はてなキーワード: 過去問とは
先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。
当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。
気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学の過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強が楽しいと思うことができたのです。
いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプ。わたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。
先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたしの地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしはもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。
いや、違うかもしれません。分からない問題を先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生は担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたしは先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。
たったの半年程度で、わたしの順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。
「1位を取ったらデートしてください」
先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席の優等生の顔が浮かんでいたのだと思います。先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。
300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたしの学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。
わたしは、先生とのデートの権利をかけて彼女に一方的に勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物を攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。
誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたしは先生からのメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生は想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。
わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキーも職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。
映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想いを今日で最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。
しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生の気持ちを手に取るようで、その真剣な眼差しに促されるように、わたしは「はい、はい」と頷いていました。
先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄にしか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さな頃から過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。
先生とわたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入りの教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。
高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分が子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。
そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。
「共犯者だよ、君も捕まる」
そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想な女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。
わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから。
物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日は先生が学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたしを学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。
先生は、主任と校長にだけわたしたちの関係を告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任と校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたしは校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。
先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています。一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任と校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女の関係を辞めました。
先生とわたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生の退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断したからです。
春休み、わたしは毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日通うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。
高校3年生の時、知り合いから先生が都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学を第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生がいるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかったからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。
なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。
先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。
わたしの家には毎年、主任と校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですから。わたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。
はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中、わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然の事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたしは片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。
冬になり、主任と校長は一人暮らしになったわたしに年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。
2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきます。わたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールをはいたわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧にしか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。
はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きています。わたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。
しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。
せんせぇ、さようなら。
小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から「受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。
それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。
そもそも自分は中学受験の必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲に私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離の私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。
通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生がバイクで走り回るなんてことはザラにあった。
力の強いやつが偉い、という暴力的な世界ではあったし、自分はクラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。
その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学も東大・京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。
自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブなイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。
私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間が私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである。公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的に比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。
4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分は公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。
先に述べた通り自分は田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。
息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。
最終的に私立中を受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。
しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親は絶対私立派、父である自分は公立肯定派ではあるが私立も別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな。
仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?
当時の息子の塾での成績からすると、その学校はちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。
聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校の東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しかし自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大に合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生が東大に合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。
「中学に合格した直後が自分の人生のピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校に合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。
本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というものは一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずにはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。
人生のピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験ごときで限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。
息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭を見学して自由な雰囲気が気に入った」ということらしい。しかし文化祭や体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である。
だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初に見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれた学校観を友達に披露するような子もいたのではなかろうか。
いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である。
しかし公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値やステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である。
息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校を自分で見極めることにした。
6年生の春になってから、候補となりそうな中学の学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分が中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。
正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しかし校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的なカリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。
なるほど、これが私立か。
確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。
さあ、本人を説得だ。
仕事でクライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングのテレビに映して、自分の気に入った学校に誘導するプレゼンを行った。
学校選びに関する様々な観点を提示し、各候補校のメリット・デメリットを説明した。内容を正しく理解すれば、自然と自分の勧める学校が第一志望になるはずの渾身のプレゼンである。
そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来からの御三家校の名前を挙げた...。自分のプレゼンは何の効果も発揮しなかった。
説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後の最後に説得が成功すればいい。
夏休みが明けると生活は受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。
しかし、塾以外での勉強時間は特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリの時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。
テレビやマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)
ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。
しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月頃からは御三家校を完全に射程に捉えた。
その後は概ね合格圏内をキープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分の見立てた通りのシナリオだった。
第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分のお勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。
この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。
が、残念ながら不合格。
さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事。
「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功に必要な過程のひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」
午後に受けた学校は当日夜にインターネットで合格発表があり、めでたく合格!この学校も自分の評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である。
父お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ。合格発表は翌日朝。
受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校の合格発表の時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...
うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。
実のところこの学校、偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問をちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。
午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校の合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである。
緊張の一瞬。
遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。
合格。
父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。
そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝の言葉をもらえるとは思ってもみなかった。
また、自身の合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。
自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。
それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分の人生を自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。
自由な校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。
(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)
来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものはほとんどない。
息子の受験は成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針や戦略はあくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。
あえて言うなら、
以上、長文乱筆失礼致しました。
そろそろ後期試験だろうか。
私は4年制薬学部の最後の入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。
留年した人間の国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。
書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。
講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。
こちらのほうが致命的である。
私が親なら退学を勧める。
しかし別学部卒で自身も留年経験のある親は留年を許してくれた。
今思えば、
当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。
自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。
元同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。
結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレートに合格できたのだけど。
◆その国家試験前の話。
私学なので国家試験前は予備校の先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由で私たちにはそれがなかった。
今でも納得いっていない(笑)
ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室で毎日自習した。
お湯を沸かすためのポット。
無機質な真っ白の部屋に
これらを持ち込んで占有させて頂いた。
こんなに頑張ったのは初めてだった。
考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。
できない、というのはなんとなくだらだらして。
無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。
余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。
ほら、やっぱり真面目系クズだ。
クズにも底が見えた。
勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して
行ったことのない駅で降りていた。
風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。
そんな意味不明な1日。
(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物だから追い出したいし…なので割愛。)
今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。
毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。
解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。
悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。
今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。
そういう風に人間できている。
だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。
◆今、卒試国試前の人へ
6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。
ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。
◆留年した人へ
ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。
留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。
それは全然悪いことじゃない。
自分の人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。
上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授に出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。
必ず授業にはでること。
頑張れ。
H27行政
・全体的にとてもよくできていると思う。
・加藤が言ってたこと、行政法は、過去問と事例研究をやれば十分で、事案解析の作法はかなり細かいのであそこまでは不要らしい…
・大事なのはポイントを端的に指摘してコンパクトに書くことで、それを過去問検討の中で身に着けてほしい、とのこと。あとは、誘導に注意。
・設問1と設問3は論点を外すようなことはない、書くことが明らかな問題であり、設問2で差がつくだろうな、というのを問題みて把握し、設問2に注力する、という姿勢持てたらよいみたい。
設問1
かなり良くできてると思う。強いてあげるなら、なぜ顧客の信用が救済されないことの理由を一言あればよかったかも。事実→あてはめになっている感じがして評価がないような感じがしないでもないかも。
設問2
・本問は主張反論型ではないからY市の主張はなくてもよかったかも。
・裁量基準のところは上位答案間違いないと思う。とくにいうことないです。論理の流れが読み取りやすくて読みやすいです。
・法23条を落としてしまっているのは残念かも。法23条の趣旨とか関係が問題となるという誘導があるから何かしら考えて書くべき。加藤が言ってたけど、行政法でわからないところがあってもそれをする―するのはよくなくて、何かしらの意味があるのでなんとかくらいついて書いてくれ、というのをいってたので、わからなくてもする―はよくないみたいです。
設問3
・④については、予測可能性、という要素を挙げているけど、あてはめで、葬儀場の設置が不可能だった、で終わってるのがおしいかも。不可能だった、だから予測可能性がなかった、と最後に一言加えた方が規範の要素との対応がしっかりできると思う。規範とあてはめの対応関係に注意です!
この問題のポイントは、目的と、都市計画の差し替えがきちんと指摘できているかどうかなので、そこさえ指摘できていれば上位答案だと思う。
H23メモ
・この年の設問2(2)は過去問で最も誘導が分かりにくく難しい問題らしく、これ以上はでない(加藤)。これをおさえてれば、H2627は余裕らしい。
設問1
しいて、いうことがあるとすれば、4、切り出しのところで最後のあてはめの規範に、採点実感とかがいってる通達(139号1(1)①)の解釈を盛り込んで、通学道路の部分を規範にしてもいいかも、くらいです。
設問2(1)
・内容はあってます。が、ここは比較検討に主眼があるので、要件のあてはめはあんまりかちっとしなくてもよい、要件の規範を一個一個書く必要はない、そうです(加藤)。
設問2(2)
・①について
問題文にどのくらいの期間が開いたかとか、事情が書いてないからあんま考えずあてはめちゃってもいいかなと思う。問題文に事情ないから、条文が引用できればそれで十分っていう問題かなと思う。
・②について
取消措置が適法といえるためには、許可要件にない通達の事情を考慮していいこと、行政指導に反しないこと、職権取消の要件を充たすこと、が必要である、ということが前提だと思う。職権取消しができるためには、そもそも何らかの違法がないとだめなはずだから(ただ、ここんとこ教科書とかで書いてあるのを見たことはない…でも、そう考えないとこの問題の説明ができないかなと思う)。
その中で、そもそも法5条1項の許可を与えてはいけない事情があったんじゃないの?通達の事情の違反あるけどこれで拒否するのはいけないんじゃないの?いけないとなるとそもそも違法状態じゃないからと職権取消しはできないんじゃないの?っていう問題であって、通達の問題は効果裁量の問題だと思う。俺は要件裁量で書いちゃったけど、今作法とか読んでたら効果裁量かなって思います。
会議録の誘導読んでても裁量の問題と通達のことを書いてほしいのは明らかなので。これで回答になってるでしょうか?
設問3
H26
・加藤いわく、この年の問題は、現場志向要素が過去問の中で最も強いので、あんまり復習する意味は乏しいらしい・・・
設問1
・この問題は、①取引行為と訴訟手続きの違い、②手続きの不安定を招く、③司法上の契約とそれを裁判所に陳述するという側面があること、の誘導がなされている。問題文に3つ以上誘導がある場合は、誘導をグルーピングするといいらしい。本件でいえば、①②が、判例についての消極的理由付け、③が積極的理由付けとなるようです。
③については、訴訟上の和解につき表見法理の適用を否定した場合、訴訟行為としては無効である一方、私法上の和解契約としては表見法理の適用により有効となる。そして、和解の互譲は訴訟上の和解の効力も踏まえて決定される。その結果、原告が和解契約上の義務の履行を確保するために再訴提起の負担を強いられる一方で、被告が和解契約上の義務の履行を先延ばしにすることができることになり(執行力ないので)、互譲をした前提が大きく崩れてしまう。これが不合理な事態であり、こういうのを具体的に書けると点数が跳ねるみたい。答案だと1(2)(ウ)の部分の複雑な法律関係を生じさせてしまう、っていう部分、ここを具体的にできたらもっとよかったかも、という感じです。そこまでかけなくても合格点は超えると思うけども。
・あと、(ウ)の部分は、①の誘導とは別の誘導の記述なので、別個の項目で書いた方がよいと思います。
設問2
1(1)イ、のあてはめ部分の道徳的な合理性、というのは少し苦しいような印象を受けます。加藤は、和解が対価性を有する互譲であればOKという規範立てて、謝罪は死傷良心の自由に反する内容のものではないから、減額と対価性あり、と書いてました。
単に合理性があれば~という感じだと、何をあてはめているのかわかりずらいし、採点実感もあんまり合理性、という規範はよくない、みたいなこといっていたようだから、可能であれば、抽象度を下げた規範を定立してあげたほうがいいかもしれないです。
設問3
・1の部分の既判力によって遮断される、っていう原則は、こういう風に既判力が作用するから遮断されるよという風に説明してあげた方がいいと思う。
・現場思考の問題として2以降の論述は十分三段論法になっていて読みやすかったです。ただ、現場思考の問題で1ついうことがあるとすれば、既判力の問題で原則に反することを論じさせる場合には、既判力の正当化根拠からも、こういう例外を認めていいんだよ、っていうのを書いてあげた方がよりよくなると思います。
大学受験で以前こんな感じの記事を書いた。一応、その続きです。
一浪で受験に失敗した人の末路は
http://anond.hatelabo.jp/20130311000638
結論から言うと来年から東大の大学院に行くことになった。
表題で結構煽ってる感じするけど、書きたいのは「学歴コンプは院ロンダで発散しよう!」みたいなやつじゃない。
まあそういうの書いた方が反響がありそうだが。
んで、じゃあここでなに書くつもりなんだよwって話だけど、院ロンダの話より前の記事の続きで、ただ切り替えが大事って話。
上の記事の後、失意のうちに大学に入ってずっと引きずって、仕方なく入ったサークルにも顔を出さず。無為に過ごしていた。
そうして一年終わる頃、友達に誘われてちょっと企業の説明会に行った。そこで聞いた話は覚えていないが、様々な仕事はやけに面白そうに感じた。
そしてその時に「ああ、この先の人生って今よりずっと長くて、ずっとやっていかなくちゃいけないんだなあ。」と理解した。
サークルに出て部長をやったり、バイトを始めたり、気になったことを自分で勉強したり、そこから大学生らしい大学生をし始めたと思う。
くだらないがやはりそこから様々な学びを得た、これは前を向いたからこそ得られたものだ。
理系にしては珍しく就活もし、より環境の良い外部の院を受けるというのも、この先自分がどうあるべきかを考え続ける積極的な姿勢が作られたからだろう。
学歴コンプはそのうちに消えていた。奇しくも東大の大学院に入学することにはなったが。
失敗をしない人間など正規分布の2σより上の層みたいに思っておけば良い。
多くの人間は失敗する。
失敗したときに次に行動をできるか、失敗の中から成功を見出せるのか、これが僕が体験したこと。愚者は経験に学ぶは正しい、こんなの早くに気づけばよかった。
P.S.
ロンダしたい人、まあ勉強頑張って下さい。僕は過去問3年分解いただけでそんなしてないです。
ロンダは認めねえ!って人、認めなくてもいいです。東大の良い研究環境を僕が寄生虫としてしゃぶりつくすだけなので。
仮面浪人、二浪を考えている人、失敗したらしたですぐに次を考えるだけのことです。ひょっこり院で東大入れるかもしれません。
くだらない記事書きやがって!って人、僕もくだらないと思っています。
ただ注意して欲しいのは失敗を肯定しているわけじゃない。京大は今でも入りたい。
ただ、失敗を引きずって無為に過ごしてはダメだった。再受験だろうがなんだろうが、次に目線を合わせなきゃいけない。時間は過ぎるのだから。
過去問のやり方について。
順番について最も良いのはこれ
①設問を読む
②問題文を読む
③解答を見る
④なぜそうなるのかを考える
⑤解説を見る
①'問題文を読む
②'設問を読む
③'回答を考える
④'解説を見る
⑤'解答を見る
この順番、なぜかを説明しよう。
まず①②について。設問を見てから問題を読んだ方が問題文を読んだ時に必要な情報をピックアップする力が格段に上がる。無駄と思える部分を省いて読めるためトータルの時間が短縮できるのだ。
そして③④⑤について。これが最も重要だ。実は、自分で解くのは時間の無駄なのでやらなくてよい。解答を見たときになぜそうなるのかを設問と照らし合わせて納得できるか。これができること。それこそが問題を解く力があることの確認となる。これは、納得できたのならば次に同様な問題が出たときにも解けるしその根拠もしっかりと理解できている状態であるということだ。
一般的には解説を読んで理解してから回答を見て納得するのが正道でそうでなければきちんと理解して解答にたどり着いたとは言えないと言われる。学校の先生なんかは特にそういう傾向がある。答えだけ見てもそれは答えをただ覚えただけだから次に同様な問題がきても答えられないし応用も聞かないと言いがち。でもそれは違っていて、むしろ自分の中にきちんと残さないといけないのは設問と正答を結ぶ見えない道なのだ。これを明確に認識して、それが根拠だと言える状態にする。これにはただ書いてある解説を読んで覚えていてはできない。真剣に考えてなぜそうなるのか。逆にそうでなかったら問題のほうがおかしいと言い切れるまでに設問と正答との関係性をはっきりとさせなければならない。その段階まで来たら解説は鵜呑みにしてはいけないとわかる。むしろ自分が解説したくなるしそれが目指すべき状態だ。自分の中に確固とした根拠を見極める力をつけることがゴールなのだから。
そしてこれは受験が終わった後も一生役に立つ知識になる。問題に対して答えを見つける力。なぜそれが答えになるのかをはっきりと認識して答えることができれば他人が違う正解案を出してもなぜそれが違うかを説明できるのだ。また、現象と結果は情報として手に入るが多くの場合その理由に絶対の正解はない。そんな時でも自分なりの答え、または自分が直面している問題に限定した答えは導き出せるはず。ここにたどり着く方法はやはり上記の順番で問題を解く重要性を理解することと密接に関連している。
是非参考にしてほしい。
幼稚園では一人遊びが最高の楽しみだった、自分の世界だけで生きていた
朝顔のたねを潰して、砂を掘って、壁に登った
小学校では図書室の図鑑だけが昼休みの私を癒してくれた、外遊びには興味が持てなかった
中学校では、体育の時間の後で全員が制服に着替えても一人だけ体操服で授業を受けた、そのほうが涼しいから
高校では体育祭をサボって図書室で本を読んでいた、拘束されるのが嫌だったから
親が泣いても文化祭に行かなかった、それまで一日もクラスを手伝ってなかったから
遠足のときは家を出てから学校に病欠の連絡をして満喫で時間を潰した、もう親を泣かせたくなかったから
授業は面白かった、つまらなくても過去問で単位を取った、科学こそ自分のスキなことだと感じた
サークルに熱中した、気づいたらリーダーになってすべてをつぎ込んでいた
大学院は思っていたのとは違った
科学への渇望は消えていなかったけど修了と同時にアテもなく飛び出した、先生と研究室には我慢の限界だったから
僕は10年経っても体育祭から逃げていたんだ。集団から、どこからともなくリーダーが現れて全員に無言の圧力で不文律を押し付ける。集団の中で、時間と場所と思考の自由を奪われていくあの感じ。社会に蔓延するあの体育祭の空気から、きっと抜け出せると信じていたんだ。それでも、自由になれなかった。
まだ、後夜祭のキャンプファイヤーは消えずにいる。
例えば、うまいものを食べた時、定期試験の過去問をあげた時、バイトのシフトを変わった時
「ヤバい!マジ神だわ~」
みたいなこと言って、無用な神格化をすることで最大限の感謝を示してくる奴があまり好きじゃない。
でも、俺の周りではこの表現を使う人が日々増殖しているように思う。
こんなことを思っていた事すらすっかり忘れていたある日、何でもない洋画の「Ohh! MY GoooD」というセリフに戦慄した。
ついに、お互いの想いが一致していたことが分かり、歓喜していた中で発せられたセリフで、
字幕を見ると、「夢じゃないのね」とか、確かこんな訳だったと思う。
でも、俺はそうじゃないと思った。
「ヤバい……マジ…、神、だわ…」
やったーーーーーーーーーーー!!!!大学生活最初の夏休み!!!!!!!!!!!
ということで、国立大学で理系学生ライフはじめた人の感想として、高校生のうちからこんなところ見てる人に向けて心得ておくといいことを色々書いてみます。今大人の増田さんにも昨今の大学生の一例として見て欲しいです。
これから書くことは個人の感想だし、高校時代の友人や先輩からの受け売りもあるし、さらにすべての大学に対してうまく当てはまるものではないことをお断りしておきます。というか高校生に向けた話なら今書かずに3月にでも書いたほうがいいとか、具体的な勉強方法については例えば"シケプリ"制度のある東大や横市医には全く当てはまらないとか、まあだめな所いろいろあると思います。ごめんなさい。
これ分かってないとだいぶやばいので一応書いておきます。大学入った瞬間すでに真っ白に燃え尽きてしまっててこの半期でリタイアしかけてる人を実際に見てしまってるので・・・。
1日が勉強と(睡眠OR風呂OR飯)で終わる日が何度もあります。受験の時は一応飯と睡眠は毎日とってたはずなんだけどなぁ。
これは失敗談なのですが、スマホ(もしくはSIMの刺さるスマートデバイス)は買いましょう。必須です。あなたがまだガラケーで親の承認得られないようでしたら合格直後に量販店に駆け込んでSIMフリー端末とプリペイドSIM買いましょう。ハイエンドである必要はないです。
今の大学生、コミュニケーションツールはほぼLINEの一人勝ちで、あとは若干のtwitterです。メールの時代は終わりました。私は頑なに(親の意向もあったのですが)ガラケー、しかも通話とSMSのみの契約だったのですが、そのせいでLINEを全くと言って良いほど使ってなく(一応PC上のAndroid仮想マシンとガラケーのSMSを使ってアカウントは作ってましたけど)入学直後の友達作りに完全に乗り遅れました。というわけで(別にスマホ持ってなかったのが主原因ではないですけど)今私には同学科の友人がいません。ココ重要。
もちろん友達作りだけでなく、「いつでもどこでもすぐググれる環境」を作っておくことはとても良い勉強の見方になります。もちろん重要な情報は本読んだほうがいいですけど、ちょっとしたことを最小の時間で解決できるという点において本当に便利です。
これも失敗談です。新学期が始まった直後は、サークルを宣伝するのを主目的とした(と今となっては感じます・・・)"履修相談テント"がキャンパスにたくさん並びます。履修相談とは読んで字のごとく履修について相談をすることで、例えば学内で使うwebサービスの使い方とか、要項に載ってない暗黙の了解とか、どの授業はテストが難しいだとかこの時間はこの授業をうけるといいとか、そういうことを先輩が教えてくれるらしいです。
しかし入学当初の私は、忙しいはずの先輩たちがそんな自らの時間を割いて後輩のためにいろいろ教えてくれるなんて虫のいい話があるわけ無い、全部宗教勧誘だと勝手に思って近づきもしなかったのですが、本当にいろいろ教えてくれるそうです。さらにメインの目的であるサークルの宣伝もそこまで押し売りみたいなものではないらしいです。
私は理想的な時間割を作ることに失敗し、本来1回生で終わるはずの第2外国語を2回生でもやるはめになったようです。あの時履修相談テントに行っていれば・・・!と常々思います。どうにかまだ留年条件は満たしてないと思いますが・・・。
自分用のノートパソコン持ってないなら買いましょう。必須です。入学直後ガイダンスで偉い人に「学内備え付けのパソコンが沢山あるから買わなくてもいい」みたいなこと言われましたが嘘でした。学内パソコンはたくさんありますが基本的に自分のパソコンを毎日持ち運んで毎日使います。授業の内容まとめたりレポート書いたりとかちょっとした空き時間にできます。後述するコンデジとICレコーダーの母艦としても大活躍します。
個人的にはB5サイズ程度でキーボードが打ちやすい、(自宅にデスクトップ機があるので)CPUは最重要というわけでもない、みたいな基準でアウトレットの型落ちThinkPad X250買いました。
別途PC用の手持ちバッグ持ち運ぶのが手間でなければB4サイズでもアリですし、生協で20万円とかするLet'snoteとか売ってますが、Let'snoteに期待されるであろう軽さ電池持ち頑丈さに加えて生協の手厚い補償とかを考えて価値があると思うならそれもアリだと思います。今のところ非Windowsで困る場面もあまり無い感じなので、Macでドヤリングも悪くないです(でもUSB typeCしか付いてないアレはどうなんでしょうかね)。surface持ってる人意外といますが、大学の机は得てして特に前後方向に狭いのでキックスタンドのせいであまり奥に置けないことを考えたほうがいいです。高い買い物なので、よく悩んで、量販店で実機触って、満足できるもの買いましょう。
なおOffice付属のものを買う必要はありません。まっとうな大学ならDreamsparkもしくは何らかの包括契約とかで実質タダみたいにOffice使えます。
これは私が文字書くのがすごい遅いせいでもあり、またノート写してくれる友だちがいないせいでもあり、また大学の授業というのはまあ本当に教授によって様々なので一概には言えないのですが、スライドをぱっぱっと切り替える人とか速記みたいなスピードで(でも読める)文字書いてすぐ消す人とかいるので、ノート取るの追いつきません。ただただ文章書く・話すだけの人ならパソコンやポメラでメモ取ればいいのですが、図とか数式とかいっぱい出てくるとそうも行きません。そういうとき現代の学生はすぐスマホで写真撮ったりするのですが、運悪く後ろの席にしか座れなかったりするとデジタルズームしかできないスマホのカメラだとどうしても文字が潰れて読めないことがあります。光学ズームのあるデジカメはそういう時の強い味方です。1万円前半くらいのでもいいので持ってると便利です。もちろんシャッター音は消しましょう・・・。
教授はとんでもなく重要なことを唐突にしゃべります。そういう時ちょっとでも眠くなったりボーッとしてるとアウトなので、授業中は常にICレコーダーで録音してます。万一なにか聞き逃しても後で確認すればいい、というのは精神的な余裕も生まれるので良いです。スマホで代用もできなくはないとは思いますが、専用ハードウェアは便利ですよ。PCと接続してデータ移せる機能は必須だと思いますが、外部ストレージが刺さるとかマイクが動いて指向性変わるとか電池交換が可能とか薄いとか、そこらへんは個人の好みで。
この手のものは操作感が命なので、ソフトの作り込みが良い主要3社(オリンパス・パナソニック・ソニー)が鉄板です。
紙で配られた資料はスキャン(してOCR)しましょう。電子データで配られた資料はプリントアウトしましょう。紙には紙の(直接書き込んでメモしやすい/切り取ってノートに貼れる)、電子データには電子データの(なんといっても検索性)良さがあります。
スキャナー持ってない場合、Office Lensなどのアプリで代用もできます。これはなかなかの優れもので、カメラで四角いもの撮ると自動で四角いもの検出して正面から撮ったように伸縮してコントラスト調整して読みやすくする、まで自動で行ってくれます。Microsoft純正アプリだけあってOneDriveへのアップロードもできますし、そうすればOCRも行ってくれます、これがスマホで完結する時代になったのですから恐ろしいものです。ただ自分の場合はハードオフのジャンクコーナーから動きそうなフラットヘッドスキャナ見極めて500円くらいで買いました。
プリントアウトはコンビニでもいいですが、最近は新品のレーザープリンタでもローエンドは1万円しないとかとんでもない安さになってるので、突然レポートをプリントアウトしなきゃいけなくなったりする時とかに備えて1つ家においているとほんとうに便利です。ただしこの手のローエンド品はドラムが交換できないようになっているので、つまりドラムの寿命が来たらその時点でプリンタの寿命なわけです。でもそれでも何万枚かはプリントアウトできるらしいので大学生が一人で使うぶんには全く困りません。交換用トナーもリサイクル品なら高くありません。レーザープリンタ、おすすめです。
理系と言ったら英語です(誰でも英語必須だと思いますが)。英語は何世紀にもわたって世界的なブームが続いてるので、絶対色んな場面で英語使います。東工(予定)や横国などみたいに院の授業は全部英語というのは極端な事例ですが、英語しか資料がないという場面はこれから何度も出くわすと思います。
授業で教えられるものだけでは足りないと思ったので、自ら英語に触れていくことにしました。これは私が個人的に合っていると思うやり方で、効率性とかよりも楽しさ・挫折しにくさ・"英語が嫌いにならないこと"が重点です。ちなみに海外渡航経験はゼロです。
リーディングは自分の興味ある物のネット記事とか読み漁るといいです。googleのニュース検索の中から適当にチョイスして読むとかいい感じです。
日常的に英語に触れる、という点ではブラウザやスマホやゲームやPCの言語設定を英語にするのが最高です。
つい最近ですが、持て余してるパソコンにUbuntuを英語設定でインストールしてみました。変なことするとエラーメッセージとかが英語でバンバン出るのでLinuxと英語が一挙に勉強できてヤバいです。Reboot even if system utterly broken!!
リスニングはラジオのAFN。あっBGMほしいな~といった時にちょくちょくかけます。AMの放送局とかありますがネットで聞けます。英語の冗談で笑えた時本当に嬉しいですよ。
ライティングはたまに海外の掲示板にチョロっとなにか書いたりとか、スピーキングはスマホにOKGoogleしたりとか、その程度です。
私は以上4つの定番ingに加えて、基本的な英単語について瞬間的にイメージをするというのも大事だと思ってて、P-Study systemをやっています。簡単な単語集を制限時間1.5秒とかで4択からパッパッと答えていくのが好きです。
これはおすすめするか迷ったのですが、Wikipediaの「Unicode6.0の携帯電話の絵文字の一覧」をぼーっと眺めることもあります。これも基本的な英単語を瞬間的にイメージする練習です。
Unicode6.0の携帯電話の絵文字の一覧 - Wikipedia
センター本番の英語は8割とか散々な結果で辛かったのですが、今の成績を見る限りどうにか帰国子女グループの次くらいにはできるようになってるみたいです。
レッドブルとかモンスターエナジーとか、エナジードリンクキメると本当に目が冴えますよね。でもただでさえ生活バランス崩れるのにそこにさらに追い打ちをかけるようなことはこれからはやめたほうがいいと思います。エナジードリンクは体力が増えるのではなく体力を前借りしてるだけです。生活リズム・体調が一番大事。18過ぎたら老化始まりますよ。野菜食べましょう。
運動しましょう。ネタではないです。ポケモン捕まえるためにランニングとかでもいいと思います。北大とか筑波とかだだっ広いところだとキャンパス内の散策だけでもいい運動になりそうです。体動かさない日が何日も続くと結構ダウナーになったりします。
個人的な経験になるのですが、体動かした後というのは疲れるというのよりも先に学業が捗るというのが来ます。高校までは通学に1時間とかかけてそれがそこそこの運動になってたわけで、大学のすぐ近くで一人暮らし始めて一気に運動量減ってたんですね。それで今まで運動不足という状況に陥らなかったわけです。
残念な話なのですが、学部学科にかぎらずチャラチャラした見た目・生き方の学生が存在します。ウェイはみんな早慶に行って国立のましてや理系の道に進めばもはやそういったのに出くわすことはないかと思ったのですが、大きな教室に1~2グループとか、ウェイは存在します。これは個人的にすごいカルチャーショックで大学に入ってからの悲しみランキング堂々トップなのですが、そういった生き方の人間はどこにでも一定数存在するということを高校生のうちに知っておけば、もう少しショックは減らせたのかなという思いです。
多くの講義は最後の日に試験があるわけですが、過去問を持っていると本当に捗ります。もちろん試験対策にもなるわけですが、普段の授業でも過去問を見ながら授業を受けるとどこが重要なポイントかがよくわかります。過去問なんて受験までの話だと思ってたのですがどうやらそうではないようです。
過去問の入手方法ですが、もうこれは同じ学科の知っている友人や先輩に頼むのが一番だと思います。残念ながらわたしにはそういった頼れる人がいないので、次点の手段であるインターネットを使います。
なんたるインターネットリテラシー欠如の無頓着かという話なのですが、例えばtwitterで鍵もかけずに学内でしか知り得ない情報を話すような学生というのが若干数いるので(プロフィールに大学のことが書かれてなくても、学内で起こったちょっとした出来事とかをキーワードに検索すると釣れます。教室内での出来事なら確実に同じ授業を受けている人になります。もちろんそこからフォロワーを芋づる式にたどっていくこともします)、そういったアカウントを監視して何か試験に関する情報をつぶやかないかどうか待つわけです。
ごく一部に限りますが、試験問題をアップロードしている非公式サイトなども存在したりします。むしろtwitterではそういうサイトの情報を得ることのほうが多いかも。
実験したらレポート書きます。おそらく(あなたが高校生ならあなたが思っている以上に)大学生活のうち大部分をレポート書くのが占めると思います。
「学生実験 レポート」とかググると章立ての仕方とか出てくるのでそれに従います。もしかしたら教授からなにか指定されるかもしれませんがその場合はそっちを優先します。
多くの場合目的→原理→手順→実験結果→考察→参考文献みたいな章立てで書いていくのですが、最初から順番に愚直に書いていくのはお勧めできません。実験が終わった段階で手順と実験結果は終わっているようなものですし、多くの場合教授が最重要視するのは考察です。まず原理を書いて自分が実験でなにをしたかったのかを再確認し、適当な関連しそうな事項が載っていそうな本を図書館で探して参考文献リストを埋め、本をパラパラめくりながら考察を考えていきます。次に自分が原理や考察を書いて何を学んだのかを目的の項でさもこれから学ぶかのように書き、最後に手順と実験結果を適当に埋めます。
もしWordでレポートを書く場合、"スタイル"を用意しましょう。スタイルとは段落や文字列などに個別にフォントなどを一括設定できる機能です。例えば「目的」と打ったあとその行にカーソル合わせたまま「見出し(自作)」とかいったスタイルを選択するとその行がMSゴシック12ptで「1. 目的」となってそこで改行するとスタイルが自動的に「本文(自作)」とかになってフォントがMS明朝10.5ptに変更されたりします。めちゃくちゃ便利。またページ番号も自動で入力されるように設定します。実験ごとに指定される書式とかあると思うので、それにそってスタイルを自作してテンプレートとして保存しましょう。スタイル機能、Wordにおける超超超重要機能なので絶対使いましょう。
また、とにかく何かしら文章を書いてページを埋めてレポートを書いた気分に浸りたい場合、"=rand()"と打ってみましょう。数段落の文章が自動で挿入されます。自分の場合何も書く文章が思いつかない時にこれをすると、なんだか自分がすごく文章をかける人間なんじゃないかと錯覚して結構書く文章を思いついたりします。
明るい青春、楽しいキャンパスライフなどというのは理系学部生には無縁の話です。実験・レポート・課題・自習の毎日です。もちろん自分が専門にしたいことを中心に学べるのはとても良いことなのですが。
そんな中でも趣味が1つあると、誇張でなく「生きる希望」になります。私は受験勉強に本腰を入れてから一切の趣味活動(上のリンクでバレバレです)を控えて、いざ合格した時に解禁してみると随分とそれを取り巻く環境が変わっていたのを知って戸惑ったのですが、それでも学業とは切り離して好きなものを持っていることに大きな大きな安心感を持っています。
以上、こんな感じです。まだまだ効率化しなくちゃいけないところはいろいろあると思いますが、どうにかほとんど単位は取れそうです。
基本情報・応用情報・TOEIC800点・品質管理検定・数学検定・電検3種
多分まだまだある。
でも、ぜんっぜん研究できないし、しないんだよな。
就活にも場合によっては有利になるだろうし、受験すること、勉強することに関しては一切文句は無い。
ただね。
研究室に来てまでTOEICの本熱心に読んでたり、何かの資格試験の過去問を一生懸命取り組むのは間違ってると思うんだよ。
研究室のその席は、何のために与えられてるんだよ。
正直言って、後輩にも微妙に悪影響だ。
研究しない理由を、資格試験の勉強があるからと言われたらたまったもんじゃない。
それでも、昼にチョコっとやってたり、夜に自分のタスクが終わった後にやってるんならいい。
しかし、何故ゼミの時間や輪講中にそういう自己中心的な内職をするのか。
勉強ができる子って、勉強したらリターンが必ず返って来る資格試験って好きなのかな?
ただなぁ。
参考書に書いてあることを覚えるだけだし。
というアピールをした際は、その資格は自分の何のアピールなのかを聞かれるんだよなぁ。
ただスキルアップのために受験しただけだと、そういう突っ込みに答えられなくなっちゃうよ。
その資格を引っ提げて、鳴り物入りで社会に飛び込んで下さいという他ないか。
どうせハイハイ言うだけで結局人の話聞いてないんだし。
増田は気軽に質問できる中・上級者がいない趣味プログラマか学生さんだと仮定。
どうしても合う合わないがある。
筋肉付けたいとしても、筋トレ無限にできる人と無理な人といるでしょ。そんな感じ。
自分の欲しいものをつくる、なんてのは誰でも思いつく話だと思うんだけど、
自分の欲しいものの中で一番機能が少ないものを、ギリギリ最低限の実装でやること。
Webサービス系に限ると小物で欲しいものって無さそうなので、
もう少し違うジャンルで作るのがいいと思う。
最近なら自分専用のLINE botとかいいんじゃないですかね。
2番目のプログラミングコンテストは向き不向きが激しいとは思う。
サービスを作るのに比べると短時間で深く集中する感じになるので、これはこれでオススメ。
最初はAtCoder過去問、AOJ、ProjectEulerあたりを試してみて合いそうか考えるのがいいと思う。
Web系だと仕事に直結はしないかもしれないけど、頭の使い方みたいなところは磨かれるはず。
人材紹介会社が作ってる同種のサービスだと、問題のレベル感としてトレーニングには向かない印象。
簡単すぎる問題を解くくらいなら小物作りでも実戦経験を積むべき。
最後は縛りゲー。つまり、あえて整備されていない道を開拓していく。
いかに金をかけずにWebサービスを公開・維持できるか、というテーマなら
各種サービスの無料枠とかAWS Lambdaとかを駆使して頑張るような話。
もしくは、先人が少なめのソフトウェアについて深掘りするとか。
たとえばAtomやVSCodeの自分専用プラグインなら最初のオススメ内容にも合う。
難しいことは何も考えない
頭空っぽでいい
二足歩行が楽だし ふわり軽く
風船みたいに生きたいんだ
女の子は可愛くなきゃね
今一番大切なことはそう
キャピキャピと音が聞こえることでしょ
テストの点以上 目の大きさが気になる
どんなに勉強できても
愛されなきゃ意味がない
グリーのように
実際、バカは必死こいて勉強して一般入試受けるより、コミュ力磨いてAO入試受けたほうがいい大学入れる可能性高いじゃん。
入学後もコミュ力ある奴は過去問回してもらってコミュ障のガリ勉よりいい成績取れるし、就活なんか外見とコミュ力がある奴が圧倒的に有利だろ。
「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」って男女問わず普通に生きてたら当たり前。
gleeの世界ではクイーン・ビーだったことを過去の栄光にして田舎に生きるしかないのかもしれないが、
現代日本ではクイーン・ビーはクイーン・ビーのまま女子アナになって、野球選手やIT起業家と結婚したり、自民党から出馬して政治家になれるんだぞ。
今年東京大学理科2類に英語4・5番ドイツ語差し替え受験で合格したものです。
僕はドイツ語差し替えは問題も英語に比べ簡単だし、お得だと思っているのですが、情報が少ないために敬遠されている状況があります。
そこでそういった皆様のお役に立つべく、ドイツ語差し替え受験に関して僕が記憶する限りの情報を記しておきます。
仮面浪人生の方です。仮面浪人生は自分の大学の語学の先生などに質問でき、生協には語学関連の参考書が揃っているので、最も向いていると言えます。
その上で東大英語で圧倒的に時間が足りず、4・5番で20~25点程度しか取れない人にオススメです。この場合は差し替えをすれば、だいたい10~20点程度の得点上昇が見込めると思います。(単純にⅳ・ⅴ番が簡単なのでそこで稼げるだけでなく、問題量も少ないので余った時間を英語1~3番に回すことができます。)
・僕がやった参考書
(Ⅰ)辞書
何でもいいとは思いますが、とりあえず僕が使っていた「新キャンパス独和辞典」をオススメしておきます。これで不都合は全くありませんでした。
(Ⅱ)単語帳
「新独検合格単語+熟語1800(以下、新独検)」と「ドイツ重要単語2200(以下、2200)」を使いました。新独検には主に独検5~3級程度の単語しか載っていませんが、ドイツ語ⅳ・ⅴ番を解くに、これではやや不十分です。そこで僕の場合は2200をさらにやりました。これは2級レベルの単語も網羅しているし、解説なども面白くて詳しいので、ここまでやっておけばとりあえずは大丈夫でしょう。これでも本番ではわからない単語は出てくると思いますが、推測でなんとかなる範囲だと思います。
僕はやっていませんが、「ドイツ重要単語4000」という単語帳もあります。2200の代わりにこれをやるのもいいかもしれません。オーバーワーク気味かもしれませんが・・・。(余裕との相談ですね)
(Ⅲ)文法
「ドイツ語練習問題3000題(以下、3000)」という問題集が良いです。全34の文法事項に対して基本から応用まで学べる仕組みとなっています。ぼくは「必携ドイツ文法総まとめ(英語でいう、フォレストのようなものです。)」や辞書を駆使してなんとかやり終えましたが、少しドイツ語初修者には厳しいかもしれません。3000題の前に「マイスタードイツ語コース文法」などを挟む人もいるようです。ちなみに3000は苦手なところを中心に何周かしました。余談ですが3000題と言いつつ、3000問もありません。
(ⅳ)長文
ドイツ語のⅳ番は長文(といってもそんな分量はない)の全訳ですので、長文に慣れておくことは大事です。
3000には長文問題もありますが、3000を終えてからいきなり過去問というのは厳しいと思うので、軽い長文問題集を挟むと良いと思います。
僕は「独検4級3級長文の完全攻略」や「独検過去問題集(5・4・3級)」で長文の演習をしました。ここら辺は軽いし簡単なのでさくっと終わります。やらなくても良かったかも。
過去問の演習は「Deutsch voran! ドイツ語、もっと先へ!(以下、もっと先へ)」で行いました。ⅳ・v番の問題が2013年から遡って28年分載っています。ちなみに自分は昔の問題は難しいし、傾向も違うので15年分しかやってません。
解説なし、誤植多数ありなので注意してください。一応誤植は以下にまとまっています。http://www.daisan-shobo.co.jp/news/n11781.html
また、2014年の入試から差し替えの問題が全独の問題と共通になった関係上、2014年度以降の問題は若干、もっと先へに載っている2013年までの問題より難しくなっているらしいです。
・独検
春と秋にありますが、秋に2級までとっておくと安心です。差し替えの難易度も2級と3級の間と言われています。個人的には独検は記号で東大は記述なので、単純にそう言えない気もしますが。
・その他
(Ⅰ)過去1年分の問題は東大公報センターにて閲覧できます。もっと先へには2013年までの分しかないので、前年度の問題はここでチェックしておきましょう。
(Ⅱ)「東大 ドイツ語 差し替え」などで検索すると似たような内容のドイツ語差し替えに関する記事などもいくつか出てくるので、そちらの方も参考にしてみてください。
(Ⅲ)出願時には外国語は英語で出せばokです。入試本番で英語4・5番ではなく、ドイツ語ⅳ・ⅴ番を解くという選択ができます。
以上です。何かあればコメント欄などでどうぞ。
家庭教師先の生徒さんへ
できない言い訳をして欲しくないのと,勉強をどうやってやればいいのか感じて欲しい.
http://b.log456.com/entry/20120110/p1
しのごの録
「僕は自分が思っているほどは頭がよくなかった」
これ以降の章は必要に応じて読んで下さい.
質を重視派(王道)
http://kosotatu.jp/study/【特別講義】数学が得意になる勉強法!/
量を重視派(全体像が速く掴める)
http://wankora.blog31.fc2.com/blog-entry-1295.html
もう少し具体的な日々の勉強法について.
基本的には授業にしっかりついていくこと.質を重視派で言っているやり方で理解していけば良いと思う.
予習はしてもいいし,しなくてもいいと思う.授業についていくこと(=復習)が大切.
これプラス,習った範囲で少し上のレベルの参考書を取り組めたら塾や通信教育と同じような効果が得られるだろう.
好きな参考書を買えば良いと思うが,
がおすすめ.
東大京大東工大以外はこの本を完璧にできたら(難易度的には)数学は満点とれるはず.
問題を解く時には
数学を極めにいくなら
基礎ができたら(1対1対応の演習がほぼ仕上がっている状態)これの学力コンテストを毎月提出してほしい.
難しめの良問が並んでいてかなり力がつくと思う.
上であげた月刊誌を毎月買うのはお金がかかるので,1対1対応の演習がほぼ仕上がったら大学への数学の代わりにこの本に取り組んでも良い.
その後は過去問へ.
ちゃんと習うだけでなく,かなり慣れが必要.たくさん文章を読むべし.
文法を知っていると,読みが速く正確になるからちゃんと取り組むべき.
高校で知るべきは,残りの文法事項(仮定法,過去完了とか?),
プラス,
(b)基本動詞の理解(自動詞か他動詞か.第何文型を取るか,前置詞をからめた”群動詞”っていう使い方)
日常の勉強で発音もチェックしながら勉強するべき.(リスニングは大学によって難易度異なる)
もし余裕があれば,微積を使った物理を勉強すると分かりやすい.
以下の二つは大学選びについて考え始めたら読んで欲しい.
大学の学部は自分の好きor得意なことで選ぶと後悔が少ない.得意で選んだ方がさらに失敗は少ないと思う.就職は就職する気があるなら何とかなる.
それでも,もし決めきれないなら,数学やプログラムに触れることのできるコースに行くと賢くなれるし以外と就職がある.数学ができる人材は重宝されるから.
・受験勉強を上手く使えば頭が良くなれる.
取り組み方を間違えなければ,数学,物理から抽象的な思考力・英語の基礎・現代文から読解力が身に付くと思う.後の科目は教養になる.
・もう一つ大事な点は,自分のポテンシャルを証明できるということ.それにより将来次の組織に入る時優遇されやすいから,将来自分のやりたいことが比較的やりやすい.もちろん他に自分の力を証明することができれば問題ないけどね.
・大学に設備が整っている.実験設備や広い図書館.予算をたくさんもらっているだけはある.
と,ここまではいい点を書いたけど,僕の通っていた学科では,良い授業は数えた方が速いくらいには少なかった.
http://anond.hatelabo.jp/20151115183959
話半分に読んだら内部事情がよく分かると思う.
講義はあれだけど.
学歴に関しては,(書いてて思ったけど)僕のアドバイスよりも尊敬する大学の先生にメールで聞いてみたらどうかな.
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将来,チャンスがあれば研究者になりたいと思っています.公的な機関か企業かも決まっていません.教員になるかもしれません.よく決まってはいません.
自分はエスカレーターでこの大学に行けます.大学のランクは関係ありますか.どの大学へ行くのが良いか正直分かりません.
お忙しいとは思いますが,何かアドバイスがあればよろしくお願いします.
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聞くだけ聞いておいても悪くないと思うけど.
意外と(?)優しい先生が多いから,いろいろ教えてくれるかもしれない.
忙しいから返事は来ないかもしれない.
そこそこ頭良いと思うから,たまにはがんばってね
久しぶりに同級生にあったから自分たちの通っている大学の話をしたんだけどニッコマは最低ラインという話が本当なんだなと実感した。驚いた。
教授は「一応何とか教える能力が0ではないけど生徒の大半が見限って過去問・過去レポ収集に走る/そして研究者としては教育の忙しさを言い訳に最低ラインスレスレの結果しか出さずに満足してるらしい」という有様。
生徒も「高校で習った事を知らないわけではないけど身についてはおらず大学最初の1年間は高校の復習に、2年は専門の基礎を覚えるので手一杯、3年になると過去レポの集め方を覚えて手を抜き放題、卒論も先輩のツギハギで提出」というこれまた典型的なダメ大学生。
研究機関としての体と教育機関としての体をギリギリ保ってはいるけど機能しているかといえば潰しても問題ないような状態。
多少誇張されている部分はあるんだろうけどニッコマランクの大学に行った連中がお互いに頷き合っているのを見ると事実との差異はほとんど無いと考えられる。
恐ろしい。
ニッコマでコレなんだからそこより下はもはや大学と言う名の高専もどきであることは想像に難くない。
ニッコマやそれより下のFランは潰して偽物の大学生どもは高卒として働かせたほうがいいんじゃないか?、と聞かれたら前はNOを突き付けていた。
酷い。
ビックリした。
国立行って良かった。
努力は報われるね。
1日10時間の勉強を半年続けた医学生の増田(http://anond.hatelabo.jp/20160102221820)がホッテントリ入りしてたので一言。
「患者さんで覚える」と言うとなんだか聞こえがいいけど、実際はひたすら過去問を解いているだけの話。
医師国家試験対策用にQuestion Bank、通称QBという過去問集をひたすらやる。外科、内科(神経内科、循環器内科、消化器、呼吸器など細分化されている)、小児科、産婦人科、その他マイナー科など分冊になっていて、積み重ねると4ー50cmのボリューム。
国家試験の問題は、例えば「症例50歳男、主訴腹痛。初診3日前からうんぬん」みたいに症例が提示されたうえで、治療方針や必要な検査などをマルチプルチョイス形式で回答する方式。
増田がいっているのはこの過去問の症例の患者を覚えると言っているだけのこと。
②1週目やりながら、2週目をやる
③3週目、4週目で完全に終わらせる
てのが最初分からなかったが、1周目、2周目の誤変換とすると意味が通じる。国試受験生はQBをひたすらやりつづけるのだけど、受験生同士で「俺3周目だわー」とか会話が交わされることが多い。
1周目は初見の問題ばかりで辛い、2周、3周目となってくると楽になってくるけど、この頃には問題文の冒頭を読んだだけで最後まで読まなくても解答が分かるので逆に意味がない。
さいごに、俺の出身大学では「卒業試験」はなかった。卒業試験があるのは三流以下の私立医大。
毎年、大学別の国家試験の合格者率が発表されてそれが各校の威信に関わるから、三流私立医大ではそもそも国家試験に合格の見込みのない学生は卒業させないと言う方針がとられている。そこでスタックしちゃって人生食いつぶしている医学生も多いのではないかと思う。
・はてなの特定カテゴリから、いくらブクマが伸びても総合に現れない。
・はじめからNG
・途中からNG
・はじめからNG
おそらくこれは禁句が設定されているものと思われる。
それら禁句は、経験則上以下の通り。
権利関係が絡むもの。(商品、企業、サービスの固有名詞、おそらくは紛争回避と思われる。)
ここは自動処理が予想される。
・途中からNG
単語のNGはないけど、内容がアレな時と思われる。
いずれにせよ人的対応が予想される。
はてなのカテゴリ自体がタグや内容などをもとに自動的に割り振られていると考えられるので、各カテゴリにしか響かないキーワードもあれば、例えば総合など閲覧数が伸びる面において設定されているNGワードがあるように思える。
経験則上、ジェンダーに関わる内容によく見られる挙動に思えた。
あとこれは気のせいかもしれないが、それなりにブクマが集まってから突然ホッテントリするようなこともあった気がする。
もしそれが事実だとしたら、NGワードで一旦蹴られたにも関わらず、それなりにバズっている増田に関しては検閲候補になっているのかもしれない。
NGワード増田の中でブクマを集めている増田がソートされる→検閲→内容に問題がないと判断した場合、各カテゴリに振り分ける
増田はあくまでダイアリーなので投稿禁止機能はつくれないのではないか。
ただし、それが無条件にバズってはてな管理下の記事として広まってしまうには危険度が高いので、こうした処理をしているものと思われる。
おそらくこの辺りの責任問題をクリアにできない(しないほうがいい)点が、増田がいつまでもベータサービスな理由ではないかと勝手に考えている。
尚、ユーザー個人に対する監視についても可能性は否定できないが、慎重に言葉を選んだ増田は問題なくホッテントリすることが多いので、おそらくない。
もしかしたらNGワードに対するフィルタリングの強度くらいは設定されているかもしれない。
(過去問題のある増田を投稿したりした場合、NGワードが一つでもあれば無条件で検閲入りするなど。)
検閲の存在を意識してから、この辺りを気にして書いてみることで最近は問題なくホッテントリしてますし、先日は700ブクマくらいまで伸びたこともありました。
ご参考まで。