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はてなキーワード: 8 1/2とは

2021-11-05

グレタ・トゥーンベリ2019年演説 トミノ訳(カミーユ風)

飛田展男氏の声で、緩急(躁鬱)つけて読んでください。所々、大幅に意訳してます一人称が僕なのも、カミーユ風ということで……。

---

……伝えたいのは、あなたがたを見てるってことです。

こんなのは絶対に間違ってるんだ……。僕はね、こんなところに立ってる人間じゃあないんです。本当は海の反対側で学校に戻っているべきなんですよ。それなのにあなたがたは、僕のような若者のところに、希望なんてものを求めてやってくる。よくもそんなこと……!

お前たちが、繰り言を弄して僕の夢や、子ども時代を奪い去ったんだ! それだけじゃない、僕なんて運が良い方なんだ! たくさんの人が苦しみ、死にかけて……生態系全体が崩壊しかけてるんだぞ! 僕たちを絶滅のふちに追い込んでおきながら、それなのに話すのはカネのこと! 永遠経済成長だとか、おとぎ話じゃあないんだぞ! よくも!

これまで三十年以上、科学はこれ以上ないぐらい明瞭だったんだ。必要政策だって解決だって、どこにもないんですよ! それに目を背けたままノコノコとここに来て「十分やっている」だなんて、どうして言えるんだよ!

……僕らの声を聞いて、あなたがたは緊急性を理解したと言ってみせる。悲しいですよ。腹も立ちますよ。でもね、僕にはやっぱり信じられないんだ。だってそうでしょう、もしあなたがたが状況を理解していたとして、それでも何もしないなら、それは悪だ。悪人の言うこと、信じられるわけないでしょうが……!

10年で温室効果ガス排出を半分にしても、気温上昇を1.5度に抑えられる可能性は5割しかない。それが定説なんですよ。人の手に負えない連鎖反応が起こって、環境暴走するリスクだってある。

なのにあなたがたは、5割の勝率で十分だというんでしょう。でもね、この数字は、暴走が始まる一線も、変化を加速させるフィードバックループも、大気汚染による隠れ温暖化も考えに入れちゃあいない。公平性だってなければ、正義すらないんだ。なのに、まともに存在すらしない技術で、僕たちの世代がなんとかしてくれると当てにして! 何千億トンもの二酸化炭素バラまいてるのは、お前らなんだぞ!

5割の勝率だなんて、受け入れられるわけないんだよ! 結果を抱えて生きてかなきゃなんないのは、僕たちなんだぞ!

この惑星(ほし)の気温上昇を1.5度に抑える確率を67%にするには、今後のCO2排出量をトータルで4,200億トン以下にしなくちゃならない。これが、2018年1月1日時点で、IPCCが出したベスト数字です。いまはね、3,500億トン以下なんですよ。

それなのに、今まで通りのやり方と技術で、何とかできるだなんて、どうかしてるだろ?! 現状の排出レベルじゃあ、あと8年半で限界が来るってわかってるのに!

いまこの数字に基づいた解決策なんて、どこにもありはしない。計画だってない。この数字がね、都合が悪すぎるからなんですよ。お前ら、ありのままを語る勇気だってないじゃないか

失望させないでほしい。そう思います。でもね、若い人たちは分かり始めているんです。あなたがたの裏切りに。未来世代の全員の目が、あなたがたを見てるんです。だから、もし判断を誤って、失望させたのなら、僕たちは許しませんよ、絶対に。

この問題から逃げるだなんて、そんなことは絶対にさせない。いま、ここで、やり直さなきゃならないんだ……。世界覚醒が見えるんです。否応なしに、変化は、来る……。

から、頼みます

"My message is that we'll be watching you.

"This is all wrong. I shouldn't be up here. I should be back in school on the other side of the ocean. Yet you all come to us young people for hope. How dare you!

"You have stolen my dreams and my childhood with your empty words. And yet I'm one of the lucky ones. People are suffering. People are dying. Entire ecosystems are collapsing. We are in the beginning of a mass extinction, and all you can talk about is money and fairy tales of eternal economic growth. How dare you!

"For more than 30 years, the science has been crystal clear. How dare you continue to look away and come here saying that you're doing enough, when the politics and solutions needed are still nowhere in sight.

"You say you hear us and that you understand the urgency. But no matter how sad and angry I am, I do not want to believe that. Because if you really understood the situation and still kept on failing to act, then you would be evil. And that I refuse to believe.

"The popular idea of cutting our emissions in half in 10 years only gives us a 50% chance of staying below 1.5 degrees [Celsius], and the risk of setting off irreversible chain reactions beyond human control.

"Fifty percent may be acceptable to you. But those numbers do not include tipping points, most feedback loops, additional warming hidden by toxic air pollution or the aspects of equity and climate justice. They also rely on my generation sucking hundreds of billions of tons of your CO2 out of the air with technologies that barely exist.

"So a 50% risk is simply not acceptable to us — we who have to live with the consequences.

"To have a 67% chance of staying below a 1.5 degrees global temperature rise – the best odds given by the [Intergovernmental Panel on Climate Change] – the world had 420 gigatons of CO2 left to emit back on Jan. 1st, 2018. Today that figure is already down to less than 350 gigatons.

"How dare you pretend that this can be solved with just 'business as usual' and some technical solutions? With today's emissions levels, that remaining CO2 budget will be entirely gone within less than 8 1/2 years.

"There will not be any solutions or plans presented in line with these figures here today, because these numbers are too uncomfortable. And you are still not mature enough to tell it like it is.

"You are failing us. But the young people are starting to understand your betrayal. The eyes of all future generations are upon you. And if you choose to fail us, I say: We will never forgive you.

"We will not let you get away with this. Right here, right now is where we draw the line. The world is waking up. And change is coming, whether you like it or not.

"Thank you."

2020-12-20

anond:20201220022238

ニューエラとかのベースボールキャップサイズ表記ゴミオブゴミオブゴミゴミゴミゴミだと思う。こんなことやってるからアメリカ人は嫌われるんだよ

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https://www.neweracap.jp/pages/size-chart

2019-09-24

グレタ・トゥーンベリ氏 スピーチ全訳 How dare you!

グレタ・トゥーンベリ氏のU.N. Climate Action Summit 2019におけるスピーチ話題になってるわね。

ブコメかに言いたいこともあるけれど、それよりNHKの全訳(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190924/k10012095931000.html)がなんかしっくりこないので、自分で訳してみたわ。

ごめん嘘。バズると思って訳し始めたらNHKの方がずっと早かったの(よくもそんなことができますね!)。せっかくだから書き上げたわ。でもしっくりこないのは本当よ。

私のメッセージ(※1)はこうです。”私たちあなた方を見ています

My message is that we'll be watching you.

これは何もかも間違っています。私はここにいるべきではありません。私は海の向こうの学校に帰るべきです。しかし、あなた方はみんな、私たち若者希望を求めてやってきます。よくもそんなことができますね!

This is all wrong. I shouldn't be up here. I should be back in school on the other side of the ocean. Yet you all come to us young people for hope. How dare you!

あなた方は私の夢を、私の子時代を、その空虚言葉によって奪い去りました。それでも私は幸運な方です。人々は傷ついています。人々は死んでいます生態系完膚なきまでに崩壊しつつあります。我々は大量絶滅の始まりにいるのです。なのにあなた方が話すことと言えばお金のことや永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よくもそんなことが言えますね!

You have stolen my dreams and my childhood with your empty words. And yet I'm one of the lucky ones. People are suffering. People are dying. Entire ecosystems are collapsing. We are in the beginning of a mass extinction. And all you can talk about is money and fairy tales of eternal economic growth. How dare you!

過去30年以上、科学事実はずっと明確なままでした。よくも目をそらし続けられたものですね。よくもここに来て、”私は十分にやった”などと言えたものですね。必要政策解決策もいまだに見えてこないというのに。

For more than 30 years, the science has been crystal clear. How dare you continue to look away and come here saying that you're doing enough, when the politics and solutions needed are still nowhere in sight.

あなた方は言います私たち言葉を聞いていると。緊急性は理解していると。しかし、どれだけ私が悲しみ、怒っていたとしても、私はその言葉を信じたくはありません。なぜならば、もしもあなた方が本当に状況を理解しており、それにもかかわらず行動を起こしていないとすれば、あなた方は邪悪な人々ということになってしまうからです。だからこそ、私はそう信じることを拒絶します。

You say you hear us and that you understand the urgency. But no matter how sad and angry I am, I do not want to believe that. Because if you really understood the situation and still kept on failing to act, then you would be evil. And that I refuse to believe.

一般的な考えとして、世界の(二酸化炭素)排出量を10年間で半分にするというものがあります。これによって気温上昇を1.5℃に抑えられる確率わずか50%に過ぎず、人類の手に負えない不可逆的な連鎖反応が始まるリスクは依然としてあります

The popular idea of cutting our emissions in half in 10 years only gives us a 50% chance of staying below 1.5 degrees [Celsius], and the risk of setting off irreversible chain reactions beyond human control.

50%という数字あなた方にとっては許容できるものかもしれません。しかし、この数字は転換点(※2)の存在や、多くのフィードバックループ大気汚染に隠れたさらなる温暖化公平性気候正義(※3)の観点を含んでいません。それらはまた私たち世代が、あなた方の出した数千億トンの二酸化炭素を、ほとんど実現すらしていない技術で以て大気から取り除くことをあてにしているのです。

Fifty percent may be acceptable to you. But those numbers do not include tipping points, most feedback loops, additional warming hidden by toxic air pollution or the aspects of equity and climate justice. They also rely on my generation sucking hundreds of billions of tons of your CO2 out of the air with technologies that barely exist.

50%のリスク私たちにとって到底受け入れられるものではないのです。私たちはその結果と共に生きていかなければならないのですから

So a 50% risk is simply not acceptable to us — we who have to live with the consequences.

[気候変動に関する政府間パネル]による最も分のよい試算では、67%の確率で気温上昇を1.5℃以下にするために、世界全体で許される二酸化炭素排出量は2018年1月1日以降で420ギガトンまでです。今日(2019年9月24日)、既にその数字は350ギガトンを割っています

To have a 67% chance of staying below a 1.5 degrees global temperature rise – the best odds given by the [Intergovernmental Panel on Climate Change] – the world had 420 gigatons of CO2 left to emit back on Jan. 1st, 2018. Today that figure is already down to less than 350 gigatons.

よくも”今まで通りのやり方”や何かしらの技術解決できるなどと嘯けますね。今の排出レベルでは、残りの350ギガトン猶予も8年半以内で使い切ることになります

How dare you pretend that this can be solved with just 'business as usual' and some technical solutions? With today's emissions levels, that remaining CO2 budget will be entirely gone within less than 8 1/2 years.

今日ここにいたるまで、これらのデータに沿った解決法も計画もまったくありません。なぜなら、これらの数字は非常に不愉快であり、あなた方はそのことをありのままに伝えられるほど成熟していないからです。

There will not be any solutions or plans presented in line with these figures here today, because these numbers are too uncomfortable. And you are still not mature enough to tell it like it is.

あなた方は私たち裏切り続けています。そして若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています未来世代の目はすべて、あなた方に注がれています。そして、もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶのなら、私は言います。”私たちあなた方を許さないでしょう”

You are failing us. But the young people are starting to understand your betrayal. The eyes of all future generations are upon you. And if you choose to fail us, I say: We will never forgive you.

私たちあなた方を逃がしません。今この場所、今この時から私たちは線を引きます世界は目覚めつつあります。そして、あなた方の好むと好まざるとにかかわらず、変化もまた訪れるのです。

We will not let you get away with this. Right here, right now is where we draw the line. The world is waking up. And change is coming, whether you like it or not.

ありがとうございました。

Thank you.

※1 これは「世界指導者たちへ向けてのメッセージはありますか?」という司会から質問を受けて始まるスピーチなので、話の相手方大人たち全般ではないことに注意が必要よ。

※2 Tipping pointNHKの方にも注釈があるけれど、気候変動が急転するポイントのことよ。具体的には正のフィードバックループが止められなくなったりする気温だったりするわね。例えば、気温が上がれば水蒸気が増える、水蒸気が増えれば温室効果がアップ、そしてさらに……、といった具合。演説中で触れられていた1.5℃の温度上昇もtipping pointの一つよ。

※3 Climate justice:「先進国が出した二酸化炭素のせいで温暖化してるのに、途上国しわ寄せが来すぎるのはおかしいだろう。」的な話。先進国(や富裕層)は途上国(や貧困層)に対して温暖化被害の点で責任があるし、対策はそれを踏まえて両者に公平な形で進められるべきであるという考え方よ。多少人権周りの話も絡んでくるので詳細はもっと複雑ね。こっちにも注釈付けた方が良かったんでないのNHKさん。

おまけ

NHK訳の感想

私の訳よりすっきりしてるわよね。私のはちょっとくどいわ。でも邪悪云々の下りは私の方が良く訳せてると思うの。どう?

2016-12-08

変なストーリー映画

■追記

みなさんありがとうございます。『牛頭』『フロムスク』とかそういうのです!

説明不足で申し訳なかったですが、ジャンルものでハッキリしたストーリーがありそうなのに展開が変、っていう感じが自分の言いたかった感覚に近いです。他人に勧めたいけど魅力を語ろうとするとネタバレになって困る感じの…『コワすぎ!』『デスプルーフ』も近いかな?

『キン・ザ・ザ』『ブラジル』とかリンチ作品や『ドニーダーコ』『ミスターノーバディ』も面白いですが探してるものとはちょっと違いました…『幻の湖』も…

とりあえず『団地』『ソウルキッチン』『ボーグマン』『8 1/2』怖くて手を出してなかった『マーターズ』観てみます

あと説明見てもよくわからない『リヴァイアサン』もすごく気になる…

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変なストーリー展開をする映画が観たいんだけどオススメはないでしょーか。

例えば『アダプテーション』『マルコヴィッチの穴』みたいな、いったいどういう方向に話が進むのか、途中までジャンルが何かすらわからないような意表を突いてくる映画が観たい。

他には韓国映画の『その怪物』『最後まで行く』『殺人告白』とかも全然先が予測できなくて面白かった。

こういう感じで予想をぶっちぎる映画、他に何かないですかね。

2016-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20161125004610

あれはフェリーニの『8 1/2』(とこれをリスペクトした大量の映画群)を観れば分かるんだけど、「戦争に加担しようが何だろうが俺は自分の作りたいものを作るんだ!」っていうモノづくりのエゴを描いた作品だ(と言われている)。堀越二郎の体を借りた宮崎駿自身言葉巨匠クラス映画監督が必ず通る途。

(ちなみに庵野最近シン・ゴジラ』で同じようなことをやった。「私は好きにした。君らも好きにしろ」⇒「この国で好きを通すのは難しい」⇒「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」の内、後ろ2つは庵野自身言葉だろう。ちなみにエヴァTV版のラストは『8 1/2』のもろパクリ

2016-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20160815220634

まさしくその通り、その通りだからこそ、さっき書いたようになる。

何でかっていうと、①監督作品作りに行き詰る ⇒ ②それでもファンの期待と批判はどんどん盛り上がっていく ⇒ ③追い詰められた挙句すべてをぶん投げて「おめでとー」、って流れそのものが『8 1/2』だから

詳しくは観た方が早いんで、ぜひ観てほしい。本題とは大分ずれちゃったけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160815213948

これ言うと荒れそうだけど、難解な映像作品が山ほどある(タルコフスキーベルイマンキューブリック等々)中で、エヴァ難易度って中の上ぐらいだと思うんだよね。

問題の「おめでとー」も、元ネタフェデリコ・フェリーニ8 1/2』を観てれば、「ああよくあるまとめ方で終わるのね」で済んだ話だと思うんだわ。

映画ヲタ界隈ではありがちな表現アニメヲタにやったから混乱しただけで、庵野自身はたぶん「お前らが無知なだけだろうアホが」としか思ってなかったと思うわ。

2016-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20160807215122

総監督である庵野さんから観客へのメッセージしか思えないのですが。

違います。あのメッセージは誰が言ったものですか? 牧吾郎さんですね。

ここで牧吾郎さん写真に注目してください。あのお爺さんは誰ですか? 故岡本喜八監督ですね。

岡本喜八監督と言えば、庵野監督が最も尊敬する人で、その作品が『シン・ゴジラ』にも多大な影響を与えていることが多方面から指摘されています

まりあメッセージ岡本喜八監督からの、庵野監督に対するメッセージです。

その上で、作中「好き」という言葉があと2回出てきます。それが岡本喜八監督に対する庵野監督の返答です。もう1回観てみてください。

さらにその上で、エヴァンゲリオンTV最終話と、フェデリコ・フェリーニ8 1/2』を観ると、今回やりたかったテーマがよく分かると思います

2016-07-31

シン・ゴジラ』のテーマ考察

本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品事件との比較から本作のテーマを考える。

※なお、細かい元ネタについては↓を参照。

■『シン・ゴジラ』の元ネタまとめ

http://anond.hatelabo.jp/20160731121447

1. 岡本喜八日本のいちばん長い日から考える

シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である

しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚政治家一丸となって事態対処するという姿勢は見られず、最終的な解決天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。

他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家官僚が現れたりはするものの、官僚政治家科学者(+ドイツ中国米軍)が”一丸となって”ゴジラ問題対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブメッセージがある。

2. 庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版から考える

シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。

しかし、両者はその後のストーリー展開が異なる。

エヴァヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命である自覚していくのだ。

しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。

そこで描かれるのは「みんなで協力して事態対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティック結論である

他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブ結論になっている。

3. 本多猪四郎ゴジラから考える

シン・ゴジラ』においては初代ゴジラリスペクトすることが明言され、ゴジラデザインストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。

ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器思想であるゴジラ水爆実験の影響で出現し、東京ゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。

他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題テーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。

しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。

まず、①原子力で動くゴジラ破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全クリーンエネルギー調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類福音をもたらすもの」とも言われる。

しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。

ここには、「核兵器使用には断固として反対するが、原子力活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。

4. 結論

以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器使用には断固として反対するが、原子力活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。

なんというか、大人結論である

5. その他気付いたが確証のないメモ妄想

◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎写真岡本喜八監督写真採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。

これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算オールファン批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。

ラスト血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発コンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。

ラストゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。

ヱヴァQとシン・ゴジラテーマは重なる部分あり。

(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。

(2) 危機対応するのが現実主義的な集団ゴジラ討滅のために核の使用も辞さな人類エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレである

すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団日本政府)に置くか、の違い。

◇牧吾郎反原発博士だったのではないか

妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。

国民生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。

その結果、①多数の東京都民疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。

(上の仮定が正しいとすれば)まさに牧吾郎の狙い通り(cf.広瀬隆東京原発を!』)になったことになる。

2016-05-23

『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)

『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督過去作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります

ポイント1 テーマって何よ?

イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマ映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます

ポイント2 何でそうだと分かるの?

主人公グラス(ディカプリオ)の台詞ちょっと考えてみれば分かります

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味のものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。

ポイント3 え、グラス死んでなくね?

死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。

ポイント4 は?じゃあその後立ち上がるのは何よ?

あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。

ポイント5 あまりにもオカルト解釈すぎない?

小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。

加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。

ポイント6 するとあの超回復力は何?

解釈問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。

最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています

次は狼です。これはインディアンバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたこから分かります

その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります

最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります

グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程回復していったと見ることができます

ポイント7 何でそんなことができんの?

愛です。

ポイント8 まあ愛の力だとして、人間の姿に生まれ変わらなかったのはなぜ?

ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。

ポイント9 では、場面を移して、ラストバトルで言ってた「復讐神の手にある」って何なの?

グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアンリーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。

ポイント10 戦いを終えた後、グラスさんがこっちをじーっと見るけどあれは何?

あの表情には元ネタがありますタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733ラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。

ポイント11 エンドロールがはじまってもグラスの吐息の音が聞こえるんだけど、あれは何?

あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っていますジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツレクイエム出現後のブチャラティを(略

ポイント12 結局『レヴェナント』ってどういう話なの?

愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。

ポイント13 ごちゃごちゃ言ってるけどテーマとかどうでもよくて、ディカプリオにアカデミー賞取らせたかっただけなんじゃないの?

ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影目標とした映画というのが、①黒澤明デルス・ウザーラ』、②コッポラ地獄の黙示録』、③タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォークフィッツカラルド』、⑤ヘルツォークアギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり監督映画史に残る過酷映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています

ポイント14 大体分かったけど、残ってる謎とかあるの?

掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品から引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。

それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞意味が実はまだよく分かっていません。特にエンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。



「『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

 
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