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2018-09-19

anond:20180919220321

ヘイトスピーチ論について個人理解を並べてしまうが、あれは言論の自由などという抽象的な概念より、現実世界の実利が優った事例と言えるだろう。

もしルワンダ虐殺止めれるのであれば、ラジオ報道の自由など、規制された方が良い。

韓国人ヘイトは、韓国人がなんとなく嫌な思いをするからではなく、韓国人街で住民同士の対立を煽るデモが繰り返されるに至って規制された。

そこのところ、一般に流布されている言説は多くが勘違いしてると思う。ヘイトスピーチは、差別から駄目なのではない。治安悪化するから駄目であるはずだ。

となると、新潮45についても、同じ理屈適応できるはずだ。ああいった論を提示することで、社会に看過しがたい不利益が発生しているか? 個人的には発生していると思うが、それは言論の自由という価値プラスを下回っているか

anond:20180919195044

id:envsです。


ヘイトスピーチ論に関してはルワンダ虐殺の例も含め、私の不勉強な面があります

ヘイトスピーチをどの程度規制するか、規制する際の法的手続をどうするか、検察刑事で訴えるのかそれとも民事で訴えるのか、民事で訴える場合誰が原告となりうるか権利制限するものから憲法に明記すべきではないかヘイトスピーチの事前抑制は認められるべきか、そしてヘイトスピーチ定義をどのようにすべきか(件の新潮45記事ヘイトスピーチか)、など、私の中で立場を決めかねている問題が多々あり、現時点で満足行く回答をすることができません。


ヘイトスピーチ規制は、ともすると、ポリティカルコレクトネスの徹底的運用による対立の深化・表現の萎縮や、ポルノグラフィティ規制論など、あまり私が望まない方向へと繋がりかねないのではないかという懸念があります
当然上記によって割を食う表現やその表現愛着を持っていた人の権利よりも、ヘイトスピーチ侵害される人間権利を守る方が重要ではないかという意見理解できます


現時点では、私の考えを上手くまとめることができません。不勉強申し訳ありません。

2017-07-24

キモくて金のない40代おっさんです。現在立っているフラグは以下の通り

日本を滅ぼして本当に申し訳ありません。

NHKに名指しで「死ね」と言われたとき(一応『AIが言った』体になってますが)、ふと浮かんだのはルワンダ虐殺の際にラジオから流れた「ゴキブリを殺せ」というプロパガンダのことでした。

あの番組を見た後で、私こそがゴキブリだったんだとはっきりと自覚させられ、これ以上日本社会と接点を持つのは互いに不利益しか生まないのではないかという思いを一層強くしました。

一方で、だからこそ今の自分にできることを少しずつ広げていって、社会との接点を持ち続けるべきという正論も捨てたくはありません。

最近アルコールに手を出して身持ちが崩れ始めました。ナマポ受給で酒のんアル中直行とか最低すぎる。これだからゴキブリなんだ俺は。苦しい。逃げたい。

苦しんで死にたい。それを見世物にされ、尊厳を踏み躙られて消費されたい。多分日本が望んでいるのはそういうことだろうと思う。それが、自分ができる唯一の“真っ当”な生き方だと思う。

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追記(2017-07-24 06:36):

トラバありがと。

酒量については自分意思制御しづらいです(逃避する対象との向き合い方を変える必要がある)が、頑張ってみます

なお、私は真実しか語ってません(と主張します)が、それをことさら証明するつもりもありません。

2017-07-01

今更ルワンダ虐殺調べて気分悪くなった

まるで国レベル雛見沢症候群やってるみたいだな

 

何が恐ろしいって、殺した側、殺された側、殺し合った相手共存してるところだ

無理だろそんなの

親族や知り合いを殺した奴らが街中にウロウロしてるって、きつすぎるだろ

 

でも、殺されたのが国民10%程度って考えると、虐殺に加担したのは一応少数派なんだよね

ギリギリどうにかなるのか? いや無理か

 

__

ちょっと違った

一番気分悪いのは、結果論的に、ある特定の者たちを虐殺したら国が栄えたってあたりだ

そして強奪した者達が特に栄えているだろう事を想像すると

国全てがそういうものに見えてしま

 

でもルワンダアフリカでかなりまともな方という意見もあってめまいがする

2017-01-10

フジロック2016の「政治を持ち込むな」批判再考(個人的感想)

時間もたって落ち着いた感もあるので。

フジロックで昨年、シールズトークショーに参加したことで批判を浴びた。

主に「フェス政治を持ち込むのはおかしい」

という批判だった。

その際にメディアで盛んに主張されたのが


音楽政治を持ち込むな」という主張はおかしい。

音楽が如何に政治と関わってきたのか?

という文脈無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である


と言う主張だ。

ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。


私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。

というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。

結論を出す前に少し基本的情報提示しておこう。


イベント団体アトミック・カフェ」が行うトークイベント

トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制沖縄憲法原発


ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである


アトミック・カフェフェスティバル(ACF)は、映画アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本1984年に開始した。


音楽を通じて反核脱原発を訴えていく」がテーマイベントで、1980年代には加藤登紀子浜田省吾宇崎竜童尾崎豊、ザ・ブルーハーツルースターズエコーズBOØWYらが出演していた。1984年日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代最後の開催は1987年であった。


2011年フジロックフェスティバルアトミック・カフェフェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所バイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージNGOヴィレッジの2か所。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7#.E3.82.A2.E3.83.88.E3.83.9F.E3.83.83.E3.82.AF.E3.83.BB.E3.82.AB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.BB.E3.83.95.E3.82.A7.E3.82.B9.E3.83.86.E3.82.A3.E3.83.90.E3.83.AB

ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロック政治と密接に関わってきたからでもある。

ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。

※というか俺もそれほど詳しくないし。

ロックの曲自体反体制メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか

まぁそういう感じだ。


ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。


①そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?

安保沖縄反核脱原発というトークショーテーマ妥当


そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。

詳しく調べればまぁ、まず政治的メッセージの込められた歌はあるだろう。

しかしながら反核脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージ全然ない。

2016年フジロック反核脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である

まり現在ロック界の表現している内容とトークショーの内容があまり乖離しすぎではないのかということだ。

アジカン後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。

あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブMC政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。

普段から政治的発言あんましないんかい!wwwww

正直この発言を見てずっこけた。

そりゃ客も面食らうわ。

なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。

特に若い客なら当然そう思うだろう。

10台の客捕まえて、「俺達は政治的発言しないけど、過去の人はしてきたかロック反体制

とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。

今のロック雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。

そしてもう一点気になったのが以下である


安保法制沖縄反核脱原発というテーマ妥当

正直、安保沖縄反核脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?

と思うわけだ。

アニメが昨年大騒ぎだったのでアニメで語るけど

この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人生活について語る

とかならまぁわかる。

シン・ゴジラ君の名はポスト3・11について語る。

というのもまぁわかる。

そんなに好きじゃないけど。

でもフジロックでアトミックカフェ、というのはなんか

シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。

いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍虐殺したけどねって感じだ。

どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。

フジロックがそういうイベントから

と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評レベルが50年前走ってねぇかと思うわけである


と言うわけで反体制であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的お話をして

また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。

正直時間も立ちすぎてロックのもの反体制であるというのは無理が出てきている。

いまやじじいですらロックファンは山ほどいるのではないか

そんな状況ではロック存在のもの反体制とは安易には主張できない。

きちんと若い世代に伝える努力必要だと思う。

アトミックカフェをある種のイコンとか伝統としてフジロックに併設したいのは人間的心情としてわからんでもないが。

というわけでフジロックはなんかもうちょい具体的かつ現代的なトークショーもっと増やせ(ひどい

2015-09-21

政府企業「争え…もっと…争え」、正社員 vs 公務員 vs 非正規

 wiki分断統治の項目を調べると、今の日本でも分断統治政策が行われているとしか思えない。。。

 

古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互連帯を禁じ、

都市毎に応じて処遇格差をつける分割統治によって征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。

 

19世紀以降の欧米植民地経営は、この原理をよく応用した。

イギリスインドで、人種宗教地域差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治成功した。

ベルギードイツは、ルワンダブルンジにおいてフツとツチに格差をもうけ、少数派のツチを中間的な支配層とした。これがルワンダ虐殺の遠因となったともいわれる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB

2014-04-11

20年前のルワンダ虐殺責任を急に問われ始めたフランス

フランスが、20年前に起こったルワンダ虐殺への関与の責任を、今、厳しく問われている。

これも、韓国が70年も前の従軍慰安婦への責任を厳しく問い続けているおかげ。

この調子で、世界中先進国が、外国での残虐行為への責任を問われ続ければいいと思う。

それが、「従軍慰安婦責任を問い続けてる人たちの目指している世界」なんだろ?

虐殺関与の 「真実見よ」とルワンダ、仏大使の式典出席拒否

http://www.afpbb.com/articles/-/3011915

ルワンダ虐殺、批判に反発=仏首相

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014040900017

 
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