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2021-07-14

anond:20210714114025

宇宙絶対者は唯一人、この全能なる私なのだ

命あるものはその血の一滴まで俺のものだ。

宇宙は全て我が意志のままにある。

私が宇宙の法だ、宇宙の秩序だ。

よって当然、その公園もこの私のものだ。

2021-06-06

anond:20210606111824

下が嫌がる意思表示をしたくても出来ない

何で出来ないの?

仕事必要から💩食えって言われたら普通に拒否するでしょ

上司生殺与奪の権を有した絶対者かなにかと勘違いしてない?

2020-07-20

anond:20200720203225

緩い宗教というか、近代現代的な自由平等理念にすり寄った宗教で、それは価値がない

あなた自由制限しませんよ、あなた信仰強要しませんよ

それが素晴らしいという発想が、近現代に対する敗北なんだよ

現代においてもなお人が宗教にハマるのは、そうした自由平等が苦しいからだよ

現代社会で成功する人間は構わないけど、失敗した人間にとって

お前は自由にやりたいようにやって、みんなと同じ平等スタートを切ったのに、失敗した。

それはお前が無能からだ。と言われてるようなもんだからね。

から自由平等を捨てたくて、自分以上の絶対者に導いてほしくて、現代でも人は宗教にハマってるんだよ。

2020-07-03

実家の犬が死んだ

白い小型犬だった。犬種ジャックラッセルテリアで、短毛タイプだった。姉の中学進学祝いにうちにきて、家に来たのは私が小学生の頃だった。

犬は暗に家庭内序列を見抜くと言うが、彼女は明らかに私が家庭内もっとも低い序列であることを、幼いながら見抜いていた。餌を上げる係だった姉にはいい顔して、家の主の母には甘えて、絶対者の父の言うことは必ず従ったが、私には懐かずいつも歯向かって来たものだった。私もそれが気に食わなくてよく喧嘩のように戦ったものだった。私が大学進学で家を出るまでそんな関係がずっと続いていた。

それから十年近く。帰省をするたびに彼女は衰えて行った。散歩に行ってもすぐ帰りたがり、あまり走らなくなり、目が悪くなって大好きだったおもちゃを投げても反応が悪くなった。最後に見たときは本当にヨボヨボで、走り回って飛び回っていたソファにすら自力で登れないほどになっていた。そんな姿を見るにつけ母とは「本当に歳取ったよねえ」と頷きあった。そんな彼女が先日死んだ。18歳だった。ご飯を食べなくなって3日、健康時の半分くらいの体重だったらしい。

訃報を聞いてすぐにはなんともなかったが、母と彼女についてラインを交わすうちに涙が止まらなくなった。これを書いてる今も二文くらい書くごとに嗚咽が止まらない。

たぶん犬にしてはとても長生きで致死的な病気を患ったわけでもなく(肝臓を悪くして母にウルソを盛られていたが)て老衰だと思う。彼女のことを思うにつけ「うちに来て幸せだったのかな」という念に囚われては、涙が溢れ返す。

ジャックラッセルテリアは本当なら牧草地を駆け回る犬種なのに、散歩ではアスファルトの地面ばっかり歩かせて、室内ではせいぜい廊下を少し走らせてやる程度しかさせられなかったね。平日昼間は家に誰もいないからほっぽりだしてずっと一人でソファで寝てばっかり。しばらく虚勢させないままで、本当は子どもとか欲しかたかもしれないけど、ずっとソワソワして落ち着かなかったり家中に血が飛ぶからって最後は虚勢させちゃったよね。

でも、たぶん寝るのは嫌いじゃなくて、学校休みときとか昼過ぎの高い日差しの指す窓辺に「ここにクッションを置け」と言わんばかりに佇んで、一緒にお昼寝したよね。あとなぜか足の裏を舐めるのが好きで、寛いでると足元に現れて、足を爪で引っ掻いて「足を出せ」アピールをよくしたよね。お風呂に入ったあとのしょっぱくない足だとすぐに舐めるのをやめるワガママなところは相変わらずだったけど。いつもいがみ合ってたけどそういうときだけ打ち解けられた気がしてたよ。あと実家を離れてから久しぶりにあったとき実家いたころより徐々に柔和になってきてるようで、少しずつだけど大人として認められてきたような気がして嬉しかったよ。

彼女は犬として幸せだったのかな。幸せだったらいいな。もしそうじゃなかったらごめんね。それでもうちに来てくれてありがとうね。魂がどこ行くかなんて分からないけど、この先もずっと安らかでいられることを願ってるよ。じゃあね。

2019-07-20

めんどくさい類の話。

めんどくさい類の話をしよう。

日本には無駄タブー存在する。

例えば、学生社会人私服学校会社に来てはならない。

例えば、教師や先輩といった立場人間には敬意を見せ従わねばならない。

例えば、場の空気を乱してはならないし、郷に入りては郷に従わねばならない。

例えば、政治宗教野球の話をしてはならない。

もうね、アホかと。馬鹿かと。

お前らな、そんな慣習如きで自分人生を生きてんじゃねーよ、ボケが。

ちょっと考えれば分かる事だが、これアメリカっつーか先進国とは真逆からな。

から見れば分かるが、こんなもんは広義の洗脳しかない。厳密にはマインドコントロールだ。

そりゃ欧米諸国イスラムだって宗教なんつーマインドコントロールに従ってるが、それでも自由主義道徳規範が大なり小なり機能してるだけマシだ。

それに引き換え日本は、なんだ?無宗教とか言いながら夏にはお盆に祭、冬にはクリスマス正月

くそれで無宗教なんて言えたな……?ってくらい、1976年から日本人は「日本教」に染められてる。

その宗教規範が上述のソレなわけです。

で、実を言うとこれ。戦前から存在してるんですね。

日本教において神などの超常存在存在しないと思わないといけない……ってのが不文律としてあるんですが。

これが無駄に強固だ。宗教において神の存在絶対視されるのに、その肝心要の神が「まるで神そのものであるかのように」現実的には居ないものであるとされる。なのに居ると思ってる。

これ、なんか心当たりがないですかね?

炎上覚悟で書きましょう。

「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族優越セル民族ニシテ、延テ世界支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」

そう、所謂天皇人間宣言」です。

上のを現代風に言うと「天皇国民とは相互の信頼と敬愛とで結ばれてるもので、それは神話伝承から生じるものではない。同時に『天皇現人神日本人は神の子孫!だから優れた日本世界支配すべきなのだ!』なんて架空観念に基づく結びつきでもない」と言ってるわけですね。

これが「天皇現人神ではない」と天皇自らが否定した事になる……ってのが普通の受け取り方なんですが。実は、これが日本教のポイントだと思うんですよ。

そう、日本教の正体ってのは本当は「天皇教」なんですよ。それもクッソ強固な。

これ実際に聞いた人間以外は、まあ歴史教科書で「天皇人間宣言」って見るだけなんで何も思わないんですが。

だけどWikipediaでも書いてあるように「天皇日本国民祖先日本神話の神であること」を否定してない。そして更に疑った見方をすると……現人神である事は否定したが、天皇自身が「神」である事を否定していない。

これを重度の天皇教が聞くと、どうなるか?想像しにくい場合は、自分にとっての絶対者で想像する。

(例えば嫁や夫だとか推しアイドルキャラだとかネコだとか、そういう自分人生を決める最高の存在な)

1. 神は言っている……お前達との絆は絶対的な信頼と敬愛こそが本質である、と

2. だけど神話とか伝承は忘れろ……それは語り継がれることを許されなかった、遙か古の物語……

3. つまり天皇は神だけど人間のフリをするからオメーら宜しくな」って事か。そんな解釈大丈夫か?

4. 大丈夫じゃない、問題だ。

かくして、日本教はここに成立する。

ここで仮に時の昭和天皇が神の不在を半端にしか言わなかった為、ヤベー存在が量産されまくるのである

なにせ、最初超絶技巧日本国民ガチ感動させてる訳だからね。神ムーブしまくってるからね。

アイドルうんちしないから……なんてレベルでは到底ない。もっと恐ろしいもの垣間見たね。

理想である天皇権威と、現実である総理大臣将軍権力。この恐るべき分業によって構成された上意下達支配構造により、この現人神否定ムーブは「その神意でもって」全体に通達される。

そして、それらがメディアフェイクタイトルによって教科書へと掲載される。

そうなると何が起きるか?

日本教の隠れた神が人間宣言をするのだ、どうやっても劣化した形でそれは受け継がれる。

から日本人は自由を「自分の好き勝手に、自分日本人が神だと思ってるかの如く、周囲に日本人を人間である事を強要する」のだ。

日本人は神を否定する。だけど、そこには自分達こそが神だと言わんばかりの傲慢さと、矛盾した無宗教への信仰が確かに存在するのだ。

そして、そこには昭和天皇意図は伝わらない。それは戦前戦中と全く変わらない。

ただただ、愚かさを再生産し続ける内戦の始まりである

思うに、権威権力の分業というのは……きっと、世界で最も上手くできたファシズムなのだろう。

欧米人の脱権威/脱権力は、その全てが内部からの撃発によって否定された。

まり真の意味民意から革命であり、それは少なくとも「大衆主観では」自発的に行われた。

それが一種虚構である事は今の政治を見ても明らかではあるが、しかし、そこには個人意思こそが優先されるべきという思想根付いたのだ。

では、今の日本人は……それができるか?

例えば天皇踏み絵を用意したとして、それを踏めると言えるか?実際に踏めるか?

まず僕には無理だ。

心理的もの道徳的ものもあるが……それ以上に、周りが怖い。

そんな事をしたとバレたら、きっと僕は今までに得た人間関係の全てを失うだろう。親でもギリギリ、いや知人レベルくらいに避けられるだろう。

それくらいのレベルで恐ろしい行為だ。そうDNAが叫ぶくらいの恐怖を感じる。

我々は、今もまだ「天皇陛下との信頼と敬愛と」に、結ばれ続けているのだと……

僕は、そう畏れている。

それが良いことか悪いことかは、わからないけど。

まあなんでもいいけど、本当に無宗教って神の不在を確信してるなら「宗教の話がタブー」ってのは異常だと思うよ。

本当に神は不在って思うなら勝手に話させとけば良いじゃん。どうせ入信しないんだし。適当に話を合わせておいて受け流しておけよと思わなくもない。

そういう自己保身で、今日駄文は終了なのである

2019-06-03

知り合いがヴィーガン化していた

かつての同級生が、エシガルヴィーガニズムに染まって、食事会が白けてしまったという話。

俺は進学したけど、就職したり他大学へ進学した学部時代の友人たちと食事をしてきた。仕事をしている連中よりは時間がある俺が幹事を務める事に決まり、「何か食べたいもの、苦手なものはないですか?」と全員に対して質問をした。

返って来たのは、甲殻類アレルギー持ちの同級生が「カニ専門店はやめてくれ」というのと、ヴィーガン化していた知人(以下、A)が「野菜類が好きなので、野菜料理『も』美味しい店がいい」と言う事だった。この時点で、俺は Aがヴィーガン化していた事はしらない。

以前、人に連れて行って貰った鉄板焼きの店が、季節の野菜鉄板焼きが旨かった事を覚えていたので、学生には少々値が張る店だが、皆に確認をして、有難いことに外資系金融企業に勤めている同級生社会人から多めに払ってもいいよとの申し出があった事で、「全員から反対意見がなかった」ので予約を取った。

そうして始まった食事会。

始めこそお互いの近況を報告し合って、野菜類を中心とした前菜的なメニューをつつき合って和気あいあいと話していた。Aが「実は自分ヴィーガンなんだ」と言うので、「この店のチョイスで良かったの?」と誰かが訪ねると、

「食べられるものを食べるよ。人に押し付けられるものではないし」と無難に答えてくれたので、俺の方も「そこまで気が回らずすまんかった」って事で何の問題もないように思えていた。

問題が起こったのは、酔いが回りだして肉料理の注文を皆がし始めたときのこと。

普段金もいから到底ありつけない様な値段の鉄板焼きホニャララ牛200gン全円」の様な高級メニューを、社会人たちが気を大きくして注文し始め、俺を初めとした学生たちはテンションがあがり「うめぇー!!」と感激を連発しだしてから、Aの様子がおかしくなり始めた。

動物の死骸を食べるなんて残酷から始まったそれに、最初こそ「人が生きるって事は、そう言う事だろ。革製品動物治験に始まって、保健所が捨てられたペット殺処分をするまで含めて人の営み。」みたいなことをやんわりと、誰かが返答してたのだけど、嗜好的には孤立している事で味方がおらず追い込まれていたのだろうか。言う事がだんだん過激になりはじめた。

「神か地球か、わからないけれど、人の暴虐を天から眺めている絶対者は、無数の罪もない被害者である動物の苦しみを知っていて、人類社会を自滅に追いやってやろうと決心している。だから、アベみたいな奴が首相になって国を破滅に導こうとしてるんだ。」

「罪を憎んで人を憎まずというし、皆が残酷のものの肉を美味しいと思う事を気持ち悪いと思うけど、私は皆を許すし、みんなが変わる事を待つよ。」

というような事を言い出した段階で空気が変わった事を察して、「一旦、ここは出よう。Aを外して飲みなおそう」とラインでA以外の各人に連絡し、早々に1次会は終了と言う事にして解散した。

会計の段階でAが「ヴィーガンの私は殆ど食べてないのに割り勘は納得いかない。ヴィーガン肉料理が出る店に連れてくるなんて非常識」と店を決める際にした同意反故にして荒れるので、面倒になってAからはお代を貰わないことにした。自分の味方がいない状況で一人でカッカしすぎたAに会計の一部を負担してもらう事は難しいと思えたし、一刻も早くAと離れたいという思いが勝った。その後、連絡を取り合って集合して2次会を楽しんだのだが、皆が完全に呆れかえってたのか Aの陰口大会の様なものにはならず、「Aに対しては残念という思い以外ない。次からは呼ばない様にしよう。それがお互いの幸せ」と言う事で結論して、さほど話題にも上がらなかった。



たった、これだけの話なんだけど。後味が悪かったので増田に吐き出したい。

2018-10-20

幼女に対する途方もない幻想はどこから来るのか

LGBT界隈で絶賛されてる弟の夫やらリトルミスサンシャインやらを見て思うこと。

何やらマイノリティ目線においては「幼女」に絶大な信頼が置かれている気がする。


弟の夫に登場する幼女マイノリティへの理解のなさを詰るような素振りを見せるし、

リトルミスサンシャイン幼女理解のなさを責めるどころか同性愛者のキャラクターに対して

天国に行ける」と確約していた。

そんなに知識は深くないけど、キリスト教圏の作品同性愛者に「天国に行けますよ」などと

口走るのはなかなか勇気のいることじゃなかろうか。


彼女らに託されているのは無垢なる理解者としてだけでなく、

異性愛者を説き伏せる絶対者としての立ち位置に見える。

「愛らしい、我らが守るべき子どもがこう言ってるのにお前は納得しないのか?」と。


自分の意地が悪いのかもしれないけど、どうも納得がいかない。

何故子供の口を借りるのか。

無垢なるものなら自分たちを受け入れてくれるという思い込みはどこから来るのか。

幼女気持ちいか死ねと言ったら自分たちは死ぬのか?

子供のころの純粋気持ちを思い出せば異分子にも優しくできるはずだ、じゃなく

分子に優しくできる心性を持てば身内同士の関係にもプラスになるはずだ、と持って行った方が受け入れられやすいと思うんだけどな。

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

2018-03-22

anond:20180322121109

海外場合は世の中の絶対者って神なんだよね

神の前からしたら人間は等しく平等なので不正だと思えば告発するのは当たり前

ところが日本人には神がいないんだよね

から人間同士にあるのは単純に上下関係だけになる

そうすると圧倒的に儒教支配下におかれる

上が白を黒と言えば黒、黒を白と言えば白

馬鹿文化なんだよね

から組織内において論理性や合理性はどんどん淘汰されていく

これ昔からいってるのに産まれつき宗教と離れているせいで

なぜか儒教支配されてることを日本人自身は認めないんだよなあ

鏡を見れば自分らが何をしているのか理解できるはずなんだが

2017-10-06

結局は権利侵害という話だということ

女の子の言う友達ってようするに「自分利益になるように利用してもいい他人」の総称なんだよね。

  

その「友達」の中に自分との力関係クラスけがあって

自分と対等=「お互い利用しあう関係

自分より下=「自分の思い通りになる関係

  

自分と対等と認識してる相手には、自分のために相手を利用してる後ろめたさが多少あるもの

自分相手の役に立ってる」という思い込みで暗黙の契約関係一方的に想定することでその気持ち相殺する。

からお互いに頻繁にお返しをしあったりして、対等なバランスを保つのにそれなりの努力をする。

  

自分より下の人間に対してはそんな気遣いは一切ない。自分が欲しいと思ったサービスは受けられるのが当然であって、それに対する見返りなど全く想定外だ。

このクラス自分奉仕する道具。「男友達」っていうのがデフォでこのクラスで、女の子本能的に「男が自分に近づいてくるのは自分が好かれてるからだ→自分のほうが立場が上」という図式を瞬時に形成する。

  

ここでその「男友達」が「じつはきみのことが...」とか言い出そうものならもう大変である

  

まず驚く。

これは、相手自分をそんな風に思ってたなんて、という驚きではない。そんなことはお互い初めからわかっているのだ。

これは「道具がしゃべった!」というくらいの驚きだ。これはびっくりする。

  

つぎに裏切られたように感じる。

そもそも男がフラフラ自分に引き寄せられてきた時点で、相手もこの「見返りのない関係」に同意していたはずだ。

それが今相手自分に何がしかの見返りを求めている。ちょっと待て。話が違うだろう、ということだ。「それは違反ですよ」と言いたいところだろう。

  

そして怒りが湧いてくる。

なにせ相手自分より圧倒的に下の立場であるはずなのだ。それが自分に対して対等であることを主張している。

さらにこの男の「人間宣言」によって、自分は持駒である道具の一つを失う。自分権利に対するりっぱな侵害である。なんなら出るところに出れるレベルだ。

何より腹が立つのは、この状況に対して自分に取れる効果的な手段は何一つないという現実を突きつけられることだろう。これは屈辱だ。

どっちに転んでも自分に与えられた選択肢は「自分の所有物である道具をひとつ手放す」というものしかない。そして自分はそんなことはしたくないのだ。

しか自分は今選べる立場にない。ディレマである。いきなりこんな現実を突きつけられて怒らずにいられるだろうか。

自分の所有している道具が「自分人間だ」といった結果、自分絶対者という立場から一人の無力な人間へと格下げされたのである

  

友達じゃ駄目なのかな」というつぶやきの裏には、このような世の中の矛盾に対する憤り、自らの不幸を恨む気持ち、ついには自分の無力さにたいする苦い諦めの気持ちなどなどが、ぐるぐると渦を巻いているのだというお話

2016-06-07

絶対的基準

神に擬制される絶対的基準を持たない哀れな日本人世間などという曖昧もの基準にせざるを得ない

絶対者概念が無いためにビジョンを持てず戦略も立てられない

基準が無いためにあらゆる物事判断に窮する

このような人々の集合である世間に引きずられて右往左往するほかないのだ

2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524135103

全能の価値観人間が持つそれであり

本当に全知全能存在が仮にいたとしてその者が持つ全能の定義人間の全能の定義が一致する必要性はない

神にとってするかしないかを決めるのは全知全能である神にしか決められないことであり

持ち上げられない岩を作り出し神でさえ持ち上げされなくするということが絶対者である神が定める全能であれば

人間はその全能の定義を認めなければいけない

 

持っている物差し根本的に違うのに図ろうとしても無駄という話

http://anond.hatelabo.jp/20160524131438

可哀想から馬鹿が掴めるかどうかギリギリ蜘蛛の糸垂らしてやるよ。

・お前にとって神に等しい絶対者はどこにいる?今現在存在するから当ててみろ。

最大級のヒント。

2016-04-16

地震回避する呪文真言)~仏陀からメッセージ

4月14日の午前中に地震について書いたら、その日の夜に、熊本で、大きな地震が起きた。今日15日になっても、まだ余震が続き、大分山口愛媛にも、地震が波及している。

地震は、人々の汚れた想念利己的な儲け主義の精神物質的な肉体やそれに付随する心ばかりを重視するような精神、霊的な聖なるものを軽視するような想念波動と、

それらによってもたらされたカルマ因縁)の集積によって、起きている。

地震回避し、被害を最小限に食い止める呪文真言)は、以下の通りである

ナモーパーラミターユル ジュニャーナヴィニシュチャヤ ラージェーンラーヤ タターガター

オーム サルヴァサンスカーラ パリシュッダダルマテー マハーナヤ パリヴァレー スヴァーハー

意味は、「私は、帰依する。彼岸生命と智慧と決定の能力を持つ如来の王に。オーム あらゆるサンスカーラカルマ因縁)を完全に浄化する法よ。偉大なる方途(道)よ。」

と私は、解釈する。これは、梵語サンスクリット語)の解釈である

地震や、台風被害を軽減し、因縁浄化する方法は、すべて上記の呪文真言である。こんな呪文地震が防げるものか、地震とは科学的に言って、云々という人は

いるであろうが、これは、仏陀の智慧である。これで、病気も治る。

私は、統合医学治療院を開いているが、この真言を使った「霊性治療」で、覚醒剤中毒者、難治性うつ病統合失調症医者に見放され、余命3年と宣告された末期のがん患者等を

救済している。科学的な医学で治らない病気が、真言宇宙超越の光、というオカルトまがいの治療法で治っているのである

私は、他のダイアリーで、心臓移植必要な女の赤ちゃんを救える、と書いたし、ALS患者治癒可能であると思う、と書いた。

これらの疾患は、まだやったことがないが、治癒原理は一緒である。そのための論文も書いている。

これが匿名ダイアリーであるということで、批判があるなら、私は、自分身分を明かそう。

世界救世主 絶対者 至碧老祖 北川訓司である身分は、米国法人国際地球環境大学総長CEO統合医学研究科長、至碧統合医学臨床研究所北川治療院)田辺センター院長、

スピリチュアルクラブ至聖会主宰である。連絡先は、インターネット検索して下さい。こうして、私は身分を明かした。私は、自分の書いたことに責任を持っている。

この地震回避する呪文真言)は、宗教を信じる信じないに関わらず有効である地震に遭うのが嫌な人は、この呪文真言)を唱え、自分地域の人々を救済すればよい。

これは、ちょっとした菩薩行です。功徳を積みます。至碧金剛如来 北川訓司(0739-24-6904)※迷惑電話、いたずら電話は、ご遠慮下さい。

これを信じて地震が来ても、その人は、救われるので大丈夫です。阪神大震災の時に、私の弟子たちが皆救われたので、それは、証明済みです。

安心して下さい。助かりますよ。

2016-04-14

保育園問題に対する私の見解仏陀視点から

このようなことを書くと、各所から、反発の声、非難の声が集中すると思うのだけれども、仏陀として、

世の中を良くする、と言う観点から、私の見解を書くと、

一般に、保育園問題でお困りの方は、自分が働けない、とか、収入が無くなる、と言って困っておられるのだと

思うけれども、子供を産んだからには、責任もって、親として、子供の世話をするのが、筋だと思う。

自分の便利な生活、快適な人生設計ばかり考えて、子供が、母親愛情を恒常的に受け続けなければ、

精神的に豊かには、暮らせない、ということを忘れている。

私の母は、教師をしていて、小さな頃は、乳母の世話になっていたが、何となく母親愛情を感じられず、

社会的に、落伍者になったのではないかと感じている。

今は、母も定年退職し、仲良くなったが、私は、どこか女性を信じていないところがあって、

結婚とか、恋愛に踏み込めない。それなりに、好きな人はいたが、一方的愛情や、うまく行くのは、

風俗女性とか、旦那のいる20歳年上の女性とか、そのような恋愛ばかりで、普通恋愛ができない。

もっとも、これは、母親が働いている人はすべてそうなるわけではないと思うが、私の弟は、普通に大学に行き、

家庭を持って、子供も2人、会社でも、重要立場で頑張っているのだが、やはり、弟も、結婚した後は、

奥さんを、専業主婦にしている。母の年金のお陰で、私は生活が成り立つのだが、一人では自活できない。

半面、治療では、奇跡的な治癒効果を出し、仏陀としての悟りも得て、霊的には十分良かったのだが、

この世的には、私は、53歳の今でも、生活のできない、駄目な人間社会落伍者なのである

から専業主婦価値もっと認めるべきである日本経済が低迷しているからと言って、一億総活躍社会の名のもとに、

女性社会進出を取り上げるのは、危険性がある、と思う。もっと、みなつつましく、生活を最低限ぎりぎりとして、

その中で、感謝、思いやり、慈しみの毎日を送り、日々、愛情と喜びに満ちた生活をするのが、本来ではないか、と思う。

待機児童問題を解決するには、様々な複雑な要素があるので、難しいが、日本経済活性化と、景気浮揚策、少子化対策は、

今すぐにできる。それは、わいせつ頒布等に関する法律売春防止法淫行条例児童ポルノ買春防止法を撤廃し、

ストリップ奨励し、セックス奨励するのである。そうすれば、宇宙創造主、並びに絶対者創造主を産んだ存在から

生命エネルギーが円滑に流れることになり、どんどん光が強くなって、すべての社会活動が活発になる。

病気もかからなくなるので、医療費も大幅に下がる。今の医療は、保険診療に偏りすぎている。代替医療奨励し、

ヨーガやその他の自然療法で、自分で治す努力をする。今は、医療に頼り過ぎである。また、現代医療も、肉体の延命だけを

良しとするような風潮を改めなければならない。人間は、肉体と精神だけの存在ではない。霊的な存在である。この視点

忘れているところに、現代社会の病根はある。と、洞察する。育児問題も、霊的な観点から考え、肉体の維持だけを良しとしない。

前に、心臓移植のことを書いたけれども、死も、立派な幸せであることを、もっと社会全体で考えるべきである。この霊的な視点を持つと、

すべての問題は、簡単に解決する。私は、そのように提案する。

心臓移植について

最近女の子心臓疾患で、移植を受けるために、アメリカに行く治療費等で2億3000万円募金をすることが決まったという話を知った。

心臓疾患は、やはり、カルマの影響で起きている疾患と言わなければならない。

私は、霊性治療専門家として、霊性分析を行ったが、このケースは、治る可能性があることが分かった。

地震場合と同じく、宇宙超越の光の適用によって、このケースは治ると思う。

誰か、このサイト存在をその方に伝えてくれないか。ただ、確実に治るかどうかはわからないので、こうしたケースは、無償でさせていただく。

これで、その女の子の病状が回復したら、他の心疾患の子供(ただし、女の子に限る)、心疾患だけではなく、小児がんやその他の難治性疾患の子供。

私は、この治療で、徳田虎雄氏のALSも治ると思っている。すべての病気は治るのである。それが、宇宙創造主の御心である

治療方法は、遠隔治療である。できれば、一度、当地へ見えて、私から、直接エネルギー伝授を受け、その両親のご先祖、4家の先祖供養をする。

ご両親は、毎日宇宙超越光伝導線香を灯して、先祖感謝する。そうして、絶対者宇宙創造主に日々感謝し、

思いやりと慈しみの心で、生活するようにすれば、このケースは、治癒し、さらに、他の女の子病気も、すべて治癒するだろう。

この方法は、誰でもできる。至碧統合医学臨床研究所北川治療院)田辺センター

2016-02-26

審判プレイヤーはよくない

http://anond.hatelabo.jp/20160226005647

サッカーで、審判を置かずに片方のチームの人間だけ審判プレイヤーをさせたらフェアな試合になるだろうか?

家庭という密室審判プレイヤーなんて絶対者が居てもろくな事にならない

普通のしつけは親自身も守れる公共の(外の)ルールを使ってやるものです

2016-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20160223170731

俺は全く欲しいと思わないな。

まず第一に子どもという一人の人間をこの世に導き出すということに責任が取れない。

子どもってコウノトリが運んでくるものじゃないんだよ。

ただの人間が作り出すことができる。

それってつまり子供にとっての神みたいなもんだよ。

宗教の神よりも実の親のほうがよっぽど絶対者だよ。

 

親になるってことは家庭っていう宇宙管理する神にならなきゃいけない。

そんな大役こなせるかフツーの人間に?

こなせないから毒親や意味分からん親ばかりが子を育てて、

結果的に駄目な大人を生産してきてるんだろう。

俺は自分を知っているから欲しいとは思わない。

自分の寂しさを紛らわそうとしても無駄だ。

結局子どもは家からいなくなるからだ。

無駄無駄

2015-10-28

はてな村人ゲーム」のルール説明

以前ははてな村威信値を競うソーシャルゲームだったと言ってたかと思うが、今は威信値など殆ど関係ない。

最近は一撃死ありの人狼っぽくなってきている。

以前のはてな村

『はてな村オンライン』の遊び方

今のはてな村

はてなブックマークは安全な観客席じゃない。“戦場”なんですよ? - シロクマの屑籠

しかしまだまだ精神科医ロートルなので、そのうち狼陣営と村人陣営しか見えていない。

現在はてなには4つの勢力が有る。彼が提唱したモデルはもはや時代遅れである




陣営 =シロクマのいうはてな村オンラインはここの世界の話。戦力的には強いがみんなマウンティング欲が強すぎて常に仲間割れしており統制がとれていない。モヒカン族とも呼ばれ、論理で人をなぎ倒すことに無常の喜びを感じるサディスト軍団

村長絶対的人狼) 本人は支持を出すだけ。他の狼がいなくなるまで吊ることができない。

精神科医   (狼) 最近血に飢えている印象。 その割に3年ぶりの復帰戦で不甲斐ない姿を見せていて威信値だだ下がり。雑魚ばっかり狩ってないでちゃんとやってほしい。

ブックマーカー(狼) 共食いをすることがある。

増田     (狼) 共食いをすることがある。

はてな村ウォッチスレ(狼) 猫又を殺すことに命をかけている狼陣営からしたら迷惑な狼。

ミニマリスト狂信者) 思考シンプルライフな人たち。あらゆることが大雑把。

            そのためか村と狼の区別がつかず漠然と村を嫌っている、

            狼を攻撃しようとして実際は村の不利益になるようなことばかりしており結果として狼陣営に味方しているバk




陣営 =戦力の高い人間はみんな狼になるクソ仕様のため戦力は低いが数だけは圧倒的多数まれに狐や狼に乗っ取られることもあるが基本的に善良。人の話をまともに聞いてしまうがゆえに狼の攻撃に弱い。

はてな村奇譚絶対者) 誰よりも村について詳しいが位階が高くなりすぎて彼のメッセージは誰にも伝わらず誰から村民扱いされない孤独神様

しなもん  (占い師) すでに亡き存在。 占い師を失った私たちは誰の導きに従えばよいのか。

あざなわ  (霊媒師) 傍観者死体が出た後でネタにするだけ。彼が試合中に口を出した場合は真っ先に両陣営から吊り・噛みの対象

hage 、to isyu(共有者)絶対的白。 文句をつけた村人や、共有者騙りをした狼は次の日無残な死体となって……。

?     (狩人) 誰も仕事しているのを見たことがない。すでに噛まれて死んだのではないかという説が濃厚。

ブロガー  (村人) 狼に襲われるのを待つだけの哀れな存在。いつ噛まれるか戦々恐々としている。

はてな女子 (猫又) 吊ると村人を犠牲にして死ぬ。狼が噛むと狼が殺される。村陣営とは言え近寄りがたい人々。

Naverまとめ系(逃亡者) 斧で脳天かち割られたりしてるけど今日も元気そうでなにより。記事の内容があんまり記憶に残らないんだよね……


陣営新興勢力にしてはてなブログの主戦力。リアルではぼっち人間ネット気持ちいくらい濃い繋がりを求めた結果生まれた新種。はてブより金がほしいと考える。従来の働き方にとらわれない=従来の枠組みで言う「無職」の人が多い。人の話を聞かないのでモヒカン族攻撃無効化できる。


アフィリエイター(狐)  占い師に占われると死ぬがこの村に占い師はいないので吊られない限り無敵。潜伏が基本だが名前が売れるまではギリギリライン炎上狙いをしかけてくる人もいる。

かくいう私も狐でね(狐) 3年以上やっててまだ儲かってないみたいだけどブログで食って行きたいらしい。オタ充やウェーイ系を騙ることが多い。狐であるがゆえに冬眠していた3年ぶりに出てこようが狼であるかぎりは彼を直接倒すことは出来ない。

サイバー眼鏡   (狐) 狐陣営は失うものがなさすぎる人が多くて無敵感ある。狐陣営精神科医のお世話になっている人も多いがブログ一生懸命書くよりまずお薬ちゃんと飲んで休んだほうがよくね?

互助会     (背徳者) 某人財プロジェクトなどのように記事の内容はよくても互助会認定されると村から吊られる。彼らが狐の代わりに吊られ続ける限りは狐陣営は戦力が温存され続ける。




恋人陣営 =はてなは意外とオフパコ多いらしいがオフパコCOすると吊られるので潜伏していることが多い。基本的に潜伏しているので害は無いが数が増えると空間ピンク色に染まるため注意。

恋愛工学     (キューピッド

ウェーイ系    (恋人)  

2014-08-24

ハリウッドゴジラについて

遅ればせながらゴジラを見てきた。作品感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦反核メッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間コントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。

以下が簡単な初代ゴジラストーリー

人類調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。

ゴジラ日本列島に襲来して壊滅的なダメージ

ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器若い科学者発明

しか博士はその兵器戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。

ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力研究対象にするべく生かすのか? 議論割れる。

結局、オキシジェンデストロイヤーゴジラ死亡。博士兵器悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。

ゴジラは60年前から反戦反核メッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学呪縛から逃れられない人類象徴的に描いている。「人類核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後セリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。

ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然神様といった人間にとってアンタッチャブル概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様世界人類想像したというキリスト教的な欧米世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界スタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。

その点、日本では不可侵存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類もののけ人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震台風が発生するとき容赦なく発生するのと同じこと。つまり本来自然神様人類の都合など考えない、極めて不条理存在であるわけだ。

もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球破壊」「寿司がまずかったら地球破壊」「ジャンケンに負けたら地球破壊」といったセリフオンパレードは、神様不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。

そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端社会派作品に堕してしまっている。

一つ興味深い点を挙げれば、人類ゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラ人類撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪宇宙人自然災害撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察自称して世界中西欧価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋である渡辺謙が発した「愚かな人間自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然子ども管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッドゴジラ反戦反核メッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカ外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。

2014-04-05

国際社会裁判はない

日本訴訟国家ではないのが、私には意外である

日本人はなにかトラブルが起こった時、裁定者を求めるのが普通である。例えば、駅前に停めてある自転車邪魔だと思ったら、自分自転車の所有者に文句をつけるのではなく、市役所や駅員にどうにかするよう言いに行く。

これは日本人の個の弱さだ、と喝破する論説を読んだことがある。その時私は、これは日本人なりの文明的な態度なのだ、という感想を持った。揉め事が起きた時に当事者同士で言い争うのではなく、第三者に訴えて両者裁定を待つの日本人的だと思ったのだ。

そんな日本からこそ裁判活用しそうなものだが、日本訴訟国家ではないというのがアメリカと比べての結論らしい。とすると日本では裁判沙汰になる前に決着が着いてしまう、ということなのだろう。裁判官以外の第三者裁定で納得してしまうのだという推測ができる。

なるほど、これはたしかに個の弱さだ、と今になって思う。

この日本人的な気質がどのように作られたのか、というと、その答えは天皇陛下存在以外にはない。あの戦国時代でさえ、各武将は「陛下のため」というお題を錦に掲げていたのだ。日本人には従うべき絶対者がいる、というのは多神教が支配する日本の中に存在する一神教的な点であり、非常に興味深い。

さて、島国日本ではそれでよかったが、翻って大陸ではどうだろう?同じ神を信じる者同士であれば司教などの裁定が通じたが、宗教が違ってしまうとそれも出来ない。つまり、どこまでも個以外に頼るものがなく、個と個の激しいぶつかり合いがあった。それは、彼の地で生まれ育った人々の気質にも大いに反映されているはずだ。というか、そうした個の強さこそ世界スタンダードだといえる。

日本外交をする際に、こうした日本人世界一般の人々の気質の違いを踏まえていないと、大変な火傷をすることになるだろう。

例えば領土問題。この問題を国際裁判所に訴えればいいという言論があるが、これは一概にそうとはいえないのではないか。これは日本人同士の争いではなく、国と国の争いなのだ人種はもちろん宗教憲法も違う国と国の争いを裁定するのは何者なのか。その裁定にはどんな意味があるのか。これを、普通裁判と同じように考えてしまってはならない。

国際裁判所には、裁判は争いあう両国同意があって初めて成立する、という大前提がある。これはある意味当たり前のことだ。国という個が裁判結果を受け入れる姿勢がなければ意味が無い。司法裁判でもないからなんの強制性もない。だからこそ、どこまでも個がぶつかり合う国際社会の場では裁判という問題解決方法はあまりにも意味を成さないのだ。

まり国際社会日本の主張を受け止めさせたかったら、どこまでも主張を続ける以外にない。第三国裁定裁判と同じだ。争う両国にその裁定を受け入れるという最低限の同意がなければならない。誰かに問題の解決を頼むのではなく、自力で問題解決に向けて行動するしかないのだ。

日本人は今、真の開国をしてその姿勢を学び取らなければならない。その時に来ているのだと私には感じられる。

2013-12-07

女子中学生の私が『進撃の巨人』を見て思ったこと

 私は原作漫画は読んでいませんが、アニメは毎週兄と一緒に楽しく見ていたのでその感想を書いてみますネットこころない大人たちによって叩かれすぎだと思うのです。すくなくとも私の周りでは大人気ですし、時代についていけないセンスのない大人たちが若者文化を叩くのを見ると私はとても悲しい気持ちになります(いつの時代もそうだったのでしょうか)。

 私はこの作品に触れて、作品内容が類似しているかどうかはともかくとして、アルベール・カミュペスト』、ジーン・ウルフ新しい太陽の書』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、安部公房飢餓同盟』、大江健三郎万延元年のフットボール』などを思い出しました。『進撃の巨人』はこれらの小説のどれにも劣らない深みと非常に高いクオリティを持った稀有な少年漫画なのだと思います。その作風アニメを見る限りたしかに単純で素朴で荒削りですが、作者の諫山創先生は、世間にあふれる自意識自尊心だけは一人前の凡庸な作家たちが血も滲むような努力をしたところで一生得ることのできない文学的センスというもの無自覚のうちに獲得していらっしゃるようにわたしには思えます

 壁の向こうには海があって、海には宝とも言える塩がたくさんあるとエレンアルミンが目を輝かせて会話するシーンがあったと思いますアルミかわいい!)。壁の外に真の楽園を夢見ながらも、壁の外の脅威=巨人によって偽りの楽園である壁の内側にとどまるしかない人類。そして偽りの楽園は日々縮小傾向にあり、もはや人類は楽園という夢想を捨て現実に立ち向かう必要に迫られています。もし外からの脅威によって人類生活圏が縮小しないのなら、人類はこのまま壁の内に閉じこもったまま、一種の自己欺瞞によって自らを制御し動かしながら、秩序を維持することに一生を捧げていたでしょう。そうした変化のない永遠の倦怠ともいえる世界では、いずれ歴史が失われ、始まりも終わりもない空白の永続状態だけが字通無意味に残る、いや、それは記録されないので残るというよりは虚空に漂うことになるでしょう。しかし『進撃の巨人』の世界では人類は変化を迫られました。そしてその変化を迫ってきたのは、脅威=巨人なのですが、その巨人とは人類自身だったというわけです。

 現状を打破せよ変化せよという声なき声、暗号を発しているのが巨人ですから巨人とは人類無意識飢餓感、欲望のメタファーだと思います。そして人類は自らの欲望の代理である巨人と戦わなくてはなりません。これは自己矛盾をはらみます人類はみずから欲望をいだき(巨人生産)、みずから欲望を抑圧し(巨人駆逐)、みずから破滅します。いつしか人類の欲望は敵となっています。それは生への意志を否定するものです。みずからの欲望が真の楽園への道を閉ざし、日々縮小する偽りの楽園におい鬱屈とした毎日ゾンビのように送るしかなくなっているのです。原始においては槍で戦うしかなかった人類が、科学技術進歩したことによって、核兵器生物兵器などのとんでもない力を生み出すようになってしまいました。長い歴史にわたる真理の探求と知識への欲望が私たち人類生活を豊かにし明るい未来へと導いてくれるはずでしたが、洗練された人類は新たなそれまでとは比較にならない圧倒的に暗愚で野蛮な状態に陥ってしまったのです。巨人性器がないのは必然で、それは人類の欲望なき欲望だからです。欠如によってしか私たち未来を示すことができなくなってしまったのです。

 そんな行き詰まった世界人類はどうやって生きていったらいいのでしょうか。巨人を完全に駆逐したとき人類絶滅するでしょう。これは勝利なき戦いです。かならず負ける戦いです。私たちに突きつけられたこの運命私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。友情によって? 愛によって? 暴力によって? 狂気によって?

 現代社会ではみなそれぞれが不安をかかえて生きています。それは生存の不安です。自分不安無自覚でいることはもはや許されません。人類の足場はもろくも崩れ去ってしまい、そうしたなかで人類は原始への回帰、裸で樹上生活をしていたころに戻ろうと、立体機動装置最後のあがきをこころみるのです。これだけの技術力がありながらどうして他の兵器を作らなかったんだという批判がありますが、腰部から射出されるアンカー射精メタファーだということを考えればそれが無意味な批判であるということがわかります(そもそも巨人の完全駆逐目的ではありません。巨人を完全に駆逐したとき人類絶滅するからです)。人類アンカーを射出しなければならなかったのです。それが人類の見た最後の夢だからです。かつて液状で運動性に優れていた精液はこの時代おいては外的要因によって働きかけられないと動かない冷たい鉄になってしまいました。それでも人類去勢不安を打ち破るために重い腰を上げてさびついたアンカーを射出しつづけなければなりません。それはまさしく不条理悪夢ですが、しかしこれこそ現代私たちがおかれている状況というわけです。

 現代論理的未来予測というものをつねに逸脱し飛躍し暴走して、私たちの手の届かないところに行ってしまます私たち世界から疎外され置き去りにされ、存在理由をはぎとられてしまっています人類人類自身と向き合い戦わなくてはなりません。しかしその戦いには勝利というものがありません。滅亡へのゆるやかな推移があるだけです。

 私は『進撃の巨人』は現代社会警鐘を鳴らしているのだと思います私たち自分巨人とどう向き合うべきでしょうか。私たちは当然のように幸福を追求しますが、その幸福はいったいなんなのでしょう。希望なき時代希望とは? 光なき時代の光とは? 私たち絶対者、神を殺し、あるひとはそれを人類の勝利だと誇りさえしますが、依然として私たちには難問が残っているのです。

 こんなニュースがありました。「進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙」(http://mantan-web.jp/2013/12/07/20131206dog00m200072000c.html) やはり時代に求められているので売れているのだと思います。批判している大人のひとたちは自分の愚かさをよく考えてみてください。

2013-01-25

気づいてしまった。

 ふと、仕事で朝から晩まで働いてサービス残業サービス休日出勤まみれをしていて気が付いた。

「これじゃあ、いつか潰れるその日まで働き続けるか、転勤になってかわりの生贄が用意されるのを待つしかないのか」と。




 去年、会社を辞めた。

自分純粋に疲れてしまっていることに気付いた。



去年の秋に異動があり、ほかのところに異動になって主任になった。

前任者から引き継ぎを受けて、業務を開始したのだが実は前任者が曲者だったのだ・・・


山ほどその部署で公然とコンプライアンス違反法令違反を行っていた。

そのことに気付いていて、上司課長などは黙殺してきたらしい。

(いろいろ費用を投入したおかげもあり、成績は好調だったため)

ただ、その黙殺していたと思われることだけではなく、ほかにも山ほどルール違反などを繰り返しており、

完全に法律的にもアウトなことをしていて、部下にそれを強要していたのだ。

部下たちも主任絶対者であったためにそれが当たり前化しており、

本来のあるべき姿に戻すべく、いろいろルールを教えるのだが

なぜ今までのルールがだめだったかわかっていない節がみられるものが多数いる。(コンプライアンス意識がまったくといってない。)

前任者の恐怖政治も手伝って、意見を言ってはいけないという下地もできているようで

本来なら真っ先に相談すべきことがなにも相談してこないという有り様だった。

どうして言わなかったかを聞いてみると、

前任者の時はそんなこともできないのか・わからないのかと言われ、怒られていたのでついと。

前任者はこうだった、ああだったと前任者の在任期間が長かったせいもあり、

主任サービス残業サービス休日出勤が当たり前だと思っていたり、

休日で休んでいるのにお構いなしに自分たちで処理できるくだらない案件でばかみたいな回数の電話をかけてきたりと

素晴らしいまでの腐り具合でとても業界一二を争う上場企業の姿だとは思えなかった。

その上、課長たちも私がこれらのことに疲れ果てていても数字お上のご機嫌伺いばかりで、

根本的に人時が足りなくて出来ていないことなどで怒鳴ってきたりすることだけは一人前だった。




会社は前任者が3年半も法律ルールコンプライアンス違反を犯していたのに、

監視機構は働かず、数字しか見ていないのに気づいてしまったのだ。



ほかの会社でもあることなのだろうとは思うが、ただ自分がその災厄を受けてようやく分かった。

こんな組織を維持するために自分犠牲にするのがバカらしくなった。

いったい何のために働いているのかと。

お金はもちろん欲しい、でも、こんなことするために働きたかったのかと。


自分はもうここに一秒もいたくないと思い、

自分たちが楽したい課長などの上司達に無理やり引き伸ばされたりもしたが、

辞職を申し出てから2か月、移動してきてから3か月後に無理やり辞めた。

下の人たちには退職日の前日まで伏せていたのでかなり驚いていたが、

まったく気づいていないことにむしろ呆れた。

結局ふがいない上司たちは2か月の間に

哀れな生贄を用意できなかったようで課長たちが代役をしている。


会社を辞めて、次を決めていなかったのでいまはのんびりと貯蓄で暮らしている。(5年くらいの貯蓄はある)




ただ、自分が何がしたいのかが分からなくなってしまった。

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