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はてなキーワード: TDCとは

2023-11-16

20歳ジャニオタの性被害問題雑感

オタクをやめたいとずっと思い続けていたが、ちょうど良い機会なのかもしれないとジャニーズ被害問題を見て思った.

小学生の頃からいわゆる「オタク」をしてきてもう20歳になってしまった。周りの同年代女子は「推し活」の範囲内でオタクをし、その傍ら恋人を作ったり勉学に励んだり充実した生活を送っている。

ジャニーズ被害問題インターネットメディアでこそ騒がれているが、正直周りではあまり話題にならない。というか、みんな知っているけどわざわざ話題にするほどのことでもないと正直考えているような気がする。そもそも高校生の時、ある授業で「今の高校生がどれほどテレビを視聴しているのか」というアンケートを学年でとったところ、約半分が「ほとんどテレビを視聴しない」と答えていた。テレビを見ない層は興味がないから皆いちいち確認していないのかもしれない(みんな私の前では話さないだけかもしれない。ある意味深い関係性でないと話せないような話題でもあるから)。

けれどインターネットではジャニーズ問題話題に上げている人々は多くいるし、事務所ファン否定する側・事務所擁護する側の対立はより深まっている。深く見ていけばどちらも対立側への罵詈雑言が見受けられる。その罵詈雑言応酬を見ているうち、なんだか、もうオタク文化なんて全部消えてしまえと思った。

私はジャニオタから自主的にハマり始めたのはここ2年ほどなので新規にも程があるけど)この問題と向き合う必要があると思い、告発が始まってから否定側の意見擁護側の意見もどちらも見てきた。元からROM専アカウントではリベラルな人たちを多くフォローしてきたこともあり、むしろ事務所擁護側の意見を自ら調べなければならないくらいだった。でももうどちらも相手中傷する、傷つけるだけの意見が多くなってきた。わざわざ調べなくともおすすめツイートで流れてくる。「左翼日本から出ていけ」「ジャニオタ人殺し」。感情的になるな、と言うのは意見を述べる人の口を塞ぐ行為になりかねないので言わないが、感情的になるにしても死ねとか人殺しとか、簡単に言って良いんだって感じ。これは一部の声だと言う人もいるけど、性被害問題だって一部の人間の被害からといってなあなあにしてはいけないのと同じで、罵倒一部の人の声だからと言って無視していいものではない。

そもそも被害問題について、私も性被害にあったことがある、そして現在進行形裁判を進めている人間から理解できるのだ。高校生の時バイト先の「上の人」から被害にあった。地元高校生で雇ってくれる場所が少ないこともあり、大学生になるまでの我慢だと思って数年我慢した。大学になってから親しい人に話し、警察まで行き、被害届を出した。裁判をすることになったが証言が私のものしかない上証拠もなく、相手弁護士も強いらしいので私にあまり勝ち目はない。一年ほど前にうつ病判定も病院で出たが性被害のせいにできるかは分からない(し、するつもりもない)。多分当事者の会よりそこそこ追い詰められた状況にあるので、彼らの大変さは分かる。そして当事者の会や被害者が金銭補償を受けることができれば私の裁判もまだ有利に進むと思うので(私は金銭的な補償は受けようとは思っていないが)、正直なところ頑張って勝ってほしい。というか私も金目当てだと思われたら嫌だから金銭を求めていないけど、本当はもらえるなら全然金銭補償をしてほしい。大学生なんて常に金欠だし。ジャニーズ被害者、頼むから頑張って金を勝ち取ってくれ。

けれどそれとまだジャニーズ自担(=推し)が好きな気持ちはまた別の感情なのだ。私の推しジャニーズジュニアで、今の事務所の状況では芸能界に残ることは難しいだろう。かといって退所したところでまだ知名度パイプも全くないので、どちらにしろ芸能界には残れないだろう。ジュニアとはいえ、私よりも全員年上だし学歴もあまりない。だから被害問題への責任感と推しを好きな気持ちで板挟みになってだいぶメンタルがすり減っている。母親は激しめのジャニオタから少クラが終わったのは若いジュニアの子が声を上げないから」とか言って責めてくるし。知らない人から死ねとか人殺しとか言われる可能性があるのにわざわざ声をあげたりはしたくないよ。

当事者の会の自殺が起きてからさらに互いへの中傷は激化した。擁護側は相変わらずレイシズム反日に絡めた罵倒否定側はジャニーズファンは全員人殺し、とか。流石にそれを見た時はかなり落ち込んで睡眠薬を何錠か飲んでも寝られず、ついでに初めてのリスカを解禁した。痛かった。そうかあ何も言わなくても性被害経験者でも人殺しかあとしみじみした(政治においては意見を表明しないことも悪なので、確かに私は悪ではある)。

私に向かってではないけどオタク人殺しと言われてからかなり全部どうでも良くなった。遺書メディアインターネットの人々のせいだと一人一人のユーザーネームメディア名を書いて自殺したらメディアは取り上げてくれるんだろうか。インターネットは湧きあがってくれるのか。大学生の「普通の」インターネットでも現実でも意見をあまり述べてこなかったジャニオタ自殺ちょっとでもお互いの罵詈雑言が減ってくれるなら全然良いなあとか思う。でもニュースでそんなの取り上げなさそうだな。あと今鬱状態からこんなこと思うだけで、薬が効いてくれば多分、大丈夫だと思う。

これだからジャニーズオタク宗教みたいだと言う人もいるけれど、正直これはジャニーズオタクに限った話ではなく、どこにでも趣味宗教にしてしまう人はいる。私が2次元ソシャゲ映画舞台など他の界隈のオタクもしていて周りにもさまざまなジャンルオタク友達がいたからわかるけど(むしろ私はアイドルオタクをしている期間の方が少ない)趣味宗教じみた入れ込み方をする人はどこにでもいるし、そういう人はどのジャンルに行ってもそんな入れ込み方をする。ソシャゲでは学生として自分学費を稼ぎながら夜勤にも入り課金・グッズ集めを同担の上に立つために頑張っている人を見たし、二次元でも借金をしてまでグッズを集めている人を見た。けーぽオタクの友人は同い年であるにもかかわらずCDを◯◯枚積んでヨントンを当てたりランダムトレカをせっせと集めていた(ヨントン?のために積んだ枚数は言ってはいけないと聞いたことがあるのでここでは伏せる)。つまり、どこのジャンルでも入れ込み過ぎているおかしオタク存在する。ジャニーズオタクの母数が多いからより「全員洗脳されている」と感じるのかもしれない。なんだかんだ私も多ステ(たくさんライブに行くこと)のためにウン万のチケット買ったりしたし、写真も好きなもの100枚単位で集めたりしたし、学生にしては金遣いが荒かったので宗教と言われても言い返せない。ジャニーズ推しもいなくなれば強制的オタクをやめられてお金自分のために使えるようになるし、それはそれで良いのかもと思ったりする。

あとジャニオタは人気ジャンルだと勘違いしていると揶揄している人もいるけど流石に成人してちょっとオタクあたりはそんなこと思ってないと思う。けーぽのオタク女性アイドルオタクもいっぱい見るし。ジャニーズジュニアだってTDCEXシアター六本木規模でライブする程度人気のグループもいるし。LDH最近インターネットではよく見るし。アニメソシャゲ地下アイドルなど見渡せば他ジャンルオタクはいくらでもいる。だから紅白番組ジャニーズが出なくなっても視聴率はそんなに変わらないと思う。私はこれ以上推しを作りたくないのであえて見ないけど、そんな閉鎖的もオタクも少ないだろう。

いい意味でも悪い意味でも、ジャニーズがなくなったとて世間日本メディアの体質も大して変わらないだろう。でもジャニーズがなくなることで救われる人がいるならきっと正しいことなのだ。

はてブロ書くの初めてだけどこんな感じでいいんだよね?裁判で記録とか取られたら嫌だから年齢やちょっとした情報にはフェイクを入れているけれど、私が10代後半〜20代前半の現ジャニーズオタクであること、性被害経験であることは本当だ。

体感想を3行でまとめると、

ジャニーズで好きなアイドルがいるし行く末が不安だけどジャニーズがなくなって救われる人がいるなら良いこと

・それはそうとして人殺しと言われると自分に向けてじゃなくても死にたくなるよ〜鬱だから勘弁しちくり

別にジャニーズがなくなっても良い意味でも悪い意味でも世界メディア社会は変わらない

以上。解散

2023-02-11

TDCの公演だいたい眠くなる

数年ぶりにTDCで公演している舞台を観に行ったけど、やっぱり眠くなった。

ライブパートとかはさすがに大丈夫だけど、「劇」はだめ。どんなに面白くて作品内で一番盛り上がるところでも眠気が襲ってくる。

たぶん換気があんまりよくなくて気絶に近い状態なんだと思うけど、あんなに固い椅子でよく眠くなれるなとも思う。

みんな眠くならない?できればどうしたら眠くなくなるかコツとかあったら教えてほしい

2020-05-23

あの日からテニミュ関連を観る事が出来ない

1ヶ月以上前4月16日ミュージカルテニスの王子様3rdシーズン集大成であるDreamLive2020の中止が発表された。

TwitterのTLや掲示板阿鼻叫喚だった。皆が「泣いた」「コロナ〇ね」等を呟き、悲しんでいた。一日中寝込んでいる人もいた。それがオタクとして当たり前の反応なんだと思う。

だけど正直、私はそこまでショックを受けていなかった。公式の開催中止ツイートを見た時も「あ〜やっぱりそうだよね〜」と納得だったし、何なら他の舞台(私の推し俳優が出演予定だったもの)に関しては主催元に「いつ中止を発表するのか」と催促の問い合わせをする程だった。払い戻ししやすいように、と友達と一緒にファミマで発券した時も「思ったよりショック受けなかったな〜明後日くらいには完全に元に戻ってるわ笑」と話した。




ショックを受けていなかったはずだった。




あの日から私は舞台垢にログインする事が出来なくなっていた。

ログインするのが怖い。フォローしているテニミュキャスト達のツイートを見るのが怖い。繋がってるテニミュオタク達のツイートを見るのが怖い。

Twitterだけではなく、推しFCHPニコ生配信インスタライブLINEライブ…様々なネット配信も見ることが出来なくなった。怖い。見るのが怖い。

何が怖いの?と自分で考えても分からない。でも開けない。指がそこをタップする事が出来ない。とにかくテニミュキャスト情報を見たくない。


二次創作原作漫画は読めるので、テニミュだけなんだと思う(でも滅入ってしまって自分での二次創作は出来なくなった)。

しかし、テニミュを好きになってから約5年間、私は全てをテニミュに捧げてきた。進学先もテニミュに通いやすいように東京学校にした。バイトテニミュチケットとグッズの為にやっているも同然だった。将来の仕事TDCまで電車一本で行けるような場所仕事場がある会社を選ぶつもりだった。

なのに、今後テニミュの予定は何もない。あるはずだったものコロナによって全て無くなってしまった。一体いつになったら私はTDCに通えるんだろう。そもそも3rdシーズンはこのまま終わってしまうんだろうか。私の推し最後に立つはずだったステージは?最終本公演凱旋で追加されなかった青10卒業バラードは?何もちゃん区切りつけてないのに、こんな風にブツ切りされたまま??


私、これから何の為に生きるの?


返金されたチケット代を何に使えばいいのか分からなかったが、ちょうど母の日が近かったので2万近くする美容家電プレゼントした。初めてバイト代を趣味以外の物に使った。テニミュ未来に予定されている時は5000円の服を買うのにも躊躇するくらいの私が、こんな高価な家電簡単に買えている……この家電で3テニミュ+余りになるって今考えたらヤバいな。


コロナ禍で若手俳優達の出演予定舞台はほぼ全て中止になった。彼らの今やれる仕事ネット配信のみ。ファンも今彼らにお金を出せる場がそこしか無いので、本来ならば配信課金するべきだ。

でも、前述の通り私は配信が観れない。何やってんだろう私。これからずっと推すって決めたはずなのに。今こそ応援するべきなのに。金出さないで、唯一の仕事も観ないで、なにが“推し”だよ。お前にそんな資格ねーだろ、と言われてもしょうがない。


明日は会場で予約した3rd国立海公演後編の円盤が届く予定だ。どうしよう。多分開けないな。



いつ推しFC抜けたらいいかな。

2019-09-21

どうしても文章に残したくなった

2014年11月24日

ミュージカルテニスの王子様 2ndシーズンの幕が下りた。

7代目青学が大好きだった。

一人一人が切磋琢磨し、技術を磨き、演じ、歌い、踊っていた。

一人一人が輝いていた青学だった。

演劇なのだから青学が勝つのシナリオ通りだ。

それでも、彼らなら全国大会優勝する。

そう信じてTDC座席に座っていた。

メルパルク座席に。名取文化会館座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティ座席に。


まりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。

(しばらく辛過ぎて引きこもった。)



ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。

以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。



7代目とはまた違った青学がとても良かった。

若々しくて初々しくて。

(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)

初見だったことで音楽アレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。

(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュ音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)

2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。

そしてカーテンコールである

てっきり3rdオリジナルカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。

(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)


「軋むテニスシューズの音を覚えていてね

弾んだテニスボールラリーを覚えておいてね。」


耳馴染みのあるあの歌詞

覚えている。忘れるわけがない。

客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。

「キュッキュッ」というシューズの音。

それに合わせて聞こえるテニスボールを打つ音。

ライトが上がる。

忘れられるものか。



試合が終わった後も人生は続いていくよ。」


わたし人生もまだ続いている。

悲しいことはたくさんあった。

二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。



「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」



ほんとだね。こちからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。


「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」


あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。

あのとき輝いていた人たちもひた走っている。



立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。

青学勝利を見届けたかった。

あの日々が思いだされて涙が止まらなかった。

(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)

3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。

それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。

目立った炎上もせず真摯テニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。


あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。

変わらないものもここにあったのだ。


GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdライバル校の皆さん。

あの日々を思い出させてくれてありがとう

この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。


上記は何千人もいる客席のうちの一人の戯言に過ぎない。

が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたし気持ちをここに記したかった。

同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。

まっさら気持ちで見ていた人もいるだろう。

その気持ちは当時のわたしと同じかもしれない。

隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。

こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。



劇場舞台を見るというのはその舞台を通して自分人生を見つめ直す行為でもあるのだ。

テニスサイコーセイヤー!


(あえて当時応援していたキャスト名は明かさなかったがなんとなく察した人がいたらそれも面白いな。)

どうしても文章に残したくなった

2014年11月24日

ミュージカルテニスの王子様 2ndシーズンの幕が下りた。

7代目青学が大好きだった。

一人一人が切磋琢磨し、技術を磨き、演じ、歌い、踊っていた。

一人一人が輝いていた青学だった。

演劇なのだから青学が勝つのシナリオ通りだ。

それでも、彼らなら全国大会優勝する。

そう信じてTDC座席に座っていた。

メルパルク座席に。名取文化会館座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティ座席に。


まりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。

(しばらく辛過ぎて引きこもった。)



ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。

以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。



7代目とはまた違った青学がとても良かった。

若々しくて初々しくて。

(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)

初見だったことで音楽アレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。

(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュ音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)

2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。

そしてカーテンコールである

てっきり3rdオリジナルカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。

(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)


「軋むテニスシューズの音を覚えていてね

弾んだテニスボールラリーを覚えておいてね。」


耳馴染みのあるあの歌詞

覚えている。忘れるわけがない。

客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。

「キュッキュッ」というシューズの音。

それに合わせて聞こえるテニスボールを打つ音。

ライトが上がる。

忘れられるものか。



試合が終わった後も人生は続いていくよ。」


わたし人生もまだ続いている。

悲しいことはたくさんあった。

二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。



「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」



ほんとだね。こちからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。


「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」


あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。

あのとき輝いていた人たちもひた走っている。

立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。

青学勝利を見届けたかった。

あの日々が思いだされて涙が止まらなかった。

(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)

3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。

それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。

目立った炎上もせず真摯テニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。

あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。

変わらないものもここにあったのだ。

GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdライバル校の皆さん。

あの日々を思い出させてくれてありがとう

この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。

上記は何千人もいる客席のうちの一人の戯言に過ぎない。

が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたし気持ちをここに記したかった。

同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。

まっさら気持ちで見ていた人もいるだろう。

その気持ちは当時のわたしと同じかもしれない。

隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。

こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。

劇場舞台を見るというのはその舞台を通して自分人生を見つめ直す行為でもあるのだ。

(あえて当時応援していたキャスト名は明かさなかったがなんとなく察した人がいたらそれも面白いな。)

テニスサイコーセイヤー!

2015-11-21

中山優馬 Chapter 1 歌おうぜ!踊ろうぜ!YOLOぜ!TOUR」

中山優馬 Chapter 1 歌おうぜ!踊ろうぜ!YOLOぜ!TOUR」DVDBlu-ray期間限定・完全生産限定で発売されるにあたって。

どこにも公開してなかった当時の感想を、残しておこうかと、思って。

 


去る5/2、私はTDC中山優馬くんの初ソロツアー「YOLOぜ!」を観ました。

私は過去に優馬くんを担当していた時期がありました。

 

年相応の色気と、自分の美しさを自覚した魅せ方ができるようになっていて。

たくさんたくさんインプットして、それをエンターテイメントとして昇華してアウトプットできるようになったんだなあと感じる演出表現力でした。

2年間のクリエを経たからこそのクオリティだなあ、と。思いました。

 

自分のやりたいことが思い切りできている充実感にあふれた表情は、どんな瞬間を切り取っても、強く美しく輝いていました。

 

優馬くんが優馬くんという市場価値をつくりだすために屋良くんの力は絶対必要だったと思います。優馬くんには、必要だった。

NYCで一緒だった山田くん知念くんはもとよりJUMPには裕翔くん、圭人くんがいて、ジャニーズWESTには流星くん、ABC-Zの橋本くん、SexyZoneの健人くん、

錚々たる同い年が乱立しているなかで、中山優馬という価値を生み出すには絶対必要だったブレーンだったんだな…と思いながら。

ソロで、NYCでもなければ関西でもなく「中山優馬」という名前で新しい、ジャニーズの、王道を、作り、そしてその道に戻るために。

 

明るい照明のなかで踊る水の帰る場所をみて涙がでました。

悲劇を背負わされる自分キャラクターエンターテイメントとして昇華した姿です。

音楽ロックで、照明は明るい。プレゾンとも違って、強く生き抜く水の帰る場所でした。

悲劇的な美しさだけで終わらない真の強さを持てたことに感動した。

 

関西曲を当時から着ている衣装をきてパフォーマンスする優馬くんをみて、

ああ、彼にとっての正統派アイドル時代ってきっとこの時代なんだな…って思うことばかりでした。

 

そして、その流れの最後悪魔な恋号泣だった。

あの頃の君のこともすきだけど、何より、今、今の君がすきだよ!って心の底から言えるなって思える瞬間でした。

後ろのスクリーンに頼りなくはかなげに同じ曲を歌ってた当時の君の映像を流すなんてずるいよ。

アイドル」な自分の一部、優馬くんのアイデンティティなんだってことはよくわかった。

妙なこだわりも感じなかったし、とはいえやらなきゃいけないという義務感でもないと思う。

ただ純粋自分でやってて楽しいんだろうなって。楽しい想い出が染みてる曲なんだろう、と感じました。

 

関西ジュニアバンバンロマンティックや強引オンをやっているとき、優馬くんは会場の一体感をながめて、感じていた。

関西ジュニアのコーナーだから、っていう気持ちなのかもしれないし、自分がメインであおるっていう気がないのかもしれない。

でもいつもそうだったな、って。

ウエストメンバーと一緒にやるときにこの歌を優馬くんも一緒に歌うことも何回かあったけど、

いつも優馬くんは会場を下から上までながめて嬉しそうに楽しそうに自分は煽ることを忘れて眺めてたなーって。

 

オリックスでのコンサート過去2年のクリエを思い出すとき、ほんとうにパフォーマンスだけで勝負してきたなと。

もっとコントMCゲームみたいなものがあるのかと思っていました。

笑いや遊びにに逃げずに、中山優馬というエンターテイメント提示してきたこと、ほんとうに嬉しく、そして感動しました。


 

もっとすごいライブを、もっとすごい自分を、みせたいとおもいます。」



 

本編ラストのIn The Name of Love

「僕には自信がある」

今日の日を忘れずにいよう」

出来過ぎたセットリストです。



赤が似合うオトコになったなーと、想いながら。

でもやっぱり青色衣装を着ているとなんかしっくりきちゃったりもして。

それはわたしがNYCというグループで青を担当していた優馬くんがすきだったからでしょうか。


 

優馬くんは「ジャニーズ」の「王道」の「アイドル」でいることを諦めてしまったのかと、思ったときもありました。でもそうではなかった。

時間はかかったけど、優馬くんは「ジャニーズ」の「王道」の「アイドル」としてTDCステージ自分自分を立たせたんだなあと、そんなことを感じるコンサートでした。

ジャニーズの謎のイリュージョンをみたとき、泣きながら笑ってしまいました。優馬くん、君もたいがいジャニーズだね!って。

自分パフォーマンスでたくさんのひとに元気や勇気を与えられる人というのは、まさしく、アイドルだと、思います

 

「これからもみなさんに元気、勇気、根気(?)いろいろ届けられるように頑張りたいと思いますのでこれからも宜しくお願いします」


わたしが知ってる優馬くんはそんなこと言わなかった。言う人じゃなかった。

ほんとうに大人になったし、強くなったし、「中山優馬」という道を、切り拓いて、

ひとつこうやって「ソロツアー」としてカタチにして興行を行えるようになったこと、ほんとうにほんとうに嬉しく思います

中山優馬というアイドル提示してくれるエンターテイメントが好きだなって。ウソつわりなく心の底から今なら言える。


 

優馬くん、ありがとう。最高の、君の、コンサートでした!

2015-07-26

東京オリンピック

東京オリンピックエンブレム

この類いのものは何がなんでも批評まとわりつく。ダサイ、これじゃない、

私はそういう事はあまり気にしていない、一流のデザイナーが死にものぐるいで作っているのだから、目には段々なじんでくるだろうし、

ダサイとかそういう批評はおきなくなるだろう。しかし、私は他のところで疑問が浮き上がっている。

今回のエンブレム募集の条件は以下だ。

東京ADC賞」、「TDC賞」、「JAGDA新人賞」、「亀倉雄策賞」、「ニューヨークADC賞」、「D&AD賞」、「ONE SHOW DESIGN」

のふたつ以上を受賞している事というとてもハードルが高いことになっている、この条件を満たす人たちは100人しかいない。

そして今回の、佐野研二郎

この方は博報堂出身で、今現在MRDESIGNという個人事務所を抱えている。超売れっ子広告デザイナー

業界では知らない人がいない。この人の作る物は明快で、気持ちがよくて、かわいい。親しみ易いものを作るデザイナーだ。

そして彼はものすごい量を作る、多分エンブレムが2つ採用されていたが、その裏で何千種類も検証していることは容易に想像できる。

そして、広告出身者だけあって、プレゼンも上手い。

エンブレムプレゼンムービーを拝見したが、写真幾何学をあわせて展開させましょうということが見て取れる。

しかし、その手法はとても流行手法次世代に語り継がれるオリンピックデザインにはそぐわない手法であると私は考えるのだ、

彼は前回、1964年東京オリンピックポスターデザインにとても感銘を受けている、尊敬しすぎているのだ、

シンプルにしようとしすぎると、前回のデザインと同じになってしまう(前回のオリンピックエンブレムテクスチャのついた日の丸)

前回に敬意を抱きつつ、新しいものを作ることを考えすぎていたと思う。

今回のこのエンブレムは一番売れているデザイナーが作っただけにすぎない。

過去仕事評価されてこの人ならいいかという思いで審査員の方も選んだに違いない。

確かに彼はすごい、尊敬できる部分が多いにある、売れているには理由がある。

著名な方々がこぞって集まって審査員をして、一番売れているデザイナーデザインしたエンブレムを選ぶ。

そんな事で良いのだろうか、冒頭でデザインについては心配しないと書いたが、確かにこのエンブレムは目になじんでくるだろう。

しかし、世に残るデザインとしてはつまらなすぎる。もっと良いものが、目に耐えない斬新なものがあったのではないか、

流行手法でないデザインがあったのではないかと思うのだ、

クリエイティブクリエイティブ言われている頭の柔そうなふりした集団でさえ、このような決定しか出来ないのだ。

私は不安になる、オリンピックがただの金儲けの道具になることが。

 
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