はてなキーワード: 1979年とは
オールアンラーッキーデイズでは基本的に1日に1件しか挙げていないが、3月20日には以下の出来事も起きていた
おそらく増田はオウムだからサリンを採用し、イラクは前日から作戦開始ということで3月19日に採用したんだろう(同日は甲山事件、フォークランド紛争、東電OL殺人事件、名古屋大空襲などがある)
文化大革命による停滞期 この時期中ソ対立が深まったため、ソ連からの軍事技術支援が途絶え国産化を余儀なくされた
文化大革命開始
6601型(成都級)をリバースエンジニアリングして、65型フリゲート(前053型/江南級)を建造
033型潜水艦 1番艦 ? 就役 ソ連から提供された633型潜水艦を参考に建造された、中国初の国産潜水艦
ベトナム戦争が泥沼化しニクソン大統領がベトナム戦争からの撤退を公約にして当選、キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢入り
リアリズム(現実主義)に基づく外交政策の擁護者として知られている
力の均衡論者で、イデオロギー的な外交を嫌い、国家間の力の均衡を保つことに腐心した
ソ連と敵対する中国と友好関係を築くことでソ連へ東から圧力をかけることを目的とした
『重要なのは何が真実であるかではなく、何が真実であると認識されるかである。』
『外交政策に道徳的完璧を要求する国は、完璧も安全も達成できない』
『結局のところ、平和は覇権か力の均衡によってのみ達成できるのです。』
『アメリカの敵になることは危険かもしれないが、友人になることは致命的である』(南ベトナムの傀儡政府を見捨て撤退したときの発言)
排水量8,000t以上の大型駆逐艦として構想され艦隊防空能力を備え、外洋での長期作戦における護衛艦隊の中核を占める艦とされたが、当時の技術的限界から未成に終わった
40年後、排水量13,000tの055型駆逐艦として結実する
051型駆逐艦(旅大I型) 1番艦 济南 就役 56型駆逐艦(コトリン型駆逐艦)をモデルに太平洋で行動しうる駆逐艦として建造された、中国が初めて独自開発した水上戦闘艦
★091型原子力潜水艦 1番艦 長征1号 就役 中国初の原子力潜水艦 静粛性と信頼性がきわめて劣悪だった
035型潜水艦 1番艦 232 就役 033型潜水艦の改良版
★西沙諸島の戦い 南ベトナム軍と戦闘を行い、西沙諸島全域を占領
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2022/3%E6%9C%88/2203_02anami.pdf
1974年1月、解放軍の南海艦隊は、当時南ベトナムが実効支配していたパラセル諸島(中国名:西沙群島)に部隊を派遣し、南ベトナムの守備隊や艦艇との交戦の末に同諸島を占領した。
南ベトナムは、パラセル諸島のみならず中国が領有権を主張するスプラトリ—諸島(中国名:南沙群島)の複数の島嶼・岩礁も実効支配していたため、次はそれらを攻略せねばならないという議論が解放軍内で盛り上がった。
その翌年の5月には、それまで海軍建設に後ろ向きだった毛沢東が海軍を増強するための10年計画にGOサインを出した。
そこに好機を見出した劉華清は、同年9月に毛沢東と鄧小平に宛てて海軍の装備に関する意見書を送った。
この意見書のなかで劉華清は、既存の海軍の装備導入計画を批判しつつ、海軍の装備導入計画のあるべき姿について持論を大胆に展開した。
この時の意見書では、海軍が「帝国主義の海上からの侵略」を粉砕し、「対台湾作戦」の任務を遂行するに足る能力を確保せねばならないという基本認識が示されたうえで、当時の解放軍がそうした水準にはなく、10 年後もそうした水準に達することはないという評価がなされた。
また、50年代にソ連から入手した時代遅れの通常動力型潜水艦のコピー版を大量に生産するという当時の装備導入計画に対し、潜水艦に大きく依存する形で米英の海軍に対抗しようとしたドイツの失敗例などを根拠とした批判がなされた。
そうした批判を踏まえて、劉華清は、今後は、水中、水上、空中の戦力をバランスよく整備していく必要があり、核抑止力を担う原子力潜水艦、水上艦隊の要となるミサイル駆逐艦、艦隊に航空支援を提供できる戦闘行動半径の長い航空機の開発・配備に力をいれるべきだと主張した。
この意見書でさらに注目されるのは、中国の経済発展に伴い海外からの「戦略物資」の輸入が拡大すれば、シーレーン防衛の重要性が増し、中国本土から遠く離れた海域での航空戦力の展開を可能にする航空母艦が必要になると指摘している点である。
つまり、劉華清は、1975 年の時点で中国の対外貿易が今後盛んになるという未来予測にたってシーレーン防衛について論じたわけだが、当時遠洋航海の経験が皆無だったうえに中国沿岸海域での作戦すら満足に遂行できないようなレベルにあった解放軍の海軍のなかで、このような議論は異色のものだったといえる。
(一)「覇権主義」や「帝国主義」による海上からの侵略に備える、
(四)核戦力の残存性を高めることに貢献する、ことであった。
053K型フリゲート(江東型フリゲート)1番艦 鷹潭 就役 65型の発展型、中国海軍初の艦対空ミサイル搭載艦、しかし国産ミサイルの性能が貧弱だったため2隻目で建造打ち切り
イギリスのロールスロイス・スペイ ターボファンエンジンをライセンス生産
文化大革命が終わり、米欧日との関係改善によって西側からの新技術導入が進む また後半には中ソ対立も終わり、中国は西側と東側両方の軍事技術を吸収することとなる
★文化大革命終了
上海にある江南造船廠が三菱重工業社長の古賀繁一(元長崎造船所所長、戦艦武蔵の設計に関わる)の直接指導で再建される
053H型フリゲート(江滬I型フリゲート) 1番艦 常徳 就役 艦対空ミサイル搭載艦である053K型と共に行動する艦対艦ミサイル搭載艦として設計された、しかしレーダー等電子機器の性能は不足し全天候戦闘能力もなかった
053H1型フリゲート(江滬II型フリゲート) 1番艦 台州 就役 053H型フリゲートの改良型
051DT型駆逐艦(旅大III型) 1番艦 開封 就役 フランス製クロタル8MS個艦防空ミサイル・システム、フランス製DRBV-15対空レーダー、スウェーデン製機関砲を搭載
アメリカからCFM56-3ターボファンエンジンを入手、後のWS-10ターボファンエンジンの基礎となる
劉華清の主導で中国人民解放軍海軍装備実証研究センター(現在の中国人民解放軍海軍装備研究所)が成立
★053H1Q型フリゲート(江滬IV型) 西側の対潜技術を学ぶための技術検証艦 フランス製のAS 365N ドーファン・ヘリコプターをライセンス生産したZ-9、光学射撃指揮装置、ソナーシステム、水中攻撃指揮装置、イタリア製短魚雷などが搭載された
★092型原子力潜水艦 1番艦 406号 就役 中国初の原子力弾道ミサイル潜水艦
就役後も長い間航行することはなくアメリカ軍からは「not operational」と判断された
091型と同様に静粛性と信頼性が非常に劣っていた
UH-60ブラックホークをアメリカから購入、後のZ-20中型多用途ヘリコプターの基礎となる
アメリカから入手したCFM56-3ターボファンエンジンを参考に、WS-10エンジンの開発が始まる
★053H2型フリゲート(江滬III型フリゲート) 1番艦 黄石 就役 053H1型フリゲートの改良型、イギリス製の戦術情報処理装置(CTC-1629のコピーZKJ-3)とイタリア製の電子戦装置を搭載し大幅に能力が向上した
フランスよりクロタル個艦防空ミサイル・システムとともに、トムソンCSF社(現在のタレス)の戦術情報処理装置であるTAVITAC(旧称 Vega III)を輸入、リバースエンジニアリングによってZKJ-4を完成させる
ペレストロイカ開始
約45年前
この時8〜15歳だった人は
今53〜60歳
約38年前
この時5〜14歳だった人は
今43〜52歳
約29年前
この時9〜16歳だった人は
今38〜45歳
公開は2001年
約23年前
この時8〜15歳だった人は
今31〜38歳
約19年前
今29〜39歳
約13年前
この時12〜18歳だった人は
今25〜31歳
公開は2014年
約10年前
この時5〜15歳だった人は
今15〜25歳
約8年前〜
なおすずめの戸締まり(2022)時点では14〜22歳だが、この人たちは2011年時点で3〜11歳
約5年前
この時8〜16歳だった人は、今13〜21歳
ガンダム 50代
千と千尋 30代
アナ雪 15〜25
新海誠 14〜26
鬼滅 13〜21
1948年 41人
1949年 76人
1951年 40人
1952年 34人
1953年 26人
1955年 19人
1956年 22人
1957年 25人
1958年 21人
1959年 14人
1960年 36人
1961年 18人
1962年 14人
1963年 16人
1965年 7人
1967年 13人
1969年 13人
1971年 7人
1972年 7人
1973年 5人
1974年 2人
1975年 2人
1976年 2人
1977年 2人
1978年 4人
1979年 4人
1980年 7人
1981年 3人
1982年 1人
1983年 1人
1984年 3人
1985年 2人
1986年 0人
1987年 7人
1989年 5人
1990年 7人
1991年 4人
1992年 5人
1993年 7人
1994年 3人
1995年 3人
1996年 3人
1997年 4人
1998年 7人
1999年 4人
2000年 6人
2001年 3人
2002年 3人
2003年 2人
2004年 14人
2006年 21人
2009年 15人
2013年 8人
2014年 7人
2015年 2人
2016年 7人
2017年 2人
2018年 2人
2019年 5人
2021年 4人
2022年 0人
2024年 1人
所感
変更履歴:皆が体感より遅いと言うので、一般化を普及率50%にしました。都会は-3年、田舎は+3年くらいでちょうどいいかも(2024/01/20 8:41)
1979年 29歳 スペースインベーダーブーム
1986年 36歳 写るんですが登場
2018年 68歳 TikTok(ショート動画)が流行り始める
2019年 69歳 60代のスマートフォン率がガラケーを超える
2010年代 60代 本、新聞、CD、DVDが凋落、電子化・スマホ化する
2024年 74歳 ?
変化が濃すぎる
年はザックリ、わかりやすさ重視
全部調べて書いてます
普及率の伸びというのは体感より遅いんですよ、先進的な人は5〜10年早めるくらいで丁度いいかも
→ 皆が体感より遅いと言うので、一般化を50%にしました(2024/01/20 8:41)
※隆盛:身近になってきた当たり
※最盛期:ピーク
※一般化:大体普及率50%(ピークがそこまで行かない場合はピークの5合目当たり)
※FAXは非常にゆっくり浸透した、時代遅れになってから一番売れているのが面白い
※固定電話の普及は1950年代なのでこ50年生まれが物心つく頃は既にあったと思われる。また電話普及率は良い統計が無い
※炊飯器についても良い普及率のデータはなく、推測する論文がある始末
※新幹線と飛行機を入れたかったが、時代差より個人差が大きそうなので割愛
室崎先生のインタビューが非常に興味深い内容(オブラート)で、主に悪い方向で話題になっている。批判の内容はそれぞれご尤もだ。(https://togetter.com/li/2295445、https://togetter.com/li/2295441、https://togetter.com/li/2295630)
だが、これはそもそも室崎先生をインタビューの対象とし、しかも「防災研究の第一人者」と紹介した朝日新聞にもかなりの責があると思われる。
確かに室崎先生は防災の分野で重きをなしてきたことは疑いない。だが、震災発生時の救助や当座の救援は御専門ではない。次に示すのは室崎先生が自身のWEBで公開する業績一覧だ。
「地域防火研究に関する基礎的研究」(博士論文)京都大学,1979年
「苦闘の被災生活」(共著)神戸新聞総合出版センター,1997年
http://www.murosaki.jp/publications.html
(著書のみ。論文も多数あるので御覧頂きたい。)
見ての通り火災(地震による火災も含む)の専門家で、加えるならば復旧復興計画の専門家であって、救助や救援、またボランティアの活用についてを御専門とされてきたわけではない。
また、近年の様々な大地震(特に東日本大震災や熊本地震)の研究により、ボランティアもただ集まれば良いというものではないことが共有されつつあるが、その時点では先生は既に第一線におられなかったことは否めない。
ましてや土木(道路の啓開)やロジスティクスの専門家ではまったくない。
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
あえて批判するとすれば、石川県が長年(15年)にわたって、防災アドバイザーに室崎先生を委嘱していたことだろうか。
3 アドバイザーの設置について
能登半島地震や浅野川流域の豪雨災害を踏まえ、大規模災害発生時に被害を最小限に抑えるための迅速かつ的確な対応を実施するとともに、平素から危機 管理体制の充実強化を図るため、専門的立場から適宜、助言等を得ることを目的として、平成21年度に設置した。
4 職務内容
(1)大規模災害発生時
② 復興に向けての助言 等
(2)平素
② 大規模地震発生に備えた減災への助言 等
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kisya/r5/documents/0410kiki.pdf
石川県の土地勘がないだけではなく、想定される大規模災害の「能登半島地震や浅野川流域の豪雨災害」は御専門ではない事に加え、職務内容の「緊急初動対応、応急対応」も御専門ではない。
もちろん、専門ではなくとも最新の研究をキャッチアップして適切にアドバイスいただける研究者もいるだろう。だが室崎先生は79歳と御高齢で、第一線を引かれて相当に年月が経っている。
一例として、室崎先生の東日本大震災後のインタビュー記事を挙げる。
ボランティアは押しかけていい。迷惑をかけてもいい。迷惑かけた分の何倍もいいことをしてくればいい。来てくれただけで、本当に喜ばれるのだから。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/04/post-2035_1.php
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
そのように議論が進んでいる中、室崎先生のこの考えを支持する研究者や行政担当者はほとんどいないと断言できる。
ネームバリューから委嘱し、担当部局が前例踏襲で漫然と委嘱を続けていたのではないだろうか。(委嘱し始めた当時の判断は誤りではなかったと思う。中央防災会議専門委員の御経験もあり、国がどう動くかにお詳しく、それに応じて県がどう動くかを検討するのに適任だったかと。土地勘のなさは別の人でも埋められる。)
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS1G2P91S1CUTFL01Y.html?ptoken=01HM58FWP8JH0TWWY7EX2VG9AT
この方は存じ上げないが、御専門は教育学とのこと。(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/people002230.html)
防災・減災対策にお詳しいとは見えないが、今回の自治体や政府の対応の何を見て「人災を意図して生み出した」と判断したのか御説明いただきたいところだ。
本文中はドローンの飛行を禁止したことについて書かれているが、救助活動している、また様子を実見にきているヘリがいる中でドローンを飛ばすなんて二次災害を引き起こしたいとしか思えないが。
今回の行政の対応が万全だったと言う意味ではなく、その事後検証が必要なのはもちろんだ。だが今ではないだろう。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
ブコメには反応するつもりはなかったけど一点だけ。
氏の「業績一覧」には著書や論文の概要があってボランティア関連の著作や研究もあるんですが、意図的にスルーしておられるんです?
「阪神・淡路大震災後の被災生活の実態と問題点を明らかにするとともに、被災者の支援に立ち向かったボランティア活動の実態と教訓」
「阪神・淡路大震災後の復興住宅においては、ボランティアや生活援助員さらには民生員などによる被災者や高齢者の新体制」
「地震時におけるボランティアなどの支援組織の果たす役割を世界の主要な地震のケーススタティ」
災害発生直後の救助救援ではなく、ボランティアが入れるようになってからの、しかもメインは更にもっと後になってからの研究であることがわかると思う。
続き
2022年4月の県民からの申立を受けて、2023年8月30日に苦情処理委員が県教委へ提出したもの。
県民の申立についてと、これを受けて苦情処理委員が調査に基づいて県教委へ勧告した内容が記されている。
勧告書には、平成13年度(2001年度)に同様の勧告があった経緯についても記載されている。
これに対する当時の県教委の報告書における「今後の方向性」は以下のものであった。
県教育委員会としては、 将来にわたって共学化を進めていくという立場に立ちながらも、 本県の数少ない別学校は、 多くの県民の強い支持があること、 各学校の主体性を尊重する必要があることなどから、 早期に共学化を実現するという結論には至らなかった。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html
女子差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としています。具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。
条約全文
https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html
第10条
締約国は,教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる。
(c) すべての段階及びあらゆる形態の教育における男女の役割についての定型化された概念の撤廃を,この目的の達成を助長する男女共学その他の種類の教育を奨励することにより,また,特に,教材用図書及び指導計画を改訂すること並びに指導方法を調整することにより行うこと。
勧告要旨の1点目について、確かに条文では男女共学を奨励しているが、その目的は「教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保すること」とある。
半世紀前の世界で女子の教育機会が限られていた時代の条文であり、県内外に共学別学さまざまな選択肢がある現代の埼玉県において、この条文を根拠に目的が達成されてないと主張するのは無理があるように思う。
勧告要旨の2点目について、管理職・教職員の男女格差是正は必要だが、共学化に結びつける論拠には乏しい。
男女別学との因果関係はあるかもしれないが、この目的で共学化を主張するのは論理が飛躍している。
他にも勧告の詳細では他県の状況などを列挙しているが、いずれも共学化の主張を補強するに足るものではないように思う。
埼玉県男女共同参画推進センターが主催するイベントに毎年出場しているらしい。
第21回 With You さいたま フェスティバル出展参加団体紹介
https://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/report/r4/21th_fes_dantai02.html#kyougaku
代表者氏名 清水はるみ 会員数 100人 所在地(活動拠点) 鶴ヶ島市
2001年9月、私たちは「埼玉県内のすべての公立高校を男女共学に」をめざして、「共学ネット・さいたま」を設立しました。
2000年3月に「埼玉県男女共同参画推進条例」が施行され、「男女混合名簿の使用」と「別学校の共学化」を求める市民からの苦情申し立てがなされたのを契機に、共学化の運動を推進していく市民運動の母体として、様々な活動に取り組んできました。
WebサイトやSNSアカウントなどは存在しないようで、どういう論拠をもって共学化を推進しているのかはわからなかった。
10月12日に提出したという要望書も見つからず、公開されていないと思われる。
団体名・代表者名で検索すると、ジェンダー平等の各種活動への賛同者として登場しており、苦情処理委員への申立者と同じ論拠で共学化を推進しているように見受けられる。
7項目に渡って勧告書の問題を指摘し、主にダイバーシティの観点から別学の意義を主張している。
女子別学を肯定するのか否定するのか、文脈が判然としない記述である。
7番目の項目は簡潔に一文のみで、勧告書の無茶な主張を一蹴している。
最後に、埼玉県立高校の管理職や教職員の格差等については、県教育行政の問題であり、今回の共学化とは趣旨を異にするものである。
勧告書の問題点を指摘し、別学の意義を理路整然と説明しており、おおむね納得できる内容に思える。
ただ部分的には根拠に疑問があり、特に6番目の項目はやや感情が先走っているようにも見受けられた。
別学出身者とりわけ男子は、社会に出ると、定型化された男女の役割という概念から抜け出せず、社会生活に支障を来す、あるいは四囲に悪影響を与える等、問題が生じるとでもいうのであろうか。もちろん、そのような調査結果などはなく、そのような実情にもないというのが一般人の感覚であろう。
今日においてこそ、高校教育における別学の有用性が認められ、再評価されるべきである。別学の存在意義は誠に大きいものといわなければならない。
12月20日に開始。発起人は浦和高校関係者(在校生・卒業生とそれらの保護者)有志とあり、県内の別学・共学の高校がずらりと参画メンバーに名を連ねている。
現在(1月8日)時点で1万5千を超える賛同者が集まっている。
Change.orgサイト内とX上で賛同者のコメントを見ることができるが、対象の別学在校生・卒業生以外にも、共学出身者や県外出身者など広い層から賛同を得ているようだ。
賛同者のコメントの多くは当事者および社会への影響を懸念するものであり、理知的なものであるように見える。
特に関係者以外からのコメントは実感のこもった真摯なものが多く感じた。
一方で首を傾げるコメントもそこそこ見られるのが気になった。
勧告書の内容や経緯を誤認しているもの、卒業生が個人的な思い出のみを根拠に感情的に反対を叫んでいるものなど。
中には何故かLGBTQやフェミニストを敵視・蔑視し対立を露わにするものもあり、ナンバースクール出身の品位も矜持もないものかと残念に感じた。
そもそもの議論の出発点や経緯が共有されてないようにも思えるので、署名の説明に勧告書と意見書のリンクでもあればいいのにと感じた(今回私がこの記事を書くことになった動機)。
勧告書の主張は根拠に乏しく、到底賛同を得られるものでないように思える。
しかし勧告書が提出され議論の俎上に載せられた以上、正しく議論が行われるべきである。
浦和高校同窓会の提出した意見書、およびオンライン署名の活動は意義あるものだと思う。
クボユウスケという人がマジですごいという2年の前の増田を読んだのだが、これに非常に賛同できるので、クボユウスケという人物について私の知っている話を書こうと思う。
結論から言えば、クボユウスケという人物は仙人の様な価値観で生きていると言える。
クボユウスケという人物がどんな人物かについては、冒頭で紹介した増田に書かれているので、先ずそちらを読んで頂きたい。
その上で、クボユウスケという人物はフェミニスト陣営の中では職業や素性が全く知られていない謎の人物となっている。
その理由は、クボユウスケ自身が職業や素性をインターネット上で明かさない様に細心の注意を払っているからなのだが、その結果、
クボユウスケを批判するアンチフェミニストの批判時の発言は、どうも歯切れの悪い批判しかできなくなる傾向が有る。
クボユウスケを批判しようとすると、得体の知れない物を批判するため、批判しあぐねてしまっているという傾向が有る様に見受けられる。
しかし、クボユウスケのTwitterアカウントを見ると「2011年2月」にTwitterアカウントを使い始めたことがわかる。
そこで、クボユウスケの過去のツイートを掘ってみた結果、下記の事が解った。
・1979年4月8日生まれである
これは、誕生日を明かしているツイートと、その他複数のツイートを見ることで解る。
・2011年~2016年までは福岡に住んでおり、趣味はフットサルだった
これは、2011年~2016年までのツイートを見れば解る。
・2017年1月に突如ツイートが途切れ、2017年7月までの半年間、ツイートが無かった時期が有る
これも過去のツイートをさかのぼって全部見れば解る。
・2017年9月時点で東京に住んでいる事をツイートしている
2017年9月中のツイートで言及している。
・2019年8月19日に「飲食店・小規模企業のマネジメント(≒経営管理・経営指南(経営アドバイザー))を数社引き受けている」とツイート
上記のツイートと、2021年9月のツイートから、新大久保と巣鴨の韓国料理店のマネジメントを引き受けている事が解る。
では、何故彼が石川優実の味方をするのか、だが、これについてはツイートを遡っていて面白いものを見付けた。
彼の中学か高校の同級生で、彼と仲の良かった人物が、どうやらイジメを苦に自殺した事が有る様だ。
その同級生は虐めっ子達に「やりたくない事」をやらされていて、それを苦に自殺したらしい。
その出来事が彼の精神構造に大きな影響を与えた様だ。
ツイート以外の媒体等での彼の発言も併せて整理すると、
彼にはTwitter上でアンチフェミ達に叩かれている石川優実が自殺した同級生と重なって見えて
「気が付いたら、石川優実を叩いているアンチフェミ達に反撃していた」
「石川優実が、心からやりたいと思っている事を自由(アンチフェミから見ればこの自由は無責任と同義になる)にやらせて、
石川優実が、やりたくないと少しでも思う事はやらせない、そのための盾になろう」
と思ったというのが石川優実の味方になった理由らしい。
アンチフェミは主張に筋の通っていないフェミニスト等が嫌いだというのがフェミニストを批判する理由に有るが、クボユウスケの価値観では、
アンチフェミが重視する「主張に筋が通っているか通っていないか」は彼にとっては価値の無い話、どうでもいい話である。
「石川優実本人が、やりたいと思ってない事を石川優実にやらせるな。
石川優実がやりたいと思っている事を石川優実がやるのを邪魔するな。」
「石川優実がやりたくないと思っている事を、石川優実にやらせようとする者と、
石川優実がやりたいと思っている事を、石川優実がやるのを邪魔する者が悪である。」
というものになる。
そして、クボユウスケはそういう考えで石川優実の盾になる事に見返りを何も求めていない。無償で、義憤だけで盾になると決めているのだ。
故に、石川優実が「やりたい」と思って始めた事を途中で「飽きた」と言って投げ出したとしても、クボユウスケは投げ出した事を「やりたくなくなったんだからやらなくて当たり前だ」と許容・肯定する。
「石川優実という人物がやりたいと思った事だけをやり続けた結果どうなるかを、近い位置で見届けたい」
それだけが理由で動く堅牢な盾であり、行く末を見届ける傍観者という立場に居るのがクボユウスケという人物と言える。
それはアンチフェミには理解できない価値観だろう。
だから、アンチフェミはクボユウスケと決して話が噛み合う事が無い。
アンチフェミが人間だとするならば、人間とは全く違う、霞を食べて生きる仙人の様な価値観で生きている
クボユウスケという人物に接する時は、人間とは違う価値観を持った存在であるという認識を持って接するのが良いだろう。
ジャズはだいたい100年ぐらいの歴史があり、次のような特徴がある。かなりの端折りが入っていることには留意してくれ。
世界最古のジャズのレコードとされているのは1917年。このころのごくごく初期のジャズで、形式や編成には幅があるが、ディズニーランドで演奏されてそうなゴキゲンで楽しげな感じといえばイメージできるかもしれない。
トランペット(またはコルネット)・クラリネット・トロンボーンの3つの管楽器がアドリブを交えながら同時に演奏するのが特徴的なスタイル。
当時の録音ではドラムセットやアンプなどは発展途上の段階で、ドラムはスネアやウッドブロック中心のマーチングっぽい感じ、ギターのかわりにバンジョー、ベースはチューバなどが使われることが多い。
具体的にはこういう感じ。これはヨドバシカメラのCMの原曲である。https://www.youtube.com/watch?v=dsp-cA89Wio これぞとされる名盤は特に思い当たらない。
当時の録音技術はぜんぜん良くないので、古い録音をリマスタリングした音源を聞いても聞きづらいしノイズもひどい。1950年ごろまではおしなべてこうで、それ以降に録音された音源のほうが聞きやすいと思う。
個人的にはSean MoysesのTiger Rag!というアルバムが好きではあるが、ディキシーランド・ジャズといよりもジャズバンジョソローアルバムという色が強い。
オーケストラっぽい大編成によるジャズである。クラシックのオーケストラとは違い、弦楽器セクションがいることはまずない。ドラム・ベース・ピアノ・ギターのリズムセクションと、トロンボーン・トランペット・サックス+クラリネットという編成が典型。
リズムのキメやソリやトゥッティのかっちりとしたアレンジ、分厚いバッキングを背負いながらのソロ回し、大人数による静と動のコントラストなどが特徴である。
バンドリーダーとしてはベニー・グッドマン、グレン・ミラー、デューク・エリントン、カウント・ベイシーの四者が特に有名。どこかしらで耳にしたことがある曲も多数あると思う。https://www.youtube.com/watch?v=aME0qvhZ37o
個人的にはFletcher Henderson - Swing The Thingsというアルバムが好きではあるが、これもまたとにかく録音が悪い。
バディ・リッチや、BBC Big Bandによる後年の録音や、より現代的なビッグバンドであるGordon Goodwin's Big Phat Bandなどのほうが聞きやすいと思う。
スーツを着たジャズメンが4〜5人程度でバーやナイトクラブで演奏してしそうなジャズをイメージしてほしい。だいたいそれがモダンジャズである。モダンと銘打ってはいるが、70年ぐらい昔の音楽のスタイルである。
ビバップ、ハードバップ、モード・ジャズなど演奏理論の違いによって通常さらに細かく分けられるが、全体的な構造や編成として大きな差はあまりない。
イントロ→テーマ→アドリブソロ回し→(バース)→テーマ→アウトロ という構成で進むのは変わらないまま、どのように斬新なソロをとるか?という音楽理論が30年かけて煮詰まっていった思っておけばよい。
チャーリー・パーカーはビバップの代表的奏者であるが、当時の録音も良くはなくソロも音感が強くないとぜんぶ同じに聞こえてしまうと思う。1950年代後半あたりに聞きやすいアルバムが多くある。
具体的にはMiles Davis - Bag's Groove,Sonny Rollins - Saxophone Colossus, Sonny Clark - Cool Struttin'、Art Blaky - Moanin'など。この4つは一般的にも名盤とされているし個人的にも大好きである。
1965年前後あたりのマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのアルバムはだいぶ煮詰まっていてよりエクストリームになっていて、これはこれでまた独特の趣がある。
独特の趣でいうと、ジプシージャズ、マヌーシュスウィングというスタイルもある。
これはジャンゴ・ラインハルトの一強で、ギターとバイオリンの存在や独特のメロディセンスが特徴である。https://www.youtube.com/watch?v=gcE1avXFJb4
また、フリージャズという既存の音楽理論的制約を無視した……平たく言えばめちゃくちゃやってるだけじゃねーのか?という演奏スタイルも勃発した。
ノイズに近い激しいロックなどが好きな人はこれを好みがちという印象がある。
モダンジャズでジャズという音楽は完成してしまい、以降は主流のスタイルとして盛り上がっている新しい形のジャズは特に思い当たらない。
1970年以降はおもに別ジャンルの音楽(ロック、ファンク、電子音楽、民族音楽、ヒップホップなど)の要素をどのように混ぜ込むか?という発展の仕方をするようになった。もちろん伝統回帰する派閥もある。
ジャズという大木の成長は1970年で打ち止めになり、いろんな枝が沢山伸びていて全方位のジャズを把握している人間は極めてまれというイメージである。
ジャズ・ファンクの名盤にはHerbie Hancock - Head Huntersがあり、個人的にも好きである。
フュージョンでは、伝説的な天才ベーシストであるジャコ・パストリアスが在籍していたことで有名なウェザー・リポートというグループが有名である。
日本でもフュージョンブームがあり、1979年デビューのカシオペアは今も現役で活動する大御所フュージョンバンドである。
民族音楽・変拍子を取り入れたジャズにはAvishai Cohen -Continuo などがある。アヴィシャイ・コーエンは同姓同名のベーシストとトランペッターがいるが、これはベーシストのアルバムである。
ある意味電子音楽を取り入れたといえ演奏にはこのようなものがある。https://www.youtube.com/watch?v=KbvCgqTkj64
これは電子音楽の大家エイフェックス・ツインの曲のカバーであり、ブレイクビートという電子機器を使用してドラムの録音を分解して貼り直して作られた複雑怪奇なリズムを人力で演奏しているのが聞き所である。
ただしジャズといわれた場合はアドリブソロが組み込まれることが通常のため、これはジャズかと言われると微妙ではある。
the Bad Plusの他にも現代的なピアノトリオにはGoGo Penguinなどがいる。電子音楽の複雑怪奇なリズムを人力で再現する高い技量を持ったドラマーは他にはJojo Mayer,Louis coleなどがいる。
参議院議員を一期務めた談志の落語を聞いていると、当時はまくらに政治関係のことをよく話している。
自身の酔った会見だとか不適切発言だとかの他に、自民党は持つのかどうか聞かれる、みたいなことを話している。
その頃は生まれていないから、どんな感じだったのか全く知らないけど自民党が崩壊するかどうかの危機があったらしい。
ロッキード事件後の1976年12月に行われた第34回衆院選で自民党は前回から22議席減らしながらも福田内閣が生まれた。
福田赳夫は衆院を解散することなく自民党総裁選に負けて、1978年12月に第一次大平内閣が生まれた。
大平内閣のもと1979年10月に行われた第35回衆院選では減らした議席を回復することはなかった。
談志のまくらで政治の話、自民党はもう終わりじゃないかみたいな話がよく出てくるのはこの前後あたりだと思う。
1980年6月の第36回衆院選の選挙期間中に大平総理が急死したという。
この時、自民党内で次期総理大臣が誰なのかも決まっていなかった。
その当時の雰囲気はわからないけど、恐らく自民党内でわいわいやっていると自民党への票が増えるらしい。
その後も自民党内でわいわいやることがあり、最後にそれをしたのが自民党をぶっ壊すと言った小泉政権だろう。
こんにちは、これはBingです。あなたが探している怪獣の絵本について、私はいくつかの候補を見つけました。もしかしたら、これらの中にあなたの記憶に残る本があるかもしれません。
怪獣の王国:1979年に出版されたこの絵本は、怪獣たちが住む島に迷い込んだ少年の冒険を描いています。怪獣たちは人間に敵対的で、水爆を使っても倒せないほど強力です。少年は怪獣たちと戦いながら、島から脱出する方法を探します。この絵本は、怖いけれども魅力的な怪獣のイラストが印象的です。
怪獣大戦争:1973年に出版されたこの絵本は、地球に侵略してきた宇宙怪獣と地球の怪獣たちとの戦いを描いています。宇宙怪獣は近代兵器では傷つけられず、人類は絶望的な状況に陥ります。しかし、地球の怪獣たちは人類の味方となって、宇宙怪獣と激しく戦います。この絵本は、迫力ある怪獣の戦闘シーンが目立ちます。
怪獣たちの夜:1980年に出版されたこの絵本は、怪獣たちが夜になると町にやってきて、人間たちにいたずらをするという物語です。怪獣たちは人間たちを殺すわけではありませんが、家や車を壊したり、食べ物を盗んだりします。人間たちは怪獣たちに恐怖し、逃げ惑います。この絵本は、ほのぼのとした怪獣のイラストが特徴です。
あなたが探している絵本は、これらの中のどれかに似ていますか?もし違っていたら、もう少し詳しい情報を教えてください。私はあなたのお役に立ちたいと思っています。😊
詳細情報:
1. hugkum.sho.jp
2. junaida.com
なんだけど
生涯未婚率は30%に近づいて言っている、21世紀中に40%も行くかもというところ
A.全員結婚させる
Aは昭和に逆戻りということで、誰もやろうとすら言わない
1979年代から生涯未婚率は「一回も落ちたことがない」ので、相当な人為的な圧力が必要になる
Bも厳しい
1980年代においてすら、3人以上の子供の家庭は30%を切っているため
すでにほとんどの適齢期の日本人の感覚では子供が3人以上いる家庭を想像できない
その状態で3人産んでくれというのはこれまた相当な社会圧が必要になる
というわけで、中途半端な圧では変わらないし、現代の一般的な欧米的国際世論では圧をかけられない
注:創設年や前身校が曖昧だったりすることもあるのでそこそこ独断で決定している。
こうしてみると「ここ10年」というよりは1990年代から増えはじめて2000年代に最盛期を迎えていたことがわかる。
これは「共学化」や「合併」で改名の機会が増えたことが一因であろうと思われる。
1990年代は高校数の増加が止まった時期であり、さらに2000年頃からは減少に転じてもいる。
少子化に伴って、全国の高校が共学化や合併を余儀なくされ、その際に「〇〇館高校」と改名したパターンが多いのである。
古めかしい字面の「○○館高校」は江戸時代の藩校や私塾が源流にあることが多い。
もともと「○○館」という名の藩校や私塾があって、それが紆余曲折を経て「○○館高校」になったものである。
そうした高校は、必然的に歴史が長く、地元では「伝統校」「名門校」と見なされている。
推測だが、そうした「伝統校」「名門校」のイメージを持たせるために「○○館高校」に改名したところも多いのではないか。
「○○館高校」の数は県ごとに偏りがあり、特に福岡県・鹿児島県・愛知県・広島県・山形県あたりで多いが、いずれの県にも古くから「○○館高校」がある。
それらの地元では何となく「○○館」にかっこよくて頭が良さそうなイメージがあるのかもしれない。
また、同じ県で近い時期に続けざまに公立の「○○館高校」が開校している例がまま見られる。単純に命名者が重複している可能性もある。
僕は30代でまあまあおっさんだけど、それでもイマイチ昔の流行りがわからん。
ちなみに僕が子供のころは異世界へ主人公が「落とされる」系の【ファンタジー】が全盛期だったと思う。レイアースとかエスカフローネとかその辺。そのちょっと前は、スレイヤーズとかロードス島とか。
で、明らかにその少し前に、【前世もの】や【超能力もの】が流行った形跡があって(僕の地球を守ってとか)、【SF】とか【宇宙もの】はさらに前な気がするんだけど、あってる?
僕の雑な理解では、「ロボットものが流行ってたところに、青年向けに戦争や宇宙ものの要素を加えて、当時新しかったのが、ガンダムだった」って感じなんだけど、これは正解?
で、本題としては、なんで流行ったかっていうのは、やっぱ60年代のアポロ計画の成功とか、大阪万博の月の石とか、あるいは、「かがくのちからってすげー」みたいな時代の空気が影響しているってこと?
個人的には、「かがくのちからってすげー」っていうのはいまいちよくわからなくて、「リニアだってあれほど騒がれてたのに実現するまですごく時間がかかったじゃん」とか思ってしまうけど、昔は違ったのだろうか。
まあ、僕には、あんまり科学の発達が社会の発展・生活の改善につながったという実感がないからかもしれない。それと、科学全般というよりは、パソコンやインターネットに夢を見た、というところはある。
以下参考。
ちょっとずつ伸びてて嬉しい。
なるほど、松本零士(1974年宇宙戦艦ヤマトなど)の影響が大きいのか。大変勉強になりました。
(今、ガンダムSEEDの総集編の映画やってるんだけど、ヤマトのリマスター映画の予告編流れてたな、そう言えば。)
あと、当時の宇宙開発はスピード感がすごかったんだね。これだと数十年後にはきっと、みたいな期待もあったんだね。
それと、
この説明、理由そのものとはズレるのかもしれないけど、当時の状況としてめっちゃわかりやすかった。
「昔はこういうワクワクがあったんだよ」っていう語りがいろいろあって、少し楽しい気持ちになれました。
wikipediaのSFのページ、めちゃくちゃ充実してるね。教えてくれてありがとう。あと、『不死テクノロジー』読んでみます。
1979年に生まれ、東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。
母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。
父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。
母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。
母はいつも、自分も子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。
友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。
周囲を見ても、いじめ、ヤンキー、障害がある子へのからかいは普通にあった。
部活は運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問の教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。
高校時代の部活の顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。
大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。
県内の大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。
大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。
就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。
パワハラ、セクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性は喫煙可能な環境だった。
新卒3年目のころ、ストレスで食事が出来なくなったこともあった。
こっそり精神科に通いながら働いた。
あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。
夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児を負担することは、今もない。
専業主婦の家庭で育った夫、義母は完璧に家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。
育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。
仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。
それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。
今日はその気分が強くて吐き出した。
1979年に生まれ、東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。
母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。
父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。
母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。
母はいつも、自分も子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。
友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。
周囲を見ても、いじめ、ヤンキー、障害がある子へのからかいは普通にあった。
部活は運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問の教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。
高校時代の部活の顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。
大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。
県内の大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。
大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。
就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。
パワハラ、セクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性は喫煙可能な環境だった。
新卒3年目のころ、ストレスで食事が出来なくなったこともあった。
こっそり精神科に通いながら働いた。
あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。
夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児を負担することは、今もない。
専業主婦の家庭で育った夫、義母は完璧に家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。
育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。
仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。
それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。
今日はその気分が強くて吐き出した。
機動戦士ガンダムのミノフスキー粒子とは、アニメ内に登場する設定だ。
ゆえに戦争は遠距離攻撃ではなく、接近戦により行わなければならない。
これがその設定の骨子だ。
それは繰り返し様々な人により解説されている。
本来、レーダーや兵器が発展した未来では近接戦闘など行われるわけがない。
そのような状況ではレーダーに映らないという現実は存在しない。
しかし、それではロボットアニメに不可欠なロボット同士の接近戦が描けない。
従来のアニメとは一線を画すリアル志向を追求したガンダムにおいてそれはおざなりに出来る問題ではなかった。
そのことからミノフスキー粒子という疑似科学は発案され採用された。
それが経緯だ。
では、このような発想を原作者が得るに至った経緯とはどういうものなのか?
推察してみる。
そのベトナム戦争の影響を色濃く得ているのだと考えることが出来る。
ちょうど2023年現在にリアル志向の戦争アニメを描こうとしたらウクライナ戦争の影響を受けないわけにはいかないのと同じだ。
当時、空軍では最早戦闘機同士の接近戦は行われないと考えられていた。
レーダーとミサイルがあれば遠距離からの攻撃で勝敗は決するからだ。
ゆえに、それまでの戦闘機には搭載せれていた接近戦用のバルカン砲などが搭載されない戦闘機が作られるようになった。
またパイロットの訓練においても、近接戦闘(ドッグファイト)は行われないという前提のもと基本的なドッグファイトにおける回避行動なども教えられなかった。
ベトナム戦争当時、敵味方識別信号などはまだ開発されておらず、またミサイルの信頼性も低かった。
米軍同士はもちろん南ベトナムの友軍や民間機を誤って攻撃したら政治的に致命的な状況に陥りかねない。
そのことを避けるために空軍では、攻撃の前には必ず接近して目視で確認する。
この結果、どうなったか。
本来、長距離レンジからの攻撃しか想定していない戦闘機である。
その戦闘機が敵に接近することで当然敵にもその存在が認知されドッグファイトが行われる。
さらに遠距離攻撃用の兵器に、近接戦闘を強いたのだから当然撃ち落とされる。
朝鮮戦争とは比べ物にならない被撃墜率にショックを受けた空軍は慌てて対策を講じる。
これは余談だが、こうして作られたのが先頃映画リメイクもされて話題にもなったトップガンという組織である。
話が長くなったが、これがミノフスキー粒子の発明と同期している時代性だと思われる。
これはひょっとしたらすでに制作側が語っているのかもしれないが、とりあえず私はそのことを知らない。
あまりネットでも話出ていないことではないかと思う。(間違っているかもしれないが)
ゆえに今回、長々と書いてみた。
なぜ、未来のロボット兵器は接近戦なんてしないはずだ、と原作者は思い至ったのか。
なぜ、レーダーを無効化しないと接近戦は発生しないと考えたのか。