『ハリー・ポッターと謎のプリンス』40点(100点満点中)って、、、
だって、そういう原作じゃんw
何を期待してるんだかww
ずいぶん昔の話ですけど、
同様の局面で私の知人は、
「免許証見せろって言われるんだろうな」と思って、
銃を構えられてたらしいです。
それなんとなくわかるよ。
好きなら付き合う(付き合いたい)。好きでないなら付き合えない。
付き合うって言うのはすごく重大なことなんだよね。
まあ告白「される」ってのは少々受け身だなとは思うよ。
老人の範囲がずれてるのでは?
違法麻薬やりながら死人が出ても放置して逃げるような男を神格化してたねらー共って人を見る目なさ過ぎだな。いわゆる情弱ってやつ?社会経験のないニートばかりだから仕方ないんだろうけど。はてなーとかでも同じようなのを見かける。はてなも2チャン化が進んでると思いそうになるが、もともとネットは外に出ない引きこもりが多いんだろうな。
もういやだー
一生懸命な人をばかにする風潮いやだー
いつからこんな風潮はじまったんだろう
2つ上の先輩たちが卒業してしまったらもっとまとまりのない集団になるのは目に見えてる
その時1つ上の先輩たちが一番上になって、
今よりもっと一生懸命な人をばかにするような雰囲気になったら…
考えただけでおぞましい
でも本当にいやなのは、
なるようにしかならないこんなことでうじうじねちねち悩んでしまう、
私本当は男の子に生まれたかったよ
http://anond.hatelabo.jp/20090808215805
なんせ「落ちる」ものだ。落ちなかった理由を探しても無意味だ。
それでも、あえて探してみると、たぶん、彼が完璧に好み過ぎたんだろう。彼は人間じゃくて「理想の人」だったから、男として意識できなかったのだと思われる。アイドルと同じで遠くから眺めているのがいい相手だったんだ。
肝心な部分でうっかりさん発動した元増田さん
って書いたのは、『肝心な所で typo した文をそのまま投稿してしまった元増田さん』という気持ちで書いただけなのですが、そう読んだんですね。思い込ませたせいで余計なツッコミをさせてごめんなさい。
そのお礼にしてあげただけ。割り切りなので元カレは好きじゃないだった。
あと、好きなら浮気ぐらい乗り越えられるはずとかわけわからんこと言われた。
しかも、別れたあと一日メール100件着信100件以上してきた。
経験人数が20人ぐらいで、12歳のときに30歳以上年上のおっさんに生で処女捧げたみたいで
今は初めて処女もらった彼女と付き合ってるが問題なく四年付き合えてる。
俺からすると非処女の方が問題がある場合が多い気がする。
というか非処女は怖いなw
もちろん処女にも問題あるやつはいるんだろうけど。
ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。
昔オーディオの新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンのオーディオマニアに向けてこういうことを言った。
完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。
すなわち:
これは明らかにおかしい。
オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている
しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。
これが有名なシュレーディンガーのオーディオシステムというパラドックスだ。
昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験)
その後、1905年にアインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。
数学者だったクルト・ゲーデルはオーディオマニアだったことでも有名だ。
彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデルは自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分の言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。
すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。
日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。
このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニアは市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。
もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。
このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者の名前を取って、フェルミ・ディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。
なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。
同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計も発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニアを想像できなかったことからこの統計は採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。
転機は90年代半ばに訪れた。自分の意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニアが尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験は危険であるとして禁止されている。
やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。
好きになった異性を長く泳がせておくと何所かで適当な相手を見つけてきてしまい、
あなたと疎遠になってしまうことがよくあるが、それでもよろしいか。
それでもよいというなら、その程度の存在なのだ。
もし知らぬ誰かに彼を独占されるのが嫌なら、先に独占せよ。
都合のいい関係は長く続かない。
http://anond.hatelabo.jp/20090808230516
自分の生命と引き換えに、危険な状態(溺れている)にある二人の内の一人を救うことができる。
危険な状態にある一人が自分の妻であると仮定し、もう一人は他人であると仮定する。
他人のほうは救命ボートの近くで溺れており、助かる可能性が妻よりも高い。
あなたは、どちらを救うべきか、もしくはどちらも救わないでいるべきか?
ここで夫が「名誉ある死」としてほめると
妻は「不名誉な生」としてけなされる立場になる。
よって夫婦ひと組としては道徳的には「他人を見殺した罪」だけを受けることになる。
あなたは、どちらを救うべきか、もしくはどちらも救わないでいるべきか?
先輩社員。
毎日お気に入りの女性社員の後ろに立って1分くらいじーっと仕事振りを眺めている(振り返って声をかけられて会話するのを待っている)とか、
人に仕事を振られると最初は必ずニヤニヤしながら「それ俺でもできる仕事だっけ?」ととぼけて見せたりとか、
他人が真面目な議論をしているときに口を挟んで的外れなニュースや知識を披露するなど、
普段からKYな言動に眉をひそめていたが、
人が大変な仕事で苦労しているときに、自分が暇だからと10分おきに「その仕事終わるの?」「もう締切間に合わないよね」とちょっかいを出してくる、
それにさすがに心の中でぶち切れて、こいつ下衆野郎めと思った。
たぶん本人は他人とコミュニケーションを取りたくてじゃれ合いのつもりなんだろうが、それがいちいち他人を切れさせるような形で発揮される。
娘と仲良くしたいがうざがられる形でしか関係を成り立たせられない父親みたいなものだけど、あまりに他人の気持ちを忖度できなさすぎる。
悪気のない下衆野郎。大きくなった赤ん坊。なんでそんなのを先輩だからといって立ててやらなきゃいけないのか。KYってどうしたら成長するんだ。