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2017-01-10

フジロック2016の「政治を持ち込むな」批判再考(個人的感想)

時間もたって落ち着いた感もあるので。

フジロックで昨年、シールズトークショーに参加したことで批判を浴びた。

主に「フェス政治を持ち込むのはおかしい」

という批判だった。

その際にメディアで盛んに主張されたのが


音楽政治を持ち込むな」という主張はおかしい。

音楽が如何に政治と関わってきたのか?

という文脈無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である


と言う主張だ。

ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。


私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。

というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。

結論を出す前に少し基本的情報提示しておこう。


イベント団体アトミック・カフェ」が行うトークイベント

トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制沖縄憲法原発


ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである


アトミック・カフェフェスティバル(ACF)は、映画アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本1984年に開始した。


音楽を通じて反核脱原発を訴えていく」がテーマイベントで、1980年代には加藤登紀子浜田省吾宇崎竜童尾崎豊、ザ・ブルーハーツルースターズエコーズBOØWYらが出演していた。1984年日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代最後の開催は1987年であった。


2011年フジロックフェスティバルアトミック・カフェフェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所バイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージNGOヴィレッジの2か所。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7#.E3.82.A2.E3.83.88.E3.83.9F.E3.83.83.E3.82.AF.E3.83.BB.E3.82.AB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.BB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.82.B9.E3.83.86.E3.82.A3.E3.83.90.E3.83.AB

ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロック政治と密接に関わってきたからでもある。

ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。

※というか俺もそれほど詳しくないし。

ロックの曲自体反体制メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか

まぁそういう感じだ。


ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。


①そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?

安保沖縄反核脱原発というトークショーテーマ妥当


そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。

詳しく調べればまぁ、まず政治的メッセージの込められた歌はあるだろう。

しかしながら反核脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージ全然ない。

2016年フジロック反核脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である

まり現在ロック界の表現している内容とトークショーの内容があまり乖離しすぎではないのかということだ。

アジカン後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。

あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブMC政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。

普段から政治的発言あんましないんかい!wwwww

正直この発言を見てずっこけた。

そりゃ客も面食らうわ。

なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。

特に若い客なら当然そう思うだろう。

10台の客捕まえて、「俺達は政治的発言しないけど、過去の人はしてきたかロック反体制

とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。

今のロック雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。

そしてもう一点気になったのが以下である


安保法制沖縄反核脱原発というテーマ妥当

正直、安保沖縄反核脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?

と思うわけだ。

アニメが昨年大騒ぎだったのでアニメで語るけど

この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人生活について語る

とかならまぁわかる。

シン・ゴジラ君の名はポスト3・11について語る。

というのもまぁわかる。

そんなに好きじゃないけど。

でもフジロックでアトミックカフェ、というのはなんか

シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。

いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍虐殺したけどねって感じだ。

どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。

フジロックがそういうイベントから

と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評レベルが50年前走ってねぇかと思うわけである


と言うわけで反体制であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的お話をして

また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。

正直時間も立ちすぎてロックのもの反体制であるというのは無理が出てきている。

いまやじじいですらロックファンは山ほどいるのではないか

そんな状況ではロック存在のもの反体制とは安易には主張できない。

きちんと若い世代に伝える努力必要だと思う。

アトミックカフェをある種のイコンとか伝統としてフジロックに併設したいのは人間的心情としてわからんでもないが。

というわけでフジロックはなんかもうちょい具体的かつ現代的なトークショーもっと増やせ(ひどい

 
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