はてなキーワード: 1954年とは
ただしすべてものの90%はクズである。ご存知スタージョンの法則である。
「邦画はクソ!」というあなたに見て欲しい日本映画黄金期の名作 - シロッコ手習鑑
http://sirocco.hatenablog.com/entry/Japanese-Movie
1行で要約すると
「邦画はクソ、つまらない」という人は日本映画黄金期の名作見てないんじゃないの?「七人の侍」おすすめ。
通常であれば、うんうん「七人の侍」いいよね。黒澤映画の基本だよね。で済ませていたところだが、
>面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。
という一文がどうにもひっかかったのでここにキーボードを執った次第。
邦画について検索すると「邦画はクソ」という結果が出てくるらしく、その一例として示されたまとめサイトの
でも現代人が「邦画クソ」という場合、この前見に行った邦画がつまらなかった、ハリウッド大作と比べると
どうしても全米が泣けない、原作改変しすぎて新規ファンの流入もないし原作ファン激おこだし誰得なの?
マンガ実写化に文句言うのはカッコ悪いってカッコつけるために言ってるんじゃねえよこちとらカッコ気に
してられないほど必死なんだよ。
みたいな文脈だと思うんだよね。もっと良い新作邦画を作ってくれよ、の裏返しの邦画クソ。
まずいものを食べてまずかった、という生の声。味噌汁がしょっぱいので盛り上がらなかった、とかね。
そこへ評価が確定している過去の名作を見ればいいのに、とアントワネットばりにケーキを薦められても違くない?
オールタイムベストにランクインしている名作を見るランキング型消費では、「君の名は。」「シン・ゴジラ」が
ブームだからと見に行くのと大差ない、いやむしろ悪いんじゃないか。
新作を見て評価するのは、きさんがやらねば誰がやる?
>面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。
新作映画は見てみるまで面白いかどうかわからない。評判はあっても時間の審級を経てはいない。
それでも、新作を見る人がいるからこそ映画は作り続けられる。回転資金がなくなれば味噌汁さえも作れなくなり作品数は減る。
最初のスタージョンの法則に戻る。名作は幾多の駄作の屍の山の上にわずかに咲く花だ。
山が小さくなれば名作のド壌も枯れてしまう。
新作見るより過去の名作を見ればいいのには、映画興行の否定だ。
邦画の良さを紹介するために邦画を殺したら本末転倒ではないか。
1.で大体言いたいことは終わった。あとは重箱の隅です。
当時の娯楽の王様である映画作品が数多く作られていた50年代60年代が日本映画黄金期なのには異論はない。
しかし、その後テレビの隆盛、レンタルビデオの登場など、作品数・入場者数が減っていくには理由があり
単に数が下だから今は暗黒期、だから黄金期のを見ようという論は雑である。
物価の上昇はあるが、観客動員数や映画館の数は最盛期より減っているにもかかわらず興行収入上位には
現代の作品ばかり並んでいる。現代だって捨てたもんじゃないよ。上位=名作とは言わない。
では黄金期に多く作られた中でどれほどの作品が今に伝えられているのか。直木三十五の作品は読み継がれているだろうか。
名作とされるものしか今に至るまで残らないから黄金期はより素晴らしく見え、洋画もヒットが見込める
現代邦画は、ダメなものも全部さらけだされているから相対的に90%クズ感が増してしまう。
上澄みと生データを比べたら勝ち目無いよね。観る側向けにはこの点クギをさしたい。
だが、過去の名作を踏まえた上で今映画を作っている方々には、なんで見えてる地雷そびえ立つクソを作りあげてしまうのか。
味噌汁のミソとクソを間違えてはいないか。映画評論してきた経験は製作の現場には役立てられないのか。
金と時間が許せば名画座に毎日入り浸って映画漬けの日々を送り何百本のノルマを果たして蓮見ゼミに潜り込むんだ。
という夢の前提条件も今ではhuluなりNetflixなりで自宅に居ながらにして叶えられる。
しかし大スクリーンで一時停止も巻き戻しもなく集中して見る体験は映画館でしか味わえない。
「七人の侍」が公開された1954年、「ゴジラ」と「君の名は」も公開されていた。
奇しくも今年、その系譜を継ぐ「シン・ゴジラ」「君の名は。」が、それぞれ好評を得ながらヒットしている。
「シン・ゴジラ」「君の名は。」が新作としてかかるのは今しかない。
1968年の五月革命のパリが舞台。パリ留学中のアメリカ人青年マシューは
シネマテーク抗議デモを通じて知り合ったテオとイザベルの家に転がり込み……。
邦画でなくてすまんね。
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
あまり映画は見ないし、映画批評なども出来るような人間ではないのですが、
大学で多少「核のイメージ」の歴史について勉強したことで、「ゴジラ」について関心を持ちました。
そんな折に、ちょうどシン・ゴジラが公開されると聞き、せっかくなので、見てみることにしました。
ゴジラに血液凝固剤を流し込み、ゴジラを凍結させることに成功させました。
また、ゴジラの放出した放射能の半減期は2~3年程度だったため、除染もスムーズにいきそうだと希望が湧いてきたときのことです。
主人公・矢口が語ったセリフは「我々はゴジラと共生するしかないんだ。」だったのです。
これは、ゴジラ第1作目(1954)の古生物学者山根の「水爆実験が今後も行われるなら、またゴジラが現れるかもしれない。」というセリフと比較すべきでしょう。
1954年版のゴジラは、おそらく「反核」のメッセージが強いものだったと言えます。明らかに第五福竜丸事件で被害にあったような、水爆実験などを批判しています。
一方、今回の「シン・ゴジラ」を反核映画と捉えることは難しいでしょう。(少なくとも最後のセリフからは。)
「核と共生せざるを得ない」ということがメッセージなわけですから。
確かに、現実を考えると、核(ゴジラ)と我々の生活は切っても切り離せません。
ほとんど稼働していないとはいえ、原発は残っていますし、放射性廃棄物もたくさん残っている。
冷戦は終わって、おそらく核戦争の危険はないといえども、今もアメリカなどは大量の核兵器を持っている。
「反核」の想いを抱えている方々であっても、核が0になる世界を作り上げることは出来ないということはわかっていると思います。
JT(日本たばこ産業)は5月20日、「キャビン」「キャスター」の2ブランドを「ウィンストン」に統合し、「ウィンストン・キャビン」、「ウィンストン・XS・キャスター」として8月から展開すると発表した。世界ナンバーワンブランドを目指し、アジア市場に攻勢をかける。
キャビンは1978年、キャスターは1982年に発売され、ともに30年以上にわたるロングセラーブランド。深みのある香ばしさ、まろやかでやわらかい口当たり、それぞれの魅力でファンを獲得してきた。
対するウィンストンは1954年に誕生したブランド。米国外ではJTが製造販売しており、ヨーロッパやCIS地域を中心に人気が拡大し、世界第2位のブランドに成長している。グローバル、日本国内でそれぞれ一定の知名度を持つブランドを統合することで戦略的に集中投資し、アジアを中心とした新規市場で顧客を拡大する狙いだ。
Wikiで調べてつくってみた。宮崎駿監督の後継者云々を受けてつくったので、主な有名監督と若い監督中心。基本的にはTVシリーズをやってないオリジナルか、小説原作の劇場アニメを発表してる監督。例外も一部あるけど。
1941年生まれ 宮崎駿(風の谷のナウシカ)、富野 由悠季(機動戦士ガンダム)
1960年生まれ 庵野秀明(ヱヴァンゲリヲン新劇場版)、片渕須直(マイマイ新子と千年の魔法)
1961年生まれ 新房昭之(劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語)
1966年生まれ 神山健治(009 RE:CYBORG)、水島精二(楽園追放)、沖浦啓之(人狼)、宇田鋼之介(虹色ほたる)
1967年生まれ 宮崎吾朗(コクリコ坂から)、細田守(時をかける少女)
1973年生まれ 新海誠(言の葉の庭)、米林宏昌(借りぐらしのアリエッティ)
1952年2月 日米行政協定の締結のとき高松宮殿下のグループがラスク大統領特使に提出した安全保障構想で「徴兵制を導入」
1954年10月 木村防衛庁長官が「私としては徴兵制度の実施が望ましいと思う」と記者会見で発言。
1956年 竹田五郎 統幕議長 徴兵制をめぐる政府見解を批判。
1970年11月 防衛白書から「憲法上の限界から徴兵制は行えない」という表現を削除。
1980年 日向方斉 関西経済連合会会長が、関西財界セミナーの基調報告で「非常時に備え、徴兵制度の研究も必要だろう」と発言。山田稔ダイキン工業社長は「徴兵制をしいている国では人件費が少なく、GNPに占める防衛費の割合が小さくなっている点は注目すべき」と意見。
1987年 「現代社会」の教科書検定での指示内容に「志願制なので徴兵制の国に比べ人件費がかかる」という改善意見。
1992年10月 森喜朗政調会長、自民党の全国研修会の公演で「若者に国民奉仕隊のような組織に入ってもらい、ボランティア活動を通じて国家のことを考え、ポイントを取った人が大学受験で有利になる仕組みができないか、具体的に検討してみる必要がある」と発言。
1996年12月 衆議院の代表質問で森喜朗代表が「ドイツの国民基本法には徴兵制があり、忌避した場合、一定期間は社会奉仕を義務付けることになっている」「若者が学校教育の中で、ボランティア活動を必ず体験することが必要」と義務化を提言。
1996年12月 建設省国土地理院の幹部職員を対象とするディベート研修で、講師が徴兵制は必要と発言。
1998年5月 三重県鈴鹿市の加藤栄市長が「自衛隊鈴鹿父兄会」の来賓あいさつで「徴兵制度を見直す必要がある」「必要かもしれない」と発言。のちに「青少年非行の歯止めになっていたのではないかという意味」「精神訓練の場、と言えばよかった」と釈明。
1999年9月 鳩山由紀夫幹事長代理が群馬県の立会演説会で「侵略を受けた時は、有事法制や緊急事態法制のなかで基本的人権を守りながら個の権利を公共の役の前にどこまでゆずるかという議論はすべきだ。徴兵制はとらないことを原則としながら、万一足りない時は、緊急事態法制のなかで考えるべきではないか」と発言。
2000年9月 憲法調査会の欧州視察報告書で、ドイツの徴兵の代替役務について、中山太郎会長「社会活動の義務化は、社会保障コストを減らす知恵」と感心。
2002年5月 石破茂防衛庁長官が憲法調査会で「徴兵制は憲法違反だと言ってはばからない人がいるが、そんな議論は世界中どこにもない」と発言。
2002年6月 憲法調査会が札幌市でひらいた地方公聴会で6人の陳述者のうちの会社社長の稲津定俊氏が「国民徴兵制度」を明記した新憲法制定を提案。
2005年3月 衆議院憲法調査会の最終報告書案で国民の義務規定の積極的な意見として、国防の義務と徴兵制を追加すべきものとして挙げる。
2006年10月 教育再生会議の初会合で、国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏が「韓国などの学生に聞くと経験を積ませるという意味合いが大きい」と徴兵制を評価。
2007年10月 東国原英夫宮崎県知事が建設業者との座談会で「徴兵制はあってしかるべき」と発言。後に「道徳や倫理規範の欠如が社会のモラルハザードにつながっている気がする。規律を重んじる機関で教育することは重要」と釈明。
炎が出ないのにお湯が沸く?
おねえさんどうしたの?
この水車に水を流すと…
うわぁ。電球が明るくなったぁ!
これが水力発電よね。水の落ちる力を水車と発電機で電気に変える。
そうだね。沸騰しているやかんの口のから出る湯気に水車を近づけても電球がつくよ。
ちょっとやってみるわね。
うわぁ。点いた点いた。
これが火力発電の原理なんだ。石炭や石油やガスを燃やして、お湯を沸かして水車を回す。
水でも火でもないものから電気ができるなんて、おねえさん、よくわからないわ。
いいわよ!
じゃいくよ!
ここは?
紀元前2000年ころのインダス文明の古代都市モヘンジョダロだよ。
どーん。
キャー、すごい光と爆発だ。
どうしたの?
これは、ラーマーヤナという古代インドの書物に書かれていた大気圏内核爆発の瞬間だよ。
ラーマーヤナの雷(いかずち)ともいわれているよ。
今、近づくのは危険だから4000年後のモヘンジョダロにいってみよう。
たいへんだ。たいへんだ。
あの人はだれ?
石がガラスに?!
ちょっと解説しよう。石や岩はとても高い温度になるとガラスのように溶け出すんだ。
でも、石が溶けるには、1000度から1500度の高温になる必要があるんだ。
現代でもこの温度を作り出すには、たくさんの燃料を燃やさなくてはならないのに古代にそんな大きなエネルギーを発生させる技術があったとは考えにくいことなんだ。
そうそう。その疑問を解決する答えは、核です。
モヘンジョダロは核で攻撃を受けたのです。核を使えば、一瞬にして高温を発生させることができる。
石をも融かしてしまうことができるのです。
へー。核の持つエネルギーってすごいのね。
そうなんだ。原子が分裂するときに発生するエネルギーは、とても大きく普通に火が燃えるときと比べて莫大なエネルギーを発生させることができるんだ。モヘンジョダロが核攻撃を受けたことは仮説のひとつなんだけどね。
へー、原子の持つ力ってすごいのね。でも、原子ってどーんと爆発したりして怖いわ。
黒い鉱石の中から新しい元素を見つけたぞ!最近見つかった新しい惑星の天王星(Uranus)にちなんでウランと名づけよう!
そうなんだ。このころは新しい元素を見つけるのが流行っていたんだ。
次行ってみよう。
ここは?
1896年のフランスだよ。あの人は、物理学者のベクレルさんだよ。
これはすごいウランには他からエネルギーを与えられなくても放射線を発生する能力(放射能)があるぞ!大発見だ!
あの女の人はだれ?
ウラン鉱石を手作業で砕いて、不純物を取り除いているところなんだ。
ウランを手で触ったりして危なくないの?
このころは、放射能についてよくわからなかったから、最先端の研究者といえど何の防備もなしに放射性物質を扱っていたんだ。今では考えられないことだね。
1903年にベクレルさんとキュリー夫妻は、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞したんだ。
この世紀の大発見により、光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質として一気に研究が進んでいくだ。
ベクレルさんもキュリー婦人も、そのあとによくわからない原因の病気で亡くなってしまっているんだ。
扱い方を誤ると放射性物質は怖いのね。
ここはどこ?
ここはスウェーデン。あの人は、物理学者のシーベルトさんだよ。
放射線は人体に危険なのです。核エネルギーを人類の平和のために使うには放射線の危険性をきちんと理解しないといけません。
シーベルトさんは、放射線が人体に与える影響についての研究で有名なんだ。
研究が進んでいくと役に立つところと危ないところが徐々にわかってきたのね。
どーん。
キャー。また爆弾?
放射性物質は核分裂を起こすと莫大なエネルギーを生み出す。この力を戦争に使おうとする研究がさかんになっていったんだ。
やっぱり、原子力って怖いじゃない。
そうなんだ。太平洋戦争のときに使われたのは、この技術を応用した核爆弾だったんだ。アメリカは、核の力で日本の長崎と広島を一瞬にして消し去ってしまったんだ。
ここは?
あの人はだれ?
あっちの人は、だれ?
あの人は、アインシュタインさんだよ。
えー、あのアインシュタインさん!
でも、ぼくはとんでもないことをしてしまった。
こんな僕だけど、許してください。
ぜんぜん、役に立つ原子力じゃないじゃない。アインシュタインさんでさえ後悔しているわ。
それじゃあ、原子力発電の元になる原子炉をはじめて作った人のところにいってみよう。
一気に爆発せずに核分裂反応を一定にすることに成功したぞ!やったーやったー!
フェルミさんたちは、黒鉛のブロックを積み上げた中にウランを入れ、核分裂連鎖反応を起こすことに成功したんだ。カドミウムから作られた制御棒を使って、出力が一定になるように調整できるようにしたんだ。熱をコントロールできるだけで、電気はできなかったんだ。
でも、すごいじゃない!フェルミさん。
そして、ここは、1953年12月8日、ニューヨークの国連本部だよ。
あの人はだれ?
歴史の何ページかには、確かに『偉大な破壊者』の顔が時おり記録されてはいる。ただし、歴史書全体を見れば、そこには人類の果てしない平和の希求と、人類が神から与えられた創造の能力が示されている。
アメリカは、冷戦下、ソ連との軍拡競争の中で、核ミサイルを中心とした軍事向けの原子力と生活に役立つ発電に使う平和利用の原子力の2本立ての核開発を行っていったんだ。
その方針の下、同盟国の暮らしを豊かにするために原子力の技術を使った発電を広めていったんだ。
そのあと、1956年にイギリスで、1958年にはアメリカで実用化されたんだ。
日本では、1966年に茨城県の東海村で日本初の原子力発電所がスタートしたんだ。
戦争で原爆を落とされた日本国内では、原子力に対して強いアレルギーがあったんだ。
反対運動もすごかった。
原子力は、石油・石炭、電気に続く「第3の火」として平和で豊かな生活に役立つものとして宣伝されたんだ。
新聞では「ついに太陽をとらえた」という原子力の平和利用をアピールする記事も掲載され徐々に原子力への期待が高まっていったんだ。
それが今の日本の発展につながっているんだね。
ちょっと待って、原子力が電気に変わる秘密を教えてもらっていないわ。
おねえさん、ごめんごめん。
原子力発電所では、ウランの核分裂で発生した熱を利用して、お湯を沸かしてタービンと呼ばれる水車のおばけを回しているんだ。
あれれー。やっぱり水車が回って、発電機を回してエネルギーを電気に変えるのね。
でも、原子力のすごいところは、1グラムのウランから、石炭3t、石油2000リットル分の熱を取り出すことができるんだ。
これはとてもすごいことなんだけど、実際は取り出したエネルギーの3割が電気に変わって、残りの7割は廃熱として海に捨てているんだ。ちょっともったいないね。
ただいまっと!
なーんだ。核融合とかプラズマとかすごいことしているのかと思ったら、原子力もお湯を沸かして発電していたのね。ちょっとがっかりしちゃったなぁ。
この夜景は原子力の賜物なのね。やっぱり原子力ってすごいのね。おねえさん、ロマンチックな夜景を見て、原子力を見直しちゃった。
なんとなーくゴールドフィンガーとかロシアより愛をこめてとか一部だけ聞きかじってた程度だったけど、Wikipedia見て鼻血出そうになった。
全部かっこ良すぎる。
イっちゃいそう。マジで。
カジノ・ロワイヤル Casino Royale (1953年)
死ぬのは奴らだ Live and Let Die (1954年)
ダイヤモンドは永遠に Diamonds Are Forever (1956年)
ロシアから愛をこめて From Russia, With Love (1957年) 映画版の邦題は「ロシアより」であるが、小説は「ロシアから」である。
わたしを愛したスパイ The Spy Who Loved Me (1962年)
女王陛下の007 On Her Majesty's Secret Service (1963年)
007は二度死ぬ You Only Live Twice (1964年)
黄金の銃を持つ男 The Man With the Golden Gun (1965年) 映画版の邦題は「黄金銃」であるが、小説は「黄金の銃」である。
バラと拳銃 For Your Eyes Only (1960年) 旧邦題『007号の冒険』
危険 Risico
珍魚ヒルデブラント The Hildebrand Rarity
オクトパシー Octopussy and the Living Daylights (1966年) 旧邦題『007/ベルリン脱出』
オクトパシー Octopussy
遅ればせながらゴジラを見てきた。作品の感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由を自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦・反核のメッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間がコントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。
人類が調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。
↓
↓
ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素を破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器を若い科学者が発明。
↓
しかし博士はその兵器が戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。
↓
ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力を研究対象にするべく生かすのか? 議論が割れる。
↓
結局、オキシジェンデストロイヤーでゴジラ死亡。博士は兵器の悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。
ゴジラは60年前から反戦・反核のメッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストでゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学の呪縛から逃れられない人類を象徴的に描いている。「人類が核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後のセリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然や神様といった人間にとってアンタッチャブルな概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様が世界と人類を想像したというキリスト教的な欧米の世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界のスタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド(人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。
その点、日本では不可侵な存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類ともののけの人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命を10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震や台風が発生するときは容赦なく発生するのと同じこと。つまり、本来自然や神様は人類の都合など考えない、極めて不条理な存在であるわけだ。
もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球を破壊」「寿司がまずかったら地球を破壊」「ジャンケンに負けたら地球を破壊」といったセリフのオンパレードは、神様の不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。
そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本の原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端な社会派作品に堕してしまっている。
一つ興味深い点を挙げれば、人類がゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラが人類に撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪な宇宙人も自然災害も撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察を自称して世界中に西欧的価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家が共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋人である渡辺謙が発した「愚かな人間は自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然や子どもは管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッド版ゴジラは反戦・反核のメッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカの外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。
北海道帯広市の野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、
がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。
中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地の都市のなかでではあるがかなり裕福で、
ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。
ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、
しなを作ったりポーズをとったりするものがほとんどだ。若いころは特にそうだ。
彼女は「プチブル」なのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、
いかにも「成金」的な姿勢が写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。
彼女の容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。
ほどなくして彼女は結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。
写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、
「罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。
この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人のバービーに似ている)、
ふみ子と一緒に写ると自分のボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。
今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、
病に侵され余命いくばくもないふみ子も、
この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。
この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。
彼女の可憐な学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。
病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。
歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。
ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。
一つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。
冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか
標準時の変更を 与党議員が発議=韓国 聯合ニュース 11月21日(木)19時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131121-00000045-yonh-kr
【ソウル聯合ニュース】韓国与党セヌリ党の趙明哲(チョ・ミョンチョル)国会議員は21日、日本の標準時と同じ韓国の標準時を韓国本来の標準時に変更することを柱とする「標準時に関する法」の改正案を発議した。
韓国標準時は日本標準時子午線の東経135度を基準とするが、これを韓国の国土の中心を通る東経127.5度に変えるという内容。その場合、標準時は現在より30分遅くなる。
韓国は1908年、東経127.5度を標準時子午線に定めたが、
日本植民地時代の1912年に朝鮮総督府の指示で日本標準時にそろえた。1954年に東経127.5度に戻した後、1961年に再び135度に変更した。
趙議員は、現在の韓国標準時子午線の東経135度は韓国の領土を通っておらず、韓国最東端の独島からも278キロ離れていると指摘。「標準時の改正を通じ、領土主権と歴史を再確立し、国のアイデンティティーと国民の自尊心を回復すべき」と述べた。
mgk1202@yna.co.kr
●韓国標準時 - Wikipedia、フリー百科事典(google翻訳)
http://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%95%9C%EA%B5%AD_%ED%91%9C%EC%A4%80%EC%8B%9C によると
1912年 1月1日:東経135°UTC +9に変更。朝鮮総督府官報第367号(告示第338号)。
1954年 3月21日:解放後、大韓民国の標準時間は、再び東京127.5°UTC +8:30へ変更。大統領令第876号(1954年3月17日)。
1961年 8月10日:国家再建最高会議の決定に基づいて東経135°UTC +9:00へ変更。法律第676号(1961年8月7日)。法律第3919号(1986年12月31日)。
となっていて、詳しいことはわからない。
少し詳しく調べてみると
●日本が奪っ朴正煕がまた奪った '韓国時間' [走る鉄道で見た世界] (17)時間をめぐるいくつかの物語 インターネット紙 「プレシアン」(Google翻訳)
http://www.pressian.com/article/article_facebook.asp?article_num=10131025141140
1945年になるとすぐ時間を取り戻してくるとは、努力があったが、韓国の統治を務めた米軍政は、操作利便性という単純な理由で東京標準時をまだ守った。韓国標準時を再訪れたのは韓国戦争が終わって遠征きた米軍の撤退が行われた後の1954年3月だった。21日午前0時30分部大統領令によって再び東京127度30分を標準子午線とする大韓民国標準を指定します。1954年3月21日、大韓民国は0時30分を二回経験することになる。一度は東京標準時に一度ソウル標準時。しかし、このソウル標準時は長続きしない。7年後にクーデターを起こした朴正熙を筆頭とした軍部勢力は国家再建最高会議で、韓国の標準時間を東京標準時に戻って変えてしまった今まで続いてきている。
もう少し詳しく調べてみると
●良い名前の研究所は標準時を韓国の基準東京127度30分を適用しています(Google翻訳)
元韓国が使っていた標準を日本が強制的に日本のものに変えたし解放が
れた後一歩遅れて1954年に韓国基準の標準に還元したこと以上にも
1961年5月16日の軍事クーデターが起きたすぐ後の1961.8.10から再度東経135度を
標準時に変更したことをご存知ですか?
東京127度30分には大韓帝国官報第3994号(勅令第5号)に基づき、1908年4月1日から
それが、日本の日韓併合策の一環として、朝鮮総督府官報第367号に基づき、1912年
光復後、1954年3月21日、李承晩政権は日帝残滓清算の一環として、標準時を
変更して、時間を30分遅らせました。 しかし、当時、米軍は、作戦指揮権を東京
米極東司令部の関係で標準時の変更に従うことができないと頑強に反対した
します。
ところが、1961年8月10日、朴正煕の軍事クーデターが起きた後席月もされていない、
軍事政権は、法律676号(標準子午線変更に関する法律)に基づいて時間を30分
繰り上げ日本と同じ東経135度基準の標準時を使用する法案を可決した。
その時の理由は、国際的に30分差が出る標準時がないことを国際的
習慣と一致させるというものでした。 (これはとんでもない論理です)
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについては、これまで知られていなかったが、
最近入手した1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録による
面が会議に参加した某人が在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために
統一された時間が必要だと標準時の変更を要求してわずか数分で通過させたとされて
ています。
米軍の軍事作戦の便宜のために国の時間を無理やり日本時間に合わせるとんでも
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、どうしてわかったのか。
[緊急提言]韓国時間30分ずらす "いい加減"風土消える 金基德 キム·ギドク 建国大研究教授·韓国史
東京127度30分採択は、「時間の光復」! (Google翻訳)
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_2.html
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_3.html
1961年に国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、これまで知られていることがほとんどなかった。 ところが、
2004年8月KBSがソクジェの事件ファイル "光復59年、時間は解放されなかった"という番組を放送した。 KBSは1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録を入手して、次のように報道した。
「光復」と「不快感」の間
「この会議に出席した関係者は、米極東軍司令部(在日米軍)が、在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために統一された時間が必要だと標準時の変更を要請してわずか数分で通過させたと証言した」
結局、国民の代表機関ではなく、軍事クーデターで成立した「国家再建最高会議」は、米軍の要請があろうクーデターの承認を受けるために、1954年に標準時変更後わずか7年ぶりに東経135°を基準にした時間に変更したものである。 以降の夏時間(サマータイム)の導入根拠を用意するために、1986年に「標準に関する法律」に一回変更しただけで、現在までに我々は、1961年に改正された東経135°基準の標準時をそのまま使用している。
参考資料
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=tyahnstein&logNo=100194115583
韓国語で標準時は現在より30分遅くなる利益・不利益をまとめて書いたエントリー。
馬名 | 性 | 生年 | GI級競走 | 功績 |
---|---|---|---|---|
スペシャルウィーク | 牡 | 1995年 | 4勝 | 当時世界記録の獲得賞金10億9千万 / 内国産種牡馬として初めて海外GI勝ち馬を輩出 |
ダイワスカーレット | 牝 | 2004年 | 4勝 | 37年ぶり牝馬の有馬記念優勝 / 12戦連続連対・連対率100% |
ブエナビスタ | 牝 | 2006年 | 6勝 | 史上最多タイの4年連続GI勝利 / 中央競馬最多の19戦連続一番人気 |
ヴィクトワールピサ | 牡 | 2007年 | 3勝 | 日本馬初のドバイワールドカップ優勝 |
ゴールドシップ | 牡 | 2009年 | 6勝 | 二冠馬(皐・菊) / 史上初の宝塚記念連覇 |
ジャスタウェイ | 牡 | 2009年 | 3勝 | 国際レーティングで内国産馬最高の130ポンド / 国際レーティングで日本馬史上初の単独1位 |
モーリス | 牡 | 2011年 | 6勝 | 短距離馬では史上3頭目の年度代表馬 |
アーモンドアイ | 牝 | 2015年 | 9勝 | 史上5頭目の中央競馬牝馬三冠 / 中央競馬最多のGI9勝 / 中央競馬歴代1位の獲得賞金19億1000万円 |
馬名 | 性 | 生年 | GI級競走 | 功績 |
---|---|---|---|---|
オジュウチョウサン | 牡 | 2011年 | 4勝 | 障害最多タイのJ・GI4勝(連勝) / 障害重賞最多8連勝 |
コントレイル | 牡 | 2017年 | 4勝 | 史上8頭目の中央競馬クラシック三冠 / 史上3頭目の無敗三冠 / 史上初の父仔無敗三冠 |
デアリングタクト | 牝 | 2017年 | 4勝 | 史上6頭目の中央競馬牝馬三冠 / 史上初の無敗牝馬三冠 |
お返事遅くなりました.気が付いたらいろいろ話が展開しているみたいですが,素直に返信.
ちなみに私はアンチ原発派ではなく原発容認派です.なので原発=ダメ=即刻停止という考え方はしておらず,代替できるものがあればそちらに移りたいと考えているだけです.
原子力発電所のリスクなんてあんなもんでしょ。今まで運良く一人残らず目を背けていられたってだけで。
もっとも、仮にあそこに火力発電所が建っていたとしても、重油の流出やら火災やらでやっぱり相応に被害を周囲にお呼びしていただろうし。
「リスクなんてあんなもんでしょ」とのことですが,私が質問した「リスクのコスト」についてはどうでしょう.今回の危機は想定の範囲内であり,原発のコストパフォーマンスを活かして得たお金で万全の補償ができるので誰にも文句は言わせません,壊れた原発は直すだけ,原発はこれまでどおりです.と,考えているなら,「リスクなんてあんなもんでしょ」とのとおりですが,原発推進派?の方々だって,
という具合にリスクのためにかかるコストを高く再計算しているわけですよね?この原発の最大の利点であるコストパフォーマンスについて,推進派さえも再計算が必要と考える状況において(しかもその原因が最大の欠点である原子力の危険性),原発との付き合い方に再考の余地はないのか?と考えるのは決しておかしい話ではないと思いますが.
俺が言いたいのは、
じゃあ仮にずーっと火力発電オンリーだったら、日本は今と同じような繁栄を享受できていたのか?
今から火力発電に切り替えたらそれで全部解決なのか?
だよ。
今回の議論の中で「原発は不要だった.あれがなければ日本はもっと良くなっていた」なんて話をしましたっけ.私はそんな考えは全く持っていませんが,もしそのように受け取れる発言をしていたらすみません.
私が呈した疑義は「今回の状況を見ると,原発の合理性について再考する余地があるのではないか?」そして「太陽光発電と省エネは考慮するに値するものではないか?」です.
電子力発電所が建ち始めた1960年代の専門家の評論とか色々漁ってみるといい。あちこちで散々に議論され尽くされた上で「まあ原子力発電しかねえわな」と関係者達は渋々(一部は喜色満面に)承諾してる。最後まで反対し続けたのは社会党や共産党みたいなコミュニストの狗みたいなのばかり。
えーと,以下の話は1960年代の評論を読まずに書いています.すみません.
1960年代当時の判断を否定したいわけではないです.現実としてこれだけの繁栄を支えたわけですから.戦後15年で原子力を選択したという話ですが,これを聞いた時「そうなのか!」と驚きましたが,良く考えたら戦争突入の理由の一つが油の枯渇なんだから油からの脱却を狙うのは妥当な選択ですね.
そして当時,油以外のエネルギーの選択肢がどれだけあったかというと,太陽光発電の世界初の実用化が1958年,国内初の地熱発電所が1966年,風力発電にいたっては1980年代,ましてや省エネなんて戦後復興時に考える話ではないでしょう.原子力発電を選択するのは合理的な判断だったと思います.
http://solarsystem-history.com/history/his_1958.html
1954年に初めて太陽電池が発明されたものの、当時の太陽電池は大変高価なものでした。そのため現在のように一般家庭で利用できるようなものではなく、特殊な用途に限定して利用されていました。その“特殊な用途”として代表的なものに、人工衛星への電力供給が挙げられます。実は世界で初めて太陽電池が実用化されたのは、人工衛星だったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB
日本では1919年に海軍中将・山内万寿治が大分県別府で地熱用噴気孔の掘削に成功、これを引き継いだ東京電灯研究所長・太刀川平治が1925年に出力1.12kWの実験発電に成功したのが最初の地熱発電とされる[17]。実用地熱発電所は岩手県八幡平市の松川地熱発電所(日本重化学工業株式会社)が1966年10月8日に運転を開始したのが最初である。
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/foreigninfo/html9908/08229.html
風力発電は、1980年代にアメリカにはじまり、1990年代にはヨーロッパでの開発が大いに進展し、今や、インド、中国でも化石燃料に代わる、環境に無害な有望エネルギーとして大きくとりあげられている。日本では、1980年に試験用の40kWの風車が設置されたのが最初であるが、1980年代から電力会社等での試験・研究がはじまった。
繰り返しになりますが,別にいますぐ原発全部止めろ!なんて言うつもりもないです.上記に挙げた新エネルギーが原発とそっくりそのまま代替可能とも思っていません.しかし,このように1960年代当時には選択肢として存在し得なかったものが増え,そして今回のような事故が起こったた今でも,当時の合理的判断は再考の余地がないのでしょうか?
で,私の意見は太陽光と省エネと言うのは,まぁ一見すると鼻で笑ってしまいそうな話ですが,一考の余地があるのではないかと.以下,それを説明します.
今回の問題は「一カ所集中発電のリスク」と「原子力のリスク」が原因ですよね.で,元増田は前者についてはたくさん原発を造ること,後者についてはより性能のよい原発を造ること,で解決するという案を提案しています.今回のようなトラブルはより良い原発(ひいてはより良いエネルギー供給体制)のために避けては通れない通過点だ,と捉えるのは原発推進戦略としておそらくまっとうだと思います.
これに対する私の反論ですが,私は今回の事故を見て,どう頑張ったところで人の想定の斜め上を行く出来事は起きてしまう,と感じました.よって「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」と考えます.そうであるならば,最悪の事故が起きた時にそれを最小化する戦略しかないので,あちこちに原発を作るという戦略はありえないと考えます.
もちろんこれは「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」という前提のもとに成立しているので,それが解決されれば主張は変わる可能性が大です.あとは「最悪の事故が起きた時にそれを最小化」すればいいので,原子力が漏れても平気などこぞの奥地だとか月に原発を作るならokです.
人里から数キロしか離れていない,しかも津波も地震も台風も来るのが毎度,の土地に原発を作り,しかも旧式とわかってもなお動かし続ける,という現在のやり方はいくらなんでもリスク対策をケチりすぎじゃないかと.
で,一番最初の話に戻ると,太陽光発電と省エネに期待したのは,両者のリスクを持っていないからです.いろいろ言われていますが,やはり太陽光発電は停電時にはそれなりに役立ったようです.
あとビジネス的にも,原発も太陽光も(あと省エネも)日本に強みのある分野で,CO2絡みで注目されている分野ですが,今回の事故は前者には向かい風で後者には追い風です.
「計画停電で使用できない」 太陽光発電、操作周知にメーカー躍起@産経
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110321/biz11032101270000-n1.htm
家庭用の太陽光発電装置は、パワーコンディショナー(パワコン)という装置を使い、太陽電池で発電した直流電流を、家庭で使用できる交流電流に変換している。ただ、パワコンを動かすための電気は、通常、電力会社から送られる系統電力に依存しており、そのままでは日中発電していても、電気が使えない。
使用するためには、家のブレーカーをオフにし、パワコンに付属したコンセントに直接、電化製品の電源コードを差し込む必要があるが、意外に知られていないのが実情だ。
脱原発はまだ夢物語に過ぎないとしても,少なくも現在のエネルギー資源ポートフォリオを組む上で,今回の事故を「大丈夫だ,問題ない」とスルーするのはおかしいのではないか,原発(火力も似たようなもんだけど)が持つリスクとちょうど補完関係に太陽光発電(と省エネ)を現実的手段として考える良いタイミングなのではないか,というのが意見です.
まぁ本音は原発やめろじゃなくて太陽光やろうぜ!だった気もしますね.こうやって整理すると.太陽光について反対派は「割高でしょ」といい賛成派は「回りだしたら安くなる」という.今回の騒動で太陽光発電のコスト以外のメリットが見えたので,これを機にいっちょ太陽光電池にもチャンスを与えてあげていいんじゃないかと.
手間もお金もかかるけど、利益も大きい@産総研 太陽光発電研究センター
http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/about_pv/economics/benefit.html
太陽光発電は現時点では一般的な発電方式よりもまだコストが高いのですが、大量生産を進め、計画的に普及を図ることで十分に安くできると見られています。補助金や電力会社による買取などの助成策は、コスト低減と普及を進める効果があります。開発・普及には大きな費用と相応の年数が必要ですが、化石燃料の輸入と異なり、その費用は国内に大きな経済効果や雇用をもたらします(図2)。先行するドイツなどでは既に普及費用を遙かに上回る経済効果と数万人の雇用を創出し(*2)、これにならって欧州、さらには中東・アジア諸国や米国も積極的な普及に乗り出しています。
あと,当分電力不足が続きそうなわけですが,原発なんてそうそう作れないですよね.一方で太陽光発電は市販のソーラーパネルを買えばすぐに発電所のできあがり.太陽光発電では昼間だけという問題はあるが,ピークはむしろ昼間にあるんだからそれを避けるのには十分貢献するのでは.
どうやって普及させるかという問題も,高速無料化とETC,エコポイントと家電,この辺の事例を思えば補助金うまく使えば可能では.あと気になるのは生産が追いつくかどうかだけど,それこそ元気な西日本で(がんがん電力使って)作って東日本に送ればいい.サンヨーもシャープもパナソニックも西の企業だしちょうどいいのでは.
公高校無料化するメリットも無いし、国債から金を捻出してしまったわけだが。
高校無料化は、既にほぼ全員高卒が当たり前となり高卒でないとまともに生きて行けない世の中になった後での無料化だから意味が違う。
1954年から1974年までは公高校無料化でも無いのに、約40%上がっているわけだが。
1954年当時は、別に高卒じゃなくても就職できたってことだろ。
すでに、現在の大学進学率は50%超えてるし、高卒求人倍率が1割弱。
大卒が当たり前、大卒じゃないとまともに生きていけない世の中になって、無料化されるんじゃないの?
そして、その頃には博士持ちが50%超えてると。
http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続きです。
現在、統一協会の信者がはてなダイアリー他のはてなのサービスを使用しています。そのうちの一人である、id:ucnow(http://k.hatena.ne.jp/ucnow/)が協会に都合の悪い箇所を隠蔽しようと必死です。
2010/03/03 10:45:08にキーワードの内容の大部分を削除しています。
編集時刻: 2010/03/03 10:45:08 編集者: ucnow 編集内容: 6,26d5 -**教祖 -教祖は戦前、朝鮮を日本からの独立させる抗日活動をしていた[文鮮明]。 - 文鮮明はこれまでに6度投獄されたことがあり、また女性関係では女性信者を清めるという名目で性関係を持つ“[血分け]”をして来たという根強い噂があるが、教団はそのような事実は一切ないと否定している。朝鮮戦争以前に韓国の興南(フンナム)収容所に投獄されたのはその現行犯で逮捕されたという説もある。 -1980年代にはアメリカで脱税の罪で懲役刑を受けて以来、1年 以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。 -**教団の特色 -★独自の聖書解釈 - この教団は、聖書に再び来ると預言された[キリスト]とはイエスそのものではなく、文鮮明であると教えている。統一教会では、文鮮明を「真のお父様」、その妻の[韓鶴子]を「真のお母様」と呼び、夫妻を「真の父母」(真のご父母様)と呼ばせている。 -教団は独自の聖書解釈をしているために、一般のキリスト教会からは[異端]もしくは「異端ですらない」とみなされており、[エキュメニカル](教会一致促進運動)の対象にもなっていない。 -★独自の活動 - キリスト教でいう[原罪]を清算できる唯一の道だとされる「[合同結婚式]」を数年毎に行ってきた。また独自の経済活動として、偽霊能者を使って、壷や多宝塔、[高麗人参]エキスなどを法外な値段で売る「[霊感商法]」や福祉などの名目で行うニセの募金活動、さらに日本人女性に日韓関係の問題を韓国側の立場から説き伏せて罪悪感を持たせることで洗脳し、韓国の農村部の男性と結婚させていることなどに対し、社会的批判が強い。 - このような霊感商法による被害や、教会名や宗教であることをひた隠しにして、サークルや関連団体を通しての伝道(「[青春を返せ裁判]」)や、合同結婚式による婚姻の無効性などに関して、被害者や元信者らによって多くの訴訟が提訴されてきており、統一教会自体に信者の不法行為に対する「[使用者責任]」があるとされた判決が多数出ている。 -また、多数の関連企業(武器製造、高麗人参の販売など)を世界各地に持っており、『ワシントンタイムズ』(米国)や『世界日報』(韓国・日本)を通じたメディア活動および政治工作なども行っている。自由民主党との癒着も指摘されている((安倍晋三前総理大臣ら自民党議員が統一教会関連組織へ祝電を送った事実からも推測される。))。 - 彼らは様々な団体を隠れ蓑にして様々な活動を行っていり。宗教団体が学校や病院、企業をもつケースは珍しくないが、統一教会の場合は一見すると“まったくの無関係”を装って世間の目を欺いている(ただし実際は、その独特の名称センスのために非常にわかりやすい)ところが他の教団ともっとも異なる。 -霊感商法等の経済行為や政治的工作等に加え、近年は北朝鮮に対する莫大な経済援助をしていることなどによって、公安警察の監視対象になっている。
内容の書き換えが明らかに協会の都合のよいものとなっています。ところで「一部のキリスト教関係者や左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、」と書き直していますが、この認識は正しいのでしょうか。カルトと思っている人はほかにも多数見られますが、何か?
編集時刻: 2010/03/03 10:41:28 編集者: ucnow 編集内容: edit -「[[世界基督教統一神霊協会]]」の一般的な略称。統一協会側は「統一協会」ではなく「統一教会」を正式な略称として主張しているが、統一協会の対策にあたる人々や統一協会に反対する人々の多くは「統一協会」の略称を用いる。 + 「宗教法人世界基督教統一神霊協会」の一般的な略称。統一教会側は「神と人間の理想である地上天国を実現するために、神からそのみ旨を託された創始者・文鮮明師によって、1954年5月1日韓国・ソウルで創立された」と説明する。日本統一教会は、1959年10月2日に創立され、1964年7月15日に宗教法人として認可。2009年に創立50周年を迎えた。 -統一協会とその関連団体による霊感商法などで知られており、手口や被害の多さから、カルトと認識する者が多い(([http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/index-j.htm:title]など。))。 +伝統的なキリスト教との教義の違い、平和運動・勝共運動の社会的影響力などから、一部のキリスト教関係者や左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、様々な批判を受け、呼称も「統一協会」を使用されている。
http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続き。これは一大事です!!
id:tameniikiru(http://k.hatena.ne.jp/tameniikiru/)に続き、id:ucnowが同様のキーワード編集を行っています。両者とも統一協会関係者です。
http://d.hatena.ne.jp/ucnow/ (統一教会記録帳:ロビーの教会ウオッチ)
以下、本部公式サイトの「統一教会が目指すもの」より引用。 ……………………………………………………………………… 統一教会は「神様の真の愛を相続しよう」をテーマに、「ために生きる」 人格の育成と祝福結婚による理想家庭の実現に取り組んでいます。 また、そのような理想家庭を世界中に拡げることを通して、人種・民族・ 文化・国家の壁を超えた人類一家族世界を目指しています。 ………………………………………………………………………
+一般的には「統一教」の名で知られる。 -[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて「カルト」として社会的批判の的になっており、裁判で敗訴してもいる。 +世界統一運動は、東西冷戦終焉への貢献、対立する宗教・宗派の和解、次世代リーダーの育成、 +開発途上国への支援活動、日韓トンネル・国際ハイウエー構想などで、世界の有識者から +評価を受けている反面、 +[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて、一部で「カルト」という見方もある。 -「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、[[モルモン教]]、[[エホバの証人]]と並んで統一教会はバチカンの法王庁によってキリスト教系三大[[異端]]とされている。 +「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、 +現在は「統一教」を呼称として、キリスト教のみならず、仏教やイスラム教、諸宗教の平和統一を目指している。 - 教義としては、三位一体説・イエスによる救済を否定し、教祖・[[文鮮明]]が再臨の[[キリスト]]([[メシア]])と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書を経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。2001年からは文鮮明の説教集を集めた『天聖経』が新しい聖書として意義づけられた。 +教義としては、三位一体説・イエスによる救済は一部否定し(イエスは十字架上で殺されるためにこられたのではなく、本来は、神の創造理想である家庭理想と恒久平和を実現するためにこられたと主張)、教祖・[[文鮮明]]がイエスから使命を引き継ぎ、[[キリスト]]([[メシア]])として、家庭理想と恒久平和実現に尽力している、と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書を経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。原理講論に収録されている、統一原理には「神様が本来願われた理想世界」「なぜ戦争や犯罪、不幸がなくならいのか」「本質的な課題を解決し、平和理想を実現する方法」等が収録されているという。 -多数の関連団体・企業が存在し、霊感商法などに利用されていると指摘されている。
# URL:世界基督教統一神霊協会(統一教会)公式ホームページ http://www.ucjp.org/ # URL:世界基督教統一神霊協会(統一教会)YouTube公式チャンネル http://www.youtube.com/user/UCJAPANch # URL:日本統一教会公式モバイルサイト http://m.ucjp.org/ # URL:統一教会紹介ビデオ 「神様の真の愛を相続しよう」 http://www.youtube.com/watch?v=HfzqfHWuEr4 # URL:統一教会 情報リンク集! http://uc8.info/ # URL:統一教会 最新ニュース情報局! http://d.hatena.ne.jp/tameniikiru/ # URL:統一教会 足立教会 http://www.uc-adachi.com/ # URL:統一教会 杉並教会 http://www.suginami-ch.org/http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149520 時点のURL
-自らを聖書に預言された「再臨のキリスト(メシア)」と主張している。 -全人類の親の立場にあるという意味から「真の父母」と称している。 -朝鮮が日本に併合されていた1920年に、平安北道の定州(現在は北朝鮮領)の閑村に住む農家の次男として生まれる。 -日本に留学し、早稲田高等学校電気学科で学んだ。この頃、朝鮮の日本からの独立を目指す抗日の地下活動を行い、特高警察からもマークされていたという。 -本名は文龍明(ムン・ヨンミョン)だが、20代で宗教活動を初めてから、鮮明と名乗るようになる。(龍は聖書で悪魔のシンボルとされているので、それを嫌ってどちらもキリストのシンボルである魚と羊を含む「鮮」の文字を用いるようになったのではないかと言われる。) + 1920年1月6日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に文慶裕氏と金慶継夫人の次男として生まれ、熱心なクリスチャンとして育つ。1935年4月17日の朝、イエス・キリストの霊が現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受ける。 - 今日まで韓国、日本、アメリカにおいて6度投獄された経験を持つ。戦前の韓国で教祖が女性信者と性的な関係をもって罪を清める”血分け”を行う「混淫派」、「霊体交換派」等の影響を受けて、自らも「血分け」を行ってきたという昔からの根強い噂があるが、教団は一切そのような事実はないと全面否定している。 -朝鮮戦争が終わって間もない1954年に「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)を韓国で設立した。 + 1954年5月1日、ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。1960年4月11日(陰暦3月16日)には、韓鶴子女史と聖婚式を挙行された。 1968年には世界を共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設。その後も「世界平和教授アカデミー」(73年)、「世界平和宗教連合」(91 年)、「世界平和連合」(91年)、「世界平和家庭連合」(96年)などの国際平和機関を次々に創設し、各分野において世界的な貢献をされる。言論界においても、1978年から毎年「世界言論人会議」を主催されるとともに、米国で「ワシントン・タイムズ」(82年)や韓国で「世界日報」(89年)を発刊。 + 1990年4月にモスクワで開催された「第11回世界言論人会議」では、クレムリンでゴルバチョフ大統領と会談。91年12月6日には電撃的に北朝鮮を訪問され金日成主席と歴史的な会談をした。 -1970年代にはアメリカに進出し、大規模な大会を行ったり、政界を初め各界への浸透を図った。 -1984年には脱税の罪で1年6か月の懲役刑を受けた。 -このことにより、1年以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。 -1990年代半ばからは長男の元嫁や実の娘により、マスメデイア等で本人や息子の男女関係等のスキャンダルが告発された。 + 92年8月に挙行された「世界文化体育大典」では、国際会議に参加するため世界から集まってきた学者や文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言された。 -2006年からは韓国に戻り、信者の献金で建てた王宮に住み、息子たちによる後継者体制を整えつつある。 -2008年、搭乗したヘリコプターの事故で負傷。 + 2009年3月、自叙伝『平和を愛する世界人として』を韓国で刊行し、ベストセラーに。 +日本、アメリカでも翻訳され話題を呼んでいる。
サンフランシスコ講和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人?
日本が敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会の議員になった者までいた朝鮮は、敗戦の責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。
敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域が独立国として建国していく過程で、朝鮮人は敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦国日本に帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人の海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。
そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシアの傀儡である金日成が中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシアは満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島に橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島に橋頭堡は築きたいが、連合国である中国やロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。
それらの打算から、北鮮はロシアと中国の国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカの保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。
この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本に密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争避難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。
いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。
サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本が台湾や朝鮮を独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍を喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。
引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島に上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本に密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争避難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民は帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。
日本の海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言もサンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。
これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本の学校を卒業したのか、近現代史や公民の単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。
外国人は外国に国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権・参政権を行使するのが筋である。日本の参政権は日本国民固有の権利であり、日本に帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。
間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。
妄言は、個人の愚行である。妄言を妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史や国境や国民性の認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言を妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争の根本原因となるのである。
言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。
朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。
時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。
主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
参考文献
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
コピー終わり。