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はてなキーワード: 契約社員とは

2023-06-07

いい加減日本解雇規制を徹底緩和して「正社員」という身分を全廃するべき

経団連連合言及しているが、日本解雇必要ハードルが高すぎるんだよ。

人事職をやってるとよくわかるんだけど、明らかに生産性の低い能無しのゴミクズでも、正社員だと簡単解雇ができない。例えば営業職なら物流事務への配転を検討したり、現状の問題点に関するヒアリングをした上で配慮しないといけない。その点、契約社員派遣なら契約更新をしなければそれで終わり。

無能正社員飼育するせいで賃金が上げられないのはすべての業界で同じなんだよ。無能バブル世代とか団塊が昔の賃金形態バカほど高い給料を貰ってる。しかも賃下げは不利益変更になるからできない。だから能力のある新卒20代賃金を抑えなければいけない。

こんな社会おかしい。俺がクビになっても自己責任だと納得するから、今すぐ解雇規制を緩和しろ雇用を徹底的に流動化しろ正社員のクビを切れるようにしてくれ

2023-06-05

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

2023-06-01

anond:20230601110640

B子タイプは現時点で契約社員でもしっかり実家が太い男選んでたりするぞ

anond:20230601105101

カフェとか女が女子会開くとこ行ってみ?

「彼が契約社員から結婚は考えられない…」

「えー好きなら結婚すればいいのにぃ〜」

あまい結婚しないならもう別れたら?」

的な会話だらけやから

2023-05-31

在宅勤務は週2まで可みたいな会社なんだけど、

生活リズム狂うと集中力落ちるし、来客対応もある業務担当からフル出勤してたら、

周りの後輩とか契約社員の人から

「○○さんが在宅勤務してくれないか私たちもやりづらい」

って文句言われた。

いや、在宅勤務で効率あがるなら堂々とやればいいじゃん。

出社したほうが効率いいなら出社するべきだし、

楽だから在宅勤務したいみたいな考えでいるから、そういう周りの目を気にしてやりづらいって思考になるんじゃないかと伝えたけど、

おそらく反感を買って終わった。

2023-05-29

恋愛に発展しないじれじれ感が好き


わかるだろうか。学校でも、職場でも、趣味の集まりなんかでも、恋愛的な物事に一切関わらなかった人は少ないと思う。自分から恋愛をやってみるとか、アプローチを受けるとか、ほかの人が恋愛してるのを外から見るとか、みんなも体験してきてると思う。

私は企業での契約社員勤め(夫、子どもあり)の身分だけど、職場でそういうのを見てきた。その中でも、「恋愛に発展する可能性がない」ような、そういうシチュエーションがなんだかいいと思う。

今の私は、そういうのを体験している。ちょっと話してみたい。



その人と最初に会ったのは、会社イベントでの動員だった。地域貢献をするタイプ会社で、敷地内で年に一度だけ出店をする。去年、その中のアトラクションひとつで受付の仕事をすることになった。一緒の長机に、私とその人(Nさん)と、後は入社して半年女性と、一番奥側に管理責任者の人が座ることになっていた。

イベントの本番前日の準備の時、Nさんを初めて間近で見た。一緒にアトラクション(風船釣りとか輪投げとか)を作っている時に、とても頼りになって、雑談を振ってくれて、体力もあって……。私と同じ30代のようだった。少し年上。独身

その時に思い出したんだけど、私が契約社員として採用されたばかりの頃、他機関への申請もの仕事があって、Nさんと絡んだことがあった。必要な添付文書がわからなくて、その時に丸投げみたいな感じ(○○の補助をもらうために必要データがほしいetc)で別部署のNさんに電話で依頼したんだけど、2日で取り寄せてくれた。

いい人だと思った。直接Nさんの部署に行ってお礼を言った。私は既婚だから、ほかの女性と違って恥ずかしがらずに堂々とNさんと話ができる。

これがもし独身同士だったら、お互いに廊下で話をしてるだけで噂になるかもしれない。でも、私は結婚指輪をしてる。普通に雑談してるだけだと周りに疑われることはおそらくない。

イベントの準備が終わった後は、Nさんとちょっとだけ話をした。落ち着いた雰囲気で、目力が強くて、やっぱりいい人だなと思った。私の夫は、知り合いだった頃も、友達だった頃も、付き合っている時も、結婚してからも細かい気遣いをしてくれない。話もあまり聞いてくれない。子どもっぽいところがある。

ほかの準備に参加してたスタッフのうち、学校出たての若い子も、私より年上の人も、Nさんと話す時に明らかに感じが違った。機嫌がいい。声が高かったり、逆にすごく低かったりしていた。Nさんの個人情報はあまり書けないけど、落ち着いた感じで、他人の話を聞ける人だった。大人だった。

これがもし独身同士だったら、たぶん会話もできないんだろうな。私が学生だった頃を思い出すに、好きな人と話す時とか、話しかけられそうになった時や、視線が合いそうになった時は、まともな状態じゃなかった。廊下で好きだった人と出会い頭に走って逃げたこともある。

ありていだけど、胸がドキドキとでも言えばいいのかな。今ではそんなことはないけど、若い時はしょっちゅうだった。例えば、会社の中でFAXの目の前にいて、気になる人が傍を通りすぎる時に、「増田さん、やり方がわからないの? 教えてあげる」というシチュエーション想像して胸が痛んだ。もう、あの頃のピュアに戻ることはないのだろう。

そういえば、今の旦那出会った時もそうだった。地方都市大学生をしてたんだけど、ハタチの頃の旦那ゼミの帰り道に傘を持ってなくて、横断歩道に立っていた。すぐ後ろにはお婆さんがいて、「傘、途中まで一緒に入りませんか?」と問われて、旦那が承諾したみたいで、結局は駅の前まで二人で相合傘だった。お婆さんは旦那とずっと話をしていて、満足そうだった。

当時の旦那のそんな姿を見て、気になり始めたんだっけ。懐かしいな。

本番当日、Nさんと一緒にイベント仕事をこなした後も、会社の中ですれ違う度に挨拶をしたり、他愛ない話をしたりした。結婚というのはスゴイと思う。どんなに素敵な人を目の前にしても、全然緊張しなくなる。自然体でいられる。この人と結ばれることがない、という安心感からだろうか。

ちょっと前なんかは、私のいる職場にNさんが用事でくることがあった。あっという間に帰ろうとしたのだけど、その時に彼の後ろを追いかけて、「あ、Nさん私と一緒のところに行くんですね。後ろ付いていっちゃお~」って、高校生の頃に戻ったみたいに、わざとらしいアピールをして反応をうかがった。「行き先が一緒なんですね。どうぞ」と返してくれた。

あと、別の日に「髪切った?」と聞かれて、ハイと答えると「似合ってるね!!」って言われた。この時も、特別感情は芽生えなかった。いや、すごく嬉しかったけど。でも、ほかの友達と一緒に話をする時とそう変わらなかった。

繰り返しになるけど、『この人とは結ばれない』って心の底からわかってるから、平常心で会話が成り立つ。そうじゃなかったら、いろいろと無理だよ……。



先日のことだ。仕事を終えて事務室を出た後、途中でNさんと一緒になった。会話をしながら階段を降りて、カードキーをかざして建物を出て、駐車場まで歩いて行こうとした時に、「増田さんはいい人ですね!!」とNさんが言った。反応に困っていると「今度二人でご飯行きませんか?」と誘われた。

「いいですよ」とは言ったけど、正直反応に困った。子どもいるから、夕方以降に完全に家を空けるのは……という思いがあるし、昼だと周りに見られるかもしれない。家で飼っている猫も気になる。

子どもに留守を任せることもできるけど、たまに実家の母が訪ねてくることもある。心配でならない。

Nさんとご飯に行きたいとは思うけど、正直迷っている。いったいどうすればいいのだろうか。たぶん、普通にご飯に行っても大丈夫なんだと思う。でも、絶対安心というわけじゃない。ここに書いている暇があったら考えればいいのかもしれないけど、いい知恵が出る自信がない。

こんなに読ませた後で申し訳ないけど、誰か知恵を貸してほしい。手厳しい意見でもいいので。正直、人生で何番目かに迷っている。Nさんとご飯に行きたいけど、もしそういう感じになったら無理だと思う。どうしたらいいのだろう。

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 3/3


4. 人生の敗北を味わったこ

 不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記キャプテン君が住友商事内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。

・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会部活挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。

・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。

三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。

 この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって人間関係の構築だって頑張れる人だった。

 いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。

 もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいかコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。

 今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能だってある。毎年、戦々恐々だ。

 今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。

 キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。

 第一志望の企業不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。

 春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。

 俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシート筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。

 志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。

 相手面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっとゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生アドバイスまでしてくれた。

 後日、大学パソコンログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。

 結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所引っ越している。

 この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。

 千亜子は、その年の初めから一気呵成就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子スチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。

 この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動サッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後単位を取り終えるあたりで躓いていた。

 フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。

 秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。

 もうすぐ最後インカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子キャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。

 店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。

 ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。

「千亜子さん酔うと暴走するよな笑」

「そういえばキャプテンさん、最近亜子さんにアタックしてる」

飲み会帰りにご飯に誘ってはったで。みんなが見てる前で」

「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」

 こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。

 惨めな気分だった。俺が千亜子釣り合ってないのは確かだ。内定した会社ランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。

 人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。

 千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学カフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。

 今日、そんな予感はしていた。サッカー試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。

 当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これから人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。

 当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶言葉ごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。



これで結びになる。

就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代社員もいた。

かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。

そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。

キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixi日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。

俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。

不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記ベースになってる。

俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。

就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。

・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルから就活サッカー恋愛もうまくいかなかった。

サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。

もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。

いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。

あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分否定したことになる。過去自分を裏切ってる。だからダメだ。

今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。

気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。

どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。

ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田ブックマーカーのみんなも幸せにな。

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 1/3


先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。

小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。

この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。

小学校中学高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分サッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。

高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。

それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。

大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。

俺という人間が落っこちきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダー彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。

俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学サッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。

これがまた凄かった。価値観大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社内定して、それで最後に、俺の彼女そいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。

俺がいい会社内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。

ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。

大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。

まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。

今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。

今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビサッカー試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。

それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってから体験記になる。



1. 高校大学に入ってから

 運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代全国大会活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハード練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。

 高校と違って、大学場合セレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。

 幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。

 大学回生までは順調だったかな。部活毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。

 本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカー一部リーグ活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこら学生と一緒のレベルだった。

 練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。

 勉強部活もマジメにやったつもりだ。普通大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せ大学生になったのだ。

 関西地区での試合だと、応援団チアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニング完璧だったし、要所要所で相手ドリブルカットして、俺が蹴り上げたボールセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。

 試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中チアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterLINEは当時ない。GREEmixi黎明期だった)を交換した女の子がいた。

 その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。

 体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。

 千亜子は、恋愛積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。

 交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活最後満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。



2. キャプテン君のこと

 三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大サッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちからしかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。

 それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。

 俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通アルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子マイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。

 ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。

 ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。

(注)

サッカーでどこまで相手接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカー試合を見ることがあれば意識するのも面白い

自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ

自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手接触しても反則にならない。。

ボールを狙った行為でも、真後ろからスライディングなどは危険行為とされる。

 そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカー活躍できるレベルにはないという意味だ。

 当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強サッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。

 キャプテン君の試合最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手ふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。

 レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかまししまい、さらイエローを食らって……しょっぱい試合になった。

 当時、俺はある意味キャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。

 ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。

 人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分言葉自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212235

anond:20230526031529

客先常駐はいろんな意味しんどい

公務員からSES会社転職客先常駐

給料360万(40時間/月の残業代込み)

最初派遣先のんびりしていてよかったけれど、入って3か月くらいで2人くらいの新人の面倒を見る羽目になりつらくなって派遣先の変更を希望して、派遣先を変えてもらったところ所属会社から正社員やめて契約社員にならないか?と実質的解雇通知を受ける。

しょうがないので転職先を探したがまたSES会社しか見つからず、でも辞めないとどんどん居づらくなりそうだから転職へ。

派遣先現場に別の会社に移るから現場からは去ります。という話をしたら、転職先を紹介してくれ。と言われて、紹介したところ、所属会社変わっても派遣先変わらず続投へ。

ここで会社を変わったことで派遣先仕事も変わらないのに年収は450万へ。

しばらく客先常駐で働いていたところ、深夜作業がどんどん入り、肉体的にしんどくなったので現場を変えてほしいと会社に話をしたがなかなか折り合いがつかず、また転職先を探し始める。

地方事業会社が雇ってくれるというので、決めて会社派遣先にその旨話をしたら多いに揉めてどうしようもなくなったので、退職届社長宛に内容証明郵便で送って無理矢理決着。

事業会社に行ったことで年収は650万へ。

事業会社はさすがに社員の事をしっかり考えてくれてとても居心地がいいです。

2023-05-23

退職代行という名称が台頭する前から退職代行に似たサービスを使って職場をバックレしてきたクズだが

退職代行サービスを利用する人間に対し「クズ」「社会人としてなってない」「非常識のゲボカス」「退職の申し入れや交渉くらい自分しろ」「料金の無駄」というネットでの意見をよく見かけるが、常識があってクズでないまともな社会人ならそもそも退職代行なんて利用しないのだ!

当方新卒一社目でメンタル休職ののちに退職し、その後正規非正規職を転々としてきた。そのうちクビ3件、職場バックレ4件、うち退職行使用が3件というどこに出しても恥ずかしくない経歴のクズである。こんなクズものうのうと生きている経緯と現状とお話しし、もし今の職場のことで悩んでいる誰かの参考になったら幸いだ。また、こんな開き直り底辺ゴミにだけはなりたくないという意味で皆さんの癒しになれば嬉しい。

・なんでそんなゴミなの?

1社目でメンタルをやってか以降当日欠勤しまくり、朝起きられない、寝込む日が激増し勤怠不良の積み重なった結果です。心療内科でも相談改善を試みたが現在も全快はしていない。ASDやADHD検査もしたけれど健常域と結果が出て、社会性のないウンコ健常者になってしまった。

また、性格的にもストレス耐性が低くキャパ狭なのと、コミュ障以前の人嫌いが災いし、どの職場でも基本的孤立してしまう。他人に興味がなく無関心のため、みんなでの昼食や飲み会や、職場の噂話や世間話苦痛に感じる。人間関係の難の大部分は自分の傾向にすべて起因する。勿論申し訳ないが本当に合わない職場上司同僚もいた。

退職代行(正確ではないが)を初めて使用した経緯

何社か非正規で食いつないだが、その後正社員転職した。経済的安定も目的だったが、世間体が主な転職理由だったと今では思う。仕事生産支援の窓口部隊だったが、その部署は真夜中までの対応が多く、上記の当欠癖も治らず、致命的なミスをして現場の人に怒鳴られ修復不可能なまでに信頼を損ねた。リカバリーとか善後策など考えられず、自分ミスのせいなのにパニックになり保身に走り、「もう二度と出社できないから辞めるしかない、だがもう退職を伝える勇気も気力もない。そもそも会社の人ともう話せないし顔など合わせられない。絶対に無理」という状態になった。

その際、無い知恵を振り絞り「便利屋」という単語を思いつき、退職電話などを請け負ってくれる便利屋ネットで探した。当時は2010年代中盤で、まだ「退職代行」に特化したサービス企業はなかった記憶だが、不倫の密告や興信所探偵まがいの業務をしている便利屋の中に退職電話代行というものがあり、実家母親なりすまし体調不良理由退職意志を伝えてもらった。その間は職場に連絡できず、無断欠勤していた。なお、現在退職代行ではおそらく親族パートナーなどのなりすまし設定での電話はNGだと思う。また、今も自分が依頼したような類の電話代行の業者存在するが、どちらかというと、不倫クレームの密告代行の意味合いが強い。

・使ってどうだったか

上記の当時利用したサービスでは、今の退職代行のように「利用したら最後まで会社人間とやりとりが必要なく、代行経由で連絡可能」というシステムはまだなかったが、それでも「引継ぎもせず、最低限のやりとりで会社をやめられた、逃げられた」ということは自分にとって本当に救いで、命と心が助かったことに感謝した。料金も会社の人に顔を合わせたり、謝罪をしたりという精神苦痛を鑑みれば、タダのようなものだと感じた。時を経て、退職代行会社が雨後のタケノコのように出現し世間話題になった際も、「やはり自分のようなダメ人間がこういったサービスを利用するのだろうな」という納得感があり、ニーズが形となって顕現したのだと感じた。

なお、その後2社でも業務についていけない、ミスの連発、人間関係、勤怠不良などが原因で退職代行を利用させてもらった。加えて1社もブッチしたが、その際は貯金が少なくお金ケチって自分で辞めると伝えたが、資金に余裕があったら絶対退職代行を利用したかった。

コロナ禍、そしてテレワーク普及という僥倖により長年のバックレ要因が偶然すべて解決

書いた通りなのだが、その自分で辞めると伝えてバックレた職場の次に決まった契約社員仕事が始まったとたん、コロナによるテレワーク普及が起こった。すると、長年のバックレの原因だった「朝起きられない」と「職場孤立してしまう」という問題解決してしまった。例え朝起きられなくても、始業ギリギリに起きパジャマ姿でPCに勤務開始の報告をしてちゃん業務をすれば、ひとまず出勤したとされる。そして、コロナ禍では会食なんてもってのほか職場での飲み会ランチNGになり、いつも頭を悩ませていた食事の場でのコミュニケーションと、会社での雑談自体消滅した。そのため、いつでもどこでもボロボロだった勤怠が他の社員と何ら変わりない状態になり、偶然だが仕事ぶりを評価され、現在正社員となっている。

何の努力改善もしていないのに、環境だけで社会的に助かってしまった気分だ。現在は在宅リモート半々で働いている。たまに心身の不調で起きられず寝込んでしま病欠になる日もあるが、それでも昔に比べると勤怠は飛躍的に改善した。

・バックレる人、クビになる人はいるところには結構いる

これはクビになった職場担当していた業務で実感したことだ。フェイクを入れるが人材会社就業開始するスタッフの勤怠管理業務に関わっていた。すると、自分より遥かに優秀で立派な経歴の人でも、第一印象がいい人でも、家族子供がいても、突然会社に来なくなる、無断欠勤をする、試用期間終了前に合わないと泣きながら電話してくる、まるでかつての自分のような人を結構な頻度で見た。Z世代とかゆとり世代はおろか、年代性別や家庭状況は関係ないようだ。また、勤怠不良や能力不足で試用期間終了前に雇用から契約終了にされる人も多く見た。

以前は自分のような人間ネットでは観測すれど現実ではなかなか見ないから、異端社会不適合者なのだ確信していたが、同類はいるところにはいるのだなと肌で感じた。

退職代行を使うべき人

ここで、退職代行を使ってもいいんじゃないかなと想像する人の特徴を挙げる。

①自●を企図するほど精神的に追い詰められている人:

仕事職場人間関係けが自●の原因なのなら、使ったほうがいい。できれば心身が完全にやられる前に、体力気力があるうちの利用を推奨する。一度完全に折れると、その後の社会復帰が困難になるし時間を要するためだ。ただ、増田は自●自体は仕方ないんじゃないか派なので、仕事以外にも持病や家庭の悩みや慢性的な生きづらさを抱えた人が、己に鞭を打ってまでつらい状態のまま生きる必要はないとも考えている。

自分の失敗/挫折や評判が下がることを受け入れられる人

「あの人は退職代行を使った」と噂されたり、それを知られた関係者にはある種の偏見を抱かれることは間違いないので、それが気にならない人は役職雇用形態問わず利用していいと思う。逆に自分挫折や失敗を受け入れ難い、プライドがある人はまず退職代行は利用しないんじゃないか・・・自分プライドがないので、バックレた職場の方々に対し本当に申し訳ない気持ちがあれど、二度と生きてお会いしたくないので、自分練炭自●などで死んだものと思って忘れて生きていってくださいと念じている。

退職代行を使うべきでない人

上記のように、心身が死の淵に追いやられている人はまず命を守る行動を取ってほしいが、使うとリスクがあると想像する人を列挙する。

情報ネットワークが密な田舎などに住んでいる人

増田現在都市部在住だが地方での暮らし経験している。その際近所の無職の人が外で散歩するだけで恥だから家の中にいろ!という親御さんに叱られている話を聞いたことがある。退職代行を使ったことが近所や職場に広まり、今後の就職どころか生活に支障をきたす、あるいは詰むレベルの支障が出る場合はそのリスク考慮したほうがいいのではないかと思う。

②過干渉家族と同居している人

増田退職代行を使ったのはいずれも一人暮らしの時期だ。バレなければいいと思うのだが、同居家族パートナーに知られて干渉されそうな人は警戒しておいたほうがいい。5ちゃん職場バックレに関するスレッドで、バックレ常習犯は緊急連絡先の家族の住所は電話番号はでたらめを書いておくというアイデアを参考に、増田も緊急連絡先は最寄りの水道局の住所電話番号に設定している。

職場人間関係が強固な人

①②と同じ種類だが、例えば仲間と企業したけど逃げたくなった・・・という場合人間関係にしこりを残すと想像する。現代ではなかなかないと思うが、同族の小さい企業や少人数のベンチャーなど、職場人間関係が密で後々の人間関係がトラブりそうな方も要注意だ。(辞めたあとに電話SNSなどでDMが来るとか)

・当然だけど、辞めた後の人生は誰も責任を取ってくれない

退職後に休養するのも再就職するのも自由だけれど、その後の人生責任自分以外誰も取ってくれない。中には医療福祉に繋がるほうがいいケースもあるかもしれないが、勤め人を続けたい場合はその後も工夫や行動し続けることが大切だと感じる。男女問わず経済的に頼れるパートナーを探すというのも生存戦略としては立派なひとつ方策だ。下記リンクは以前ネットでも話題になったもので、今回の趣旨とは異なるが、早いうちから行動することの大切さについては参考になるかと思う。

http://www.carpefidem.com/column018.html

環境や適性をもう一度考えてみる

職場との相性は、入ってみたら人が定着しない魔窟のようなポジションだったとか、ホワイト大企業だけどその部署だけ何故かモンスターのようなストレッサーだらけとか、運で決まってしまう要素も大きいと感じる。ただ、ある程度自分の向いてる環境や適性について検討し、判断することも必要だと思う。向いてなくて耐えられなかったら、また退職代行を使えばいい。

人付き合いの苦手な人は、できるだけ接客から離れた上流工程業務内容の企業に応募する(コミュ障も突き抜けると接客適性無双他人への関心がないのでクレーマーをしゃべる人糞とみなせるという意見もあるが、限られたエースだけの才能だと思う)とか、マルチタスクではパニックになりがちな人は定型業務メインの仕事を探すとか、お子さんや家族ケアで早退や欠勤が続いてしまうひとはフレックス制や裁量労働などで調整できる職場を探すとか、できるだけ自分の苦手に直面する機会の少ない仕事を選んでほしい。

お前が言うなが過ぎるが、テレワーク可能職場という環境面での選択肢が無かったら自分社会的に詰んでいた。また、当座の給料のためにコミュ力に自信がないのに、客先/社内問わず大量のストレスフルな交渉が発生する職場自分スキルに見合わない仕事内容に考えずに飛びついた経験が少なからずある。

増田現在「やりたくない仕事は星の数ほどあれどやりたい仕事はない」というドクズ思考で、自分にできる仕事ならありがたく精一杯やって、ダメなら逃げようというスタンスだ。

「好きなこと/やりたいことを仕事にする」は覚悟がないと危険だと思う。インドア派やオタク気質の人は、アニメーターゲーム会社エンタメ企業出版社関連企業への志向性が強い傾向だと思う(かつて自分就活病で何社か説明会を受けたことがある)が、大手でない限り土日昼夜問わず働かされ、期限納期の厳しいブラック環境職場も多い。エンタメサービス業は、みんなが楽しんでいる休み余暇の時期が繁忙期だ。また、ブラック企業はある程度公式に開示されている情報労働条件判断できる。

まとまらないが、サービスでもなんでも利用し、つらい思いをしている人ができるだけ生きやす環境で生きられるよう願う。

2023-05-04

(追記)転職したけど出戻りした、結果良かった

18歳でエステティシャンになって気付いたら23歳になってた

ふと、こんな給料良いわけでもなく社会的地位も低い仕事やだなあと思い

その日から勉強始めて1年後ITエンジニア転職した

ちょうどコロナが始まったくらいだったからめちゃくちゃタイミングが良かった

最初はそれはもうほぼ毎日泣いたし自分が無力すぎるのに周りの人は優しすぎるのが情けなくてさらに泣いたけど

慣れたらめちゃくちゃ楽しくなったし契約社員から正社員になれてエステティシャン時代から給料は倍近くなったし在宅勤務楽だしで最高だ…と思ってた

しばらくすると、自分エステティシャンやってたこともなんだか恥ずかしくて経歴を隠すようになってた

オンライン会議とかで人の顔見てすぐ、(この人顔のここの筋肉凝ってるなー…)と思う自分も嫌だった

そんな感じだったんだけど、コロナがおさまり始めたから出社したとき

大好きな先輩が「なんか自分マスクの下の顔、自分記憶と違うんだよね…ショック…」と言った

そのとき自分でも信じられなかったんだけど自分の口が「もし先輩が嫌じゃなかったらなんですけど、フェイシャルマッサージやりませんか?」って言い出した

本当にびっくりした

結局家に来てもらってやらせてもらったんだけど

先輩のお顔をマッサージさせてもらってたら走馬灯(?)のようにエステティシャン時代の思い出が蘇ってきた

初来店時に「友達の中で自分が一番ブスなんです」と言っていたお客さまが「◯◯さんに出会えてエステしてもらって、自分の顔が好きになりました」と言ってくれたこ

ブライダルエステ担当させてもらったお客さまの結婚式に呼んでもらって本当に綺麗な姿をこの目で見れたこ

母の日にお客さまのお母さまのエステ担当させてもらって、エステ後迎えに来たお客さまがお母さんかわいい!ってキャッキャしてたこ

しんどいことも色々あったはずなのに、幸せな思い出がぶわーっと頭を駆け巡ってた

先輩もめちゃくちゃ喜んでくれてずっと鏡見ちゃうって言ってくれて

あー、このためにエステティシャン6年もやってたんだなあって思い出した

そんなこんなで結局またエステティシャンやってるけどすごい幸せ

エンジニアの方が給料も高いし将来性もあるだろうけど、本当にやりたいことを見つけられたから良かった

から何って話なんだけど、なんとなく書きたくなった

(追記)

こんなに読んでもらえると思わなかった🙇🏻ありがとうございます

ついでにちょっとお願いさせてください。

🌷顔(特に目周り)と肩をあたためて🙇🏻🌷

肩はもちろん、顔にも筋肉がある。

(「顔 筋肉」で検索してもらえたらoh…ってなると思う)

顔ってこるの?こり具合が分かるの?とびっくりする人が多いけど、エステティシャンからしたら「この方は歯軋りしてるなー」「右で食べ物噛んでるなー」「営業職なのかなー」くらいは分かることが多い。

特に目周りのでっかい筋肉はあたためない手はない。

眼輪筋って言うんだけど、まぶたの開閉等に使う筋肉からほとんどの人は毎日酷使してる。

筋肉はあたためるだけである程度ほぐれる。

辛さの改善はもちろん、筋肉は凝ると膨張する→その部分が大きくなるので

凝りやむくみがマシになるだけで顔がしゅっとする。目がぱっちりする。

あと人間想像以上にむくんでる。

冷えやすお腹二の腕ぽよぽよは、脂肪だけではなく脂肪と見せかけたむくみであることも多い。

エステに来て身体の変化にびっくりする人がいるのは頑固すぎるむくみが原因のひとつ女性は冷えやすいか特に

あと顔のむくみの原因は肩こり(による血行不良)であることも多いか

肩をあたためたり近所のマッサージ屋さんにかけこんだりストレッチ筋トレを試してみてほしい。

身体だけのメニューやって、顔触ってないのになんで顔小さくなってるんですか!?ってびっくりするお客さまも多い。

【どうやってあたためるの?】

『水で濡らして絞ってチンしたタオルをのせる』or『専用のホットパックを使う』

電子レンジホットタオルを作って(やけど注意!)簡単スチームエステをするもよし、あずきのチカラ等の専用ホットパックを使ってじんわりしっかりあたためるもよし。

ステマじゃないけどあずきのチカラのフルフェイスと首肩用、おすすめです。目元用もいいけど。

https://www.kobayashi.co.jp/brand/azuchika/

公式サイトがなかったから載せないけど、腰や背中しんどい人はもっとでっかいホットパックがあるのでぜひ。レンジでチンするやつ。

あと余裕があれば耳回しもやってほしい。自分気持ちいいと感じる程度で。

現代人、耳周りがあまりにもガチガチすぎる。

https://zutool.jp/column/prevention/ear_massage

風呂しっかり浸かると運動ストレッチ筋トレするとかできればそりゃ良いけど実際難しいですよね。

あっためるだけで違うのでぜひ🙇🏻

そして、身体のしんどさの一番の原因は精神のしんどさであることも多い。

スピリチュアル的なことではなく、身体と心は明確に繋がってる。身体が緊張すれば心が緊張し、心が緊張すれば身体が緊張する。

色々なことがある世の中ですが、みなさまそれぞれが思う良き時間・良き人生を送れますように。休める時は休んでください🙇🏻

ではでは🙇🏻🙇🏻

2023-05-01

父親知的障害だった

思い出したので。

父親知的障害である手帳も貰ってる。

母と父の馴れ初めは全く知らない。小学生の頃何気なくいたことがあるがはぐらかされ、これはあまり聞いてはいけないやつだと思ったので詳しく聞かなかった。

父は私が中学2年になる頃までにはすでに警備会社契約社員まで堕ちていたが(警備会社と言うが実際ところはイオン駐車場交通整備である)中学3年生の頃に職場の人とソリが合わず会社を辞めてしまった。そして初めは小銭欲しさに精神科受診したはずでうつ病だとかの診断をもらって手当金を貰うという話だったはずだが、あれよあれよという間に何かの診断がおり障害者となった。障害者年金がもらえるとのことと、自分障害者であるということから勤労意欲がなくなったらしく、それからニートになった。

私はその後通信制高校に進学して卒業し、家を出た。

父について印象的なことを話したい。

私は高校に進学するとき、本当は全日制の高校に進学したかった。私立高校で学びたいカリキュラムがあった。制度も調べたし、提案をしたがどうしても入学金はある程度の額を出してもらう必要があり、提案した。だが

「生きるだけなら他にも方法はあるしそんなにお金もいらない。自分の仲の良い宗教グループ仕事ももらえるし中卒でいい」

と言われた。

私はこのとき「この人にとって現世は消化試合であり、自分人生子供人生責任が取れないレベルの人なのだ」と思った。

ちなみに母はあまり我がなく、口も上手くないので、このときも何かモゴモゴ言ってたと思うが何の助けにもならなかった。

結局通信制高校の数万円の入学金は払ってもらい、他の費用バイト代から捻出した。

その後色々と苦労はあったが、付き合う人間が変わり「まともな人と関わることの重要性」を日々噛み締めている。

2023-04-29

早々に一人暮らしさせないと子供はこうなるってはなし

タイトルの通りです。

通学に2時間以上かかる大学しかからなかった私は今、もし時間が戻せるなら、近場のFラン大(実家イオンすらないふざけた田舎なので四年制ならここぐらいしかない)に入る選択をするかな。一人暮らしさせてほしい。金は奨学金で何とかする。仕送りはいらない。って説得してもダメだった。ていうか説得すら受け付けてもらえないような親だった。延々と自分学生生活を語るタイプ説教を受け…

たとえばこんなこと

・俺らの頃は自分バイトして一人暮らしするのが当たり前だった。

奨学金なんて借金なんだからやめとけ。

田舎農家の息子は親の金一人暮らしさせてもらってたが、4年間の自由の後は奴隷だって嘆いてた

みたいな。笑っちゃった。私だって奴隷みたいに庭の草刈りとか落ち葉掃きとかしてるが?奴隷じゃない?これ。

いい忘れてた。私はある禅宗のお寺で育って、将来は立派なお坊さんになるんだ!って親戚の前で語るような人間だった。なんだそいつ。本当に私か?でも祖父母証言だけでなく、ちゃんビデオにも残ってるんだから笑っちゃうよな。まさに映像の世紀。俺はアドルフ・ヒトラーかっつーの。アドルフ・ヒトラーNGやばいパピコが溶ける。食べます

で、そんな奴が2時間電車バスに揺られることに嫌気をさして、休学→退学のコンボを決めて、次に目指したお坊さんになるというレールに乗ったんだよな。あぁ、思い出しちゃった。「兄貴は1年で嫌になって帰ってきたけど、俺は2,3年修行ちゃうかもねw」って言い放って都会の寺に出たんだ。結局そこで、「失礼だから先輩の目の前でメモを取るな!」っていう謎理論ぶちかまされて、夜眠れなくなって、頭が働かなくなって1ヶ月で泣きながら逃げたんだった。人ってさ、追い詰められると、単三電池とかすずらんの球根(毒があるってことは知ってた)とか毒虫とか食べちゃうんだよな。体調崩して辞めたくて。リチウム電池は美味しかったよ。

それからだ!それから親の態度が急変したのは。「大学に戻るか?金なら出すぞ」「いいや、今はいい、寝かせて」って言いながら24時間寝てた。ちょうどコロナの真っ最中だったし。本当に24時間ぶっ通しで寝てた。それを3ヶ月ぐらい続けてからようやく何故か働きたくなって、適当モールの店で1年バイトして、連日押し寄せるクレーマーの波に揉まれて、1年で辞めたんだった。店長喧嘩したなあの時は。「キミは契約社員から正社員になれる器を持ってる」みたいなことを面接時に言われたから期待しちゃったよ。マッタク。

結局、そんな話はなくていい感じに丸められてこき使わせようとしてきたからお互い店内の備品を壊しつつ、話し合いをしてやめたんだった。退職届を突きつけた時の「マジかー…………」みたいな反応意外過ぎて笑ったよ。おめーとお局のせいだから死ねよ。

ほんであとはのんべんだらりとフリーター生活をした。この2年何やってたよ。資格取るとかさ、学校行くとかさ。通信制でも良かったじゃん。なんでしなかったの?金がないなら生活保護でも受けて実家出るべきだったじゃん。

で、今は部屋の掃除してて、過去写真とかが一気に出てきたので丁寧にスキャンした後燃やした時、間違ってJCBギフトカード1万円も同じく燃やしちゃったのでメンタルが最高にブレイクしている時なのであります預金残高10万切りそうだからね。定職に就いてる方々は1万円ぐらいって思うかもしれないが、私はこの3日暴れまわってたんだよ。心の中で。

とりあえず私の悩みは

仕事が続かない

・ていうか働きたくない(生活保護受けたい)

安楽死希望

本気で人生が嫌になったので、これを加筆修正したものプリントアウトして精神科に行こうと思いますメモ帳として使って申し訳ありませんでした。

あ、あと6月から期間工として働くつもりです。多分健康診断で落とされると思うけど、最後に挑戦してみたくってって…甘いか〜。

2023-04-27

anond:20230427184538

年俸制契約社員フリーランスでもない限り、基本的にはボーナス込みの年収なので、

20代だとボーナス無い月の手取り額は30万割っちゃうとこ多いぞ

なので、月の額面30万ではなく、月の手取りで30万なら、とりあえずひとつラインには到達している

 

もっとも贅沢できないだろはその通りなんですけどね

2023-04-26

anond:20230426020200

悪の組織経団連が、経営者利益を最優先し、

とにかくコストカット人材育成を怠った。

短期的には派遣契約社員への置き換えは、コスト削減に繋がり、企業としては利益向上するが、

1年契約で切られる契約社員いくら研究開発したところで、

短期の成果が求められるゆえに、虚偽の成果発表ばかり並ぶ。

2023-04-17

anond:20230417135717

なるほど、ごもっともだわ。

そう考えてみると、今多くの企業

超えられない壁

プロパーの壁~

みたいな体型になってて、時短勤務や特別な勤務をするには正社員から契約社員パート社員などに切り替えが必要だっていうのも大きい気がする。給与面以外の待遇が大きく変わるから。戻ってこれる保障が無いから、何とかしがみつこうとするし、会社側もよほどのことが無い限り、契約を買えてくれとも言いづらい。

転勤無しの地域限定正社員ってあるじゃん。ああいものがあって、ワークシェア前提で回せるようになるといいのかもね。

NRIとかアクセンチュアとかはこう言うの導入していると聞いてるけど、あいつら分給1000円とかだから一般しづらい。

2023-04-14

anond:20230414053428

単純に東京だと家賃がするのよ

タフぶる!とか、在宅勤務しかしない!とか決めていない限り、家賃が最低10万はする

そんで500万って言ってもそれは総支給額であって手取りじゃないのね

加えて、年俸制契約社員フリーランスでもない限り、基本的にはボーナス込みの年収なので、

ボーナス無い月の手取り額は30万割っちゃうこと多いんじゃないかな?

 

そっから家賃10〜14万引かれるだろ?

もうこの時点で金ないよね。『家事能力高くて自制心がある人』か『ボーナス月以外は貯金なんてしねぇ!』って決めてる人じゃないと

1000円のもの悩むレベルではないが、3000円のものだと、うーん・・・どうしようかな〜みたいな

ボーナス月ならその人の価値観・貯蓄状況次第やね

 

なお、東京10〜14万の物件地方なら4.5〜5万で借りれんのよね。オートロック築浅のSRCないしRC

5万以上ポーンと浮くから仕事地方に引っ張れる人なら、地方都市の方がどう考えてもコスパいいね

なんでも徒歩で済ませることも出来るし海や山に気軽にアクセス出来るし

 

まぁ在宅しか絶対しない!って決めてる場合は、都内の駅からクソ遠いとこや不人気地区でもいいんやがな

都内でも価値あるのは都市部と始発駅徒歩7分圏だけなので、そこから外れるとだいぶ家賃下がる

けど、それなら千葉埼玉神奈川に車買って住んだ方がよくない?ってなるけどね

大型ショッピングモールとかコストコとかロピアとか車で行けるしな

そしてさらに言うなら、首都圏の1都3県にこだわらずやっぱ地方都市でよくない?!ってなるけどな

 

東京でるの月1くらいなら東京で払う家賃の差額で飛行機代を余裕で出せるで

2023-04-07

そこそこ運がいい

会社がクソブラックだったから勢いで辞めたんだけど、緊急事態宣言真っ只中なのにそれなりの規模の会社契約社員で入ることができた。あとで人事に聞いたら私以外の面接者が鬱一歩手前か?みたいな人だったり、何にも考えてなさそうな人ばっかりだったらしくて私が一番まともに見えたらしい。あと経験者なのも私だけだったそうだ。

入社してすぐに配属された現場炎上真っ最中って感じだったけど、契約社員+20代ってこともあってそんなにヒーヒー言うような仕事は任されなかった。というか若干放置されていたので、1人で端っこの席に座って勉強したり雑務をしたりしていた。炎上中なのに毎日定時で帰るようにも言われていた。

それで私が働き始めて半年ぐらい経った頃に、炎上させちゃったリーダーは半分クビみたいな感じで退職したので代わりに新しいリーダーがやってきた。この人がまじでめちゃくちゃできる人で(前のリーダーができなさ過ぎたっていうのもあるだろうけど)、一瞬で炎上を収めた上に炎上前よりも質のいい成果物を出せるようになった。お客さんから評価も、前の事も相まってものすごく良くなった。この辺りから私も現場に慣れてきただろうってことでそれなりの仕事を任せてもらえるようになってきた。

ここで話はちょっと逸れるが私はお酒が大好きだ。1人でも飲みに行くし、友達との飲み会も大好きだし、会社飲み会もそれなりに楽しめるタイプ。好きなお酒ビールウィスキー。少し前から日本酒も飲むようになった。

という話を新リーダーにしたら、リーダーお酒好きだったようで色々と雑談をするようになった。うちの現場は仲が悪いという訳ではないけど、同じフロアの別チームの人たちからは「静かすぎて話しかける時気を使う」と言われるぐらいには静かな現場だ。だから雑談するのはだいたい私と新リーダーともう一人の社員さん(30代の快活ママさん)だけだ。

リーダーが来てから半年ほど経った頃、私に社員登用の話がきた。

大した仕事もしてないし、難しい資格を取った訳でもないのに突然やってきた話だった。まじでびっくりしたので快活ママさんに相談したら新リーダーが私のことを推薦していたそうだ。仕事も真面目にこなしてくれるし、コミュニケーション力は本当に申し分ない。意思表示もきちんとしてくれるので案件を回す上で本当にありがたいって褒めてたよって言われてちょっと照れた。

そうしてトントン拍子に話が進んで、結局私は昨年の4月から晴れて正社員となった。月給は少し減ったけどボーナスが年に2回もらえるので年収としてはアップとなった。

ここまで読んでて分かるだろうけどそこそこ運がいいなと思う。

同じタイミング面接を受けた人が未経験の危うそうに見える人ばかりだったのも、現場炎上しているタイミングでは大した仕事をしなくて良かったことも、炎上が落ち着いたタイミングでそこそこの仕事を任せてもらえるようになったのも、新リーダーと仲良くなったのも全部運が良かった。

思えば今までの人生もそんな感じ。学校が荒れてたせいで普通に通ってたら内申点が爆上がりして推薦がもらえたり、家が近かったかガルバシフトの融通を利かせまくってたら(早上がりとか早出とか)店長に物凄く感謝されてノルマちょっと緩くしてもらえたり、ネイル趣味でやってたらTwittreのフォロワーが増えて案件ネイルポリッシュ貰えるようになったり。

ものすごく努力してる訳じゃないかハイリターンはないけど、そこそこ努力すればちょっとだけ上乗せされたリターンがあるような感じ。

才能なのか全部たまたまなのか知らないけど本当に感謝してる。私みたいな一般人にはこれぐらいが丁度いいです。

っていうどうでもいい話。

2023-04-06

地方で非大卒ニートを2年やった結果

こどおじをやってて、30代半ばで貯金2000万くらい。

JTCの工場勤務で年収500万ほど。

経緯

アカハラで進学先を辞める

2年ニート

1年JTCの契約社員・・・時勢はリーマンショックの影響が落ち着いて来た頃

高卒枠で正社員採用・・・地方工場で8割が高卒枠(地元採用枠)

・塾に通ったことはない

田舎公立中学でたまに学年1位が取れる程度の学力

中学卒業後は国立理系学校へ進学し卒業

上記のことから奨学金等のローンもなく教育コストがかかっていない。

契約社員採用時は、卒業していた学校地元では頭がいいって認識だったのでプラスに働いた。

一方で、正社員採用時は周囲のライバル高卒の人たちばかりだったので、書類仕事ができる分、相対的に高評価を受けやすかった。

今は管理職現場の人たちの橋渡し役をやっている。現場仕事デスクワークが半々。

管理職は有名大学の人しかいない。院卒が多め。

工場=単純作業のような業務は、下請け企業派遣社員がやっている。

直轄の現場作業者がやるのは、資格必要だったりミスったら大惨事になるようなもの研究開発業務等。

残業は嫌いなので年間20時間ほど。働き方改革の流れでマイナス評価にはなっていない。

出世はなし。管理職への登用制度はあるが転勤が付いて回るので高卒枠(地元採用)で利用する人はいない。

兄弟ニートこそ経験していないが似たよう学歴で別のJTC勤め。

田舎ということや親のこともあり自分個人として結婚は考えていないが、同僚の高卒組の多くは既婚、社宅or家持ち車持ち。

今回、増田に書いたのは、地方暮らし高卒は困窮してどうしようもないって意見が大半を占めてて、

自分暮らしている周囲の日常全然違うのでそういった側の話があってもいいかなって思ったから。

自分場合コストがかかっていなかったので、ニートをやってもリカバリーが効いた。

そういった視点で見ると個々人の能力によって、教育コストとリターンが見合っていない人がそれなりの人数いるのではと思う。

なんていえばいいのか表現しにくいが、これしか道はないと誰しもが言った結果、過密高騰して必要以上にコストを払わされている感覚

過疎っている地方に住んでいるからそう感じるだけかもしれないが。

個人的なことを言うと、都会に行きたかったし学問も修めたかった分、

その立場謳歌した人たちが労働時間に見合わない賃金で働いてたり、奨学金の返済で齷齪している様を見ると夢が見れなくて残念な気持ちになる。

絶望して地元に残った分今の自分より良い暮らしをして夢を見させて欲しい。

2023-04-05

anond:20230405043012

なんで派遣バイトという括りの契約社員と同じ給与で働いてるんや?

この給与なら派遣バイトしろよってなる

どんなポンコツでも年収500万以上あるのが一般的だと思うぞ

年収低いのは団地とか入るためにあえて調整してるんやで

都営団地は18,900円~ 41,000円くらいの家賃で住めるが、多くの団地と同じく厳しい「年収上限」がある

 

給与収入(年間)家族
0円~351万円2人
0円~399万円3人
0円~447万円4人
0円~494万円5人

 

そして多くの団地と同じく泊まっている車に普通車が目立つ

というかヴォクシーほかミニバンが停まっていたりもする

なんだったらちょっとお高めどころか直球でラグジュアリーカーが停まってたりもする

低所得はいったい・・・である

 

明らかに上限年収を超えている人たちが都内団地に住んでいることについて

一応は都も認識をしているようで

東京都都営住宅高額所得者審査なんてものあるようなのだ

https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kenchiku/shinsakai.html

どう考えてもそれ以前の問題がある


都内で351万で2人で暮らすのはかなりの無理ゲーである


まぁ都営団地については不人気区の駅からめっちゃ遠い木造や1Rや1Kで暮らしながら申し込んでいる設定にして納得するとしても、

人気区の区営団地はどう捉えたら良いのだろうか?

営団地は当然ながら該当区内に住んでいることが条件である

しかし人気区であっても「年収上限」は同じく厳しい

世帯員数一般区分(所得)
2人の場合 0円 ~ 2,276,000円
3人の場合0円 ~ 2,656,000円
4人の場合0円 ~ 3,036,000円
5人の場合 0円 ~ 3,416,000円
6人の場合 0円 ~ 3,796,000円

ファミリータイプ家賃が18-40万する地域にどう考えても上限年収で住める訳がない

10前後で住めるのは1Rや1Kだし、1Rや1Kに住んでいる設定に無理矢理するとしても

300万で毎月10万支払いつつ家族を養うのはどう考えても都内では無理だろう


実際のところ、家賃20オーバー地域に5万以下で住むために、あの手のこの手で調整して入っているわけだけど、

なぜ誰も突っ込まないのだろうか?

 

 

抽選倍率775倍らしいが青山あたりの物件(団地)とか本当に抽選やってるのかな・・・

都営北青山三丁目アパート

名称:(仮称都営北青山三丁目団地

地番東京都港区北青山三丁目277番3

用途都営住宅、保育園児童館

階数:地上20階,地下なし

高さ:70m

間取り図:https://www.juutakuseisaku.metro.tokyo.lg.jp/toei_online/pdf/index-04.pdf

外観:https://view.tokyo/?p=55664 

 

なお近郊の物件

JR山手線/浜松町駅 歩8分

築42年 / 13階建

東京都港区芝

18.8万円 (管理費 17,000円)


JR山手線/浜松町駅3分

12年 / 地下1地上25階建

東京都港区浜松町

30万円 (管理費 20,000円)


都営三田線/白金高輪駅 歩7分

築13年 / 12階建

東京都港区三田

22万円 (管理費 10,000円)

あんまり能力ないのに偽装能力が優れていて会社員になれるなら

そのまま金もらい続ける方が明らかに勝ち組やん

予想と違ってもそれってよくあることだしお互い様

ワイくんは正社員雇用と言われたけど入社後に募集時には正社員って書いてたけど契約社員にするっていわれた事あるで

求人に嘘つきまくってる方は野放図なのに労働者の方ばかり悪くいわれるのかわからない

 

まっすーには会社なんてクソ仕事なんてクソっていってる奴らばっかりなのに

いきなり正義に目覚めるのかようわからん

クソなら適当に手を抜いて金貰えばいい

 

仕事頑張りすぎで病気になったり

一流企業に勤める出世株でもないのにブラック企業社長の出来の良くない親族私立学校に通うための金を

自分結婚もできず子供も持てないのに生み出し続けるのが正しいっていうの?

全く理解できんわ

2023-04-04

なあ、ちょいと誰か聞いてくれ

環境ホームワーク(日によって2時間しか労働してないとき

職場環境:良好

人間関係:良好

職務内容:割りとあってる

給料:\1100(手取り15~16万)

年齢:30前半

雇用形態障害者雇用契約社員

さて、どうしたもの

2023-04-01

またも現職が無投票再選してしまった。

応募するだけで書類選考面接もなく採用される

4年更新契約社員

一流企業警察OB雇ってる

みんな意外と知らないけど、普通に雇ってるとこ多い。社員も知らなかったりするんだよね。

顧問みたいな雇い方の場合もあれば、特殊契約社員みたいにしている場合もある。

社員逮捕されたり、飲みすぎて留置されるとその人が対応に出てきたりする。

握りつぶすとかの権力なんかは持ってないと思うけど、報道されるされないの判断して広報やら顧問弁護士と連携してるはず。

かい会社に勤めてる人は、役員かに聞いてみ。

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