だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなです

中部大の気持ち悪い教授の文章。

最近、このような主張が散見される。その理由はきっとこうだ。「政府東電原発行政を守るために偽りの安全を強調するに決まっている。だから安全だと強調されればされるほど不安になるのは当然だ」と。

では、何故不安を煽ってはいけないのか。それは、人は不安になると冷静な判断ができなくなり、誤った衝動に駆られるからだ。注意を促すことはよいが、不安を煽ることは絶対にすべきでない。

また、正確かつ十分な情報を人は必ず判断できる、ということもまた大いなる幻想だ。「自分が安心できないのは政府東電からの情報が不十分だからだ。何故そうだと分かるかと言うと、それは自分不安いるからだ。自分不安でいる理由は、それ以外に考えられない」。このような自己欺瞞責任転嫁はもう止めてもらいたい

群衆の行動や心理について詳しい新潟青陵大大学院の碓井真史教授社会心理学)は「現在自分が普段と違う心理状態だと自覚する必要がある。一部の極端な行動で多くの人が脅かされる。そういうことを皆が理解し、協力しようとすれば、パニックは避けられる」とアドバイスする。

「落ち着いてください」「安心してください」と言われれば言われるほど落ち着かず不安になるのは、政府東電が悪いのでない。それはそうなる人の心理が異常を来たしているのだ。「情報や説明が不十分不正確だ」と思うのは、ただそう思い込んでいるからではないだろうか。

東電魔女狩り

人災論批判

東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスク考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す。

震災の発生以後、殊に原発事故の発生以後、「1000年に1度の大地震を想定していなかったのは怠慢だ」「これは天災でなく人災だ」という声がよく聞かれる。こういった東電非難の意見が、私にはよく分からない。

もし国や地方自治体東電以外の企業などがすべて1000年に1度の大地震を想定していたのならば、今回の原発事故は人災と言ってよい。だが、そんなものを想定していた団体はどこにも見当たらない。東電だけを非難するのは全く不公平だろう。

仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生アパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。

仙台への大津波を警告していた郷土史家もいたが、その本人のアパートでさえ津波で甚大な被害を受けるほどの、つまり想定以上の大津波だった。

WSJ:東電は甘かった?

米倉氏:甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電全然、甘くはない。

GB: 原発は、すべて、ある程度のリスクはこえられるように設計されてます。ここで留意しておきたいのは、福島原発は、設計段階で考えられていた最大の災害よりも何段階も上を行く大災害にみまわれたにもかかわらず、一応は、破壊されずに、まだ残っているわけです

今回の震災では、2万数千人が大津波の犠牲になった。筆舌に尽し難い被害だ。しかしこの被害について、「国や地方自治体が1000年に1度の大津波を想定し、沿岸から数km圏内の住民に立ち退きを命じていれば2万数千人は死なずに済んだ。だからこれは天災でなく人災だ」と非難する人は誰もいない。沿岸に原発は造っちゃいけないが人間は住まわせてもよい、などということにはならないだろう。

しかも今回の原発事故では、将来を悲観して自殺した農家を除いて、まだ誰も死んでいない。これは事実だ。まだ誰も死なせていない原発事故は2万数千人の津波被害と比べて軽微だ、などと言うつもりは毛頭ない。原発事故によって多くの福島県民の生活が破壊されたことも、また事実だ。しかし、東電のみを非難して国や地方自治体を非難しないのはどう考えても不公平だ。

「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である

東電に「地球や自然への畏敬(いけい)が足り」なかったのであれば、庁舎ごと津波に飲み込まれた南三陸町なども同然なのではないか

ここぞとばかりに反原発を唱えてる人へ

警鐘を鳴らしていた(キリッとか知った事言ってるけど

今回の津波は日本最高新記録なんだけど予想できたの?

あ、予想してた?

こんな津波来るって予想できたなら

先に堤防が無い町に警鐘を鳴らしてやってくれ

放射能汚染は元に戻るまで長い年月が掛かるから次元が違う、という意見もあるかも知れない。しかしそれだったら、犠牲者の埋葬は1年も掛からないから大したことはない、ということにならないか。死者はもう二度と元には戻らない。

そして、妻は自分にいい聞かせるように、こういった。「これは天災だからね。天災に勝てる者はいないよ」

ただし、「私は東電を許します」という発言は記事に見られないので、そこは印象操作かも知れない。

東電への迫害

上記のような東電非難を口にする人は、そもそも原発が嫌いな人が少なくない。また原発いでなくとも、こういった大災害では誰もが怒りや悲しみの捌け口を求める。東電は格好の悪玉候補だった。しか理不尽不公平な非難は決してよい結果を生まない。

原発事故処理最前線は如何に苛酷な環境かが報道されても、聞かれるのは「やっぱり東電は酷い企業だ」「国はちゃんと東電監督しろ」といった非難ばかり。「現場作業員のために、みんなで食料や寝袋を送ろう」なんて応援活動は全く聞こえてこない。

激励慰問の手紙を送ったアメリカ小学生の方が、人としてよほど真っ当だと思うのは私だけだろうか。

危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所国民不安といらだちが募る中、東電社員への苦情や脅迫嫌がらせが目立ち始めた。東電社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した警視庁も警戒を強める。

護憲反核薬害問題に対する活動をしている女性・星アカリさんが、インターネットコミュニケーションサイトTwitterで「東京電力社員子供を全員がボイコットしなさい」などの発言をし、インターネット上で炎上状態となっている。

社員やその家族が身の危険を感じるほどの東電叩き。なのに流石は糞っ垂れのガジェット通信

果たして現在国民政府東電を正しく冷静に評価することが出来ているだろうか。

今、国民がすべきこと

冷酷な減点法からの脱却

こうした政府対応について、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授災害リスク心理学)は、「パニックを恐れて、余計な情報は出さないという心理が透けてみえる」と話した避難指示の範囲が拡大された理由の説明も遅れた。広瀬氏は「わかること、わからないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。大変なことが起きているのは、すでに皆がわかっている。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」と批判した

週刊現代も同様のバカ記事を書いている。

政府東電対応情報公開に問題があることは事実だ。これらの記事は、不適切な対応情報公開はすべて故意や怠慢によるものだと決め付けている。だが、このような冷酷な減点法こそが不適切だろう。

1000年に1度の大震災が発生した時点で、すでに満点の対応を期待することは出来なくなった。譬えるなら、100点満点のテストマイナス数十点のハンデ付きで受験するようなものだ。政府東電さえしっかりしていれば何も問題は起こらなかった、などという仮定は成立しない。

しかも、政府東電もまた被災者だ。負傷者がより深刻な負傷者を手当てしているようなものなのだから、対応に不備があったからと言って叱責するのは余りに冷酷で不当だ。

原発内にいる人達は、みんな命懸けです。きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない。誰も悪くないんだよって思う。色々な批判や、文句がある。でも今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います

WSJ:当局への不信が国民にみられる。東電責任問題情報公開問題はどうか?

米倉氏:一生懸命やっている。考えられていないが、東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。

これらを関係者による身内贔屓などと切り捨てるべきでない。

GB: 〔…〕あと、付け足しておきたいのは、今の状況は、計測するにしても、かなり難しい状態だ、ということです。日本側の行っている計測やサンプリングいちゃもんつけるのは簡単なことですし、まあ、そうやって、批判的に事態を見つめていくことも、大切だと思います。でも、特に震災の直後は、計測用の計器もままならなかったし、交通網もやられて、原発の周辺へ近づくことも、簡単ではなかったんです

政府東電とも一つに

震災以前において、菅政権を信頼することは明らかに狂気の沙汰だった。それは同意しよう。私も数年前から一貫して、民主党などに投票するのは狂気の沙汰だと考えてきた。しか震災以後、政府はかなりよくやっている。完璧ではないが、それでも国民から糾弾されるべきほどには酷くはない。

サッカー試合で観客がすべきことは、「ドリブルで繋げ」「ディフェンスを上げろ」などと指示を飛ばすことでない。そんなことをしても大歓声で掻き消されてしまい、監督選手たちの耳には届かない。たとえ届いたとしても、観客一人ひとりの指示に従っていたら試合を戦うことは出来なくなる。また、味方の監督選手たちにブーイングを飛ばすことはもっと間違っている。もし味方のチームに勝って欲しいなら、観客は声援を送るべきだ。それが選手たちの士気を高め、勝利を引き寄せることになる。

現在の日本には、政権交代どころか、与野党国会で議論している余裕すらない。国民はもっと政府を信頼すべきだ。政府東電を信頼し、激励し、慰藉すべきだ。それが問題解決の何よりの手助けとなるだろう。

また、マスメディアは徒に政府への不信や不満を煽ってはならない。政府東電の説明に不十分なところがあれば、その意を酌んで誤解のないよう報道しなければならない。政府東電を叩いて足れりとするような報道は厳に慎むべきだ。

政府は日本の政府であり、東電は日本の電力企業だ。日本が一つになって頑張るために、今は政府東電とも一つになって頑張ることが求められている。文句があるなら試合が終わってから伝えればいい。

2011-03-15

震災

夫の精神状態がヤバイ。

特に原発関連ニュースを見ては「政府情報を隠してる!」「もうヤバイ、日本終わりだ!」とかぶつぶつ言ってる。

被災地からは遠い地方に住んでるから、もうちょっと落ち着いててもいいような気がするのに、エラい落ち方をしている。

理系脳で普段はもうちょっと数字とかシステムとか客観的に判断出来る人なのに、今回に限り反応がおかしい

これはどうやら「放射能恐怖症」なのではないかと思い始めた。

プチパニックになっていて、「ニュース政府発表なんて全部ウソだ!」といいつつ毎日テレビネットにかじりつく。

自分も昔そうだった。

年代の夫同様、もっとも教育熱心で洗脳熱心だった日教組教師に反核反戦反米をたたき込まれた。

原爆関連の映画とか写真とかドキュメントとか見せられまくり修学旅行ではお決まりの広島。資料館から出てきたときには立派なPTSD当時そんな言葉しらなかったし、診断されたわけでもないけど)。

ちょうどそのころ地元原発建設問題で揺れたり、米ソ冷戦核戦争間近とか言われたりしてたから、無駄想像力のたくましかった私なんぞ夜中に窓の外が火の海になる悪夢何度見た事か。小学生時代に不眠症になり。担任の先生にどうやったら眠れるか相談したした。今考えると矛盾している気もする。

もういい加減大丈夫になったかと思った高校時代に、やっぱりそっち系社会科教師に原子力爆弾の威力とかのビデオを鑑賞させられ、一人教室貧血起こしてぶっ倒れて恥ずかしい思いもした

あの当時こんな事故が起こってたら、本当に恐怖で心を病んでいたかもしれない。

職業柄(医者だ)いつまでも怖い怖いといってられず、勉強して知識もある程度身につけ、仕事普通に放射線扱うようになって私の場合は「放射能怖い」は自然にある程度は克服されたんだけど。知識が付いた分、そして夫が先にパニクった分、ある程度客観的に情報収集できている気がするけど。

災害なんてそれが自然災害だろうと人災だろうと防ぎきれるもんじゃない。

孫を抱えて地震倒壊家屋から逃げ出したおばあさんが、向こうから迫り来る津波絶望的に眺めたのと同様、私達が精神に異常をきたしかねないほどニュースを見て原発の事を心配しても、現時点で私達がそれに対して出来る事なんてほとんどない。何かあったらあったときにその対策を考えるのが関の山で、先回りして心配しても心を病むぐらいで良い事は一つもないんだよ。

そう言って夫をテレビネットから引きはがし、庭仕事なぞをさせたりしている。

2011-03-13

震災に乗じて産経叩きサヨク民主政府の誤りの記事を封殺

Togetter - 「地震に対する発言で蓮舫のTLが大炎上

http://togetter.com/li/110626

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110626

こいつらも普段は同じことをしてるだろ。代表的なのに、こんなのがあるが。

blackdragon 社会, ネット社会学 こんな言いがかりは、むしろ嫌いな政治家を叩くチャンスとして災害発生を喜んで利用しているわけで、非常に不快。 2011/03/12

嫌いな対象を叩くために、今回の甚大な被害である大地震を利用しているのは、はてなサヨクも同じ。例えば、また、産経叩きに利用してる。

はてなブックマーク - 阿比留瑠比の菅政権考「致命的な国家観の欠如」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm

こいつらは、新聞の全ての記事を大地震だけにしろということか?というか、こいつら、ネットばかり見て紙面を見てないのか?新聞の紙面は地震の被災とは関係なく、スポーツの記事とかも書いているわけだが。普段は、挙国一致の全体主義を批判しながら、地震以外のことで産経「だけ」を批判するところに、この大震災に乗じて産経を叩いてやる!というのが透けて見える。

それじゃ、アニメ報道しているテレ東は何か?菅政権考「致命的な国家観の欠如」というのは、実際に国家間が欠如しているのだからそれが新聞に載るのは当たり前。むしろ、産経姿勢は正しい。この震災に乗じて挙国一致だからと、変な予算を通せば、それこそ国民の生活に直結する悪政になる。普段は、権力批判をしているつもりが、こういう大震災の時には都合よく政府に利用されるようになる方向性になるのは、普段の権力批判の底の浅さが知れる。こういう非常事態の時こそ、政府の誤った行動は監視するべき。

しかし、産経の紙面では大地震が殆どになってるのは当たり前だが。他の朝日とかも大地震以外の記事も載せてるんだが。お前らバカサヨクは、震災でどれだけの人命が奪われているのかも考えずに、産経叩き、阿比留瑠比叩きに利用するのはいい加減にしろよ、クズサヨクが。

地震以外の記事を批判するのなら、産経「だけ」を批判するな。テレ東アニメとか、批判しないといけなくなるところがかなり出てくるな。整合性が取れないから。ほら、さっさとゴミクズサヨク産経以外も批判しろよ。

他にも、原発問題が出たら、変な平和団体とかの奴らが、被災者の命なんかどうだっていから、「反核!」とか言い出しているんだが産経の記事以外にも、震災とは関係ない記事で、まさに批判されるべきところはある。嫌いな対象を震災を利用して批判するなと蓮舫の件で言うなら、「産経が叩けるから、大震災が起こってくれて嬉しい!」というのが透けているはてなサヨクゴミクズどもも批判しろよ。

2009-12-15

http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091214/p5

該当URLの話題の本筋とは全く関係ない話なんでブクマもせず先方のコメント欄にも行く気がせずこちらに書く。

ウルトラセブンの12話「遊星より愛をこめて」に出てきたスペル星人反核モチーフにした話なんだけれども、住んでいた星が放射能に汚染されたという設定のスペル星人デザインモチーフ原爆症のケロイドなのね。

ありむー12話見たことあんのかな。

あれは反核モチーフじゃなくて宇宙人地球人の間に愛情は芽生えるのか否かって話だと思うんだが。ひいては最終回への伏線とも取れるようなダンとアンヌの話とも考えられるのに。

2009-10-13

 日本での「祝賀」報道とは裏腹に、9日に発表された「ノーベル平和賞」受賞のニュースは、アメリカ社会にとって、そしてオバマ大統領にとっても驚きと困惑以外の何物でもありませんでした。慎重に言葉を選んだ9日午前の会見、そして12月の授賞式にノルウェーには行くが、賞金は全額寄付するという「苦渋の落としどころ」その全てがオバマの「窮地」を物語っています。

 問題は2つあります。まず医療保険改革でアメリカ保守派と全面対決状態のオバマにとっては、「国際派エリートきれいごと」を嫌う保守派をこれ以上刺激したくないということがあります。また、アフガンの戦況が思わしくない中、平和賞をもらっておきながら増派というのも国外から非難されますし、逆に平和賞をもらった勢いで宥和策などということでは、やはり国内保守派からは強硬な反対が起きるのです。

 オバマの周囲は「先週の五輪が当たりで、今回の平和賞がハズレだったら良かったのに」という声が聞かれます。「北欧から2週続けて変な決定が来た」というわけです。ちなみに、世論は全く分れており、受賞賛成論、賛成だが時期尚早、反対のそれぞれが3分の1ずつという感触です。ただ、関心は高く、10日の早朝にニューヨーク空港ロビーでCNNを見ていた乗客は、このニュースになると真剣にTVに見入っていました。勿論、ニューヨークのとりあえず飛行機を待っている層では、全員が反対ではないわけだと思いますが、要は政治的なプラスマイナスについて非常に微妙な問題として関心が高いのです。

 更に私がビックリ仰天したのは、11日の「広島長崎市長」による五輪招致構想です。平和賞の衝撃どころではありません。これは本当に大変な問題です。提案した側は、オバマ大統領の核軍縮宣言に勇気づけられ、それがノーベル平和賞世界から承認された流れを受けて、招致に自信あり、などという感覚で言っておられるのでしょう。そこに悪意は何もないと思います。ですが、これは完全に逆効果であり、オバマ大統領の足を引っ張るだけだと思います。11月の訪日へ向けても暗雲が漂ってきました。

 恐らく、オバマ夫妻の個人の胸の内としては「ヒロシマナガサキ」へ赴いて、自分アメリカを代表して謝罪するようなことも、心の準備ができていると思います。そうした大統領アメリカで在任しているというのは大変なことであり、千載一遇のチャンスとして周到に流れを組み立てなくてはなりません。ですが、まず、このオバマ大統領ヒロシマナガサキ献花ということと五輪というのは、全くの別問題です。五輪というアイディア逆効果の方が大きいと思うのです。

 まず、アメリカには「日本への原爆投下は必要な作戦だった」とする世論がまだ50%弱は残っています。その一部は「本土決戦による米兵の流血、日本人非戦闘員の大量殺戮日本の本土インフラ完璧破壊天皇制の崩壊、共産化」といった最悪の事態を回避したテクニカルに正当な作戦という認識です。また、そんな難しい話に興味はなく、ただ「アメリカ極悪人にされることには何でも反対」という世界中どこにでもいるナショナリズム感覚で言っている人も多いと思います。下手をすると、「ヒロシマナガサキ五輪」にはアメリカは参加できないかもしれません。そのぐらい、原爆投下の倫理的評価というのは、残念ながら国論を二分する問題なのです。

 いずれにしてもアメリカ保守派は、オバマ大統領の核軍縮戦略そのものも敗北主義であり、アメリカを核攻撃の脅威にさらすモノとして反対しているのです。こうした反対論に上手く対応しながら、「献花によって日米同盟がより深化する」「日米の世論が最終的な和解に至る」という演出をしながら、夫妻にヒロシマナガサキ訪問を成功させるというのは、非常に難しい問題なのです。恐らく、日本の知米派、アメリカ知日派の心ある専門家の方々は、コツコツ難問を解くようにしてこの問題に取り組んでいると思います。

 1つのカギは、明仁天皇美智子皇后陛下ハワイオアフ島にある真珠湾の「戦艦アリゾナ記念館」で献花をしていただくことです。そこで日米の和解を長い困難の果てに完結させる輪の半分が出来、そしてアメリカ側から「オバマヒロシマナガサキ献花」という行為が輪の残り半分を完結させる、そうしたストーリーです。これでアメリカ保守派が100%納得するとは思いませんし、日本保守派は抵抗するでしょう。憲法に禁じられている天皇陛下政治利用になる、その論議も避けては通れません。

 ですが、これなくしてコロコロ変わる日本総理大臣がどんな言動を行っても、2つの国家歴史の上に「和解の輪を完結させる」ことにはならないのです。それは憲法にうたう「国民統合の象徴」による行為ではない、単なる行政府の長の「事務仕事」では耐えられない重みがある問題、国外からはそう思われているからです。

 残念ながら今年のカナダハワイ公式ご訪問に際しては「アリゾナ」献花は実現せず、両陛下は丘の上の「太平洋平和記念碑」に献花をされただけでした。これは外務官僚宮内庁官僚の失態ではありません。麻生政権という「弱体政権」では、こうした込み入った問題に関する世論との対話能力がなかったからでした。このままですと、この構想は時代の流れの中で実現せずに終わる恐れもあるように思います。ギブアンドテイクというのは道徳的ではない印象を与えるかもしれませんが、この「相互主義」というのは外交の基本原則です。これなくして、この種の厳粛な問題は進みません。

 もう1つの問題は、五輪ヒロシマナガサキで行われた場合は、アメリカは「犯罪者」として参加する位置づけになります。オバマ大統領の核軍縮が進み、国内の反対論が弱まっても尚、自分の国が「唯一何らかの謝罪をする側」に立たされる中での五輪参加ということは、アメリカとしてはまず無理でしょう。仮にアメリカが参加できたとしても、例えばの話ですが、開会式でコッソリ「エノラ・ゲイ」の旗でも振る選手でも出ようものなら、何もかもが台無しになってしまいます。

 それに、アメリカ以外の国はその「非核五輪」に参加しながら自分核廃絶をしようと真剣に思うでしょうか? 例えば中国は「これだけ反核の機運が高いのだから自分も廃絶へ努力」しようなどとは思わないでしょう。むしろ、日米の世論にヒビが入ることのメリットを感じるのではないでしょうか? 

 私としては、残念ですが、現実論として「ヒロシマナガサキ五輪は不可能だと思います。不可能なことを進める場合に、それでも運動を進めることに意義があるケースもあると思います。ですが、今回の一件には反対です。それはこうしたアイディアを進めること自体が、オバマ大統領の足を引っ張ることになるからです。それよりも何よりも、膨大な死の記憶継承している慰霊の地で「運動会」ですか? 私にはどう考えても非現実的だと思うのです。

2009-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20090808050002

特定の偏った運動家が、子供を使って自分思想を言わせているのと同じだよね

それを自発的にやらせるよう仕向けているんだから広島反戦反核サヨ教育は異常

2008-07-26

タブー

今日の「週刊こどもニュース」見てたら、核兵器が何か、から説明を始めてた。

今の小中学校ではノーモアヒロシマノーモアナサキとか教えてないんだろうか。

そういやテレビ特番も減ったしな。毎年8月になれば「スペシャルドラマ」やら反核番組やらの山だったんだが。

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