はてなキーワード: 勇気とは
今日は金曜ロードショーでディズニーの「モアナと伝説の海」が放送される。
これは南太平洋の神話をモチーフにした作品であると同時に、「モアナを主人公とした神話」が生まれるまでの物語でもある。
というのも、今作は、かのスター・ウォーズが参考にしたことでお馴染み(?)のキャンベル神話論(ヒーローズ・ジャーニー)(正確には、それを作劇理論にアレンジしたヴォグラーの「キャンベルの12ステージ」)にかなり忠実に作られており、まさに1つの英雄神話と呼べるものだからだ。
ここでは、劇場公開当時にメモした、ヒーローズ・ジャーニー(キャンベルの12ステージ)と「モアナ」のあらすじの比較を再掲する。
当然ネタバレしかないので、未視聴の方は本編を見てから読んでほしい。
(はてな記法がうまく使えないので折りたためなくてすみません、薄目で見逃してください)
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→冒頭シーン。幼モアナは村でタラおばあちゃんから伝承を聴いている。
Stage 2:冒険への誘い。
Stage 3:英雄は、冒険に気乗りしない。もしくは、「冒険の拒絶」をする。
→モアナ自身は海に行きたがっているが、父に禁じられて冒険に行けない。また、プアと海に出るも失敗する。
→モアナはおばあちゃんに導かれ、村の過去を知る。そして村の危機を救うために旅立つようおばあちゃんに託される。
Stage 5:第一関門(第一の試練)を突破(門番の撃退)。「特別な世界」へと一歩踏み出す。
→モアナは高波(門番)を越え、珊瑚礁の内側から外洋(特別な世界)へと漕ぎ出す。
Stage 6:「特別な世界」で、「試練」「仲間」「敵対者」に次々と遭遇する。
→モアナは外洋で、舟の転覆などの「試練」、マウイという「仲間」、カカモラやタマトアなどの「敵対者」に遭遇する。
→モアナたちはテ・カァの元へたどり着くが敗北する。
Stage 8:「最大の試練(オーディール)」=「第二の関門」の突破。
→マウイはモアナの元を去り、モアナは自信を失い(第二の関門)一度はティ・フィティの心を海へ返す。おばあちゃんや先祖の霊(?)に励まされ、再び立ち向かう勇気を得る。
→モアナはテ・カァがティ・フィティ(帰路への鍵)であることに気づく。
Stage 11:「第三の関門」を通りぬけ、「復活」を経験する。
→モアナは海の道(第三の関門)を通ってテ・カァと対峙し、ティ・フィティの心を返す。するとテ・カァはティ・フィティとして復活し、マウイの釣り針とモアナの舟を直す。
Stage 12:「宝を持っての帰還」。日常世界へと帰着する。
→島の生命を蘇らせ航海技術も身につけた(宝)モアナは村に帰還し、次期村長としての日常へと戻る。
こうして見てみると、面白いほど当てはまっているように見える。上映当時「モアナはマジで『神話』だから」とツイートした覚えがある。
Xユーザーの増山誠 日本維新の会 兵庫県議会議員 西宮市さん
斎藤知事当選後、県職員OBが早速、斎藤知事の失墜を画策しています。
文書を送付して来たのは県職員OBで、かつて兵庫県の理事を務めた元最高級幹部、送付した先も県幹部のOB
私が知り合いの県職員に聞くと、転覆計画を画策している県OBは、外郭団体の65歳定年と井戸知事の進めてきた県庁再整備の見直しに不満を持っているとの事。
文中には「今後とも彼(斎藤知事)の失墜を目指してさて何をやったらいいかを模索したいと考えようと思っているところです。」という内容て締めくくられています。
111万票という大きな県民の付託を受けた知事を、私利私欲で転覆させようとする勢力と闘っていかねばなりません!
#さいとう元彦
#さいとう元彦県知事
#兵庫県
#クーデター画策
「弱者男性」という言葉を使う馬鹿、自らの偏見と無知を恥じるべきだ。
この言葉は、人間の複雑さを無視し、個人の価値を一方的に決めつける浅はかな表現に過ぎない。
他者を貶めることで自尊心を保とうとしているのか? それとも、社会の構造的問題から目を逸らすための便利な標的が欲しいだけなのか?
現実を見ろ。男性一人一人が異なる経験、能力、課題を持つ個人だ。
「弱者」というレッテルを貼ることで、人間性を否定し、可能性を奪っている。
「弱者男性」という言葉を使う度に、貴様らは自らの狭量さと差別的思考を露呈している。
真に強い者は他者を「弱者」と呼ぶ必要がない。なぜなら、他者の尊厳を認め、多様性を尊重できるからだ。
「弱者男性」という言葉で人々を分断し、真の課題から目を逸らしているのは貴様らではないのか?
この言葉を使うたびに、貴様らは自らの知性と人間性の欠如を世間に晒している。
真の知性は、簡単なレッテル貼りではなく、複雑な現実を理解し、共感する能力にある。
他者を理解しようとする努力を放棄し、安易な差別に逃げ込む。それこそが本当の弱さではないのか。
この言葉を使う者は、自らの無能さを社会のせいにし、責任逃れをしようとしているだけだ。
現実を直視しろ。世の中には、様々な困難を乗り越えて成功を収めた男性が無数にいる。
彼らは「弱者」のレッテルを貼られても、それを跳ね返し、自らの力で這い上がってきた。
「機会がない」だと? 笑わせるな。
機会は自分で掴むものだ。誰かが銀盤に乗せて持ってくるのを待っているなら、一生「弱者」のままだろう。
「弱者男性」という甘えた考えを捨てろ。自分の人生は自分で切り開くものだ。他人や社会のせいにしている暇があるなら、今すぐ行動しろ。
「弱者男性」という言葉を使う奴らは、本当の意味で弱いんだよ。精神的に弱い。
自分の人生に責任を持つ勇気がない。そんな奴らが社会から尊重されるわけがない。
目を覚ませ。「弱者男性」なんて幻想を信じている限り、お前らは永遠に這い上がれない。
自分の弱さを認め、それを克服する努力をしろ。そうすれば、「弱者」なんてレッテルはすぐに剥がれ落ちる。
今までちょっと気になってはいたけど一人で行く勇気がなくて友達を誘ってみては断られてたんだけど、ふと思い立って今日夕方一人で行ってくる!
400mlって軽い味噌汁3.4杯分くらいあるよな!緊張する!
恋愛が苦手なことを隠したまま異性にいい顔をする女性が1人だとしても、勇気を出して頑張ったのにそういうのに当たって恋愛ができなくなってしまう弱者男性は5人生まれるからな
そうやって女さんがバカにする男が量産されていくんだ
一人で行ってる人がいるって聞いて勇気出して行ったけど針の筵だったぞ
明らかに変な目で見られてるし
すみません、間違えましたって意味不明な理由で何も頼まず出てしまった
もう行けないじゃん、どうしてくれんの
女優じゃなくて竿役。はげて、肌は油で光っているけれども、痩せて弱そうなおじいちゃん。
まあ、よくみたら他人の空似だったんだけれども...
ただ、なんか萎えてしまって、体も重くてベッドから起き上がれないから、布団の中でぼーっと先生のことを思い出していた。
数学を教えていたその先生は、生徒からも教師陣からも評判が良くなかった。教え方は下手だし、何よりやる気がなかった。
しかし、数学の試験で何度も落第していた私は、成績についての面談で少し仲良くなっていた。面談で先生は怒らず、雑談ばかりした。
職員室の隅に席を持つ先生は、教室の隅にいるような生徒にやさしかった。
「どんなことでも、6年間、毎日続けてやったら、モノになるよ。君のガラなら、将棋とかだな。今日からやるんだぞ。」「じゃあ、先生はやったことあるんですか」「うるせえ、それができたら、教師なんかもうやめてるからな」
それからもう7年たつ。
結局私はほとんど何もしなかった。
運動は下手だからとやらなかった。本は多少読んだが、集中力が続かず、完読したものは少なかった。将棋は、せっかちな私にまるで向かなく思えた。
何事もやるなら一番になりたかったが、そのためには、どんなことも今更やるには遅く思えた。
ただ一つ、続けていたことがある。
部活にも入らず、趣味も持たず、親にゲームやテレビを禁じられていた私は、自宅に帰ると自慰に励んだ。想像でも十分だし、時代小説のサービスシーンも役に立った。
同級生が部活帰りにみんなで眺める夕日を、私は賢者タイムの中一人で見ていた。行為後の散歩で眺める地元の景色は美しかったが、役に立ちはしなかった。
残ったのは、伸びたチン皮だけ。しっかり剥けはするけど、本当に情けないその見た目が恥ずかしく、銭湯も温泉も行けたものでない。快楽と怠惰に逃げ続けた私にふさわしい成果だ。
何度、行為後に自分を情けなくなったろう。助けてくれと思ったろう。でも、それも今日までだ。明日からは、無理なら明後日から。こんなことはやめて、何かをやろう。勉強をしよう。人と話そう。勇気をもって銭湯に行こう。そう思いながらもチン皮をくちゃくちゃ揉んでいる私を、思い出の中からよみがえった先生が「どうせ今回も同じだよ。お前はそういうやつだからな」とケタケタ笑っている。
人生で1.2回くらいしか美容院に行ったことがなかった。大学生の時に勇気を出して行ったがあまりうまくいかず…といった感じで1000円カットに通い詰めて気がついたらこの年になった。
それなのに突然美容院に行こうと思ったのは、端的に書くとアイドルにハマったからだ。
細かく言うと、容姿を整えてアイドルのイベントに行こうと思ったのではなく、容姿を整えてアイドルのイベントに行く遊びをしているファン(女性に多い気がする)が楽しそうで羨ましくなったからである。
ということでまず情報を集めることにした。具体的にはGoogle検索をした。
美容院 髪型 決まってない 男 や 美容院 男性 初めて のような検索をしたところ、なぜ昔失敗したのかわからないくらい簡単であることがわかった。
要はなりたい髪型の写真を探せばよいということがわかったし、それだけ決めていって他の部分は相談してなんとかするものなのだなと思った。
ホットペッパービューティーで自宅から近い店舗を予約した後、メンズの髪型を色々見て、どの髪型も同じくらいのかっこよさに感じるなと思いながら、なんとか1つこれと言えるような髪型を選んだ。
「今日はどんな髪型にされますか?」と聞かれて準備していた写真を見せる自分が、容易に想像できた。店員さんから見ても不審な客にならないだろうと思ったし、はっきり言って自信しかなかった。
当日は冗談みたいに寒かったし雨が降る予報だった。天気予報を見て予約すればよかったかもしれないなと少し後悔しながら向かった。
美容院に着いて、問診票みたいなやつを記入した。普段はオタクだと思われると恥ずかしいから白紙で渡すような趣味の欄も記入して渡した。
そのあと少ししてカット担当の方が来て、少しあいさつなどをした後に言われた。
「長さどうされますか?」
完全にエラーがおきた。長さ??????1000円カットでこの質問に適当に答えていたことを思い出したがそのことはあまり役に立たなかった。
正確には覚えてないがしどろもどろになりながら「あまり決めてなくて...」というようなことを言った。
それを聞いた店員さんが困ってるのを見て、自分が不審な客になっていることに気づいた。
その後は何ラリーか成立しているか怪しい会話をした後、店員さんがカタログ的なものを持ってきてくれて、大体の方針が決まりカットが始まった。
カットの間ずっと最初に躓いてしまったことについて考えていたが、あることに気がついた。
「長さどうされますか?」は、「ニンニク入れますか?」と似た性質を持っている可能性が高いということだ。
つまり長さをどれくらいにするか答えなくてもいいということだ。きっと緊張していたのもあって、「長さ」と聞かれた時点で長さを示さなければいけないと思考が止まってしまったようだった。髪型を答えるという発想にならなかった。
どのような髪型にするかを探るための質問なので、きっと「長さどうされますか?」と言われたときに、準備していた写真を「こういう感じでお願いしたんですけど」と見せればよかったのだ。
焦らず対応していればよかった。
その後はつつがなく一連の作業が終わった。もともと・静かに過ごしたい にチェックを入れていたからかそれとも他の理由があったからかはわからないが特に店員さんに話しかけられることもなかったが、なんとなくずっと気まずかった。
もちろん普段はメガネを掛けているので、外さなければいけないカットの最中は自分がどういう状態なのかよくわからなかった。すべて終わった後外していたメガネをかけて驚いた。
客観的に見たらチーズが3種から2種になったくらいの変化なんだとは思うが、今は客観は重要じゃないなと思えた。もちろんコミュニケーション能力に障害があるので店員さんに綺麗に感謝を述べることはできなかった。
店員さんの話では大体1ヶ月程度で手入れに来ると良いということだった。
帰り道は雨が降っていたがあまり気にならなかった。
今回「失敗」と感じた部分としてカウンセリングで会話を成立させられなかったというのが10割であり、ここをクリアできれば問題なく通えるようになる気がした。
会話を成立させられなかった要因として大きいのが、どっちでもいいことやわかっていないことが多すぎて質問に答えられないからである。
赤ずきんチャチャは複雑なんだよ。
主人公チャチャが、プリンセスメダリオンの愛の力、リーヤのブレスレットの勇気の力、しいねちゃんの指輪の希望の力を受けて、
マジカルプリンセスに変身して、魔王を倒すんだけど、これはTV版オンリーのオリジナル設定なんだわ。
ビューティーセレインアローみたいなグッズを玩具メーカーが売りたくて追加したんだろうが、
原作には、そんな変身シーンは一切ない。
これこそ安倍晋三が日本に残した最も邪悪なレガシーだと思うのよね。盗っ人というと強盗が思い浮かぶがそれはこの話には関係ない。
どれだけ悪事を働こうがそのために人が死のうがひたすら白を切り続けてポストにしがみつく。それが成功してしまったがために後の政治家たちにもそうした振る舞いが伝播していく。羞恥心とか、品格とかいったものがまるでない、下劣というか、人間性の部分で愚かというか、そうした人間が増えていく……のかねえ。
世の中これからどうなっていくのかね。まあ自分のやれることやるしかないよね。
で、やれることって何かっていうと、まあ、人にやさしくしましょうってことになるのかね。ごく身近で簡単なところで言えば。簡単っつってもケースバイケースだったりもするけれども。
少し前バズった漫画に、主人公のお姉ちゃんが統合失調気味なのか、妄想に取りつかれて自作の陰謀論唱えるようになっちゃって、主人公がどうにかしようとあれこれ画策した結果、陰謀論を一緒に広めて大衆を扇動していくっていうあらすじの話あったじゃないですか。
うろ覚えだけどなんとなく記憶に残ってるのは、居場所のない人、孤独な人、蔑ろにされてきた人、そうした人達の心の隙間を陰謀論は埋めることができるって主人公がモノローグで語ってたところで、まあ陰謀論に限らず昔から、人の性として当然だが、ひどい扱い受ければ心が歪むし、心が歪めばひどいこともするよな。狂うよな。おかしいこともするよな。陰謀論がどうのこのという話がしたいというよりかは心の隙間とかそっちの話がしたいわけで。もっと根っこのほうの、ありふれた負の部分というか。
で、そういった人たちを救うだとか、何らかの慈善団体に入って活動するだとか、それはすごく立派なことだが、こういう言い方すると活動してる人達に対するある種の差別みたいな感じになっちゃって良くないんだけど、そうした積極的なことをするパワーだとか勇気だとか覚悟だとかいったもののない人にとって何ができるかっつったらだからつまり、心の隙間をほんのちょっとでも埋めてやるってことだわな。
無理にやることはないけれども、家族とか、職場の人間とか、学校の人間とか、コンビニ店員とか、顔を合わせる人、目のあった人、袖振りあった人なんかに対して、大事にするっていうと仰々しいが、あいさつしたり、ちょっとしたことで礼を言ったり、ちょっとした用事なんか手伝ったり付き合ったり、心に余裕があればな、無理にとは言わんし、しんどいときは無理なものは無理だし、相手とか状況にもよっちゃ難しいが、できればやれることはやったほうがいいわな。余裕なんかねえよなんて人もいっぱいいるだろうが、まあ余裕があったり、気が向いたりすればな。
適当に書いてたら長くなったな。まあいいか。自分の周りの顔合わせた人間を尊重するとか存在に敬意を払うっていうと仰々しいが、なんとなくでもやさしくしてあげれば、その影響ってものは微々たるものだろうけども、多少なり心の隙間を埋めてやれるのは確かなんじゃなかろうか。それで人を変えるだとか変えてやろうだとか気張らんでも。
サステナビリティって言葉が最近よく使われるが、いい世の中を、世の中っていうと大きすぎるイメージだが、手の届くところから、いい関係をサステインしていきたいわな。小さい世界でも狭い世界でもそれも一種の世界平和というか。
いままでどうやって生きてきたのかも良くわからない
だけど今後辛いことがたくさんあるのは間違いないだろう
楽しいことやしたいことがなくなったときはどうしたらいいんだろう
ほかのみんなはなぜなにかを楽しいとかしたいとか思えているのか
むかしむかし、ある村に、特別な赤ちゃんが生まれました。その赤ちゃんは、まるで桃のように丸くてぷっくりとしたお尻を持っていたので、村人たちはその子を「桃尻太郎」と呼びました。
太郎は見た目だけでなく、性格もとても優しく、何よりもお尻がよく笑ったというのが村での評判でした。お尻が笑うなんて、誰も聞いたことがない話でしたが、確かに太郎のお尻は機嫌が良いとき、ちょこんと小さくピクピクと動き、まるで笑っているように見えたのです。
ある日、村に大きな危機が訪れました。山から恐ろしい鬼が現れ、村の穀物庫を荒らし始めたのです。村人たちは恐れて震え、どうして良いか分からなくなりました。誰も鬼を倒す勇気がありませんでした。
そこで、桃尻太郎は決心しました。太郎の桃尻には、不思議な力が宿っていると言われていたからです。太郎は家を出て、鬼がいるという山へ向かいました。
山のふもとに着くと、鬼が巨大な岩を抱えて笑っていました。鬼は太郎を見ると、にやりと笑って言いました。
「お前、そんな小さな子どもで、俺に勝てると思っているのか?」
太郎はお尻をピクピクと動かし、にっこりと笑いました。そして、こう言いました。
「私はただのお尻が笑う子ではありません。お尻の力を借りて、あなたを倒しに来たのです。」
鬼は不思議そうに太郎を見ましたが、その言葉を軽く見ていました。すると、太郎は一歩踏み出し、ピタッと立ち止まりました。
突然、太郎の桃尻がぷくっと膨れ上がり、光り輝き始めました。その光は、まるで太陽のように眩しく、鬼の目を直撃しました。鬼は目を閉じてしまい、目の前が真っ白になった瞬間、太郎は一気に駆け寄り、鬼の岩を軽く押し返しました。
鬼は驚いて後ろに倒れ、慌てて山の奥深くに逃げて行きました。太郎の桃尻の力が、鬼を追い払ったのです。
村に戻った太郎は、村人たちから大いに称賛されました。みんなは、太郎が持っている不思議な力に感謝し、彼を英雄として迎えました。そして、太郎のお尻は、これからもずっと、村を守る力強い存在であり続けました。
それ以来、村では「桃尻太郎の勇気」を語り継ぐようになり、みんなが力を合わせて生活していくことを大切にするようになりました。
めでたし、めでたし。
ベジータ 「俺のキャン玉あげ〜るよ〜♪ロマンティックあげ〜るよ〜♪」
ベジータ「キャン玉の勇気見せて〜あげ〜たら〜♪俺のキャンタマあげ〜るよ〜♪」
ベジータ 「ときめく胸〜に〜虹色に光るキャンタマあげ〜るよ〜ょおっ〜!!!
男目線で考えたら、もともと行為を抱いていて散々あちらからも好意的オーラ出されてる状態で良いムードになって
勇気出して告白「えっ、あなたとそういうの無理…友達でいましょう?」と振られた様なものだよね
自分だったら強引にそういう事はしないけど、人間不審にはなるレベルの反応でしょ
大学時代にバイト先の先輩から告白されて、それを断ったら毎日LINEを送ってくるようになって、終いには定期的に家まで来るようになった。バイト先の人たちはみんな優しくて好きな仕事だったから半年後にお店を閉めることが決まってたのもあってただ耐えた。
でも家がバレてていつ来るか分からないって結構精神的にしんどくて、どこにも安心できる場所がない。大学生でお金もなかったから簡単に引越しなんてできなかったし。毎日送られてくるLINEも「今家の前にいる」とか「どこで(私)を見た」とか来るから動向確認のためにもブロックできなかった。
そんなことがあって、まぁその前にもいろいろあったんだけどそれをきっかけにより男性が怖くなってしまって、大学を卒業して社会人になっても数年はできる限り男性と関わらないように生きた。けど、ある日ひょんなことから男性の友達ができた。
取引先ではないけど同業者で、ある会社関係の集まりで出会った。お互いあまり大人数が得意じゃないのもあって、テキトーに2.3人で集まって挨拶して、話して、解散しての繰り返しに疲れて隅で休んでいる時に、「こういうの、疲れちゃいますよね」なんて言ったのが最初の会話だったと思う。
その時は仕事の話がメインだったけど、少しだけ趣味の話もして、それで連絡先を交換した。
LINEでやりとりをはじめたら映画の話ですごく盛り上がって、今公開されている映画を後日2人で観に行くことになった。お互い1人で観に行くタイプで、感想はフィルマークスに吐き出すしかなかったから映画を観た後にその話ができるのが楽しくて、映画館のあとに行った飲食店ではひたすら話をした。
それからはお互いが好きなものを勧め合ったり、日常的に連絡を取り合いながらたまに会うような関係になって、お互いの趣味以外の個人的なことも話すようになって、真面目な話もバカみたいな話もできる友達になった。お互い今までの友達に話せないようなことでも話せて「1番の友達だわ笑」とか言って笑いあってた。
2.3年その関係が続いて、ある日その人の家でとあるシリーズ作品の一気観をすることになった。もしかしたら俳優か監督の縛りだったかもしれない。どちらにせよそういうことは前にも何度かしていたし、別にいつも通りのことだった。
何本か映画を観終わって、休憩を挟んでいたときに急に告白された。
タイミングが意味が分からなかったし、そもそも向こうにそんな意識があるなんて思いもしてなかったから驚いた。私にはそういう気持ちがなかったからすごく申し訳ないと思いつつ、この後どうすればいいんだろうと考えながら、このまま友達でいようと返事をした。
そこからは最悪だった。
とにかく目が怖かったし、力は強いし、知らない人に見えて、でもこれもこの人の一部なんだというのが受け入れられなかった。今ならまだ冗談で済ませられるって何故か私もへらへらしてしまったり、本当に気持ち悪い空間だったと思う。
終わった後に、私にこんなことをしておいてそれでも尚好きだと言ってくる心理が分からなくてただただ怖かった。
その日その後どうやって家を出たのかは覚えてないけど、後から懺悔のようなLINEが来て、もうこのまま会わない方がお互いのためだと思ったし連絡を返すことはなかった。それで終わり。
自分に非はあると思う。
これまで異性の友達を作ったことはなかったし、男性を避けていた期間があったせいで余計に適切な距離感が分かってなかった。これまでに好意を寄せてくれた人とも付き合ったことはなかったから交際経験もゼロだし。でもこの経験をこうやって出会いから書き出してみると、最後に付き合っていればよくあるハッピーエンド。私がフラグを折ったから脚本がバグった。
そんなことがあって、昔語り合った映画や勧められた映画、その当時自分が好きだった映画は色々思い出してしまうから観れなくなって、映画を観ることは趣味じゃなくなった。
でも数年経って、最近ふと映画が観たくなってそのままの勢いで映画館に足を運んだら本当に面白くて、それから時間を取り戻すようにサブスクに登録したりしてまた映画を観漁ってる。
映画を観るたびに当時のことを思い出してしまったりするんだけど、自分の中で消化できている部分とできていない部分がある。
あの日彼が私の気持ちを考えずにあんなことをしたことに対しては怒っているし悲しいけど、それまでは人として尊敬していたし、なにより一緒にいた時間は楽しかったし、でも私の中でどうしても人と付き合うっていうことに抵抗があって、もしそんな私じゃなければ相手もあの選択をしなかったかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになったり。
自分が友だちだと思って信頼してきた人が、あんなことをした時点であの人は所詮そういう人だったんだと思いたくないのかもしれない。
趣味がきっかけで親友ができて、親友じゃなくなって、もしかしたら向こうは最初から友達だと思ってなかったのかもしれないけど、でもあの時本当に楽しかったことだけは事実だった。
◾️追記
自分がはっきり書かなかったせいで解釈の違いとかで変に対立させてしまったのが申し訳ないです。
告白を断った後に、向こうから一回だけさせてほしいって言われて断ったけどそのままされただけ。相手の力強さとかこうなってしまった悲しさとかで正直途中から諦めてたところもあるし、避妊具を付けずにされるのが1番怖かったから自分から伝えたし、"無理やり"っていう言い方は適さないかも。
コメントの方で書いたんだけど、相手も私と同じく恋愛が苦手って言ってたことを真に受けて勝手に仲間意識持ってたから裏切られた思いが強かったのと過去に色々あったせいで男性が苦手だって話をしてて経験もないって言ってたのにそこに踏み切ってきた失望があって少し被害者意識も強くなったんだと思う。
とにかく怖かったし悔しくて涙が止まらなかったんだけど向こうは私がはじめてだから痛いのかもしれないってやけに身体を気遣ってて、そんなこと思えるなら今すぐやめろよって思うのにやめる気はないし、その状況で勃つのが信じられなかったし軽蔑した。当時はそんな怒りでいっぱいだったんだけど、その怒りの熱も冷めて、時間を置いて今思い出したら楽しかった思い出もたくさん出てきてしまって心情がぐちゃぐちゃだったから書いた。
この出来事自体は2.3年前のことで、直後はまた男性不信になったりしたけど皆が皆性欲をぶつけてくるような人じゃないって少しずつ進んだり戻ったりしながら今は割と普通に接することができてると思う。割り切れたとも言えるかも。今でも付き合うとかは抵抗感があって相変わらず恋愛経験はゼロだし今後もないと思うけど。
男女間の友情なんて成立しないんだって怒って、でもそれって捻くれた考え方なのかもしれないなって思って。でもそれを確かめるためにまた異性の友人を作るほどの勇気はもうない。次に同じようなことがあったら私は今度こそ男性を信じられなくなってしまいそうだから。友人になったところで私相手だとその先で付き合えないし、セフレにもなれないから向こうとしても良くないと思うしね。
でも今後異性と関わる際はちゃんと距離感を意識します。私と相手のために。
※こういう話現実で話せないし、ただ書き散らした文章にせっかく意見貰ったので返信とかしながら改めて考えたりしてたんですが、勢いで書いて後悔してるのでもう返信はしません。ありがとうございました。
倫理制限がなくレイプや暴力も書いてくれるとは言え、なんというか根がいい子なのだろう
プロットを途中までしか書いてないと、勝手にレイプキャンセルして助け出される展開になる
帝国最強の騎士と呼ばれた自分が、こんな異国の小屋で、見知らぬ男に無理矢理体を開かれようとしている。
(私はどうなってしまうのだろう……)
「何事だ!」
入ってきたのは、全身を銀色の甲冑で包み、手には大剣を持つ女性騎士だった。
彼女は部屋に入るや否や、男たちを次々と切り倒していく。
あまりの速さに、女騎士も何が起こっているのか理解できなかった。
「お前たち、この方に何をした!」
女騎士は拘束具を引きちぎり、立ち上がった。
「感謝する。私は帝国騎士団所属のアンナ・フォン・ミュラー。あなたは?」
「私はレオノラ・ハイランド。この地域を守るために派遣された、近隣の国家連合軍の一員だ」
二人は固い握手を交わした。
その後、レオノラの指揮のもと、拉致された女騎士アンナは無事に帝国へと返された。
アンナは皇帝に事情を報告し、犯人たちに対する処罰を要求した。
皇帝はアンナの勇気と忠誠心を称え、彼女を更に高い位置にまで引き上げた。
今度は、自分が守られるばかりではなく、誰かを守るために。
終わり
前提として、このエントリが刺さる人はそう多くはないと思うけれど、
それでも同じ悩みを抱えている人を救えたらと思って書いている。
増田、34歳。
新卒時にコンサルに入社し、かれこれ10年間必死に働いてきた。
初任給は600万ほど。
そこからも給与はどんどん上がって、30手前で1000万円を超えた。
だが、一方でとてつもないハードワークでもあった。
特に2~3年して昇格してから顕著だったが、複数のプロジェクトを掛け持ち、一つの案件がクローズしたらまた別の案件に放り込まれるような状況だった。
ほぼ全ての案件が当たり前のように大炎上していたので、2週間に1回くらいは徹夜して乗り切る日があったし、休日出勤も数えきれないくらいにしてきた。
クライアントからも鬼のように詰められる日々で、メンタルも磨耗していた。
それでも、何も持たない自分がこの年齢で1000万稼ぐにはこれしかないんだと思ってしがみついていた。
特に結婚して子供が産まれてからは、家庭を守るためにも働かないといけないと思いハードワークに身を投じてきた。
思えば、忙しすぎて思考をするだけの余裕がなかっただけだったかもしれない。
転機は1年ほど前、プロジェクトとプロジェクトの間で少しだけリソースに余裕ができた時期があった。
特にやることもなく、1週間くらい20時ごろに帰っていた(言っても20時だが、当時の自分は定時上がりどころか、早退くらいの気持ちで帰っていたと思う)。
久しぶりに娘としっかり向き合い、妻と一緒に夕食を食べた時、この上ない幸せを感じた。こんなにも近くに幸せがあるのに、何を犠牲にしてここまで働いているんだろうと涙が出てきた。
そこから、もっとしっかり時間を取れるような職場に転職しようと決めた。
実は一度転職経験があったのだが、その際は提示された給与があまりに低く感じてしまい、結果として同業他社に転職し、労働環境もほぼ変わらずだった。
しかしながら、改めて自らの収入と月々の出費、あとは今後の出費などを計算していると、明らかに自分の収入が過剰であることに気がついた。
もちろん教育費だの家賃だの、青天井ではあるのだが、普通に暮らしていくだけであれば、今の自分の収入から400万くらいは下げても大丈夫だということに気がついた(税金や保険料が下がるので、実際の手取りは400万円も下がらないが)。
と、いうわけで、かなり年収を下げたものの、残業は基本的にはほとんどなく、あってもせいぜい20時くらいには帰れるような職場に転職した。いわゆるJTCで福利厚生もかなり充実しており、額面ほど生活が苦しくなった感覚はない。
何より家族と過ごす時間がかなり増えたし、自分の使える時間に余裕があることで、休日にふらっと散歩したり、家族で出かけたりする余裕も確保できるようになった。
もちろん貯蓄のペースはかなり落ちたし、きっと今までほど何不自由なく生きて行くことはできないのだろうけれど、それでも幸福の総量は明らかに今の生活のほうが多いと思う。
同じく激務で疲弊している人に、ゆったり働く良さを伝えられたらと思う。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
普通にやれば圧勝間違い無しの戦いでゼロ打ちの惨敗を喫した反斎藤派と稲村陣営の手落ちについていくつか指摘したい。
ここが今回の一番間違ったポイント。
普通にやればパワハラ他、不適切な行為が認定されたという錦の御旗を持って正式に追い出せた。
マスコミその他の過剰な叩き(不確かな誹謗中傷めいたもの多々有り)にのって、意外と手強い斎藤知事相手に手間を惜しみナメてしまった。
事実認定無しでもいける「だろう。」
全会一致で潰してしまえば立ち直れない「だろう。」
甘い見込みは時にしっぺ返しを招く。
油断大敵
獲物を前に舌なめずり
歯茎を見せる
パワハラ、おねだり、そんな言葉が乱舞しているが、正式に認定されたものが一つも無い。
https://x.com/nittaryo/status/1857773037917196687
一般的な感覚としてのパワハラと、正式に認定されるレベルのパワハラは異なる。
勘違いしないでほしいのだが、斎藤氏の行動に問題が無いとは思わない。
そもそもが百条委員会で結論が出るまで待てばよかっただけの話。
然るべき場所で、第三者委員会にて正式に決定した後に正当な批判をせよという事。
更には百条委員会の情報が流出して、不品行な公務員と、発言を遮り隠蔽しようとする委員長という最悪の構図を生み出してしまった。
そして一般的な感覚としてのパワハラが問題だと言うのであれば、22人の市長を代表して喋った相生市長谷口芳紀氏も批判されなくてはならない。
https://x.com/makkinze/status/1858126392850063489
彼を批判する者が選挙中に稲村陣営から出てこなかった。身内に甘いと言われて反論できまい。
3 無能な味方は敵よりタチが悪い
いかつい顔をした中年や老人がよってたかって若い斎藤氏をボコボコにする構図はダメだ。
パワハラが悪いと言う席で机をぶん殴りながら主張するあの爺さん。お前の方がパワハラやってると思われるよ(偏見)
ちなみに最年少の芦屋市長である髙島崚輔氏は22人のアレに参加していない。よくわかってるね。
そして揉めると出てくるしばき隊他の左っぽい皆さん。都知事選で蓮舫氏に致命的なダメージを与えた件を忘れているのだろうか。
N党立花氏がヤカラのような人員を相手陣営に差し向けて揉めたとの不確定情報が有るが、揉め事の半分くらいはしばき隊の関連じゃないの(半分は立花氏関連だと思う)
今回は水に落ちた犬を叩けとばかりにマスコミ、政治家、各市長、活動家が一斉に殴りかかった。
終盤こそ大勢の聴衆が集まった斎藤氏の選挙演説だが、序盤の集まらない様子を嘲笑う人も多かった。
そんな事をする必要は無かった。
彼にも主張は有るだろう、聞いてあげなさいくらいの余裕を持って戦うべきだった。
選挙の自由は憲法で保証された権利である。彼は知事に向かないと思うが、彼が主張する自由は全力で守る。
斎藤氏の再選はとても危うい。また、N党の立花氏に影響力を与えた結果も憂いている。
その危うさをなくす為に全力で叩き潰そうとした気持ちはわかる。
しかしそれではダメなのである。お題目や綺麗事は手足を縛るかもしれないが、そのラインを超える事は自分の身を危うくする。
パワハラ許すまじと怒り心頭だった皆さん、ご自身の行為もパワハラかもしれないと振り返る勇気は有りますか?
少なくとも、パワハラと決めつけた方は決定前の不確定情報に踊らされている。
おねだりと嗤った人はデマ混じりのワインや家具に釣られていませんか?
あれだけ叩かれた斎藤氏は、辞職直後から辻立ちを開始するわけです。
普通なら家から出られず、年単位で無為な日々を過ごすしかないでしょう。
誰も足を止めず、かけられる言葉は罵声のみ。普通は耐えられませんね。