はてなキーワード: 推し変とは
「検索避けしてください!」
「R18を投稿するなら鍵かけてください!」
女オタク界隈には実に様々な内輪のルールが敷かれており、それを逸脱した人間は仲間内で晒し上げられ叩かれることになっている。
その内輪ルールは決して明文化されたものではない。公式の声明や各投稿サイトの規約にも書かれてはいない。
女オタク個々人の中でなんとなく醸成されたマナー、その最大公約数的な「空気」によって非常に曖昧に定められたものである。
男性オタクから見ると奇っ怪としか言いようのない女オタク界隈の内輪ルール。
この奇習は一体どのようなものなのか。どういう理屈でなぜ作られたのか。
・「検索避け」
・「カップリングの明記」
要は、「そのコンテンツを見て不快になる人に配慮しよう」という大義名分のもと様々なルールが敷かれているわけだ。
これだけ聞くと「良いルールじゃん」などと思うかもしれないがそうではない。
彼女らのルールは各サイトの規約等の上位として界隈内で君臨している。
Twitter上で成人向けコンテンツを投稿する際、投稿主は鍵垢でなければならないという内輪ルールだ。
男オタク諸兄は信じられないと思うが、女性向け界隈は「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎ルールに支配されている。
これは本当である。
絵に心得のある男オタクは、試しにディズニーツイステッドワンダーランドのエロ絵を描いてTwitterに投稿してみると良い。
「主人公(女)✕適当なキャラ」のエロ絵をそのキャラ名のハッシュタグを添えて投稿すると、すぐにお局腐女子オタクの襲撃を受けることができるだろう。
言うまでもなく、Twitterの規約上「エロ絵を投稿するときは鍵垢にしなくてはならない」などというルールはない。
しかし女オタク界隈ではそんな規約は無効とされ、「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎の因習が一般常識として語られる。
このとき、イラストのタグに「刀剣乱舞」と入れた場合、晒されて叩かれるおそれがある。
「なんで刀剣乱舞の二次創作で刀剣乱舞ってタグを入れちゃいけないの?」と。
だが、女オタク界隈には公式タグ、原作タグを使用してはならないという因習があるのだ。
刀剣乱舞の例では、BLに関しては「刀剣乱腐」、夢女子向けのものでは「刀剣乱夢」といったタグが使われる。
そもそも検索避けせずに原作名を書き入れることすら忌避されているのが現状だ。
Twitterにおいて刀剣乱舞のBL語りなり夢語りなりをしたい場合、「と/う/ら/ぶ」等といった形で表記しなければならない。
先に上げたディズニーツイステッドワンダーランドでは「twst」といった隠語が使われる。(淫夢語録かな?)
「原作者の目に触れないようにするため」
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
以下、男性オタク諸兄が思うであろう疑問、反論を代わりに書いておく。
「原作者の目に触れないようにするため」
・そもそも原作者だって自身の作品を検索したとき二次創作が表示されるのは織り込み済みなのでは?
・自分の作品のBLなりエロなりが見たくないならセンシティブ除外等の設定をして検索するのでは?
・自分の作品でエロ二次創作を作られたくないというなら二次創作の規約で禁止すればいいだけの話なのでは?
・それでもまだエロ絵が投稿されるなら通報すればいいだけの話なのでは?
・いずれにせよ原作者が二次創作についてどう思ってるかもわからないんだから勝手に作者の気持ちを忖度して意味わからんルールを敷くのは意味不明では?
・そもそもBLやエロが苦手ならそれらをマイナス検索すればいいだけの話では?
・マイナス検索の利便性の観点から言えば検索避けなんて逆効果にしかならないのでは?
・ネット検索したら不愉快なコンテンツを目にする可能性があるってのは常識では? みんなそれを了承したうえでネットを使ってるのでは?
・Twitterの規約には「不快なコンテンツに触れる可能性があることを了承してね」とあるんだしBLやエロを見て不快になりたくないならTwitterやめればいいだけの話なのでは?
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
・原作名で検索したとき公式以外のコンテンツも表示され得るなんて常識なのでは?
・検索する側もファンアートが出てくる可能性なんてわかっているのでは?
・仮にわかっていない奴がいたのだとしたら単にそいつが情弱のバカってだけの話であり配慮するに値しないのでは?
・そもそも今のGoogleの検索アルゴリズムから言って単語の合間に「/」や「.」を書いて検索避けしても意味ないのでは? 普通に検索にヒットするのでは?
「苦手な人に配慮しよう」というのは創作者側個人が勝手に判断するべきことであって、他人に強要できるルールではない。
女オタク界隈の「検索避け」「原作タグの不使用」「エロ絵の鍵垢化」等のルールは、他人に押し付けられるだけの理屈を伴っていない。
それはなぜなのか__。
「自分の好みでないカップリングの作品にうっかり触れてしまった」
「BLを漁っていたらうっかり自分の苦手な夢女子向けコンテンツに触れてしまった」
そんな状況のことを「地雷を踏む」などと言う。
まともな人間なら地雷を踏んでも見なかったことにして終わりだろう。
例えば「純愛もののエロ漫画を漁っていたらうっかり陵辱ものに触れてしまった」なんていうとき、男オタクの大半は好みでない作品をスルーしてさっさと好みの作品を漁る作業に戻るはずだ。
大半のオタクは多少傷心するだろうが「変わらずに推し続ける」「推し変する」といった選択肢をとって終わりだ。
無論、発狂して醜態をさらす過激派オタクもいるが、こういったキ◯ガイはTwitterにスクショを貼られて周りから馬鹿にされるのがオチだろう。
女オタクの中には「自分の好みの作品以外に触れてしまった」という程度のことで発狂し暴れまわるやつが非常に多い。
男オタク界隈でそんな醜態を晒せば当然Twitterにスクショを貼られて馬鹿にされる流れになるだろうが、女オタク界隈ではそうならない。
むしろ、「気の毒に」「わかる」「辛いよね」などといった同情と共感の声が寄せられるのだ。
そして「地雷持ちにも配慮があって当然」「傷ついている人がいるのだから配慮すべき」等の言説が優勢を占めて因習村ルールに繋がっていく。
そう、女オタク界隈には繊細厄介クレーマーを許容する土壌があるのだ。
「男オタク界隈は羨ましい。あんなふうにもっと伸び伸び創作活動をしたい」
最近、特に若年の女オタクがこんなことをつぶやいているのを目にするようになった。
女オタク界隈の因習を規定しているのは全体の1割の繊細クレーマーだ。(1割でも多すぎるほどだが)
そして2割の女オタクはこの繊細クレーマーを眺めるうちに「創作活動では他人に配慮しなければいけない!」などといった意識を内在化してしまったかわいそうな人たちだ。
そして6割の女オタクは内心繊細クレーマー共をめんどくさいと思いつつ叩かれるのは嫌なので渋々界隈のルールに従っている人だろう。
では残りの1割は?
実は最近、女オタク界隈でも「因習めんどくさい!」「明文化されてもないルールを破ったら晒されるとか頭おかしいのでは?」といった真っ当な声が聞かれるようになってきた。
これはおそらく、女オタクの地位が向上したことと無関係ではないだろう。
30代以上のおばさん腐女子は「BLは隠れて楽しむもの!」「夢創作は隠れて楽しむもの!」などといった「オタク趣味は隠れてやるべき論」を聞きながら育ってきた世代だ。
ネットサーフィンをしていれば女の欲望だだ漏れな女性向けエロ漫画の広告が普通に流れてくる世界になったのだ。
自身がオタクであること、腐女子であることを打ち明ける女性芸能人も数多くいる。
女オタク因習村の謎ルールは「オタク趣味は隠れてやるべき論」を背景に育ってきた。
そこに時代的な女オタク特有の要素__つまり、自己肯定感を育てられなかったかわいそうなカースト底辺女が、大人になってから「〇〇ちゃんが買い食いしてました!よくないと思います!」といった、あの頃のカースト上位女の真似事をして自尊心満たしたいという欲望__が悪魔合体して育まれてきたのだ。
だが、今ではオタク趣味は一般化しており、クラスのカースト上位者が腐女子でオタク趣味をやっているなんてことも珍しくない。
そんな抑圧のなくなった世界で生きてきた若い女オタクから、ついにこの奇っ怪な因習を打ち破ろうという意識が現れてきた。
10年後の女オタクは今のオタク事情を見て腹を抱えて笑っているかもしれない。
「え、検索避けとか馬鹿じゃん笑」「原作タグ入れないと検索のとき不便でしょ」
そんな真っ当で当たり前の声が大勢を占めていることだろう。
逆にいうと、この女オタクの因習も滅びゆく定めであるかもしれないのだから、堪能するなら今しかないという考え方もある。
ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールやフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pはずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。
いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったから交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。
100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からはジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台の最前列はヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。
(ちなみにこの記事、ジャニヲタの金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132 )
ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。
匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場や日生劇場やNHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景は宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。
出待ち文化はジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女の大名行列を整理している。未だに存在している事実をジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。
そういう意外とローカルな「アイドルとファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドルの代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているからSNS文化に則した発展もなされている。
ジャニヲタのあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板が存在する。海外の無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワードも伝言ゲーム的に広がっていく。
「ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタが特定個人を誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。
つまりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人の誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。
そして一般的な認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。
最初は自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホームで電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。
「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオクで落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまいものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドルが癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。
最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動から追いかけ始めた。自分は「副産物としての認知」タイプだと思うけれど、もちろん最初から「アイドルに認知されたい」という承認の欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものにしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。
1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊なバージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズのファンで現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。
あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。
近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。
毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)
最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。
この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼からは絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやりと認知ってなんなんだろうと考えた。
本質的に自分がお客様、お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。
もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人はものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナのセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。
「認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分を形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援を放棄して他のことに眼を向けることができない。
わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。
彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドルは自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいから全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。
「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。
でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気である日ものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。
それでも根底にあるのは「好き」という気持ちだから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗にチケット流通センターをチェックすると思う。
はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯に横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。
普段からジャンルにこだわらず描きまくってる: 絵描くのが好きなんやな
一次創作に移る: 描きたいキャラや話を自分で作るようになったんやな
以前の作品のキャラを全く描かなくなる: もうやめちゃったんか
流行ってるから/儲かるから作品のガワだけ借りて同じような内容の描いたわ: は?
と書いてみると、個人的な同人ゴロ認定は、『流行りものの作品を3作品以上移る』『その時の流行りのものだけ同人誌を出す』『前の作品について一切触れなくなるor貶す』『どの二次創作でもキャラと舞台が違うだけでやってることや表現がほぼ変わらない』あたりだろうか
ある意味では、同人と商売の区切りを付けられてないと言い変えられるかもしれないが
そういう人は絵が好みでも嫌いになりやすい気がする
https://note.com/hoshino_suke_/n/n3aec9d7391ba
↑の件。オードリーの活躍のステージが移り変わることでファンとしての熱意が離れていった話の件
現代のインターネット上の人間関係は推しつながりというのも珍しくない。
〇〇を推している仲間、推しているからフォローしている、なんて関係はザラにある。
そうした状況で立場を表明することなくフェードアウトすると最悪燃える。燃えたくなくば口にする必要がある。
どっちも嫌なら消えるという手段もあり、古のオタクは推し変やジャンル移動に伴いアカウントを爆破して消えていったりもした。
「懇親会がなきゃジャニオタなんて分からなかったくらい普通の人」だから何かあっても表面化しないでしょ。
私はジャニオタママと親しくない他人なのでジャニオタ一家の父親は顔を見た事も無いし、書いた以上の事は知らない。
この一家に限らずジャニーズファンやってた親子って今どうなってるんだろうって興味がある。
サクッと推し変してるなら良かったって思うけど、全員同じタイミングで同じ方向に変わる訳ないし、色んな軋轢があるんじゃないかなと。
宗教二世とか三世のドキュメンタリーみたいに取材してる人とか居ないのかな。
幼稚園で同じクラスに一家全員ジャニーズファンのお子さんがいる。
毎年懇親会で親の自己紹介みたいな一言を軽く話していくのだけどジャニオタママは担任(幼稚園教諭や保育士のジャニオタ率の高さはすごい)とすごく盛り上がっていて、家族みんなでコンサートだファンクラブも3,4入ってるだと話していた。
そしてお子さんはジャニーズ系イケメン、とはならないがニコニコ人懐こくて良い子でやっぱりジャニオタ。
今年度の懇親会では今ほどは報道されてなくて、担任の先生もジャニオタママもニコニコでジャニーズの話で盛り上がっていた。
それを傍目に見て何とも言えない気分になったのを覚えている。
そして今、ジャニオタママや担任はやつれて荒れて…という訳でも無く特に変わった様子は無い。
懇親会がなきゃジャニオタなんて分からなかったくらい普通の人だから当たり前なんだけど。
来年の懇親会も二人は皆の前でジャニーズの話をするのかなあなんて思うけど、今年で卒業なのでジャニオタ一家の行く末は知る事は出来ない。
世の中にはきっと親子三代ジャニオタやってますなんて人もいて、ジャニーズ崩壊=家庭崩壊まで行く人もいるんだろうな、そういう二次被害三次被害的なものもこれから出てくるのかもしれない。
最近の騒動でジャニオタのジャニーズや所属アイドルへのロイヤリティー(忠義)が大したことないことを知った
ジャニーズの中でも勢いが下がったり事務所のプッシュが終わったら平気で推し変するのが普通、なんならその次に推すのはEXILE系やKPOP、なんなら羽生結弦でも良い
今は騒動の最中だからジャニオタもジャニーズ擁護で騒いではいる
ただ、このままジャニーズ外しが続いたら「EXILE系に流れよう」とか「やっぱ時代はKPOP」と簡単に他に流れるだろう
そして、数年ジャニーズ外しが続いたらこの騒動が嘘のように誰もジャニーズを見なくなるのではなかろうかと思っている
多分ジャニオタや他男性アイドルオタの多くは推しのかっこよさや演技力などのスキル面ではなく、テレビにたくさん出る力を持つ人=権力に憧れているのだと思う
つまり多くのジャニオタはジャニーズからその権力がなくなったらジャニーズを推す理由がなくなる
いや、わりとマジで。
彼女らって長い人だともう5年くらいやってるわけじゃん?
始めた時は20代半ばだったとしても今はもう30近い、いやもしかしたら30過ぎてるかもしんない。
ネットの活動者なんて特殊な仕事だから日常的な出会い少ないし、いてもゲーマーとか歌い手とか半分遊び人みたいなプータローばっか。
しかも仕事柄、処女売りとまではいわないけど、カマトトぶらなきゃいけなくて、表向き自由に動けないから男作るハードルが高い。
実年齢が公表されてる顔出しの仕事と違って、Vはいつまでもアイドル売りができる分、逆に言えばいつまでもその呪縛から逃れられない。
そしたらさ、「将来的にはだれかと結婚したいけど今はまだ活動があるし動かなくていいかな・・・」なんてズルズル5年10年と活動を続けてって、ふと気づいたら誰もいませんでした、ってなっちゃうよね。
オタクってのは勝手なもんでさ、自分も推しも若い時は熱愛発覚したら大騒ぎして、不買だ、お気持ち表明だとかするんだけど、
30、40過ぎると自分が結婚したり、結婚できなくても若い子に推し変したりするんだよ。
それで、普段は忘れてるくせに何か炎上沙汰やバズニュースで話題になった時には「○○には幸せになってほしい」とか「誰か貰ってやれよw」なんて心無い言葉を投げつけるんだよ。
それってみんな不幸じゃない?
数年前の今頃、登録者20人程度のVtuberを何となく見つけた。
同接2人(要は本人+自分?)の配信で何となくめっちゃ褒めてみた。
めっちゃ調子良くなっちゃったのか、トークのトーンがめっちゃ上がって行った。
翌日以降も何となく在宅仕事しながら配信見てて、コメントしてたら喜んでた。
ぶっちゃけトークは下手だし、声も別に良いとは思わないし、ガワもぶっちゃけ安っぽい上に大して動かない。
けど、何となく居心地のいい空間だった。というか、自分以外に殆どコメントが来ない配信だった。
趣味で絵を描いていたので、何となくファンアをプレゼントした。
クオリティとしては、いいねが20付くかなくらいのクソザコレベル。
それでもめっちゃ喜んでた。というか、配信で泣きそうになってた。
配信自体は自分が知る1年前からやっていたようだけど、全然伸びなくてつらかったんだとか。
まぁトークもゲームプレイが上手い訳でも無いし、当然だよなぁと思った。
で、Twitterで拡散とかしてあげたらなんやかんやでその後半年はちらほら人が増えるようになった。
仲のいいVtuberやリスナーさんも出来たみたいで、登録者も無事100人近くになってた。
他の人がバンバンコメントしてたし、自分は声を聞くだけの参加になっていた。
誕生日配信をするというので、久しぶりにファンアートとコメントを残したら、お久しぶりです!!!ってめっちゃ喜んでた。
この人はまだ全然人居なかった時に初めてファンアートくれた人で、とか。
いつも支えてくれた人で。とか。
自分のコメントでそんなに喜んでくれてたのかと嬉しかった半面、ひいきし過ぎている気もして居心地が悪かった。
ガチ恋っぽい感じの人も定着してるし、正直コメント残して荒すのも、と思って、それ以降コメントは残さないようにした。
Twitterでは告知のRTとか日常ツイに反応を残す程度にした。
ファンアートもたまに描いてあげた。
サムネに使ってくれたりしてくれた。
ガチ恋の方もフレンドリーで、普通にフォローしてくれて、一緒にイラストを喜んでくれた。
ああ、良い人に巡り合えたあの子は良かったなぁと思った。
ガチ恋の方はSkebで神絵師さんにイラストをお願いして、凄い絵がプレゼントされていた。
やはりガチ恋の方は強い。そのままあの子を推し続けて頑張って欲しい。そう思いながら、日々を過ごしていた。
仕事自体ハードな内容に変わってしまい、当然、配信を見に行く余裕も無くなった。
気付けばそのまま一ヶ月近く配信を見に行けなくなっていた。
Vtuber用のTwitterアカウントも全然動かせなくなっていた。
ふと久しぶりにアカウントを見に行ったら、ガチ恋さんが推し変していた。
彼女が何かした、ではなく、ガチ恋さんの心変わりだったのだと思う。
またコメントの無い配信になっていた。声のトーンも下がっていた。
「お久しぶりですー!」
すると
あの時の元気なトーンに戻った。
不思議とハードな仕事で疲れていた自分にも元気が戻ってきた気がする。
なんだかんだで落ち着く声。
それ以降、お昼ごろの配信は早めの昼食と言う事で仕事を切り上げて配信に参加している。
元気な声が聞きたくて。元気が貰いたくて。
彼女も色々と大変そうな事があるみたいだけど、がんばれVtuber。
興味の無い人にとってはただの絵とか、色々言うけど。
こういう形の交流も悪くないな、と今でも思っている。
ファンがアイドル(アイドル以外でもいい)を推すことを指して「どうせ数年後には別のアイドルに“一生推す”って言ってるよ」とか、
アイドルがファンに「いつもありがとう」とか「愛してる」とか言うのを“営業”だとか、
そういうのよく言われる(ファン自身ですら推しのやっていることは「仕事」だとか言う)と思うんですけど、そういうのかなしくないですか。
私たちはもっと、ほんとうにお互い感謝して尊敬して愛し合っている間柄だと言ってもいいんじゃないですか。
“それ”が永遠かどうかなんて誰にもわからなくて、証明することなんて不可能だから、だからせめて「今この瞬間に永遠を感じているこの気持ちはほんとうなんだ」って、言ってもいいんじゃないですか。
あるいはそれが“永遠”だからといって、四六時中推しの活動を追っていなければならないとかグッズをすべて手に入れなければならないとか、推しのことをすべて知っていなければならないとか、そういうことはなくて。
どれだけ好きで一生推すとか真実の愛だとか心底から思っていたとしても、“私”と“推し”は別の人間なので、時には離れたり遠くで見守ったりしながら、それぞれの人生を尊重しながら、愛し合っていきたい。
常にそばにいなくても、常に“推し活”していなくても、愛する気持ちがなくなるわけじゃないとお互いを信じたい。あるいは自分自身を信じたい。
大体、永遠の愛であるかどうかを事前に知れるのなら、この世に離婚や別れ話なんて存在しないし…どうしてそんな不可能を要求するんですか。
ファンだって最初から担降りや推し変するつもりで推しを推しているわけないんですよ。
あらゆる人間関係は持続させるための努力が不可欠で、何もせずにそのままでいられるわけがない。
だから愛しすぎて周りが見えなくなって、周りだけでなくすぐ目の前のことさえも見えなくなって、“私”と“推し”が別の人間であることを忘れてしまうその前に、一定の距離を保つことも必要ではないですか。引力のように斥力のように。星のようにくっついたり離れたりしながら、一人ひとりが持つ銀河を愛していきたい。
これは私がBTSの“Magic Shop”という曲の「君の中にある銀河」という歌詞がとても好きだという話です(そんな話でしたか?)
リア恋というのかもしれない。
その癖一途なのかといえばそうではなく、アイドル、歌手、ユーチューバーなど数年おきに代わる王子様を崇拝しては諍いを起こし、界隈をやや荒らして次の界隈へと引っ越していた。
彼女は「解釈違いの推し被りと一緒にいたくない」「界隈に友達がいない」など理由をつけては、私をライブやイベントに同行させた。
そして現場の楽しさに魅せられた私が「素敵だね!ファンになりそう」などと言おうものなら、急に態度を変えてこの界隈がどれほど生きづらいか、マナーのなってないオタクたちの中で自分がどれだけ推しの事を理解しているかを延々と語りだすのだ。
面倒くさいから近寄るな。こいつの好きなものを好きになるな(かと言って否定はするな)。
一切の興味を持たず、相手の語る推しの話に相槌だけ打っていれば良い。
長年の付き合いで分かっていたはずなのに、ついうっかり、間違えてしまった。
私は全く別界隈のオタクだけど、友人は「今日は推し変させるつもりだから!」と言っていた。
名前しか知らない彼女の推しは、初めての大きな会場に目を輝かせ、時に涙を見せながら歌っていた。
他のメンバーもそれはそれは楽しそうで、本人達もファンも待ちに待ったライブだったんだな、と部外者の私ですら感動してしまった。
運よくファンサも貰えたりして、付き添いとはいえかなり楽しんだ。
つい、帰りの電車で「ファンクラブ入ろうかな」と言ってしまったのだ。
私みたいに付き添いで遊びに来たような奴がファンクラブにまで入ったら、本人たちも、友人も、喜んでくれると思っていた。
この時の私は、「推しがいつまでも好きなことをできるように、大きなグループになってほしい」と語る彼女の言葉を信じていた。
しかし私に降りかかったのは、「彼らのファンクラブは会費のわりにリターンが少なく、見返りのない投資をする覚悟でないと損をするぞ」という、大慌ての友人から繰り出されたネガキャンの数々だった。
とにかくお金の無駄だという主張。ファンクラブ会員限定の交流で推しからコメ返を貰う為に、自分が何をしているかのマウント。「あんたは別で推しがいるでしょ?」という牽制。
最終的に「私の勧め方が良すぎちゃったよね!ごめんね!」と謎の謝罪までしてきて意味が分からなかった。
(この謝罪についてはマジで意味が分からない。『語るほど素敵な物じゃないのに、良いものみたいに紹介してごめん!』って事?推しの良さだけはボロッカスに言っちゃダメだろ。)
ライブの熱に浮かされてはいたが、一応彼女の気を損ねないように気を使っていたつもりだ。
彼女の推しにはあまり目を向けないようにしたし、話題に挙げるのは別のメンバーだった。
ファンクラブ入ろうかな、だって彼女が「推し変しちゃいなよ!」としきりに言っていたのを確認してから言った。
彼女とはあれ以降踏み込んだ話をしていない。
彼女の推し達の動画も、彼女を思い出して嫌な気持になるのであまり見ていない。
今日、彼女のツイッターに「友達の界隈に入って来るなんてマナー違反」と投稿されていた。
フォロワーは私を含めわずか数人。間違いなく私へのエアリプだ。
いい歳してなんて陰湿なことをするのだろうかと溜息が出た。それに私が傷つくとでも思っているのだろうか。
というか「マナー」って何だろう。『リア恋に現場の付き添いを頼まれたときはそれなりに楽しみつつ、終演後は「私はやっぱり自分の推しが一番だな!」って明言しましょう』なんてマナーがどこかに明記されているのか?
残念ながら貴方の推し達は魅力的なグループでした。私に見せなきゃよかったね。
次は自分の推し以外に興味のない、つまらなそうな顔して突っ立っててくれる人を連れて行ってね。
余談だが私が「いいな」と言ったメンバーは、インスタライブなどで彼女をよく構っていたらしい。
「私はこの小さな界隈で認知も貰ってるんだから、頭数を増やさないで」と素直に言ってくれれば良かったのに。
表面上は「認知なんていらない。その時その時を楽しめればいい。」と言っていた彼女のみっともない姿を見せられて、心底呆れてしまった。
同担拒否のくせに布教活動なんかするなよ。メリット1つも無いだろう。
素敵なライブだったのに本当に残念だ。
「楽しかったから払わせて!」と自ら申し出たチケット代、やっぱり払わなきゃよかった。
友人は今後「推しに売れてほしい」なんて口が裂けても言わないでほしい。