2016-08-12

サヨクが見たシン・ゴジラ

何かと話題シン・ゴジラサヨクから見ると、え?これ自民党広報映画自衛隊広報緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。

以下、シン・ゴジラネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的もの説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね

立ち位置

僕は自称サヨク保守派です。政治的信条をいえば、九条は守る派。自衛隊基本的違憲災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国尖閣とかどうしよう。

安保アメリカお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。

原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論時間を稼ごう派です。

まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!

と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバーミレニアムシリーズ大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。

上前置き。

さて、そんな頭の中お花畑庵野フォロワーな私なので、最初シン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権宣伝・・・自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下

今までのまじめゴジラ映画はさよくを甘やかしている

 前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ自衛隊放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。

 ほいで、比較対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハード作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケット意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画しか比較しません。

 ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジック組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラ現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます

軍事転用を恐れた眼帯が自殺する1954年

 まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊宣伝映画。でも、この映画主題は、芹沢博士(眼帯)が自分技術軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条精神体現した英雄的な行動ですね。

 自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士技術軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます

首相が高らかに非核三原則宣言する1984年

 1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使ソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい

 あと、散々首都蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。

 えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。

 まあどんだけ自衛隊活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨク安心するわけですよ。

 自衛隊活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!

お母さんに報告しづらいシン・ゴジラ

 ところがそのようなバランスシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。

お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン

首相国民自衛隊タマを向けることはできないと宣言

自衛隊のあり方を肯定しているからお母さんは不機嫌になる。

→アベ首相中途半端英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。

○みんなで核攻撃回避するんだ

非核三原則とかそういう理想的なことは言わない

石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ

→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな

あ、やっぱりあんまりお母さんが喜びそうなシーンないわ。。。

でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります

自衛隊員最初品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」

特攻隊礼賛か!自衛隊礼賛か!

最後のほうの矢口演説自衛隊はこの国の最後の砦です!」

自衛隊礼賛か!自衛隊礼賛か!

SEALDs 的な国会前のデモ揶揄しているっぽい

ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!

あと全体的に手続き時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!

ってなる気がする。

と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的メッセージ内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!

蛇足ですが。

 上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨク現実との乖離認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。

の、三点です。

○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野現実制度スタッフを忠実にトレースして東日本大震災成功パターンを描いただけなので、別にかのことをほめたりする意図はまったくない。国会デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的意図はない。

○2点目、あべ政権くそ死ね自衛隊違憲!って思っているサヨクのあり方そのものものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画見方のズレから認識するべき。野党共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合ボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。

○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後ポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的庵野セカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なもの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。

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