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はてなキーワード: メディアとは

2024-11-21

anond:20241121031658

斎藤知事に入れなかった追記

拙い文をこんなに読んでコメントもらえると思わなかった。

皆さんありがとうございます

播磨の姫にもやさしくしてやってくれ。

深夜3時のテンションで書かずにもっとしっかりと練ればよかったと思ったが、これが素の文章力だったぜ。

せっかくなので垂れ流し補足(蛇足?)

選挙後の印象も多分に交じっている。

・ワイ周りの雰囲気についてと雑感

普段、誰が誰を支持してるか分からん状況で政治の話なんてしないでしょう。

関西野球阪神タイガースなので野球の話はする)

ただ今回はハメられた、不倫してたみたいなウワサが流布してて、いわばゴシップ的に口の端に上りやすくなっていた。

「真実」知った人は誰かに話したくなるよね。

そういう人はコミュニティにおいて、普段から話題提供して盛り上げてくれる人でもあったりするんだ。

これが芸能人の話だったら、そうなんやーとか、誰やそれ知らんわー、程度に流されたんだろうけども。

自分の県の話だから興味ないでは済まされず、開票日という結果発表があるからか、どんどん盛り上がっていった。

かといって、あんだけメディアで叩かれて辞めた人に投票するのも不安よね。

自分でも調べてみよう。

そこに斎藤さんは悪くなかったというナラティブがスーっと効く。

政策評価なんてのは各々の生活仕事によって変わるけど、人となりの話は「共感」だから

開票3日前くらいにはもう斎藤さんが勝てるかどうか!?くらいのテンションになっていた。

ワイが周囲の人と話したり、酒場で小耳にはさんだりした雰囲気は、こんな感じだった。

立花

わりと認知されてるし、メチャクチャやってて面白いという人もいる。

勘弁してくれ。

公益通報について

これ現実話題になることほぼなかった。

例の死んだ人と斎藤さん、どっちを信じる?みたいな雑な二項対立に回収される。

実際のところ、行政プロセスについて重視している人ってそんなにいないのではないかと思う。

目に見えるコネとかワイロとかには皆怒るけど、怒るにしても「そんなもんだよね」というくらいの認識では。

モリカケとかへの反応もそんな感じだったような気がする。

ワイは民主主義において手続き守ることと透明性は大事だとは思っているけど、具体的にどういうこと?と聞かれると、その、困る。都度調べる。

ワイが認識した時点で外部通報内部通報で扱いが違ういや違わないみたいな話になっていた。

投票行動はほぼ決まっていたので、公益通報者保護法違反かどうかという点は、置いておくことにした。

ただ斎藤さんが早急に犯人捜しと処分をしたというのは、自尊心が高そうかつ部下の勝手を許さないという性格推定合致しているので、その点考慮に入れた。

なんか怪文書が流れてるみたいですが、通報窓口に投げときますね、そっちが調べるのでそっちから聞いてください、というわけにはいかなかったんだろうか。

・稲村さん

公示前くらいに尼崎市民の知り合いn=1にどんな人か聞てみたら、「無難にこなしてる感じ」

斎藤さんは躍動してる感はあるな、たしかに。

ただその躍動イメージ自己PRすることに腐心し、結果周囲の県職員疲弊している、というのがアンケートから得たワイの認識

無難にこなす人が後任ならいいかと思い、投票に至った。

外国人参政権についてはワイは反対だし、稲村さんもしないって言ってんだから、しないんでしょう。

それは信じて斎藤さんのことは信じないのか、と言われそうだが、稲村さんのは今後の話だから手のひら返して推進しだしたら怒るよそりゃ。

ただそんな政治カロリー高い施策、そうそうやらないでしょう。

油断か?これは?

兵庫県民はバカ

そんなひどいこと言わんといて。

兵庫ええとこやで、みんなおいで。

anond:20241121150518

衆院選前だったか在京メディアとしては視聴率が稼げるし

在阪メディアが謎に押してる維新ブランドに傷が付けられるし

一石二鳥ネタだったんだろうね

anond:20241121180730

日本メディア報道の自由

世界で80位くらいには社会が腐敗してるってのを忘れちゃいかんぞ

立花の言う押収した不倫証拠とはなんだろう

俺はさハメ撮りだと思うんだよね

それもスカトロとかのえげつない

コスプレアナルファックかもしれなあ

ところで百条委員会ってライブ配信してるよね

疑惑の解明のためにはPCの内部ファイル公開は不可欠のはずだ

百条委員会に期待している

百条委員会報道するメディアにも期待だな

報道しない自由なんぞをふりかざしてハメ撮りを放送しないとかするなよ

兵庫県知事選の争点はパワハラ問題ではなく公益通報者保護法違反のはずだった。

実際にメディアパワハラの存否については百条委員会が途中なので白黒はつかない、黒だったとしても明確に違法とまではいわない可能性がある、という論調だった。

だが、公益通報者保護法の件はマジで真っ黒だった。ここの初動を斎藤知事がまちがってなかったら問題は大きくなっていなかったし、人が死ななかった可能性が高い。

公益通報者保護法専門家による評価も定まっていた。

から百条委員会が途中であるのに、全会一致で不信任決議が出された。

選挙戦が始まりメディア報道ピタッと止まったらパワハラの存否が争点になってた。

それはわからんから政策検討しようってなるのは当然。有権者を責めることはできない。

政策勝負になれば圧倒的に現職が強い。斎藤パワハラ問題までは失政はなかったし、在任中はそのアピールもよくできている。

有権者は愚かではない。

ただ公益通報者に対する行為社会通念上は一発アウトにされるべき振舞だったし、今現在それを指摘する声はほとんどなくなっている。

選挙アジェンダを設定した方が勝つという法則が働いたのだろう。

シャニ喜多川兵庫県知事選

はてブオールドメディア中心の生活を送っている人からは相変わらず斎藤元彦氏のパワハラが叩かれている。

だが、YouTubeとかを主な情報源にしてる界隈では、そもそも多少の厳しい指導はあったとしてもパワハラと断定できるほどの事案はなく、あの告発クーデター狙いの怪文書で、自死した県民局長は庁内で不倫しており、公用PCには“不倫日記”が残されていて、斎藤氏が局長懲戒処分にしたのは当然で、自死したのは不倫が暴かれるのを恐れたため…といった解釈がほぼ真実として受け取られている。

それを積極的に暴いていったのが立花孝志氏という建て付けだ。

ネット検索すれば、県民局長フルネームはおろか、不倫相手とされる元県幹部の氏名や画像なるものも、たくさん拡散しているのがわかる。

こうした断絶がどうして起こるかといえば、一重に“依拠している情報源の違い”なわけで、オールドメディアに接していると、後者のような話ほぼでてこない。 

で、たまにネット後者のようなある話を聞いたとしても半信半疑になってしまう。

なにしろネットに出回る怪しい情報”であり、それはデマ可能性も高いからだ。

文春あたりがスクープすればいざ知らず、“ちゃんとしたメディア”にでてこない話を安易に信じるようではリテラシーが低い、というわけだ。

だが、信じる人にとっては“ちゃんとしたメディア”にでてこないことこそ真実の証だ。

なぜって?

だってジャニーズの件だって、いろいろ暴露本や噂話はあったのに、奴らは全部隠してたじゃん!!

と言われると、格段に説得力があがる。

死んだ時には“偉大なプロデューサー”とニュースで持ち上げられてた人が、数年経ったら稀代の性犯罪者として糾弾され、人気者だったタレントCMから追われたり改名余儀なくされたり、そんなドタバタが繰り広げられるのを観てしまった以上、メディアなど信じるに値せず、メディアに出てこないことが真実だ…と思うようになるのも極々自然である

まことに、ジャニーズ事務所とメディア癒着が、この国に残したものは大きい。

anond:20241121105430

文字メディアにいるのに文章が読めないについて

 

⭕️理解がしやす学習障害や広範囲知的な凹がある

🔺理屈の上では理解できる:ある程度の文章が書けるためわかりにくいが広範囲知的な凹がある

理解できない:せいぜい普通学級で成績が良くない程度で済みそうで、場合によっては(大学の質はともかくとして)高等教育を受けていることもあるが、文章が読めない

 

❌について考えるきっかけになったのはよかったと思う

文章が読めないのに文字メディアにいるタイプゲハやってる人ら(なお、音声でもなんらか理由理解出来ない)

ほんま下記ですわ。太字にしたところ、増田(anond:20241118142246anond:20241118185811)のことなのよ?

文章読めない&音声もなんらの事情理解できないの、どう考えても固有ハードメーカーファンである事と無関係から

SONY自分たちの客層やファン層をよくよく理解した方がいいし、そういう人らに対して誠実な振る舞いをすべき(2回目)

増田のそれ、やっぱ、信仰とも学習障害ともちょっと違うよね。難しいことはひとつも書いていないんですけどね

英語圏PS fanboyのコメントは見たけど、これ信仰じゃなさそう・・・みたいなのは見掛けなかったな

動画中にテロップが出て、音声で読み上げられているのに、それでも理解しない人をゴロゴロ見掛けるのは、日本だけ)

 

というかこの話題増田には難しいので、PS5 Pro を転売したら儲かる!の方が興味を持てるんじゃない?

まぁ中華需要がある間に都合よく海外から友人・親戚が来てくれるか?問題はあるけどな

ちなみに、PS5 Pro 、まぁそれなりに中華需要はあるみたいで、117,000円で買い取ってるところとかフツーにあるみたいなんですよね

(プレイステーション5 プロ 買い取り で検索して自分で探してね)

 

増田がなんらかの手段で免税使えるなら(海外から友人や親戚が来るとか)、11月17日時点では利益出そうです(免税使えば、11万以下で買えるので)

 

文章が読めないので無駄だと思いますけどこちらも送りますね。AIちゃんちゃんと調べて買おうねって言ってるよ?(文章読めない人は無理だけど)

通常、信仰(PS信者)、ゲーム機コレクターPCアレルギーがあってプライベートでは絶対触りたくないなど、明確な理由がなければ買わない機種です

 

 

PS5 Proが「とても性能が高い」と言っている理由を、小学生にもわかるように簡単説明しますね。

1. PS5 Proが「すごい!」と言っているのは、買ってほしいか

PS5 Proは、たくさんの人に買ってもらうために、「めちゃくちゃ性能が良いゲーム機」とアピールしています。でも、本当にすごいのでしょうか。たとえば:

  • 同じくらいのゲーム機と比べてもそんなに変わらない

PS5 Proより前に出た「Xbox Series X」というゲーム機がありますが、PS5 Proはそれと性能がほぼ同じか、少しだけ劣るところもあるみたいです。

 

ゲーム用のパソコン(ゲーミングPC)には、PS5 Proよりもずっと性能が良いものがありますPS5 Proは「PCに負けない」と言っているのは、ちょっと言い過ぎかもしれません。

 

 

2. 新しい技術を使って見た目をよくしているだけ

PS5 Proは「PlayStation Spectral Super Resolution」という技術を使って、画面をキレイに見せる工夫をしています。でも、これは本当に強い力(性能)があるわけじゃなくて、キレイに見せる「トリック」のようなものです。

 

 

3. パソコンと比べた時の問題

 

同じくらいのお金(たとえば12万円)を使えば、PS5 Proよりも強いゲーム用のパソコンを作ったり買うことができます

 

パソコンを作ったり、部品を選んだりするのは少し大変なので、「簡単に遊べるゲーム機」を選ぶ人もいますPS5 Proはそういう人向けかもしれません。

 

 

4. SONYが「すごい!」と言っている理由

PS5 Proを作ったSONYソニー)は、ゲーム機をたくさん売りたいので、「世界最高の性能!」と言っているのかもしれません。でも、実際に中身を見てみると、同じ値段のパソコンや他のゲーム機に負けてしまう部分もあります

 

 

## 簡単なまとめ

PS5 Proは「とても性能が高い!」と言われているけど、本当にすごいかどうかは比べてみないとわかりません。他のゲーム機パソコンの方が性能が良い場合もあるので、「どれが一番いいのか」をちゃんと調べることが大事です!

 

 

↓ ↓ ↓ ↓ 下記が上記の元です。ちなみにPS5 Pro vs XBOX Series X - Loading Timesでぷんぷんしてる PS Fanboy も文章は読めてるのでマジで日本だけ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

PS5 Proが「ゲーミングPCにも劣らないハイエンド」を謳っている背景には、SONY市場戦略ユーザー層に関する認識の偏りがある可能性があります。以下にその理由問題点を詳しく分析します。

 

1. 「ハイエンド」を謳う理由

1.1 マーケティングの一環

SONYPS5 Proを「ハイエンド」と位置づけるのは、技術的な裏付けよりもマーケティング的な効果を狙ったものです。特に以下のような目的が考えられます

  ハイエンドPCXbox Series Xと比較して実際の性能が劣っていたとしても、「家庭用ゲーム機としてはトップクラス」という印象を与え、カジュアルゲーマーに訴求しようとしている。

 

実際にはアップスケーリング技術最適化依存する部分が大きいにもかかわらず、これらの表現を使うことで、一般ユーザーに「PCと互角」という錯覚を与えている。

 

2. 詐欺的に映る問題

2.1 PCとの性能差を隠している

PS5 ProのGPU性能がRTX 4060以下、場合によってはRTX 3060に近いことを考えると、「ハイエンド」を名乗るには無理があります特に、4060や3070は「ミドルレンジ」とされるため、これを超えられない性能ではPCゲーマーにとって「準ハイエンド」とさえ言えません。

 

Zen2ベースCPUは、現代PCCPU(Zen4、Intel 13th/14th Gen)と比較して著しく劣ります。この性能差がゲーム全体のパフォーマンスに影響するにもかかわらず、マーケティングでは触れられないままです。

 

2.2 Xbox Series Xと大差ない性能

PS5 Proは、4年遅れて発売されたにもかかわらず、Xbox Series Xとほぼ同世代アーキテクチャ(Zen2、RDNA2)を採用しています。一部の検証では、起動速度やフレームレートがXbox Series Xに劣るとされていますが、倍近い価格差があります。この状況で「ハイエンド」を主張するのは疑問を抱かざるを得ません。

 

PS5 Pro vs XBOX Series X - Loading Times

https://youtu.be/u0nCMMsnceY

 

 

2.3 PCリテラシーを利用した誤解

SONYは、PCゲーマーよりも家庭用コンソールカジュアルユーザーPCスペック価格に疎いことを理解しており、これを利用している可能性があります。例えば:

  • 「700ドルではPCを買えない」という誤解

  実際には、自作したり中古PCを購入すれば、PS5 Proよりも高性能なPCが同価格で手に入りますが、これを認識していないユーザーターゲットにしている。

 

3. SONY認識ギャップターゲット戦略

3.1 PCリテラシー収入の相関認識の欠如

    SONYPS5 Proを「ハイエンド」として推す背景には、PCリテラシー収入の相関について過小評価している可能性があります

  一般的に、高価格帯のゲーミングデバイスを求めるユーザーPC基本的構成や性能比較にも詳しい傾向があります。この点でPS5 Proは本来ターゲット層と矛盾している可能性があります

 

   Appleユーザー層(高価格帯、利便性重視)を意識している可能性もあります。ただし、iPad Pro は実際に高性能であり、PS5 Pro にそのまま当てはめるのは無理がありますPSNアカウント使用が複雑な場合PCリテラシーが低いユーザーには抵抗感を抱かせる可能性も高いです。

  

4. SONY意図は?

利便性アピールする戦略

コンソールは「買ってすぐに使える」「特定環境最適化されている」点を強調しますが、これは性能が劣ることを隠す手段にもなり得ます。例えば、AIアップスケーリングソフトウェア最適化活用して、実際の性能以上に「快適さ」を演出しています

 

結論

PS5 Proが「ゲーミングPCに劣らないハイエンド」を謳うのは、主にカジュアルユーザーコンソール市場ターゲットとしたマーケティング上の戦略です。ただし、実際のスペックや性能を考えると、この主張は過剰であり、「詐欺的」と感じられる要素も少なくありません。

 

SONYAppleのような高価格ユーザー層を狙っている可能性は否定できませんが、それが実現できるかは疑問です。特に、性能やコスパを重視するゲーマー層には、PS5 Proの訴求力限定的と言えるでしょう。

ネットで「正しい情報」を得ることの危険さについて

近頃、オールドメディアネットにおける情報性について取り沙汰されている。

マスコミ偏向報道事実として連綿と繰り広げられてきたわけだが、

では逆にネットで正しい情報が得られるかといえば、甚だ疑問だと思う。

例えばオールドメディア受動的な情報発信であるのに対して、ネットであれば自分から能動的に情報を取得しにいくため、そこで真偽を見極められるという意見はあると思う。

だが、実際には検索エンジンにはアルゴリズムというもの存在し、検索にヒットしやす情報とそうでない情報存在する。

それこそ、このアルゴリズムを逆手にとれば、目立たせたい情報けが検索されるようにすることもできるし、それらはお金を使って操作することもできる。

こうした状況で、本当に正しい情報の取得が可能だろうか。

SNS動画サービスに関しても同様で、おすすめ表示などはアルゴリズムによって決定されるし、情報配信する側もよりPVが得られやす情報に偏りやすい。

そうなると、正しい情報PVが得られにくいものだった場合に、やはり埋もれてしまい探すことが難しくなってしまう。

ネットで「正しい情報」を得た、とおっしゃっている方々のどれくらいの割合が、この状況を知った上で情報を得ているのだろうか。

おそらくは、99%の人が、そこまで考えずに目に触れた情報だけを拾っているのではないかと思われる。

そうなれば、情報を広く集める上でのリテラシーが欠如している状態だと思う。

民主主義が正しく履行されるためには、下記のような条件が整っている必要がある。

情報の透明性と信頼性

有権者が正しい判断を下すためには、次の条件が整っている必要があります

情報リテラシー

有権者情報を正しく理解評価する能力を持つことも重要です。



またリテラシーが欠如している状況が続けばどのような結果を招くかというと、このようになる。



これは、まさに今回の兵庫県知事選挙の結果だと言えると思う。

SNS上では、いつまでもどちらが正しい、というような分断が続いている。

このような状況で「正しい情報」にどう正当性があるのか。

大手メディアにもネットにもそれぞれ問題点はあるため、それを見越したリテラシー教育必要になる。

anond:20241121075915

フニャフニャにしたのは結果出る前に不信任にした議会だし議会圧力かけてたメディアだよ

anond:20241121074331

メディア味方につけて私兵使ってってどっちかと言うと稲村陣営のがナチス的では

斎藤陣営は今までのどれとも該当しない新たなカタチ

2024-11-20

まあ昭和生まれからするとあれくらいのパワハラ日常茶飯事だしなあと言うお気持ち

なのに高齢者の方で得票率が低いのは不思議

やっぱり大衆は触れるメディアに流されてるだけかね

都知事選の時の調査、確かJX通信社調査、では候補者選びの参考にしたメディアネットを選んだ人とテレビを選んだ人で投票率に差があった

ネットテレビ、どっちが投票率が高かったのか予想がつくと思うけど、その予想通り、ネットを参考にした人の方が投票率が高かった

ネット陰謀論なりデマなりに陥って石丸なり斎藤投票したというのは全く見当違いだ

スタート投票しようという気持ちが生まれたところにある

からこそ、テレビを参考にする層と差が生まれ

投票のための情報を求め、その結果として石丸斎藤にたどり着いたと捉えるべき

テレビはどうにかしようとか言ってるけどプッシュ型メディアの最たるテレビ番組内容をどうにかしたところで難しいだろう

相変わらず愚民とか言っている層もメディア戦略は上手くいくはずもない

投票しようという」感情無視しているからだ

もともと多くの有権者には投票しようという感情があった

テレビや一部政党支持者はそれを汲み取ることができずに「投票したくなくても投票しよう!」そんな活動をした

その活動が「投票しようと」と思いながらも毎回必ず投票していない層にどう思われるのか

反発が生まれるのは当たり前だ

嘘があるのではないかと疑われるのは当然だ

多くの有権者に「投票しよう」という感情があることを前提とすべきで、それができなかったのは選民意識があったからにほかない

投票率が高まれば(私が考える)「正しい結果」になるはずだと考えていたことを認めなければいけない

その考えは差別的意識立脚していることを認めなければいけない

しばき隊が稲村を支持しているという風潮があったけど

しばき隊斎藤支持者が喧嘩している動画は見た。

しばき隊斎藤元彦アンチなのは確かなようだが稲村支持だという確証はないように見える。反斎藤=全て稲村支持なのだろうか?

軽く調べてみたがしばき隊が稲村支持をしているという明確なソースは出てこなかった。(俺が見逃してるだけでどこかでしばき隊が稲村支持を明言していたらソースを貼ってくれ)

このような状況にも関わらず5chおよびそれをまとめたまとめブログとそのコメント欄には当たり前のようにしばき隊は稲村を支持しているという断定が多く見られる。

一方斎藤統一教会の街宣や統一教会メディア世界日報から応援されながらもそれを指摘するコメントは「稲村=しばき隊」と断定するコメントと比べるとあまりに少ない。

斎藤を支持している立花本人が統一教会関係を持っていることも認めているし、少なくともしばき隊が稲村を支持しいているということよりは信憑性が高そうなものだが。

今回の選挙の七不思議の一つなんだけどどうしてこうなったのか教えてエロい人。

anond:20241120212634

オールドメディアニューメディアもどっちも同じメディアで同じ危険性を持ってんだから

ニューメディアオールドメディアと同じ様に規制すれば良いだけ

オールドメディアおかしいんじゃなくてニューメディア規制無しでデマ流し放題になっててそれが馬鹿に受けてるだけだから

オールドメディアが信用を取り戻す唯一の方法メディア監視装置になることだ

兵庫県知事選の結果を受けて、テレビ新聞などのマスメディアは vs SNSの構図を作ろうと躍起になっているように見受けられる。

SNSデマが多く信頼性が低い上、エコーチェンバー現象により偏った意見に染まってしまリスクもあるとする一方で、

マスメディア報道は裏取りを行った上で公平性に重点を置いているため、信頼性が高いと主張しているのだ。

しかし、世間の多くにとって見ればマスメディアもまた、報道の自由を盾に偏った報道を行ったり、不十分な取材により誤報を流したりすることが当たり前のものだと思われているのではないだろうか。

事実、某キー局放送している朝の情報番組関西の某局から全国へ放送されているニュース番組で語られる上記の主張に対するSNSの反応は、ほとんどが否定的ものである

もはやマスメディアこそが偏向報道元凶であり、そこで報道されない部分にこそ真実があるという主張が市民権を得つつあるのだ。

さて、このような世間からの逆風に晒されているマスメディアが信頼を取り戻すためにはどんな方法が残されているのだろうか。

私はメディアメディア監視装置になることこそがその唯一の方法だと考える。

ネットや一部の雑誌のみがカウンターメディアとしての役割を果たす現状を打破し、マスメディア自身が互いのカウンターメディアとなることを通して

自らの存在意義を再定義することこそが市民に信頼される報道機関としての地位を取り戻すことができるのではないだろうか。

もちろんそこには大きな痛みを伴う。先の衆議院選挙ではまるで事前に打ち合わせをしたかのようにどの局でも一部の自民党候補者名前の横に「裏金バッチ」を付けるという方法を取っていたが、

それはあくま自民党候補者に対してのみであり、過去に巨額の裏金が指摘された野党候補者に対する同様のバッチはついていなかった。

SNS上で多くの批判が見られたこのような報道姿勢が本当に公平なものだったのかを振り返ることは多くのマスメディアに取って自分の喉元に刃物を突きつけるようなことになるだろう。

それでもオールドメディアはやらなければならない。それが彼らの唯一の生き残る道だからだ。

マスメディアの持つ"優れた"取材能力の一部を使って、他のマスメディア報道姿勢を監視し、本当に公正な報道を行っているのかを市民に伝えること。

いつ自らが報道される側になってもそれに恥じない報道を行っているという自負を持って報道を行うこと。

これこそがマスメディアが信頼を取り戻すためには欠かせないことだと私は考える。

anond:20241120153652

個人的には、松本さんもホリエモン中田敦彦さん、岡田斗司夫さんも二十年くらいメディアで見てないから、同窓会みたいな顔ぶれだなって

憲法改正キャンペーンに比べたら、たか地方県知事選なんてさざ波程度のもんだよ。

未来人の俺からしたら、ネット既存メディアなんて大したことない。

ネット既存メディア口コミもあらゆる手段が徹底的に使われ、

公職選挙法適用されなかった憲法改正国民投票には遠く及ばないのさ。

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩暗喩の使い方が致命的に間違っています

選挙権を持つ国民を、尊重して記事を書くべきです。

もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。

制度設計排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義陰謀論と具体的に何が違いますか?

そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。

なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。

シロクマ先生が、「自分マスメディア一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。

投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。

その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやす自分肯定してくれる者への同調に繋がります

よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者馬鹿にして良いわけではありません。

ブコメについて

別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラ現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現些末な問題と言う立場をとるなよ。

読み取り方の問題じゃないし、皮肉から何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。

玉木の実家に凸してたマスメディアさんは無罪っすか?

玉木雄一郎国民民主党代表)@tamakiyuichiro

メディアの皆さんへのお願い】

一部メディア週刊誌を含む)の方が、アポなしで実家に来て家族突撃取材をしています20時を過ぎた今も、田んぼの脇に他県ナンバーの車がとまっていると近所から不安の声が上がっています田舎の一軒家なので安全上の不安もあります。どうか取材は事前に事務所に連絡をください。そして、家族への取材差し控えていただきますよう、伏してお願い申し上げます

https://x.com/tamakiyuichiro/status/1852307648768839821

この迷惑行為が原因で玉木の家族国会議員を続けるのを諦めるように説得してたら

立花がやってたことと全く同じ構図なんだけど?

立花すら演説時間制限があるから夜中に徘徊は出来てないだろうからマスコミのが悪質だよね。

同じ迷惑行為をしててマスコミ様は無罪立花有罪っすか。

特権さまさまですな。

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