はてなキーワード: 農家とは
JR東海道本線の静岡~浜松に1箇所Uっぽくなってる場所がある。
当時は電車じゃなくて煙モクモクのSLだから、そんなモン撒き散らされちゃたまらないと茶農家とかの反対運動と、それじゃこちらに来て下さいの誘致運動でこうなったらしい。
フランス革命のように、弱者が強者に物申して実力行使して社会を変えたことがない。
明治維新も大政奉還の形をとり、敗戦もGHQによる外部の力による改革だった。
今のヨーロッパで行われている大規模な農家のデモにしても、フランス革命やドイツ革命の成功例を持っているから実践できるのだろう。
現地の人達は、ベルリンの幹線道路がトラクターで占拠されて日常生活に支障が出てきても、「これは彼らの権利だから」と温かい目で見ているらしい。
日本で同じことをやったら、「自分たちを注目させるためにパフォーマンスしている面倒くさい人達」扱いされて終わりだよ。
要するに、日本では社会的弱者が強者・マジョリティに対して抗議するという文化自体がない。
社会に対して不満を持ったとしても、「世間の目」を気にして声を上げるハードルがものすごく高い。
日本の社会が欧米と比べて、非常に規律正しく、安定していて、治安も良くて、(人種的にも)同質性が強いことも原因だろうか。
「◯◯大学ラグビー部 お断り」とか「お相撲さん お断り」とか店の前に貼られたらあとで監督や親方にめっちゃ怒られると思うんだけど……。
えーっとね……『我田引水』って言葉があるんだけど、聞いたことない人も多いかな?
水源から引いてきた水をどの田んぼにどれぐらい流すかを農家の人は話し合って決めてたりするんだけど、たとえば自分の田んぼにばかり水を流したら他の田んぼは枯れちゃうでしょ?暴力を背景に強行することは出来るかも知れないけど、最後は村八分にされたら暗殺されてもおかしくないよね。だって他の人の畑が枯れちゃったらその人達は暮らしていけないもの。だから自分のことばかりじゃなくて、他人のことも考えなきゃ駄目だよ。って話の「自分の田んぼのことだけ考えて水を引く(他人の畑が枯れても構わない)」って部分を抜き出した言葉なんだけど。
食べ放題でお店が損しても関係ないって顔して食べるのなんてまさに「我田引水」だよね。
お店だって利益を出さなかったら土地代も払えないし、自分たちの食い扶持だって維持できないから。
食べ放題の値段設定も基本的には「普通の人が普通に食べて、それでお店が経営を回せるぐらいの価格」に設定されてるわけ。
ラガーマンが荒らしてくるのを前提にして高く設定したら、他のお客からしたら割高になっちゃうし、そうなると店も「ラガーマン共のせいでこんな値段になっちゃって申し訳ありません」って気持ちになるよね。
最初から「ラガーマンお断り」ってお店の前に貼ってもいいけど、それはそれで地域からラガーマンを追い出そうとしてるみたいでお互いに気分が良くないでしょ?
だから、ラガーマン達は食べ放題のお店に行くときは手加減しなきゃいけないんだよ。
自分たちが町から追い出されるべき怪物として扱われないようにするために「僕たち……人間……共存できる……ウホウホ」って態度で示さなきゃなの。
それが出来ないんだったら、「食べ放題、ラガーマン・力士お断り」って街中に貼られて、その結果として「ラガーマンって人の迷惑も考えずに食べ放題で暴飲暴食するんでしょ?モラルがなさそうだよねー」って評判が立って、大麻事案とかが起きた時に「食べ放題でお店のことも考えずに食べまくるような我田引水の人達だし、社会規範とかガン無視で大麻とか吸っててもおかしくないよねー」みたいになっちゃうわけ。
自分たちの身を守るため、社会と共存するためにも、手加減すべきときには手加減をするべきじゃないの?
これって当たり前のことだと思うんだけど?
自分の畑だけとかなら良いけど今の米農家って場所は借り物が多くてね
後継者が会社員で自分で田んぼ使わず農家に場所貸して数俵だけもらってるパターン
合鴨でやろうとすると合鴨だけで大量に飼わんといけないから効率的じゃないんよ
結局大規模な場所を数人でやらんといけないから効率重視になってきてる
もちろん手をかけて作るのも良いんだけど仕事としてみると合鴨10-20匹で合計1反程度の田んぼをローテだと思う
だから居ないほうが良いしジャンボタニシ食うような水中生物入れてもまた別の環境破壊するし難しいんじゃないかな
又聞きなので話半分で
全部地元の話やけど、まぁ聞いてくれ。
もう数十年前の話、ワイが生まれる前の話だが、高速道路が通る事になって、まず高速道路の建設に大反対運動が起きていた。しかし、地理的に迂回できるような条件はない場所であったため建設反対は通らず。
しかし、建設が押し切られそうになると、馬鹿共は、今度はインターチェンジ&パーキングエリアの設置に反対した。
今から考えれば、インターチェンジが無けりゃ高速道路なんて迷惑施設でしかないのに、道を通してインターチェンジ反対って馬鹿じゃ無いの?と思うのだが、当時の馬鹿共にはわからなかった模様。
結果、道は通っているがICが無い状況になった。その高速道路の全線の中でも、山岳部などを除いて最もICとICの間が開いている区間ができあがった。また、パーキングエリアもない状態となった。
反対運動で追い出されたICは東側の隣町に、PAは西側の隣町に建設されることになった。
東側の隣町にICができたが、さらにその東側のICと距離がかなり近い状態になった。また、そして元々幹線道路への接続が無い場所であったため、接続のために県道がつくられた。
そして、その県道を利用し、東側の距離の近い近いインターチェンジとの間に4車線の立派な国道のバイパスが建設されることに。そしてその道の周辺に商業エリア、工業エリアが設定され、条件の良さから大手企業の工場や、物流基地などが立地。
また、元々ICが作られた周辺は果樹の農地が広がっていたが、ICの立地を生かして観光農園を大々的に展開し、観光地化に成功。高速道路を通る観光バスが中継地的に楽しめる場所に。農地を供出した農家も上手くいっている。
一方で我が町。企業立地競争はそちらが強力なライバルになり悉く失敗。立地した大手企業の下請け工場みたいなのは多少おこぼれに来る程度。
現在、かつてインターチェンジを作る予定があった所にスマートICを設置してくれ、という請願をやっているが、具体化していない状況。ちなみに西側の町に追い出したPAにはかなり前にスマートICが開設されている。
なんでその時反対したんですか?と聞いたら「そんな風になると思っていなかったから」と答えたジジイ、ばかじゃねーの。お前が死んでもお前らの愚行は語り継いでやるわ。
これは隣の町の話。住宅街から川を挟んで対岸の農地を買い取って、ワーク○ン・カイ○ズホームのベイ○アグループと不動産ディペが一緒になって大規模ショッピングモールを作ろうと言う話が持ち上がった。が、例によって地元商工会が反対の大キャンペーン実施。ちょうど首長選挙の季節だったこともあって首長も反対を表明。もう少し粘るかなと思ったらあっさり撤退を表明して白紙化した。
で、あとからわかった話。
眺めの良い場所に、かつて美術館を建設するという計画があった。とある化学メーカーの社長が個人的に集めたコレクションを元に美術館を建設すると言う計画であった。
民間の企画であったため大きく公表されないまま、順調に話が進んで基礎的な設計図はできあがるところまで行き、そこへのアクセス道路を完成した後に公道として移管したいと言う話が議会に上程されるに至って発覚。当時バブルまっただ中。別荘ブームなどがあって、別荘として開発したい連中が暗躍し何故か反対ムードが起きたため、社長側があっさり撤退。
その後、全く別の土地に美術館は完成。社長は引退するときに自分の持株分を美術館を運営する財団法人に移管しており、その収益でコレクションを買い増しながらその筋では世界屈指の美術館になっている模様。
一方で建設される場所だった予定地はゴミみたいな粗悪な別荘が建ち並んでゴーストタウンとなっている。
なんか知らんけど誰かが何かを始めると、真っ先に反対から入る奴が多すぎるんだよな。土地柄なのかなんなのかわからんけど。で、外の資本による開発計画なんかは、別にこの土地に拘る必要ないわけで。反対されたらあっさり撤退するのは当たり前。
ジャンボタニシ、アフリカマイマイ、ザリガニ、ウシガエル、ブラックバス等の食用外来種持ち込んではあじゃぱーってなるのもはや伝統芸能だよな
ジャンボタニシが流行り始めた頃に話題になったのが「被害がまったくない水田がある」という事実
ジャンボタニシは繁殖力が凄まじいので駆除作業はほとんど意味が無く
一度広まるとあたり一面の水田にうじゃうじゃと湧いてくるんだが
その中でなぜか被害が全く無い水田がいくつかあることが分かった
「被害が少ない」のではなくて「全く無い」のだ
原因について調査した
その結果、被害のない水田の苗は他の水田に比べて茎が非常に太いことが分かった
ジャンボタニシは細い茎を好むために太い茎の稲は食べない
一般的な苗の太さはちょうどジャンボタニシ好みの太さなので甚大な被害が出るのだが
太い茎にすることで被害が出ないだけでなく、雑草の生え始めのような細い茎が食べられるため、結果として除草効果が生まれた
この結果から「よし、茎が太くなるまで苗を育てよう」という農法が生まれそうだがそう簡単にはいかない
一般的な育苗で用いられる苗箱はただの四角い箱の中に土を入れて種を植えるような形で
その状態から根をちぎって水田に植え付けるような方法が行われている
この方式だと茎が太くなると根が増えてしまうためこれ以上茎を太くすることが難しい
これを改善するために生まれたのがポッドタイプの苗箱で種一つ一つを小さな穴(ポッド)の中で生育する
お互いの根が干渉しないために根をちぎって植える必要がなく、太い茎の育苗が可能になる
(ダッシュ村で使われている苗箱がこれにあたる)
前述した篤農家などはこの方式を以前から利用しており、ジャンボタニシの被害が全く出ていなかった
では全農家がこの方式に切り替えれば良いかと言われるとそう簡単にはいかない
苗箱を変えるということは播種の機械を全て入れ換えることになり、更には田植機も買い替える必要がある
農協側の苗箱交換と全農家の田植機交換を合わせる必要があってほとんど不可能に近い
これらの費用を鑑みると「ジャンボタニシを駆除した方が安い」という結論になって今でも駆除を続けている
ただ、何年も駆除作業をしているが完全に焼け石に水状態で用水路にはピンクの卵がびっしりと植え付けられ
自家で育苗している農家は苗箱交換をしたり、田植えの直前・直後にしっかりと殺虫するなどしている
さて、これで話が終わるかと思いきや、最近では前述した篤農家の水田にも被害が広がっている
茎が太くてもやられてしまうのだ
原因はまだ分かっていないが、恐らくだが「ジャンボタニシが増えすぎている」
餓死寸前のジャンボタニシは茎が太くても稲の苗を食べるようになり
梅宮アンナさんが梅宮辰夫さんの別宅を売却した話を読んでいて書きたくなったので書く。
ワイは田舎で限界集落の看取り人を自覚しながら、もうすぐ消滅自治体になると予言されている山奥で暮らしている。しかし、父の弟、つまり叔父は地元を出て外で暮らしていた。
中堅企業なれど、ニッチで特殊なプラントを作れる唯一の会社で、そこのエンジニアとして働いており、最後は三代目社長(ボンボンでぼんくら)を支えるNo2として技術の面から支えていて、結構な金を稼いでいたようだ。
田舎の農家を継いだお人好しの兄貴……つまりワイの父がトラクターが壊れたと修理していたら、突然新品の35馬力の巨大なトラクターを手配してくるような豪快な人だった。
ところが、役員定年を迎えた翌年、ものが旨くたべられないと病院を受診したら進行した食道癌がみつかり、一応手術をしたもののあれよあれよという間に死んでしまった。小父は独身でもちろん子どもはおらず。内縁の奥さんといっていいぐらい長い間お付き合いをしていた女性がいたらしいのだが、ずいぶんと年が離れていたためか、籍は入れなかったようだ。
そして残ったのが叔父の資産である。その最大の資産は、会社がある地方都市の結構いいところにある広い家であった。
ワイと父は一度も小父の家に行ったことが無かった。いつも小父は呼ぶより帰って来たがったし、当時はまだ祖母がまだ生きていたので。
さらに、小父の最後は、ワイらが住んでいる家の近くのがんセンターに引っ越してきていて、そこのホスピスに転院すると言う話をしている間に亡くなった、ということもある。
そこで小父は「中身は全部捨てて空にしてくれ」「空にしたらあとは好きにしてくれ」と遺言を託していた。
で、行ってみたところ、びっくり。そこは結構な高級住宅が並ぶ一帯だった。庭は狭かったが、駐車場は3台楽々止められる広さがある日本家屋。建物自体はかなり立派。
小父はこれを中古で買ったらしく、築40年ちかくたっていたが、最低限のメンテナンスは行われていて、雨漏りしているとか致命的なことは無さそうではあった。
中は、絵に描いたような男の一人暮らしで、ゴミの山とかはなかったものの、物だらけ。小父の趣味のものがあちこちに詰め込まれている状態だった。
まずはこれを処分。それだけで一年近くかかった。全部捨てろとのことだったが、それもなんか心苦しくて、形見分けに欲しがる人に渡す、古物屋に売る、などをやっていた。
そうしながら、親父の兄弟で話し合いをもったところ、兄弟の家からは結構離れていることもあって、売却する方向で話を進めること担った。
当初、飛び込みでそこらの不動産会社などに相談していたのだが、いずれも「上物には価値がない。値段は土地だけ」と言われた。まぁそんなものなのかなと思う一方で、なんかもったいない気もしていた。
そうして片付けに通っている間に、近所の方ともなんとなく挨拶するようになって、お土産を交換するぐらいに仲良くなってきていた。
そこで、最終的には維持できないので、売るつもりではいるんです、と言う話をしたところ、なんと、その方が別の不動産会社を紹介するので、そこと相談してみないか?とおっしゃってくれた。
そうして、別の不動産会社の方と面会すること担ったのだが、その方は一通り家を見て、図面を見たあと、今までの業者と全然別の事を言い出す。
そのため
の4つとなった。当然最後にいくほどこちらの取り分は大きくなるが、必要な金とリスクが大きくなる。また、不動産業者は利益の関係から、最初のコースにするなら不動産会社が買うと行っていた。
が、小父は現金でもかなりの遺産を残してくれていたので、祖母が相続した分でも相当な金額になっていた。それを定期預金に預けるよりは、と言うことで、4番目のコースで行くことにした。
これが大正解。結論から言うと、リノベの改装が直後に複数の買い手がついた。不動産会社が「最終的にこれぐらいの価格であれば確実に売れると思います」としていた価格よりも500万円ぐらいは高く売れた。
祖母と兄弟、それからワイが入って相談し、売却した不動産のお金は、最後まで小父を支えててくれていた内縁の妻と折半し(売却のためのリノベ費用はこちら持ち)贈与することにした。
他にも金融資産を中心にしっかりと金はあったのだが、女性は受け取れないと受け取ってくださらなかった。
ただ、どうも小父とお付き合いをしていたために婚期を逃したようなところがあることから、家を売却したお金だからと改めてお手紙を書いて、お願いして受け取ってもらった。
また、その時にお世話になった不動産屋さんは、ただ不動産を売却するのではなく、古い家をリノベして高付加価値化して売ったり、貸し出したりすることを得意にしている開発型の不動産屋さんで、そのノウハウを使って地方の空き家問題にも取り組まれているところだった。