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はてなキーワード: エノラ・ゲイとは

2024-10-29

敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポールティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。

1945年8月6日広島市原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイである

2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。

私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。

彼の話には一縷の悔恨も出ない。

アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。

当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。

その3年後、彼は亡くなった。

聞けば原爆投下批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。

今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己正当化することでしか人生家族も守ることができなかったのか。

戦争は勝ち負けにかかわらず関わったすべての人間尊厳破壊し、人生を踏みにじる。

市井の民にとって良いこと・正しいことなど何一つない。

私たちが彼らから学ぶべきことはこのことに尽きる。

長野智子(キャスタージャーナリスト)

ソース: naganotomoko.com

2024-10-11

ふざけんな鬼畜米英

エノラ・ゲイの乗組員の一人が被爆者本人に指差し

「私は絶対に謝らない、リメンバーパールハーバー!」

って侮辱したの忘れてないからな

クソったれ!

2022-02-24

いつだって口が人を殺す

エノラ・ゲイパイロットの"yes sir"が何十万人もの人を殺したのかもしれない。

ヒトラーの"nein"が、東條英機の"はい"が、

そして彼の人の"Да"がついに目の前でウクライナ人を殺したぞ。

次に殺すのは我々の閉じてしまった口だ。

2021-09-10

anond:20210909085909

しかもこれ、原爆が落とせば爆発する状態にセットされてから攻撃を受けたんだね(Wikipedia情報

エノラ・ゲイがここで撃墜されていたら四国の山の中にキノコ雲ができていたのか

架空戦記に出てきそうな話だ

2021-09-09

anond:20210908075140

では、特攻隊軍艦ではなく、原爆背負った飛行機にぶつかっていれば被害が少なかったのかな?

8月6日エノラ・ゲイ日本へ向かう途中で日本軍機1機の攻撃を受けたそうだ。このときエノラ・ゲイ撃墜されていれば原爆広島に落ちなかったことにはなる

ただその日本軍機は、目標原爆を積んでいることは知らなかっただろう

そもそも日本軍はアメリカ原爆の開発に成功したことを知らなかったみたいだしね

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

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表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

2019-08-02

あいちトリエンナーレ表現不自由展」に足さないといけない展示

旭日旗平和少女像にまとわせ、日韓表現の自由架け橋にしよう!)

漫画ワンピース(展示内容には含まれないが、原作旭日旗を思わせるイメージが数回登場するため、韓国戦争記念館での「ワンピース特別展」そのものが中止)

六四天安門事件 武力弾圧の映像中国共産党による監視統制。天安門事件関連の学術雑誌ですら中国国内からアクセス不可)

ムハンマドの描写を含む歴史画

悪魔の詩翻訳者殺害された未解決事件焚書騒動イラン最高指導者ホメイニによる原著者の死刑宣告など)

ヒトラー人形(デ・アルチャろう人形からヒトラーのろう人形撤去米国ユダヤ人人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センター」など海外から強い批判

広島に原爆投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」と原爆被害、歴史的背景原爆被害歴史的背景も含めたエノラ・ゲイの展示について、退役軍人団体の抗議により原爆被害歴史的背景をスミソニアン博物館から撤去

天皇コラージュ作品昭和天皇写真きのこ雲、骸骨などのコラージュ沖縄県博物館美術館で展示中止)大浦信行さんの作品は「表現不自由展」に入っているらしい。

自衛隊車両神戸市大丸須磨店のイベント夏休みパラダイスin 須磨」の展示が市民団体の抗議により中止)

表現不自由展」中止反対!

中止を阻止するために展示を充実させよう!

津田大介さんの全責任の下でこれらを展示するよう求めてバランスを取るほうがいい。

津田大介さんには文字通り命を懸けて、世界表現の自由のために戦ってほしい。

あとなんか他にある?

反応から

シャルリーエブドは襲撃前から継続して風刺画を掲載しているので、一連の流れを展示すると見ごたえがありそうです。

「二度目の人生異世界で」は中国からの抗議で、アニメ化中止、小説版出荷停止になった作品ですね。

ナチスっぽい衣装乃木坂ではなく欅坂かな?欅坂から衣装提供を受けるのは難しそうですが、サイモン・ウィーゼンタール・センターから批判に屈することな表現の自由のために展示を続けてほしいですね。

会田誠さんの作品は、津田大介さんの心情にあっていそうだから、すでに入っていても不思議はないくらい、入りそう。

2016-12-04

この世界の片隅に」は橋の物語

この世界の片隅に」は橋の物語なんだよね。

ほら、「ポンヌフの恋人たち」とか、

今年最大のヒットを飛ばし数寄屋橋での男女のすれ違いを描いたメロドラマ(違う)とか、

橋を舞台にしたラブストーリーってあるよね。

すずと周作は幼少期に広島の橋で出会って、嫁ぎ先の呉の橋の上で語らい、

最後出会い場所に戻って愛を確認する。

シンプルロマンスだなあと思うだけど、ここで広島の橋に注目したい。

この橋はストーリーには出てこないけど、昭和15年に橋の形がT型に改修されるんだ。

で、その目立つT字型が徒となり、エノラ・ゲイはこの橋を標的に原子爆弾を投下した。

この世界の片隅に

とんでもない、二人のラブロマンス舞台広島惨禍の中心地だ。

でも、この橋は原爆のすさまじい熱線と爆風に耐え、破壊はされたものの落橋しなかったんだ。

終戦後の橋の上で、周作は「この街もわしらももうあの頃にはもどらん 変わり続けて行くんじゃろうが」

すずは「この世界の片隅にうちを見つけてくれて、ありがとう」と、二人は爆心地の方角を見ながら語り合う。

昭和20年8月6日に途方もない悲劇を背負った橋は、

このささやか物語の中で戦争が始まる前から縁を紡ぎ、終戦後に夫婦の絆を深めた場所に選ばれたことで

本来持っていた名前意味を取り戻したのではないかな。

なんでかって言うと、あの橋の名前は「相生橋」と言う名前なんだ。

夫婦が共に年をとるまで長生きする」という意味の。

2016-01-26

先ほど道を歩きながら

すかして溜まったガスを放出しようと、念の為に一回後ろを確認し、老人しか居ないことを確認して(何しろ後ろに美人が歩いていたら嫌だからね)数発と思っていたら、エノラ・ゲイ級の爆音放出されてしまった。

しかも都合の悪いことに時を同じくして、横の建物から美人が飛び出てきて数秒のタイミングだった。

人生最大の危機だった。

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150803130206

<評伝> 高橋昭博さん 被爆実態 伝え続けた半生

 被爆実態国内外に伝え続けた半生だった。元原爆資料館長の高橋昭博さんが2日、亡くなった。「原爆犠牲者の声なき声を後世に伝えるのが生き残った者の責務」。最後取材した3月、言葉は途切れ途切れながら強い意志を感じさせた。病が進み証言活動が困難になっても、核兵器廃絶への執念が衰えることはなかった。

 あの日、爆心地から1.4キロ被爆し、生死をさまよった。戦後広島市役所に勤めながら被爆者運動に心血を注いだ。

 原爆被害非道を訴える一方、対話を重んじた。1980年、原爆投下エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ氏に米国で面会。「いまさら恨みつらみを言うつもりはない」と握手を求め、文通につなげた。「核兵器なき世界」を唱え就任したオバマ大統領には広島訪問要請する書簡を何度も送った。

 オバマ大統領被爆地を訪問する際に謝罪するべきかと問うたことがある。高橋さんは「謝罪というハードルを突き付けるばかりでは廃絶へ進まない。ずっと同じ場所にとどまるのは未来志向ではない」と答えた。

 だが、別れ際に「昔は謝罪するべきだと思った。本当は今でも原爆を落としたアメリカが憎いですよ」と苦渋の表情も浮かべた。長年、核兵器廃絶を訴えた理想非人兵器による惨劇を忘れられない内面との葛藤垣間見た思いがした。

 長年苦しんだ末にたどり着いた「和解」の訴えは重く、高橋さんが目指したゴールははるか遠い。その遺志をどう引き継ぐのか、被爆地に問われている。(金崎由美)

(2011年11月3日朝刊掲載

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20111104131802632_ja

まあ複雑ってことで

2010-08-06

エノラ・ゲイ機長遺族は不快感っていうけどさ

原爆投下が戦争終結を早め、多数の人々の命を救った」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100806-00000029-jij-int

犠牲比較といいう理屈でいけば

テロリストが人ごみに逃げ込んだら

拳銃乱射してでもテロリストを仕留めろ

って言ってるのと同じだろ。

人の命を天秤にかける資格は誰にもない。

アメリカ人にも日本人にも。

2009-10-13

 日本での「祝賀」報道とは裏腹に、9日に発表された「ノーベル平和賞」受賞のニュースは、アメリカ社会にとって、そしてオバマ大統領にとっても驚きと困惑以外の何物でもありませんでした。慎重に言葉を選んだ9日午前の会見、そして12月の授賞式にノルウェーには行くが、賞金は全額寄付するという「苦渋の落としどころ」その全てがオバマの「窮地」を物語っています。

 問題は2つあります。まず医療保険改革でアメリカ保守派と全面対決状態のオバマにとっては、「国際派エリートきれいごと」を嫌う保守派をこれ以上刺激したくないということがあります。また、アフガンの戦況が思わしくない中、平和賞をもらっておきながら増派というのも国外から非難されますし、逆に平和賞をもらった勢いで宥和策などということでは、やはり国内保守派からは強硬な反対が起きるのです。

 オバマの周囲は「先週の五輪が当たりで、今回の平和賞がハズレだったら良かったのに」という声が聞かれます。「北欧から2週続けて変な決定が来た」というわけです。ちなみに、世論は全く分れており、受賞賛成論、賛成だが時期尚早、反対のそれぞれが3分の1ずつという感触です。ただ、関心は高く、10日の早朝にニューヨーク空港ロビーでCNNを見ていた乗客は、このニュースになると真剣にTVに見入っていました。勿論、ニューヨークのとりあえず飛行機を待っている層では、全員が反対ではないわけだと思いますが、要は政治的なプラスマイナスについて非常に微妙な問題として関心が高いのです。

 更に私がビックリ仰天したのは、11日の「広島長崎市長」による五輪招致構想です。平和賞の衝撃どころではありません。これは本当に大変な問題です。提案した側は、オバマ大統領の核軍縮宣言に勇気づけられ、それがノーベル平和賞世界から承認された流れを受けて、招致に自信あり、などという感覚で言っておられるのでしょう。そこに悪意は何もないと思います。ですが、これは完全に逆効果であり、オバマ大統領の足を引っ張るだけだと思います。11月の訪日へ向けても暗雲が漂ってきました。

 恐らく、オバマ夫妻の個人の胸の内としては「ヒロシマナガサキ」へ赴いて、自分アメリカを代表して謝罪するようなことも、心の準備ができていると思います。そうした大統領アメリカで在任しているというのは大変なことであり、千載一遇のチャンスとして周到に流れを組み立てなくてはなりません。ですが、まず、このオバマ大統領ヒロシマナガサキ献花ということと五輪というのは、全くの別問題です。五輪というアイディア逆効果の方が大きいと思うのです。

 まず、アメリカには「日本への原爆投下は必要な作戦だった」とする世論がまだ50%弱は残っています。その一部は「本土決戦による米兵の流血、日本人非戦闘員の大量殺戮日本の本土インフラ完璧破壊天皇制の崩壊、共産化」といった最悪の事態を回避したテクニカルに正当な作戦という認識です。また、そんな難しい話に興味はなく、ただ「アメリカ極悪人にされることには何でも反対」という世界中どこにでもいるナショナリズム感覚で言っている人も多いと思います。下手をすると、「ヒロシマナガサキ五輪」にはアメリカは参加できないかもしれません。そのぐらい、原爆投下の倫理的評価というのは、残念ながら国論を二分する問題なのです。

 いずれにしてもアメリカ保守派は、オバマ大統領の核軍縮戦略そのものも敗北主義であり、アメリカを核攻撃の脅威にさらすモノとして反対しているのです。こうした反対論に上手く対応しながら、「献花によって日米同盟がより深化する」「日米の世論が最終的な和解に至る」という演出をしながら、夫妻にヒロシマナガサキ訪問を成功させるというのは、非常に難しい問題なのです。恐らく、日本の知米派、アメリカ知日派の心ある専門家の方々は、コツコツ難問を解くようにしてこの問題に取り組んでいると思います。

 1つのカギは、明仁天皇美智子皇后陛下ハワイオアフ島にある真珠湾の「戦艦アリゾナ記念館」で献花をしていただくことです。そこで日米の和解を長い困難の果てに完結させる輪の半分が出来、そしてアメリカ側から「オバマヒロシマナガサキ献花」という行為が輪の残り半分を完結させる、そうしたストーリーです。これでアメリカ保守派が100%納得するとは思いませんし、日本保守派は抵抗するでしょう。憲法に禁じられている天皇陛下政治利用になる、その論議も避けては通れません。

 ですが、これなくしてコロコロ変わる日本総理大臣がどんな言動を行っても、2つの国家歴史の上に「和解の輪を完結させる」ことにはならないのです。それは憲法にうたう「国民統合の象徴」による行為ではない、単なる行政府の長の「事務仕事」では耐えられない重みがある問題、国外からはそう思われているからです。

 残念ながら今年のカナダハワイ公式ご訪問に際しては「アリゾナ」献花は実現せず、両陛下は丘の上の「太平洋平和記念碑」に献花をされただけでした。これは外務官僚宮内庁官僚の失態ではありません。麻生政権という「弱体政権」では、こうした込み入った問題に関する世論との対話能力がなかったからでした。このままですと、この構想は時代の流れの中で実現せずに終わる恐れもあるように思います。ギブアンドテイクというのは道徳的ではない印象を与えるかもしれませんが、この「相互主義」というのは外交の基本原則です。これなくして、この種の厳粛な問題は進みません。

 もう1つの問題は、五輪ヒロシマナガサキで行われた場合は、アメリカは「犯罪者」として参加する位置づけになります。オバマ大統領の核軍縮が進み、国内の反対論が弱まっても尚、自分の国が「唯一何らかの謝罪をする側」に立たされる中での五輪参加ということは、アメリカとしてはまず無理でしょう。仮にアメリカが参加できたとしても、例えばの話ですが、開会式でコッソリ「エノラ・ゲイ」の旗でも振る選手でも出ようものなら、何もかもが台無しになってしまいます。

 それに、アメリカ以外の国はその「非核五輪」に参加しながら自分核廃絶をしようと真剣に思うでしょうか? 例えば中国は「これだけ反核の機運が高いのだから自分も廃絶へ努力」しようなどとは思わないでしょう。むしろ、日米の世論にヒビが入ることのメリットを感じるのではないでしょうか? 

 私としては、残念ですが、現実論として「ヒロシマナガサキ五輪は不可能だと思います。不可能なことを進める場合に、それでも運動を進めることに意義があるケースもあると思います。ですが、今回の一件には反対です。それはこうしたアイディアを進めること自体が、オバマ大統領の足を引っ張ることになるからです。それよりも何よりも、膨大な死の記憶継承している慰霊の地で「運動会」ですか? 私にはどう考えても非現実的だと思うのです。

 
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