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2021-12-07

anond:20211207151250

すくなくともろんぱしようという意図があったと自白している以上伝えるつもりがないというのはダウトだろ

論破って論理でもって反駁することだからな。論理は人に伝えるための手段だろ。それを使っている以上言い逃れはできん。

2021-11-24

陰謀論者たちと話してわかったこ

昨年はトランプ不正選挙騒動、今年は反ワクチンやイベルクチンなど、陰謀論の勢いはとどまるところを知らない。

自分Twitter陰謀論者とレスバするという悪趣味人間だ。陰謀論者たちと話していてわかったことをまとめたい。

1. 「何が正しいか」に関して驚くほど無頓着

陰謀論者たちは隠された真実を白日の下に晒そうと日々奮闘しているように見える。しかし、彼らの主張は数分使ってデータを調べれば完全に事実無根であることが明らかなことが多い。どう見ても陰謀論者の主張と矛盾する、信頼性の高そうなデータを見せると彼らはどう反応するのか?

彼らは必ずと言っていいほど、違うトピック陰謀論を持ち出して「ではこれはどうなんだ?」と言ってくる。

例えば、「新型コロナウイルス存在しない」という主張に対して「ウイルスはとっくに分離されている」という情報提示すると、「ではワクチンが大量の死者を出しているのはどう説明するのか?」といった具合だ。

たいていの陰謀論者は「陰謀論ストック」を大量に蓄えており、1つ反駁されれば別のデマを持ち出し、弾が尽きるまで撃ち続けようとする(実際は早くにブロックされることも多いが)。

真実に目覚めていると言いつつ、反論できないと判断するとその主張は一瞬で忘れ、別のデマで戦おうとする。彼らは「何が正しいか」には驚くほど無頓着なのである

2. 優しくされるとバグる

陰謀論社会の敵だと思うが、社会から白い目で見られる陰謀論「者」のことは正直気の毒に感じてしまう。たいていの陰謀論は少数のインフルエンサー存在が発端であり、まんまと騙されインフルエンサー養分になっている陰謀論者たちは「被害者」でもある。

そんな彼らは、自らの主張を「デマ」と唾棄する人間に対し攻撃的になっていることが多い。社会ののけ者扱いされ、信仰ともいうべき自分意見を嘘扱いされれば、そうなるのも無理はないだろう。

そんな彼らに、時々優しくしてみることがある。暴言を吐かれても、「ゆっくり休んでくださいね」と返してみるのだ。

そうすると、彼らはペースが狂う。それまでマシンガンのように陰謀を撒き散らしていたのに、突然黙り込んだり、困惑しつつもそれまで不可能だった人間らしいコミュニケーションが取れたりする。得体の知れないブログサイトリンクを貼り「それならこれはどうなのだ」と延々とデマをぶつけ続ける「陰謀論エンジン」がバグるである

ここから自分勝手な推論である。人々が陰謀論にハマるきっかけとして、日常生活がうまくいかないという事情が大きいのではないか(無論、そうではないパターンもあるだろうが)。

家族・友人関係がギクシャクしている、仕事がうまくいかない、就職先が見つからないなど、現代社会で生きていれば不安なことはいろいろあるだろう。そんな心の隙間を埋め、なにか特定コミュニティへの参加を可能にするツールとして陰謀論は広まっているのではないか。かつて話題になった「父親定年退職し暇を持て余した結果ネトウヨになってた」みたいな話も似た構造だろう。

人生がうまくいかないときに感じる「自分は多くの人が知らないことを知っている」という優越感はさぞかし中毒的だろう。エビデンスに基づいて反論したところで、精神の安寧を求めて陰謀論を信奉している人には無力だと思うのだ。

3. 説得して意見を変えさせるのはほぼ不可能

こうした事情が、このありふれた結論を導く。

陰謀論者の主張のほとんどは事実に反している。しかも、難解な科学上の問題ではなく、説明されれば素人でも誤りが理解できるレベルである

しかし、大前提を見るべきだ。多くの人々は科学的に正しいとされる知識を信じる。しか陰謀論者は究極的には科学的な正しさを求めていない。

科学裏付けがあるかのように話しつつ、実際のところは「科学的に正しいと証明したい」ではなく「自分を認めてほしい」「自分は正しい側にいたい」という動機があったりする。

話をする上での前提が違うので、「あなたの言っていることは事実に反していますよ」という論法で責め立てても、どっぷり陰謀論に浸かった人々には全く効かないのである。むしろ攻撃性を増すだけだったりする。

どうすればよいか。正直解決策は思いつかない。もちろんエビデンスベースの正しさは重要である。新型コロナデマ健康問題に関わる。アメリカ大統領選のデマ民主主義という国の根幹に対する信頼性を貶めてしまう。最近流行ったデマは実害を伴うのである

しかし、正しい情報提示しつつも、精神的なケア重要性はもっと強調されるべきだ。乱暴な予想だが、仕事がうまくいき高収入で、家族や友人関係にも恵まれ、心身ともに充実した人生を送っている人が陰謀論者になることはかなり稀ではないか

陰謀論者に必要なのは現実世界での充実感だと思う。

2021-11-08

anond:20211107201935

元増田が0点に近いからそれへの反駁ということで、内容的にはあまりツッコんだ物じゃないのが惜しいな

技能実習生農業についてもう少し掘り下げてくれる人が出てきて欲しい

2021-11-04

俺はもう限界だ。アマゾンを使うのをやめなければならないと決意した。

メロスには楽天が分からぬ。

メロスは、インターネット古参気取りである

2chに通い、ニートと遊んで暮らしてきた。

けれでも通販に対しては人一倍情弱であった。

きょう未明メロスアマゾンポチり、野を超え山超え、クロネコヤマトが家にやってきた。

メロスには金も夢もない。

恋人もない。

十二人の妹が突然出来て欲しい。

この妹は、村の或る律儀な中の人が色々あってYoutuberとしてデビューした。

この話は横に逸れるので本題に戻る。

メロスは、オタクゆえ、パソコンのパーツやらエッチゲームやらを買いに、アマゾンポチポチしてきた。

送られてきた商品を見るうちに、その様子を怪しく思った。

もっさりしている。

もう既にポチったときテンションも落ちて、やや後ろ暗いのは当たり前だが、けれどもなんだか、気のせいばかりでなく、箱全体が、やけに見すぼらしい。

のんけなメロスだんだん不安になってきた。

端にあったセロハンをつかまえて、ひとまずあけるのか、開封前に写真でも取るか、逡巡した。

セロハンは、既に半分剥がれていた。

しばらく悩んだ末に開封動画を取り、こんどはそっと、セロハンを全て剥がした。

中に誰もいませんよだった。

メロスは両手で空き箱を揺さぶって動画映えを演出した。

動画は、インターネット拡散し、クソリプが返った。

アマゾンは、空箱を送ります

「なぜ送るのだ」

「重さを測ってチェックしている、というのですが、誰もそんな、重さをちゃんと測っておりませぬ」

「たくさんの人が被害にあっているのか」

はい、はじめに詐欺師が注文し、それから、中身を抜き取って、それから、重しを入れ、それから、返品し、それから、重さチェック、それから普通の客に送付されます

「おどろいた。アマゾンガバガバか」

「いえいえ、ガバガバではございませぬ。客を、信じさせる気がない、というのです。このごろは、社員尿意も、お疑いになり、おむつを履いて働いているものに、大学授業料負担すると申しております。ご命令を拒めば会議にかけられ、リストラされます

聞いて、メロス激怒した。「呆れたサイトだ。使ってはおれぬ」

メロスは単純な男であった。買い物を、カゴに入れたままでのそのそカスタマーサポート電話した。たちまち彼は、SWAT警吏捕縛された。調べられて、メロス動画からは住所が出てきたので、炎上が大きくなってしまった。メロスは、アマゾン電話を続けた。

「この空き箱で金を請求つもりであったか。言え!」暴君ディオメロスは静かに、けれども威厳を持って問い詰めた。カスタマーサポートは単調で、背中の銃は、氷で編まれたように冷たかった。

ネット暴君の手から救うのだ」とメロスカスタマーサポートに叫んだ。

「おまえがか?」SWATは憫笑した。「仕方なのないやつだ。俺には、お前の考えが分からん

「言うな!」とメロスはいきり立って反駁した。

次の瞬間メロスの脳天には銃弾が打ち込まれた。

メロスは死んだ。

スイーツ

ED2「SWATTINGは犯罪ですよ」

セリヌンティウスSWATは怖いから逆らっちゃ駄目だにゃ~~~」

2021-10-19

日本日本独自にやります」では不十分で、やはり国際社会を納得させる必要はある、という問題提起自体には賛同するんですけどね。

それは「対話をしながらきちんと丁寧に反駁する必要がある」という意味であって、「相手の言い分を認めて妥協する必要がある」という意味ではないのよね。

共産党後者方針を固めているようですので、一先ず今回の選挙では投票見送ります。次回はよろしくお願いします。


といっても、そもそも今回うちの選挙から(いつも入れてた)共産党の人出ないかも。野党共闘あるし。

2021-10-17

ペペロンチーノ思考過程

前回は塩を多く入れ過ぎて塩辛くなり過ぎたから気をつけないといけない。

古くくたびれた30年モノのステンレス製取っ手付き鍋に水を入れる。

パスタを茹でるための鍋としてはかなり小さいながらも買い替えるには少々勿体無い。

底にある模様は汚れだろうか、いや違うな、経年による変色だ。その証拠スプーンの先で擦ってもちっとも手応えがない。

ペペロンチーノの塩加減は水に対して塩1.5%が目安らしい。

まり水1リットルなら小さじ3杯の塩でいいわけだ。

今日も塩を少し入れ過ぎたか…。

でも、名前だけは聞いたことがある何だか有名っぽいシェフが「パスタの茹で汁は味噌汁より濃い目で丁度いいんですよ」なんてドヤ顔で言ってたのを思い出して毎度安心する。

自分は今腹が減ってる。さっさと鍋を火にかけて早く食べたい。

そう思いながらガスコンロを点火して強火にする。

いつか火災が起こるリスク潜在的に感じられる程度には古いガスコンロ

うちのガスコンロの強火と他所ガスコンロの強火は同程度なんだろうか、そういう規格として統一されているんだろうか、もし違ってうちの強火が他所の中火程度とかならうちだけ湯が沸騰するまで時間がかかってることになるけどそれは嫌だな。

などと余計な事を考えつつも、時間がない。

さっさとニンニクを刻まなければならない。

のんびりし過ぎてパスタを茹で過ぎた結果全く歯応えのないペペロンチーノが出来上がるのだけは避けたいからな。

古びたプラスチックまな板の上に房から雑に千切ったニンニクを2片置く。

切れ味が悪くなったか申し訳程度に研いだ包丁ニンニクの付け根をカットしつつ皮を剥く。

薄皮が少し付いてるけど水洗いしようかな、でもあとで油ハネすると嫌だから洗ったあとはしっかり水切りをしないとな…。

いつもニンニクの1片は潰してもう1片は刻むことにしている。

そういえばニンニクは傷つければ傷つけるほど強い味になるらしい。一体どこの誰が実験した結果なのか知らないけど、何だか死に際から生還すればするほど強くなるサイヤ人っぽいな。

無論、ニンニクの芽は取り除かないといけない。後で焦げて苦くなるから気を付けないと…。

***

湯が沸騰する。

1人前は100gだなんて聞くからおおよその自分感覚で100gのパスタを手に取り全体を捻るようにして鍋に入れる。

上手くいく時はパスタが放射状に綺麗に広がるけど失敗すると上手く広がらない。

世界中を探したらこれを使ったパスタ占いなるインチキ占い師が一人は居るんじゃないかな。いや居ないか

この時に火を弱火にしないと鍋の縁に当たったパスタが白く焦げるんだった。以前に焦がした時は少しその部分が硬くなってたな。でも食べてて気になるほどでは無い。別にかに食べさせるわけでもないけど変に完璧主義なのかな。焦げないように弱火にしてさっさと鍋の底にパスタを沈める。

***

潰しておいたニンニクは大きくて火が通るまで時間がかかるから先に熱する。

潰したニンニクがシュワシュワしてきたタイミングで残りの刻みニンニク唐辛子を投入して待つ。

これは「ニンニクを揚げる」ための時間じゃないんだ、あくまで「オリーブオイルニンニクの良い香りを移す」ための時間なんだ。

そう自分に言い聞かせながら待つ。

ここで絶対に焦がしてはならないんだよ。焦がしたニンニク香りが付いたオリーブオイルなんて自己嫌悪に陥るほど苦くて不味いからな…。

ニンニク香り嗅覚を通して食欲を刺激してきたらフライパンの火を止める。このくらいが苦くなるか否かを分けるデッドラインだろう。

もっとも、ここですぐに茹で汁を加えるような愚行に走ってはならない。高温で熱した直後の油に茹で汁を入れれば水蒸気爆発の様な現象が起こり細かい油が辺りに飛び散る。

油が飛び散っただけならまだいい。

フライパンの火を止め忘れた時など最悪だ。

その飛び散った微細な油がコンロの火に引火してフライパンに火柱が立ちキッチン天井が焼け焦げそうになる。

もうあんな怖い思いは二度としたくない。

それに「ペペロンチーノを作ってて火事になりました」なんて恥ずかしくて口が裂けても周りに言いたくないからな。

過去フライパンに火柱が立った記憶フラッシュバックと、もし火事を起こしてしまった場合未来世界線イメージがことのほか自分を注意深くさせ戒める。

そうだ、ニンニクがシュワシュワしてるうちはまだダメだ。シュワシュワが十分に収まってきたらでいいんだよ…。

***

スプーンで茹で汁を掬ってオリーブオイルに加える。

一気にオリーブオイルの量と同程度の茹で汁を加えるよりも少しずつ加えながら混ぜた方が乳化が上手くいくというのが経験則だ。

どうやらこの混ぜる作業機械でやる人もいるらしいな。

機械と手作業で味に違いなど出るのだろうか。

いや、出るだろうな。

でもその機械をわざわざ買いたくなるほど料理に熱心ではないんだよな。

でも機械派には味で負けたくないし。

そんな思いが必然的に混ぜる手に力を入れさせる。

理想としてはジャムの瓶みたいなのに入れてシェイクしたくらいには混ぜたいかな。

黄色い液体と透明の液体が混ざり合っていくうちに段々とその境界線がぼやけてくる。

不思議と白っぽく濁ったような色が出てくる。

黄色+透明=黄色なはずなのに黄色+透明=白濁した黄色になるから不思議だって思ったんだよ。

その不思議の解明はどこかの暇な科学者だか研究者かに任せて一旦棚上げするとしてさ。

黄色い白濁したとろみのあるスープ何だかキラキラしてて黄金スープに見えるな。

もしかしてこれが「黄金比率」ってヤツなのかな。

どこかのラーメン屋だかの宣伝文句で見ただけの陳腐ワードが頭に浮かぶ

ゆらゆら揺れる金色の波が眼前に広がると共にその波に浮かぶニンニクの刺激的な香りでひとり悦に入る

***

パスタを茹で汁から揚げないと。

火の通りすぎた柔らかすぎるパスタ何だかチープな感じがして好きじゃない。

小学校給食で食べたソフト麺を食べてるような感覚

別にソフト麺が悪いわけじゃないけどもう少し大人びた料理にしたいからさ。

これから麺上げしてスープに絡めて皿に盛り付けるまでの過程を逆算して丁度良いと思われるパスタの歯応えを確認してから茹で汁を切る。

取っ手付きのザルにパスタを入れて4~5回ほどサッサッと。

そういや以前友人と行った有名ラーメン店湯切りの動きに合わせて「シュッ!シュッ!」とか声を出してたな。あの声出しは麺の湯切り作業において全く意味を為さないよね。ただのパフォーマンスだよね。いや、やってる本人もわかってると思うんだよ。でも店のプロデュース演出の一環でさ、上から言われてて無理矢理やらされてるんだろうね、きっと。などと想像を膨らませながら友人と会話をしたのを思い出す。

スープパスタを全て入れたらフライパンを揺らしたり煽ったりしながら最後の乳化作業を進める。

別にフライパンを振れない人は箸でかき混ぜたっていいんですよ?」とか動画アドバイスしていたどこかの料理人に反駁するかの如く念入りにフライパンを振る。

自分素人かもしれないけどドが付くまでの素人ではないんだみたいな変なプライドなのかな。

フライパンの中にいい感じに収まったパスタとそれに絡みつくニンニク唐辛子を見ると漸く安堵の域に達する。

今日も無事に辿り着けた…。

***

皿に移そうか、いや、どうせ自分独りで食べるんだ、スキレット的な感覚フライパンに乗せたままそのまま食べよう。その方が冷めなくて良いし。

面倒くさがる自分にそうやって言い訳してるんだか本当にそう思ってるんだか分からないような気持ちパスタに箸を通す。

かにコンビニなんかに売っているペペロンチーノとは見た目が全然違う。

でもシンプルで見栄えがしないながらもきっとイタリア人家庭料理としてのイタリア本格パスタはこんな質素な感じなんだろうな、とか、

よく日本人家庭料理は頑張り過ぎだって外国の人は言ってるのを聞くし、とか、

行ったこともない異国の地について自分勝手に作り上げたイメージに思いを馳せて、自分を無理矢理に納得させながらパスタを啜る。

でも。

やっぱり少ししょっぱいかもな…。

2021-10-02

anond:20211002191001

ようは私の言っていることに対して反駁できないわけですね

2021-09-21

anond:20210921111307

違う。

山田が機会主義者表現の自由破壊であると見做されている。

論点は3つ。

 

1.元々「表現の自由戦士」という揶揄が広まったのは在特会ヘイトデモをしている頃で、ヘイトスピーチ規制派と反規制派がいがみ合っていた。

その時反規制派が「これは根源的な表現の自由だ」という主張をしていた。破廉恥表現こそ守られなければならないのが本当の表現の自由だという主張をしていた。

だがその具体的に「守る」とされていた行為殺人などの脅迫だったし、批判にも表現の自由侵害反駁しており、何より2次元エロヘイトスピーチ擁護以外彼らは興味もなく寧ろ冷笑的だった。

 

2.オタクはずっと野党側の表現の自由擁護議員パージするという事を繰り返していた。

アイデンティティポリティクスで篭絡されて利益の為の行動が出来なかった。

 

3.第二次安倍政権以前では保守標榜するが地盤が無い者は表現規制標榜するのがありがちだった。それは安易だったから。

1970年代から漫画悪書追放保守派の根強い運動で、特に宗教右派が熱心だった。この為、表現規制派を標榜するとここに訴求して安易に票田を得ることが出来た。

族議員が強かった時代自民党ニッチなの。そして第二次安倍政権以後はこの手の議員が強くなっている。

 

から山田新人議員として(3)の表現規制界隈に近いところで活動をする他なく、(1)2次エロ自由以外の表現の自由には抑圧的なオタへの訴求だけしか考えず、(2)アイデンティティポリティクスでの篭絡でオタの支持を維持して、結局表現規制に加担するのではないか?と疑問を持たれている。

統一教会への接近で炎上したのはこういう構造の為、「ほれ見た事か」となったわけだ。

 

彼の支持者は彼の行動を何でもかんでも擁護すると2.のアイデンティティポリティクス型支持に陥ってしまうという危惧が足りない。

2021-08-12

麺を音を立ててすする人の幼児性について

ラーメン屋などに行くと時折、ズルズルと不快な音を立てながら食事をする人がいる。

食事中に音を立てる行為は、明らかに行儀がよくなく、聞く人は嫌悪感を催すため、地域を問わずマナー違反である

そもそも普通大人であれば

「それ(麺をすする音)不快に思う人もいるから、やめなよ」

と指摘されれば、素直に改めるだろう。こんな当たり前のことにいちいち理屈を付けて反駁したがるのが、実に子供っぽい。

たとえば「ごみ分別して捨てて下さい」と言われれば、多くの人は素直に従う。それに対し、「どうせ収集業者仕分けするのだから分別する必要は無い」とか「リサイクルは廃棄よりもエネルギーを使うから分別無意味」などと言ってルールを守らないようなものである

麺を音を立ててすすることを肯定する人の中には

「麺をすするのは日本の文化だ」

などと主張する者もいる。勿論そんな文化存在しない。

落語家蕎麦などを食べる演技をするときに音を立てる表現をすることがあるが、それは単なる「演出」であり、そういう文化があるわけでは無い。言い方は悪いが、単なる創作上の表現を「文化」だと本気で勘違いしているとしたら、相当頭が悪い

そもそもマナー違反を指摘されて「これは日本の文化だ」なんて荒唐無稽言い訳をすること自体客観的に見て非常に子供っぽい。「宿題やらないのは日本の文化だ」とか「片付けしないのは日本の文化だ」とか言っているのと大差ない。

いい歳した大人自身客観的に見られずに、屁理屈自分の中では筋が通っていると思い込んでいる姿は、大変みっともない。

もし、これを読んでいる人がそういうことをしているなら、明日からでも改めてほしい。

2021-08-10

anond:20210810042323

うちの兄と一緒だわ

さらに一歩進んで「コロナ存在しない」「モンタニエ博士な言うことを聞け」「ワクチンジェノサイド」「ワクチン不育症になる」みたいなことをずっと言ってる

特に医学系の訓練を受けたわけでもないのにデータが読めると思い込んで、試験用の放射性物質を取り上げては「ワクチンを打つと被曝する」とか分析()してる

ツイッター情報収集をしてる自称情報強者から、5Gにはひっかからないらしい(笑

反駁すると出所不明データを引き合いに感情的にギャーギャー言われてるから黙ってワクチンうったわ

ワクチンを打った人間の近くにいると体調が悪くなるらしいから、これからどうなるか見もの

2021-07-23

雑誌映画秘宝』の記憶(56)

 元ラーメンズ小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺ジョークネタにした事が発覚し、この情報海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪閉会式総合演出担当を解任されましたね。

 小山田圭吾障害者虐待世間一般に広く認知された結果、小山田東京五輪閉会式音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味鬼畜カルチャー存在を許されていた、時代の空気存在して云々」と小山田擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾悪趣味鬼畜系とは無関係(だから自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。

 では、今回の小林賢太郎の件については、どうでしょうか?

 ラーメンズ悪趣味鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩パイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯批判反省を行うことを忌避する道を選びました。昔からサブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明性的強要搾取ダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。

 ラーメンズお笑いコントの中でナチスユダヤ人迫害虐殺ジョークネタしたことに関して、擁護として「米国サウスパーク英国モンティ・パイソンジョークネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間枢軸国側の人間では、それをジョークネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークネタにするのは、被害者親族が言うならまだしも、加害者親族が言ったらアウトになるのと同じです。

 一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツ同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だからナチスドイツポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います

 さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制映画秘宝』に1名いますナチス強制収容所ネタエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。

 もちろん、高橋ヨシキ存在布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズネタ公表よりも、高橋ヨシキ布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズネタ世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかフィクションネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在たからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺と云う出来事が"エンターテイメントコンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います

 「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。

 SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺ネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩SWCに対して「悪趣味鬼畜カルチャーをやっていたのは、電通ホイチョイフジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。

 それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去町山智浩自身他人に対して「オマエのことSWC通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。

 この投稿は以上です。

2021-07-18

anond:20210718190345

謝罪とかは不要だろう。

ただ表に出てこなければいい。

デカ仕事するとどうしたってヤンチャの過去をほじくり返されるし。

今までどおりちょうどいいところに収まって、自分ファンのみんなと一緒に「この面白さが分からいから奴らは低レベル」ってやっとけばいい。

アウェイに出たら即死する程度の紙装甲で長く生き過ぎた。もう直らんよ。だから引込めばそれでいい。

謝ったことで幻滅したファンだっているんじゃないか? 今必死になって反駁してる連中の中には特に、さ。

2021-07-12

メロス激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此このシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿はなむことして迎える事になっていた。結婚式も間近かなのであるメロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈はずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺ろうやに逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。「王様は、人を殺します。」「なぜ殺すのだ。」「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」「たくさんの人を殺したのか。」「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣よつぎを。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」「おどろいた。国王は乱心か。」「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」 聞いて、メロス激怒した。「呆あきれた王だ。生かして置けぬ。」 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城はいって行った。たちまち彼は、巡邏じゅんらの警吏捕縛された。調べられて、メロスの懐中から短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以もって問いつめた。その王の顔は蒼白そうはくで、眉間みけんの皺しわは、刻み込まれたように深かった。「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。「おまえがか?」王は、憫笑びんしょうした。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁はんばくした。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟つぶやき、ほっと溜息ためいきをついた。「わしだって平和を望んでいるのだが。」「なんの為の平和だ。自分地位を守る為か。」こんどはメロス嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」「だまれ、下賤げせんの者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔はりつけになってから、泣いて詫わびたって聞かぬぞ。」「ああ、王は悧巧りこうだ。自惚うぬぼれているがよい。私は、ちゃん死ぬ覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」「ばかな。」と暴君は、嗄しわがれた声で低く笑った。「とんでもない嘘うそを言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」「そうです。帰って来るのです。」メロス必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑ほくそえんだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙だまされた振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかい奴輩やつばらにうんと見せつけてやりたいものさ。「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」「なに、何をおっしゃる。」「はは。いのち大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」 メロスは口惜しく、地団駄じだんだ踏んだ。ものも言いたくなくなった。 竹馬の友セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニス面前で、佳よき友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯うなずき、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌あくる日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊こんぱいの姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」 妹は頬をあからめた。「うれしいか。綺麗きれいな衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから結婚式明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄ぶどうの季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺こらえ、陽気に歌をうたい、手を拍うった。メロスも、満面に喜色を湛たたえ、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分からだで、自分のものでは無い。ままならぬ事であるメロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、「おめでとう。私は疲れてしまたから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」 花嫁は、夢見心地で首肯うなずいた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」 花婿は揉もみ手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈えしゃくして、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃であるメロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。 私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞かんねい邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若いから名誉を守れ。さらば、ふるさと若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額ひたいの汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気のんきさを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫はんらんし、濁流滔々とうとうと下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵こっぱみじんに橋桁はしげたを跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟けいしゅうは残らず浪に浚さらわれて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロス川岸うずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」 濁流は、メロス叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロス覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼりのぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊山賊が躍り出た。「待て。」「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」「その、いのちが欲しいのだ。」「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒こんぼうを振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙すきに、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石さすがに疲労し、折から午後の灼熱しゃくねつの太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈めまいを感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天いだてん、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代きたいの不信の人間、まさしく王の思う壺つぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや芋虫いもむしほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐ふてくされた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截たち割って、真紅心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺あざむいた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとうセリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉かな。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。 ふと耳に、潺々せんせん、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々こんこんと、何か小さく囁ささやきながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復かいふくと共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。 路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴けとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯さっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。「フィロストラトスでございます貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方かたをお助けになることは出来ません。」「いや、まだ陽は沈まぬ。」「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロス疾風の如く刑場に突入した。間に合った。「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉のどがつぶれて嗄しわがれた声が幽かすかに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧かじりついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑ほほえみ、「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」 メロスは腕に唸うなりをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。「ありがとう友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。 群衆の中からも、歔欷きょきの声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」 どっと群衆の間に、歓声が起った。「

anond:20210712125327

2021-07-01

ナチスは良いこともした」という主張を否定するには……

良いことを一切しなかったことを示さなければならないし、それは些細なものであれたった一つでも良いことを示されたら間違いだと反駁されてしまうわけだが、社会学者というのはそういった簡単論理も分からないで学者ぶれるものなのか。

どうして「一部の人達が良いものとして挙げる政策は多分に過大評価したものであることが明らかになってきた」のような、より頑健な論建てができないのであろう。ナチスへの讃美を抑えるにはそれで十分どころか、一つの反例で崩れさるものなどよりずっと効果的なのに。

ナチスは良いこともした」を認めることが、ナチス政策トータルとして良かったと認めることのように思ってしまっているのだろうか。それとも、たった一つの些細な良いことでさえ存在しないように扱わないとポリコレ的に許されないというアカデミアの外から要請が厳しいのであろうか。

anond:20210628075114

2021-06-23

anond:20210623100747

分かりやすものが多数に受け入れられるのは、漫画音楽もなんでもそうだろう。増田だって例外じゃなくて、大勢共感できたり反駁したりできる話題バズる

2021-06-10

インターネットはもう池袋の超絶雑語りをやるのをやめろ

以下元増パクリの尻馬雑学開陳です。

引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい

池袋の名の由来は西口南方にある弦巻川源流の袋池から

これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから

あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道池袋駅を開設してからの事なんだけど?

それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。

「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。

今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由不明だ。

そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。

それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。

 

余談だが山の手台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流小石川って呼ばれて地名にもなってる。

もう一つの理由農業水利権問題

東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。

ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂渋谷手前とか国道254の春日池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道車道化したものでとにかくまっ平ら。

因みに上野赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。

というか、台地もっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然上野赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。

あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴砂州が出来るけど、上野赤羽の角地形の先には砂嘴痕跡がありますよ。上野場合根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。

 

脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。

農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋村名が決まる訳ないやろ。

から駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。

WEロードという汚いガードが池袋駅の設置場所を決定した

駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道官営鉄道1本しか無い時代鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存街道に面して駅を作らなきゃいけない。

でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆ど死刑だった。

それで、品川線(現山手線赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代監獄巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府ダメ出しされてしまう。

そこで目白北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。

問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか

中山道板橋宿平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT大山サンロードハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード明治通り鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。

この道と日本鉄道線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当街道に接近するところがないからね。

って事で今のP'パルコ左側に駅が作られることになったのだ。WEロード正式名称雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。

Wikipedia池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E9%A7%85#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ikebukuro_Station_in_Meiji_era.JPG

これはWEロード前身踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。

なのでこの汚いガード(の前身踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。

埼玉植民地化と洋菓子店タカセ

サンシャイン前身巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。

東京拘置所を小菅移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。

ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口洋菓子店タカセだった。当時タカセ小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。

その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズからの短い地下道東池袋駅アクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。

この地下道建設流れで当時タカセ地元での評判はかなり低下したらしい。

しかしその後の埼玉植民地化=池袋駅~ハンズ学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているか地下街の幅は取れないんである

なので学生向け店舗経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである

西武百貨店搬入口だけの為の信号機不思議

ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?

https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5

逆を向いてほしい。西武搬入口だけがある。なのに信号機管制されている。何故だろうか?

そのわけは南のびっくりガードの途中にある。

https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5

ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。

この坂の上はJR用地で昔は国鉄貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。

 

現在中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武運営するデパート武蔵野デパートエルメスがあるあたりにちょこんとあった。

西武はこれを増床したい。そこで改札の上にデパートを作った。

しかし当時の西武社長貪欲堤康次郎堤義明もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。

という事で駅をずらすのに邪魔踏切廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用

井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。

あれを最初にやったのが西武って事ですわ。

こういう訳で「西武デパート搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものトマソンである事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜け名前公的使用されてる事の方がびっくりだわ。

池袋 古いビルが多い

昭和29年地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビル結構残っている。LABI建物代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。

昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。

LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABI搬入通路がある。マックの裏の建物LABI搬入口になっている。

新しそうなパルコ昭和32年竣工東京丸物デパートの居抜き。

いけふくろうの事の起こりは国鉄マンオヤジギャグ

昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場銀の鈴があるが池袋駅には無かった。

そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう

国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在JRより熱心だったが如何せんセンスダサい

いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。

いけふくろう像があるのは北通路階段付近という半端な場所だがこれはパルコ土地ぎりぎりのJR土地であるからいけふくろうダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である

サンシャインの地下に変電所

サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域暖房施設があって付近ビクトリアスポーツや東池袋駅ハンズビルなどに熱供給を行っている。

これは触れている本やサイト番組が多いが、実はその下に東電変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京停電での停電地域によって変電所場所割れしまった。

城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所内幸町東電本社の地下である

https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf

平和通り戦争状態

雑司ヶ谷道の駅北側戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザ事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。

90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。

玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツ問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。

お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。

やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブ錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口レンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。

暴力団新法の施行ヤクザは激減してこれらの風物詩過去のものとなった。

飯塚上級国民事故付近事故が多い

あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。

過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者無罪判決が出るという事件があった。

10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。

10年位の命だった国鉄駅舎があった

池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えしまったので戦後に鉄筋コンクリート国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビル解体され丸物(現パルコ)や西武デパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。

東に西武で西東武だが…

開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武東上鉄道(買収)→東武だったか最初は変じゃなかったよってのが定番豆知識記事だが、「東に東武」もあった。

サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺道路都電を通す事になり全部手放したのである

赤尾由美見た事ない

池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生かに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあん道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?

小池百合子お祭りによく来る

お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。

以上、長々と書いたが結局池袋歴史ってあんまないのよな。だって鉄道来るまで下板橋池袋だったんだから

そういう事で池袋愛溢れる増田から最後に言いたいのは

雑司ヶ谷の方が渋くて古いものがあって面白い

2021-06-03

anond:20210603112549

主張の根拠反論して有効反駁がないことを論破って言うと思ってたわ

勉強になります

2021-05-31

矛盾ガイドライン

矛盾って何でだめなの」と質問されたときあなたは答えることができるでしょうか。

レスバトルでは議論錯綜してくると相手矛盾についてまるでペナルティカウントするようにあげつらわれるようになります

しかそもそもなぜ矛盾相手欠点として指摘されるのでしょうか?その根拠はなんなのでしょうか?

我々は矛盾を指摘されると「矛盾なんてない」と納得させる方向性で弁解する癖がありますが、「矛盾はいけないことではない」という方向性自分瑕疵に対する認識是正させる人がいないのはなぜなのでしょうか?

どうにも矛盾というものに対して、単なる価値観から忌避するあまりでなぜ矛盾がいけないことなのか説明できない人が多いように感じます

私も同様なので「矛盾 なぜ駄目 知恵袋」などと検索したものですが箸にも棒にも掛かりません。

そこでいくつかの類型にまとめたうえで、それぞれの是非について書きたいと思います

ほこたて

まさしく故事の通りに「この矛は何でも貫き、この盾は全てを防ぐ」と言った場合、この発言意味を決定できなくなります

それは悪いことであるというよりは、「何が言いたいのかはっきりしてよ」と言いたくなる場面です。

ただこういった単なる支離滅裂な主張が矛盾として指摘される機会は多くないと思います

不可避型

何か言語的な働きかけを行ううえで矛盾が「不可避的」に発生する場合です。

たとえばメタ不寛容という概念があります

不寛容人間がいたとする。この人間に「寛容であれ」と注意したとき、「その注意は不寛容人間に対する不寛容であり、矛盾だ」と反駁される。

こういった状況に対してメタ不寛容という概念が持ち出され、矛盾を解消する方向で注意の正当化が図られます

しかそもそも矛盾は解消されなければならないものなのでしょうか?

不寛容人間に対して注意するということは、寛容な人間に対してはそれをしないという意味では確かにそれ自身がある種不寛容行為と言えます

でもそれをするよりほかに不寛容人間不寛容行為をやめさせることは困難でしょう。

ある目的に至るための遂行のうえでこのような矛盾に陥ることが不可避であるとき、それは不可避型と呼べます

この矛盾はいけないことなのでしょうか?「意味が分からない」という類のものではなく、意思疎通に支障を来すようなものではありません。

そもそも目的のための遂行のうえで不可避というなら、仕方ないと考えられるのが合理的判断に思えます

棚上げ型

自分に非があることを認めたうえで、相手にも同種の非があると迫るような場合を指します。

ある掲示板での実例ですが、擁護派とアンチが言い合う構図が延々と続いていたわけですね。

そこへある人が加わって「おまえらそんな不毛なことしたって世論は変わらんぞ」と書き込む。

両派お互いの立場を主張し、譲らない。それどころか「そういうお前は何なの?」という態度。

物分かりが悪そうな人たちを憂い、不毛さを説き続けた結果、「お前こそこんな掲示板に何時間も書き込んで自家撞着じゃねーか」と言わてしまう。

そこでその人は「矛盾している自覚はあるが一度書き込んだ程度ではお前らは聞かないだろう?だったら一緒に地獄に引きずりこんでやるよ」と言う。

不毛であることを認めてそのような不毛書き込みをやめたらなば、潔く掲示板を去ろうということも言っていました。

ようするに、私は非を認めるからあなたたちも非を認め省みなさい、ということですね。

不可避型に通じるところがあります。これも意味が分からないというような矛盾でありません。

しろ、同じ穴の狢になってでも目的のためならば行動していくという点で、目的意識が明確です。

自覚のうえでの矛盾なら、自分を棚上げしてでも何かを成し遂げるという心意気のある矛盾なら問題ないと思います

答えが出るまで動かずにいるくらいなら矛盾を抱えて後悔するほうがましだ byクロム

ㅤㅤ

いくつかと書いたくわりには三つしか挙げられなかったのですが、類型化できる状況は他にもあるかもしれません。

まとめると1つ目が正真正銘意味を成さな矛盾で(しかし悪いとは言ってない)後半二つがそうではない矛盾です。

意味を成さないようなものではない矛盾に対しても、批判したりして口をふさぐような言動は「意味を成さない」と思いますし、矛盾について考えたことがないような人、思考停止した人に見えてしまます

2021-05-17

anond:20210517121108

よく分からないな。俺は権威の主張内容を具体的に吟味するのは現実的ではないと思っているのだが。

結局はそれが現実的か否かという評価問題になるのかとも思ったが、お前はただの反駁者だからそういうわけでもないか

2021-05-08

最近弱い者いじめをしているが、中毒になろうとしている

ネット上のあちらこちらに沸いている「バカ」を叩きのめす行為最近ハマっている。

「バカ」というのは代名詞であり、正確には「論理的に誤っていることを主張する人」を指す(以後、この定義を用いる)。

こちらは明確な根拠を持って「バカ」を叩きに行くので、負けることはない。

これは、弱い者いじめである

「バカ」「バカ」である理由は、単に知識情報保有していないからなのに、あえてそれを狙って叩くというのは、弱い者いじめ以外の何物でもない。

知識情報などは時間をかければ誰でも身に着けられる。

それを知った上でわざわざ「バカ」を叩くのだから、これは弱い者いじめだ。

ただ、この弱い者いじめが最高に気持ちいい。

負けることがない相手を叩きのめすというのは、人の快楽をここまで高ぶらせるものなのか。

散々相手を叩き、相手から出る言葉支離滅裂論理的破綻しているところをまた叩く。

こちらの根拠は明確だから相手に負けることはない。

口汚い言葉相手が吐こうが、本題については何ら有効反駁を主張できていない。

そしてそれをあざ笑ってまた正義という名の正論で叩く。

私はこの行為中毒になりつつある。

連休中に少し余裕があったので色々なサイトを見て回っていたのだが、特定サイト「バカ」大手を振って誤った主張をしているのを見かけてしまった。

最初はやんわりと説明をしてそれを否定したのだが、相手が逆上して荒唐無稽なことを言い始めたので、つい徹底的にねじ伏せてしまった。

そのときに私の歪んだ正義心に火が灯ったのだと思う。

「バカ」があふれるサイトを見つけるのは今の世の中簡単だ。

プライベート情報管理に気をつければ、相手実力行使に遭うこともなく「弱い者いじめ」ができる。

一連の連休明日で終わる。

明日には私も弱い者いじめを止めたい。

ターゲットとしているバカたちの個人ページのブックマークを全て消し去りたい。

私にはそれができるのだろうか。

中毒になるかどうかの重大な局面に今いるのではないだろうか。

2021-04-14

医者からすれば

薬の副反応で10万人に1名死んでも

10万人助けられれば神だよな。

本人が嫌だと言っても、どうして薬を飲んでくれないんだろうと、薬を無理やり飲ませるのが医者仕事

副反応が出ても体がなれますよ そりゃ死ぬのは自分じゃないか

いつもそう

医者はそう

死ぬのは自分じゃないし、死ぬかどうかは自分で決められるから

説得して薬を飲ませるのが医者仕事

病気を治すので反駁 おまえはキチガイから薬を飲めというのが医者のの仕事

どうして患者医者を信じてくれないんだろう

それは薬をうかつに出すから

2021-03-22

anond:20210319143719

個人的には、歴史上で、アイヌへの差別は無かったと俺は考えている

差別と今の時代で言われているもの伝統的なジャップ文化

所謂村社会というやつだ

こんな短い文章ですら支離滅裂すぎない?

差別と~が何を言わんとしてるのか一切不明ジャップ文化とはなに?村社会がどうこの問題関係しているの?

この主張を否定したいのなら同じく当事者でないお前も、同じように歴史的な史実を基に反論する必要がある


そもそもあなたの主張はあなた個人的な考えであって史実には一つも基づかない。「同じように」とはいっても史実でもないあなた思想にどうやって反論するのか?あなたがすべきことは「あなたの主張を裏付け根拠」の提示であり、それを出さずにあなた個人意見に対して反駁せよとは馬鹿もほどほどに。

仮にあなたが「神は存在する」と主張した場合、それをあなた客観的証拠を元に示さなければならない。その証拠に対して別な視点証拠提示することは出来るが、あなたは「神がいないことを証明せよ」というだけなので反論する意義がない。そしてそれをあなたは「逃げた」という。逃げているのはあなた自身だ。証拠自分では何一つ提示できていないのだから

アイヌ末裔であるお前が、差別というなら、アイヌ無関係の俺は、お前の主張を否定できない

という話だぞ?


これは何が言いたいのですか。主張とは何を意味しているのですか?

差別差別、と言ったり、アイヌ差別はなかったと覆したり

正直あまりナンセンスというか支離滅裂のものです

2021-03-16

はてなとは関係を構築できなかった後戻りできない人たちのたまり場なんだと思う。

社会インターネットは山岳ベース」なる増田を読んでてそう思った。

自身攻撃性を希釈して無害化を装いながら相手を叩く。

こうしたムーブメントはてなではよく見る。

ツイフェミ側もそうだし、表現の自由戦士側もそう。

最近では恋愛工学2.0揶揄されたnoteの盛り上がりなどもそうだろう。

自身もつ加害性について指摘を受けたとたんに、その指摘以上の攻撃性で反駁する態度。

つくづく、ほんとうにつくづく、弱者の群れだな、と感じる。

どちらの極につくにせよ、自身が「弱者ポジであると自認できるかぎりは無敵で居られるのだから、そこに執着し続ける。

この閉じた姿勢こそが、はてなであり、増田なんだな、と。

そりゃずっと成長しないわけですよ。今から成長することだって無理。

2021-03-03

ガチャピン政権が「嫌い」という発言をする権利禁止する法律を制定してから10年が経った未来

コロナによって東京オリンピックの開催がおじゃんになった世界線2031年

世は禁酒法ならぬガチャピンが定めた禁嫌法から10年が経っていた。

かつてガチャピンの片腕であったムックは禁嫌法の緩和を訴えるも反嫌法に基づいて電気椅子に送られてしまっていた。



「嫌い」をキめたくて仕方がない人々は、

はてなというアングラサービスを使い日々「嫌い」という感情をぶちまけるのであった。

それを取り締まろうとするガチャピン警察たち。

しかし「嫌い」を表明する場を提供するはてな

ガチャピン警察たちの努力あざ笑うかのように

人々の欲望を取り込み闇の世界でその勢力を拡大させていった。

その過程で多くの憎悪クリエイター誕生した。

憎悪クリエイターの多くは、反プリキュアニストであった。



いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?

このようにきわめて重大な法令を、

国民はなぜこのように圧倒的に、まるできまぐれのように受け容れたのだろうか。

コロナ流行は禁嫌指導者に大きなチャンスを与えることになった。

完全禁嫌プログラムには反対していたはずの人びとの注意はコロナに奪われ、

国家存亡の危機に際しては、人間自由意志などは些細なことだと考えられた。

またコロナは、ガチャピンに広範な権力を与える思いきった法律制定に、国民を馴らしてしまった。

感情節約必要となり、感情節約手段として、ガチャピンリベラリストたちに禁嫌奨励することになった。

ガチャピンは、世論をすべてLGBT賛美に変えた。 

憲法修正ガチャピン条はその自然表現だが、コロナはまたスパルタ理想主義ムードをもたらした。

すべてのものマイノリティ繁栄のために犠牲にされた。

マイノリティが良いものであり、マイノリティ生産能率の良い存在であるならば、禁嫌論議は、さしあたり反駁余地のないものだった。

一方、国民ユートピア的な理想を抱いていた。

もしこのコロナとの戦いがすべての争いを終わらせるものであり、勝利が新たな輝かしい世界秩序をもたらすことを可能にすると考えるならば、

この効果的な禁嫌を無限に続ける時代に入っていくことを想像するのは、いかにも容易であった。



そして結局、コロナとの戦いは国民を、即座に結果があらわれないと苛立つように変えてしまった。

2022年2023年は、やる価値のあるものは何でも、官僚手続き反論や快不快や便不便を無視して、即刻やる価値がある、ということになってしまった。

こうした諸勢力の結合は、抵抗し得ないものだった。国民は熱病にかかったように、息せききって、禁嫌のユートピアへの近道を選んだ。

アレン/藤〇ミネ訳『オンリーイエスタディ』2033 ちく〇文庫 p.328-330>




もうちょっとムック活躍させてあげたかった…

50ブクマまでいったら電気椅子の刑を受けたムックは実は死んでいなかったで第二章書くわ

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