2021-03-03

ガチャピン政権が「嫌い」という発言をする権利禁止する法律を制定してから10年が経った未来

コロナによって東京オリンピックの開催がおじゃんになった世界線2031年

世は禁酒法ならぬガチャピンが定めた禁嫌法から10年が経っていた。

かつてガチャピンの片腕であったムックは禁嫌法の緩和を訴えるも反嫌法に基づいて電気椅子に送られてしまっていた。



「嫌い」をキめたくて仕方がない人々は、

はてなというアングラサービスを使い日々「嫌い」という感情をぶちまけるのであった。

それを取り締まろうとするガチャピン警察たち。

しかし「嫌い」を表明する場を提供するはてな

ガチャピン警察たちの努力あざ笑うかのように

人々の欲望を取り込み闇の世界でその勢力を拡大させていった。

その過程で多くの憎悪クリエイター誕生した。

憎悪クリエイターの多くは、反プリキュアニストであった。



いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?

このようにきわめて重大な法令を、

国民はなぜこのように圧倒的に、まるできまぐれのように受け容れたのだろうか。

コロナ流行は禁嫌指導者に大きなチャンスを与えることになった。

完全禁嫌プログラムには反対していたはずの人びとの注意はコロナに奪われ、

国家存亡の危機に際しては、人間自由意志などは些細なことだと考えられた。

またコロナは、ガチャピンに広範な権力を与える思いきった法律制定に、国民を馴らしてしまった。

感情節約必要となり、感情節約手段として、ガチャピンリベラリストたちに禁嫌奨励することになった。

ガチャピンは、世論をすべてLGBT賛美に変えた。 

憲法修正ガチャピン条はその自然表現だが、コロナはまたスパルタ理想主義ムードをもたらした。

すべてのものマイノリティ繁栄のために犠牲にされた。

マイノリティが良いものであり、マイノリティ生産能率の良い存在であるならば、禁嫌論議は、さしあたり反駁余地のないものだった。

一方、国民ユートピア的な理想を抱いていた。

もしこのコロナとの戦いがすべての争いを終わらせるものであり、勝利が新たな輝かしい世界秩序をもたらすことを可能にすると考えるならば、

この効果的な禁嫌を無限に続ける時代に入っていくことを想像するのは、いかにも容易であった。



そして結局、コロナとの戦いは国民を、即座に結果があらわれないと苛立つように変えてしまった。

2022年2023年は、やる価値のあるものは何でも、官僚手続き反論や快不快や便不便を無視して、即刻やる価値がある、ということになってしまった。

こうした諸勢力の結合は、抵抗し得ないものだった。国民は熱病にかかったように、息せききって、禁嫌のユートピアへの近道を選んだ。

アレン/藤〇ミネ訳『オンリーイエスタディ』2033 ちく〇文庫 p.328-330>




もうちょっとムック活躍させてあげたかった…

50ブクマまでいったら電気椅子の刑を受けたムックは実は死んでいなかったで第二章書くわ

  • ガチャピンアイコンの相互フォロワーがよくクソリプ飛ばしてるのを見て、俺には送ってこないといいなあと願ってる

  • 日本の危機→ニッポン危機→ポンキッキ?

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