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https://anond.hatelabo.jp/20230505014042
5月8日に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行されるのを記念し特別寄稿いたします。
私コトノハオールスターズは新型コロナについては当初から楽観視していましたが、周囲の異常なまでの警戒や差別に怖さを覚えました。
まずコトノハでも2020年以降私が旅に出るとなっくんやクリスたん、ジェットシルバーなどから「ウイルスをばらまくな」などと誹謗中傷を受けましたし、
実際以前勤めていた職場においても2022年2月に都内で開催された私の敬愛するASKA氏のコンサートを有給を取り観に行ったら翌日出社するとわざわざスケジュールを確認したのか
「昨日、東京にコンサート観に行っていたでしょ」と言われ、部長には「パートさんに近づくな」リーダーには「コロナだコロナだ、近づかない方が良いよ」、事務所のお局はパートさんに「〇〇君は昨日、東京にライブを観に行ったから近づかないほうがいいよ」と差別をされ、会社の総務に相談しました。
その後部長は自分の子供経由でコロナに感染し、一週間休みましたが周りは「子供からだったら仕方ないね」などと言っていて理不尽に感じました。
その後、差別を止めるよう注意を呼びかける回覧がまわされましたがその後も職場の低レベルさに嫌気が差し、急に仕事量が増えても対応できず暇な人は忙しい部署に協力もせずに、一部の人だけに負担がかかるようになり(私もそのうちの一人です)、残業が激増する前に退職しました。
またコトノハオールスターズの遠征を批判していたなっくんは自身も2021年8月の緊急事態宣言中、ワクチン接種前に東京など全国各地を遠征し特に東京での遠征を投稿したフェイスブックは投稿制限をかけて友達以外は見られなくし「羽田空港からすぐに鉄道で神奈川方面に抜けた」「ワクチン接種が間に合わなかった」「キャンセル料がもったいないかなった」「オリンピック時期は外した」(どのみちその時期は選手や関係者などで宿は取りづらなかっただろう)などと言い訳していました。
私も旅行やワクチン接種自体は個人の自由だと思っていますが、目には目を歯には歯をでなっくんを許すことが出来ず叩いています。
まだ尾身とかいう老害がなにかほざいていますが、もう皆さん充分に我慢しましたし頑張ったと思うので今後は色んなことにとらわれず縛られず自由にいきましょう。
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5月8日に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行されるのを記念し特別寄稿いたします。
私コトノハオールスターズは新型コロナについては当初から楽観視していましたが、周囲の異常なまでの警戒や差別に怖さを覚えました。
まずコトノハでも2020年以降私が旅に出るとなっくんやクリスたん、ジェットシルバーなどから「ウイルスをばらまくな」などと誹謗中傷を受けましたし、
実際以前勤めていた職場においても2022年2月に都内で開催された私の敬愛するASKA氏のコンサートを有給を取り観に行ったら翌日出社するとわざわざスケジュールを確認したのか
「昨日、東京にコンサート観に行っていたでしょ」と言われ、部長には「パートさんに近づくな」リーダーには「コロナだコロナだ、近づかない方が良いよ」、事務所のお局はパートさんに「〇〇君は昨日、東京にライブを観に行ったから近づかないほうがいいよ」と差別をされ、会社の総務に相談しました。
その後部長は自分の子供経由でコロナに感染し、一週間休みましたが周りは「子供からだったら仕方ないね」などと言っていて理不尽に感じました。
その後、差別を止めるよう注意を呼びかける回覧がまわされましたがその後も職場の低レベルさに嫌気が差し、急に仕事量が増えても対応できず暇な人は忙しい部署に協力もせずに、一部の人だけに負担がかかるようになり(私もそのうちの一人です)、残業が激増する前に退職しました。
またコトノハオールスターズの遠征を批判していたなっくんは自身も2021年8月の緊急事態宣言中、ワクチン接種前に東京など全国各地を遠征し特に東京での遠征を投稿したフェイスブックは投稿制限をかけて友達以外は見られなくし「羽田空港からすぐに鉄道で神奈川方面に抜けた」「ワクチン接種が間に合わなかった」「キャンセル料がもったいないかなった」「オリンピック時期は外した」(どのみちその時期は選手や関係者などで宿は取りづらなかっただろう)などと言い訳していました。
私も旅行やワクチン接種自体は個人の自由だと思っていますが、目には目を歯には歯をでなっくんを許すことが出来ず叩いています。
まだ尾身とかいう老害がなにかほざいていますが、もう皆さん充分に我慢しましたし頑張ったと思うので今後は色んなことにとらわれず縛られず自由にいきましょう。
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5月8日に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行されるのを記念し特別寄稿いたします。
私コトノハオールスターズは新型コロナについては当初から楽観視していましたが、周囲の異常なまでの警戒や差別に怖さを覚えました。
まずコトノハでも2020年以降私が旅に出るとなっくんやクリスたん、ジェットシルバーなどから「ウイルスをばらまくな」などと誹謗中傷を受けましたし、
実際以前勤めていた職場においても2022年2月に都内で開催された私の敬愛するASKA氏のコンサートを有給を取り観に行ったら翌日出社するとわざわざスケジュールを確認したのか
「昨日、東京にコンサート観に行っていたでしょ」と言われ、部長には「パートさんに近づくな」リーダーには「コロナだコロナだ、近づかない方が良いよ」、事務所のお局はパートさんに「〇〇君は昨日、東京にライブを観に行ったから近づかないほうがいいよ」と差別をされ、会社の総務に相談しました。
その後部長は自分の子供経由でコロナに感染し、一週間休みましたが周りは「子供からだったら仕方ないね」などと言っていて理不尽に感じました。
その後、差別を止めるよう注意を呼びかける回覧がまわされましたがその後も職場の低レベルさに嫌気が差し、急に仕事量が増えても対応できず暇な人は忙しい部署に協力もせずに、一部の人だけに負担がかかるようになり(私もそのうちの一人です)、残業が激増する前に退職しました。
またコトノハオールスターズの遠征を批判していたなっくんは自身も2021年8月の緊急事態宣言中、ワクチン接種前に東京など全国各地を遠征し特に東京での遠征を投稿したフェイスブックは投稿制限をかけて友達以外は見られなくし「羽田空港からすぐに鉄道で神奈川方面に抜けた」「ワクチン接種が間に合わなかった」「キャンセル料がもったいないかなった」「オリンピック時期は外した」(どのみちその時期は選手や関係者などで宿は取りづらなかっただろう)などと言い訳していました。
私も旅行やワクチン接種自体は個人の自由だと思っていますが、目には目を歯には歯をでなっくんを許すことが出来ず叩いています。
まだ尾身とかいう老害がなにかほざいていますが、もう皆さん充分に我慢しましたし頑張ったと思うので今後は色んなことにとらわれず縛られず自由にいきましょう。
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5月8日に新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行されるのを記念し特別寄稿いたします。
私コトノハオールスターズは新型コロナについては当初から楽観視していましたが、周囲の異常なまでの警戒や差別に怖さを覚えました。
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その後部長は自分の子供経由でコロナに感染し、一週間休みましたが周りは「子供からだったら仕方ないね」などと言っていて理不尽に感じました。
その後、差別を止めるよう注意を呼びかける回覧がまわされましたがその後も職場の低レベルさに嫌気が差し、急に仕事量が増えても対応できず暇な人は忙しい部署に協力もせずに、一部の人だけに負担がかかるようになり(私もそのうちの一人です)、残業が激増する前に退職しました。
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「昨日、東京にコンサート観に行っていたでしょ」と言われ、部長には「パートさんに近づくな」リーダーには「コロナだコロナだ、近づかない方が良いよ」、事務所のお局はパートさんに「〇〇君は昨日、東京にライブを観に行ったから近づかないほうがいいよ」と差別をされ、会社の総務に相談しました。
その後部長は自分の子供経由でコロナに感染し、一週間休みましたが周りは「子供からだったら仕方ないね」などと言っていて理不尽に感じました。
その後、差別を止めるよう注意を呼びかける回覧がまわされましたがその後も職場の低レベルさに嫌気が差し、急に仕事量が増えても対応できず暇な人は忙しい部署に協力もせずに、一部の人だけに負担がかかるようになり(私もそのうちの一人です)、残業が激増する前に退職しました。
またコトノハオールスターズの遠征を批判していたなっくんは自身も2021年8月の緊急事態宣言中、ワクチン接種前に東京など全国各地を遠征し特に東京での遠征を投稿したフェイスブックは投稿制限をかけて友達以外は見られなくし「羽田空港からすぐに鉄道で神奈川方面に抜けた」「ワクチン接種が間に合わなかった」「キャンセル料がもったいなかった」「オリンピック時期は外した」(どのみちその時期は選手や関係者などで宿は取りづらかっただろう)などと言い訳していました。
私も旅行やワクチン接種自体は個人の自由だと思っていますが、目には目を歯には歯をでなっくんを許すことが出来ず叩いています。
まだ尾身とかいう老害がなにかほざいていますが、もう皆さん充分に我慢しましたし頑張ったと思うので今後は色んなことにとらわれず縛られず自由にいきましょう。
キリストの話みたいに単純な文章の解釈が揺れてしまう問題もあるけど、専門技能が高度化しすぎて情報伝達に時間がかかりすぎるみたいな問題もあって、
例えば数学とかの超先端分野とかになってくるとABC予想の某先生とかが個体として持っている膨大な情報を生きている間にコピーできる人間が少なすぎる
これまでの人類は手間暇をかけて少しずついろんな情報を圧縮してどうにかほかの人にも共有できるようにしてたけど、昨今は情報が爆発しててもうどうにもならないレベルに到達しつつあるから、100年単位で時間がかかったとしても肉体とか脳のアップデートしない限り近いうちにいろんなことが頭打ちになって文明レベルがそれ以上上がれなくなる気はする
私は大学を辞めるか辞めないかを、決断を引きずり続けて逃げ続け、ゲームをし続ける日々を送っていた1年前、私は友人の自殺の報せを聞いた。
私は昔から外向的な人間という訳ではなく、交流も盛んではなかったが生まれた時から過ごしてきた仲の良い親友2人が居た。
ほぼ家族のような、兄弟のようなそんな奴らで家族付き合いも頻繁にしていた。
私たちが共に大きくなり、歳を重ねる度に会う回数は減ってしまったが私たちの関係が揺らいでるわけではなかったように思えていた。
当時、実際私もほぼ引きこもりニート大学生で学校に行きたくなく、家から出られなくって掃除洗濯なんかも出来なくなるぐらい精神的にどん底に居続けてはいたものの、帰省した時に彼も同じような状況で、あってくれないかと彼の親から頼まれた時は二つ返事で彼の家に行き、遊んで帰ったりしていた。
それで問題ないのかと思っていたのだ。
兆候というものはどこにだってある、私が洗濯を出来なくなって洗っていない服を着ないと外に出れなくなったように。
言い訳ではあるが私は自分のことしか見えていなかった、だから何にも気づくことが出来なかった、私が寝食を何度も共にした彼の異変に。
そして私は気づくことが出来ないからゲームをしていた、報せを受けた時も、受けたあとも。
そして今もゲームをしている。
おかしくなっていた、ゲームをしないと精神を保てなくなっていた、何度私自身も自殺しようとしたことか、それでも彼の両親やもう1人の親友や自分の親兄弟の顔が見えて立ち止まる。
勇気を持ち合わせていなければ、度胸もないでも辛くて、辛くてゲームをして頭の中を埋めた。
なにかほかのことを考えていないと悲しさを実感してしまう気がしていた。
私には悲しむ権利などない、今もずっとそう考えている。
私は彼が悩んでいる間ゲームをしていた、彼が命の選択をしていた時もゲームをしていた。
私は本当に憎い、自分が憎い、ゲームを呑気にやっていた私が、それでもゲームをしていないと自分は自殺をするだろう。
だから彼を見殺しにしてしまったゲームをやって私を殺さないでいる。
いつ私はゲームを辞められるのだろうか、私が死んだ後だろうか。
タイトルで10割なので読まなくてもいいけれど感情のやり場がないのでここに置いていく。
生きた時代(まだ生きてるけど)の価値観によるものも大きいのかもしれないけれど、だからと言って周囲の人間に迷惑をかけていいわけでもない。
幼少の頃、私から見た祖父は几帳面で割と優しい印象だったと思う。
ご飯前に手を拭かなかったり、脱いだ靴を揃えなかったり、開けた戸を閉めなかったりすると怒られた。買い物について行くとよく本や塗り絵を買ってくれた。このお陰で読書の習慣がついたのでそれには感謝している。
成績は悪く無かったし褒められる自信はあったけど、それでも「もう少しだな」と言われた。祖父は結構努力して公務員になったらしいので、そう言われても仕方ないのかなと思っていた。
まだ年若く、同居もしていなかったので家族や親戚周りの内情をよく知らなかった。おそらくは両親や祖母が負の側面を見せないよう配慮してくれていたのだと思う。
私が30に差し掛かった数年前、祖母が亡くなった。祖母は施設に入らずに祖父が面倒を見ていた。足も悪く認知症も患っていたが祖父が施設に入れることを渋り、自分が面倒を見ると言ったらしい。その頃祖父は少し耳が遠くなっていたが、祖母のために筋トレグッズを自作したりしていたのを見て、仲が良いんだなと思っていた。母が祖父母宅へと通ったりヘルパーさんの助けを得たりしていたようだが祖母は目に見えて弱り、いつの間にかほぼ寝たきりになり、そして亡くなった。
私達家族が葬儀の手配などに奔走するなか、祖父は何もしなかった。霊安室での対面の際も特に言葉をかけることもなく、最低限のことだけ終えてその場を後にした。祖父は補聴器をつける気すらないので決まった事項を説明してから難癖をつけ始める。葬儀はどこだ、いくらかかるのか、この人を呼ばなくてはならない…。この人は年長者として監督してるつもりなのだと思った。働いているつもりの無能という言葉がぴったり当てはまる。
聞けば過去に親戚の葬儀の準備に頼まれてもいないのに口を出し、やんわりと拒否された後激昂して葬儀を欠席したらしい。当時私も参列していた筈だが子供だったので記憶になかった。
気に入らないことがあれば激昂して怒鳴り散らし、物を投げようとする。祖母や母に対して行っていたらしい。身の回りのことも祖母が全てやっていたため、祖父に生活能力は全く無かった。
昔の価値観で言えばよくいる親父なのかもしれない。だが、私はあんなに献身的な祖母に愛は無かったのかと愕然とした。泣かなかったし、何も言わないし。
結局体面なのだ。外面は良く、お人好しだと周りから言われていた。自分より格下の相手(年下や女性)に怒鳴り散らせば意見が通ると思っている。自分は公務員だったから、年長者だからといったゴミみたいなプライドが根底にあるのだ。祖父本人の激情家な性格と年功序列、男尊女卑の時代が合わさってこんなモンスターが生まれてしまったのだと思っている。
墓参りなども、祖父の視界に入らない所でやった事は「していない事」として扱われる。手を合わせるのも、水をかけるのも、やっていないとみなされ激昂する。手を合わせにきてくれた親戚や周囲の方に申し訳ないと思う。
隣人トラブルもままあり、その度に両親が謝罪に回っている。あわや障害沙汰になりかけた時もあったらしい。それもこれも、自分が組長をしていたというプライドからくる上から目線が元凶だろう。
祖父にとって祖母も母もただの召使いでしかない。葬儀の際に1番奔走した母に感謝の一言も無かった。恐らく自分はちゃんとした生活を送れているという自負があるため絶対に施設には入らないだろう。しかし家族にも手に負えず、両親の愚痴は絶えない。加齢による認知機能の低下も一因ではあるのだろうが、本人が生きてきた価値観や気性に依るところが大きいと感じる。
そんな祖父に怒りを覚えるが、この人は歳を取って疎まれて逝ってしまうのだと思うと何とも言えない気分になる。少なくとも私にとっては私の人格形成に関わった人であり、祖父が本を買い与えてくれなければ今の私はないと思っている。正直両親の愚痴を聞くのも心苦しい。
祖父のモンスター化を止められなかった我々の責任なので甘んじてこの状況を受け入れるしかないのだろうけど、割り切れない感情に苛まれている。
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急せきこんで云いいました。
ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙だいだいいろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸さいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫さけびました。
「ぼくわからない。けれども、誰たれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
俄にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石こんごうせきや草の露つゆやあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床かわどこの上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射さした一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう凍こおった北極の雲で鋳いたといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶すいしょうの珠数じゅずをかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈いのっているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬ほほは、まるで熟した苹果りんごのあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火きつねびのように思われました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼あまさんが、まん円な緑の瞳ひとみを、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔つつしんで聞いているというように見えました。旅人たちはしずかに席に戻もどり、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語ことばで、そっと談はなし合ったのです。
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」
早くも、シグナルの緑の燈あかりと、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄いおうのほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
さわやかな秋の時計の盤面ダイアルには、青く灼やかれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。
「降りよう。」
二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口かいさつぐちへかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫むらさきがかった電燈が、一つ点ついているばかり、誰たれも居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽あかぼうらしい人の、影かげもなかったのです。
二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏いちょうの木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅はばの広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。
さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩かたをならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室へやの中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻やのように幾本いくほんも幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原かわらに来ました。
カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌てのひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢ゆめのように云っているのでした。
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
河原の礫こいしは、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、また稜かどから霧きりのような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚なぎさに行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖がけの下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か掘ほり出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈かがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処ところの入口に、
〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物せともののつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干らんかんも植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。
「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖とがったくるみの実のようなものをひろいました。
「くるみの実だよ。そら、沢山たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」
「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」
「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」
二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻いなずまのように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻かいがらでこさえたようなすすきの穂ほがゆれたのです。
だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴ながぐつをはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴つるはしをふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中むちゅうでいろいろ指図をしていました。
「そこのその突起とっきを壊こわさないように。スコープを使いたまえ、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」
見ると、その白い柔やわらかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣けものの骨が、横に倒たおれて潰つぶれたという風になって、半分以上掘り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄ひづめの二つある足跡あしあとのついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。
「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡めがねをきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿のみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔むかしはたくさん居たさ。」
「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要いるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつが埋もれてる筈はずじゃないか。」大学士はあわてて走って行きました。
「もう時間だよ。行こう。」カムパネルラが地図と腕時計うでどけいとをくらべながら云いました。
「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学士におじぎしました。
「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙いそがしそうに、あちこち歩きまわって監督かんとくをはじめました。二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝ひざもあつくなりませんでした。
こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思いました。
そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座すわって、いま行って来た方を、窓から見ていました。