はてなキーワード: 完璧とは
といっても身代潰すほどではない。
いまは女風は不況と性病蔓延の煽りで客が減少しているらしいが、その割に新規参入者は後を断たずどこも女風セラピストは飽和状態。ホームページやSNSを眺めれば1人や2人は普通は好みの人がいると思う。
増田のタイプはジェイソン・モモアだが、残念ながらそのタイプのロン毛マッチョは1人もいなかった。みんな細くて小さい。
1人良さそうな人を見つけたのだが、その人は現役モデルで高身長、体脂肪率数%、全脱済み、ホワイトニング済み、当然ながら肌管理も完璧。パネルの顔写真は加工されてるのを差し引いても良い方だった。
気後れする。
気後れするので全脱済みだった増田は数ヶ月筋トレと食事制限に励み、腹筋を割り、100cmに届くまで大臀筋を鍛え、歯の定期検診も欠かさず行き、結局別のセラピを指名。嗅覚がそちらではないと言っていた。
1人目。顔はそんなに重視していないので、全モザを指名。驚いたことに某アイドル俳優にそっくりどころか上位互換の細マッチョ。曰く、日々あらゆるスカウトを受けるらしい。そうだろうとも。
初めてなこともあり、「嫌々触られるのが一番無理だから、私がちょっとでも気持ち悪かったら一切触らないでいいよ。お喋りでもしよう」と宣言してカウンセリングがスタート。粘膜接触もNGにした。話したところどうやらこの人は性依存症の趣味ピらしく、結局施術されて駅まで送ってもらった。何回か会ったが、毎回大量にキスマを付けられるのに引いて指名をやめた。
2人目。店のお勧めで高身長のイケメン筋肉質という話だったが、出てきたのは気弱そうな痩せた人で、一緒にいて辛かった。時間がないとコンプラ施術を端折ったのに、舐めて欲しいと言われたのもキモかった。お前が客か?
3人目。嫌になって別の店に行くことにした。
やはり高身長の全モザマッチョ。増田の大好きなカリステクニークで鍛えた筋肉は素晴らしい美しさだった。顔はあまりよく見てなかったので覚えてない。イケメンと言ってる人と、普通と言ってる人がいた。施術はプロ。
高身長の細身で目が死んでいた。目が死んでる人には初めて会った。
カウンセリングで60分使うので、「この人は施術なしだろう」と思っていたら、その後数時間無料延長されたのでギョッとした。時給1.5K以下とかだったので、おそらくこの人も趣味ピなのかもしれない。やたらと臀部に注目するので何かと思ったが、尻フェチらしい。続きに誘われたが面倒なので断った。楽しかったけど、会った後数日鬱状態になった。
5人目。高身長の全モザゴリマッチョで、ベンチ100kg超。体育会系らしい体の厚み。それを覆い隠すフーディ姿。パーフェクトすぎる。
性格は増田が一緒にいて一番楽な、姉妹のいるホモソ出身の明るいマッチョ。こういう人は女性に優しいし、こちらが本気で怒ることはしてこないし。会話も上手い。
増田の絶対NGも苦手なことも完全無視して施術された(カウンセリング意味ある?)けど、上手かったので許した。ちょろい客である。
女風あるある「あと何かしたいことある?」(都市伝説では本番の誘いである)と聞かれ、「ゲエ!」とカエルみたいな声で応答した。雰囲気をぶち壊したかったのだが相手の表情は変わらなかった。奇声に慣れてるのか?時間オーバーした後の引き留め方がすごかった。増田は本番を求めてないので帰った。
本物の女好きの趣味ピなんだろうと思う。めちゃ好みだったので何回か会った。
6人目。ずっと会いたかったけどタイミングが合わなかった人。細マッチョ、ハイスペ。最高だったと書いておく。
この人と一緒にいると感動して泣かされること多々。そんな客ばかりの伝説ピ。
増田はガチ恋痛客だったと思うが、人間を超えた優しさとピュアさで対応も完璧だった。そんな客ばかり。果てしなく甘やかされたので自分のあらゆる点が大好きになった。
手を繋いだりハグしてるだけで満たされるのだが、一緒にいると全然離れられなくて驚いた。
一番会ったし一番貢いだ。
6人目に会ってから、180cm以上としか付き合ってこなかった筋金入りの高身長フェチの増田も考えを改めた。心のピュアさが一番大切だと思いました。
40代夫婦(子なし)だけど、似たような状況で8割の家事は自分(夫)がやっている。食事と皿洗いについては100%に近い。
① 子供の頃から母親が病気で、低レベルで適当とはいえ、家事をする習慣はあったこと。
② 妻が自分の家事や料理に対して基本的に文句を言わず、ほとんど任せっきりなこと。
特に②が大きく、全ての女性配偶者が今すぐにでも実践すべきだと思う。
逆に、①子供の頃から夫の母親が完璧に家事をやってくれていて、②妻の夫への家事水準の要求が高いのに、無理に分担しようとすると最悪になるんだろうなと思う
お米切らしたので買ってきたのよ。
あんまり良く覚えてないけどもう800グラムとかそれぐらいの量を。
もう2キログラムのお米すら買わなくなったわ。
本当にお米のカロリーを見るとゾッとするので、
これからさき
ペキカンな完璧ボディーを手に入れるためにいまから摂生して努力を努めなければならないわ!
そうね、
でもご飯は食べなくとも
炭酸水なのよね。
あれネットで調べてみたけど、
微妙にやっぱり近所のスーパー的なところの業務で買う方が最安値なのよ。
でね、
私昨日炭酸水冷やし忘れていた
飲んだら入れる冷蔵庫に!の習慣をすっかり忘れていて冷やしている炭酸水がなくってちょっと割高のマーケットで冷えている炭酸水を買ったの。
私がいつも飲んでいるやつのレモン炭酸水よりもレモン感がレモンレモンしていて
私の今まで飲んでいたレモンフレーバーの炭酸水はもっとレモン感レモンレモンしてもいいんじゃない?って思ったの。
あれフレッシュレモンをマジ搾り入れてレモン感レモンレモンしたものができるけど、
予めレモンフレーバー強めのレモン感のレモンレモンしたものもいいわね!って思ったのよ。
いつも慣れ親しんでいるものが慣れすぎていてたまに違う銘柄のものを試してみたらそう言うことって起きるのよねー。
そんで、
実際に自分で出向いて買いに行く炭酸水の方が結果的に一番安いってことを結論から言ってしまうとそうなっちゃうんだけど、
ステルス送料が含まれているから結局は送料は実質無料のように見せ掛けて含まれている送料無料になっているのよね。
それのメリットを考えると言えば玄関先まで重たい荷物を持ってきてくれる代として考えたら楽チンかも知れないけれど
その送料無料のステルスさ加減が含まれていることを気付いたわ。
送料無料なわけないじゃん!って
世の中の仕組みを考えてみるとそうわよね。
なるほどねーって思うわ。
でもまだ車があってお買い物に行けるからまた良いのかもしれないけれど
逆に言うと送料払ってでも配達してくれた方が逆にいろいろと安上がりになっちゃうから
まあ元気な人は買い物に行けばいいのかしら?って思うけど
これも重いコンダラーって思いながら夜のハイボールを美味しく飲むためにぷっはー!ってなりたいじゃん。
だからこの仕事も美味しいハイボールのためよ!なんて思いながら運ぶと一塩よね。
そんでさ、
炭酸水はたくさんあっても飲んだそばからまた冷蔵庫に冷やすものを補充しておかないと
今日のお店開けない的な冷やし炭酸水はじめましたの看板を下ろさなくちゃってな具合になるから
飲んだら即冷やす補充分を入れておく習慣をつける強化週間にしよっかなーって思うのよね。
そう思って朝の冷蔵庫チェックを済ませて
今日は確実に冷えている炭酸水が私を暖かく迎え入れてくれるのよ。
こんな言い方しちゃうと冷えてるのか冷えていないのかよく分からないけどね。
うふふ。
味よし栄養よし手軽さよし!
納豆って大好きよ。
大手メーカーのじゃなくて地元メーカーの納豆を作っているものをわざわざ買ってみる面白さも粘り強く続けているわ。
そうそれでよ!
冷やすの忘れてたわー!
ってあちゃぱーって手のひらでおでこをペシンと自ら叩いちゃうぐらい
忘れちゃってたわ。
なのでこれは自分に強くいい気変えるための今日の増田でもあるのよ。
交通標語みたいに
そうそう
ルイボスティーウォーラーも水出しルイボスティーウォーラーにして準備しておいても良い季節にそろそろなる季節よね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
娘は早朝薬の大量摂取で自殺未遂を図り警察病院で昏睡状態です。
今回あった話全て聞かせて頂きました。
完璧な証拠もなく人のことを誹謗中傷してもいいのですか?それもまず警察に行くべきではないのでしょうか?もしこれが娘が悪人だったとしましょう、その時は当たり前に罪を償うべきです。
1人娘でとても厳しく英才教育をさせ大切に育ててきました。唯一娘が反論して家を飛び出したのがアイドルという道でした。
死ぬ気でこの家を出た4年間頑張っていたと思います。それだけは分かってあげていてください、実家に帰ってくる際アイドルのお話をしてくれる時楽しそうに話していてこの道も良かったのかなと思えました。
俺は同居人から態度が悪いとよく言われる。でも俺はその責任は相手にあると思ってる。
3人でルームシェアしてる感じを想定して欲しい。
(俺の部屋に二人居候が居ると言い換えても良い)
俺は同居人(彼らをA、Bとする)の事を頭が悪いと感じる事が多々あり、それがどうしても態度に出てしまってるらしい。
常にバカにしてるわけでは無いんだけど、バカな事をされると「はぁ。。。」みたいになる。
その態度が気に入らないと言われるのだが、俺からしたら、おまえらこそちゃんと考えて生きろよ、と思ってしまう。
例えば先日はこんな事があった。
俺が所有してるゲーム機でAはよく遊ぶ。Aにとってはこのゲームで遊ぶ事がかなり重要との事。
(俺とBはたまに使う程度)
Aは買い換えて欲しそうだったが、表立ってそう要求してはこない。
たまたまメルカリで上位互換品が安くなってたので買ったがHDMIケーブルが無かった。
早く動作確認をして受取評価をしたかったがAがちょうどオンラインゲームをしていて、すぐに抜けられない状況らしくHDMIケーブルが使えない。
(この日、この時に届きそう、というのはAも把握していて、更にAが普段やってるゲームがちゃんと動作するか見ることで動作確認としようと事前に相談して決めていてこの状態なので、、、だけど、まあ、これはそこまで問題ではない)
Aも新しいゲーム機が来る事を喜んでいたし、ゲーム機を主に使うのはAなので
「じゃあ俺は仕事があるからあとは任せても良い?前にも言ったけどBが帰ってくるまでに設置まで終わらせたいから動作確認も含めて設置までしてくれない?」
と伝えた。「了解」と返事が返ってきた。
Bが帰ってくるまでに設置を完了しなければならない事はAも承知している。
なぜならBは更に残念な人でケーブル類によくひっかかったりして機器を壊す事が多いからだ。
そしてBは翌々日まで家に居るので、その日帰ってくるまでに終わらせなければならない。
俺は別の部屋で仕事をしていたが不安になったので(Bが帰ってくる時間までに動作確認と設置が終わりそうなギリギリな時間に)大丈夫かなと思って見に行ったらAは今度は別のゲームをしていた。
「Bが帰ってくるまでに設置終わりそう?」
俺は、やんわりと言った。
「ん~、無理そう。てかなんで俺がやる必要あるの?やっといてよ」
(そう言いながらゲームを続ける)
俺「いやBが帰ってくるまでに終わらないと次は二日後だからさ」
A「ん?その時やれば良いじゃん」
A「ん?すれば良いじゃん」
A「あ~、それはそうか。ごめんごめん」
そう言ってキリが良いところまでゲームをしてHDMIケーブルだけ借りて俺の部屋で俺が動作確認をして、設置は後日俺がやる、という事になった。
そして次の日こう言った。
(いや、それおまえのせいじゃね?)
こんな感じである。
常にこんな感じなのである。
残念ながら俺はこういう人を同じ人間だと認識できない。なんというか、動物、とまでは言わないが魂が抜けた人?NPC?そんな感じに思える。
(もちろん俺の知能がもっと高ければすべて先回りしてこんな無駄なストレスを抱えずに済むんだろうけど、そこまで俺の責任なの?)
ではどういう人なら俺は自分と同じ人間なんだと認識できるだろうか?と考えてみた。
まず俺がゲーム機を買った事を伝えた時に
「おー、それは嬉しい!じゃあ(ゲーム機使ってるの俺だし、インストールしてるゲームソフトも俺のが多いから)Bが居ない時に俺が動作確認から設置まで全部やっとくよ」
と答える人なら完璧だ。
(そういう関係性なのでお互い特に変な遠慮はしないものと想定して欲しい)
ここで更に「俺が半分出そうか?」まで言えたら完璧を超えてるけど、そこまでは全く求めてない。
しかし実際にはこれだった。
A「え?マジで。やりぃ。じゃあ古いやつ俺の部屋に置いて良い?」
俺「いや、ジャンクとして売ろうと思ってるんだよね」
A「え~、良いじゃん売らなくても。まだ使えるから俺の部屋に置きたい」
俺「でもディスプレイ無いでしょ?買うの?」
A「あ、そうか。うーん。おまえの部屋に余ってなかったっけ?」
俺「いや、あれは使ってるから無理」
この溢れ出る図々しい感じね。
俺「Bが帰ってくるまでに設置終わりそう?」
A「うお!やべ、もうそんな時間か。ごめんごめん速攻で動作確認やっとくわ。設置までは今日終わらなくても困るのは俺だから大丈夫だよね?また後で設置しとくから」
ちなみにゲーム機を設置してある場所は主にAとBのせいでごちゃごちゃしてて、設置するのもまあまあ面倒な感じである事を付け加えておく。
こういう相手がこういう対応をしてきた時に残念な感じを出さずに対応しないといけないものなの?
なんか読み返すと俺が舐められてるだけにも見えてくるけど、どちらかというと怖いと言われる事が多いし、俺の言う事に従おうとする姿勢は見えるので、決して舐められててこういう態度なのではなく、頭が回ってないと感じる。
というかわざとやる程知能が高いとは決して思えない。
あらゆる場所で男女平等が叫ばれる昨今、「そもそも男女平等とはどのようなもの?」と真剣に考え、理解しているといえるだろうか。
少なくとも、完璧な男女平等を求めようとするのでは「分かっていない」ことになる。
そもそも「分かる」とは、その語源を「分ける」とし、元は二つのものの違いを認識することから生まれた言葉である。
よって「分かる」ためには違いを知る必要があり、違いがあるのだからそれは同一のものではない。
つまり完璧な男女平等があるのだとすれば、それは「男」と「女」という言葉が意味を無くし、何故なら同じ意味として用いるべき存在となって初めて「平等」と呼べる同一性が確立されるのだから。
無論そんなことは不可能だ。だって「男」と「女」はどうしたって違うから。
それは社会的な意味ではなく、生化学的な意味で、身体の構造が違うのだから当然といえば当然だ。
男女の完璧な平等は不可能で、あくまで可能なのは社会的な平等であり恣意的な定義付けとなる。
そうなんだよ。恣意的。恣意的にならざるを得ないからこそ、そこには一種の厳格さが必要で、要は「それは誰にとっての平等なの?」という議論が本当は必要になってくる。
それを無視すると結局は利権側が得をすることになり、同時に自らの幸福を最大幸福の実現だと信じて疑わない人たちの暴走がネットの海をひた走る。
だからこそ一度、原点に立ち返って「そもそも男女平等とはどのようなもの?」というのを改めてじっくり考えることの有用性はあると思うのだ。
少なくとも情報に溺れず、踊らされず、泳がされないためには。
人間の体が進化の過程で獲得した特徴は、当時の環境に適応するためのものであり、現代の生活環境や食習慣とは大きく異なることがあります。例えば、硬い食べ物を噛み砕くために進化した歯が、現代の柔らかい加工食品によって引き起こされる虫歯の問題に直面しています。これは、進化が特定の環境下で「十分に機能する」特徴を持つ個体を選択するプロセスであり、必ずしも「完璧」を目指すものではないことを示しています。
さらに、がんのような病気は、細胞分裂という必要なプロセスの副産物として発生する可能性があり、長い人生を通じて紫外線や化学物質などの要因が細胞にダメージを与えることも一因です。これらは、生物としての限界や遺伝的変異、環境要因が複雑に絡み合って発生します。
進化論的な視点から見ると、人間の体の一見非合理的に見える特徴も、過去の環境においては最適だったということを理解することができます。しかし、環境が変化しても、進化のプロセスは遅く、すぐには適応できないため、現代の環境においては非効率的または非合理的に見える特徴が残ることがあります。このような理解は、私たちが自身の体や健康について考える際に、進化的背景を考慮することの重要性を示しています。
腕が弱くて取れないとか重心が変なとこにあって落ちるとか運要素が強すぎて当たる気がしないとか
そういう低レベルな話じゃなくて
めちゃくちゃちょうど良い感じで取れそうになってるのに絶対に取れないようになってる
例えば突っ張り棒2本とかで支えられてて隙間から落とすような作りになってるやつだと
よくよく見てみるとアームの片腕が少しだけ弱い設定になっているから
その加減がめちゃくちゃ完璧でスゲー取れそうなんだけど何回やっても取れないし他の人もずーっと取れてない
店員に話を聞いたら
「ちょうど真ん中で引っ掛けて落とすと少しだけ寄るのでそれを何回も繰り返す感じですねー」
みたいなこと言ってて、そんなの相当な奇跡が起きないと取れるわけが無い
かなりやりこんだ店員が20回ぐらいやったら取れるかも知れない、というレベルなんだけど
200円で20回だと4000円なので、普通にプライズを買った方が断然安い
あー
藤井隆のナンダカンダとラブレボリューション21踊れるようになりたいわァ
ウーーーーーラブレボリュゥショォーーーーー hoo hoo
あと足払いとローキックだけマスターしたいわ、マスターしつつ防御を完璧にできるようになりたいわァ、
なんか仕掛けられたら脊髄反射で避けられるようになりたいわァ
あとボイトレ受けたいわァ、歌えるようになりたいとかじゃなくて腹から声出せるようになりたいんだよな
でもおかねないわァ
はァ~ストゼロやべえな
どっかでストゼロは悪酔いするって見たけど納得だわァ
ホァァ~
安くて便利なストックをいかにそろえるか、いかに調理するかにかかっている
10種類以上ある。
野菜を1-2品追加して調理するタイプで場合によっては追加追加追加でいろんな具材を足してもいい
1点のみの野菜を大量にぶっこんでもいい
究極限界なら野菜はすべて根を切ってないモヤシをぶちこんでもいい
味が違ってそこそこ食える
丼飯は手軽
・定食
これを20分で賄うには冷凍食品や総菜などの市販品をフル活用することになる
副菜は栄養を補うためのものだが、ぶっちゃけ口の中を味変できればなんでもいい
味卵でも目玉焼きでもポテサラでもヨーグルトでもプリンでもなんでもいい
などなど
付け合わせが欲しかったら根を切らないモヤシでも炒めて塩コショウを振って出せばよい
・麺類
主役を張る1品料理
おかずはフライパン一つで作ればよい
・パン食
チーズ、ハム、卵、トマト、レタス、冷凍ハンバーグ、ジャム、スプレッド系を駆使し、一食1斤を食する究極の手抜きである
トースターで食べながら焼くというお手軽さから時短かつ格安で構成が可能
業務スーパーのポテサラ、マカロニサラダなど大容量品との組み合わせもうまい
・ピザ
スーパーのインストアでも売ってるし冷凍食品売り場でも売ってるしピザパン5個入り400円でも売ってる
・それでも野菜が食べたい
米、汁、いらん
洗ってちぎって盛って生野菜を食えばいいのだ
ゆで卵、かにかま、サケフレーク、ツナ缶、鯖缶、ちりめんじゃこ、豆腐などなどをぶち込んでゴマダレやしそドレをぶっかけて食え
胃瘻は誤嚥性肺炎を減らさないので、人間行くとこまで行くと、胃瘻から注入したミルクみたいなので溺れ死ぬ事になる。
その段階に達すると静脈からビタミン入りの砂糖水みたいなのを入れてなんとかすることになる。
普通に点滴しないで死なせりゃいいと思うのだが、バイトの身分で病院や常勤の方針には逆らえない。一人生かしとくだけで数万円/日の利益が出るからね。
エネルギー収支的にはギリギリマイナスとなるため、上手くいくと数ヶ月に餓死に近い状態で死ぬ。全身から脂肪やら筋肉が消費され尽くしているため、ミイラみたいだ。即身仏の完成である。
過去、即身仏を目指す者は身体の腐敗を防ぐため、穀類や肉類を絶ち、木の実だけで生活したとされる。
輸液のみで数ヶ月コンディショニングする現代の高齢者はより完成度が高い。虫や鼠に喰われることも無い。
死亡確認の際には聴診しなければいけないルールなのだが、ついさっきまで生きていたミイラに手を触れるのは、ゴム手袋越しといえどもキツいものがある。
昆虫の甲殻みたいだね、あれ
『人生』っていう本の登場人物って、多分沢山居て。少女AとかBとか、そういう有象無象の頂点に立つのが、主観的に物語を見ている、私たち。どんなにクソみたいな人生でも主役はどうしたって変わらないし、変わったように見せかけて実はずっと自分の人生を生きてる。
そんなことを思ったって、今日バイトがあることに変わりない。重たい頭をかかえてクロワッサンを頬張る。時刻は13時。今起きたばっかり。思考が上手く働かない、ふわふわする。日曜日の昼からバイトで潰れるって、一番気分が重たくなる。苦虫を噛み潰したような顔で喉を鳴らす。強化ガラスのコップに、飲みかけのペットボトルから麦茶をうつす。
麦茶って、癖がないから飲みやすい。私がそう思うだけ?麦茶みたいな人生を送ってみたい。さっぱりしていて、透き通った褐色だけど、深みがある。これに氷を入れたら完璧な人生。澄み切った氷が心臓になって、溶けた頃には成熟して死ぬ。いいかもしれない。私も麦茶みたいになろう。コップを持って、一気に飲み下す。息を吐けば、頭もすっきり冴え始める。
結局、どんな人生になるかはこれからの私次第。実は今、こうして悩んでいるけれど、まだ20歳にすらなっていない。酒の味も知らないし、煙草はなんだか不味そう。でも、バイト先でちらと箱を見た、紺色に金の…あの箱は何だったかしら。きっと煙草だ。そこまで考えて、はっとする。私、話がとびすぎるのだわ。口を手で覆う。今何を考えていたか…そう、人生。これからの私のことだ。
人生色んな可能性がある。事故で死ぬかもしれないし、不治の病で夭折するかもしれないし、はたまたギネス記録に認定されるような長寿にもなれちゃったり。でも普通は、適当に生きて適当に死ぬ。のだと思う。人生って、主役側で過去は書き換えられないから面倒臭い。でも、先はちょっとだけ変えられるかも、っていう希望だけで生きてる。人間って面白い。だってバイトに行きたくないだけで、人生のこと考え出すし。
考えすぎちゃった。精神辛くなる前に、さっさとバイトに向かってみよう。まずはメイクしなきゃ。今日はちょっとアイシャドウ、ラメ多めにしよう。テンション上げたいし。哲学ばっかり考えていたら、人生もたない。
程々に生きていたい。メイク道具を適当に放り込んだ紙袋を、怠惰に引き寄せる。この瞬間、『人生』のページにはなんて書いてあるんだろう。とりあえずメイク盛れてるといいな。
好きな車というか、理想の車があったけれど、長らくそれを無視してそこそこの車だったのだが、事故を機に、いい車買ってしまおうと。買ってしまったらめちゃめちゃ楽しくて、それまでずっと人生がつらいとか、いろいろ思っていたのだが、それらも霧散してしまい、今まで何だったんだろうと思った。
ちょうど、交際相手ができたとたん治る鬱病に近かったのではないか疑惑が、立ち上がった。もともと男女交際にはあまり興味がなく、交際経験はもちろんないながらに、大きな不満もなく過ごしていたのだが、車を手にしたとたんすべてがバラ色に輝き始めて、正直、予想外すぎる興奮があって、これが、男女交際みたいな感覚なのかと、衝撃を覚えた。こんなだったら、こんなスイートな気持ちになれるのであれば恋人がほしい気持ちもわかる気がする。前のそこそこな車には悪い気もするが、車が変わってからめちゃくちゃ洗車してるし掃除機もかけてる。直感的なビジュアルやスペックがないと愛せないんだなと思った。
前はいろいろステッカーを貼っていたり、余分に飾り付けていたけれど今は素で何もかも完璧すぎると思って、ステッカーを貼りたい気持ちにならない。完璧な車が心から欲しかったんだなと思う。欲しいものは、買うべきだ!
とはいえ穴場車種でこれだけ満足できているのも結局は妥協点なのかもなと思うが、限りなく高めの妥協点を発見できたので、お得すぎる。もうあと何年かは楽しそうだ。金がかかっていてデザインも練られている車は、目に入るたびに脳みそが沸騰する。運転するたび感激する。こんなの初めてすぎる!好きなものは、買うべきだ!
自分もななみちゃん漫画から作者を知ったし作中のそういう要素も描かれてはいるけど露骨ではないのがいい感じだよね
普通の社会のネットワークの中で人と関わり合う中で「垣間見える」とか「なんとなくそう類推できる」「噂で聞く」「口にはあまり出さないし残酷(山の民とかのあたりも)でもあるが公然の事実」「会話によってわかる」くらいの見え方の描写ってかんじだからあんまりいやらしく感じないのかな
少しずれた話だけど作者のそういう抑制的だけどにじみ出はするしその量を調節してるみたいなフェチっぽい描写がすごく丁度いいし絵や世界観とのバランスもいいと感じるから、作者以外の手によってそういう部分を殊更強調されたものを見たくない的な気持ちが出てきてしまって自分にも地雷があるんだなと発見した
完璧に近い描かれ方をしている作品の二次創作って見る必要がないどころか絶対見たくないなっていう…
(しかし性奴隷にしてたって描写あったっけ?人身売買はハーフフットの女性のことじゃなく自由恋愛だと思ってた、ちょっと読み直してくる)
10秒クリック、年収2年分チャージ。これが完璧に成功すればもう二度と労働に縛られない人生が待っている。手に入れた時間で好きなように人生を生きよう!「俺は実はいつでも辞められるが?」を精神の支えにして普通に働いてもいいし、趣味を仕事にするべく創作活動にのめり込んでもいい。不安から解放され、自由を手にしよう!(ただし勝利者に限る。) 「タイパ」の究極系は「注いだ時間以上の時間を得ること」であることに異論があるものがいるだろうか?(いや、いる。なぜならここは天邪鬼の集まりだから)。
成長型ゲームの根源、本懐、トロ、ミソ、核、爆を超高速で味わえる。数字をインフレさせるだけのゲームのガワを剥がした内側にあるもの、その楽しみ、成長曲線、苦行、カタルシス、味変、ルールチェンジャー、あらゆる要素を駆け抜けていける。そして訪れる静寂の如き、飽き。引き際の悟りと深みへの誘いが波のように交互に打ち寄せる。沼に飛び込みたい気持ちをグッと堪えてデータを削除したとき、きっと君は「何百日とプレイしてしまったソーシャルゲームを手放した直後」のような開放感を味わうだろう。そうだ!盆栽の最大の楽しみはそれを捨てた直後に訪れる!いくつものクローンがあるが、本質は本家が極めているので本家以外を遊ぶ意味はない。人生をドブに捨てたいなら別
この世界で一番楽しいのは可能性を空想することだ。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、そしてモナリザの謎。現実世界において完全でないものこそが脳内において真に完全へと近づける。βテストや体験版で「このバグ強すぎるー!!」と暴れまわったり、他ゲーの経験を活かして初心者を狩ったり、ないしはそういうスマーフ野郎半チート野郎を囲んで叩く自警団を気取ったり、βの自由な世界にしかないモラトリアムな楽しみが確かに存在する。そしてなにより無料だから人口密度が高く、ネットで皆でワイワイするのも楽しい。「これって製品版ではさ~~~」「いやいやこれは~~~」で無限に語れるぜ!未完成!それは可能性!十で神童、十五で才子、二十過ぎればセンター試験の点数をいつまでも自慢げにSNSに書いてるちょっと可愛そうな人と古事記にも書いてある。
きっと きみたち は もう わすれれて いるだろう。 人差し指だけで 必死な顔をして 一文字ずつ丁寧に キーを叩いていたあの頃を。 タイピングゲームがなければ僕たちは今でも そんな状態で毎日インターネットをやっていたかも知れないんだ。 そしたらブクマで100文字打つのだって 余りにも大変で全く楽しめなかったんじゃないだろうか? コンピューターを使った仕事につくことなんて想像もできないぐらい ただキーをタイプするだけのことがしんどいまま人生を生きていたんじゃないか? マジでちゃんと感謝したほうがいい。タイピングゲームでひたすらキーを叩きまくった時間は決して無駄じゃなかったと俺は信じているぞ。
2画面にして映画やYoutubeを見ながらやれば、運動しつつ動画を見ているので実質時間消費0で運動が出来る。あまりにも圧倒的パフォーマンス。圧倒的すぎて蛇足にならない言葉が思いつかないほどだ。
やってしまえ。どんなゲームなのか気にしてる時間が無駄。やってみれば分かる。体験版でいい。とにかくやれ。脳のリソース管理的にも。
一作だけならガチってもいいっぽい空気があるので一作だけガチらせてくれ。このゲームは本当にタイパがいいんだ。名前の通りちょっと短いハイキングをゲームの中でするだけ。でもそこにはゲームというものの楽しみが詰まっている。箱庭の中で圧縮された個性豊かな人々の営みがあり、世界には相互作用が働いて、それぞれの人物に物語がある。小さな冒険を通して少しずつ成長する主人公。少しずつ操作が熟達するプレイヤー。軽やかで気持ちのよい成長曲線。少年時代を思い出させるスピードで次々に広がっていく世界。刺激される想像力が解法を閃かせ、世界の謎が次々と解き明かされる。挑戦する楽しみ、成長する喜び、小さな友情、時には挫折、そして再挑戦。人生という苦行の中から光り輝くものだけを集め直した生きる喜びの宝石箱。たった2時間程度でたどり着けるエンディングなのに、確かな満足感と高揚感を感じるのは、冒険に求めていたものがこの温かな箱庭の中に詰まっていたから。
生きていれば色々と出来る。何でもは出来ないけど何かは出来る。死んでしまうと何にも出来ない。死後0秒から人間はもう何もできなくなる。生きてさえいれば、空想を広げるぐらいのことは出来る。人生のあらゆる場面が時間消費型のコンテンツなわけだからして、とにかく生きていなければ何も始まらない。一見すれば生きることのタイパがどんなに低くても、死のタイパは0なので相対的には圧倒的に生きることが勝るのだ。生きろ。まずはそこから全てが始まる。
私が思いますのに私がおぺちに近寄って行った理由はもう平成28年4月の頃で晴生がBBIQ解禁したら適当に検索していたら見えてきて最初の看破にてこいつは完璧な可愛い稚児じゃねえな
くっせえ、でも、他のTwitterに比較したらましやなと思って、当時のTwitterから精選して、ぷちくら、ざ、もどき、びっくり、やもち、のえるいかくんの順に選んだところ、のえるいかくんから誰お前禿死ね
みたいなこと言われてフェイスブックで下級国民死ねなどと言われて経過していたが、びっくりとやもちは段々いなくなるし、実は警官だったとかでどこかの自宅に居るのかもしれないが、
令和元年6月1日に初めて肥後先生を受診したらその頃にサッカーユニオタ少年が志村3丁目に出ていてだから何かと思いましたが、あれから5年経過してるのでそのサッカーユニオタ少年も
それなりに年とってると思うので現在の社会は異常で理解できない。平成30年にずっと発狂していたことは認めます。いいわよで飲んだ時も発狂していたし、平成31年4月15日にマカロンを
利用した時も変わっていなかったと思います。令和元年5月31日だかに私が練馬区に行ったときに任介が練馬区を見せてやるよとやったときに自転車で新河岸のアパートにメガフォンで「やりてーとき
だけやりやがって」と言っていたのでそのときも発狂していたと思います。令和元年9月4日に志村のオヤジにメガフォンとられたかとられなかったか分からない。現場検証は11月12日なので。
11月3日に新しいのを買ってるからその辺でまた荒川大橋の下でやっていたと思うが、取り調べをいつしたかは分からない。12月12日に延岡市のオヤジと活動している間も心理的に安定して
いなかったように思う。
岡崎律子を知ってる人は多くないとは思うけど毎年この時期になると思い出してしまう。
そのうちどこかの記事にまとめるかもしれないけどそうなっても許して欲しい。
2004年3月17日に彼女がリーダーをしていたメロキュアのベストアルバム『目処ディアスハードキュア』が発売された。
彼女の作る楽曲、歌声は俺の荒みきった心にスーッと染み渡る即効性があった。
本当に生活や世の中への不安を共感してもらえたような気持ちになれた。
CDが発売されてかしばらくしてストアイベントをやるとの告知が出た。
たしか突然だったと思うけど当時飛ぶ鳥を落とす勢いで調子にのっていた俺は
「こういうのは発売前に告知しろ!コロムビアは常識が無いのか!?」
「もうアルバム買っちゃったしどうすればいんだ!」
などと思ったのかもしれない。
渋谷のHMVでのイベントはアニソンには似つかわしくない場所だよなと感じたのは覚えている。
そもそも当時44歳の彼女は表に出てくることはほとんど無いのだ。
俺は勇気を振り絞ってヤングの街渋谷の領域に行く決心を固めた。
今にして思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。
イベント当日の2004年4月6日渋谷に場違いな俺、いや、俺達は100人くらいだったと思う。
HMVのCD売り場にちょこっと作られたイベントスペースに集合させられた。
表現は悪いかもしれないが、ソーセージの試食や半額弁当に群がるハイエナの如き様相だった。
ハイエナ共を囲った鎖の外には望月久代も来ているのも確認できた。
明らかに業界人じゃないし通りすがりの一般人でもない普通の人が何人か認められた。
この時受けた感銘は一生忘れることはない、し、この気持に異論を唱える人は誰ひとりいないと思う。
彼女は『ふたりのせかい』では振り付けまで披露してノリノリだった(この振り付けはこの楽曲を耳にするとついやってしまうくらいお気に入り)。
MCでは(別に嫌というわけじゃなかったけど)はしゃぐ彼女と、イメージとの違いに若干の違和感はありました。
相方の日向めぐみも「リーダーはしゃぎすぎだからもっとおさえて!」と訝しげにしていた。
握手会でも彼女は丁寧にコミュニケーションをとっており、日向の流れ作業とは本当に対象的だった。
ものすごい牛歩だったけど、そろそろそのくらいで!とか声を荒げるスタッフはいなかったのも印象的だったな、やるじゃんコロムビア。
そしてそれは突然訪れた。
イベントから1ヶ月後の2004年5月12日に彼女の訃報が読売新聞に掲載された。
俺達は知るすべは無かったかが2004年6月6日の読売新聞の追悼渉によると1年ほどの闘病生活だったそうだ。
2003年の5月に胃ガンと診断され翌月から入院、病室にキーボードを持ち込みでクリエイティブ作業を継続。
(ちなみにこの記事に掲載された彼女の写真は2004年の3月に撮影されたものであった…)。
日向めぐみ、望月久代の「なんて目をするんだ…」という様相は俺達に向けられた侮蔑の眼差しではなかった。
場違いな普通の人たちはケアマネさんかもしかしたら医療関係者だったのかもしれない。
このような状況下で『メロディアス・ハードキュア』は造られ俺達に届けられたのだ。
突然のイベント告知は彼女の体調次第、おそらくは彼女がわがままを押し通したのだろう。
正確なところを知るすべは無い…しかし俺は感じ取ることは出来たのだ…