はてなキーワード: 愛情とは
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
以上のような内容が、あにまんというサイトの状況を交えつつ議論されていました。
ラウダの人気の無さと、彼に関するアンチ活動の活発さが特に印象的です。
また全体としてキャラクター描写や人間関係の描き方への不満が目立つ印象でした。
以上のような内容が、水星の魔女という作品の内容や制作者の意図を中心に議論されていました。
全体として監督の考え方や作品の方向性に違和感を覚える人が多い印象でした。
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全体としてラウダの描写や監督の価値観への違和感、作品の倫理観のぶれを指摘する意見が目立ちました。
また、コンテンツの今後の展開を懸念する声や、対立煽りを警戒する姿勢も見られました。
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全体としてキャラクターの尺や描写の問題点を指摘する意見が目立ち、特にラウダの造形については制作側の意図と視聴者の受け取り方のズレが大きかったのではないかという分析がなされていました。
また、一部のアンチによる自演や荒らしが問題視されている様子も伺えました。
以上のような内容が議論されていました。
全体として特定の荒らしやアンチによる組織的な活動が問題視され、作品や制作側の方針についても批判的な意見が目立ちました。
まぁ愛情掛けてくれるのはべつに両親じゃなくて祖父母でも問題ないと思うんですけど、
ペットを飼いました、ツアーで転々とすることがわかっていたので実家の両親に預けて任せっきりです
法律的には何も問題ないし、飼育費用だっておそらく両親に渡してるだろうけど、それでも炎上する
つか、『元農水事務次官長男殺害事件』とか『子どもを殺してくださいという親たちと』か
それなりに理由があって結果があるんだと思うよ
まあ可愛がるのは良いことなのだが、やっぱ人生として分かれちゃう感じがあるなぁ
幸せそうなのは良いことだし、しばらく距離は置いて遠目に見守るとするか
身勝手な要望としては、子なしに対しては子がいないかのように振る舞って欲しいが、まあそんな面倒なことをするより、似た属性同士で群れて愚痴りあう方が合理的なんだろうな、日常の範囲では
政治的再分配の話としてはアレだけども
養子とか検討したことがないわけじゃないんだけど、たぶん継続的に愛し続けられるほどの愛情はないからねぇ
少なくとも数年間、自分と子を区別しないような錯覚を獲得する必要はあるのだろうし、それは多分、不幸な事故のない限りは幸せなことなのだろうとは思う
三木谷さんも銀行や証券を買って当てたので傲慢になって、携帯など始めたのでしょう。
最初からキャリアと組んで進めれば、今頃3兆円とかの時価総額もあったでしょう、、。
孫さんもアリババで当てたもんだから自分は未来がわかるって、投機家癖がついちゃって、SBヴィジョンファンドなんて期間限定の借金で始めてしまって、、。
バフェット見ればわかりますが、時々キャッシュと債権のポジション増やしたと言いながらポートフォリオからするとごく一部なんです。
成長市場に長く居続ける、、ここです。
アームなんて、携帯のCPU屋さん、、誰が仕掛けたのか知りませんが、あんなに無理なPERついてしまって、私なら絶対に買いませんよ。
孫さんの動画でAIがすごいとか言ってましたが、、間違ってます。
例えば、インターネットがすごいのではなくてガーファムの経営者(人間)がすごいんですよ、AIは単なる道具です。
神をちょっとだけ真似て人ができる思いやりや愛情を虚空からクリエートすることは機械にはできない。
SBGも元々パソコンソフトの卸から始まったので何かを忙しなく仕入れて売る、、原始成功体験が抜けないんでしょう。
OYOジャパンとか、どれだけ日本のホテルオーナーに迷惑をかけたか。
ウイーワークの裸足の前経営者とか、、どう見ても奇人でしょ、、。
基本的には自分の考えの整理と振り返りに使っているけど、ブクマカやブクマカ兼ねてそうな増田を年単位で見て非常に得るものはありました
ただ、2番においてはまだ、気付きのまとめが終わっていない。これはワイではなく、別の増田の投稿なんですけどね
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
通貨が弱く、教育システムや医療体制も不十分な国から出てきたエリートや準エリート、またはスラム街からのし上がった人々にとって、先進国の人間の直面する問題なんて甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
同じ先進国の人間でも、呼吸する、歩く、座る、食べる、うんこする、寝る、じっとする からして困難な人たちからしたら、それらの困難を持っていない人の直面する問題など甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
身体的・精神的な困難を抱えていない人であっても、居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)の当事者に近い環境に身を置く人はいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常なのはまぁまぁしんどいし、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
まぁそれでも新たに上がっている『めちゃくちゃ叩かれてるビリギャルの擁護?を少しだけ(https://anond.hatelabo.jp/20240310181641#)』では、
ボンボン(持てる側) の 甘え や 傲慢が叩かれてるんだよね
やっぱ、甘やかされた裕福な家庭の子どもたちが、自分の人生が大変だと嘆いたり、傲慢な教育論はいてるのを見ると、
呆れたり、バカなの?ってなるの、どうしたって一般的な感覚だと思うんですよね。だって、エクイティ(Equity)や共通善と反してるから
(ただ、厳しい環境に身を置くと〜の話を書いた時、先進国の特別な困難も無さそうな人たちが『生存者バイアスだ!』とキレてましたよね?自分を棚上げ?😒とは思わんでもない)
やりたくないことをしない選択、他人にそれを強制しない選択は、他者を受け入れる態度と関連している
でもなんやかんやとやらないといけない事は現実問題としてある。そして、エクイティや共通善に反する持てる者(能力主義)の傲慢
暇な時に考えてそろそろ3ヶ月くらい経つけどなかなかまとまらない
- まともな人が多くても、全ての人が同じ期待に応えるわけではない。期待し過ぎないようにすることが大切である。
- 能力や生まれつきの条件は運に左右される。凶悪犯罪者でない限り、力になりたいと思うが、生活に困っていない人々に同情する必要を感じない。
- 自己責任論を突き詰めると、すべてが本人の責任になるが、それを受け入れることは難しい。自己責任論者は自己中心的だと感じる。
4. 困難な状況への理解:
- 先進国の人々も、困難な状況や悲劇に直面することがある。ただし、他の人の問題に共感すると同時に、エクイティや共通善に反する傲慢な態度には注意が必要。
- 持てる者が傲慢な態度を持つことはエクイティや共通善に反しており、これには批判的な態度をもつべきである。
- 甘えや傲慢な態度が叩かれることは、エクイティや共通善に基づく考え方と一致している。厳しい環境に身を置く話については、「生存者バイアス」の意見もあったが、これには異論もある。
7. やりたくないことをしない選択と他者への受け入れと現実問題:
- やりたくないことをしない・させない選択は大切だが、同時に現実問題としてやらなければならないことも存在する。他者を尊重し受け入れる態度とバランスが求められる。
ボーダーライン・カップル Ver 1.0 1999/05/31
境界例の人は自己愛型の人と相性がいいようで、このような男女の組み合わせを見かけることが多い。いくつかのパターンを見て見よう。
夫が自己中心的な亭主関白で、見捨てられ不安を持った妻が、まるで女中のように夫に従うような場合。我々の周囲を見渡せば、このような組み合わせのカップルをすぐに思い浮かべることが出来るのではないか。あるいは、自分の親がこのタイプだったりする。夫婦関係が主従の関係になり、極端な場合はSMの世界のご主人様と女奴隷のようになる。夫は自分の誇大感が実現していていいのだが、妻はかまってもらえない寂しさを抱えていることが多く、その寂しさゆえに子供にしがみついたりすると子供が境界例になる可能性がでてくる。自己中心的な夫が自分の子供を虐待したり、娘を犯したりしても、妻は自分が見捨てられる事の方が恐いので、夫の行為を黙認し、子供を犠牲にしでても夫にしがみつこうとする。虐待された子供の方は、母親から見捨てられたことによって、さらに傷つく。
夫婦の年齢差が大きくて、妻がまるで母親に甘えるように夫に寄り添っているケース。妻の依存心が夫の誇大感を支えているので強い結びつきを示すが、子供が産まれたりすると家族内で三角関係が出来て不安定になることがある。今まで二者関係の世界で安定していたのに、夫が赤ん坊を可愛がることによって、妻は見捨てられたような不安に囚われ、赤ん坊を憎むようになることがある。ひどい場合は赤ん坊を放り投げたりといった虐待行為をするようになる。
弱者と救済者という関係もよく見られる。夫は救済者という役割を引き受けることによって自分の自己愛を満たそうとする。妻から見捨てられる心配がなく、しかも自分は絶対的に必要とされているのだという安心感がある。妻からしがみつかれることで自己愛の満足が得られる。そして、自分が守ってやらなければという思いから献身的に尽くしたりする。夫が社会的に適応して安定した生活を送っていると、両者の緊密な関係は続いてゆく。不安定で激しく変化する妻の行動が、安定した夫によって支えられるという構図である。この関係の中で、妻の不安定さがそのまま保存され、二人の間ではドラマチックで不安定な出来事が安定的に繰り返されてゆく。
症例研究などを読むと、治療途中でこのような安定した男性と結婚することによって妻の状態が改善し、境界例が治ってゆくというケースを見かけることもある。
同じように救済者としての使命感に燃えていても、自己愛的な誇大感が強すぎたりする場合は、二人の関係は長続きしなくなる。苦しんでいる人を救うキリストのような全能の救済者という誇大感を抱いて境界例の女性に近付いてゆくのだが、誇大感が強すぎるために相手の心が見えていない。自分の描いた弱者のイメージに合わないと不機嫌になる。思い通りの救済劇を演じられなくなると、相手の女性をなじったり虐待的な事をしたりする。あくまでも、救済者としての誇大な自己愛の輝きに浸っていたいのだ。彼にとって女性の存在とは、自己陶酔のシナリオ通りに事を進めるための道具でしかなくなってしまう。そうなると、女性の方はしがみつきたい気持ちと、自分勝手な夫から見放されるのではないかという恐怖感との葛藤に苦しむことになる。そして、思い通りにしがみつかせてくれないことで夫を非難したりする。そして二人の関係は、男性の方が思い通りにならない女性に愛想を尽かしたり、女性の方が見捨てられる不安に耐えられずに身を引いたりして関係が壊れてしまう。あるいは関係が続いたとしても、救済者になるはずだったのが、いつの間にか虐待者になったりすることもある。
境界例でも感情が極端から極端に揺れ動くタイプの人と一緒になる人は大変だ。相手を理想化することによって熱烈な愛情を示したかと思うと、すぐその後で愛し方が不十分だという理由で相手をこき下ろしたりする。よほど忍耐力の強い救済者でないと付き合いきれない。カップルとして成立するのは難しいかもしれない。
価値観や人生観がころころ変わったり、物事がうまくいきそうになると自分でぶちこわしてしまうタイプの、行動的な境界例は、波乱万丈の人生を送ることになる。結婚までいきそうになると浮気して自分でぶちこわそうとしたりする。安定した状態に我慢できなくて、自ら不安定でドラマチックな展開を求めているように見える。
「ボーダーライン・カップルの世界では、熱烈な愛や理想化や誇大自己の満たし合い、その傷つき、怒りや破綻、償いがドラマ的に繰り返される。平凡な普通の穏やかな人々の世界に比べて、劇的で休む暇もない。それにもかかわらず、ボーダーライン・カップルはホメオスターシスを持った組み合わせである。それは、「不安定の中の安定(stable in unstability, Schmideberg, M)」というボーダーライン特有の状態をその夫に支えられて限りなく続けてゆくのである」
―― 「精神医学ハンドブック」 小此木啓吾 より (ホメオスターシス=恒常性)
自己愛の人が支持的で安定した人ならいいのだが、自己愛が強すぎて搾取的で傷つくことの多いような関係は、境界例にとっては好ましくない。症例研究などを読むと、治療過程でしがみつきや、見捨てられる不安を直面化することによって、現実検討能力を強化する。そうすると、このような関係が自分のためにならないことに気付くようになり、二人の関係は自然と解消されるようである。
一方の過大な自己愛を持った人にとっては、あくまでも自分は善意の人であり、悪いのは相手の方なのである。自分が正しくて相手が誤解しているのである。自分で自分の誇大感に気付くのは難しい。本人が二人の関係において何を望んでいるのかを解釈する必要がある。救済者を演ずることで賞賛や感謝を求めているのか、あるいは弱者と接することで優越感を持ちたいのか。優越性を獲得することで、自分自身の持っている見捨てられ感を埋め合わせようとしているのか。こういう隠された願望を理解することで、態度が修正されてゆく。大切なのは健全な自己愛である。
そう言えば、福祉関係の本を読んでいたとき、ボランティアの人のこんな言葉が心に残った。「自分より不幸な人を見ると、なぜかほっとする。その人が悲惨であればあるほど、自分の不幸が救われたような気持ちになる」
幸せな子どもを見ていると人生ガチャ大成功っぷりにつらい気持ちになる。いいなぁ。愛情溢れる親の下に生まれてこられて。
子どもは守るべき宝である。わかる。全ての子どもが健やかに、不安を抱くことなく成長してくれることを願うと同時に、自分も宝として育ちたかったと思ってしまう。
同級生にも子ども育ててる子が増えてきた。自分も年齢だけはとっくに大人になっているのに、まだ宝になりたがってしまってつらい。
子供の頃から幾度となく読み返してストーリーもほぼ頭に入ってるのに それでも最近かなりの確率で泣いてしまう。
自分が子育てをしている30代辺りでは、全くそんなことはなかったのに、ここに来て人情特に親子の愛情とか絆とかの話だとほぼ泣いてしまう困ったもんだ。
一番下が生まれてすぐの時、母の両隣では下の兄弟が寝ているから5歳の私は「私はママの足の近くでいい」と足にしがみついて寝た。本当は撫でて抱きしめられて寝ていたかった。
仲が悪いわけでも全く話さないわけでもない。絶対に必要だなとは思わない。
教育費は兄弟がいなければ自分に今の3倍使えてただろうし、外食だってもっと良いものが食べれる。かけれる愛情も3倍だ。
母親に「あなたは子供というより仲間、同志みたいなもの」と言われて傷ついた。
こんなちっぽけな損得なんて関係なくなるくらい兄弟のことをみんな愛しているのか?
そもそもなんで何匹も産むのか、一匹じゃ満足できなかったのか。
親のエゴ以外に何か答えがあるなら教えてほしい。
多分婚活で苦しんでる人なら喉から手が出るような、容姿的な魅力が散々詰め込まれた人でも
もう自分が生きてる時間が少しでも短いほうが幸せってことでしょ
春馬くんもそうだけどさ
幸せってなんだろな
整形狂いやルッキズムがどうのこうの
現実見て欲しい
https://bunshun.jp/articles/-/57886
こんだけ可愛くて実家太くても死んだほうがマシって感じるのが人生だぞ
美人になってもお前の欲しい物が手に入るわけじゃねえんだよ
悩むのはそこじゃない
羨ましいって反応を目で確認しないと不安になりますって言ってるようなもん
まともな人間(これをしたら周りはどう感じるの経験ストックがあり冷静に判断できる状態)は財産なんて隠す一択だよ
金持ちだったり、金持ちと結婚できたのに、愛に飢えて馬鹿なことする人をたくさん見てきた
これが欠けてると年収600万の弱者ですとかキモポエムを書かずにはいられなくなってしまう
しかもアホなのが、恋愛や結婚だけがそれを埋められると思ってる
まずどれだけ増やしても誰も傷つかない無敵の存在「友達」を手に入れろ
友達だけは作れ
それだけでいいんだよ人生
一度に1人しか選んではいけない結婚とか難易度高いのに手を出せ
っていうか友達を大事にするに人間が結婚願望本気で相談したら、まわりが勝手に良い縁談持ってくるんですよね
これが一番近道で祝福と幸せを得られるのになあ
焦って結婚相談所に金積んで相談員に友達のポジションを丸々ビジネスで埋めてもらってコスパいいとか一番確実とか馬鹿かって思う
※FF16のネタバレあり批判記事です。プレイ済でFF16に思い入れのない方向けです。
FF16をクリアした。わくわくと予約して発売当初にプレイしたので、クリアしてもう7ヶ月くらい経つんだが、いまだにもやもやする。もやもやというか、悲しみと怒りというか……。「何だったんだよコレ」というか。
いや正確にいえば、プレイ序盤は「おお、面白いかもしれない」と思った。それがちょっとずつ「ん?」と思うことが増え、中盤のバハムート戦が長すぎるあたりから完全に「アレ?」となり、終盤はちょっと盛り返してきたけど、ラストの米津玄師をバックに「あ、終わった……あと少しの工夫で名作になったけど……ちょっと塩気が足りないような……?」と狐につままれたような気分で終わった。まだサブクエストは残ってたけど、やりこむ気が全く起きずそのまま一度もプレイしてない。
思えばプレイ中、ずっと「面白いと思わなきゃ」という強迫観念に駆られてた。だって久々のFFナンバリングじゃん?予約してたしものすごく楽しみにしてたし、映像めちゃくちゃ綺麗でリアルで、鳴り物入りでものっそお金もかかってそうじゃん?周りも「今ハマってて〜」とか言ってたし、ずっと悪く言っちゃいけないと思ってたんだよ、いいところ探そうと思ったんだよ。
だけど日が経てば経つほど冒頭のようにもやもやが広がってきて「やっぱあれおかしかったよね」とか、恋人と別れてから洗脳に気づいてずっとそのことについて考えてしまうみたいな。FF16クリアしてからいろんなゲームやったりアニメみたりしたけど「FF16よりずっと面白い!」「FF16よりこの点がいい」とか、謎にずっとFF16と比べてる自分がいる。
ここまで心囚われてしまうのは、何かあるんじゃないかと。裏を返せば、FF16の何が面白くなかったかを深掘れば「面白いコンテンツとは何か」を考えてみるきっかけになるんじゃないかと。
本当はFF16の悪口言う飲み会やりたいくらいだけどそんな友達はいないので、こうして増田にしたためてみる。以下はエンタメ業界でもなんでもない自分のど素人の私見なので、いろんな方のぜひ意見を聞いてみたい。
以下は要素を出すためにとりあえず箇条書きで気になった点を挙げていく。
この項目は細かい話なので、要は何?を先に知りたい人は読み飛ばして次の項目にいっていただいて構わない。
悪い点ばかり挙げていてもフェアじゃないし、心を落ち着けるためにも、まずは良い点から挙げていきたい。
【FF16の良かった点】
・サブキャラの人間味がよい(ベネディクタ・フーゴ・ディオンあたり)
主人公がさらにその先の「人が人として生きられる場所」を掲げて言葉にし続ける(ちょっとFF10っぽい)
・終盤の今までの召喚獣全部出すRPG感(ちょっとFF10ぽい)
じゃあ悪かった点って何なの?
【FF16の悪かった点】
1.緩急がない
・チョコボの音楽流れない(なんだよあの♪チャララララララーンって、よく分かんないところでオリジナリティ出すな)
・ていうか音楽が終始暗め
・ミニゲームない
・ほぼ同じような景色ばかり、マップ移動が自動でシナリオも基本一本道、自由度が少なく冒険感がない
・テーマの根幹である、ベアラーが奴隷格という設定に無理を感じてしまった。魔法がある分科学は発展してない以上戦闘力は彼らが遥かに上だし、生活も彼らに頼りきり。抑え込める武力もロジックもないので反乱起こされたらかなりやばい、この状況であればむしろ優遇されるはず。ジルみたいに「人質にとって脅してる」だけじゃあまり説得力がなかった。
・ジョシュアがなんで主人公に自分の生存を隠していたのかが意味不明。物語の核心を知ってるんだろうなあ〜と再会シーンを楽しみにしてたら「僕もアルテマのことは詳しく知らない」?!は?!
あの意味深な隠密行動はなんだったん?中二病??だったら逃げずにさっさと共闘してくれよ
・アルテマもバルナバスも主人公に甘い。ディオンはあんなに狡猾に精神的に追い詰めたのに、主人公に対してはジルをさらうくらいで殺しもしない。
思念を断ち切りたいなら、もっと主人公の大切な人や場所を壊すなり目の前で殺すなりやり方いくらでもあるでしょうに
・召喚獣を吸収されても、暴走でもう1回召喚獣になれるのなんで??無理やりでもいいからなんか説明ほしい(その人の心の奥底に召喚獣の魂が根付いていてそれが心の刺激で一度だけ解放されるよとか、それくらいでいいから)
・主人公のキャラが真面目すぎて魅力を感じない。いかにも主人公らしい言動しかしない。もっと人間らしい葛藤とか弱さとか欲しかった
・主人公とジョシュア、再会してあっさり打ち解けるけど、あんなに羽むしって殺しかけたことはお互いもうちょっと思うところがあるんじゃ……
・主人公が飼い犬(トルガル)に興味なさすぎ。あなたの犬青く光ってるけど何当たり前のように受け入れてるのおおおお?!最近おやつ食べないのに飼い主以外の人が気づいて忠告してるけどおおお?!犬に対してぞんざいすぎる、いや狼だけど、生き物はちゃんと愛情深く飼ってくれ
・ヒロインのジルが戦わない。いやシステム上は戦うんだけど、精神的に戦わないように見えてしまう。
愛する主人公がピンチの時も見てるだけのことも多いし、何度「いや今命削ってでもシヴァに顕現しろよ?!」と思ったことか……。
性格的に自己犠牲っぽい割に基本的に受動、お姫さま扱いで時代に逆行。ベネディクタの方が好きだよ私は……
本当はもっともっと細かいところいろいろあるんだけど、呪詛みたいになってしまいそうなのでこれくらいにしておく。(既に呪詛)
悪かった点のまとめ、1〜3について振り返り、「いいコンテンツとは?」について考えてみたい。
いいコンテンツには緩急がある。
例えば同じFFでもFF7。ゴールドソーサーがあったりそこでバレットとデートできてしまったり、 戦いの日々の中にも思わず笑ってしまうセリフがちゃんとある。メテオ無視してスノボしまくることもできる。
FF7リメイクのエレベーターの中でのバレットとクラウドの会話 バレット「お前いくつだ?」クラウド「ファーストだ」 バレット「ちげーーよ!歳聞いてんだよwwwwwなんだよファーストって」みたいバカにして笑うシーンとかめちゃくちゃ笑った。 クラウドの自意識過剰とバレットの調子に乗りがちな性格を上手く扱ったやりとりだと思う。
FF16は音楽もキャラもシナリオもシステムも、ずーーーーっと暗くて一辺倒。明るくて楽しいの叔父さんくらい。(砂漠の叔父さんはめちゃくちゃジョセフ・ジョースターにみえたが)周回するのも辛い。
お願いだからチョコボの曲くらい流してくれ!チョコボの曲すらなかったらもうアレはチョコボという名前だけの別の鳥だよ!!
メインシナリオ以外の遊び要素がほぼサブクエストだけっていうのは、ただ面倒なだけだし相当シナリオが面白くないと無理ある。
語り部システムとかあって国際関係とかキャラ設定とか読み込めるようになってるのはいいんだけど、それ読んでも「結局あれは何だったん」って回収されない矛盾が多い。 1つ2つなら許せるけど、続くと キツい。
好きなコンテンツって設定集買って読み込んで「うおーーアレは実はアレでアレにつながってたのかああ!!」って本編だけでは回収されない細かい設定まで知るのも醍醐味で、それでもまだ分からないものはネットで考察みてこれはそうかもいやこれは違うやろとかあーだこーだするのも楽しいけど、FF16は設定集買っても絶対そんな深い裏とかないと思う。(そもそも買う気も起きないが)
なんというか、シナリオもキャラも自然に動いてない感じがある。
作り手が見えすぎてしまうというか、先に都合のいい展開・見せ場がつくってあって「この展開にしたいから、あなた(キャラ)はこう動いてくださいね」って指示されてるような感覚。その展開に至るまでの階段がない。
RPGならありがちなことではあるけれど、ここで映像がきれいすぎることが裏目に出る。映像がリアルな分、リアルでない展開がものすごく目立って見えてしまう。これがドット絵だったらそういうもんって思うこともできたけど。
もう、一番はこれ。薄い。クライヴ・ジョシュア・ジルという中核3名のキャラが圧倒的に薄すぎる。
全員いい子発言しかしないし、発言が全く面白くない。コンプレックスも葛藤もない(うっすらあるけど浅い)。
クライヴは騎士気質でベアラーにも弟にもジルにも尽くす、ジョシュアは弟キャラで兄大好きで病弱でニンジン嫌い。以上。
クライヴは幼い頃に神扱いされてた弟への嫉妬とかないんか。そんなに弟が大切なのに、弟を殺してしまった(そのあと殺してなかったことが分かるけど、あれだけ傷つけてしまった)ことはシドに鞭に打たれたくらいで消化できるものではないだろ。聖人君子か。
ジョシュアは健康な兄への嫉妬とかないんか。羽むしられたこともうちょっと怒ってもいいだろ、聖人君子か。唯一怒ったのがなんか「兄さんはもっと人を頼れ!」とかで殴った気がするけど、どんなシーンだっけ?とググったらYahoo!知恵袋で「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って回答があってその通りすぎて笑ってしまった。
ジルに至ってはどんな人間なのかがさっぱり分からん。自己犠牲で戦う人なのかなー?と思ったけど、その割には自分が石化することを案じてなのかなんなのか、「今は助けに入った方がいいよー?!」ってところでもなかなかシヴァに顕現しない。
そして(重い腰あげてようやく)鉄王国滅ぼしてクライヴを守る的なことを言ってたくせに、なに裸で抱き合ってシヴァが吸い取られることを受け入れてるんだよ。同意なく自分の生き様・決意を奪われて強制的に守られることを許すなよ、もっとブチ切れてクライヴと戦うべきところでしょ。しかも裸で。裸ならいいんか?クライヴの自己満な身勝手も彼の優しさとして涙流して感動して受け入れるんか?
ただその場の雰囲気に流されやすいだけの人では??なんで替わりにこの件でジョシュアが殴ったん??
良いところでも書いたように、サブキャラはちゃんとキャラがあるんだよ。ディオンは父親に認められたいコンプレックスを上手く突かれて暴走、以降は国を壊してしまった自責の念で生きていくのも分かるし、ベネディクタは何も持たなかった出自から奪われる恐怖で力に固執、力を失ったうえにこの上ない陵辱を受けて精神的に崩壊するのも分かる。
「この生い立ちならこういう性格と結果になる」がサブキャラにはあるのに、なんでメインキャラにはないんだ。あんなに15歳〜28歳〜33歳まで生い立ちに尺使ってるのに。最終的な年齢は今までのRPGの主人公よりずっと私に近いのにそれでも全く共感できない。
ここでも映像がきれいすぎることが裏目に出る。人間の見た目はリアルなのに、そこにインストールされてるソフトは作り物のペラッペラ。映像技術にキャラの厚みが追いついてない。ただのイケメン展覧会、ひたすらPVをみてるだけの気持ちになる。
キャラさえしっかり練られていれば、実は「1 緩急がない」も「2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い」もクリアできるのである。 1は性格設定に基づいたコント的な会話で緩急はいくらでも作れるはず。同人誌があれだけ発達しているように、メインのシナリオライターでなくても、設定さえしっかりしていれば他の人でも作れる。
例えばだけど、FF10のメンバーでクレープ屋に行ったとするとリュックがどれも食べたくて選べなくて、ティーダがそれをバカにして、でもユウナが「うーん、確かにバナナかイチゴか選べないなあ」って言った途端にティーダが「俺のもあげちゃう!」って言ってリュックが「何そのえこひいきー!」とかとか、面白いのが書けるかは別としてある程度会話が想像できる。 FF7なんて、どん兵衛のコラボCMみたいなめちゃくちゃな世界観にキャラを置いてもちゃんとキャラが動くからすごい。荒唐無稽な舞台なのに、「確かにこのキャラはこういうことやりそうwww」という説得力がある。
が、FF16のメイン3人でクレープ屋に行っても「俺はチョコバナナで」「僕も兄さんと同じので」「私はイチゴ」くらいで会話が終わってしまいそうなのである。シーンにキャラを置いても全然イキイキと動き出さない。
2も性格設定に基づいてキャラが自然に動くなら、都合のいい展開もなくなる。世界設定に多少の矛盾があったとしても(あくまで多少での範囲だが)、キャラが魅力的ならシナリオも魅力的になって多少のことは目をつぶれる。
荒木飛呂彦先生が『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、以下のように語っている。
> 実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。
重要な順に挙げていくと、①「キャラクター」 ②「ストーリー」 ③「世界観」 ④「テーマ」ということになります。
この四つは、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに深く影響を及ぼし合っています。そして、これらの要素を増補し、統括しているのが「絵」という最強のツールで、さらにセリフという「言葉」でそれを補う図式となります。
つまり、読者の目に見えているのは絵ですが、その奥には「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」がそれぞれにつながり合って存在しているのです。この構造は、いわば、ひとつの世界の営み、宇宙とも言えるのではないでしょうか。
(2015年 荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書 第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」より引用)
漫画はこれを1人でやらなければならないけれど(漫画家さん本当にすごい、、)、ゲームやアニメにおいても同じだと思う。
FF16はまさにこの裏返しで、まずは何よりメインキャラクターの作り込みが弱い。キャラクターが弱いからストーリー展開が不自然な点が多いし、緩急なくて苦痛を感じると世界観に没入しきれなくて、細かい設定の矛盾がどんどん気になってきてしまう。結果的に「人が人として生きる」というせっかくのテーマの説得力がなくなり、ただ言葉として置いてるだけのように感じてしまう。
で、それらを統括している絵だけが突出してめちゃくちゃ綺麗・リアルでそれ以外の厚みが追いつかず、宇宙のチグハグ感がすごい。
漫画でもゲームでもどんなメディアであっても、①〜④を作り込み、絵とセリフで統括して、これ以上ないくらい絶妙なバランスで宇宙をつくっているのがいいコンテンツ。コードギアスだったらCLAMPだし、ニーアオートマタであればゴシック調の耽美的な雰囲気と音楽だし、進撃の巨人だったら諫山先生のあの絵以外今やもう考えられない。
別の言葉でいえば、魔法にかけ続けられるかどうか。「このキャラはこんなこと言わないよね」とか「作業が多くて飽きてきたな……」とか「この設定矛盾じゃない?」とか、何か苦痛を感じる度に、魔法は少しずつ剥がれていってしまう。
完全に魔法が解けたあとは、全てがしらじらしく見えてしまう。
ジョシュアが殴るシーンにしても、Yahoo!知恵袋には「いいシーンですよね。何度も見返してます」と言っている人もいれば、「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って言ってる人もいた。前者は魔法が解けなかった人だし、後者は魔法が解けてしまった人。私は後者だった。FF16はどこかで魔法が解けてしまう危うさが多かった。
なんでこんな長時間かけてコンテンツ摂取するのかっていったら、魔法にかかりたいからなんだ。ジェットコースターみたいに上下して揺さぶって、時に笑って時に泣いて、続きが気になって仕方なくて睡眠時間削ってしまって、最初の頃に匂わせてたこの伏線はここにつながるのかーーー!!!!!ってあっと言わせてほしいんだ。
特に、FFみたいな巨大タイトルのナンバリングなら。頼むよ!!FF17頑張ってくれ。
昔バイトしていた施設ではたまにアイドル(アニメ系)のライブイベントをやっていて、自分はそこでチケットもぎって案内したり演出の管理をする仕事をしていた。
ライブといっても声優が来て踊ってくれるようなものではなく大教室程度の空間の壁にプロジェクションマッピングでCGの映像が流れる程度のもので、要はVtuberのライブの録画を流してみんなで見ていると考えるとイメージしやすいかな。
だけどそんなライブにもこちらが顔を覚えるほど何回も来てくれていた常連がいて、決して安いチケットじゃないのによう来るなと思って接客していたらある日手紙を自分に渡してきた。
「は?架空のキャラクターに対して手紙?」とはさすがに言えないので上司に指示を尋ねに行くと、「ありがとうございます。責任もってお届けさせていただきますね!」と返せと。
言われた通り返して手紙を受け取ると、その人は恋人にラブレターを渡した後のように高揚してライブ会場に入っていった。
まあその手紙はごみ箱に行ったんだけどね。(私が捨てたわけではないよ)
あ、声優とかにすら行かないんだ。まあいちいち送るのも手間か。