はてなキーワード: ファンレターとは
現在の推しに対してだけでなく、多分ガチ恋しかできないヲタクなのだとおもう。
これまで、自分の中の一番だった異性に対しては、その度にガチで恋をしてきた、つもりだ。
つい半年ほど前まで、私はあるジャニーズタレントのガチ恋ヲタクだった。学生時代から9年ほど、ずっと彼と結婚したいと思ってたしどこかで出来るかもしれない、と思っていた。当然、お金を積んで良い席にも入ったし、ファンレターを書いたりしたけど、夜の仕事やそれに近いことをする勇気はなかったし、自分の出せる範囲ギリギリのお金と体力を使ってヲタクをしていた。
多分、どんな手段を使ってでも彼に覚えてほしい、とか、繋がりたい、とか思っていなかったのは、いつかタレントになって彼と同じ立場で恋に落ちたい。と思っていたからだとおもう。
でも、例に漏れずメンヘラの私はいつも病んでいて、最後のほうは彼のどこが好きなのか、彼をほんとに好きなのかわからないくらい、彼を憎いと思う感情が勝っていた。勝手に傷ついて、勝手に怒って勝手に嫌いになって、どれだけ理不尽で邪なファンであるかはわかっていた。だからこそファンとしていつも自信がなくて、「私なんかファンじゃないほうがいいよね。」とか病みツイートを1週間に一回は垂れ流していた。
出会ったというより、見つけてくれた、彼は。
一人のジャニタレに一途になるのはつらすぎて、兼ヲタをして気持ちを分散するという術を得た私は、その頃別分野のステージに夢中になっていた。大好きなキャラクターがいて(これは現在進行形だが)このキャラクターに対しても、ガチ恋のような感情を抱き、この子に構ってほしい。気づいてほしい。という気持ちで毎週通っていたし、手作りのグッズも作っていた。
ある公演で、いつも通りそのキャラクターの手作りグッズを抱きしめていた私を見つけてくれたのが彼だった。
わたしの好きなキャラクターと同じ括りで出演していた彼が、私を構ってくれたのは不思議なことではないとおもう。今までも、コンサートや舞台で、一番好きな彼以外に構われることはあったけれど、だからといって、「一番好き」が覆るような、尻軽な女ではないことは自負している。
なぜあの時が、私が彼に向かうきっかけになったのか。今考えるとそれは、ヲタクである私を認めてくれた、と思ったからだとおもう。
真っ直ぐな気持ちを、そのまま受け止めてくれる。そういう人だ。
だから、私を構ってくれたのかどうかはわからないけれど、私は、「この人は私が○○を好きな気持ちを認めてくれた。」と思ったのだろう。
その頃もジャニタレにガチ恋していた私は、他の異性タレントに夢中になることすら浮気心だと思っていたので、負い目を感じながらも明らかに彼に夢中になっていた。
彼に気づいてもらえるように、構ってもらえるように、出来ることは全てした。結局は、ファンサ厨であり認知厨であるわけだが、本心で、認知されたいわけではなかった。
ただ、彼が私を見てくれたり、私に笑顔を向けてくれればそれが嬉しい。そういうものが欲しくて必死になった。
けれど、彼は私が彼のファンになった途端に私を見なくなった。
彼のファンがいるあたりを見なかったのか、私がいるから見なかったのかはわからない。
けれど、わたしの浮き足立っていた心はスンッと冷えたことを覚えている。
じゃあどうしたら見てくれるのか、構ってくれるのかを必死で考えた。さらに必死になったりもしたり、彼の演じるキャラクターのグッズを手作りしたりもした。
彼は私の目を見てはくれなかったけれど、そのグッズへの視線を感じて、私がいることはわかってくれてるんだ、と思った。
そして、考えに考えた結果、彼は自分のファンが自分に必死になって、その作品を見ない事、感じない事に傷ついているんじゃないか、と思った。
彼は演じている間も、あからさまに辛そうな顔をしていた。他の人にわかる程度なのかはわからないけれど、ファンになったばかりの私が気付く位には傷ついていた。
だからこそ、私はちゃんと作品を見よう、愛そう。それが、私を見つけてくれた彼に対する誠意だ。と信じて、他のファンと小競り合ったり、ピリピリした空気を出したりせずに、純粋にその公演を楽しむことにした。
確かに、彼のファンになったきっかけは構われたあの日。だけれど、彼のパフォーマンスに夢中になっていた。この時にはもう、だれよりも、彼のパフォーマンスを見ている時が幸せで、楽しかった。
そして、この公演の千秋楽。
彼は私がファンになってから初めて、目を見て手を振りかえし、頷いてくれた。
それからは転げ落ちるように彼のファンになっていき、いつの間にかジャニタレへの長年の恋愛感情も消えていた。
彼を見ているだけで楽しい。幸せと思えた時間は、どうして長く続かなかったのだろう。
彼が頷いてくれたあの日、わたしの頑張りを認めてくれたと思った。私が出した答えが、正解だって、示してくれたと思った。
彼はそういう人なんだ。彼にとって正しくないことをすれば、それ相応の態度を示される。その代わり、正しいことをすれば、些細な、大きな、ご褒美をくれる。
彼に見つけてもらえてから一年が過ぎて、彼は私がいるとほとんど必ず見つけてくれるようになった。
どんな場所だとしても、私が頑張らなくても、正しいことをしている私は彼が見つけてくれるし、ご褒美をくれる。
私は特別だと思った。
彼のことを特別わかってるし、彼もそれを知ってるから優しくしてくれる。
だって他のファンの人たちは視界に入っていなくても、私がいれば二度見してくれる。
私がいるのといないのじゃ違うの?私かどうかをそんなに確認したいの?
他のファンとは違うんだ。私は大事にされてるし、特別なんだって思った。
私が何をしても、彼の目の前にいけば彼は認めてくれる。
どこで傷ついたとしても、私がどれだけ人間としてクズだとしても、彼を好きなことは彼が認めてくれてるって思えた。
もちろん人それぞれだけれど、現実逃避のためにヲタクをする人は沢山いる。
彼の優しさに舞い上がって、私は特別だと決めつけて、半分ネタだけど友達には彼の妻だと名乗っていた。
それくらい、思いっきり舞い上がっていたし、それだけの自信があった。
恋人がいる、と言い切れるわけじゃないし、あらぬ疑いと言われたら何も言えない。
けれど、一度疑った気持ちは拭えない。
あれだけ信じていた彼が、突然わからなくなった。
今までなら、彼らしい。と流せていた言葉が、引っかかる。
どうしてファンを傷つけるようなことを言うんだろう。
にわかが、彼に目線をもらったとか、何かされたというツイートを見ても、優越感に浸りながら草を生やせたのに、今はもうよくわからない。
そこでやっと気づいた。
彼が、ファンと関係を持って身を滅ぼすような人じゃないことは最初から知ってる。
そういう、隙がないところも大好きだから。
自分に都合の良い解釈をして、それで現実逃避して、すごいなーアホみたいだなーと、急に客観的にガチ恋ヲタクであることを自虐的に見られるようになった。
自信がないから、すぐ疑う。
彼にとって特別じゃないことも、彼がくれた優しさも、言葉も、全部、100%で信じていたのに。今はよくわからない。
彼の周りにいる女の人たちさえ一人一人疑ってしまう。
彼にとっての正しさを守っていたいい子の私は、本当にいい子なわけじゃない。
彼に楽しくお仕事してほしくて、彼に好かれたくて、いい子と思われたくて、いい子をしていた。
もし、いい子でいたところで彼に選ばれないのなら、なんの意味もない。
最初からわたしは邪で、嫉妬深くて、歪んでいる、ガチ恋ヲタクだ。
彼は私のこんな気持ちに気付いているのだろうか。
気付いていたら私をどう思うのだろう。
嫌われたくないなあ。出来るなら、いい子と思われたい。
でも、いい子だから優しくしてあげよう、って思われてるなら、死ぬほど辛いなあ。
ジャニタレのガチ恋からやっと卒業できても、やっぱり、同じ運命なのかもしれない。
もし、これから辛い日が続くなら、このタイミングでやめてもいいとも思った。
けど、きっと、私がいなくなったら、彼は私を嫌いになると思う。
いなくなったらわかるくらいの存在でいられることはとてもありがたいとおもう。けど、あまたのガチ恋ヲタクが語るように、認知は辛いってことを、認知ヲタになって身に沁みてわかった。簡単に距離を置けないし、簡単に離れられない。
きっと、このままいい子でいられれば、彼はファンとして優しくしてくれるだろう。
わたしは彼を好きで居続けられるだろうか?
好きな人を嫌いになるのは、とても辛い。
.
あなたには なんのかんけいもない
さきに あやまらせてください
.
しゃいんさんです
いえ すきだったひとが
しゃいんさんになったと
いうほうがただしいかな
.
いつか てんかをとってほしいと
いのっていましたが
せんてんせいのじびょうと
りんくをおりました
.
そうです
かれは ふぃぎゅあすけーとの
せんしゅでした
もう かこけい ですが
.
なまえをだせば きっと
わかってもらえるくらいには
ながく
とくべつきょうかせんしゅとして
たたかってきた ひとですが
あまり めだつたいぷでは
ありませんでした
.
きらきらかがやく
あしもとのひとです
.
うつくしいすけーてぃんぐと
おてほんのようなとびわけぎじゅつ
うっとりするほどふかい
えっじわーく
びっくりするようなはやさ
いがいとまけずぎらいで ぜったい
いいわけをしない はやくちだけど
あたまのよさにうらうちされた
りちてきなこめんと
しずかなじょうねつ
.
すぐわすれものするし
なかまとふざけるいたずらすえっこ
でも いつのまにか とっても
めんどうみのいい おにいさんに
なっていました
.
おりんぴっくには
いちどしかいけなかったけれど
かれをおうえんしてきたことを
こうかいしたことは
いちども ありません
.
げんえきせんしゅでゆいいつ
はちきゅう
というさいこうのきゅうを
とうじ
しゅとくしたひとだったこと
うんどうしんけいが
めちゃくちゃよくて
とうそうちゅう を にげきったり
しきゅうしきでふぉーくをなげたり
してたこと
すぽーつげんきんの
こかんせつしっかんをかかえながら
たたかって
だれかのゆうきに なっていたこと
.
もっと たくさんのひとに
しってもらいたかった
.
かれのあしが せなかが
かんせつが きついれんしゅうに
たえられるわかさであればよかった
だれよりれんしゅうしたかったのは
きっとかれほんにん
.
わたしは ただのふぁんで
もちろん なにもできなかったけど
ことばがあります
それは
せかいいちのおうえんをわすれない
ということば
.
ななびょうしという
むずかしいきょくの てびょうしを
きっちりそろえる じぶんの
にほんのふぁんのこと
わたしたちは すきでやってるのに
ほこらしいと
いってくれてありがとう
.
ふぁんでいられました
.
きょうぎからいんたいする
とおざかるといわれたときは
たちなおれないくらい なきました
さいごのいちどきりのあいすしょー
えぴろーぐ というきょくを
すべったあとの
すたんでぃんぐおべーしょんに
めもとをおさえてたの わすれない
.
かれが りんくから さろうとも
ふぃぎゅあすけーと というものを
あいしつづけて
たくさんのせんしゅたちを
おうえんし みおくり
そうやってふゆは
めぐってゆくのでしょう
.
かれを おうえんする
ふぁんでいられた
これまでのじかんは
わたしにとって
せかいいち しあわせなひびでした
.
さいごに
どうか すけーとをすきなかれが
これからもすけーとをすきなままで
おくさんと とかげのびわさまと
しあわせに
.
ながながと ごめんね
よんでくださって ありがとう
.
あなたの すきなひとのおはなしも
よければ きかせてください
.
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
.
一番流行っていたときにいちどだけ送ったこのメッセージは、誰が読んでくれるとも思わずに、ただ深夜寝付けなくって、仕様もよくわからないまま打ち込んだ、「わたしの好きなひとの話」でした。ぽちぽちと打ちながらなんだかよくわからない涙がぼろぼろ出てきたのをおぼえています。
本文には名前を出しませんでしたが、タイトルにもあるように、小塚崇彦さんへの届くことのないファンレターです。
しかし、画面に収まる字数を考慮できていなかったようで、一ページ一ページが何とも言えない尻切れトンボになってしまっていたということ、そして致命的な曲名の間違いに送ってから気づいたのです。
当然直しようもありません。
ずいぶんまえのことですが、このネットの海のどこかに完成版を瓶詰めして流しておきたいと思い、大変今更ながらこれを書きました。
そして、予想外に嬉しいことに、なんとTwitterにあげてくださった方がいらっしゃったのです。
名前を出していなかったのに、小塚崇彦さんのことだと気づいてくださった、この世界のどこかにいる顔も知らないかたに、本当に感謝しています。
わたしもツイッターをしていて、そしてスケートファンの界隈というものは意外と狭いものですから、RTで回ってきたのです。あなたのツイートをお見かけした時のドッキリどあいと言ったら!恥ずかしくて直接名乗れず、お礼も言えずにごめんなさい。
はてな匿名ダイアリーの『売れないジャニーズJr.を好きになった。』『ジャニーズjr.に認知された感想』という記事を読んだ。
私は5年ほど前からあるジャニーズjr.の応援をしている。好きになった当時は、私も彼も中学生だった。身の回りではTwitterが流行りはじめた頃だった。ジャニーズjr.個人のテレビやコンサートについての出演情報はジャニーズネットなどには掲載されない。情報収集のために私もアカウントを作ったが、それでも今よりはずっと少ない情報、そして小さな財力でファンをしていた。
現在、アルバイトで稼いだお金のほとんどをジャニーズに使う生活だ。現場のための費用以外にヲタクと遊んだり飲んだりするお金やそのための洋服代なども含む。正直、リア友と話すよりヲタクとして知り合った友達と話す方が私は好きだ。リア友と話しているとどうしても共通の知人の悪口や噂話に発展してしまうことがある。面倒くさい。その点ヲタクと共有する悪口などといえば、よくある事務所に対しての文句や自担が置かれている環境に対しての愚痴などが多い。少なくとも私の場合はそうだ。そうだった。真剣に悩んではいるものの、こんな話をやめられないのもヲタクの性である。
ところがここ数年で仲良くなった友達数名の中に、いわゆる「つよいヲタク」がいた。担当はそれぞれ違うが、一緒にいると現実を忘れられてすごく楽しいし、ヲタクとしても人としても尊敬できる人たちだった。ただある日突然、会話の中に「列」という単語が浮上した。私は足を踏み入れていない域だったのでその場ではふーんそんな世界もあるのねと会話を聞いていた。しかし、その場にいた私以外全員が経験者だった。話を振られてしまった私が「そういうの行かないんだ…」と白状すると、一瞬静まり返った。怖かった。そしてスルーされた。
別に、だからじゃあ次並んでみようとかは思わなかった。並ぶ理由がないと思っていたからだ。けれど、並ばなければ聞けない楽しい話や、ヲタクだけじゃ予想しきれない次の現場についての話などもたくさんされるようで、少し悩んだのも事実だ。私は今の担当を担当して5年経つが、そういった世界に足を踏み入れていないばかりに、最近好きになった人より私の方が彼のことを知らないような気がしてきてしまって、少し悲しくなった。担当歴が長い方が偉いなんて思ったことはあまりない。けれどそこで、なんだか少し悔しくなってしまった。
私が、応援しているjr.に求めてるものって、そういえばなんだっけ?
「見られたい」わけではなかった。なんなら私は自分の顔面に恐ろしく自信がないのでできるだけ見てほしくない。彼の目にはキラキラ輝くペンライトと彼の名前が貼り付けられたうちわだけ入ってくれれば幸いだった。同担拒否というわけでもないので、彼が彼のファンに対しファンサをしている姿も好きだし喜んでいる彼のファンの子の姿を見るのも好きだ。たまに、私がその立場になってしまう時もある。正直、超うれしい。にやけてしまったり驚いたりしてしまう私の反応を見て楽しんでいる彼を見るのも大好きだ。書いていて、すごい矛盾してんなって思った。
私は、見られたい<見たい派だなと気づいた。どんなに近い席で入っても、バックを務める彼はどうしてもメインや他のjr.に被って見えなくなってしまう時がある。私はいつもそれが耐えられない。いるのに見えないのが耐えられない。だから、近すぎず遠すぎない距離を選ぶようになった。
そんなこんなで、5年という少なくはない期間、特定のjr.をそこそこマメに追って来た。が、おそらく自担には認知はされていないだろうなと思う。(その周りのjr.やメインのタレントには認知されてしまったかなと感じるタイミングはある)
ファンレターは1度だけFC宛てに出したことがある。担当になった当時だ。好きになった理由やこれからも応援したいんだというような旨の文章を書いた記憶があるが、なんせ中学生だった自分が書いた拙い文章だ。正直思い出したくもない黒歴史に匹敵する。それ以来書いていない理由は、書こうとしても単に伝えたいことが「大好きだよ!」「応援してるよ!」以外に毎回見つからなかったからである。もともと、私は彼の自己プロデュース力に惹かれたのだ。そのため、「こうしてほしい・こうすればいいのに」という私の感情はTwitterに吐き出したりたまに雑誌にはがきを送ったりすればもう充分だった。なんだかんだ最終的には彼を信頼したいのだ。
私は妙に、自らの応援スタンスに潔白さを求めてしまう。チケットを定価の10倍以上で買うこともあるが、もうそれはその時の自担を見るためには仕方なかったと思い、割り切っている。
例えばEXではカンペや公式のペンラ以外使わないだとか、少年収で持つうちわは1本だけとか、本当にそういう変なところにこだわってしまうのだ。くだらないなと思うかもしれない。自分でも思う。相変わらず矛盾もしている。自担はjr.の中では人気がある方だと思っているが、予測しきれない現場がなくなったわけではない。そしてなんとなく知る手段も知ってしまったわけだが、この性格のせいかそれを使う気にはなれないのだ。知りたいのに、踏み出せない。
少し考えて、そこまでするのがヲタクなら、私はヲタクじゃなくていいやと思った。
ヲタクの友達から赤裸々な色々な話を聞くのは勉強にもなるしやっぱり楽しい。けれど、私がそこに足を踏み入れる勇気はまだない。
踏み入れれば、もう少し彼のことを知れるのかな。もっとみんなと色々な話ができるのかな。
私なんかの存在や感じたことを知ってほしいんじゃなくて、彼が思っていることを知りたいのに。
私なんかを見てほしいいんじゃなくて、彼のことが見れればそれでいいのに。
ヲタクって面倒くさい。
今からもう2年前くらいの話になるが、若手俳優の追っかけをしていた。
追っかけをするようになったきっかけは当時若手俳優の追っかけをしていた友人のつきそいで舞台を観たら、その中の1人を好きになった。というわりとよくあるパターン。
別の日にも観劇予定だった友人にその若手俳優宛の手紙を劇場に預けてもらうよう頼み、数日経つと家に返信の手紙が届いていた。私が好きになった彼はそれが初舞台で、ファンレターも数通しかもらった経験がなかったらしい。
私が書いた手紙の内容に応えてくれていて、精一杯丁寧に書いてくれたであろうその手紙を読み終えた瞬間に、一生彼を応援したいと本気で思った。
元々のめり込みやすい性格というのもあり、舞台が決まればその作品の全通(=上演期間中全ての公演。)分のチケットをとって劇場に通い、感想をファンレターに書いて送り返信を喜々として読む日々を数年過ごした。
ある日、その若手俳優にある有名な2.5次元作品(=アニメ原作の実写化の作品。まだTV出演の望めない若手俳優は主に2.5次元作品で名前を売る。)の出演が決まり、ものすごい勢いで彼のファンが増え、Twitterで検索すれば今までにない量のツイートが検索に引っかかり嬉しかった。
稽古期間、上演期間、上演DVDの発売記念イベント....どんどんファンが増え、その間に新しい仕事が決まったりソロ写真集を発売したりもした。
写真集イベントにはゲストと称し仲の良い若手俳優を呼んではいたが、それでも一応半分は応援している彼のファンだったと思う。
私は自分が会場にいるファンの誰よりも応援している若手俳優にとって特別だという自信があった。
手紙を出して以降、全ての作品に全通していたので、もちろん認知(=俳優に顔を覚えられていること。)されていたし舞台のカーテンコールの時には顔が認識できる距離の席であれば目を合わせて手を振ってくれていた。
それに彼は私があげた服を着てるし、私があげたカードでスタバの新作を飲んでる。
彼からの返信の手紙は家に数えきれないほどある、きっと誰よりも多い数だ。絶対的な自信があった。
写真集イベントの最後に挙手制の質問コーナーがあり、当然指名してくれるだろうと思い手を挙げた。
残り3問、2問、ラストの質問。私が当てられることはなかった。
特別な私は一瞬にして消えてしまい、次の日には彼の出演が決まっていた舞台のチケットを全て手放した。
それから1ヶ月でその若手俳優に関してのグッズや雑誌も売ってTwitterアカウントやブログの更新通知も全て消した。思い出のつまった手紙も捨てた。
何かに取り憑かれたのか憑き物がとれたのかは分からないが、そんなこともあったな、なんて思えるようになっていた。
私が舞台やイベントに行かなくなってから数年経つと、見覚えのある住所から封筒が届いていた。
中を見るとチケットが2枚と紙が1枚丁寧に折って入れてあった。
Twitterで調べると、彼のファンが増えるきっかけとなった2.5次元作品はとっくに終わっていて彼の名前も、好きな俳優がたくさん羅列されているような定期(=Twitterの定期ポスト機能。自動で設定された内容がツイートされる。)ばかりが引っかかるだけだった。
人気がなくなってしまった後、とりあえず席を埋めてもらうためにチケットを送るなんてよくある話だったし、みんな魔法が解けたんだな、なんて思ってチケットは捨ててしまった。
中には紙が1枚入っているだけだった。
紙には携帯電話番号が二つ書いてあって2つ目には本人直通と赤字で書かれていた。
本人直通
彼の電話番号。
数年前、何よりも誰よりも特別だった彼の連絡先がA4のペラペラの紙に書かれている。
何度もその番号と彼の名前を反芻した。
発信ボタンを押す直前、質問コーナーの最後に当てられた人の質問を思い出した。
いままでで一番嬉しかったことはなんですか?
目を閉じれば今でも再生される。
こんなにもたくさんの人が俺のこと好きになってくれたことかな
ある日売れないジャニーズJr.を好きになった。
きっかけは簡単で、売れてるデビュー組のファンからの、いわゆる担降りというやつだ。
このタイプのジャニーズJr.のファンになるひとの大半がこの道を通ってきていると思う。
詳細は省くが、彼はほとんどテレビへの露出はなく、先輩のバックダンサーを務めるか、先輩が座長の舞台に出るかで1年を過ごしている。
コンサート、舞台。仕事数のわりに、彼は本当に人気がなかった。
知られていないわけではない。この界隈のジャニオタには名前も顔も知られていたし、目立つ方でもあった。
初めて彼を見に行ったとき、まだそれはあの子ちょっと気になる、程度の時期で、
初めて作った彼の名前のうちわを持って、大きくない会場の後方の席に入った。
数曲終わり、彼らが出てきて、ほんの数秒。何小節か踊ったところで、顔を上げて、私のうちわを見て、にこーっと笑って、指をさした。
それは一瞬の出来事だった。
その前何年間もジャニオタをやっていた。
何種類もうちわを作った。
目立つように目立つように、少しでも目に入るように、見てもらえるように。
しかし、自分が担当の視界に入ったと思えたことは一度もなかった。
他のメンバーにはあった。
しかし、こと担当には全く無縁で、まるで私は透明人間かおばけのようだった。
それが当たり前だと思っていた。
それが、初めての現場で。ほんの数秒で。
こんな世界があったなんて。
あっという間に夢中になった。
喜んでもらいたかった。
広い広い会場で、先輩の後ろで、ライトもろくに当たらず、出てくるときもハケていくときも、拍手も歓声もない
だけど私は、あなたを見にきたよ、と伝えたかった。あなたを見にきている人が、いるんだよ、と。
彼はいつもステージの上から顔をじっと見るから。うちわで顔の下半分を隠しても、見透かしているようだった。
そして、うちわのない現場でも、私を見つけるようになった。にこっと笑ったり、うん、と頷いたりするのは稀で、いつもほんの一瞬見るだけで、すぐに目をそらし、彼は彼の"仕事"に戻った。
相変わらず彼のファンはとても少なく、劇場に預けるファンレターは、いくつかの束になってるどれにも乗せられず、いつも机に直接置かれた。
20代も中盤に差し掛かり、ジャニーズJr.でいられる期間も残り少ないだろう。
劇的な何かが起きて彼に注目が集まり、売れてる若い子を押しのけてCDデビューすることも、たぶん可能性はない。
彼が自分の人生を見つめ直し、夢や希望(もしかするとある種の惰性や成り行きも)と、現実的な自分の将来を天秤にかけたとき、そしてそれが傾いた時が、
誰かのコンサートの初日、わらわらと出てくるジャニーズJr.に双眼鏡を向け、彼だけがいないことに気づいて愕然とするだろうか。
舞台出演者の発表のときに、彼の名前だけがないのを見て、静かに察するだろうか。
決して避けることができない、死を待っているかのようだ。
タイトルまま
ファッションなんてしらなさそうなバッグやハットにアクキーや缶バッジ付けてるヲタデブ女を見て優越感に浸る。
あとキャスケット被ってる女は総じてヲタくさい。それみても優越感に浸る。
私は努力して努力してダイエットしてメイクも覚えてファッションも勉強した。
ヲタにみられたくないから、そして俳優の目に綺麗な状態で映りたいから。
デブ女は安っぽいパーカーとどこで売ってるのか分からないデニムパンツを穿き、どこで売ってるのか分からない靴を履いている。
バッグにはグッズをジャラつかせスマホにもラバストやアクキーがふんだんについてる。
デブ女も私の推しが好きらしい。
お前そんな格好で推しの目に映りたいの?
それを横目で私は見る。
推しは私を認知している。推しがデビューしてすぐ何度も現場に通った。何度もファンレター書いた。何度もプレゼント贈った。
そしてようやく「いつもありがとう」「久しぶり!」を推しから言って貰えた。
軽々しく好きって言わないで。
接触がある時も優越感に浸る。
こんなに観に来ている人の中で私は推しに顔を覚えられている。
デブ女は覚えられていないだろう。
努力すれば報われた。
こんなこと誰にも言えない。
一ヶ月ほど前に、何年もずっと応援していたアイドルとオフで知り合ってしまった。
向こうが俺の顔を覚えてくれていて、それなりに盛り上がり、連絡先を交換したのだ。
正直今でも何がおきたのか良く分からない。
別に俺はかっこいいタイプじゃないし、ある意味無害だと思って連絡先を交換してくれたんじゃないかと思っているのだが、果たしてこの選択は正しかったのだろうか。
大好きなあの子に近づけるチャンスがあって、それを逃す勇気が俺にはなくて、交換してしまったけれど、彼女の連絡先が入ったこの小さな電子端末が、今ではすごく恐ろしいもののように感じる。
連絡先を交換したあの日以来、一度も個人的な連絡は取っていない。
だって何を彼女に連絡したら良いのか、俺には到底わからないのだ。
ただ、これからも彼女に会いに行くことを辞めるつもりもないし、今まで通りファンレターもプレゼントも贈るつもりだ。
俺はただ、彼女にとって良いファンでいたかったし、正当なファンでいたかったのに。
連絡先を交換したことで、知り合ってしまったことで、俺が何年も掛けて積み上げてきた「純粋なファン」という自分自身をぶち壊してしまったのではないかと思うと、それが一番怖い。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品を知っているだろうか?
2010年にシリーズ1作目となるゲームが発売され、翌年アニメ化。
そのアニメが大当たりとなりゲーム続編やアニメ2期等が制作され、今年は6年目に突入したコンテンツだ。
内容はいわゆる乙女ゲームで、プレイヤーは登場してくるアイドルのたまごたちの曲を作る作曲家となり、一緒にデビューを目指す。デビューを果たした後は彼らとの仲を育みながら、アイドルとして作曲家として共に成長していく…という、説明してしまえば何の変哲もないストーリーだ。
今年の1月にはさいたまスーパーアリーナで2日間に渡るライブも開催され、10月からはアニメ4期が放送となる。
この時点で「なんだ、おたくのジャンル紹介日記か」と思われたなら仕方ない。
もちろんこの記事はうたプリの存在くらいは知っている人を前提に書かれた記事なので、知らない人からしたらどうでもいいことこの上ないだろう。
それでも今、うたプリファンの一人として私はどうしてもうたプリの真髄のひとつ(だと勝手に思っている)でもある「遊び」について言葉にしておきたくてキーボードに向かっているので、もし少しでもこのジャンルに興味がわいたならぜひ知ってみて欲しい。
さっきも説明したけれど、うたプリはアイドルと恋愛するゲームだ。
シリーズ1作目の舞台はアイドル養成専門学校で、一応恋愛禁止だったりする。アニメでもその設定はガッツリ意識されていて、アニメ第1期放送時には「誰も校則守ってねえじゃん!」とまあネタにもなった。
しかし彼らと私たちプレイヤーは、アイドルと作曲家という枠の中で恋愛をしていく。
作品の大元であるゲームの中では個と個であり、そのストーリーは彼と私(あるいはヒロインである七海春歌)の物語だ。
しかしうたプリのすごいところは、「私と彼」という枠組みとは別にもうひとつ「アイドルとファン」という枠組みがある点だ。
一つ例を挙げたいと思う。
シャイニング事務所公認Twitterアカウント|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/twitter/index.php#.V84vgkjOyk8.twitter
これはシャイニング事務所に所属するアイドルたちがやっている(という体の)事務所公式アカウントだ。
このツイッターが始まったのは2012年のクリスマスのことで、まずアカウントが出来たところからすごかった。
各キャラクターの互いをフォローするタイミングから順番が見事にキャラクターらしさを外れず、キャラクターごとに異なるクライアントや写真撮影の技術。長期でつぶやくときには、仕事や移動時間まで計算し、どのキャラクターがどの新幹線に乗ったのか特定することだって出来た。
そこには圧倒的な"存在感"がある。
これが大いに盛り上がった。
もちろん、キャラクターツイッターの先駆者がうたプリだとかそんなことは言わないし(確かスタスカとかの方が早かった気がする)、こんなのスタッフが必死こいて原稿を打ち込んでるんでしょ、と言われたら元も子もない。
それでもそこにはプリンスたちが存在する"リアル"があったし、自分たちのツイートと彼らのツイートが並ぶ画面は現実だった。
(だからこそ2016年のシャニフェスプリツイに関しては、言いたいことがないわけではないのだけれどここでは割愛する)
そしてここでの彼らと私たちは、完全にアイドルとファンなのだ。
プリンスたちアイドルは決して恋愛の匂いをさせないし、何においてもファンとの関わりを重視する。
ツイートの隙間に、文脈に、ヒロインの存在や自らを投影する楽しみ方ももちろんあるだろう。
しかしプリンスたちの言葉は、恐ろしいほどのクリーンさを持った、アイドルたちからのファンへのメッセージなのだ。
もう一つ例を挙げる。
うたの☆プリンスさまっ♪サマーキャンペーン PRINCE SUMMER!2015|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/prince_summer2015/
これは2015年の夏に行われたうたプリのサマーキャンペーンのページだが、その中でもグッズラインナップの一つを見てほしい。
「メモリアルフォト」と題されるグッズの説明文には"直筆サイン"の記載がある。
うたプリシリーズのキャラデザをされている倉花千夏先生が"撮り下ろした"ビジュアルブロマイドとともに額装された"直筆サイン"色紙。合わせてお値段5,500円+税。
うたプリを知らない人からしたら何を言っているのかと思われるかもしれないが、このサイン入り色紙はプリンスたちが自ら一枚一枚書き上げた(という設定の)色紙なのだ。
入っているコメントも種類があるし、もちろん一つとして同じものはない。
私たちはそこにプリンスの存在を信じて、5,500円の色紙を買う。
決して安い金額ではないと思うし(下手すると映画が5回は見られる)、キャラクター自体が実在しないのにバカじゃないかと言われたらそれまでかもしれないが、私たちにとって彼らは現実を生きていて、そしてその存在を信じるために5,000円以上を費やすことが出来る対象なのだ。
倉花先生の描くプリンスたちは"撮り下ろし"だし、誕生日や記念日にプリンス宛に届く手紙は必ずシャイニング事務所へ届けてくれる。
バレンタインには事務所からのお知らせが毎年でるし、ファンレターの宛先もブロッコリー方シャイニング事務所だ。
今年の夏に行われたイベント"『Shining Dream Festa(シャイニングドリームフェスタ)』 http://www.utapri.com/sp/shining_dream_festa/ "でコラボレーションした世界的デザイナー丸山敬太氏とも、アイドルたちは"相談して"衣装を作り上げた。
私はこの夏感動したのだ。
現実のアーティストのライブ衣装なども手がけてきた丸山氏がうたプリとコラボをしてくれたこと、そしてうたプリの世界観をきちんと意識してインタビューやSNSで応えてくれたこと。
私たちの大切にしてきたアイドルたちが、世界に存在を認めてもらえたように感じたのだ。大げさと言われるかもしれないが、私はそれが何よりも嬉しかった。
うたプリはこうした壮大な「遊び」を大切にしてくれている。
これは私の個人的な考えなのだけれど、アイドルは二次元三次元にかかわらず、その存在自体が究極の「ごっこ遊び」だと思っている。
アイドルを名乗る彼ら・彼女らはステージというフィールドの上で、精いっぱい自らをアイドルとして作り上げる。
アイドルたちも人間だから、当然恋愛もするし食事もするし代謝もある。それでもその瞬間は私たちファンとアイドルというたった一つの関係だし、それ以上でもそれ以下でもない。
その関係性に夢を見るから、例えばアイドルたちに恋愛スキャンダルがあろうもんなら、裏切られた気持ちになる。ファンの信じる"アイドルと私"という関係性の他に、関係のない人物が"アイドルと恋人"という関係性を作り上げているのだから。
もちろんそんなこと思わないし、恋人がいたって全然気にしない!という人もいるだろう。
それでも私たち受け手とアイドルたちにの関係は、どう頑張っても"アイドルとファン"を超えることはない。
アイドルでも個である彼らプリンスと、作曲家でもファンでもある私たち"うたプリのファン"。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品は、その両面を楽しむことができる。
もちろん今までだってうたプリのやり方に困惑しなかったこともないし、キャラクターに関する重要な情報が後出しでぶれたりすることもあった。
それでも私が5年を超えてなおうたプリを応援しようと思えるのは、魅力溢れる楽曲や展開はもちろんのこと、うたプリの作り手たちがプリンスたちの存在を、生きていることを何よりも信じさせてくれるからである。
それが揺らがない限り、私は彼らを応援し続けるだろう。
アニメ4期もこれからの展開も、6年目を迎えたからこそ不安に思うことはたくさんある。
それでもそれ以上に楽しませてくれることを祈って、私はこれからもうたプリを応援したい。
応援していることが悲しくなってしまうようなコンテンツだけにはどうかならないで欲しいし、何よりも応援したいと思わせてくれるコンテンツでい続けてくれることを私は祈っている。
最近、あるメンバーのファンのTwitterでの呟きが少し引っかかる。
「メンバーが○○くんが喋ってても遮る」
「メンバーはもっと○○くんのことを理解して頑張りを広めて上げるべきだ、頑張れメンバー。」
「○○くんを除いて仲良しみたいに見える」
「どうしてもっと〜…」
「どうして○○くんが□□って言われてるときに笑うの?理解できない」
「☆☆くんや◇◇くんが居た時は○○くんの頑張りを評価してくれた」
挙げるとキリがない。
貴方が好きになった人はそんなに代わりに誰かを下げた評価をしないと輝けない人ですか?
彼は確かに「承認欲求」が高い人だとは思うけどファンがいるところ、ファンが分かるところで「おれのこと評価して」「もっとファンの前でおれのことほめて」って言ってたら精神年齢かなり低くないですか?
他のメンバーに「しゃがれ」とか散々言っているのを見る度に私は内心ヒヤヒヤして少し、傷ついてたし、言われた彼がちょっと悲しそうに笑う姿を何度も見たけどそれは覚えてないのかな。
私は関西人だからか好きな人がオチとして扱われていたら「オイシイ!」って思う。
「やめてよ、○○くんが可哀想」
っていう意見も分からなくはないけど、今ここでオチとして扱われることで次のお仕事に繋がることもあるんじゃないかなと思います。
そりゃたまには見てるこっちが心配になるときもあるかもしれないけど、本人が「僕傷付きました」とは言ってないならそれは「頑張れ」、いま頑張ってるんだろうね、でもいま私はこれ以外にきみを励ます言葉を知らないよ、って。「頑張れ」って応援します。
話してるのに遮られてたら
「あっ、今の話面白くないやつなのかな?」「スベる前にカットインしてくれてありがとうねメンバー」
って思う。「いやそれ面白くないからでしょ。仕方なくない?」って思っちゃう…私だったら。
テレビ番組とかってファンじゃなくても楽しめるものにしないといけないからできるだけ面白いトークをしないといけないと思うんです。「○○くんの話が聞きたい!」その気持ちも分かります。でもファンならその番組以外でも聞ける、ラジオ等。
「裏方として頑張ってる○○くんのこともっとメンバーは評価するべき!」
って意見。そうだね、評価してあげるのも大事、でもそれって評価したらメンバーかなり上から目線に見えませんか?
あと、私は裏方として頑張ってくれてる○○くんの事、『‘‘自ら”裏方のお仕事も率先してやってくれている』という認識なので「おれ、裏方やるから!頑張るからほめて!」ってそういう意識でやってるとは思ってません。彼はプロなんだから。
褒めてほしくてやってないでしょう?
きっと。
○○くんを除いて仲良しに見える?
アイドルはメンバーとずーーーーーっと仲良しこよしして横一列に並んで歩んでいかなければならない?
「ほら、俺らちょっと先に行ってるからお前も後追いかけて来いよ!」って切磋琢磨しながら進むアイドルはダメなのかな。
あと、「○○くんは純粋にアイドルなのにこんなことさせないで!そんなキャラじゃない!」って何?誰の中のイメージ?
キャラクターを掴もうとして頑張っている彼に、自分の中だけのイメージをぶつけて「違う!」ってちょっとひどいなって思ったりもします。
今はアイドルという肩書きだけじゃやっていけなくなっている。アイドルということ以外に何か個性や魅力がある方が仕事に繋りやすい。
アイドルであること以外の武器を身につけていて、彼もそれを感じ取っていて、新しいキャラクターを見つけようと必死に、前を行くメンバーに追いつくように頑張っている。のにファンからは「違う」と言われる。
他のメンバーと比べられて「他のメンバーは中途半端にアイドル以外の仕事をするな、本職の人に失礼だろう。○○くんを見習え。」って、自分のファンが書いてる。
私がアイドルなら、○○くんならこんなことを自分のファンが書いてるって知ったら恥ずかしいし、メンバーのことを悪く言われてたりしたら悲しい。
もうアラサーで、10年以上一緒にいるメンバーと「仲良くしろ」って、もうすこしアイドルの仲良し文化に自由があってもいいんじゃないかと思います。
メンバーが○○くんのことを尊敬してないと思いますか?尊敬できないってグループを抜けた人もいたね。でも今ある4人は尊敬できるから残ったんじゃないの?尊敬できないならその時に抜けてるんじゃないかな。
「抜けたメンバーがグループにいたときは○○くんのこと評価してくれた。」って。
そう思うなら文章そっくりそのまま手紙に書いてファンレターでも書いて送ればいいんじゃないかな。
今、頑張ってる彼の頑張りを潰すのが彼本人のファンだなんて本末転倒じゃないのかなぁと。
羽ばたきたいって思ってる鳥が、かわいいかわいいって鳥カゴの中で可愛がられてるだけじゃ羽ばたけない。
羽ばたいている鳥に 鳥カゴのなかで頑張って羽ばたこうともがいてる鳥のこと褒めてあげなよ!そしたら羽ばたけるでしょ!って、違うと思う。
とても大好きな芸能人にダメ元でファンレターに連絡先書いたらメール来た、とか、大好きな歌手の出待ちしてそれがきっかけで結婚、とか。
行動力がすごいなとは思うが、それ以上に大好きな芸能人と付き合おうとは自分は絶対に思えないな、と感じる。
テレビで芸能人が見せているのはほんの一部の顔だと思っている。
それでいいし、そういうものだと思って芸能人を好きになる(同性、異性問わず)。
芸能人と付き合うということは、その自分が知らない顔を知ることになる。
それが怖いというか、どうしてもそういう気にならない。
別に思っていた人より変な人だったとか、思っていたより怖い人だったとか、そう感じるのが嫌なのではない。
たとえどんな一面であっても、今までに築かれてきた自分の中の理想のその人が崩れてしまう気がする。
ましてその人が自分と手をつなぎ、キスをし、結婚し、一緒に暮らす。
そこから連想して、「イケメンが好きなんだろうな」なんて思うのは容易いと思います。
某青い鳥をしていると「派手でうるさそう」「アニメに否定的な人が多いんじゃないの?」とか、ジャニオタの中でも「このグループのファンは学生ばっかり!」「あそこのグループのファンはマナーが悪い!」なんて言う人も少なからずいると思います。
私は〝ジャニオタ〟と聞くと「きちんと学業なり仕事なりをまっとうしている人」というイメージを持っています。
1年間でCDシングル2~3枚出して、CDアルバムも1~2枚出して、DVDも出して、コンサートだってあるし。
雑誌だって毎月出るし、年度末にはカレンダーも出るし、写真集だって出てくる。
CDも初回AだかBだかいっぱい種類があって、収録曲全部聴きたかったら全部買うしかないなんてこともしょっちゅう……っていうか毎回それです。
コンサートに行くにしたってまずチケット代、その手数料、交通費、グッズ代、コンサートのために新しく買う洋服代。
1グループでこれですよ、書いてて嫌になるほどお金が飛んでいく趣味なんですよね。
だからこそ、きちんと仕事をして収入を得ている人、バイトをこなす学生なんかが多いと勝手に思っています。
テストでいい点取ってお小遣いもらったから普段買わない雑誌も買っちゃおうかなとか。
なんていうか、少なからずリア充してる人の趣味なんじゃないかなぁ、と。
ここで言うリア充は恋人がいるだけではなく、現実の生活が充実しているという意味も入っています。
私もジャニオタです。
後述の事によってグループの印象を悪くしたら申し訳ないのですが、ジャニーズWESTが大好きです。
むしろ逆と言った方がいいのかもしれません。
今大学生なのですが、授業は満足に出られず、精神科と大学の学生相談室と教務課と担当教授の研究室を行き来する毎日です。
原因は私にもよくわかりません。今病院の方でテストや検査を受けている最中です。
毎日「ああ今日も授業に出られなかった」「どうして私は周りの人と同じことが出来ないのだろう」「なんで大学に入ったんだろう」「いや就職したってこんなんじゃクズすぎて即クビだな」と考えます。
色々な方に手助けしてもらい、なんとか留年退学休学は免れそうというのが救いでしょうか。
「休学した方がいいのでは?」という意見も聞くのですが、そこは私だけでなく実家の問題も関わってくるのでとりあえず4年間で大学を卒業するということが私の人生の最善となっています。
まあこんなんで大学卒業したって一般的な社会人になれるとは全く思っていないのですが。
一人暮らしということもあり自己嫌悪に陥っても慰めてくれる人はいません。
実家から通える大学に行けよという声が聞こえてきそうですが、一人暮らしもまた実家の規則なので許してください。さらに言えば同じ県内に住むことも許されていないのです。
実家の人は私の現状を知っているのですが、それでも私を家に連れ戻すなどせずに、一人で病院に行き一人で暮らし大学を卒業しろと言いました。
だって今の私ただの金食い虫じゃん。これほどまでに生産性のないクズを私は知りません。
それでも、ジャニオタなんです。
ジャニーズWESTが好きで仕方がないのです。
ジャニーズWESTを知ったときも私は不登校モドキでした。(公式用語で言う不登校の定義には入っていませんでした)
初めて見た時は衝撃でした。
彼らが映るテレビの画面だけが、鮮やかな色彩を放っていました。
まぶしいほどの笑顔をカメラに向ける彼らに、一瞬で夢中になりました。
それから私は貯めていた貯金をジャニーズWESTのために使うようになりました。
もう何が楽しくて生きてるのか分からずただ機械的に起きて食事を摂り眠る生活をしていたのですが、彼らのファンになってからは違いました。
「来月CDが出るんだ。それまで頑張ろう」とか「今日は音楽番組に出るからちゃんとやるべきこと終わらせて早く帰ろう」とか、前向きに物事を考えられるようになりました。
毎日ゴロゴロしてる私がキラキラな彼らを見るのはなんだか罪悪感を覚えるな、と思ったゆえの行動でした。
そうしたらそれまで全然できなかった友達が、急にぶわっと増えました。
「なーんだ、私普通に生きられるじゃん!」と、思っていました。
私のこの症状は一過性じゃないって、忘れてたんです。
ある日突然学校に行けなくなり、しばらくしたある日突然何事もなかったかのように学校に行けるようになる人でした。
ジャニーズWESTに出会って学校に行けるようになったのも、もしかしたらその時期と偶然一致していたからかもしれません。
それでも、それに気づいたときには私の中ではもうジャニーズWESTが神格化されていました。
「あの時、学校に行けるようになったのはジャニーズWESTに出会ったからなんだ」
「私にとってジャニーズWESTは命の恩人なんだ」
今でもその思いは拭えません。
ああ、そうですね、去年天使の衣装を着る曲がリリースされたのですが、まさにそんな感じです。
『 そんじゃみんな ノルか?ソルか?
任せときなさい! 』
『 ちょっと待った、迷った時
オレを信じろよ 』
仕事を頑張っている彼ら。
家に引きこもりな私。
こんな奴がファンなんて嬉しくないだろうな。
学校にも行けない、バイトでお金を稼ぐことも出来ない、ファンレターひとつ送る勇気もない。
それでも彼らのファンでいることはやめられない。
とても面白く、アメトーーク!の中でも所謂“当たり回”に入ると思う。
先に説明をさせてもらうと、芸能人の中でも芸人はファンとの距離が近い方に入ると思う。
それなりに名前の知られた芸人でも、ライブで出待ちをするのはそう難しいことではないし、
送ったファンレターの返事が届いた、出待ちやツイッターのリプライを繰り返すうちに名前を覚えてもらった…なんて話は珍しくない。
随分昔のことだけど、主に舞台で活躍していた某芸人(以下A)のツイッターは痛いことで有名だった。
Aがエゴサーチをしていることはあまりにも有名だったものの、実害はない(そのあまりの痛さにAの相方が辟易していたらしいことを除けば)のでお笑いファンも特に気にしてはいなかった。
ただある日、Aは弾けた。
俺の思う主義主張をツイッターで掲げ、飛んでくるリプライに反論。
次にAのツイートについて引き気味の感想を呟いた人たちに、Aは軒並み絡み始めた。
そして最終的には、名前を伏せていた(見ればだれか分かるが検索にはかからないように配慮されていた)ツイートにまで絡み始めた。
ツイッターを使用したことのある人であれば理解できると思うが、非公式RTはツイートの加工ができてしまうので
一部のツイートは本来のツイートとは違った意味合いで、Aのタイムラインに流れてしまった。
Aをフォローしているファン全員が非公式RTされた人のホームまで見に行くとは思えない。
未だその人のことをろくでもないファンだと思ったままの人もいるだろう。
それから私のタイムラインでは、誰もAの名前を挙げてツイートすることはなくなった。
あの人が、とか、いつもの、のような、明らかに濁した表現が多くなった。
ツイート数を大幅に減らし、当たり障りのないことをつぶやくばかりになった人もいた。
鍵垢にしたり、そのままいなくなってしまう人もいた。
“名前を呼んではいけないあの人”“恐怖政治”という単語が思い浮かんだことを覚えている。
今となっては遠い昔の話で、Aはツイッターをやめてしまったし、Aの名前を普通に出してツイートする人も増えてきた。
Aが未だにエゴサを続けているのかは分からないが、個人的には性格上まだ見ているのではないか?と思ってしまっている。
とはいえ絡まなくなった今となっては、もうどちらでもいいのだけれど。
古参のAファンは未だに鍵垢や名前を呟かない人が多いのが、なんとなく事件が尾を引いていることを感じさせる。
久々にこんなことを思い出してブログを書いてみた。
私はあれ以降エゴサを公言する人たちは嫌いだし、Aのことも好きにはなれないままだ。
Aがいつか当時の痛さをネタとして昇華してくれて、エゴサーチ芸人に名を連ねてくれるのを待ちわびるばかりだ。
どうでもいい追記をすると
一度だけウーマン村本氏の炎上がタイムラインで話題になったことがあったけれども
けっこうまえだけど、ジャニ垢TLをわりと埋めてたJr認知〜みたいなダイアリーを見て、ふぅむ、と、そこからいろいろと個人的に考えた。
あたしの担当はいわゆるデビュー組で、いまはその子しか追いかけていない。まえはJrとかけ持ちしてたけど、その子がだんだん髪の毛を染めて、ピアスを開けて、黒髪信者とかじゃないけど、彼の「生まれながらの美少年感」がとんでもなく好きだったので、ほんのり茶色くなった彼の髪をみて、「ああ、かっこいいけど、あたしが求めてたものはなくなってしまったなあ」と思いつつ、悩みに悩んで彼の名前でつくったうちわを捨てた。
担降り、というジャニーズ独自の文化。もっと言ってしまうと、担当っていうのも独自の文化。アイドルはあたしを見ていない。あたしを知らない。ファンレターの返事は来たこともないし、出待ちもしたことがない。プレゼントも送れない。だからいつ降りたって自由だし、あっちにとってはひとりファンが消えるくらいなんてことない。だってあとからあとから、映画に出るたび、ドラマに出るたび、はたまた音楽番組に出るたび、ファンは増えていく。ジャニーズはおとろえない。あたしはそう思う。独自の文化やコミュニティで、ジャニーズというひとつの王国が出来ていて、ほかの男性アイドルとは一線を引いている。ほかのところとは1ミリくらいの小さな段差があって、その段差は決して上がることは出来ないと思う。ジャニヲタだし嘘だろと言われるかもしれないけど、あたしは別にジャニーズ信者ではない。友だちが追いかけてるアルスマグナとか超特急とか、DISH//とか、なんでもいいけど、そういうのを馬鹿にもしていない。アイドルはなんでも応援している人にとっては尊くて、愛を送りに送り続けるもの、そこに違いはないし、どんなアイドルだって誰かを笑顔にしているからみんなまとめてすごくて尊いと思う。なんていうのかな、女性アイドルでも、AKBは他と1ミリ差があると思う。握手会やら総選挙やらの独自の文化でAKBという王国を作っていると思う。そういうところはおとろえない。なんだかんだ、小学生のときぱっとテレビに出てきたAKBは、あたしが高校生になったいまもMステにかなりの頻度で出て笑顔を振りまく。カワイイ。
担降りの話に戻るけど、じゃあなんで降りれないのか、降りにくいのか、悩むのかっていうと、さっきも書いたようにあとからあとから増えてくファンに勝ちたいから。担当してる長さなんて関係ないよと言うけど、みんな心では思ってんじゃないのかな。いちいち好きになった日をしっかりおぼえて、恋して何日とかやるアレ、アレもジャニヲタ独自じゃない?あとから沸いてくるファンよりも、少しでも長く彼を好きな期間が長くって、彼のことを知ってると、優越感っていうのかな、そういうものを感じられる。アンジュルムのめいちゃん?が卒業だかなんだかって友だちが言ってたけど、そこも大きい。女性アイドルは卒業する。若さ、が大きいんじゃないのかなあ。学業とか、ほかの夢とか。いろいろ理由はあると思うけど、根本にはいつも若さがあるのではないかとあたしは思っている。担当グループの曲の歌詞にもあるけど、若さは武器だから……。対して男性アイドルって、あんまり卒業しない。若さは関係ない。けっこうお年のいってるジャニヲタさんがときどき思い出したように言うけれど、昔は一世を風靡して女の子たちの歓声を搾り取ったあと、男性アイドルたちは軽やかに速やかに、潔くその場を去ったと。しかしいまはSMAPだとか、TOKIOだとか、そういったお世辞にも若さに溢れてるとは言えないアイドルだっている。そうかと思えばジャニーズJrという、小学生から20代のはばひろく若いアイドルだっている。担降りって、こういうことだと思う。ジャニーズ独自の文化な理由、それは、「降りられるアイドルがジャニーズにほぼ確実にいるから」。ジャニーズから降りてしまう人だって中にはいるけれど、たいていかけ持ちを降りてひとりに絞るか、新しく担当を見つけてそっちに降りるかの二択ではないだろうか。ジャニーズという大きな王国の中で、担当が大きくなってしまった年下好きのお姉さんはかわいらしくてフレッシュなJrに降りればいい。クールな担当よりも、カワイイ笑顔を見せてくれる子にときめきたいならそっちに降りればいい。ジャニーズはホストクラブに似ていると思う。選り取りみどりの様々な男の子。お金さえ払えばほほ笑みかけてくれる。ときどきアイドルなんて追いかけてないで彼氏つくりなよ、と言われるけど、あたしは担当に本気で恋しているわけではない。付き合えるなんてまさか思わない。だけど彼の笑顔にときめき、甘い言葉に浮ついて、ふわふわと彼についていっている。彼氏とは違う、アイドルという存在に依存している。彼氏と違って会いたいときに会うなんてできない。私生活なんて雑誌等でときどき出てくることしかしらない。端的にいえば、悪いところを知らない。彼氏とは違うところ、ここがいちばん大きいと思う。あんまり会えない特別感と、なかなか下がらない好感度。これが女の子の心を焚きつけている。
あたしは別に、担当に彼女がいても良い。ステージとテレビでアイドルな彼を演じていてくれれば、私生活がどうだろうとかまわない。情報垢とかいって、本気で繋がろうとして、付き合えることを夢みて、彼の情報を集めている人を見ると、なんだかなあと思う。それはもうアイドルの意味がないんじゃないか。それだったら普通の人と付き合っても同じだ。何万人も彼に片思いしている人を押しのけて、彼のいちばんになりたい、という気持ちはわからなくもない。だけど……アイドルはテレビやら雑誌やらコンサートやら、そういったところだけで見れる彼を追いかけるべきとあたしは思うのだ。だってアイドルの彼は、そういう見えるところの彼でしかない。彼の職業がアイドルだろうと、そういうところを降りて街を歩き、家でご飯を食べる彼は、普通の男の子なのだ。普通の男の子は恋愛もする。あたしは自担が私生活で二股かけてる糞野郎だろうと、まさかの実はゲイだろうと、ひとりの彼女を大切に愛していようと、ステージでそれを滲ませずに、あたしたちをちゃんと見てステージを終えてくれれば、それでいいと思っている。ただし少女漫画でよくある、ステージで彼女を思いながら切なく歌うとかやりやがったら殴りたい。アイドルという仕事をしているときは、ファンを見てね。
写メ会の時にぎゅーっと抱きしめてくれるのも、
プレゼントした服やアクセサリーつけた写メを上げてくれるのも、
たまたま空港や駅で会った時に「今日もありがと」って声かけてくれるのも、
twitterのDMで「今日は目の前にいてくれて安心したよ」とか言われるのも
ぜんぶ、んんんんんんんんん〜好きいいいいいいいいいい!ってなる!!!!
釣られたい釣られたい、ステージの上に立つ人に釣られたい。
繋がりたいとか付き合いたいとか思わないけど、釣られたい!!!
こんなにたくさんおいしい思いしてるんだぜ!!!!!
でもそれを周囲のファンの友達に言うと嫉妬されたりはぶられたりするから言えないんだぜ!!!
HAAAAAAAAAAAとぅらいぜ!!!!!
まず僕が誰かって話だけど、大学駅伝でそれなり強いとこでやってた人間。僕個人も上位陣の実力。
で、そんな感じの大学生活を送ってたらかやっぱファンレターとかサイン色紙とかの対応で休日潰れるようなスター選手たちとも仲が良かったりするのよ。そいつらが箱根駅伝終わって実業団ランナーになった後どうなるかを書いてくね。
実業団ランナーは特性上、ランナーとして現役を終えたあとも会社に残れるパターンが多いんだけど人間関係の問題で残れない。あ、ちなみに実業団ランナーというのは駅伝選手がプロとしてやる場合の肩書みたいなもんだから。
この辞める理由だけど2つ合って、➀単純に馬鹿すぎて使いものにならないから。➁現役時代仕事手伝わないから嫌われてるから。
小学生ぐらいの文章しか書けないし、今までチヤホヤされてきたもんだから生意気な傾向が強くて会社としても持て余す。企業の対応もひどくて入社してもデスクがもらえず練習まで会社の中をブラブラさせてるなんてザラ。だから現役終えた後会社の仕事に入れず、辞める。
有名ドコロだと日清とかひどいね。1年目で即辞めさせられて、陸上界にコネがないやつはコーチにもなれないから路頭に迷う。日清もフォローしてやればいいのに、完全に使い捨てですわ。
後はマラソンで活躍できないと実業団選手としてはヤバイね。マラソンなら招待選手とかで一回100万ぐらいもらえたりするんだけど(結構いい感じの場合)トラック選手の場合そういった特別手当がほぼ無し。でかい大会で結果残しても特別報酬はゼロ。日本のトラック種目が弱いのはこの辺りが原因だろ!って仲間内では言ってるね、走るの普通にキツイから何かしら対価がないとやる気でないですよ。
僕自身中学から大学までスポーツだけで進学してたから頭弱くていま苦労してる。
高校生あがりで実業団は行っちゃってたらと思うとゾッとするね。早い奴はトヨタあたりが声かけたりするんだけど、現役終えた後がやばすぎて震える。
正直走っていて黄色い声援受けて舞い上がって、そのままスポーツの力で進学し続けると苦労するよ。中にはスポーツで進学してても頭いいやついるけどそんなのはごく少数かな。野球とかサッカーもそうだけど夢があるのように見えるのは本当に上位陣の数人だけで、他はお先真っ暗ですわ。勉強はしていて損ないよ。
こういうこと書くと「俺は上位陣に入れる」とか勘違いする奴いるけどあいつら競技に人生捧げてるよ?リアルに24時間365日その競技のことしか考えずに学生生活送れるなら可能性あるけど普通じゃ無理よ。箱根駅伝走ってる奴ら全員人間やめてるレベルだけど、あの中の5人ぐらいしか陸上界で生き残っていけないからね? 今現在で全国3位以内とかだったらスポーツだけで生きていくと考えてもいんじゃないのと、夢破れた先輩からのアドバイス。まじパソコンぐらいは使えるようになっとけよ!
【追記】
なんかすごいコメント数で僕びっくりデス。この文章酔っ払った勢いの愚痴みたいなとこあるのでちょいちょい盛ってます。あと読み返してみると「スポーツ選手になるな!」って感じになってるのでフォロー入れときますが、僕はスポーツに青春捧げてきましたが得るものが何もなかったわけじゃないです。むしろ普通に学生生活送ってたら体験できなかったことが沢山あるので、良かったとは言いたくないですが、悪かったとは思ってません。改めて伝えたい事を厳選すると人付き合いは大事にすることと、最低限エクセルと作文出来るようにしておいたほうが後々楽だよってことですかね。
最後に悲惨な人生を歩んだ人の例はやっぱ人づてに伝わってきやすいので沢山の事例を私が知っているというだけで、中には実業団にいって最高にハッピーな奴もいると思うので色んな大人と相談したり学校の先輩と相談したりして、実業団に行くべきかを考えれば殊更不安に感じることはないと思いますよ。(ただし顧問やコーチは大抵陸上界にズブズブなので信頼できるかどうかよく考えて相談すべし)
一般名はタンドスピロンクエン酸塩で、1996年に発売された大日本住友製薬の抗不安薬である。
このセディールはggったらわかるのだけれども、びっくりするほど評判が悪い。
私はセディールに丸2年ちかく、1日3回世話になり続けた。
途中何度か油断して断薬したりもしたが、
その度に「やっぱりセディールがないとだめなんだ」と反省して飲み直した。
どれくらい飲んだんだろう。700日間飲んだとしたら2100錠だから、21箱?
私はセディールが好きだ。人生を救ってくれたと思っている。とても感謝している。
できれば1日3回の用法が煩雑なので徐放とか開発してくれないかと思っているのだが、
というわけで、ネットにセディール万歳記事が見当たらないと悔しいので、
どうせこの記事も埋もれるんだろうけど、それでも書きたい。自己満足です。
長くなるけど自己満足っていうことで許してほしい。
セディールの話をしているからには、私は抗不安薬を飲まなくちゃいけないような人間だ。
幼い頃はADHDのクラスメイトとセットで爪弾きにされて、彼女の失禁の面倒ばかりみていた。
その後不登校になって自殺未遂して、……まあ波乱万丈に鬱々と生きてきた。
受験生のときに、駿台模試の数学で偏差値103とったことがあるくらい。
他人にはほぼ無関心を貫いていた私も、さすがに驚いた。
「こんなに簡単な問題を解けない人がいるらしい」という方向に。
別に数学自慢をしたい訳ではなく、抗不安薬の薬効を褒めるに当たって
どういったバックグラウンドの患者であるかを説明したいのだが、
数学ができそうなことを書いてみたが、私は基本的にテストが苦手だ。
知らない場所へ行くのも大嫌いで、場所が変わったらただ硬直するだけの人になる。
たまたま前述の模試は知っている予備校の知っている部屋で開催されただけで、
別の部屋で開催していたら多分偏差値なんて40とかその程度に落ちていたと思う。
たとえば「月末に試験がある」とか、いつもと違う予定になってしまったら
食事も食べられないし、部屋の片隅でずっと猫のように丸まっている。
両親はいつも「私に物事を意識させない」ように気遣ってくれていた。
幸か不幸か、観察眼もないし日付や時間もよくわからない人間だったので
騙し騙し手を引けば、何にも気付かずいつも通りに過ごしていた。
「今日は一緒に出掛けよう」←よくあること
「この席に座って問題を解いてね」←よくあること
で、誤魔化すことが可能だった。
子供だましのようだが、子供だましが看破できないからASDなので仕方がない。
しかし、そんな風に一から十まで他人に面倒を見させる訳にもいかないだろう。
大学受験の段階で、かなりムリがあったと思う。
一般企業で働くのは無理だと気づいて、手に職をつけさせようとしたのだと思う。
という訳で、向不安薬の存在をはじめて意識したのは、大学の教科書の上だった。
そのとき、私はまだ精神科や心療内科の世話になったことはなかったのだが
セディールが、セロトニン5-HT1A自己受容体に部分アゴニストとして作用するとか、
受容体が脱感作してダウンレギュレーションを起こすことは何となく印象に残った。
他の多くの抗不安薬はGABAa受容体のCl-透過性をどうの、という作用点なので
「あー全然違うのが混ざってる、へー」程度だったと思うが。
まあいろいろあって、職場を追い出され、実家でもちょっとトラブルが起き
元々神経過敏であった私は、あっという間に鬱っぽくなった。
あくまで「鬱っぽく」だ。
適応障害と言われたが、私の問題は適応障害云々とは別のところにあった。
そりゃ何もなくても泣き出したりしたりしたけど。
ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うが、
物音も人間の気配も何もかもが耐えられなくて、
外出してみたものの、机の下に隠れて出られなくなるような有様だった。
ちなみに、この時点でカウンセリングやテストを受けて、ASDが正式に発覚した。
また、これもよく知られていることだが、
私もその系統で、鬱や適応障害に投与される抗不安薬がほぼ使い物にならなかった。
たとえば、メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)という薬がある。
成人なら1回2mgで1日1回服用の、長時間作用型の穏やかな抗不安薬だ。
高齢者などで1mgで投与されることもある。
1mg飲んだところ、2日間に渡って朦朧状態、ほぼ40時間ぶっ通しで爆睡した。
メイラックスは比較的コントロールできるので今も世話になることがあるが
初日に0.5mg(1mg錠を半分に割る)、以降1日おきに0.25mg(1/4に割る)。
この使い方は、自分の体感を頼りに半減期などを考慮して自分で計算して決めたものなので、
他の薬の感受性が高い人が同じ容量で効果を得られることなどを保証するものではない。
飲んだら千鳥足、からの爆睡。半日以上目が覚めない、そればっかりで、
とてもじゃないけれども、外に出ることを前提に使えたものではなかった。
なお、三環系や四環系、SSRI、SNRIなどは未経験である。
かろうじて大学だけは卒業したものの、卒業したところで私は立ち止まった。
そのまま部屋の外に出られなくて引きこもって終わる可能性も覚悟した。
そんな時に処方されたのがセディールだった。
効果は薄いかもしれないけれど、と抑肝散と共に処方されたそれを見て、
そして、こいつに即効性はないはずだ、と引きこもりの頭で考えた。
知らない。知らないけど、俗に作用発現に2週間と言われているということは、
とりあえず長く見積もって1ヶ月、高コンプライアンスを維持しよう。
とかなんとか。
目標は抗不安効果ではなく、セロトニン受容体を殴ることだと割り切り、
効果の体感がほぼない分、服薬忘れに細心の注意を払ったと思う。
で、2ヶ月くらい飲んだ頃、正直、「あんまり効果ないな」と思った。
依然として不調な時は不調だったし、
そこで面倒になった私は、薬のなくなるタイミングで勝手に断薬した。
2週間くらい放ったらかして、何だかイライラする頻度が増した。
落ち着かない感じというのだろうか。
その時にはすっかり忘れていた強迫行動がぶり返した気がした。
ベンゾジアゼピン薬の消費が増えかけたので、
その時即効性を感じた訳ではないが、数日後にぴたりと強迫行動は止まった。
日付感覚がないので、カレンダーにメモする癖がついていたせいだ。
そして、しばらくして十分に安定した頃合いに、
その直後はなんともないのだが、
数日するとまた覚えのある強迫行動がぶり返す。
退薬症状でいきなり強迫行動のような特徴的なものが発現したら、
何度か間をあけて飲んでは止め、を繰り返し、
たまに本気で飲み忘れる日も挟んで
カレンダーに出来上がった記録を見て、思った。
なんていう内容をやっていたので、熱心に信じることにした。
頻度は減り続け、今では月に1度も必要ない。
そのうち周囲の環境が変化してよくなったこともあってか、
こだわりも飛躍的に軽減した。
もちろん、今日も私は時計が読めないし、日付はよくわからない。
試験とか言われると倒れそうにはなる。
数字が大好きで、統計データを眺めてひとりでテンションを上げている。
でも、もしかして……?と思うことがある。
数年前より格段に増えた気がする。
「今は『じゅうしちすなわちごじじゅうにふんという時間』なんだなあ〜」と素直に受け入れて、
気にせずスルーすることができるようになった。
思えば、私はずっと怖かったのかもしれない。
歩く時は地面しか見ていなかった。
気づいたら増えていて、気づいたら減っている変なものによって
だから見なかったし、感心を払わなかった。
何歳になってもずっとポケモンを見ていた。
私はたいへん臆病だったのだ。
ところが、その恐怖心が、なんだかこの数年でスーッと、静かに
砂の山がいつの間にか溶けてなくなっているような感じで、小さくなっていた。
全てセディールのおかげかもしれないとまでは言わない。
私が単純に成長しただけかもしれない。図太くなったのかもしれない。
世の中に怖いものが増える、という感覚はやっぱり戻ってくると思う。
最近の私が服薬を忘れる時というのは、何かに熱中している時だ。
慣れ親しんだ恐怖心が平行するように顔を覗かせるのだ。
楽しい気分の時に忘れた時なんて、完全に意識の外へゆくはずだ。
でもそうじゃない。
ということは薬効は100%気のせいではないのではないか、と思う。
私はASDで、薬物過敏だし、普通の抗不安薬で昏倒する体質なので、
ベンゾジアゼピン薬を飲んでも普通に起きていられる人には、セディールは弱すぎるのかもしれない。
セディールは、私のような誰かにとって救世主になり得る良い薬だ。
読んでくれた人がいる気がしないが、もしここまでスクロールしてくださった方が
いたのだとしたら、ありがとうございます。
大日本住友製薬さん大好きだよ。
推しがカノバレをした。
私は若手俳優オタクをしている。大好きだった漫画の2.5次元舞台をやるという話を聞いて、最初は全然興味がなかったのだが私の推しキャラのビジュアルが公開されてからというもの、私は見事にその俳優に堕ち、その人のことを考えない日がなくなった。それほど私の推しキャラが実体として表現されていることに感動したのだ。
私は必死にチケットをとり、一公演だけ観劇した。サイドシートだったけれどすごく満足した。ライブビューイングも行こうかと思うほど魅力的な1日だった。もともとバンドの追っかけをやっていた私には舞台という形がすごく不思議で特別なものだった。バンドのライブは基本的にみんなそのバンドの音楽を聴きに行く。色んな思いを持ってライブに行くと思うが結局は音楽に帰着する人が多数だろう。舞台というものはまたライブとは違った何かがあった。生のエネルギーとか、1人のほんの少しの動きで観客の受け取り方が変わる。とても面白いと思った。
それから自分の推しが出ているDVDや雑誌を買い漁った。私は収集癖があって、特にインタビューを集めてしまう。家にはすでに好きなバンドの出ていた雑誌の山や、好きなスポーツ選手のインタビューが出ていた雑誌の山があったが、そこに山が1つ増えた。
それが3ヶ月前くらいのこと。この3ヶ月で知らないうちにお金をたくさん使っていた。お金はどんどんなくなっていったけれど心はとても満たされていたので特に後悔はしなかった。これから推しのために必死に働けるならそれでいいと思った。
舞台を見に行ったとき、プレゼントとファンレターを渡した。当時舞台のことがあまり分かっておらず、ツイッターでプレゼントや手紙の受け取り口があることをフォロワーさんに教えてもらった。その時、自分は気持ち悪いオタクだなあとは思ったけど、やっぱり幸せだった。存在している生の人を応援するのはこんなにも幸せな事なのか、と思った。
私の推しは2.5次元界では最近とても売れてきて、今はきっと5つくらい舞台を控えている。そのうちの二つは座長だ。まだ20代だがこれまでに4つ座長を務めた舞台があった。割と若手のホープだと思う。私の推しはブログやインタビューを読むかぎり、とても仕事に対して誠実な人だった。少し前まで大学生で大学の勉強と仕事を両立してまで頑張っていた。そして頭がよかった。大学はかなり名の知れた大学に通っていて、しかも中学高校はそこの大学の附属だった。偏差値を調べてみたら中学が68。恐ろしいと思った。偏差値62の高校でどんどん落ちぶれていった私には、想像できない世界だった。
だから正直言って油断していた。
私の推しは演技力もあって仕事に対する姿勢もすごく真剣で、私が行った舞台のレポを読み漁ったけれど推しを批判するものは一つもなかった。それだけ評判もよかった人だった。
私は暇さえあれば、検索欄に推しの名前を入れ、ツイッターで検索をかけて見ていた。色んな舞台のレポで自分の推しが褒められているのをみて嬉しくなる、という行為を繰り返していた。気持ち悪いオタクだ。ただそれがひたすら楽しく、自分の生きる糧になっていた。
今年の春は忙しく、地方住みの私は推しの出る舞台に行けなかった。どうしても諦めきれずに申し込んだ、私の見に行った舞台の再演のチケットが、なんと1枚だけ当たり、泣く泣くチケットを探していた友人に譲り、推しがでる色んな舞台の物販の代行を頼んだ。そんな矢先の事だった。
いつものように推しの名前を入れてツイッターで検索をかける。すると「カノバレとかクソだ」という文字が目に入ってきた。
彼女だと思われる女性は前に私の推しが座長を務めた乙女ゲームが原作の舞台のヒロイン役で、推しの演じるキャラのルートだと2人は結ばれ、もう一つのルートだと、その2人の仲は引き裂かれ、推しの演じるキャラは狂ってしまうというものだった。その舞台ではキスシーンのようなものもあった。その子はすごくかわいかったのでお似合いだと思い私はちょっとほっこりした。
それから色々調べて、2ちゃんを覗いたり、彼女だと思われる子のブログを読み漁り、ツーショットや推しのことについて書かれた記事を見つける度にスクショした。そんなことをしていると、すぐにカノバレのソースだと言われた画像にたどり着いた。推しが付けていたものと同じヘアバンド。これだけじゃ分からないでしょ、と思いブログを読み進めていたが、ある一つの記事を読んだ後、私は確信した。この2人は付き合っている。その記事は私の推しが出た舞台を観劇したという内容だった。推しは主演ではなく、ぎりぎりメインキャスト…?と言ったところだった。がいつもの推しやいつも演じている役とは全然違うタイプの役を演じた。それに感動した、という内容の記事だった。当然ツーショットも一緒に上げられていた。私は分かってしまった。その文章をみて、推しにリア恋している私たちオタクそのものだと思った。そうだよね、かっこよかったもん。私もその舞台のDVDを観たから分かる。いつもの推しとは違う表情、鋭い目線。かっこよかった。
その記事を読んだら何故か心にぽっかり穴が空いてしまったようになった。
もともと私は推しをかっこいいという目線であまり見たことがなかった。ずっとかわいいという目線で見ていた。だいたいの人はかっこいいと言って見ていたけれど、私はかわいいとしか思ったことがなかった。
しかも友達とことあるごとに、推しには結婚して欲しい、支えてくれる彼女がいてほしい、幸せになって欲しいと言っていたし、推しが左手の薬指に指輪を付けた写真を見る度に、彼女と幸せになってくれ、と祈っていた。
前の舞台(その彼女と共演した)舞台で、推しはとても悩んで、稽古場で泣きまくり気づくと何処か1点を見つめて考え事をしていて(他のキャスト談)家に帰ってきてからもひたすら泣き、悩みすぎて眠れずに夢遊病のようになったことがあったと自身のブログで言っていた。そんな時も彼女がいたらいいのに、辛い時に支えてくれる存在がいればいいのに、私はと言っていた。(その時は共演していた親友に助けられたと言っていた)
そんな思いで見ていたのにカノバレしたのにかなりショックを受けた。
彼女はいて欲しいと思っていたのになぜだかショックだった。リア恋なわけでもなかった。ただかわいい推しを見ていられればいいと思っていたのにショックだった。
やらなきゃいけない事がたくさんあったのに、それに手がつかないくらいに混乱した。
ずっと考えてみて、ショックだった理由はきっと、推しを信用していたからだとわかった。推しは前にも書いた通り、頭もよかったし仕事に対して真剣で、プロ意識もきちんとあったし、演技力もあった。私は推しを信じすぎていたのだ。その舞台の再演も、推しより他のキャストの意識が低くとても心配していたところだった。こんなタイミングでカノバレなんてすごくショックだった。今たくさん舞台を控えている。座長の舞台もたくさんある。今が売り出し時と言わんばかりにいくつも舞台を抱えている今、カノバレするなんて。これで推すことをやめようなんては思っていない。変わらず私は推し続けていくし、グッズを集めるしたくさん舞台にも通うし、手紙やプレゼントもたくさん送るのだろう。ただ、心にぽっかり穴があいたようだ。推しが好きな気持ちは変わらないけど何故か苦しい。
そりゃ、頭もよくて真面目でいい人ですごくかっこよくて、こんな人に彼女がいない方がおかしいと思う。でも「彼女がいること」と「カノバレすること」は違う。みんな信じていただけあって、私の周りのオタクの反応は大きかった。でも、炎上したわけではなくてこじんまりとカノバレしただけだったので、それを知らずに推しを追っかけている人もいる。私の知っている中でカノバレを知っているのは3人くらいだろうか。ただ私たちは同じようにショックを受けた。
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。
私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。
初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。
中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。
チャンスだと思った。
私も親しい友人が全員別のクラスになってしまったため、一人で昼食を食べていた。私は彼女に声をかけようか悩んだ。中学一年の時一度話しかけた時にすげない反応をされたことが怖くてなかなか声をかけることができなかったのだ。それでも私はある日勇気を振り絞って言った。一緒にお昼を食べませんか、と。震える声で言った。私の不安をよそに、彼女はあっさり承諾してくれた。それから彼女と一緒に昼食を食べるようになり、どんどん彼女と親しくなり、ついには放課後の習い事まで一緒に通うようになった。
彼女は演劇部の花形で先輩後輩問わず大勢からファンレターをたくさんもらっていた。そのころ流行っていた文章投稿サイトでは常にランキングの上位にいた。出会い系に電話してのこのこやってきた男を眺めるといった衝撃的な遊びをやったりもしていた。まさに、私にできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれるあこがれるゥ!といった感じだった。
それに反して私は実に平凡だった。何のとりえもない、誰にも顧みられることのない地味な存在。満たされない承認欲求を持て余した私には彼女はあまりにも私の欲しいものをすべて持っていた。純粋に彼女が羨ましかった。彼女は常に求められていた。輝いていた。本当に平凡だった私はそんな彼女に一番近しい存在になれたようで有頂天になった。
しかし、だんだん私は物足りなくなっていった。私の彼女に対する感情と、彼女の私に対する感情がイコールでないことに気付いてしまったのだ。
というのも彼女は常に孤独感に苛まれており、さびしい、とか、どうせ私は一人なんだ、とかそんなことばかりを言い、私からしてみれば一緒にいる私はなんなんだ!?という思いにならざるを得なかったのだ。私からみれば彼女の周りは常に彼女を気にする人で溢れていたし彼女は確かに私を含め大勢の人から愛されていた。しかし孤独感なんてものはとどのつまり本人の感じ方次第で、客観視にはなんの価値もないということを解するには当時の私はあまりにも幼く、彼女の状況に寄り添ってあげられず彼女に対する感情をどんどんこじらせていってしまった。
とにかくネガティブな発言をし続ける彼女を否定し、私の望む彼女を彼女に押し付けた。押し付け続けた。まるで彼女の管理者であるかのように傍若無人に振舞った。さびしいだと言えば、何を馬鹿なことをあなたの周りにはこんなに人がいるのに甘えるなと言い、孤独だと言えば、あなたより孤独な人なんていくらでもいる被害者ぶるなと言った。ある時などは、彼女がひどく品のない替え歌を歌ったことがあった。私はそんな歌を彼女に歌ってほしくなかった。再三歌うのを止めてくれと彼女に言ったが彼女はやめなかった。私はついに彼女を平手打ちした。彼女の眼鏡が飛んだ。その後どうして関係を修復したのかまったく記憶にない。だが、飛んで行った眼鏡のことは今でも鮮烈に覚えている。
高校に進学し彼女が学校を嫌がり登校日数ぎりぎりになった時も、私は彼女にとにかく頑張れと言い続けた。あなたには才能があるのだからもっと努力すべきだと。気の持ちようだと。疎外感なんてものは気のせいだ、無力感なんて欺瞞だ、あなたは恵まれているのだからと。
私の言葉が届かないのは彼女のなかで私の価値が低いからだと思った。なんとか私の中の彼女の存在くらいに、彼女の中での私の存在感を持たせたかった。彼女に私を認めて欲しかった。私がいるということを認めてほしかった。しかし中身のないハリボテをいくら繕おうとも全くの無駄で、結局私の想いは報われることはなくそのまま高校卒業となり私と彼女は別々の県に進学した。
遠い地に離れ離れになったが彼女と疎遠になるのが嫌で、私はなんとか彼女との接点を持ち続けようとした。そのころはまだSNSなどはなく、当時彼女がやっていたHPサイトの掲示板に時折書き込んだりメールしたりするだけだったが、とにかく頑張った。連絡すれば無視されることはなく返事はあった。一年に一度会うか会わないかだったが何とか連絡がつく状態を保ち続けた。彼女の住んでいるところの近くに住んでいた友人を紹介してより彼女の情報が入ってくる状況を作ったりもした。なりふりなど構っていられなかった。
そうしているうちにSNSが台頭してきた。もともと熱心にHPの更新を行っていた彼女はSNSでは非常に饒舌で、SNSさえあれば彼女の日々の暮らしや考えていることなどが詳細に知ることができた。
しかしSNSでの彼女はあくまでも昔のままで、いつも自分の不幸を嘆いていた。世間に毒を吐いていた。だんだん周りが結婚し、子供ができ始めた。彼女はずっと結婚願望があり、何人も彼氏が変わったが結婚には至らなかった。
そんなある日彼女がフェイスブックで幸せそうな同級生の投稿に嘲笑われている気がして辛いと言った。日々の生活に行き詰まりを感じていた私はそんな彼女に自分を重ね、そんなに自分を追い込まなくてもいいじゃないかと言いたくなった。ずっと彼女に辛辣なことしか言えなかったが、いまこそ辛さを分かち合えるかもしれないと思ったのだ。
確かに彼女たちは幸せそうで、あなたの望む幸せを持っているかもしれない。私はあなたの欲しがる幸せを幸せとは思わないので彼女たちをなんとも思わないけど、私の望む幸せを彼女たちが持っていたら妬ましいと思うだろう。でも、私の望む幸せはあなたにとってはどうでもいいことだから私の妬みなんて的外れだと思うでしょう。それとおなじで、誰もあなたを馬鹿になんてしていないよ、元気を出して、と。
彼女は怒った。
励ましが欲しいんじゃない。こんなものはチラ裏なんだからいちいち構うな。放っておけと。
壊滅的なすれ違い。私の言葉は一切彼女に届かない、この関係はすでに手遅れだ。そう悟った。いや、ずっと気付いていたけど見ない振りをしていた。彼女の感情に寄り添えない自分勝手な私は彼女にとって彼女の大切な人ではないということに。挽回はもう不可能だった。
彼女はSNS上では他の人には会いたいと頻繁に言っているのに、私に会いたいと言ったことはない。連絡するのは常に私から。誕生日にメッセージを送るのは私だけ。
正直疲れたのだと思う。私の努力なしには継続しない関係に。あまりにも些細なつながりにしがみつき、これは友情だと妄信していた。しかし、こんな関係は友情とは言えない。友情ではないことをずっと認めたくなかったが、私はついに諦めた。
私は怒った彼女にごめんと一言だけ言って彼女をフォローすることを止めた。見ているとやっぱりなにか言いたくなってしまうから。彼女も翌日私がフォロー解除したことに気付き私のフォローを解除した。解除後私について一言だけ、もう会うこともないから別にいい、とのエアリプがあった。完全に彼女との18年にも渡る縁が断たれた瞬間だった。
長い、本当に長い片思いだった。震える指先でフォロー解除ボタンを押したとき、ちょっと私が泣いたなんてきっと彼女は思いもしないだろう。
ただ、いま久しぶりにフォロー解除前後のやり取りを見直そうと彼女のアカウントをのぞいたらなんとブロックされていた。
フォロー解除後はしばらくブロックされていなかったし(未練がましくちょっとの間フォロー外から眺めていた)、フォロー解除後も特に彼女に対するエアリプをしたわけでもないので、少なくともどこかのタイミングで私に対して何かを思うタイミングがありそしてアクションを起こしたのだ。どうでもいい存在であればブロックなんてする必要などないのだから、私という存在が彼女に何かしらの瑕疵を与えることができたのかもしれないことを少しだけ喜んでしまった私は、本当に救いようがない。
ヲタクというのが、一昔前ほど恥ずかしいことでなくなった。
例えば、女性アイドルグループが好きとか、アニメが好きとかをごく一般的な成人男性が公言しても、まあ珍しい話ではないと認識されるのが、今の時代。
あえて名前は出さないが、名前を出せば知ってる人は多いであろう男の子と言っておこう。
元々、特別子供が好きだったわけでもないが、普通にテレビに出てるのを見てるうちに、気がつくと番組やら雑誌やらネット記事やらを追いかけ、ファンレターも出し、イベントのゲストに呼ばれると聞いて旅行気分で出掛ける程にハマッていた。
たしかにこれは似てる。
じゃあ俺もひとつ書いてみるかとエディタを引っ張り出してきた。どれだけ似せて書けるもんかな。これをご覧の方もやったらいいんじゃないんですかね。んで、最終的には全世界の人間が「仰向けに寝転んだところに幼女のおしっこを浴びたい」などと発言するネット空間を目指すのはどうでしょうかね。だめか。
といっても元の文章がうまくて書くことがない。「おすそわけ」の部分はまさにそのとおりだなと思う。あと「原初的な感動」のとこ。俺自身、人生がクソみたいな状況にあっても誰が読むわけでもない言葉をエディタにたたき続けてきた。今も紙とペンがあればなにかしら書いている。それは呪いだ。ずっと昔、今から見ればゴミでしかない俺の文章をたまたま何人かが見て奇跡かなにか知らないが、面白いなと笑ってくれた。そんな呪いだ。そのときの胸にこみあげたなにかが、たぶん元の文章で言う「原初的な感動」なんだろう。まあ俺にはこれ、感動であり呪いとも思えるんですけどね。
でも、「読んでもらえる」ということだけですばらしいのは紛れもない事実。ただこれは「読む」だけじゃない。俺にとっては文章だが、ブログにのっけるのは絵でも写真でも動画でもいろんな形がある。内容だって万人に役立つライフハックネタだとかでも、アニメの画面からかぎ取った幼女パンツの香りの考察だとかでもなんでもいい。読んでもらう、見てもらう、聞いてもらう、それでなにかをおもしろがったりしてもらう。中身に巧拙の差はあるだろうが、それが俺の理解できるブログの形だ。
だから、炎上とかを狙って人目をひくことが理解できない。良い悪い、でなく俺個人が理解できないだけだ。イケダなんとかさんは名前をよく聞くし、文章も何度か読んだことはあるはずだが覚えていない。なので、イケダさんのことでなく炎上だとかのこと、元の文章で言うなら「付加価値」を利用して人目をひくこと全体に言及する。しかし元の文章のこの言葉選びはうまいな。
で、俺はそういう付加価値による集客で文を読ませることが理解できない。いったいその文章でなにをどう楽しませたいのか、それが俺には見えないからだ。
というわけで元の文章と俺は同意見で、「んじゃあ俺が書く意味ねーな」となった。だけど、それでもなにかしらをひねり出してでも書かなければならない。でないと、あれを書いた人に対してなぜか申し訳ない気分になってしまうのだ。これは私情であり、今読んでいる人たちには関係ないわけだが、可能なかぎりには超うまいカレーを作るつもりであるので、楽しんでいただけるとうれしい。俺がうれしい。
さて、上に書いたように理解できないわけなんだが「分からない」で終わるのも面白みがない。
で、無理にでも考えてはみたのだが、「ブログというものの意味が今と昔では違う」という、手垢がつきすぎて誰も口にしないレベルの結論しか浮かばなかった。そりゃそうだ。俺の「ブログ=文章をのせる場所」なんて認識がもはや少数派の思考でしかないのだから。
現代で求められるブロガーは、ブログに書いた文章を介して多くの人間に影響を与えられる書き手だ。もちろんその中身が面白ければそれに越したことはないが熱心な読み手との交流といった付加価値で影響を与えてもいい。twitterで仲間を広げる、セミナーで弟子を集める、オフ会で友達を増やす、そうして輪を作ってその中に文章を投げる。
勘違いしている人も多いが、その輪に投げられた文章は実に「面白い」のだ。笑いのプロが真剣に時間を掛けて考えたネタ以上に、仲間の間で次々に産まれるバカ話が面白かったりする。炎上なんてものも、身内だと武勇伝として熱く語られる。その「面白さ」には優劣も貴賤もない。プロだろうが素人だろうがだれかを楽しませるのは同じ。むしろ「面白さ」を生み出そうとする情熱も能力も、仲間向けのブロガーの方が高いこともある。外部から見ればなにひとつ面白みの感じない文章であろうと、仲間の嗜好にあわせきった珠玉の文章だったりするわけだ。
俺は、優れたものにはなにかしらの熱意があると信じている。ただむやみやたらに暑苦しいだけでなく心地よい熱意。そうした熱意のこめられた文章はやはり人目を強くひく。
だが、新しいブロガーのその熱意は文章だけに注がれているわけではない。だからダメだとかいいたいわけじゃない。彼らは外部から見えるブログの文章ではなく、彼らとその読み手がつながる世界を面白くすることに熱意を注いでいる。彼らはまぎれもなく誰かを明確に楽しませているのだ。
だとするなら、俺がイケなんとかさんとかのブログを見て、「なんも役に立つもんねーな」と外から言葉を投げたところで、彼らの世界にはなにも届きはしないのだろう。だからまあ、関わるだけムダとも言える。てか、批判している側の人間も意外と中に入ってしまえば楽しめるかもしれない。世の中には交流の力も文章の質も並外れて高く、あふれる熱意でとんでもない規模の「内輪」を形成しているブロガーもいるだろう。そういう人間になら、俺は素直に感心したいと思う。
しかしだ。こんなものは旧世代の人間のつまらない感情でしかないのだろうが、俺はただ寂しい。
文章一つで見ず知らずの誰かの心を強く揺さぶったときの、書き手としての感情。どこの誰とも分からない人間が書いた文章に腹がよじれるほど笑えた、読み手としての感情。それらは本当にかけがえのないものだったと思う。ブログの書き手とブログの読み手、ただそれだけでつながるようなブログはどんどんと消えるのだろう。SNSなんかが広がってこれだけ簡単に人と人がつながれる時代なのだから当然の流れだとは分かっている。
だが俺はそれでも思う。文章が自由に書け、それが誰かに読まれる。ただそれだけでもすばらしいことなのだと。
________________
とまあ書いてみたけど、私の文章で一瞬でも「もしかしてこっちが店長かな」とか疑ってくれたら幸い。(うーん、読み返してみたけど全然やった…)
私は底辺ブロガーなんで特定される心配はないけど、やっぱ店長はすごいな。元の増田を見返しながら書いたけど、見れば見るほど文体から店長っぽさが伝わってくる。
もしも他の人が文体模写で書いたっていうなら、それもまた超弩級の変態技術の持ち主だわ。
まあ、この文章は店長好きの気持ち悪いファンレターだと思ってくださいな。元増田を見かけて、うっひぃよおぉおおおんん!と喜びまくった勢いで書いた文章です。
今のはてなでは文章で読ませるってブログは少なくなりました。それは時代の流れで仕方ないことなのだと思います。
熱意が不特定多数に向けた文章以外、たとえばPV狙いの炎上や仲間内の交流だとかに注ぎこまれる割合が多くなったってだけで、「楽しませよう」「目をひこう」という気持ちにはたぶん変わらないのだと、私は信じています。
ぺらっぺらの内容の記事がホットエントリー入りしてイラッとくることもありますが、それも今のはてなの一つなんだと思います。
だけど、やっぱり私はまだ見たい。
交流系だろうが、炎上系だろうが、変態アニメペロペロ系だろうが、文書が面白ければなんだっていい。
私自身も微力ながら、でも自由気ままに、文章中心のブログを書きはじめました。(半分休止中ですが)
もっと見たいって言うなら、自分からはじめるしかないですしね。非力であっても。
だから、もしあの増田が店長だったなら言っておきたいことがあります。
そんな言葉なんて、まああればうれしいでしょうけど、本質的に求めていたものじゃないですよね。
批判にしろ肯定にしろ、書いた内容について真剣に言及されたいって思ったりはしないですか。
たぶん、今のままだと、増田に書くたびにそんな反応しか返ってこないと思います。
なので、ブログに腰を据えて、不特定多数に突き刺さるような文章を書いてくれませんか。
じゃないと、いつまで経っても「おかえり」で埋められる反応になるかなって思います。
そんなの寂しいんじゃないかなと勝手ながら思ってしまいました。
この増田を書いたのも、元の記事について、なにかしら踏みこんだ内容の反応を見せたかったからです。
単に人それぞれ感想が欲しい人もいれば、感想が要らない人もいるという問題では無い。
ここ15年でかなり深刻になっている事が有る。
特に最近はpixivや同人作家に声をかけてという仕事が多いおかげで増えた。
いつもの同人乗りでツイッターにメッセージを返したりするんだが、ファンと密に接するとファンがどうなるか。
3割程度のファンが【感想→評論→批評】と作品の内容まで口出しして来るようになっていく。
担当していた作家の1人がそれでストーキングに遭い、会社で話し合った結果作家はファンレターへの個別返信はせずに印刷年賀状を送るに留める対策をしたことも。
インターネットで手軽に作家と連絡が取れるようになってしまった結果、このような事が増えてしまった。
もちろん作家との距離を測れる人間もいるのだが、半分ほどの人間は親密になったからと気安くなってしまう。
作家の趣味趣向によほど合っていればプライベートでの作品は問題無いのかも知れない。
しかし、そんな事はほとんど無く熱心なファンほど批評に転じてしまう。
特に女性の作家はそのような目に遭いやすく、精神的に追いつめられ活動をしなくなってしまう人もいる。
それと一般の作家でもよく有ることだが、
ファンが100人いて99人は好意を持っていてその内の1人が好意の感想を言うとする、その発言威力は0.5程度。
しかし100人の内、批判をする人間が1人で威力2程度の発言をする。
これがどんどん差を付けて広がって行く、好意の感想は声が小さい、批判の感想は声が大きい。
そして批評の意見も聞く事で作品の方向を変える事もあるが、大量の悪意にさらされつつその行為をするのは苦痛を伴う。
http://anond.hatelabo.jp/20160107235839
絵師ってものが嫉妬を集めているっていうのは現実として目の当たりにはしてるんだけど、何がそうさせているのかは今ひとつピンときてない。
みんなそんなに絵を描きたいの? マジでかな。でも今時、敷居低いよ。はてなする程度のパソコンで、画材としては十分だよ。つまり目の前の箱で今なう描けるよ。
絵を描きたいわけじゃなくチヤホヤされたいって言う意見も聞いたけれど、別に絵がうまくても、そんなにチヤホヤされないと思うよ。
費用対効果で言えば、お金持ちに生まれたほうが手っ取り早くチヤホヤされるよ。「生まれは運だろ」っていうのならば才能の有無も運だし。「いや絵のうまさは努力だろ」っていうならその場合「じゃあみんなも努力すればいいじゃん」だし。
とにかく、チヤホヤされるための手段として、絵はあんまりコスパ良くないと思うよ。プロになってもファンレターバンバン来るのは上のほうだよ。
いいや同人で有名になればファンのコスプレ女子バンバン食えるんでしょう、とか聞くけれど、ないから。それエロ漫画の読み過ぎだから。もしあったとしても、その場合、絵の巧さ以上に、そいつにはコミュ力と女性に対しての積極性とタフさがあるだけだよ。絵がうまくたって、自分を傷つけないようなおとなしめの巨乳の女の子が前戯もなく股を開いてくれるとか、ないですよ。っていうかそういうところで女の子を食える要領のいいやつは、絵の腕と無関係に食べちゃえると思うよ(そういう人は割といるよ)。
チヤホヤされるためにも、彼女作るためにも、やっちゃうためにも、「絵がうまくなる」なんてのは迂遠だしコスパが圧倒的に悪いよ。
同人で有名になれば、毎朝ラッシュに電車に乗らないでも数百万円稼げるんでしょ? という意見も聞いたことがあるけれど、それも、そうそううまくいかないと思うよ。そういう人がいないわけじゃないけれど、まず非常に敷居の高いレアケースで、絵の巧さ以上に、サークル運営とか人付き合いとか重要だよ。同人ってコミュ力なしで行けるような場じゃないよ。それに、もし仮にそういう稼ぎが出るようになったとしても、それを維持するのは天文学的に大変だよ。同人で400万円稼ぐのと、それを10年維持するのはぜんぜん違うことだよ。消費者の絵の好みは変わっていくわけだし。それって、要するに起業して個人事業主になるってのと全く同じことだもの。
お金を儲ける、という視点で言えば、サラリーマンの方が数百倍有利に生涯年収稼げると思うよ。大部分の同人サークルなんて赤字かトントンなわけで、ヒット率とか考えれば、コンビニバイトよりもずっと儲からないよ。
絵を描けるようになるっていうのは、極端に言うと、絵を描くためにしか役立たないよ。その他の希望を叶えるためには、効率が良い手段がもっと他にあるよ。
今現在絵が上手い人は、まず最初に絵が上手くなりたいから(その動機は他者に伝えたいとかまあ色いろあるにせよ)なっただけで、金がほしいとか彼女欲しいとか、そういう目的を果たすには他の手段のほうがよっぽど簡単だよ。いまプロとしてお金を儲けてる人は、成行きで偶々それを手にしているけれど、それそのものが目的だっていう人は少ないと思うよ。金を得る「だけ」なら他の手段のほうが有効だから(もちろん、才能が偏った個人はいるものだから「絵を描く以外に生活費が稼げない無能/異能者」はいるよ)。