はてなキーワード: 切磋琢磨とは
もう退職して長いのでフェイク入れながら見てきたこと、体験したことを書こうと思う。
データ復旧がブラックボックス化したような業界なのはググれば出てくるから、そこは自分で検索してくれ。
どこの会社も基本的には、電話かメールで相談→初期診断(機器を預ける)→見積→成約→復旧作業→データ確認→入金→納品、みたいな流れで仕事を請ける。
比較的高額な費用がかかること、データが必ずしも戻って来るとは限らないこと、初期診断や復旧作業の結果HDDの状況が悪化することがあること、復旧作業が不透明なこと。これらの理由が束になってそれらがそうである理由がお客様側に情報として共有されないから、余計に不信感が募る業界だと思う。
自分のいた会社は本当にブラックで、メンタルもフィジカルもボロボロになりながら働いていた。今も若干その後遺症があるくらい。でも、ネットに書かれている程の悪徳業者でもなかった。
ブラックの実態としては、朝8時~深夜0時までオフィスに缶詰め。昼飯はアルバイトに買ってきてもらうのがやっと。毎日罵詈雑言を浴びせられ、罵られ、時には全体集会で吊るしあげられる。会社の中には流行があって、順番に誰かしら集中的に経営者から非難される。一方で、集中的に称賛される人もいる。罵られる番が来ると最悪で、二週間くらいはずっとターゲットにされる。称賛される側になると、タイミングが良ければインセンティブが入る。ちなみにインセンティブが貰えるのはほぼ営業の人達で、マーケやエンジニアやCSなんかは殆どもらえていなかった印象。月の休みは実質2日~6日程度。これだけ働いても年収は額面で300万ちょい。そのくせ会社の近くに住めと勧めてくる。もちろん生活は破綻していた。
ただこれは当時の話で、今はどうだか分からない。
久しぶりにサイトを見に行ったら、職種によっては給料の条件が良くなってたし。
こんだけブラックな働き方をし続けてた理由はひとつで、兎に角洗脳されていた。
お前は仕事が何たるかを心得ていない、なんでそんなことも分からないんだ、普通の会社ならクビだぞ、なんて怒鳴られていた。毎日。
でも、この人達、怒鳴りながらもちゃんとビジネスとは何なのかという点について、普通のビジネスマンなら知っていることを根気良く教えてくれていた。朝礼とか終礼のタイミングで仕事の考え方なんかを講義してくれていた。自分は屑だと思い知らされた上で、ここの経営者は面倒を見てくれる、みたいな。ここから外に出たら自分はやっていけない、と、当時は本気でそう思っていた。ただ実際、ここで学んだ事は今の仕事に活きている。全てが無駄なものではない。問題は、あの長時間労働、低賃金、パワハラの数々で、教えてくれていたことは正しかったんだなとそこそこ大きい会社に転職してから気付いた。
まあ、モラルの破綻した経営者ばかりだったんで、もう二度と近づきたくはないけど。
そんな感じで社員にとってはクソな会社だった。けど、お客様に対してはネットで書かれているほど悪いことはしていなかった。
ひとつずつ、書けるところを書いていく。
競合調査なんかもしてたけど、どこの会社もHDD単体で大体5~30万。RAIDとか組まれてるとHDDに障害があれば単体の復旧金額+RAIDの組み直し費用でもっとかかる。これ、なんでかって、この業種はとにかくコストがかかるから。
・人件費
・設備費
・広告費
・研究費
賃貸費用なんかは、多店舗展開していれば余計にかかる。人件費もまあ会社なのでかかる。この辺りは他の業種と変わらない。
次に設備費。物理障害も対応している場合、クリーンデスクだとかクリーンルームみたいな、無塵エリアが必要になるのは誰でも分かると思う。更にそこに移植用HDDのストック、ストックが無ければ中古市場から必要なHDDを探し出して購入しなくちゃいけない。物理障害の時はこれはほぼ必ず必要。そのストックの有無で復旧期間が長くなったり短くなったりする。自分のいた会社はこのストックの数がすごく多かった。だから物理障害でも復旧期間が短かった。有名な海外のデータ復旧業者なんかは預けて復旧完了まで二ヶ月とかザラ。でも、会社のデータだろうが子供の写真だろうが、兎に角、データの無事を早く確認したい人は多いと思う。そういう意味でもこのHDDのストックは必要。
更に、預かったHDDから抽出した情報を復旧していく訳だけど、オリジナルHDDを使うと何かあった時に取返しが付かないことになるから、クローンHDDを作成してそれに復旧作業を行う。このクローンHDDの作成用の器材にもお金がかかる。ただのデータコピーじゃなくて、01の情報をまるっと別のHDDに移すから、HDDの容量が大きければ大きいほど時間はかかる。でもさっき言ったとおり、悠長に待てる人はそういない。だから、このクローン作成用の機材にも投資をする。あとはまあ論理復旧用のPCとかも当然お金はかかるわけで。それらのメンテナンスや買い直しにもお金はかかる。高い。とにかく高い。
それで次に広告費。
思い出してほしいんだけど、こういう緊急を要することが多い業界って、どこも広告を沢山出してるだろ。水回りとか電気周りのトラブル、鍵のトラブル。一番最初に目に入ったところに連絡を入れやすいのがこれらの業界の共通点。特に慌ててる人はとりあえず連絡を入れてしまう。だから、そういう人達の目に最初にとまりやすいように広告は絶対に必要。だって目に入らなかったらそもそも検討すらしてもらえないから。SEO対策にだってお金はかかるし、検索広告費用だってかかる。それに付随する別の広告メニューにだってお金はかかる。「復旧しなくてもいいかな」「でも無くなると無くなるでちょっと心残り」「とりあえず見積だけもらおうかな」。こういう微妙な心理の人達は何度も長い期間をかけてサイトを訪れる。必ずしもブックマークをしてくれる訳じゃないから、その度広告費は嵩む。つまるところ、広告宣伝費がものすごいコストになってる。
だけど、昔より出来ているとしたら、それは他業種や研究機関と連携して実際に研究を行っているから。
HDDの動きを制御するのにファームウェアの解析も必要だし、HDDは型番によってもちろんファームウェアが変わる。
更に出荷時期によっても変わったりするから、やっぱりこういう情報を予め多く手に入れておくためにも、希少価値の高いHDDを入手して、解析しておく必要がある。
初期診断でデータ復旧できるって言ったのにできなかった!って憤慨する人が多い。俺もお客様だったら怒ってると思う。できるって言ったのにできないってなんだよ!って。
でもこれ、仕組的には仕方ないことだっていうのは分かる。
初期診断って、物理障害が論理障害かの診断をして、論理障害の場合はHDDの中で何が起こっているかまで確認してから診断結果を出す。物理障害はお客様の許可なしにHDDを開封することはできないから、音だとか挙動でアタリをつけて、診断結果を出す。
ただ、それでも復旧できないのは、論理障害の場合、実際に復旧作業をしてみたら、データ領域に別のデータが書き込まれてしまっていたりして、必要なデータがとりだせなかったりする。データ復旧業者が復旧ソフトを使わないで、というのはこの辺が理由。
物理障害の場合は、実際成約してからHDDを開封してみたら、思ったより症状が悪かったりする。これはもう明けてみないと分からない。悪いことに、スクラッチなんか起こっていたら、復旧の難易度はSSRを10連1回で出すくらいの難しさになる。
そして、ほかの業者に預けたHDDを別の業者にもっていって開封してもらうと「前の会社の作業の痕跡がありすぎて直せない」なんてことも多い。一つの症状に対して複数の原因が考えられて、その原因に対するアプローチは多分会社によって違うから。
ちなみに、物理障害の場合、物理復旧のあとクローンHDDを作って論理復旧をするので費用は高くなる。そして前述のとおり、クローンHDDを作って復旧作業をしようと思ったら、必要なデータの場所に他のデータが上書きされていたり、BADセクタが大量発生したりいていて、復旧できない、なんてことも。
初期診断で通電した結果、HDDにとどめを刺す、なんてことが無い訳じゃない(可能性として高いわけじゃないけど)。更に、持ち込みなのか郵送なのか知らないけど、やっぱり移動の振動によって何かしら起こることもある。
復旧作業でも、ここまでで何度か書いてきたけど論理障害だろうが物理障害だろうが、クローンの作成が必要になるから、クローンの作成によってオリジナルHDDの状況が悪化することもある。
でもね、これ壊そうと思って壊してる訳じゃないんだよ。俺ね、あんなクソなモラルの超低い会社にいたけど、エンジニアは本当にいつも一生懸命データを復旧しようとしてたんだ。嘘じゃない。これは誓って、嘘じゃない。
これは仕方ないことなんだけど、復旧作業の内容は概要を伝えることはできても、詳細はお客様に伝えられない。
復旧技術こそが本来はこの業種の競争力だから、他社に内容が漏れすぎてはいけない。
さっき書いたとおり、一つの症状に複数の原因が考えられて、その原因へのアプローチも会社によって異なる。
本来であれば業界として情報共有して切磋琢磨した方がいいのかもしれないけど、競争力が無くなるのはね、企業としてはリスクだろうし難しい。
ここまで書いてきた理由に加えて、自分のいた会社では初めて問い合わせをもらってから入金までかなりお客様を急かす。
急かされる側はその時点で不快なわけで、そこに「復旧できませんでした」とか返ってきてみれば「HDD壊れてます」とかが加わればそりゃ不満は爆発する。
だから、できなかったこと、悪化したことを悪い意味で捉えられて「壊された」って書くんだろうな、と。
でもね、書いてきたとおり、エンジニアがわざとHDDを壊すことはしない。
どんなに悪名高い会社でもそうだったんだから、どこの会社もそうだと思う。
よく、従業員は経営者に扱われたとおりにお客様を扱う、なんていうけど、あんなにひどい扱いを受けていた当時でも、そんな風に悪い事をしようとする人はいなかった。だから、今もそうだと思う。
何より、わざと壊すにはその作業自体に時間がかかるしその分人件費もかかる。機材も使う。
大型のサーバーの案件なんて、両手両足じゃ足りないくらいのHDDが入ってて、その復旧費用もやっぱりそれなりにかかる訳で。そういうのが月に何件も入ってくるんだよ。ぶっちゃけ個人のお客様の分の復旧費用って、人件費なんかの固定費を更に乗せたら赤字なんだ。だから、成約しなかったお客様のHDDにわざと何かをするなんて、それ自体が愚行なんだよ。復旧作業をしたHDDが悪化してたのは、エンジニアが何とかして復旧しようとしたから。
「でも、他の業者に相談したら「あそこに預けると壊されて返ってくるから」って言われた」
なんて人も多いと思う。
データ復旧業界って自分がいた頃は本当に足の引っ張り合いだった。検索結果を見る限り、今も変わっていないんだと思う。
昔からの職人気質なエンジニアたちが多くて、そういう人たちが経営者になってるから、自分より目立ったり、儲けたりしている他社が気に食わない。もともと仲間じゃなかった人が経営している会社が信用できない。
だから、わざと足を引っ張る。ひどい時なんて、他社の年寄り社員が、個人ブログで自分がいた会社を罵っていたりした。事実無根の内容で。(どうして分かったかは察してほしい)。
古巣はゴリゴリの営業気質だったから、本当に他の会社に疎まれていた。技術力だってあったのに、外面の雰囲気と、経営者の唯我独尊なあの雰囲気が鼻についたんだと思う。
技術力があったから、そういう足を引っ張る他社を相手にはしてこなかった。でもね、離れてみて思うけど、やっぱり業界全体として醜いと思う。大手と老舗が違うのは仕方ないから、もうちょっと業界全体でうまくやれないのかね。
営業がゴリゴリと攻めてくるのでかなり不快なのは間違いないと思う。特に冷静に対処したい人にとっては。
それに加え、ここまで書いてきた情報なんて誰も知らないんだから、胡散臭く思われても仕方ない。
でもね、さっき言ったとおりわざと壊すことはしない。営業の脅し文句で何か言われるかもしれないけど、毅然とした態度で対応すれば大丈夫だと思う。
だからどこに預けるにしても「壊される」なんてことはないと考えて、自分が信頼できる会社に預けてほしい。
今自分のHDDが壊れたらどこに預けるか?って訊かれたらそれは答えられない。データ復旧会社に世話になるのが嫌すぎて、自宅のNASと、絶対に失いたくない大切なデータだけはクラウドに預けてるから、お世話になることもないだろうし。
あとやっぱり嫌な気分になってくるので、この業界の今について調べる気力もない。
コース1
SESとはITエンジニアの派遣。勤務は大体他社に常駐なのでスーツ。堅苦しく技術的にも遅れている。
メリットは簡単に入れること。デメリットは給料安いなど待遇が悪いこと。
コース2
レベルの低いエンジニアは自分だけで一からプログラムで何かを作り上げたことがないので、
逆にいうとそれができるだけでもうエンジニア偏差値60以上と言っても過言ではない。
それを武器に自社で製品を作って売ってるレベルの高い会社に入る。
メリットは待遇が良く、技術的にも高レベルなので周囲と切磋琢磨して自分の実力も伸びる
デメリットはスキルが要求されるのでずっと低レベルだといじめられる
コース3
大学レベルの高等数学とAI技術を習得して流行りのAI開発者やデータサイエンティストになる
さあ好きなのを選べ
こんにちは、生まれも育ちも新潟県民です。上越市出身で、ここ数年は新潟市に住んでいます。
新潟県に観光に来てくださった方々や、移住してきた方々は、口を揃えて「こんなに良いものがたくさんあるなんて知らなかった。もっと上手に全国へPRした方がいい」と言ってくださいます。ありがたいことであるとともに、住んでいる人間としても課題意識は持っていたいところです。
という綺麗事は口では言えるのですが、実際に住んでいると、自分たちはその「良いもの」を美味しく楽しく最大限に享受しておりまして、ぶっちゃけほとんど課題意識というものが湧き上がってきません。外から来た人たちと中にいる人たちにギャップがあるのです。
これは一体どういうことだろう、と考えてみたところ、現状を成立させうる力学についての仮説が自分の中に生まれたので、ちょっとメモしてみます。
解決策の提案ではなく、なんとなく見えている世の中の姿(もしかしたら妄想も含む)を元に現状の追認をするだけの記事なので、あんまり生産的ではなさそうです。
県外の方々が仰るとおり、新潟には良いものがたくさんあります。
パッと思いつくだけでもこれだけありました(新潟市に寄ってるので、他の地域を見れば)。私はラーメンも枝豆もビールも大好きなので、天国です。ありがとう新潟。愛してる新潟。
県民が県内で美味しさや楽しさを地産地消できています。おそらく、ここに問題の切り口があります。
文化や産業が、良くも悪くも県内の人々の間で完結してしまっているように感じられるのです。どうしてこうなったのでしょうか。
私は、「人の動き」と「地理的条件」の2点に原因があるのではないかという仮説を立てました。
今でこそ首都圏への人材流出が問題になっていますが、明治期の新潟県は国内でも有数の人口が多い都道府県でした。次の記事が詳しいです。
「稲作を中心とした第一次産業」という分野において、越後平野、柏崎平野、高田平野の3つの広大な平野を擁する新潟県は、地理的な強みを持っています。上記の記事にもあるとおり、この強みと海運の拠点になったことから、新潟県は賑わいました。
人がたくさんいるということは、多様な文化が生まれます。この頃の賑わいによって、新潟県には豊かな文化を育む土壌が生まれたのではないかと思われます。
さて、単に豊かな文化を持つだけであれば、それを元に隣県と交流していくうちに評判が広がっていったのでしょう。
しかし、残念なことに、新潟県は全方位を海と山に囲まれており、あまりカジュアルに隣県と交流することができません。
海運が盛んだったうちは問題なかったのかもしれませんが、時代の移り変わりで陸運が中心になっていく中で、新潟県が外部と交流する機会は少なくなっていったのでしょう。そりゃあ田中角栄先生も山をぶち抜いて県外への道を切り開こうとするわけです。
そんなわけで、
という、現在まで繋がる新潟県の姿が形成されていったのではないかと思われます。
その結果、文化を地産地消する力学が、とても強く働いたのではないでしょうか。
旨い食べ物が作れたら、他所に持っていくのも大変なので自分たちで食べればいいのです。幸い、喜びを分かち合う隣人はたくさんいます。
良い道具が作れたら、他所に売るのは商人に任せて、自分たちは隣人たちと切磋琢磨すればよいのです。わざわざ山を越えてくる職人も少ないので、狭い街の中でひたすらお互いを高め合うことになったのでしょう。
隣県や都会まで行ってイベントに参加するのは遠すぎて大変なので、自分たちでやろうとしたのでしょう。
こうして、県民が県内で美味しさや楽しさを地産地消する新潟県が、生まれたのではないでしょうか。
わからん……もう俺たちの魂には文化の地産地消が刻み込まれてしまって、PRするというのがどういうことなのかわからなくなってしまった……
地理条件的にふらっと通り道に寄ってもらうことも難しいので、「新潟に行きたい」というモチベを持ってくれた人しか来ないんだろうなと思うと、やっぱり先にPRするしかないんだろうなというのはわかるんじゃが……
なんかもう、俺たち新潟県民が新潟を楽しんでいる姿をガンガン発信していったほうが、いっそ上手く回るんじゃないか。
ちょっと締まらないけど、これだけは言える。新潟県を一番楽しんでいるのは、新潟県民だ。だからみんなも、気が向いたら、楽しみに来てくれ。旅行でも移住でもいい。楽しみに来てくれ。頼むぞ!
元増田です。
藝大デザイン科を卒業された経験者の方からご回答をいただけてとても嬉しいです!
1~4までの項目を熟読しました。
同窓生のうち2~4人、率にして大体5~10%が任天堂に就職されるというのは、やはりさすが藝大は驚異的な就職倍率ですね。
デザイン科45人中の5~10%ですから、いずれにせよ過酷な競争であることに変わりはないですが、しかし私大と比べるとパーセンテージとしては圧倒的数値かと。
参考になりました。
藝大の倍率低下によって現役合格率が上がっているのは私にとって嬉しい追い風ですね。
ただ勉強の出来る受験生も増えているということで、学科を抜かりなくやっていこうかと。
また、藝大と私大における機材と制作環境の違いはとてもよくわかります。藝大・武蔵美・多摩美はオープンキャンパスに行ったことがあるのですが、私大二校の華々しい制作環境と比べると藝大はミニマムな環境で、良くも悪くも国立という点が出ていましたね。特にデザイン科のMACなど、機材に期待はしません。お話しいただいたように、日本最高レベルの同期と切磋琢磨して制作できる環境が藝大の何よりのメリットだと考えています。
藝大進学を「選択肢としては現実的だと思う。」と言ってくださるのはとてもありがたいです。
高3夏時点での実力判定で厳しいものがあったとしても、その年は藝大専願で受けるかと思いますが、もし入試に失敗した場合は1浪目で私大も併願し受験する柔軟さを持ち保険としたいと思います。
ありがとうございました!
とんでもなく曖昧なんだけど、どこかの記事で見かけたことがある
雑誌かウェブサイトかの中で進行して、参加者で切磋琢磨してストーリーを作る感じだったと思う。当時を知る人達の座談会形式のインタビュー記事があったけど、肝心の名前や概要がほとんど思い出せない。TRPGの一種?
入試の倍率が今の2~3倍くらいの時に多浪して藝大デザイン科入った卒業生です。
学部・修士を経て、自分の学年をはじめゲーム好きが多い学年だと同窓生2~4人くらい任天堂に就職してた。
今は定員が45人なので、率にしてだいたい同窓の5~10%弱の人が就職してる。今も多分似たようなものじゃないかね。
昔は狂気じみた技巧と努力が必要だったけど、今はそうでもない。っていうか、現役藝大生でしっかりとした実力があるのは一部で、あとは凡庸。うっかり受かっちゃったみたいな実力の子も多い。
最近の子の受験時代の作品を見る機会があったが、デッサンはまあまあ上手いけど、平面と立体は結構下手。現役合格も全然現実的だと思うよ。間違いなく少子化の賜物。
逆に、昔と比較して賢い子は増えた印象。絵にステータスガン振りして頭がパーって子はいなくて、みんな頭がいい。
良くも悪くも藝大と私大は全然違う。藝大は貧乏なので機材や制作環境には絶対期待しないこと。指導も含めて、私大の方が手厚い。藝大は「藝大に受かった人と一緒に制作ができる」っていうのが最大のメリット。レベルの高い人ばかりなので切磋琢磨の次元が違う。逆に言えばそれだけ。
ついでに。「私大と比較して藝大なんて就職できない」はもう昔話。業界を問わずデザイン科の卒業生の活躍はあちこちで聞くよね。
昔より入りやすいし、選択肢としては現実的だと思う。制作環境は決して良くないが、自由でアットホーム。卒業生の母校愛が強いことからもいい学校だというのは実感できるよ。
自社製品のiPadProと競合するのはわかる。
ただ、現時点でmacOSはタッチパネルにすら対応していなく、市場にまとも相手にされていないよね。このままだとmacOSは本当にどうでもいい存在になりかねない。着脱式がコモディティ化しているから避けているとは言い難い。単に技術力を投資する余裕や経営判断に欠けているんだろう。
それに、明確な思想や目的や矜恃をもっているならともなく、touchbarのESCキー復活からわかるように、妥協しか見えてこない。ライトニングケーブルが未だにある一方でUSB-CをMacには搭載する。素材のリサイクルアルミに固執して薄さを強調するのに、1kgを超えるノートPCという白黒テレビレベルにも劣る置物しか作らない。
Apple信者が何も考えていないことはわかりきっている。奴らはただAppleマークがついていれば絶賛するだけのステマ野郎だ。使用用途も映画やTwitterくらいなので高機能なものなんていらない。だからtouchbarも喜んで褒める。
Apple信者はMicrosoftがいま何をしているのか知っているのだろうか?Githubを買収したあたりで世界を牛耳ったも同然となり、WSL2でLinuxすら手に入れた。Azureは好調だしTSは本家を抜く勢いだ。
MSだけじゃない。Huaweiなんかアメリカに嫌われたのに最高潮だ。iPhoneを余裕で超えるスマホを見せつけられたら、アメリカやAppleがなんの強みもないって誰でもわかる。
暇だからゲーム専門学校時代を振り返る - 昆布がないと開発できない。 http://donnpema6.hatenablog.com/entry/2019/10/23/004918
HAL東京は私の母校でもある。読んでいてとても懐かしくなった。
この記事を書かれた方と同じように自分も卒業して思う事や学生時代を振り返ってみたくなったので書く。駄文ですが入学検討している高校生、在学中の方にこれからの参考になればと思う。
まずは私の情報について。
・現在は大手ITにてモバイルゲームエンジニア(Unityメイン)
まず私はゲーム業界志望で入学してゲーム業界に就職したパターンの人間である。
HAL東京でゲーム学科なんだからゲーム業界に行くのは当然ではと思われる方もいるかもしれないが残念ながら半数近く、またはそれ以上の人数がゲーム以外の業界に行く。
1年目
・冒頭で紹介した記事にもあった通り、HAL東京では前期・後期に別れて授業を行う。1年目は基礎を学ぶ。
・この基礎だが、プログラミング以外にもデザイン、コンピュータサイエンスなども行う。これは1年目の後期に改めて学科の選択の機会があるからだ。実際にプログラミングやってみて自分に合ってないと考えた人はデザインの学科にも行けるというわけだ(最も、最初の希望とは違う学科に入ってちゃんとその業界に就職した人を私は知らない)
・プログラミングの授業ではC言語を学ぶ。私は高校時代プログラミングなんて一切やっていなかったので初めて触れたのがCだった。printfでHelloWorldしたりscanfでメモリ領域ぶっ壊したりしつつもプログラミングの基礎を学ぶ。 IDEはVisualStudioだった。
・コンピュータサイエンス系の授業では、基本情報技術者試験の合格を目指し皆勉強する。HAL東京では基本情報技術者試験を取得していない場合、この授業が卒業まで続く。就職において資格を見る会社も一定数いるのでこのカリキュラムは良いと思う。取得している場合はAndroid開発やコンシューマゲーム機での開発授業などが選択できるようになっている。私は初の試験で無事合格したが卒業時でも取れてない人は一定数いた。馬鹿なんじゃないのか。
・1年目の後期からは学科に別れた授業+コンピュータサイエンス系の授業といった感じで進む。
・C言語のコンソールに文字を表示させてゲームを作るというのを1年目はやる。独自のライブラリが渡される。
・文字だけで表現するのにこの時点で出来るやつと出来ない奴がはっきりとわかる。 優秀な人間は自分でバックバッファの概念を構築したり、滑らかなアニメーションなどを実装している。凄い。当然彼らは誰もが知っているような大手ゲーム会社に今はいるはずだ。
・1年目の最後、学内での制作物の展示イベントがある。そこで作ったゲームを展示するのだ。ここで出来ていない人はおそらく翌年には退学している。私は完成はしたものの拙い出来だった。反面、負けてられないなとは思った。
2年目
・2年目からはDirectXを使用した本格的なゲーム開発の授業がスタートする。またそれと並行してコンシューマゲーム開発の授業が始まる。私の世代ではNintendoWiiだった。
・C言語の授業もC++の授業になり、クラス化などについて学ぶ。
・コンシューマ開発の授業は基本的に情報がない中やる。渡されるのはWiiの関数リファレンスの本だけ。あとは授業で教官から教えられつつ実装していく。
・DirectXでは9を使用していた。Xライブラリのようなものは一切使わず、直でDirectXを触る。描画の仕組みなども学べるのでこの授業はとてもよかった。確か前期は2Dゲーム、後期は3Dゲームだった気がする。それぞれ個人開発で1本づつ作る。私はこの時に作った3Dゲームが結構面白く出来て自信がついた。
・2年目の後期ではWiiの開発でチーム制作を行う。チームは勝手に決められるが基本的に優秀な人がリーダーになる。チームによっては崩壊しているチームやギスギスしているところもあり、プログラミングできる人と出来ない人の差が露骨に出る。何人かはここで脱落し、退学する。
3年目
・DirectXの授業は継続しておりCで作ってたものからC++で作るようになる。ここらあたりからかなり複雑なアルゴリズム(地面の起伏に応じた高度計算や正確な当たり判定の実装など)も学ぶ。
・DirectXとは違うものとして、OpenGLの授業も始まった。OpenGLとDirectXのマルチプラットフォームを目指してゲームの開発を行う。またネットワークを使ったゲームをOpenGLで開発したりもする。この授業では基本的に自分で調べて進めていく。調べる力をつける。今思うと一番エンジニアとして大切なことが学べる授業だったと思う。
・先ほど書いた、基本情報に合格していると選択授業でAndroidプログラミングなどもできる。
・就活に備えたビジネスマナーなどの授業も始まる。その日はスーツを着て通学する。私はこの時点でスーツ着て働くのは論外だと強く感じるようになった。
・3年生のビッグイベントとして10月にインターンがある。これはHALがゲーム会社やIT企業に依頼する形で生徒を会社にインターンとして参加させるというものである。当然ながらこれも出席率などに問題がある場合は参加できない。
・インターンは1ヶ月間あり、ゲームの会社にいく人もいればデバッグの会社にいく人、IT企業にいく人様々である。どこにいくかは教官が決める。私はゲーム会社だったがかなり勉強にはなったしゲーム会社で働く雰囲気というものを知れたのでよかったかなと思う。
・3年後半からはDirectXで就職作品を作り始める。就職作品とはいわゆる企業の人に見せる作品の事である。これは完全に個人で作るので人によって完成度はかなり違ってくる。中には商業作品のようなクオリティのものを完成させる人も出てくる。実力社会である。
4年目
・4年目は卒業制作展と就職活動、産学連携の三つがメインとなる。
・私は4年になる頃には就活終わっていたのだが基本的に全てにおいて就活を優先する様になる。内定出るまではスーツで通学など、それ意味あるのか?
・HALには学内企業説明会というシステムがあり、様々な会社が来校し企業の説明、特別選考の案内をしてくれる(任意参加だが就活中の人は実質強制参加である)
・4年中盤くらいにはもうほとんどの人が就活を終えているが一部の終えていない人たちは延々と説明会に参加してはエントリーシートを書いていた。大変だなぁ。このくらいの時期になるともう学内企業説明会にゲームの会社はほぼ無い。自分で動け。
・産学連携や卒業制作ではチームを組み制作するのだが使用するグラフィックライブラリなどに指定はなく、プラットフォームも自由となる。そのため、DirectXやOpenGLを学んでいても大抵のチームはUnityやUnrealEngineを使うことになる。
・4年目後半は卒業制作展にひたすら取り組む、この制作はとても私の中にも印象に残っている。正直楽しかった。好き勝手にみんなで面白いものを作れる。
さて、ここまで1〜4年の流れをざっくりと書いた。
次にHALについてよく聞く話、課題が多いという話にもついて触れておこう。
1科目年間20くらいは少なくとも出てる気がする。(規模はまちまちだが)
この課題だが課題を一定数達成(承認という)していないと科目留年となってしまう。とはいえ教官は自分がわかるまでサポートしてくれるので主体的に動けば落とすことは無いだろう。(私は4年間で1度も落とさなかった)
また出席率も見られる。確か80%切ったらアウトだった。
毎日しっかり通学して、出された課題をしっかりこなせれば基本的に力はつく様になっていたと思う。就活失敗していた人はハッキリ言ってこれが出来てない人が多かったイメージがある。
そのため1回休むだけで内容についていけなくなる恐れがある。しっかり授業は受けよう。
次に私の就活についても触れておこうと思う。
私は3年の中旬くらいから早く就活を終わらせたいと思っていた。また、コンシューマ業界は色々と魅力はあるが第一に給料が安いところが多いし働く環境として良いとも思えない面が多かったので最初の仕事はモバイルゲーム業界がいいなと思っていた。
そのため早い段階で逆求人サイトに登録したり、1on1面談イベントや勉強会などにも参加する様になった。
個人的に今思うのが3年の中旬くらいの時期から動き出せたのが一番良かったなと思っている。勉強会などで大学生で同じ様にゲーム業界目指している人たちとも多く会ったりしているうちに、自分は結構出来る方の人間なんだなと思う様になる。
正直HAL東京のカリキュラムは異常で、普通にゲーム作りたいという人はOpenGLもDirectXもやらない。直でそれらが扱える様になっているHAL生は業界的に結構貴重な人材になりうると思う。
描画の仕組みをわかった上でゲームエンジン使うのとそうじゃ無いのとでは全然違うんだなとこの時気づいた。HALの基礎から教える理念はとても大切だった。
私は趣味で別でDirectXでゲーム作ってたりもしてたので、それを企業の人に見せたりもしていた。何かしら物を作りきるという経験を何回も積んでいるHAL生の評価は高い。(ちゃんと授業出てれば1本は作りきれるはず)
何社か逆求人で声がかかり、そのうち一番気になっていた会社と話しているうちにどんどん選考が進み、特に苦戦せずに2月くらいには内定が出ていた。私の就活はかなりあっさりと終わった。
モバイルゲーム業界やIT業界は今かなり盛り上がってるのもあり年収もかなり良く、この結果にはかなり満足している。
最後に、私がHAL東京に入学して良かったかどうか、という点について触れてこの駄文を終わらせようと思う。
もともと、ゲームは作りたいと思っていたが、何から始めたらいいのかわからなかった。
そんな中、専門学校で学ぶことで0→1が出来る様になったのはやはり大きかったと思う。
一度作り方を学べばあとはそこからどんどん自分から学んでいけた。
逆に、そう言う学び方が出来ない人はやめておいた方が良いと思う。
HAL東京在学中ずっと思っていたのが、学生間のレベルの差がとても激しいのだ。 無能か出来る奴のどっちかになるのだ。
自分は積極的に学んでいける!出来る奴に絶対なってやる!と言うくらいの気合いがないとダメだと思う。
入学時にプログラミングの経験がある人も一定数いるのだが卒業する頃には自分の方が書ける様になっていたし、結局のところ本人の努力次第である。決して入ればゲーム業界にいけるとか、そんな甘い話はない。
生半可な気持ちで入学するのは出来る人たちの迷惑になるとハッキリ言っておこう。チーム制作の足手まといになってしまうだけである。
[B! 食] 「お腹が空いていないお客様」|黒ワイン|note
発展途上のお客様を大切に暖かく見守る、というのは、わかる一方で、自分ではいいことをいっているように思っているんだろうけど、選民意識が透けて見える、といったブコメの感想にも同意だな。
たかがイタ飯。リストランテって、内心ではこんなに客を見下しているのかと思うと、怖くて行けないよ、と思われても、やむを得ないよ。
トラットリアだろうが、リストランテだろうが、味とサービスで互角に勝負してほしいわ。
それでもリストランテという誇りを大事にしたいなら、完全予約制にしたらどうか、と思ったり。
とはいえ、客に嫌味をいうのが珍しいかといえば、世界的には別に驚くことじゃないだろう。
ヨーロッパ、特にフランスあたりでは、ダメな客は、嫌味どころか露骨に差別されたりするからな。
映画「プロヴァンスの贈り物(2006年英)」で、注文を取るラッセルクロウが、「ねえ、サラダはノンオイルドレッシングにベーコン散らして」とか頼んでいるアメリカ人夫婦に、
メニューを取り上げて、「マックが近くにあるからそっちにいって」と乱暴にあしらって立ち去るシーンがある。
そこまでの経験はしたことはないが、こちらが英語で必死に頑張っても、フランス語でしか対応してもらえなかったことはあった。文句や苦情がでても、店ではなく徹底的に客のほうが悪いという文化のように感じる。
郷に入れば郷に従え、で、居酒屋には居酒屋の作法があり、バルにはバルの、高級レストランには高級レストランの作法がある。
客の立場として、自分の話をする。カネに余裕ができて、ちょっと背伸びしておしゃれなレストランとか行き出した時期のことだ。
10年くらい前に、ひょんなきっかけで、イタリアワインにちょっとした縁ができた。
俺は今でも全く素人なんだけど、知人つながりで、いろいろ機会が増えて、少しずつイタリアンの面白さがわかってきた。
それまでイタリアンとかフレンチなど全く未知の世界だったが、いつのまにか日本のトップレベルあたりで切磋琢磨している様子も垣間見る機会ができるようになった。
就職したばかりのときは、残業続きで、終電間際の駅前の街中華の半額弁当を買うがせいぜいだったので、まるで別世界に入った感じだ。
テーブルマナーは、失敗しながら教えてもらって身に着けてきた。
テーブルマナーはリストランテに行かないと結局身につかないし、わからないから、お店の人に時には厳しいことを言われるのもしょうがないんじゃないかとも思う。
その意味で、冒頭の黒ワインの人のように、温かく見守るような店のほうが、ど素人にはありがたいね。
それ以来、少しだけだが、グルメに目覚めた気になって、日本のみならず、世界の各地でグルメを楽しむようになった。
ヨーロッパのミシュランガイド星付きの店も結構足を運んだよ。ヨーロッパでは特にスペインの星付きレストランのコスパとサービスのクオリティに驚かされた。
どういう店がクオリティが高いのか、自分なりのスタンダードが次第に作られていくのが楽しくて。
俺的には、ペアリングメニューとかマリアージュを経験して初めて、ワインや料理そのものに興味を持てるようになった。
10年前、興味をもつきっかけを作ってくれたソムリエの方は、先月残念ながら、お亡くなりになった。
その意味では、この世界のサービスがどういうものであるかを一番手っ取り早く知る方法は、グルメの知人をもつことかな。
そして、ミシュランガイドに載っている店やその人の勧める店に、その人と行ってみることだと思う。
その理由は、
1.ミシュランガイド(星の数やいくつかカテゴリがあるけど、さしあたりどれでもいい)に載っている店はサービスにハズレがないと期待できる。
2.自信がつく。ちょっとやそっとのことでは、おどおどしなくなる。経験値からサービスを比較することができるようになってくる。
3.知人の紹介する店に連れて行ってもらうことで、作法を学べる。店の人に嫌な顔をされる前に。また一緒に食べることで、料理やワインに興味がわく。それも含めて舌が肥えてくる。
こうして慣れていくと、逆に、だんだんわからなくなってきたことがあった。
それは高級レストランっていったいなんなの?ということだった。
高級レストランがあることは知っているが、その価値がよくわからなくなってきた。高級の定義はなんぞや。
例えば、ミシュラン・ビブグルマンで選ばれている店は、実は高級とか無関係だ。
トラットリアだろうが、カジュアルな店だろうが、洋食和食、ジャンル問わず、うまくてサービスがよくコスパのいい店が選ばれる。
そうしているうちに、次第に気が付いてきたのが、うまい店はミシュランだけではないこと。
ミシュランに関わらず、世の中には、料理や酒に情熱を注いでいるひとがいて、いっぱい埋もれた名店が潜んでいるということ。
家の近所のイタリアンのスタッフと気が合って、最高!ってことだってある。
近年、ミシュラン獲得したけれど、お客様にカジュアルな雰囲気じゃなくなって敷居が高くなったと思われたくないから引き続き、予約はとらない方針でいく、という店もあった。
一方、記念日利用で、初見で高級なお店を選ぶこともあるんだけど、けっこうイチかバチかだ。
最近は、口コミ評判や値段、高級かそうでないかは、ほとんど当てにならないと思っている。
特に、サービスが悪いっていう口コミは、本当に店のサービスのせいなのか、客が慣れていないだけなのか判断がつかない。
それと、例えば東京カレンダーみたいなマガジンがあるよね?デートの利用先に困ったお兄さんが読むアレ。
景色とか雰囲気重視だったら、ああいう雑誌情報は役に立つと思う。高い金出して、雰囲気を買う。
でも味やサービスという点では、、当たりはずれはあると思う。ハズレというのは、コスパ的な意味に結局はなるかな。これで1人2万円はねーだろ!みたいな。
そう思っていても、東カレみてワクワクしながら期待値マックスで行った高級店であればあるほど、ガッカリ感は大きい。勢い、口コミで、その店をくさしてしまうこともあろう。
俺も、ご多分に漏れず、口コミで店の悪口を書いてしまうこともある。ブコメ感覚でね。
でも、そういう口コミを目にした店のスタッフが発奮して、よし!もっといいサービス頑張ろう!と前向きにとらえてくれるとも思えないわけで。
それに、「この店は味が落ちた」だのなんだの書く俺は、自分自身の体調や経験の変化を考慮していないわけで。
ムカついて書いては、しばらくして反省して消す、みたいなことを繰り返しているうちに、口コミ自体やめてしまった。
結局のところ、
なんとか内科の専門医(多分、軽く2倍以上の年齢でしょうなあ…)ですよ。
医者といってもいろいろあります。患者さんと関わらない科(病理とか放射線とか)や、基礎系とかいろいろあるから、あなた自身が絶望することはないです。他にも病棟管理をせずに外来だけを診たりと、社会に医者として貢献できる方法は多数あるので、視野を広く持ちましょう。
2.患者さんが病名を考えてくる話
患者さんが何を心配しているか、その心配をどのように取ることができるのか。それも医療の範疇です。テレビで不安になった、インターネットで病名を考えて来る、こういう患者さんがいることは当然です。私はむしろ、患者さんにインターネットで調べることを推奨しています。適当なWebサイトを見せたりすることもあります。
3. ブチ切れる患者さんについて
正直どうしようもないこともありますが、人間である以上当然です。むしろイライラする疾患を鑑別に挙げることから開始することです。また、謝るべきことは謝って、謝るべきでないことはその説明をすることで、ほとんどの問題はクリアできます。目の前の患者さんを社会的に自立している一人の社会人として扱うことということさえ外さなければ、まず多くの場合は問題ないです。
4. ブチ切れる患者さんについて ー 補足
どうしてもこちら(医療者側)が納得できない場合や我慢できない場合、こっちもブチ切れましょう。不信には不信で答えるというのも当然の話です。しかし、これは最後の手段と心得ましょう。
5.「治療方針は患者さんと一緒に決めましょう。患者さんの人生です。」
上記の言葉は、正確には「患者さんが納得できるように医療者側が説明をしましょう。患者さんが不同意の場合は、それを押して治療を敢行することは避けましょう」という意味です。
むろん、いろいろな複雑な場合もあるので難しいこともありますが、要するに、昔のパターナリズムの時代は患者と医師の対話が欠けていたという反省があります。積極的に対話をして、納得を得ましょうということです。むしろ診察や対話の最後に「何か質問はないですか?」とニコニコしながら聞くようにしましょう。その様に患者側の不安を取ることも、重要な医療の一つです。
6.医者にはなるべきではない?
これについては、その通り。医者になるべきではないです。まず精神を病みます。同僚、上司、教授との確執。病棟や看護師。クレーマーにも見えてしまう患者さん。あとは、激務。
ただ、ある程度のレベルまで医療技術を身につけてしまえば、あとは自由です。バイトで暮らそうが、野戦病院で切磋琢磨しようが、田舎ののんびりした病院で勤務しながら釣りで楽しもうが、自由です。そして、生活できる程度の給料は何をやってももらえます。
医者は、私を含めた才能の無い凡人が安定した給料を得ることができるという意味で、救済的な職業です。これにメリットを感じるのであれば、なってもよいと思います。精神を病むことを嫌うのであれば、なるべきではないですね。まあ、他の世界でも多かれ少なかれ、精神を病むときは病むんですがね。
どうでしょうねえ?上にも書いたように、医者といっても厚労省に行ったりとか、いろんな進路がありますので、なってもよいのでは?とは思いますが。ただ、同僚の男性医師によっては不愉快な対応を受けやすかったり、看護師さんとの確執はあるのかもしれませんが。
8.最後に
若気の至りとも思うし、本気で書いてるの?とも思いますが。どうです? まあ、ここに書いてあるような内容はすべての医者(一部のおめでたい医者を除く)が通った悩みなので、ゆっくり悩んでいってね!としか言えないんだけど。そして、どのような形であれ社会に何かしらの貢献ができればいいんですよ。
あとは、病気を患った患者さんが本とか漫画を出しているので、読んでみるといいですよ。どういうことで患者さんが悩むか、という視点を得ることができます。例えば、柳澤桂子さんの「認められぬ病―現代医療への根源的問い 」はいかがですか?極めて理知的な科学者が、とても上品な文章で自らの病気の経過と悩みを書いてくれています。この様な患者さんを適切に対応しなくてはいけないと、自らを省みることができます。
そういうとこやぞ 横
ってのもアオラーみたいだからもうちょっと丁寧に書くと、「サークル」は日本語でいうと「同人」なのよ
同人てのは志が同じ人たちね
志が同じ人たちは普通なら、同レベルまたは近いレベルで、長くやってればまあツーカーで話がつうじる。
あいつはコレがやりたいんだなってわかるから、足りないとこもよく見えるし、
今んとこ邪魔にしかみえないけどまあやりたいことからすると切れないってこだわりもわかる。
当人たちにしたら切磋琢磨にせよ、外部からみたら一から・他人からじゃない分はすべて「なれ合い」。
で、そのなれ合いにもまざれない人が、あの人たちはなれあいなんかじゃない!って言ってるのなんかほんとかなしい絵柄だよね
7代目青学が大好きだった。
一人一人が輝いていた青学だった。
それでも、彼らなら全国大会優勝する。
メルパルクの座席に。名取文化会館の座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティの座席に。
あまりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。
(しばらく辛過ぎて引きこもった。)
ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。
以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。
7代目とはまた違った青学がとても良かった。
若々しくて初々しくて。
(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)
初見だったことで音楽のアレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。
(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュの音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)
2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしはテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。
てっきり3rdオリジナルのカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。
(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)
「軋むテニスシューズの音を覚えていてね
耳馴染みのあるあの歌詞。
覚えている。忘れるわけがない。
客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。
「キュッキュッ」というシューズの音。
ライトが上がる。
忘れられるものか。
悲しいことはたくさんあった。
二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。
「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」
ほんとだね。こちらからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。
「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」
あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。
あのとき輝いていた人たちもひた走っている。
立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。
(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)
3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときにしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。
それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。
目立った炎上もせず真摯にテニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。
あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。
変わらないものもここにあったのだ。
GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdのライバル校の皆さん。
この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。
が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたしの気持ちをここに記したかった。
同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。
隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。
こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。
7代目青学が大好きだった。
一人一人が輝いていた青学だった。
それでも、彼らなら全国大会優勝する。
メルパルクの座席に。名取文化会館の座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティの座席に。
あまりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。
(しばらく辛過ぎて引きこもった。)
ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。
以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。
7代目とはまた違った青学がとても良かった。
若々しくて初々しくて。
(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)
初見だったことで音楽のアレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。
(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュの音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)
2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしはテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。
てっきり3rdオリジナルのカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。
(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)
「軋むテニスシューズの音を覚えていてね
耳馴染みのあるあの歌詞。
覚えている。忘れるわけがない。
客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。
「キュッキュッ」というシューズの音。
ライトが上がる。
忘れられるものか。
悲しいことはたくさんあった。
二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。
「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」
ほんとだね。こちらからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。
「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」
あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。
あのとき輝いていた人たちもひた走っている。
立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。
(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)
3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときにしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。
それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。
目立った炎上もせず真摯にテニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。
あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。
変わらないものもここにあったのだ。
GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdのライバル校の皆さん。
この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。
が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたしの気持ちをここに記したかった。
同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。
隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。
こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。
劇場で舞台を見るというのはその舞台を通して自分の人生を見つめ直す行為でもあるのだ。
お互いの家を行き来したり、駄菓子屋行ったり、他の友達も交えてたくさん遊んだし、一番の親友だった。
5年生だったか6年生のころ、いつものように一緒に学校から帰っている時、
増田くんの真似してやろっか?
と言って、変な顔をされた。そんな顔してないと言ったが、よくしてるよ、ほらっ。と、しつこくその変顔をされた。
あまりにもしつこかったので、思わず頭をひっぱたいてしまった。友達は泣き出した。痛かったのではなく、いきなり叩かれたことを避難された。
と言われ、その子は去っていった。
親友に手を上げてしまったことが悲しく、その後泣きながら家に帰った。
絶交だといった時のその子の恨めしそうな目が、脳裏から離れなかった。多分、人生で感じた初めての罪悪感だったのだと思う。
次の日学校でその子にすぐに謝りに行ったけど、無視された。それでもしつこく謝り続けたけど無視された。それでも謝っていると、だんだんその子もニヤニヤし始めた。
あぁ、許してもらえたんだと、とても嬉しかった。
ただ、その変顔の理由が分からなかったので、冷静に確認してみると、
増田くんはよく鼻の下をすごく伸ばしてる顔してるんだよ、変だよすごく、
と言われた。自分では気がついていなかったけど、鼻炎持ちだったので鼻がむず痒いときにしていたクセだったようだ。
後で鏡を見て確認したら、確かに変な顔だったので、意識してクセを直すようにした。
その友人とは中学を卒業するまで、ずっと仲良しだった。部活も陸上部で一緒になり、自分は長距離、友人はハードルを得意にしていて、共に切磋琢磨した。
3回目。
ひどかった。
男女比率が1:2。
男3人しかいない。
で、女性サイドもさ。
やる気あります?な感じ。
参加費300円位だからって、気楽に来すぎ。
近所のイオンに行く格好でしょ、それ。
肩すかしも良いとこ。
のに、レベル高いですね、って何その
嫌み。
今は英語くらい話せないでやってけると
思ってんの?と思ったけど、
日本にいれば要らないですよね、って
話し合わせたけどダメだった。
てかそんな価値観の人とは合わないよね…
最終的には、私にどん引きしてた奴の番号
の書いて提出。
無記入は受け取らないらしいので。
失望した。
こんなやる気ない女と戦う気がしない。
歓迎。
ライン交換とかも面倒だった。
私、女磨き頑張ったんだよね。
来なかったからさ。
だけど自分一人のために頑張るのも
男のためにガンバロッて思えないけど
同性には負けたくない。
つまんね
女同士なら切磋琢磨できると期待してたのに。
あーつまんね
紫耀くんを認識したのは、2017のJOHNNYS' YOU&ME ISLANDだ。
私の小学生の頃からの付き合いの親友は事務所担とも言えるほどのガチのジャニオタで、幾度となく推しの映像を見せられたり何かと協力させられたり夜通しその魅力について語られたりしていた。
しかし私の食指が大きく動くことはなく、情報局って本当に変な名前のファンクラブだなネーミングセンスな、くらいで、コンサートには付き合いでたまーに入っても舞台は行ったことがなかった。
同行者がキャンセルになった回で彼女に連れられて行った夢アイだが、そのオープニングで紫耀くんがフライングで挨拶する演出があった。
サラッと書いているがかなりの衝撃だった、まさに度肝を抜かれた。
イケメンが…?吊るされて挨拶してる…???どういうことなの…。
後ろにはたくさんの若い子が蜂の巣みたいにぎっしり詰まってて(ジャニーズマンションと呼ばれていることを後々知る、ネーミングな、)展開も演出もトンチキ…もとい奇抜で、本当にカルチャーショックだった。
そのあとも「吊るされて挨拶の彼」が気になって仕方なくて目で追っていくと、身体能力の高さ、単純な動きでも分かるダンススキル。
親友のガチの防振(8万、3回払い)で覗くと幼いのか男っぽいのか掴めない顔。
えっ……?かわいい…!そしてかっこいい!吊るされて挨拶の彼…!なのにトンチ…奇抜!
前述の親友は筋金入りのジャニオタで、受験があろうが彼氏が出来ようがうまく(ゴリ押しとも言う)愛をジャニーズに注いでいた。
かたや私は学生時代ミーハーにダフトパンクから入りダンスをかじって所謂パリピとなり、暇さえあればクラブに1人でも通い、筋トレを崇拝し、大型フェスも1人で余裕ウェイの全く可愛げのない女になっていた。
なので「吊るされて挨拶の彼」…紫耀くんを応援するようになってからというもの、ジャニーズ、その特殊性と文化に衝撃を受けまくっている。
何度となく語られてきたことだろうが、以下新規の戯言と思って読んでいただけたら幸いです。
これは親友からなんとなく聞いてはいたものの、SNS等でその概念を肌で感じて驚いた。
とにかく新しいファンは大人しくしておく、ファン歴が長いほど強くて、なにかと新規のくせにとかだから新規はとか、逆に古株はこれだからとかそういうのが飛び交っていた。
ちょっとぉ〜あんた生意気なんだけど、放課後体育館裏来いよ!1年がしゃしゃってんじゃねーよ!
の世界じゃん。
コンサートでは量産系とかいってあんなかわいいお洋服着てたりしてるのに…。
ジャニオタはお菓子研究会のフリした体育会系マインドなのでは?とこの辺で気づく。
・供給量の多さ
これはもう、ジャニーズがダントツなんじゃないかってくらい。雑誌、CM、歌番組、バラエティ、舞台にコンサート、これだけでは収まらず、webやブログ、youtube、そこにリリースが挟まってきたらオタクは休む暇がない。
そりゃあこれだけ供給されたら日常生活がオタク中心になるよなと感じざるを得ない。
以前は基本週末にクラブに行き、推しの海外DJなんてほんっとたまにしか来ない私からしたらありがてぇありがてぇと言うほかない。
奥さんのジャニーズ愛が原因で離婚したという話を聞いたことがあるんだけど、あながちありえなくもないなと思って震えた。
やはりこれが一番、もうありとあらゆる売り出し方、やりかたに白旗、完敗、両手を上にあげて降参、である。
Jr.になりたい男子が何万といて切磋琢磨しながら成長し、根性と実力と才能を兼ね備えた極々一部の人たちが表舞台で活躍できていると思うのだけど、こう書くと天上人であるし実際そうなのに、そう感じさせない戦略は本当にすごい。
時に学校の先輩、近所の幼馴染、ペット感覚のかわいい弟、まっっったく己の人生と交わることのない彼らなのに、ふとした瞬間にそう錯覚させるのだ。
おそらくきちんと練られたインタビューの内容、誌面では絶妙なバランスでプライベートを想像させ、リア恋とかガチ恋なんていう言葉もある。衝撃の世界。
出どころが定かではない目撃情報やアイドルが付ける新しいアクセサリーひとつで女子たちはキャァアアア!!となり、共演女優のSNSに特攻、アップされた画像を検証、一喜一憂、すごいとしか言えない。(正直引いてる)
紫耀くんが朝の情報番組で指輪をしていたことが発端となりSNSがザワザワしていたことが数ヶ月前にあったが、それの回収の仕方が白旗500枚だった。
彼はファン向けのブログで、プライベートなLINEで使うような砕けた文体で 騒ぎすぎな、等とさらっと否定したのだ。
……彼氏じゃん。
何あの指輪!見たことない!ねぇ誰かとお揃いなの?えっ、なんでもない?ファッション?なら、なんで隠すみたいにしたの!?ねぇ!答えてよぉ!
ていう彼女のやきもちを、圧倒的な顔面のパワーと包容力溢れる言葉で言いくるめて最終チューでもして(してない)唇ふさいで黙らせる彼氏じゃん。
言っとくけどあれ、LINEじゃないから。ガチガチ公式のブログだから。画像も彼氏からの自撮りじゃないから。
分かってるが絶妙すぎてLINE感が拭えない。(永瀬くんのもそうだ)
そしてそのたびに癒される女子。落ち込んでもすくわれ、上がったり下がったり、胸キュン、少し(錯覚)遠い恋、まさに青春のそれ。シーブリーズの世界。
彼らが指一本動かす、笑顔ひとつつくる、そのたびに何億が動くと言っても過言ではない世界、その中心にいるめちゃくちゃ遠い遥か遠い人なのに、この精神的近さ。
…すげえよ、ジャニーズ。
他にもたくさんたくさんあるんだけど、もう今2477文字なのでいい加減もうやめておく。
最近の問題が持ち上がる前は、吉本の稼ぎ頭の人気芸人が「兄さん文化」によって、食えない若手に飯を奢ってやったり、お小遣いを配ってやったりすることを男気があると言われていた。
大学病院も同じで、教授にすべての金と権力が集中し、学会なんかでは、教授のお気に入りの若手は食事代やホテル代がすべて出してもらえることがある。
さて、芸人も大学病院も稼ぐ力が上から順に100, 10, 5, 3, 2, 1, ,1 , 1, .....だとしたときに、
100の人気芸人や教授が1億の年収(または自由に使えるお金)だとして、1しか稼げない若手は100万でいいな、その代わり困ったときには100の俺らが助けてやるからな、
というのがこの界隈のしきたりであった。俺らはたしかに100稼いでいるんだから、ほら、これのどこに問題ある?
一般に、伝統的な日本の会社では、一人を雇うのに、大体3000万必要と言われている。
つまり、3000万稼いでいない社員は会社からすると育成要員であり、新入社員から数年はこれに当たる。
逆に、1億稼ごうが、数億の案件を掴んでこようが、急激に年収が上がることはない。
日本の伝統的なこのやり方に嫌気がさして、外資の刺すか刺されるかの雰囲気の中で切磋琢磨している人たちがいることを知っている。
もちろんそれも良いだろう。
ただ、問題なのは、芸人も大学病院も、刺すか刺されるかのような雰囲気はなく、
むしろ稼ぐ力100の椅子というものが存在し、その椅子にこそ価値があり、中身に大した価値がない。
よって、稼ぐ力100の椅子を150にしようなどと誰も考えず、ただ椅子の取り合いこそが目的の競争となる。これが一点目の問題。
二点目の問題は、トップが若手にお金を配分するという構造自体が権力構造を生み出すことだ。
本来、会社や大学病院が各雇用者の働きに合わせて給与を決定するべきなのに、権力者がその機能を内部化している。
つまり、好きなヤツには仕事やお金をばらまけるし、嫌いなヤツは干すことができる。
これが社長や病院長ならまだしも、一介の芸人、一介の教授ができてしまう。
昨日の参院選比例区で私は「山本太郎」と大書して投票した。数年前まで彼を声だけデカい無知で無責任な芸人崩れだと思っていた人間とは思えない投票行動だった、と自分でも思っている。
山本太郎が福島の食品を「ベクれてる」と言った時は、被災地を侮辱するな、と大いに憤った。園遊会で天皇陛下(現、上皇陛下)に直訴の手紙を渡すという不敬な暴挙に出た時は、田中正造にでもなったつもりか、と不気味さを禁じ得なかった。小沢一郎と組んだ時は、オワコン同士仲良くやってろ、と嘲笑した。
そんな彼が「れいわ新選組」を立ち上げると発表した。最初はああ、そういえばコイツまだ国会に議席があったんだっけ、程度の認識だった。だが、早い段階で反緊縮に目を付けていたのは慧眼だった(当時は山本太郎が本気で反緊縮を標榜しているとは思っていなかった)。奨学金徳政令や消費税廃止は実現性は至難であるものの、既存の与野党揃って緊縮寄りである経済政策のアンチテーゼとしては、これくらい大きく出てもいいだろう。素人意見なのは承知だが、立憲民主党や国民民主党は優等生的な聞こえのいいことは言っているものの、腰砕けで本気で自民党に挑む姿勢がなく、煮え切らなさを感じていた。
私にとって山本太郎は本邦の国会の景色を変えるための武器だ。山本太郎を利用して自民党に脅威をもたらし、一強の体制を揺るがせたい。同時に地位に安住している腰砕けの野党にも危機感を持たせたい。山本太郎はそのための手段なのだ。本音を言えば、もし今後他の党が本気で反緊縮や消費税減税・廃止を訴えるなら、それが自民党だろうが共産党だろうが応援はするつもりである。政策の切磋琢磨は望むところだ。
減ってきているというか、いままさに底を打っていると思う。
長い間、新規採用は太秦関連とかコネがメインだったし、老害が幅を効かせて、わけわかんない京都の人情殺人事件しか書けないやつだけが脚本家だった。
たまに出て来る天才はいるが、本当にたまになので、全く弾数が足りない。
新人賞すらろくになかったのよ。アホか。そりゃあ小説原作のほうが面白くなるさ。競争と切磋琢磨という点においては、それこそなろうにも劣る。
最近はそういう状況に危機感が出てきたのか、少しだけ、ドラマ化確定脚本賞レースみたいなことも定期開催しだした。
これでマシになればいいよな。
ちなみにアニオリがつまんないのもほぼ同じ理由だが、新規発掘が盛んな漫画ラノベ業界とズブズブなので、とりあえず弾数には困らない。
チケットとれなくてライビュでやっと双騎見た人間の感想なのですが、めちゃくちゃ口が汚いです。注意してください。
勢いだけでライビュ後のイライラ全部ぶつけてるので文章もおかしいと思います。
とうらぶと役者の人気を当て込んだ別作品じゃん。としか思えませんでした。
明け透けな本音言うと、チケットとれなくてよかった〜〜!!です。
いやほんと手数料込みで1枚1万円近くするチケットでこれ見せられたらずっと強めにキレてたと思う。
現に1部見終わった後からずっとイライラしてる。「は????」の連発。イライラしたせいかちゃんと見たのに記憶も危うい
ライビュ代で済んでまだマシだった。
賛成派に聞いて回りたいんですが、これ刀剣乱舞でやる意味ちゃんと説明できます?
このミュを通じて源氏兄弟が何を成したかとか何を表現したかったとか説明とかできます?
推しキャラとか推し俳優が出てるからって理由で認識ガバってません?2部がいつも通りだったからって誤魔化されてません?
いやほんと曽我るなら曽我るでもっととうらぶキャラがやらなきゃいけない理由をつけたりできたよね???
事前に言っとけよって思ったし説明なしで最初から最後までただの曽我見せられたこっちの気持ち察してほしい。
そもそも曽我物語を見たいなら2.5舞台で見ようとか思わねーーーーしまじで。
アレンジならまだわかるんだよ。
名作やら古典使うことで話の軸がしっかりしたり、観客に興味を持たせやすかったり話を理解させやすいとかあるから
でもこれは、これはあれじゃん。とうらぶ詐欺だし源氏兄弟詐欺だよ。
源氏兄弟が役になりきって見ると楽しい。みたいな意見も見たけど、そんな器用なことできんわ
曽我祐成役 髭切
曽我時致役 膝丸
として見るとか無理
でしかなかったよ
このミュを高く評価してる界隈の感想もチラホラ見たんですけど、全然納得できない。
ここからさらに口が悪くなるんですが、茅野さんのエンタステージのインタビューで
みたいな意見を述べてましたよね?
賛成派もそこを肯定的に受け止めてるんですが、こんなん見せられるなら正直別に分断されたままでよくね????としか思わないんですよね。
いや.5界隈が一部の演劇好きの人から割とボロクソに言われてるのは知ってるし、演出も演技が稚拙なところがあるのはわかってるんです。
学芸会って言われても分かる〜って思うくらい劇としてのレベルが低いと言われるのも分かるんですよね。
ただその分断について取り組んだ結果が双騎なら別に既存の演劇界とくっつかなくてよくない??としか思いません。
こんなん見せられたら2.5はあと10年くらいは独自コンテンツでいいと思うよ。
たしかに2.5舞台が乱発してる今、演出や演技力の向上とかは必要だと思うけど、その結果が源氏の双騎なら大間違いだとしか思えない。
演技力とか技術方面が界隈が賑わえば切磋琢磨して勝手に上がると思うし、いっそこのままガラパゴス化した方がよっぽど面白いものになると思う。
顔のいい男達が一生懸命2次元の世界を表現してるのが醍醐味なのに、今回の双騎はその前提を利用した裏切りだとすら思う。
みんなの好きな作品とキャラで新作作るよ!って見せられたのがただの別作品とか冷静に考えてダメでしょ。
そもそもだいたいの2.5俳優って他の劇団や舞台とかに普通に所属できるじゃん。
2.5以外の作品に出演とか普通にしてる俳優さんいるし、逆に演出や作家も普通に演劇関係やら映画関係から2.5に引っ張ってこれてるじゃん。
なんていうか2.5に関わってるスタッフが2.5界隈を低く見てるから出る意見じゃね?
もしそうなら一番ダメなやつじゃん。
ジャニーズJr.の腹筋太鼓を「めちゃやべー演出!!見てろよすごいぜ!!」って自信満々に言い切る滝沢秀明くらいの気概を持って取り組んで欲しい。
実際腹筋太鼓は意味はわからないけど勢いがあってカッコよかった。
結局ここまで書いといて何が言いたいかと言うと、もっとうまく刀剣乱舞と曽我物語を混ぜろよ!!!です。
今回の件はマジでしんどいから、私の好きなコンテンツを気をつけて取り扱って欲しいし、次の新作マジで頼むぞ〜!!という気持ちを表明したかった。
あと再演は多分大幅な改変でもない限りライビュでも見ません。