オレ「オラオラwwwお望みの"犯し"だぜwwwwwwwwwwwwww(パンパンッ」
幼女「いやぁぁぁああああああああああああ!そのっ、"おかし"じゃっ、ないのぉぉぉおおおおおおおおおお」
オレ「ウッ、中に出すぞ!」
オレ「あぁ…あぁやべぇ出る…っ、イクぞ、ォォっ!!!」
いつもSuicaをむき出しのままポケットに入れて使っている。
改札前でモタモタして人を待たすのが嫌なので、改札の何メートルも前からSuicaを手に持っている。
今日もそうしていたら、前を歩いていた女性に痴漢と間違われた。
女性は手元を睨み付けていたので、すぐに気づいた。
僕はSuicaを裏側が外から見えるように持っていたのだった。
女性には、これが単なるSuicaであって、鏡ではなく、痴漢ではないことを説明した。
Suicaを専用ケースに入れるとか、裏側が外から見えないように手に持つとか、対策はあったかもしれない。
みんなも気をつけよう。
あまり映画は見ないし、映画批評なども出来るような人間ではないのですが、
大学で多少「核のイメージ」の歴史について勉強したことで、「ゴジラ」について関心を持ちました。
そんな折に、ちょうどシン・ゴジラが公開されると聞き、せっかくなので、見てみることにしました。
ゴジラに血液凝固剤を流し込み、ゴジラを凍結させることに成功させました。
また、ゴジラの放出した放射能の半減期は2~3年程度だったため、除染もスムーズにいきそうだと希望が湧いてきたときのことです。
主人公・矢口が語ったセリフは「我々はゴジラと共生するしかないんだ。」だったのです。
これは、ゴジラ第1作目(1954)の古生物学者山根の「水爆実験が今後も行われるなら、またゴジラが現れるかもしれない。」というセリフと比較すべきでしょう。
1954年版のゴジラは、おそらく「反核」のメッセージが強いものだったと言えます。明らかに第五福竜丸事件で被害にあったような、水爆実験などを批判しています。
一方、今回の「シン・ゴジラ」を反核映画と捉えることは難しいでしょう。(少なくとも最後のセリフからは。)
「核と共生せざるを得ない」ということがメッセージなわけですから。
確かに、現実を考えると、核(ゴジラ)と我々の生活は切っても切り離せません。
ほとんど稼働していないとはいえ、原発は残っていますし、放射性廃棄物もたくさん残っている。
冷戦は終わって、おそらく核戦争の危険はないといえども、今もアメリカなどは大量の核兵器を持っている。
「反核」の想いを抱えている方々であっても、核が0になる世界を作り上げることは出来ないということはわかっていると思います。
賛成!べたべたねっとりチャーハンが好き
栃木県で父親が車で通勤の際に、2歳の子を保育園に送り忘れ、子供の存在も忘れそのまま車内に放置してしまって
というような内容をコメントしたら、
「亡くなった子供のことより無責任な父親をかばうのはけしからん」系の反応を結構貰った。
なんで、「文中で触れない=子供のことはどうでもいい」ってことで決めつけるのかな。
そしてなんでいきなり怒るかな。
最後に「ご冥福をお祈り申し上げます」って適当に書いておけばこんなことにはならなかったのかな。
凄くバカらしいって思ったけど、よく考えたらそのフレーズって元々そんな使い方だったなと思った。
「ご冥福を~」とか「お悔やみ申し~」とかかける言葉もない状態で、共感を伝える言葉だよなって。
最近あんまり関係ない人が「ご冥福を~」って言っているのを見ると、お前はわざわざ言わんでよろしい、