はてなキーワード: マコとは
駅メモはIngressに比べて安全、というか位置情報対戦ゲーの中ではトップクラスに安全なので、他ゲームと比較して優位な点だと思う。なぜなら「現在地から直線距離で最短の駅」に位置情報が丸められる仕組みだから。
画面を覗き込まれた時のために、新幹線やグリーン車でもなければなるべくウィジェットからのアクセスにする、左上の表示をチェックイン回数のモードにする(これが一番情報量が少ない。ユーザー名や今日の移動距離では覗いた人に情報を与えてしまう)などに注意されたい。
また、アクセス回数称号は取得のタイミングでフレンドに通知されるため(※称号獲得お祝いのお裾分けという形でアイテム配布されるので、通知オフにできない)、念のために自宅や職場の最寄り駅は意識的にチェックインを控えているが、それでもそれなりにチェックインしてしまうし、日々惰性で多少でも通勤がてらポチッていたら、使用路線くらいはなんとなくフレンドにバレるだろう。なるべく居住地域が遠そうなプレイヤーとフレンド登録したり、タカリっぽく見えるがフレンドの多いプレイヤーとフレンドになる(フレンド枠が多い=ヘビープレイヤー=フレンド配布アイテムが多い)ことである程度まで対策するしかできないだろう。
その他不満点については元増田に同意で、スタッフ陣に鉄オタがいなさそうなことは一切鉄っ気のない私でもうすうす感じているので、鉄オタにおかれてはさぞかし歯痒いだろうと思われる。
全体的に、世界観というか、フレーバーテキストというかバックグラウンドの設定がフワッとしたて貧弱なんだよな…未来から来たアンドロイド的なものらしいけど、適性のあるマスターさんにしか目に見えない妖精さんみたいなものらしいし、未来で研修を受けてから現代に派遣されるらしいけど、各キャラクターが「○○さんちの○○ちゃん」みたいにいっぱいいる?らしいし、ってことは未来での研修っていうのは教室に同じロットの子がずらーって並んでいるのかというとそうでもないっぽいし…、現代への派遣のタイムスリップでパラレルになるのか? それなら筋通るか? そんな描写あったっけ?
「各駅を訪問してアクセスする」まではテキストとゲームシステムが連動してるんだけど、リンクの保持や誰かが保持しているリンクに攻撃してHPを削る奪い合いが、物語設定的に何やっているか不明なんだよな。だからゲームプレイとしてはバチバチにバトルしたり、バトルでの攻撃と見せかけて相手を回復してたりするのに、ストーリーでは「いっぱい電車乗って、疲れたね」になっちゃっている。
イラストのショボさについては、いわゆるオタ絵っぽくない、イラストレーションっぽいテイストに惹かれて入ったので、元増田の言うこともよくわかるけど、個人的な趣味としては他ゲームのソシャゲみたいなテイストになればいい・ばえるスチルがあればいいってものでも…とも思う。
ラッピングも可愛いし。最近はイベントストーリーは全然ハナから追う気も無いけれど、ラッピングガチャで皆の服を可愛いな〜とひととおりチェックするくらいには楽しんでいる。このへん初期より最近の方がクオリティが改善されている気がするな、1番最初のメガネとネコミミはびっくり酷いダサさとやっつけっぷりに比べれば…
ログインボーナスの仕組みも最近変わったし、これからも当面は一応ログボだけちまちま貰って思い出した頃にガチャで新しい子との出会いを求めようかな、と思う。でもコロナで移動しないからライセンス購入のモチベーションも無ければ女の子育たないからまともにバトルにならないし、コロナ禍を無視したイベントにはえーって思うし、その割に、運営去年けっこう稼いでらっしゃるらしいじゃないですか…元微課金ユーザーの意見なんてゴミかもしれないけど、私はいちチコとかやちコタとかヤコマコの妄想を膨らませようにも舞台骨というか、日頃の暮らしや未来にいたころの暮らしやお出かけの時にみんながどうしてるかわからなくて動けなかっただけなんですよ…一次作家じゃ無いから隙間を埋めることしかできないのに、虚無の空間しか無かったんだよ…。
ウマのコンテンツの二次創作に関して、R18を含めガイドラインに抵触しないよう注意喚起を盛んに行って回る人達を多く見かける。
その中に、普段他コンテンツのエロ同人を創作したり拡散したりしてる人達も少なからず見かける。
それがどうにもモヤモヤする。
ウマコンテンツのガイドラインに注意を払い自他ともに守らせようと積極的に働きかけるのはわかる。
ただ、普段は他コンテンツのキャラを原作のイメージからかけ離れた酷い扱いをしまくるエロ二次創作を嬉々として広め、
かつウマには配慮するが他のコンテンツは相変わらずエログロなんでもありな二次創作を制作拡散している様子なのを見て、
なんともモヤモヤモヤる。
上手く言語化できんが。ウマがらみなのに。
https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801
村上春樹の作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちとしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間が村上春樹の真似したら中身がない駄文にしかならないって小学校で教わらなかったのか。
つーか村上春樹の文章は別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。
というこの3点が村上春樹の文章でもっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレと解釈しうるものも混じるので注意。
実例を挙げてみる。
四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女の子とすれ違う。
正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。
1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージが閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの他外多いからな。ここでの「他外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。
また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章の連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章を音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである。
つまり、別に「うまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉はあんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。
とはいえ、個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹が発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやすい文章で圧倒的リーダビリティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策を村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。
で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である。村上春樹の比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当にパラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。
そして何より、「100パーセントの女の子」である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。
こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹の小説は比喩・モチーフ・物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。
じゃあ、「村上春樹の作品はふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹の作品には「答えがある」ものが、地味に多い。
たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性と出会い、ふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人とセックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。
だけれど、この作品の問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファーの可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばしてしまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである。
その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFOが釧路に降りる」でふわふわとゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教に勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。
勿論、これらはあくまで「そういう解釈が可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け』自体が断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルでガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。
たとえば、『ノルウェイの森』で主人公が自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品の主人公が「普通」なわけない。基本的に信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。
(なお、なんなら村上春樹が自分の作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)
ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品のなかにはある。
このように、村上春樹のメタファーやモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである。
増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分が作品をちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから「村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。
……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタのひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。
たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間が経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。
だから、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから。
マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田の元ネタは加藤典洋と石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。
「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。
小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章がうまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章」であるはずだ。
じゃあ、増田が考える「(小説の)文章がうまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章がうまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージの情報量が多いってことだから。
具体例を挙げてみる。
長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。
そのころのマコンドは、先史時代の怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。
ガルシア=マルケス『百年の孤独』の冒頭。大佐が子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。
津原泰水『バレエ・メカニック』1章ラスト。昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親が世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。
「お父さんは?」
「ここにいる」君はおどける。
「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」
彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」
理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ、自分が腰掛けていたのが青山通りと 表参道が形成する交差の、一角に積まれた煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。
作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せな笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこから生まれる余韻の美しさですよ。
あるいは(佐藤亜紀『小説のストラテジー』からの受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説のラスト。
フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますます、ますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色い自動車がフィアルタ郊外で巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間でしかなかった。
ふわーっと情景描写がホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間や空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである。
散文として時間や空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章がうまい」と認識する。自分が村上春樹の文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。
村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味で村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的な私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。
日本語の文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベルの知識で可能で、その点村上春樹は文章のプロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話やモチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現がうまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章がうまい」と表現しうるとき、もっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイは面白い」と言及されることと無関係ではない。
ちなみに、増田は津原泰水やナボコフの文章技巧には翻訳を村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。
ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述の運動」を増田なりに表現したもので、元ネタは佐藤亜紀『小説のストラテジー』です。
これはNiziUの話である。NiziUを知っている、なんなら詳しい人が読んでいる体で書いているので、そこはよろしく頼む。
リクの話がしたい。NiziUのエネルギッシュなリスこと大江梨久さんの話だ。18歳の溌剌とした女の子で、関西弁で話し、飾らずによく笑いよく怒りよく泣く子だ。歌に定評があり、サバイバルオーディション番組では素人にも関わらず第二位でデビュー権を勝ち取った逸材でもある。
そんなポテンシャルの塊なので、当然リクの人気は高い。Nizi Projectから追いかけていた私としては、リクが当然センターで一番人気になると思っていた。いや、一番人気はビジュアルクイーンと目されるアヤカか、可愛いの天才ミイヒかもしれないが、いわゆる努力家で、ひたむきで、むき出しの、応援したくなるアイドルとしてはリクが一番で、そういう売り方になると思っていた。
オーディション番組の最終回で一人だけブルーの髪をしてセンターに立つリクを見た時、Make You Happy(以外メキハピ)のサビを歌うリクを見た時、私は自分の見立てが間違っていなかったと思った。しかしながら、同じメキハピの中で、やけに目立つ子がいるのにも気づいた。マユカだ。
マユカはリクの親友で、なにかと好成績だったリクとは異なりいつも脱落寸前、大人しくて主張の薄いタイプの子だと思っていた。最終回近くでようやく個性を出して、そこから巻き返してデビューにこぎつけた。
デビュー後も、マユカは大人しい、優等生路線だと思っていた私は、メキハピのPVの中で金髪に染めて垢抜けた、滑舌良くラップをする可愛い女の子を見た時に、ギョッとしてしまった。これまでの薄味のマユカとギャップがありすぎる。そして、マユカは垢抜けたビジュアルやラップのセンスの良さに加えて、ひたむきな性格(なにせマユカはダンスレッスン代を自分のバイト代で賄っていた)、ドラマティックな出自(マユカはオーディション補欠合格→一次審査の東京合宿で脱落寸前からの合格→最終審査まで成績が振るわなかった中でのデビュー)の効果もあってか、デビュー後に一気に人気を博した。それこそ、リクの人気を追い抜くくらいに。
リクはマユカが大好きで、マユカの成績が振るわないことを我ごとのように悲しんだり、合格した時も号泣したりしていた。一方のマユカもリクのことが好きで、二人は親友、リクマユコンビ🖤なんて呼ばれている。でもリクよ、マユカはお前がなるはずだったシンデレラガールの座にどっかり座り、大量のファンを獲得している。本来、素人から二位で合格したリクこそがシンデレラガールと呼ばれるべきだし、ひたむきで頑張り屋さんの応援したいアイドルは、リクのキャラクターであるはずだ。
マユカはカメレオンと呼ばれ、曲によって雰囲気が変わるのが持ち味と言われているが、マユカの人気はミステリアスさよりも好感度、親しみやすさ、懸命さに基づいている。「マユカは曲によって表情が一変するのに、素の状態だと素朴でかわいい、いい子なんです」とファンたちはマユカに酔いしれる。一方のリクはエネルギッシュなリスというキャッチフレーズの通り、愛嬌があり明るいムードメーカーのような位置付けであるが、しかしながらそのポジションは激戦区だ。セレブ美女ラッパーのリマも、トップダンサーでクールな美人のリオも、歌がうまいハーフ美人で末っ子のニナも、「明るくて愛嬌がある」と形容されている。しかもこの三人は、それぞれラップ、ダンス、歌と抜きん出るものがあり、ビジュアルがツンとした美人にも関わらず、「明るくて愛嬌がある」のだ。そんな中だと、リクだけは見たままズバリ「明るくて愛嬌がある」タイプである(リクはたいそう愛らしい顔立ちをしているが、美人というタイプではないのでギャップはない)。また、リクは歌が上手いというのもその通りだが、歌が上手いメンバーは前述のニナも、人気一位二位を争う可愛いの権化ミイヒ、オールマイティリーダーのマコもいる。バラエティに強い、という意見もあるが、NiziUは韓国に滞在する時間も長いので、日本のバラエティ番組に特化しているのがどの程度役に立つのか、現状は不明である。つまり、リクは本来、「シンデレラストーリーでここまでやってきた、一生懸命な女の子」のキャラを手放すべきではなかったのだ。
リクは毎日楽しげだ。顔中でニコニコ笑っている。最近は垢抜けて、お姉さんらしい雰囲気も出てきた。しかし、歌割も減り、段々と役割が薄れていくリクを見ていると、歯噛みしたい気持ちになる。マユカは新曲でラップのみならず、サビまで歌った。ここまできたら逆にリクがマユカの担当であるラップを代わりにやるしかないのだが、リクのラップはまだ披露されていない。リクは、アイドルらしいアイドルだ。余白があり、1年後には見違えるような進化を遂げるポテンシャルを秘めている。そういうリクが、9人の真ん中に立つ姿が見たいのに、マユカの人気を見ていると、なんとなく不安になる。リクよ、リクペンよ、「リクマユ🖤」とか言っている場合ではない。ここが踏ん張りどころだ。リクを推してくれ。シンデレラガールはリクだと自覚してくれ。なお、筆者はアヤカ推しだ。
5.陽気婢 2×1
7.藤丸 ラブミーテンダー
21.こっぽり生ビール 宵はじめ
26.長月みそか あ・でい・いん・ざ・らいふ
27.雨がっぱ少女群 小指でかき混ぜて
30.てりてりお な美らる
38.軽部ぐり ふしだらハニー
40.いーむす・アキ いーむすまみれ
41.翁賀馬乃介 粘膜
50.ぢたま某 聖なる行水
51.胃之上奇嘉郎 BLACK MARKET +PLUS
52.石川シスケ あなとも
53.みちきんぐ 主従えくすたしー
58.法田恵 イナカナかれっじ
62.馬鈴薯 かわいげ
63.鉢本 性欲群青
65.南北 みんなのお嫁さん
67.Kanbe 痴戯のナカ
71.緑のルーペ ガーデン
81.Reco てんぷてーしょん
85.ひげなむち みすでぃれくしょん
88.皐月芋網 痴的性活
95.六角八十助 とろとろにシてあげる
96.終焉 めすさかり
97.かるま龍狼 はだかな
……ん?
初代ビッグブラザー*(同国において国王にあたる)に就任した西野ブラザーは就任演説の際、
「みんなが幸せになれるくに作れちゃいました笑」と語った。2300万人のプペル民は歓喜した。
日本の芦田首相は「日本もプペル国と手を取り合って共に発展していきたい」と述べ、
アメリカのマコーレ大統領は「NO BIG BROTHER, NO U.S.!」とプペル国の建国を称えた。
プペル国には通貨はなくプペル的信用経済で成り立つ新しい仕組みが存在した。
プペル民は他国(主に日本国)で稼いだお金をプペル国に喜捨することによって
プペル的信用を高め、その信用の高まりによりプペル的プペルをプペルことができ
より高次元のプペルになれるのである。ONE for プペル、プペル for プペルの
素晴らしい理念がプペル国には根付いていた。全世界がプペル国に注目し、
プペルに熱狂した。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
うん。ごめん。追記なんだ。追記しないってどっかに書いたのにな。
日曜日の朝に、自室のパソコンではてなブログのランキングを見てたら衝撃を受けた。
俺が書いたやつが7位に入ってるのを見て、「あ!?」って声が出た。
「20件ちょっとしかコメントがついてないのに」と思って、ログインして日記のページに行って調べたら、全てのコメントを見るというメニューがあって、クリックすると凄まじい数のコメントが並んでいた…
本題に入る。なんで追記するかというと、ブクマコメントを読んでいて勉強になったので。そういう視点もあるのか!って意見ばかりで、自分という人間がいかに物事の裏側が見えてないかを思い知らされた。
すべての意見を読ませてもらった。善意だろうと悪意だろうと嬉しかったよ。
感謝の気持ちを込めて、コメント欄に質問が多くあった以下の3点に絞って話す。
1.続きが知りたい(特にM,K,Nについて)
そいつら、俺に聞こえる位置でわざとあの日記のことを話し出した。俺の反応を伺ってたんだろう。若手の公務員もはてな匿名ダイアリーを読むんだな。
あと、前の日記内の追記で本文の修正はしないって書いたけど、実はちょっとしている。読んだ人が誤解する部分について加筆した。上から塗りつぶすような修正はしていない。
例として、Mがモデルみたいって書いたけど、それだと高身長をイメージさせるのでちょっと加筆している。
構成が分かり難いのとか、誤字とか脱字はそのままだ。ちょこちょちょこってなんだよ…
その前に数点ほどいいかな。
ブコメでは、「3人と話し合った方がいい」という意見もあれば、「もう関わるな」という意見もあった。後者の方が多かった気がする。
俺もその方がいいと思った。ガチで話し合って決着をつけるのは危険すぎる。
3人の仮名がイニシャルだと誰が誰だかわからなくなるからガンダムで例えてってコメントがあったけど、さすがにそれはできんわ。ごめんな。あなたが彼女らの立場だったら嫌だろ?俺に言う資格はないが。例えば、マコとかカエデみたいな仮名にしたらよかったのかな?
あ、係長はシャア専用ズゴックな。そういう体型だけど、動きがめっちゃ速い。市内の陸上大会で優勝したこともある。
「ラノベの文章みたい」「作家志望」みたいなコメントもあったけど、公務員の文章ってまさにそんなだよ。無駄を省いて必要なところだけを伝える。
先週、Mの見舞いに行った。係長と一緒に。
俺と違って男らしい先輩だ。Mのお母さんに了解を取ってくれた。
大きい病院に入院していた。普通の病室だった。個室とかじゃない。
Mはベッドの前に座って雑誌を読んでいて、俺を見ると軽く会釈した。
係長がケーキを買っていた。Mに渡すと、ちょっとはにかんで冷蔵庫に仕舞った。
みたいな当たり障りのない会話の後、Mが「すいませんでした!」って緊張しがちに叫んだ。
沈黙があって、「いつもよりテンション低いな!もっと上げていこう」って俺が冗談を言ったところで(※普段のMは寡黙)、Mのお母さんと看護師が入ってきて、もう帰ろうって雰囲気になった。
「今日はありがとうございます。早ければ3月から復帰したいです」って最後に言った。笑ってた。
Mが公務員になりたての頃だった。彼氏とディズニーランドに行った話をした時、俺が〇ッキーマウスの口真似をして、「ハハッ↑、ボク税金払わないよ♪」って冗談を言った時に爆笑してたのを思い出した。
Kは働き者になった。今までも十分だったけど。
居なくなったMの分まで積極的に窓口の方を見ている。お客さんが見えにくい位置にいるのに俺よりも多くの客を受けている。めっちゃ明るくて手際がいいから思ったよりも楽だ。さすが3年目は違う。
Nは事務所の奥側に席替えになった。若い男子がNのいた席に来ている。係長と何を話してるんだろうと思ってた。そういうことだったんだな。
事務スペースには机の島が二つある。前側の席は税対応の実務をやっていて、後ろの席は条例や規則を作ったり、予算編成とか庶務をやってる。Nにはそっちの方が向いてると個人的に思う。
ただ3人の女子に好かれているだけのラノベ的展開みたいな、そういうことではないっていうのを確信できた。
前の日記を書いた一番の収穫はこれだと思う。コメントをくれた人に感謝してる。
憎しみとか、嫉妬とか、悔しさとか、責任回避とか、色んな感情が絡まり合ってこうなってるんだと感じる。
残念ながら、どういう事態が生じていたのか全然わかっていない。俺が得られる情報は少ないし、誰かに聞こうと思っても難しい。何年か経ったら意外な展開でわかることがあるのかもしれない。それに賭けてる。
過去の自分と向き合う意味を込めて、書けるだけ書いてしまおうと思う。増田の皆さんのためというよりは自分のためだ。言葉にすることで、あの時できなかった反省をするために。反省すべきところは反省し、思い出にすべきところは思い出にするために。
二十代後半の頃だ。民間の営業から転職してきたばかりの俺は、市立体育館の倉庫の屋根を取り換える仕事をしていた(※事務職でも現業をやるタイプの自治体。特に施設を持っている部署にありがち)。最後の工程のあたりで、屋根材をボルトで縫い付けた後にアーク溶接で止める作業をしてたんだ。一通り終わらせて、よっしゃひと段落って感じで新しい材料を買いに行って戻ったら、消防車が3台くらい来てて、燃え盛る倉庫に放水していた……。
溶接が終わったら30分間は現場を離れちゃだめなんだよ。どこかに火花が燃え移ってる可能性があるから。これが市長室に呼ばれた件。文書戒告。素直に謝ることができなかった俺を、当時の市長は懇々と諭してくれた。「そんな態度でおったらいけんよ。あなたが駄目になっていくよ」って。市長だけじゃなくて、助役もそうだった。あと、教育長も。教育部長も。(※全員退職済)。こんな職員になって本当にスイマセン……あの時はお世話になりました。
同じく二十代後半の頃だ。面倒くさい国家資格(ほぼ座学で取れるけど、1ヶ月間は残業時間が120hを超える。説明は省くけど、出張研修扱いなのでその間の残業代は一切つかない。社会教育主事)を無理やり取らされそうになったので全力で拒否していたところ、上司が勝手に申し込んだ。
当時の俺はあまりに幼かった。頭にきて、その上司が担当してるイベントがあったんだけど、そいつの顔を潰すために当日にサボってやったんだ。それでイベントが大失敗して処分になった。文書戒告。翌年度、公営企業という名の地獄に飛ばされる。
三十代の半ばまで、水道局で料金未納者の家を回ってお金を回収する仕事をしていた。債権回収。未納者には色々といて、お金があまりないので試しに料金を払わずにいる人もいれば、本当にお金に困っている人もいれば、普通にお金を持ってるのに人と話す機会が欲しくて、わざと料金を未納にして給水停止にしてもらう人もいる。
この仕事に耐えられる職員は少ない。俺ばかりが債権回収の現場に出されていた。本来は、2人以上でないと現場に行っちゃいけないんだけど、相棒が年度途中でギブアップしたのでどうにもならなかった。ストレスはもちろん溜まる。「水道メーターや配管の修理をしてみたい」という希望はあったが通ることはなかった。
それで、ある時やってしまった。水道局って、貧乏な家庭でも「水止めるぞ!」ってポーズは取るけど、本当に払えない人が相手だと給水停止しないんだ。絶対にしない。それで市民が死んだら偉い人が責任を取らないといけないし、実際にお金を持ってない人からは取りようがないから。
でも、俺はやってしまった。貧しい大家族がいたんだけど、母親があまりに舐め腐った態度で、しかも支払う意思がないもんだから水を止めてやろうと思ったんだ。水道メーターの蓋を開けて、止水栓を取りはずしてキャップ止めをした。これで水は出ない。あの母親、どんな顔をするだろうな。これで未納料金を支払うかなって、当時の俺は思っていた。
翌々日。子供2人と母親が病院に運ばれることになった。同じ日に、見かねた近所の水道屋がメーターの蓋を開けて無理やり水を出したみたいだ。民生委員や社会福祉協議会から死ぬほど怒られ、暴走行為ということで処分を受けた。減給1ヶ月。当時の係長(※退職済)も減給1ヶ月。課長(※退職済)は減給3ヶ月。あの家族の表情は今でも覚えている。本当にすいませんでした。
昨年度(※年度単位なので2018年)のこと。Mが1年目の時。俺も税務課1年目。お前らの会社にも互助会ってあるだろ。同じ部署で、毎月数千円集めて飲み会とか慶弔とかするやつ。俺、互助会に入ってないんだ。昔から入らない派。それで仕事が回るのかって言われたら、けっこう回る。倫理観や職業意識が高い公務員だと、考え方が合わない仲間と一緒でも市民のために全力で仕事をこなす。だから俺でも問題なくやってこられた。でも、税務課は勝手が違った。公務員の鑑みたいな人が多くて、互助会に入っていないと市民のための仕事で教えを請うてもスルーされることがあった。
その年の秋頃だったと思う。Mが俺の真似をして互助会をやめた。協調性のないところは俺に似ている。そのあたりからMと仕事以外の雑談をするようになった。ところが、俺の左隣に座っていた年配の女性職員(サヨコ。仮名。本当なら今年の3月で定年だった)が怒ってしまって、Mは仕事を教えてもらえなくなった。向かい側の席にいたKとNにも根回ししてたのかな?Mはピンチになった。俺は経験年数があるからなんとかなるが、Mには無理がある。
年末だったと思う。地元企業の人が窓口に来て、証明書類が欲しいという依頼をMにした。その証明が今日中に手に入らないと、ある事業の行政関係の手続きが間に合わないとのこと。でも、正攻法でシステム上の発行ができないパターンで、それでも発行したければ技術がいる。一応違法行為ではあるけど、「市民のためなら」という建前があれば上司は積極的に黙認する。そういう、たまにあるパターンのひとつだった。
予想はつくだろう。サヨコは、Mの相談に対して「知らんよ。自分で調べたら?」って言ったんだ。俺はキレた。「お前、おかしいと思わんのんか?おい、〇〇!(※サヨコの苗字)」って声を上げた。Nのところに詰め寄って、無理やりMのところに連れて行こうとした。嫌がったので無理やりに連れて行った。
それで場は収まったけど、定時を過ぎてからのサヨコがうるさいんだよ。ネチネチネチネチとMとNの悪口を聞こえるように言いやがって。俺が遠まわしに「さっさと辞めろよ」って言ったら、怒った感じで椅子から立ち上がった。大声で喚き始めた。そしたら、次の瞬間に「ええ加減にせえ!!」って係長がサヨコを一喝した。
サヨコが「なんでわたしが怒られないといけんの!?」みたいなことを叫んだ。すると、その直後に痙攣が始まった。過呼吸かな?と思った。息遣いがおかしくなって、その場にうずくまる。呻き声が聞こえた。真正面にいたので苦しんでいる様子が嫌でも伝わってくる。Nは傍に寄って介抱していた。係長は給湯室まで走ってビニール袋を取ってきた。不幸中の不幸だが、目撃した市民が少なくとも5人はいた。1,2分が経つとサヨコの容態は落ち着いた。Kも介抱に加わって、2人してサヨコを休憩室に連れて行った。Mは座ったまま、ずっとサヨコを見ていた。
翌年の1月末をもってサヨコは市役所を辞めた。早期退職制度。1年と少し早い。俺は原因ありとみなされ、処分を受けた。厳重注意。係長はさらに重い処分だった。謝っても謝り切れない。俺がもっと大人だったら、サヨコもちゃんと定年まで働けたに違いない…
わかってるよ。互助会に入らないのがどういうことかって。俺が互助会に入って飲み会とかに行く職員だったとする。そうすると、会員になろうとしない職員のことをこう思うだろう。
『入らない理由にどれだけの説得力があっても、あいつは俺達の仲間になろうという気がないんだ』
それでも俺は入りたくなかった。俺だけじゃなく、すべての職員に互助会に入らない自由があったらいいな、と今も思ってる。
日記の中で何度も謝罪をしてきたけど、俺が一番謝らないといけないのは仲間に対してなんじゃないか?と感じている。
書き過ぎたかもしれない。
在職中の人間には最大限配慮したつもりだ。重ねて言うけど、覚悟はできている。
増田の皆さんには大変お世話になったので、そこはきっちりと恩返しをさせてもらう。
さて、会場には駅メモのキャラクターである「でんこ」のコスプレをした人が、結構な人数いる。同人イベントはコスプレの発表の場でもあるのだ。
「え?駅メモキャラのコスプレって、女の子のキャラでしょ?なのに男がコスプレしてるの?え??」
と戸惑ってしまうかもしれない。ましてや、そのマコのコスプレをしている男性はそれなりの歳月を歩んでこられている、というか、まあ直接的に表現させてもらうと、それはもう完膚なきまでにおっさんである。疑う隙が存在しない、完全無欠のおっさんだ。
わかりやすく伝えるためにあえて直接的な表現をさせてもらったが、僕は決して完全無欠のおっさんが女装コスプレをしていることを馬鹿にしていたり不快に思っていたり否定しているわけではない。
実際僕は、おっさんがコスプレをしているキャラクター「マコ」が駅メモのキャラクターの中で割と好きなキャラである。しかし、その衣装をきたおっさんがいたところで不快な気分にはならない。むしろ、自分の好きなキャラが、衣装を再現して身にまとってしまうほど他の人にも好かれていることに喜びを感じるほどだ。
これはどうしても本当にオタク文化に触れてきていない人には理解しがたいものだと思う。だけど、そういうものなのである、としか言いようがない。
もちろんオタクの中にも女装コスプレやクオリティの低いコスプレを嫌悪するような過激派もいる。しかし色んなレイヤーさんが存在するのがオタク文化であり同人イベントだ。それすら楽しんでしまう度量がオタクには必要なのである。
(過度な露出やムダ毛のケアをしていない女装などは、規約違反になる場合もありますのでご注意ください)
そんなおっさんマコが本を買いに来てくれた。せっかくなのでおっさんマコに話しかけてみた。
おっさんマコ(以下、マ)「はい、そうです。マコ好きなので…」
僕「すごいですね!自作なんですよね?」
マ「ええ、半月前に思い立って、何とか間に合いましたよー」
僕「へーすごいなあ。僕もマコが好きなんですよ。見た目から入ったんですけど、性格も可愛くってどんどん好きになっちゃいました」
マ「そうなんですね!」
とまあ、なんとも心温まる駅メモer同士の交流を繰り広げたんですが、会話している最中、おっさんマコの「え、でも出してるのうららの本じゃん…」って視線が少し痛かったです。
そんなこんなでイベント時間は過ぎていき、ソロ参加となった僕はそれまで短時間、トイレに駆け足で行くことはあっても、他の方のスペースを見て回ることはできないで状況だった。
貴重品を持って、スペースも離席中とわかるようにしていけば問題ないだろうけど、ひょっとすると買いに来てくれた方が「何だいないのかー」で帰ってしまうかもしれない、という不安があったからだ。
でもまあ、イベントも後半に差し掛かり、そろそろちょっとくらい席を外してもいいだろう、と思いたって近所のスペースだけでも見て回ることにした。
先に挨拶を済ませていたフォロワーさんのスペースでキーホルダー買ったり、僕は人の駅メモ旅の記録を見るのが好きなので、そういった本や漫画をいくつか、足早に購入した。
もしも次また機会があれば、もう少しゆっくりと見て回ってみたいものだ。
さあ、いよいよイベントも佳境。ツイッターには撤退報告が散見されるようになり、近所のサークルさんにも店じまいを始めている方たちがいる。
即売会終了時刻は15時半だが、僕も15時15分くらいから片づけを始めた。
なんでもそうだが、お祭り騒ぎのあとは、いつもどこか寂しい。喪失感というか虚無感というか、「終わっちゃったな」って感覚が達成感とともに襲ってくる。
特に同人イベントは、即売会後すぐに撤収作業が始まり、あんなに人がいっぱいいたスペースがどんどん片付けられていってしまう。
本も、ポップも、ポスターも、タペストリーも、そして机も椅子も。そこにはもう、島中とか誕生日席だとか、壁サークルだとか流刑地だとかは、跡形もなくなってしまう。
僕は、少し感傷的過ぎると思いつつも、そういう状況がいくつになっても苦手だ。でも多分それは僕だけじゃなくて、誰でも少しは感じていることなんだと思う。
両替目的丸出しで入ったゲーセン、エナジードリンクにかすりもしないゲーム、会場までの道が不安なとき頼もしかったキャリーケースを引く人、ボカロ・スプラトゥーンの参加者と比べて年齢層は高くリア充感は低かった駅メモエリアのみんな、段ボールを見事にボールペンで開封するテクニック、本になってちょっとだけ上手に見えた自分の絵、センスのないサークルスペース設営、悲壮感のあるヤマト運輸の受付のような壁サークル、イベント開始前に「絶対買いたかった」と言ってくれたフォロワーさん、開場のときに沸き起こった拍手、「今は大手タイム…」のつぶやきに距離を開けられた両隣のサークルさん、見本誌を見ないで即買いしてくれる人、うららなら全部買うやべー奴、本なら全部買うやべー奴、とにかく全部買うやべー奴、見本誌をみてフッと笑顔になってくれた人、見本誌を見てもらっている間僕はどうしてればいいんだろう問題、ストラップの売り切れを悔しがってくれた人、中学の野球部のようなピュアな力強さを持ったうらら推しの人、おっさんマコの「この大ウソつき野郎!!」という視線、ゲットした戦利品。
その時はとても印象的で楽しかったことばかりだ。でも祭りの後にそれらを思い返すとき、どうしても感傷的な気分になってしまう。だけどそれはきっと、仕方のないことなのだ。そして、だからこそ、お祭りは楽しい。終わらない祭りはない。終わらない祭りなんてあったところで、それはただの日常でしかなくなってしまう。それでは、きっと、あの楽しさを、興奮を、ワクワクドキドキを、感じることなんてできなかったんだ。
そして、またそんな楽しさや興奮やワクワクドキドキに出会いたいから、そうじゃない日常を頑張っていかなきゃいけないんだよな。
僕は、すっかり片づけが進んでしまってガランとし始めた会場で行われている、アフターイベントのジャンケン大会を見ていた。イベント主催者と、景品を狙う参加者たちが一斉にジャンケンをして勝った人だけ残っていき、最後は参加者同士でジャンケンをして勝てば景品をゲットできる、まあ普通のジャンケン大会だ。
勝った、負けた、主催者がジャンケン強すぎて誰も残らなかった、そんな感じで大いに盛り上がって、みんな笑っている。その笑顔にも少し寂しさを感じてしまうのは、流石に僕が感傷的過ぎるんだろう。
ジャンケン大会が終わり、色紙抽選の結果発表で、僕の描いた色紙が無事誰かの手に渡ったのを見て、開場を出た。
ほんの気まぐれで、何年かぶりに本を作ったけど、これからまた、漫画でも描いてみようかな、と思えた。
おわり。
東京都に住むようになって15年近く経とうとしているし、何度も来たことのある街だ。
思えば初めて経験したアルバイトでの初めてのお給料を全て落として、電車代もないから家に帰ることもできず途方にくれたのもこの池袋だった。
5回くらいだけ通って嫌になって辞めたボーカルレッスンの教室があったのも池袋だった。
人生で初めて浮気をした相手とラブホテルに入ったのも池袋だった。
きちんと思いだそうとすれば、きっとまだまだあると思う。
今回はお金を落として途方に暮れているわけでもなく、身になっている気がしないボーカルレッスンに来たのでもなく、浮気をしに来たのでもない。そもそも僕にはしばらく恋人がいない。なぜだ。
ともかく、今日はいわゆる「位置ゲー」であるスマホアプリ「駅メモ!」の同人誌即売会、「フットバーしま~す!!9」(以下、フットバ9)に、サークル参加するためにこの池袋にやってきたのだ。
なお、ここから先の内容については、僕個人を特定されないために所々にフェイクが…というかもうほとんど創作の域に達するレベルでフェイクが織り込まれております。レポートとは思わないでいただきたい。フットバ9に参加してないくせに参加した体で書かれた妄想日記と思っていただきたい。やばい奴である。
フェイクのための設定が、偶然当日参加していた方にマッチングしてしまった場合はご容赦ください。できるだけそうはならないようにしてはいますが、リアルな雰囲気も欲しいため、当日会場で耳にした・目にしたことや、ツイッターで見かけたことなどを参考にして構成しております。
さらにそれを結構失礼な感じでいじっていたりするので、不快な気持ちになりたくない方はご覧にならないほう賢明です。
また、「駅メモ」や同人イベントはをご存じでない方にもできるだけわかりやすく書こうとは思いますが、キャラクターの名前などいちいち説明しているといくらなんでも大変なので、その辺はご容赦ください。
もちろん、フェイクがあるのは「ここから先の内容については」なので、僕にしばらく恋人がいないことは紛れもなく事実である。なぜだ。
朝家を出る前に、お釣りを用意するのを忘れていることに気が付いていた僕は、本来はダメなことではあるのだが、池袋駅から会場となるサンシャインシティの展示ホールまでの道中にあるゲームセンターで、両替をさせてもらおうと考えていた。どうもすみません。
立ち寄ったゲームセンターは開店直後ということもあってか、お客さんの数はごく僅かで、否が応でもキャリーケースを引きながら入店した僕は少し目立ってしまう。
同人イベントがよく開催されている池袋において、この時間帯にキャリーケースを引いて入店してくる人間は釣銭用の両替目的ですと自己アピールしているようなものだ。
僕は必死に取り繕おうと、UFOキャッチャーの景品のリラックマに顔をほころばせたり、エナジードリンクが景品になっているゲームの前で小銭入れを取り出して100円玉が入っていないことに気づいた振りをした。完璧な演技である。
もっとも、5000円札を入れ100円玉20枚と1000円札3枚に両替したのを誰かに目撃されていたら、
「エナジードリンクを手に入れるために2000円の投入を想定している男」
と思われてしまったかもしれない。同様の人を見かけた場合は、そっと優しくコンビニに行けば200円ちょっとで買えることを教えてあげて欲しい。
ともあれ両替を済ませ、退店する。本当にすみませんでした、ア〇〇ーズサ〇シャ〇〇店さん。
でも、一応何もせずに店を出るのは悪いと思い、エナジードリンクを狙ってみるかと2回ほどプレイしたのですが、1ミリたりとも惜しいと思える瞬間がありませんでした。この恨みは死ぬまで忘れませんよ、アドアーズサンシャイン店さん。
ゲームセンターを出て少し歩くと、サンシャインシティの入り口が見える。会場となるホールへはここからもう少し歩くので、初めて会場に向かう僕は迷わないか少し不安だった。が、僕の横を迷いのない様子で颯爽と通り過ぎて行ったキャリーケースを引く女性を見て、彼女についていけば安心だと確信した。オタク系のイベントに限らず、目的地までの道順に不安がある場合は明らかに同じ目的であろう人達についていけばいいだけなのである。同人イベントの場合、サークル参加者は高確率でキャリーケースを引いているのでなおさらわかりやすい。あと気持ち早足。
10時40分頃には無事に会場に到着。サークル入場証を2枚もらった。
本当であれば売り子をお願いしていた友人と一緒に来る予定だったのだが、友人の勤め先で集団食中毒が発生し、多くの社員が急な休みを取ったらしい。原因はどうも某社員の家で開催された飲み会が原因だったようなのだが、飲み会に誘われなかったため食中毒を回避した友人は、急遽フォローのために出勤することになってしまったのだ。飲み会には誘われないわ休日出勤することにはなるわで、可哀そうな友人である。
というわけでサークル入場証は1枚でよかったのだが、事前に引き換え用紙に必要数2枚と書いてしまっていたので、コミュ障な僕は何も言わず2枚受け取ってしまった。受付の人に「何コイツ。貰えるもんは貰っとくタイプの人?あさましい!」と思われてしまったかもしれない。
会場は思っていた以上に広かった。
同時開催であったボーカロイドのオンリーイベントとスプラトゥーンのオンリーイベントは、比較的サークル参加者も一般参加者も多い人気イベントの様で、3つのイベントの中で駅メモのイベントスペースは一番小規模だった。
しかし僕が入った時間はすでにサークル入場時間から1時間近く経っていたわけで、既に多くのサークルさんが到着しており、賑わいはボカロにもスプラトゥーンにも負けていませんでした。
(´-`).。o0(ボカロとスプラトゥーンと比べると年齢層が高くリア充度が低く見えるな)
おっと、すみませんなんでもないです忘れてください。
自分のサークルスペースに到着。俗に言う「島中」である。両隣のサークルさんはすでに到着していて設営もほぼ完了していた。
今日はよろしくお願いします、と軽く挨拶を済ませ、早速テーブルの下に届いていた段ボール箱に手をかける。今回僕が作った本が、印刷会社から会場に直接届いているのだ。
カッターを持って来ていないことに気づいた。段ボールを開封したり、不要となった段ボールを解体するためにも必要なアイテムだろう。今後機会があったら参考にしよう。
ひとまず、某倉庫でアルバイトしていた時に培ったボールペンで段ボールを開封するテクニックを駆使して開封。我ながら見事である。多分、今後機会があってもカッターは必要ない。
本はとてもきれいに印刷されていた。自分で描いた絵なのだから嫌になるほど眺めたはずなのに、きちんと本になっているとなぜだかちょっとだけ割増しでいい感じに見えた。
設営作業に入る。俗に言うサークル布を敷き、本を並べる。見本誌も用意する。そして、こちらも頒布するために用意した、駅メモのキャラクターをモチーフにしたバッジやストラップ、キーホルダーやシールを、ワイヤーネットを使って陳列する。ちなみにこれら、全部僕のハンドメイド品である。可愛い小物を夜な夜な生産するおっさん。絵的にはかなりきついものがあると思う。
いかんせんこういったレイアウトを考えるセンスがないので、自分でもだっさいなあと思いながらも、なんとか設営を完了した。
時刻は11時15分頃。ようやく少しだけ余裕ができたので、改めて会場を見回してみる。やはり、思っていたよりも広い。もう何年も前に某アニメのオンリーイベントに参加したことがあったが、その時の会場よりも全然広いような気がする。
サークルのスペースには、俗にいう「島中」「誕生日席」「壁」という種類がある。詳しい説明は省略するが、「島中」<「誕生日席」<「壁」の順で、サークルの人気度や知名度などがある程度現れている。
もちろんこれは絶対ではない。僕の主観も入っているし、あくまでも「そういう傾向がある場合がある」程度に思っていただきたい。
その中で「壁」に配置されるサークルを「壁サークル」と言ったりする。人気度や知名度が高いサークルで、そうなると当然作品のクオリティも高い場合が多い。
この「壁サークル」は、「島中」に配置されたサークルと違って、背後にある壁にポスターなんかを掲示することができたりするというメリットがあったりするし、「壁」に配置されることは大変名誉なことなのである。
が、しかし。
フットバ9の壁サークルのエリアは、島中や誕生日席が集まるエリアから若干離れているのだ。さらに、壁サークルの半分くらいはそこからさらに離れた場所に存在していた。
一般参加者がまだ来場していない時間、いくら知名度や実力のあるサークルとはいえ、サークルスペースの前に人が集まることはない。閑散としている。壁に貼ったポスターすらどこか悲壮感が漂っている。なんだったらヤマト運輸の受付と勘違いされかねない。
案の定ツイッターでこのエリアに配置されたサークルさんがもの申しててそりゃそうだよなって思った。
さて、いよいよ一般参加者の入場時間5分前、つまりイベント開始5分前だ。
この時、一人の男性が僕のスペース前にやってきた。
この方も僕と同じく一人でサークル参加されているようで、いざイベントが始まるとなかなかスペースから離れられないので開場前に購入しても良いか、と聞かれた。実際のマナー的なものはどうなのかわからないが、僕はとりあえず本が売れる喜びでOKした。ついでにキーホルダーも買ってくれた。
「宣伝見て、絶対買おうって思ってたんで開場前に来ちゃいました」
そしてすぐに一般開場。イベント開始のアナウンスがあり、サークル参加者たちが一斉に拍手する。僕もドキドキしながら拍手する。
やはりボカロ・スプラトゥーンエリアが目的の人たちが多いようではあるが、駅メモエリアにも早速人が押し寄せる。人気サークルの新刊や新作は、開始早々売切れる可能性もあるのだ。一般参加者はあらかじめカタログやイベントの公式サイトで目当てのものを探しておいて、開場後一番にそのサークルスペースに向かう。「走らないでください!」とアナウンスもあるほど、この開幕時の争いはそれなりに熾烈なのである。
僕がその昔、初めてとあるオンリーイベントに一般参加したときは、カタログをチェックするとかそういうことすら知らずに、ただなんとなく好きなアニメの同人誌が売ってる、くらいの感じで来場してしまった。そのため、開幕後のダッシュを目の当たりにして何が何だかわからず「とりあえずみんな急いでるんだからついていかないと!」って思ってついて言ったら全然興味ない作品のサークルに行きついた苦い経験がある。爆笑間違いなし。抱腹絶倒のエピソードである。今これを読んでいる方たちもスマホやPCの向こうで腹を抱えて笑っているに違いない。
さて、開幕して駅メモエリアにも一般参加者が流れてきているが、僕はというと過去のことを思わず思い返してしまうほど、ただ静かに座っていた。
開場して10分、15分が経過するが、僕のスペースには未だ誰も訪れない。
しかし、僕も過去にオンリーイベントではないが同人誌即売会自体には何度かサークル参加したことがあるから、さほど焦ってはいなかった。
開始直後に人が訪れるのは、大手サークルや人気サークル、もしくは同ジャンルのイベントに何度も参加していて、参加者同士で交流が多い人たちである。
今回駅メモのオンリーイベントに特に何の繋がりも盛ってない状態で参加した僕のサークルには、大手サークルで目的の買い物をあらかた終えた人が「さて、ブラブラと見て回りましょうかね」となるのを待たなければいけないのだ。
「今は大手タイム…今は大手タイム…」と心の中で繰り返していたが、少し口に出てしまっていたようで、心なしか両隣のサークルの方との距離が開いた気がした。
しばらくすると、予想通りチラホラと僕のサークルにも訪れてくれる人が現れ始めた。本やグッズがちょこちょこと売れていく。ものすごく嬉しい。
本を買っていってくれる人は2つのタイプに別れる。やってきてすぐ、見本誌も特に手に取ることなく「新刊1部ください」などと言って購入してくれる人と、見本誌を見た上で買ってくれる人だ。
前者はさらに4パターンに分けられるように思えた。以下の通りだ。
カタログや宣伝などを目にしていて、最初から買うつもりでいてくれた可能性はある。
まず売切れたりする可能性のある大手や人気サークルを回った後に、僕のサークルにきてくれた、というわけだ。
うららが好きだから、とりあえずうららが描かれているから買う、というのは大いにあり得る話だ。内容はどうだっていい。そこにうららがいるから買うんだ。
(´-`).。o0(ちょっとやべー奴じゃん)
おっと失礼、なんでもありません。
③ もうとりあえず本なら買うって人
会場では色んなサークルが様々な駅メモに関するものを頒布している。
漫画や小説、イラストなどの本や、キーホルダーや缶バッジや色紙、タオルなんかも売ってたりする。
そんな中でもうとりあえず本ならすべて買ってるっぽい人がいた。もちろん稀なタイプではあるが、一人ではないと思う。
おっとこりゃまた失敬、なんでもありません。
④ とりあえず全部買う人
(´-`)<間違いなくやべー奴じゃん
しかし、僕のサークルスペースがある島で、おそらく端から端まですべてのサークルでなにかしらを購入していた。両手を本やグッズでいっぱいにしながら。
と、まあふざけてはしまったが、買ってくれる以上僕にとっては大歓迎な、感謝すべき人たちである。
そして、後者の、見本誌を見た上で購入してくれる人。
この場合は、中身を見た上で購入を決断してくれているわけだから、ある程度の評価をもらえたのだと思うと、ノールックで買っていってくれた場合とはまた違う嬉しさがある。
もちろん、最初から買うつもりではいたけれども、一応流れとして見本誌をチェックしている人もいるだろう。中身が漫画なのかイラスト本なのかを確認しただけ、という人もいるだろう。
それでも、中身を見た上で買ってくれるというのは、なんだかちょっと嬉しいものなのである。
また、当然だが中身を見た上で買わずに去っていく人も多い。もちろん買ってくれるのが一番嬉しいが、意外と買ってもらえなくても、見てもらえただけで嬉しかったりもする。手に取って見ようと思える何かがあったのかな、と思う。
今回の本は、イラストを数ページ載せた後に4コマ漫画が数ページ、という構成であった。ペラペラとめくってくれている人の顔をこっそりうかがっていると、イラストのページを終えて4コマ漫画に至った後、少ししてふっ、と笑顔になってくれたりするときがあった。
勘違いの可能性もあるけど、4コマ漫画を読んで顔をほころばせてくれたのだろう。本の内容にリアクションをとってくれる人がいる、その事実が嬉しいのだ。
しかし僕は、見本誌を見てもらうことに、ちょっとした悩みがある。
僕のつたない画力が露呈してしまうということももちろんだが、個人的にはそんなの比べ物にならないくらいに、悩んでいる。
それは、「見本誌を見てもらっている間僕はどうしていればいいんだろう問題」である。
気まずい。とにかく気まずい。そしてやっぱり自分の漫画を目の前で見られていることが少し恥ずかしい。しかもつたない画力だし。
話しかけるコミュ力は持ち合わせていないし、そもそも見本誌をチェックしているのに話しかけられたら邪魔だ。かといって、何事もないようにスマホをいじっていたり何か作業をしているというのも感じが悪いように思えるし、あからさまにリアクションをうかがうようにじろじろ見ているのもなんだかプレッシャーを与えてしまうような気がする。
結果、僕はというと、「スッ…」である。
みんな、あの時間どうやって過ごしているのだろう。今度機会があったら気を付けて見てみようと思う。
そんなこんなで本もちょこちょこと売れていく。
僕程度の本でも買っていってもらえるのは、やはりオンリーイベントの恩恵だなと感じた。
そして、本よりも好調に売れていったのはグッズ類だった。
開始前にフォロワーさんが買ってくれたキーホルダーに続いて、本と一緒に買ってくれたり、グッズを単品で買ってくれたりで、初参加のサークルの割にはまあまあなペースで売れていたと思う。
「ストラップってここにある分だけですか?」と尋ねてきた方がいた。
「そうなんです、手作りで用意したので、数が少なくてすみません」と伝えると、ツイッターで見てリトのストラップが欲しい!って思ってきたんですけど…残念だ!と悔しがって、本だけ買っていってくれた。欲しがってくれたことがなんとも嬉しかった。
その後も、本もグッズも少しずつではあるが売れていった。
当日のイベント時間中もツイッターに写真を上げ宣伝をしていたので、おそらくそれを見て買いに来てくれているのか、まっすぐ僕のサークルスペースにやってきて、ノータイムで「○○ください」みたいな感じで言ってくれる人が多かった。
また、うららのバッジを買ってくれた人は本も一緒に買ってくれたのだけど、スペース前に来てまず「うららメインの本ですか?」と聞いてきた。「はい、うららメインです」と言うと、「じゃあ1部と、あとうららのバッジもください」とのこと。
思わず「うらら推しですか?」と聞くと、力強く「はい!うらら推しです!」と答えてくれた。中学の野球部かよ、と言いたくなるような、ピュアな力強さだった。
さて、会場には駅メモのキャラクターである「でんこ」のコスプレをした人が、 Permalink | 記事への反応(7) | 17:38
日曜の日本×南ア戦、結果は少し残念なものとなったが、ちょっと苦し紛れっぽくポストしたプレビューで試合の見所を紹介でき、観戦の良い補助線になったというコメントもいただき、多くの人に楽しみを提供できたかもしれないと思うと嬉しかった。
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日本代表の試合となると、勝ち負けの結果が最大の観戦ポイントとなるのは避けがたいが、そうなると負け試合になった時、ただ悔しい、辛い、つまらない、みるんじゃなかった、という思いも心に湧き上がってしまう。
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増田としては、それだけではなくて、事前に何をもって戦いに臨み、実際にフィールドで何が起きているのか、というところに目を向けて、このスポーツの面白みを発見できる見方を知って欲しかった。
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また、見方において日本戦だけでなく他の試合においても思うところあり、スコットランド戦のレビューでも触れたように、「勝者の物語」はまた「敗者の物語」という側面を持っている。
日本に敗れたチームや、強豪に敗れたチームの詳細にも触れて、普段の観戦よりもう少しだけ多くの視点からの風景を共有したいと思った。
そう言った意味では、ウェールズ×ジョージア戦や、ちょっとお説教を頂いた日本×スコットランド戦のレビューも、その遂行面ではともかく、視点としてはまあまあ気に入っている。
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さあ、準々決勝の4試合だが「多分リアルタイムで観るの難しいっぽいなー」と言っていたものの、蓋を開けてみるとクアラルンプールからの帰国便は6時間余りあり、機内のモニタでも国際スポーツチャンネルがあったので、19日の2試合はリアルタイム観戦ができた。
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さらに、南ア戦の翌日は1週間の旅の疲れを癒すために休暇をとっていたので、オンデマンド放送でウェールズ×フランス戦も観戦できた。
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詳細なレビューは書ききれないが、これらの試合を概観し、準決勝の展望についても触れたいと思う。
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イングランド×オーストラリアの試合は、伝統的な重くてシンプルなフィジカルラグビーに4年で鍛え上げた強力なオープン攻撃を組み合わせたイングランドの「進化型フィジカルラグビー」と、「ストラクチャー」ではあるが地上戦のランで組み立てる今となってはクラシカルなオーストラリアの「シークエンスラグビー」の激突となった。
「シークエンス(台本)」と言いながらも、オーストラリアはその布陣においてSHのウィル・ゲニア、SOのクリスチャン・リアリーファノ、FBのカートリー・ビールと試合のタクトを振れる3人を並べ、トリプル司令塔で攻撃に冗長性と予測不能性を加えていた。
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しかし、その3人をもってしてもイングランドの強固なディフェンスの穴を見つけることができず、長時間ボールを支配したにも関わらず、その時間に見合ったスコアを獲得できなかった。
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スタッツをみることができるなら、「ボール支配率(possession)」と「ゲインメーター(meters made)」に注目してほしい。
オーストラリアは62%もポゼッションし、イングランドの2倍以上の距離をメイドした。
にもかかわらずスコアにはつながっておらず、これは多くの場合、エラーやディフェンスにあって突破ができなかったという事で、非常に効率の悪い攻めをしていたことを意味する。
このことの視点をひっくり返してタックルに注目してみると、イングランドはタックル数において86回のオーストラリアに倍する193回のタックルを見舞っていたにも関わらず、オーストラリアの13回のタックルミスに対して21回のタックルミスしかしていない。
6.6回に1回捕まえられなかったオーストラリアに対し、倍の数を試して10回に1回しかミスしていないということだ。
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効率を無視したメーター数と運動能力で圧倒するのはオーストラリアのスタイルであり、簡単に変えるのが正しいとは言い切れないが、ボールを持たずに白い壁を作り、切り返しからの一発で獲るのもまたイングランドのスタイルであり、オーストラリアは自分たちのプランに持ち込めたが、遂行の面でイングランドに問題を突きつけられた、という形になった。
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オーストラリアとイングランド、双方のHC、マイケル・チェイカとエディー・ジョーンズはコーチボックスでブチ切れる事で名高いが、フラストレーションの溜まる展開も、結果はかなり一方的なものとなり、チェイカはキレるというより憮然としてしまった。
こうしてイングランドが準々決勝に次いでまたも準決勝に一番乗りした。
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スタイルを貫いたのに壁に跳ね返される展開となった第一試合だったが、第二試合で増田はさらに息を呑むような衝撃的な光景を目の当たりにする。
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今年のテストマッチでオールブラックスを破り、直前まで獲得した世界ランキング1位を引っ提げてW杯に乗り込んだアイルランドだったが、彼らはその「1位」という数字の当てにならなさを残酷なまでに突きつけられた。
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36%しか獲得できなかった「地域獲得率(territory)」、オールブラックスと比して8割ほどの回数はボールキャリーできたのに半分ほどしかメイドできなかった「ゲインメーター(meters made)」、クリーンブレイク僅か2回、そして最終スコアの46−14は、「どんなプランを持っていたにせよ、ほとんど何もさせてもらえなかった」という事を意味する。
オールブラックスとほぼ同じ回数タックルを見舞っていたにも関わらず、2.5倍もタックルミスをしてしまい、8回ものターンオーバーを喫している。
実際見ても、あの緑の壁が地上戦でズルズルと下がっていたのは恐ろしい光景だった。
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オールブラックスはアーディー・サヴェア、ブロディ・レタリックなど強力FW陣が躍動し、コーディー・テイラー、デーン・コールズ(驚くべきことに2人ともFWだ)、ジョージ・ブリッジなどの驚異的なランナーが次々とラインを破り、アーロン・スミスやボーデン・バレッドがその閃きで違いを作り出したが、増田は個人的POMとしてSOのリッチー・モウンガを挙げたい。
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この地味な司令塔は、敵陣に侵入し、すわ驚異的なアタックが始まるぞという時でも、デフェンスラインが浅いとみるやゴロパントを蹴って22mのさらに深くからのセットプレーを相手に強い、ボールが暴れるやドリブルで蹴だしてボーデン・バレットへ脚でのパス。
黒子に徹しながらも異常な反応速度と驚異的な回転の早さで黒衣の王者を動かした。
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緑の巨体を一蹴したオールブラックスが今度は白い壁がまつ準決勝に駒を進めた。
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細かい数字の話が続いたのでスタッツからは少し離れることにしよう。
ウェールズ×フランスは、準々決勝で唯一、1点を争うクロスゲームが演じられた。
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緑の芝に赤と青のユニフォームが映える一戦は、個人の閃きで予測不能な攻撃を仕掛ける青のフランスに対し、壁を作って切り返し、直線的なランとハイパント、サインプレーからの一発を狙う赤のウェールズという展開となった。
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前半からボールを支配し、次々と不確実性を突きつけるフランスに対し、守勢に回るウェールズは、数少ない攻撃のチャンスを得ても、ダン・ビガー、ガレス・デービス、リーアム・ウィリアムズの個人技しか出来ることがない。
そもそもウェールズは3フェイズ以上の攻撃になるとすぐに手詰まりを起こしてしまい、そこから先はキックと個人技と密集戦くらいしかやることがなくなってしまうのだが、その3フェイズの切れ味で尸の山を築いてきたチームだ。
ボールをもってジャズセッションを奏でたいフランス相手に気分良い時間を提供してしまう。
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しかし、しかしだ、フランスにはなぜかW杯で顔を出す、悪い、致命的に悪いクセがある。
前回W杯で密集のどさくさに紛れてオールブラックスのリッチー・マコウに芝との挟み撃ちにするプレスパンチを繰り出し退場者をだした様に、今回もLOのセバスティアン・ヴァーマイナがモールのどさくさに紛れてウェールズの選手に肘打ちを見舞ってしまう。
掲げられた赤いカードは同じ赤のジャージを着たウェールズにとっては幸運のカード、青のフランスにとっては逮捕状に見えたことだろう。
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ここからウェールズは徐々に息を吹き返し、ついには土壇場で勝負をひっくり返した。
フランスは優位に進めていた試合を自ら壊してしまい、涙を飲むことになった。
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W杯が始まってからというもの、「あーこりゃマズいな」という状況を執念でひっくり返し、薄氷の勝利の道を踏み抜かずに歩き続けるウェールズは感嘆に値する。
毎度毎度、怪我人の穴埋めで呼び出されて司令塔になるW杯男、ダン・ビガーは、男であればこうありたいと思わせる勝負強さだし、肘打ちを食いながらもPOMに輝いたアーロン・ウェインライトは全てのパパが見習うべきで、父たるもの大男はちょっと厳しくてもヤンチャな娘の肘打ちくらいには耐えないといけない。
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土壇場に強い男たちの活躍で準決勝3番目の椅子はウェールズのものとなった。
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準決勝はニュージーランド×イングランド、ウェールズ×南アフリカという組み合わせとなった。
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ここまで圧倒的な強さを見せつけるオールブラックスだが、相手に付け入る隙を与えずねじ伏せてきたのはイングランドも変わらない。
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しかしオールブラックスが優位に試合を運ぶのではないだろうか。
重厚でクラシカルなスタイルから進化して、未来型フィジカルラグビーとでもいうべき戦法で次々と対戦相手を沈めてきたイングランドだが、その選択肢の多さが逆にオールブラックスの付け入る隙となるかもしれない。
いっそランニングを捨てて激しく前に出る高速ディフェンスによってオールブラックスのモメンタムがつく前に潰し続け、ロースコアの展開に持ち込んだほうが勝機が見えて来るのではないかとも思う。
オールブラックスとしては、いかにして前に3mのスペースがある状態でボールを持つかということになる。
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名将スティーブ・ハンセンと、勝負師エディー・ジョーンズの采配に注目だ。
また、エディーがいつコーチボックスでブチ切れるかにも注目だ。
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南アフリカとウェールズの戦いに関しては、ともにフィジカルを盾にしたディフェンスに特色のあるチームであり、小細工を弄するような対戦になると考えづらい。
双方ともペナルティゴールを積み上げた上で、試合合計でも3個以内のトライを奪い合う展開になるのではないかと思う。
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自分の自尊心を守る為に見えてるものに目を瞑る誘惑には耐えなければいけないが、それでも南アフリカが優位にゲームを進めるのではないだろうか。
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翻って必殺の一撃が世界最高クラスのフィジカル相手にも通じるのか試さないといけないウェールズだが、どうもクロスゲームには縁があり、かつて日本相手のテストマッチでも70分過ぎのドロップゴールで逃げ切った経験がある。
今回ももし75分を過ぎて手が届く点差なら何でも起き得る。
綱渡りのうまい大男達がまたも勝負の谷を超え、頂への挑戦権を得るだろうか。
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日本の挑戦は終わったが、W杯で残された4試合はいずれも興味深いものばかりだ。
みんなも是非もう少しお付き合いいただきたい。