はてなキーワード: 文化とは
数字で評価されない緩い時代に浸かった老害の愚痴。広告業を文化だという戒めがむしろコスト効率・広告効果の低い真正のゴミを量産してきたのだから世話が無い。無能な働き者。
だからさあ
俺は小沢が川勝氏に対して捧げた「知識というサングラス」って追悼文にあった、「並ぶ固有名詞の向こう側にその人となりは掻き消され」
みたいな一文がとても匿名文化とマッチしていてると思ったんだよね
ここに記した固有名詞ははてなにいるアンテナびんびんの天才エンジニアが検索で上位に表示させてくるから、ここにあらゆるジャンルの固有名詞を記していけば、自分より見識が深い人間が集まる空間になるんだろうなって
そう思っていた
愛知県民が国民民主党議員を大量当選してるのを見てドン引きしてる
(大阪の維新はって感じで文化相対主義的に、まあ未開の部族の文化かなって逆に受け入れられるようになってきたが)
なんで今時ポピュリズムに流されるのかなあってさw
確かに理性を捨ててポピュリズムに流されるのは、頭を使わなくて楽だろうけどさw
正直こっちから見ると異常だよ?
Wikipediaにもちゃんと載ってるヒョーゴスラビアについて理解している人が少なすぎる
五国はちょっと大げさだけれど、実際に神戸と明石では全然雰囲気が違うし姫路まで行くと通じない方言も出てくる
加えて淡路島や中部の農村地域、北部の豊岡は違う県と言っても過言ではないレベルで文化が違う
兵庫県を語るならこのヒョーゴスラビア状態はちゃんと前提として理解しておかないといけない
そしてこのヒョーゴスラビアのほぼ全域から支持されたのが今回の知事選で
立花が暗躍したり練り歩いてたのは三宮という非常に小さな一部の地域だけ
票数的には南部の都市部が支配的なので当選結果に影響した事実はあるだろうけれど
特に中部から北部にかけては過疎化が進んでいてネットの使用率も低く
ポスターが貼られてはいたけれど、あんな怪文書を読んで信用するほどアホな人はいない
立花もこのヒョーゴスラビアを分かっていなくて22市長に刺客を送るとかバカなことを言っているが絶対に勝てない
それぐらい神戸エリア以外の支持者は地元との密着度合いが高くて悪く言えば排他的な地域
そんなヒョーゴスラビアの知事選は、大半の県民にとって別にどうでもいいというのが実体
市長は非常に大事だが知事なんて神戸にいる人なので別に誰だろうがどうでもいい
法律というのは「当事者・所管機関ではないと判断できない(そもそも厚労省は所管機関ではないがw)」のではダメで、誰に対しても公平であって公知なものでなければならない。
所管機関ではないと判断できない、というのは、法律が慣習法のみで明文化されていなかった時代(日本でいうと大岡越前守より前の時代)。
誰もが法の構成要件、刑罰の構成要件を文書で知ることができるというのが「明文法」の原則。
(最終学歴が中学、または標準指導要領の内容の習得を目的としない一部の特別支援学校(知的障害など)卒業の方だったら申し訳ないが)
フェミニズム的には心が弱いからではなく、男性中心コミュニティで築かれるホモソーシャルな仲間意識の中で「男らしさ」を称揚する文化が維持され、男性は互いに男らしさを見せ合い、それができないものは落伍者となるという状況が生まれ、それについていけない男は男らしさとの板挟みで死を選ぶことがあると言った話はなると思う。
絶賛したい。
実写の正解を毎話叩き出しているゴールデンカムイ。
監督がひとりひとりにキャラ考察ノートのようなものを渡していると言うので(萩原聖人のように脚本自己解釈で挑みたかった役者のスタンスによるが)原作解像度が異常である。
ドラマでは映画より改変も結構ある。もともと映画脚本時点で原作をよく覚えていないと分からない程度の短縮が見られたが、そのカットに違和感がなく、前後につながりをもたせることに成功している。
漫画的嘘の表現を、リアルに落とし込んでいるのもまた違和感がない理由だろう。
もちろん、だからこそ期待値が上がり「あのシーンを実写で見たかった」という声も出てくるのだが…。
親分と姫回もよかった。大自然を味方につけた夕焼けのハイライトと無茶苦茶な耽美展開。なぜ実写化できているのかもはや分からない。
実写化して改めて気づくことも多い。原作やアニメのアイヌ描写は頭の中でリアルに変換しているのだが、やはり自分の中での解像度が低い。その分実写だと、多くの協力もあってリアルなアイヌ文化が伝わってくる。
毎話放送後にメイキングが公開されるが、最新話のアイヌ料理描写はとても面白かった。
役者たちもなにを食べてるのか分かっていない新鮮なリアクション。フキが足りなくなれば山に入って採ってくる。アイヌの食文化を引き継いだ人が、料理監修の人に一から教えていく。ぜひ劇中料理本を出してほしい。
そしてまた気づいたことがある。
二階堂は映画版では編成都合上クライマックスの敵役で、実写序盤でかなり目立つ位置にいる。
映画だとまだ正気を保っていたが、ドラマでは無事第二形態まで進んで、みんなの知っている二階堂になった。一つの作品で役柄をあんなに変えていくのはすごい。しかも原作から抜け出したかのような演技なのだ。
そこで改めて二階堂という人に注目してみることになったのだが、彼の哀愁と愛憎を見ていくうちに、二階堂は杉元に愛してほしかったのかもしれないと思うようになった。まぁ、この熱量の感想で触れる部分ではないのかもしれないが…。
勿論ここは実写違うんだよ、という原作ファンは居るだろう。でもそこで平和に話題ができる。こういう感じで原作読者が見ても楽しめる作品はあまりないので、ゴールデンカムイを見てしまった今、今後の実写他作品を楽しめるのか不安すらある。
著作権について学習していたら絵柄を保護するってのは著作権法の理念と真逆の発想ってのは理解できるはず
アイデアが保護されないのは既存の著作物からインスピレーションを受けて新しい発想が生まれることで文化の発展に寄与することを目的としているからで、絵柄が保護されたら創作は萎縮してしまうよ
みなさん、はじめまして。
本日記では、現在大学院生である私が2021年から脱毛症を抱えながら過ごした日々を時系列に沿って述べたいと思う。
私が脱毛症を発症した時期は2021年8月で、当時は大学4年生の21歳だった。学部時代の最終課題である卒業論文の執筆に取り組む中で、ふと自分の髪の毛の一部が抜けていることに気づいた。歳を取ればいつか髪の毛が無くなるだろうという覚悟はあったが、まさか21歳で無くなり始めたことは予見しておらず、非常に衝撃を受けたことを覚えている。なぜ急に髪が抜けたのだろうかと考えると、1ヶ月前の2021年7月にCOVID19のワクチンを接種したことを思い出した。COVID19のワクチン接種に伴って生じる副反応は当時よく分かっておらず、自分は脱毛の副反応が生じたのかもしれないと推定していた。しかし、その因果関係を示すことが難しい上に、因果関係が示せたところで結局何の解決にもならないと思ったため、脱毛が起きた理由を深掘りすることは止めた。また、当時は世界的にワクチン賛成派と反対派の派閥があり、ワクチン反対派 (通称: 反ワク) は社会的に陰謀論者とみなされる傾向があった。上記の仮説は反ワクと捉えられて、批判される可能性が高いセンシティブな話題だったため、結局理由の深掘りをする気にはならなかった。それよりも、脱毛症であることを他人に知られたくないという思いの方が圧倒的に強かった。そのため、どうしたら脱毛部分をうまく隠せるだろうかと色々と試行錯誤した。しかし、脱毛範囲が広がるにつれて、綺麗に隠すことに限界を感じ始めてきた上に、そもそも隠せているか気にすることが鬱陶しく感じていた。そのため、髪の毛の3割ほどが抜けた2022年3月頃、もはや隠し切ることは不可能であると潔く諦めた。友人との北海道旅行中にふと脱毛症であることを告白したが、特に気にしていない様子だった。それどころか大変だっただろうと伝えてくれた。このとき、自分は救われたような気分になったことを覚えている。友人の言葉によって勇気づけられた私は、帽子を被る日課を捨て、宿泊していたホテルの大浴場に向かった。そのとき、自分の後方を歩くカップルが「ねえ、あの人見て!」と言い、小声で話し始めたことに私は気づいた。当時、その場にいた人は自分とそのカップルだけだから自分について話していることは明白だった。恐らく私の脱毛症について話していたのだろう。このとき、私は自信を一気に無くし、やはり脱毛症は隠さないと馬鹿にされてしまうのかと非常に悲しい気分になった。同時に世の中に絶望した。大袈裟に聞こえるかもしれないが、北海道旅行中に知らない人に脱毛症を馬鹿にされたことは私を長く苦しめた。脱毛症は隠さなければならないという気持ちを強くし、何よりも自己肯定感が低くなったからだ。
旅行から帰ってきた後、私は良いバリカンとシェーバーを買い揃え、丸刈りのスキンヘッドにした。髪自体を全て無くしてしまえば、部分的に抜けた髪の範囲が目立ちにくくなると考えたからだ。その考えは概ね正しく、確かに脱毛部位は目立ちにくくなった。また、2日に1回ほどスキンヘッドにする作業が必要だが、これは慣れてしまえば約10分でできる。なによりスキンヘッドは爽快だ。髪を隠せているかどうか気にする必要が無くなるから。
2022年4月、私は学部教育を終えて大学院に進学した。大学院では3年間で国内大学院と海外大学院の2つの修士号を取得する特別なプログラムに参加することにした。志望する職業に就くための強力なカードになると考えたからだ。
さて、2022年4月頃は世界中が脱毛症について意識したはずだ。当時、第94回アカデミー賞の授賞式において司会者のChris Rockが、Will Smithの妻であるJada Pinkett Smithの脱毛症をネタにしたところ、Will SmithがChris Rockに強烈なビンタを放ったからだ。私の率直な感想は、Will Smithって奴は最高じゃないか!である。なぜならば、毛が無いことを馬鹿にする世の中の風潮に私は絶望していて、Will Smithがその風潮に反抗する意思を示したように見えたからだ。この事件は様々な議論を呼び、最終的にWill Smith側により厳しい罰を下されたが、私は彼の勇気ある行動を讃えたいと思う。
それから4ヶ月後の2022年8月、私は大学院入学のためにスウェーデンに渡航した。スウェーデンは優しい人が多く、多様性を認める素晴らしい国であり、私はその国で過ごせた時間に感謝している。さて、スウェーデン到着まもなく、家具を揃えるために寮の近くのIKEAに行った。IKEAでは店内にいた推定7歳の少年が記憶に残っている。彼は恐らく何らかの病気で髪の毛が一切なかったが、全く隠している様子は無かった。彼の姿は私に大きな勇気を与えたと同時に、スウェーデンでは毛が無いことを馬鹿にされない社会であることを感じ、非常に安心した記憶がある。また、2022年9月には留学先で(スウェーデン人ではない)彼女が出来たことも自己肯定感を向上させた。しかし、私の生活は常に大学院の膨大な課題に追われており、彼女のことを疎かにした結果、3ヶ月も持たずに振られてしまった。特に喧嘩して別れたというわけでは無かったので、別れた後も彼女と出かけることは多かった。彼女は酒癖が悪いという部分もあるが、スウェーデンに移住するために大学院留学するなど主体的に行動している部分もあり、総合的に見て優秀で素晴らしい人だ。そんな彼女でも、外国人としてスウェーデンで仕事を見つけることには苦戦していた。しかし、先週ついに仕事が見つかったという連絡が来て、私は胸が熱くなった。彼女がスウェーデンで今後の人生を謳歌できることを心から祈る。さて、私はスウェーデンでは脱毛症のことを意識することがほとんど無かった。アジア系の友人には髪が無い理由を聞かれることは時々あったが、素直に脱毛症だと伝えていた。アジア系の人は髪に厳しいのかもしれない(笑)。
2023年8月、私はスウェーデン生活2年目に突入する。1年目は大学院の課題にずっと追われていて、常にプレッシャーを感じていたが、2023年6月から2ヶ月にわたって夏休みを楽しむことで十分にリラックスできた。夏休みには日本に一時帰国したり、ヨーロッパを周遊したり様々な興味深い体験ができた。ちなみに一番おすすめの旅先はスペインのサンセバスチャンである。
2年目となると学業にも余裕が出てくるが、学業以外に需要なイベントがあった。それは就職活動である。私は日本で働きたいと思っていたため、バイリンガル向けの就活イベントであるBoston Career Forum (BCF) に参加することにした。BCFは例年11月頃にアメリカで行われるが、9月頃からZoom等を用いて企業とオンライン面接をすることがほとんどだ。このとき、私の脱毛症はほとんど治りかけていた。2年間ともにした脱毛症とついにオサラバかと思っていたが、急に症状が悪化し出す。このとき、日本での脱毛症に関する嫌な経験をふと思い出した。脱毛症によって就職活動に悪影響が出ないか急に心配になり、「脱毛症 就職活動 不利」などとGoogle検索した。その結果、ほとんどの人はウィッグを被って脱毛症であることを隠して就職活動を行うことが分かった。そして、特に私が希望していた金融業界ではスキンヘッドという外見は一般的に避けるべきだと述べるコメントを見つけた。海外にいた私はウィッグを調達することが非常に難しく、私の就職活動は詰んだのではないかと絶望した。半ば自暴自棄に当たって砕けようと金融業界の数社に応募したところ、スキンヘッドが不利だとは特に感じなかった。むしろ面接官に強烈な印象を与えられるため、就職活動が有利になるのではないかとすら感じた。結果、私は第一志望の会社に内定を頂き、無事に就職活動を終えることができた。
2024年4月、私はスウェーデンを離れ、日本に帰国した。スウェーデンにいた1年半はあっという間だった。久しぶりの日本は不思議な気分だ。スウェーデンで様々な文化に触れた結果、今まで普通だと思っていた日本の文化が興味深く感じるようになった。しかし、日本の文化で一つ許容できないものがある。それは外見に関するコンプレックス広告が至る所に蔓延していることだ。特に電車の広告は酷い。四方八方に「脱毛」「薄毛」「痩せる」「二重整形」などと書かれていてウンザリする。そのため、電車内の広告は極力見ないように気をつけている。また、ネット上の広告も酷いものが多いが、VPNを用いてアメリカのサーバーを経由することでそのような劣悪な広告は回避できる。そう、アメリカは広告の審査基準が非常に厳しいのだ。日本もコンプレックス広告をはじめとする劣悪な広告の規制を強化してくれないだろうか。なお、スウェーデンで脱毛症を隠さない自信を獲得した私には、薄毛煽りなどの広告は無意味である。そのような広告を見ても、そこまでして金儲けがしたいのかと広告主が哀れにすら感じる。
なお、大学院3年目は順調である。取り組んでいる研究の成果が出てきたため、何らかの形で外部に発表できないか検討している。
本日記が脱毛症である皆様を勇気づけることができれば幸いである。また、脱毛症で苦しむ人を支援し、外見の多様性を認める日本社会に変革することを強く希望する。
それな。
漂流して漂着してレイプする文化の孤島の民族に加えてもらったら一緒に女性をレイプするのが正しいんですか、っていう話。
法律でも決めらない。
正しさとは、「こころ」。
マンガやアニメ見てて、「あれ、このキャラ日本人じゃなくね?」って思ったことない?
金髪碧眼、鼻高くて彫り深い顔。おいおい、俺ら日本人が作ったはずの作品だよな?でも見た目はどう見ても欧米系。これ、どの作品でも結構ありがちなんだよな。
たとえばさ、ナルトとか進撃の巨人、BLEACH、ジョジョ、超人気作品だよね。でも、登場人物の見た目を冷静に見ると、これ日本人?ってなること多いよな。ナルトなんて忍者の話なのに金髪で青い目だぞ。進撃の巨人のミカサも「アジア系」設定なのに顔立ち欧米風すぎて笑えるわ。リアル日本人なら黒髪にアジアっぽい顔立ちでも十分カッコいいと思うんだけどさ。
で、気づいたんだけど、これ日本人だけじゃなく、海外の人も同じこと言ってんだよな。「なんで日本のアニメキャラは白人みたいなんだ?」って。それってもう、日本人自身が「白人らしい見た目=美しい」って無意識に思い込んでるんじゃね?
ここで一つ考えてみようぜ。なんで俺ら日本人、こんなに「白人っぽさ」に憧れるんだ?
戦後からずっとアメリカ文化に触れてきたってのがでかいと思う。映画、音楽、ファッション、全部が西洋風だったし、それが「オシャレ」とか「カッコいい」って刷り込まれてきたんだよな。
さらに、マンガやアニメも「欧米でウケること」を狙ってる節がある。結局、欧米市場で売れるためには、「彼らに親しみのある見た目」に寄せた方がウケがいい。だから、キャラデザインも必然的に白人っぽくなっちゃうんだろうな。
でもさ、これって日本人らしさを削ってまでやることか?俺らの文化を発信するはずのマンガやアニメが、結局は欧米の影響を受けた「白人っぽい作品」になっちゃったら、それもう日本の作品って言えるのかな。
俺らが求めてるのって、本当に「白人っぽいキャラ」だけなのかな?
たとえば黒髪で切れ長の目、ちょっと控えめな見た目でも、内面がめっちゃ熱いキャラとか出てきたら、それってすごく共感できると思うんだよな。だって、日本人としてのリアルな感覚に近いからさ。
それに、海外の人も意外とそういうキャラ好きだったりするんだよ。「日本らしいキャラ」に憧れる海外ファンも多いし、むしろそういうキャラを見たいと思ってる人もいるんじゃない?だから、もっと日本独自の美意識を取り入れたデザインが増えてもいいと思うんだよな。
最近は多様性が注目される時代だから、マンガやアニメのキャラクターももっといろんな見た目があっていいと思う。もちろん、白人っぽいキャラがいてもいいけど、そこに日本人らしいキャラや他の文化を反映したキャラが加わると、もっと魅力的になるんじゃないか?
結局のところ、日本のマンガやアニメって、日本人が作ってるからこその「特別さ」があるはずだよな。その特別さを活かして、日本人らしいキャラクターやストーリーをもっと大事にしていけば、世界中のファンも「これが日本の作品だ!」って感動してくれると思うんだよ。
どうだ、俺らもそういう未来を期待しようぜ!
今年で10周年を迎える老舗ソシャゲ、グランブルーファンタジーのセールスポイントのひとつに「最新のキャラには及ばずとも、ある程度の性能が担保されたキャラクターが全ユーザーに無料配布されること」があった。
人気コンテンツとのコラボは、長い歴史のあるグランブルーファンタジーにおいて新規ユーザーを呼び込む絶好の機会。
これまでのグラブルの歴史の中でもそういうムーブメントが確かにあったし(e.g.鬼滅の刃コラボ)グラブルはこの文化を大事にしてるんだろうなぁって思ってた。
そしてその配布されたコラボキャラが所謂強キャラではないことで企業系攻略wikiの最強キャラランキング!!にコラボキャラが並ばないことでグラブルの世界観が保たれて、まさにグラブルへの導線としてコラボが機能していたように思える。
しかしそんな老舗ソシャゲにも変化は訪れるもので、今年からついにコラボガチャが実装されてしまった。
どうしてそうなったのかは分からないけど、そんな私の頭でもお金のためであることは流石にわかる。そうじゃなかったらビビる。
それ自体についての是非はもう論じていても仕方ないので受け入れはした(してない)が、そのコラボガチャの内容には驚愕した。
まずグラブルのガチャシステムについて軽く話をさせてもらうと、SSR確率が2倍・限定キャラ排出・新規キャラ追加のフェス方式のガチャが月に2回行われ、プレイヤーの99%がそのタイミングでガチャを回している。ちなみにSSR確率は恒常ガチャがSSR3%でフェスは6%で、9万円分引くと天井に到達して対象のキャラが1人もらえる。
じゃあこの度実装されたコラボガチャも当然フェスなのか?というと、まさかの恒常ガチャと同じ3%。
当然限定キャラも排出されず、肝心のコラボキャラピックアップ率は各0.5%の合計1%。
正直引いた。
事前のアナウンスでコラボキャラの有無で既存のコンテンツに差が生まれるような性能にはしないことが確約されていた以上、コラボ先のコンテンツに興味のない私みたいなプレイヤーはまず確実に引かない。
コラボ先のコンテンツが好きな既存のプレイヤーも、これから控えているガチャ(特殊な事情で1年間排出が止まるキャラの最後のピックアップやクリスマス、年末年始にある目玉ガチャ)に備えて蓄えたい時期で余裕があるとは言えない。
そして一番大事なコラボ目当てで始めた新規ユーザーも、いきなり数万円課金するのは流石にハードルが高いと思う。いくら恒常キャラの中にも限定キャラに近い性能を持つキャラがいるとは言っても、限定キャラが排出されない以上は副産物に期待ができるとも言い難い。
他のソシャゲだとコラボキャラって結構強かったりすることが多いイメージがあるけど、前述の通り別に強くはない状態で実装されてるキャラをわざわざ原作ファンが他コンテンツに課金して引くのか?そこもわからない。
ちなみに今回実装されてる転スラキャラはシオンとディアブロで、原作ファンなら強くあってほしい寄りのキャラっぽい気はしてる。
グラブルの良さのひとつをなくして実装されたコラボガチャがこんな出来になって、誰が喜んだんだろう。
陰湿な人達に「敢えて酷い出来にして既存のプレイヤーに炎上させることでこれから先のコラボガチャの存在を抹消する巧みな工作」なんて言われ方をしてるこのコラボガチャは誰が喜んだんだろう。
誰が私の好きなグランブルーをこんなにしちゃったんだよ。
なるべく傷つけないように言うね。この文章は率直に言って、突拍子もない陰謀論のオンパレードだね。ワイヤレスイヤホンや音楽に関する技術的な理解というよりも、フィクションが過ぎて現実味に欠けているんだ。
まず、ワイヤレスイヤホンが「錯覚」であるという主張だけど、そんなことはないよ。ワイヤレスイヤホンはBluetooth技術を使って、デバイスから声や音楽のデータをイヤホンに送信し、イヤホンがそのデータを音に変換しているんだ。これが科学的な事実で、人間の脳が何かの「錯覚」を起こしているわけじゃないよ。
次に、イルミナティやフリーメイソンが絡んでいるという話だけど、これこそ典型的な陰謀論だね。音楽産業や技術の発展にそんな秘密結社が直接関わっているなんていう証拠はどこにもない。それを言い始めたら、あらゆる技術がどこかの陰謀によるものだって話になるよ。
さらに、マヤ文明の予言やダ・ヴィンチの「モナ・リザ」にまで話を飛ばしているけど、これも憶測が過ぎていて根拠に乏しいね。歴史的な事実や技術的情報を結びつけるには、もっと具体的で実証可能な根拠が必要だよ。
音楽が支配手段だなんていうのも過激すぎる見解だね。音楽は多くの場合、感情や文化を共有する手段として用いられ、生活を豊かにする役割を果たしているんだ。
こんな調子で根拠のない陰謀論に縛られるよりも、テクノロジーの実際の仕組みや音楽の文化的な価値に目を向けると、もっと現実的で建設的な考え方ができるんじゃないかな。
どうして居酒屋に行くたびに「お通じ」を出されるんだろう?もう何度も言ってるけど、あれ、本当に怖いし、理解できない。みんな平気で食べてるけど、あれ、絶対に普通の食べ物じゃないでしょ?
昨日もまた、居酒屋で「お通じです」と言われて、小鉢に入って出てきたあれを見て、もう本当に怖くなった。だって、見た目があまりにも…なんか、気持ち悪いというか、あれを食べなきゃいけないのかと思うと、本気で吐きそうになる。
店員さんに「これ、何ですか?」って聞いても、ただ「お通じです」って言われるだけで、絶対に食べ物だなんて思えない。あんなものを食べるのが文化だとか言われても、私は絶対に無理だよ。だって、食べ物として出されてるけど、それを「お通じ」と呼ばれている時点で、もう食べたくない。
どうしてみんな平気で食べてるんだろう?本当に怖い。居酒屋に行くたびに、毎回毎回、あんなものを出されると思うと、行きたくなくて仕方ない。何度も言うけど、あれは絶対に食べ物じゃない。誰か、あれをどうにかしてくれ!
まあ、グローバル化ってのは、確かに手放しで褒められるものじゃないけど、言ってること、ちょっと安易すぎだよ。歴史を見てみれば、グローバル化がなければ今の社会はなかったかもしれないって点も多いんだ。例えば、シルクロード。あれがあったからこそ、東西の文化が交わり、知識や技術が広がった。それによって、ヨーロッパのルネサンスが起こり、近代科学の基盤が築かれたんだ。
でも、もちろん問題もあるよ。グローバル化が進むと、地元の文化や経済が犠牲になることもあるし、例えば18世紀の産業革命みたいに、機械化が進むことで労働環境が悪化したり、貧富の差が拡大したりした。でも、それを解決するのもまた人間の役目でしょ。
例えば、インディアナ・ジョーンズのような冒険者たちが、古代の遺産を発見した時、世界中の知識をつなげることで、新たな発展が生まれたわけだ。それと同じように、グローバル化も単なる問題解決の道具として使うべきだろ。自分が変えられないって言うなら、まずは自分がどう変わるべきかを考えるべきだし、他人を責めても何も変わらないよ。
あとは、「変えられない社会」って言ってるけど、歴史的にも変革って簡単じゃなかったんだよ。例えば、アメリカ独立戦争。最初は無力に見えた13の植民地が、時には血を流しながら独立を勝ち取った。だって、変化を受け入れないと、結局、現状維持が一番苦しくなるんだよ。
だからさ、しがらみが強いって嘆くのも分かるけど、まずはそのしがらみの中でどう活路を見出すかだ。孔子の言葉に「千里の道も一歩から」ってあるけど、一歩を踏み出さなきゃ、どんなに大きな変化も起こせないんだよ。
泉房穂氏、斎藤・兵庫県知事パワハラ疑惑で苦言 「知事は脈々と官僚出身、県庁“ヨイショ体質”が…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3752194071c2bbe1e43cda0061bf829c9b8f265
斎藤知事は尋問で、職員に対するパワハラ自体を認めずに、「至らない点はあった。過去は取り戻せないので、もっと良い知事としてやっていく。言動はより慎重に、襟を正していく」と、反省の言葉を述べつつ続投への思いを口にした。
こうした斎藤知事の言葉に、泉氏は「本人は開き直っている。『自分が悪い』とは全く思ってない。むしろ自分が被害者のような感じだ」との印象を持ったという。
そして、「最後まで(パワハラなどの疑惑を)認めないだろう。時間が経っても、スタンスは変わらない。(百条委を)漫然と続けても平行線をたどるだけ。今後、事実が明らかになるのは難しい」と述べた。
さらに、「政治家に必要なのは、(ドイツの政治学者・マックスウェーバーが言うように)情熱と判断力、そして責任感。斎藤知事には責任感が欠けている。責任転嫁、という言い方のほうが良いかも知れない」と指摘した。
泉氏はこうした事象について、「こうした“モンスター知事”を生み出したのは、古い兵庫県庁の体質も原因だ」とも指摘した。
「兵庫県では、1962年から62年間も、官僚出身者が脈々と知事であり続けている。これは全国でも珍しい。こうした土壌で、職員が知事を『ヨイショ』する、持ち上げる文化が、こうさせてしまったのではないか。斎藤知事本人のみならず、兵庫県庁組織自体が本当に県民を見ているのか、今の時代に合った政治をしているのかと思う」 と、自身が明石市長だった12年間の政治家時代と重ね合わせた。
斎藤元知事の下の名前「元彦」に思うところもあると表明している。
https://x.com/izumi_akashi/status/1832384122167407034
泉 房穂(いずみ ふさほ)
@izumi_akashi
「斎藤元彦知事」の「元彦」という名前の元となった「金井元彦知事」は、優生思想に基づいて『不幸な子どもが生まれない運動』を提唱し、障害者の見殺しも含めた理不尽な差別政策を、兵庫県庁をあげて強硬に推し進めた人物。正直、何かと思うところもある・・・ https://news.yahoo.co.jp/articles/41ac1d7e044a89c4ca4e28ba2c3dd4931a832115
これを読んで、私だったら自分の子供に「元彦」より「房穂」って名前を付けたいなと思ったよ。
お前さ、そんなことで悩んでる暇があったら、歴史をちょっと調べてみろって。Sid Meier's Civilization VI はただのゲームじゃねえ、文明の進化そのものなんだよ。
まず、これを理解するためには「文明とは何か?」を考えなきゃいけない。文明っていうのは、ただ技術や文化が積み重なっていくものじゃない。それは国家の歴史そのものであり、経済、政治、戦争、文化が絡み合って形成される複雑なシステムだってことだ。これを理解するには、少なくともアレクサンダー大王やナポレオン・ボナパルトみたいな歴史の巨人たちがどんな選択をして、どういう結果を生んだのかを知る必要がある。
例えば、ナポレオンなんて「戦争を制する者は国家を制する」って信じて、無謀とも言える戦争を繰り返したけど、結果的にヨーロッパの地図を一変させた。文明 VI の中での選択も、まさにこのような形で現実の歴史を再現するわけだよ。
そして、「何をどうすれば楽しいか」がわからないって言ってるけど、これはちょっと甘いな。そもそも、ゲームを「楽しむ」っていうのは、ただ「勝つ」ことだけじゃないんだよ。**「挑戦」があって、「失敗から学ぶ」**過程にこそ面白さがあるんだ。それこそが、古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルの言葉にある「勝者はすべてを支配する」じゃなくて、「失敗からこそ学べ」って考えに繋がってくる。
「ハマる要素が見えない」?それはお前が「成長」って概念を理解していないからだよ。文明 VI は、最初はどうしても戸惑うかもしれない。でも、まるでアルキメデスが「ユークリッドの定理」に気づいた瞬間みたいに、ゲームの中での小さな発見が積み重なることで、あなたの視野が広がるんだ。その瞬間が「ハマる」ってことなんだ。
つまらないって言ってる時点でお前はまだ、文明の「生み出し方」「育て方」ってものを分かっていない。それはまるでアトランティスの遺跡に足を踏み入れたような感覚だぞ。最初は何も見えないけど、じっくり掘り下げていけば、必ずその奥に隠された壮大なものが見えてくる。そこで「やっと面白い!」って思えるわけだ。
お前に足りないのは、忍耐力と好奇心だな。時間をかけて、あれこれ試行錯誤しながらプレイしてみろ。最初から答えを求めすぎるな。歴史的にも、アリストテレスやデカルトのような偉人たちだって、最初から全てを理解していたわけじゃない。時間をかけて、失敗しながら、少しずつ「真理」にたどり着いたんだ。