はてなキーワード: 武蔵美とは
数年前、美大を卒業していることもあり興味を持って一巻だけ読んだ。
しかし結果的に私の美大藝大コンプレックスがうずうずしてしまい、それ以上読み進みたいと思えなかった。
私は幼少期から絵を描くことが好きだった。
最初はテストプリントの裏に落書き、少女漫画に出てくる女の子の絵をよく描いていて漫画家になりたいと思っていた。
中学に入ってからは雑誌に載っている海外の景色を絵の具を使って模写するのが好きで休みの日は部屋にこもって絵を描いていた。
高校は美術科に進学したいと考えていたが美術教師の勧めで普通科の高校に進学した。
高校時代はひたすらボケーっと過ごし、絵も授業以外ではあんまり描いていなかった。
美術の授業の自由制作では何をつくりたいかわからず何週間も悩んだ末に、紙粘土をただ丸めたものを出したのを覚えている。
あっという間に大学受験の時期になった。
高校では全く勉強をしない人間になっていたため今更勉強はしたくない、でも大学には行きたい。
絵を描くのが好きだったし、進学後も興味を持って勉強できるなら美術かな?ということで高3の5月くらいに予備校に行き始めた。
木炭を使うのは初めてだし、美術の授業以外でデッサンをするのも初めてだったので全然描けなかった。
そこからデッサンや油絵、クロッキーをひたすらこなしたが…藝大、多摩美、武蔵美全て落ち、浪人した。
浪人時代は都内大手の予備校に変えて、楽しい浪人時代を過ごした。
ひたすら課題に向かうだけの毎日、気の合うクラスメイト、たまに息抜きに都会の街に繰り出す。そんなの楽しいに決まってる。
当時の私は今思えば、自分の表現したいものがよくわかっておらず、おもろい(と自分が思う)絵、ショッキングな絵をひたすら描いていた。
それでも人生の中で初めてレベルで悔しくて、藝大の二次試験前なのに講師にお願いして多摩美に入学するか、浪人してまた芸大を受けるか涙を堪えながら相談しに行った。
多摩美に入学して新たな出会いや刺激を受けて、また藝大を受験してもいいのでは、という助言で多摩美に入学することに決めた。
私はなんとなく予備校時代と同じようにおもろいと思う絵を描いたと思う。
講評会でみんなの作品と自分の作品を見比べたとき、私の絵は全然おもろくなかった。
気付いてしまった。私は自分自身が何を表現したいのか、わからなかったのだ。
大学1年生の時にもう一回だけ藝大を受験したがやはり一次にすら通らなかった。
講評会前に慌てて制作を始めて、中途半端な出来のものを提出。自分でも思い入れが一切ないインスタントな作品。
だって自分が表現したいものがわからない、つくりたい・描きたいものが何かわからないから。
かといってサークルを熱心にやるわけでもなく、友達も少なく、ただ単位を取るためだけに大学に行ってひたすらバイト。
そんな自分が就活などうまくいくはずもなく、なんとか卒業してその後フリーター。
最終的に就職はできたが、卒業してから時間が経つにつれて後悔が押し寄せるようになった。
「美大ってことは絵が上手いんでしょ?私は全然絵とか描けなくて〜」
「才能があるんだね!」
初めて会った人からそう言われるたびに、「美大卒」という肩書きだけで実力も美術への熱意も伴っていない自分を恥じた。
せっかく親にお金を払ってもらったのに、受験に受かったのに、私は自分の表現したいことがわからなかった。
描写力を上げる努力もできない、制作に熱中して、思い入れのある作品を生み出すこともできない。
卒業後も制作を続ける人たちをSNSで見て、私はなんでみんなみたいにすごい作品を作れないんだろうといつも虚しい気持ちになる。
絵を描くのが好きだったはずなのに、本当に絵を描くことが好きなら仕事以外の時間に描けばいいのに。
結局「絵を描く才能」なんていうものはなくて、「何か一つのことを継続する才能」のある人たちなんじゃないかと私は思う。
私は絵を描くことは好きだが、努力して継続することはできなかった。
だから「ブルーピリオド」の中で制作にひたむきに向かう登場人物を見て、自分はこうなれなかったということを改めて実感して苦しくなってしまうのだと思う。
私は現在、転職して小さな会社で絵を描いたりデザインしたりする仕事をしている。
お金をもらっているから一生懸命やらなきゃいけないし、与えられた条件の中でどう表現するかを考えなきゃいけない。
私にはきっと、自由が向いてなかったのだ。
その事に気付いてから少しだけ楽になった。
私はブルーピリオドにもハチミツとクローバーにも登場するような人物ではなく、凡人だ。
凡な自分を受け入れ、大学時代に何もできなかった分、少しでも学んだことを生かしてお金を稼ぐ。
人から、すごいね、良いねと言われるような仕事を頑張っていくしかない。
いくら後悔しても、もう大学時代のように自由な時間は戻ってこない。
大人になってから押し寄せる後悔に対しては、今の自分を受け入れ、今までの自分の行いをどう正解にしていくか、辻褄を合わせていくしかないのだと思う。
フリマのブースはズラーッと並んでいて、それを順に見ていると、近くにいる客たちも私の後ろや前で、同じタイミングで同じブースを見ている、ということがありました。水族館とかで「あ、さっきヒトデコーナーにいたカップルとアザラシのところでまた会った」とか「深海魚からペンギンのところまでこの家族づれとずっと一緒だったな」みたいになることありますよね。ああいう感じです。
私の横にいた1人の男性が、フリマを出店している女子学生の作品を見て「君は、工芸デザイン科でしょ?」と話しかけました。女子学生は「そうですー」と答えると、男性は「僕はここの視覚伝達デザイン科を卒業してるから分かる」と言いました。「そうなんですかー」と女子学生が返し、なにか会話していました。
私は横目で「なんでわざわざ自分が武蔵美卒だって言うんだろう」と思いつつ、作品を夢中で見ていました。
するとその男性は次のお店も次のお店も、売り子の女の子に「僕は武蔵美出身」ということをいちいち告げて話しかけています。
意識的にその男性を見てみると、男子学生は飛ばして女子学生にだけ話しかけていました。
■「これはマズい」男性を見張りはじめた
私や子どもたち、他の大勢の客は夢中になって背中を曲げてテーブルの上の作品を見てるのに、その男は作品はチラ見するだけで女子ばかり見て自己紹介しているのも妙でした。
女性が並んで着席していて男性が順番に回ってくる婚活パーティーってありますけど、その男性1人だけ婚活パーティーをしているかのようでした。フリマなのに。
私は素敵な作品を買い逃したくないから買い物に集中したくて、この男性のことを忘れようと努めました。
だけど、横に整列しているテーブルの上に作品を並べているフリマブースの最後まで来ると、広場にテントが張ってあって、その中がお店になっているブースがありました。作品が並ぶ棚が手前にあり、奥に1人だけ売り子さんが立って会計をしていました。
勝手に婚活パーティー状態になっている男性は、作品を見ることなく売り子さんの隣にツカツカと直進していき、早速話しかけました。
会計のテーブルの中に入って女子学生の隣にガッツリ立って話しています。女子学生は出口をふさがれている状態なので「これはマズいのでは」と思って見張ることにしました。
多摩美とか武蔵美ってディスカウントジャパン運動を行っている団体なの?
元増田です。
ご回答ありがとうございます!
美大を卒業しゲーム会社にて勤務されている方から助言をいただけて嬉しいです。
確かに私大から任天堂に内定する例も多く見られ、任天堂デザイナーへのルートマップに多様性があることは頼もしいですね。
私も現段階では藝大専願ではありますが、追加で1浪を限度として尚も受験に失敗した場合は保険として私大(武蔵美・多摩美)受験も考えています。
その場合でも任天堂を目指せる前例と実績があるのはとてもありがたいことです。
藝大受験では立体は特に難しいと聞きますね…。私も、絵を描くことの方には自信がありますが、立体物となると自主制作の経験もほぼなく立体に対する教養に乏しいので、今から苦戦は必至だと感じています。藝大は他の美大芸大と違って実技受験の際の点数開示がされないと聞きますし、なおさら落ちた時の理由が分からないですよね…。
先日から数多くいただいたトラバやブコメを拝読し考えを改め、夜間高校や通信高校といった、予備校昼間部での勉強を阻害しない形での高校進学の形も検討してますので、その場合は絵以外のインプットもある程度確保できるかと思います。どの道、学科もしっかり勉強しないと藝大受験に落ちますからね!
元増田です。
藝大デザイン科を卒業された経験者の方からご回答をいただけてとても嬉しいです!
1~4までの項目を熟読しました。
同窓生のうち2~4人、率にして大体5~10%が任天堂に就職されるというのは、やはりさすが藝大は驚異的な就職倍率ですね。
デザイン科45人中の5~10%ですから、いずれにせよ過酷な競争であることに変わりはないですが、しかし私大と比べるとパーセンテージとしては圧倒的数値かと。
参考になりました。
藝大の倍率低下によって現役合格率が上がっているのは私にとって嬉しい追い風ですね。
ただ勉強の出来る受験生も増えているということで、学科を抜かりなくやっていこうかと。
また、藝大と私大における機材と制作環境の違いはとてもよくわかります。藝大・武蔵美・多摩美はオープンキャンパスに行ったことがあるのですが、私大二校の華々しい制作環境と比べると藝大はミニマムな環境で、良くも悪くも国立という点が出ていましたね。特にデザイン科のMACなど、機材に期待はしません。お話しいただいたように、日本最高レベルの同期と切磋琢磨して制作できる環境が藝大の何よりのメリットだと考えています。
藝大進学を「選択肢としては現実的だと思う。」と言ってくださるのはとてもありがたいです。
高3夏時点での実力判定で厳しいものがあったとしても、その年は藝大専願で受けるかと思いますが、もし入試に失敗した場合は1浪目で私大も併願し受験する柔軟さを持ち保険としたいと思います。
ありがとうございました!
さて、極論的な表現で恐れ入りますが、こちらで質問したいことの結論を書かせていただきますと、
「高校進学することなく、中卒後即座に大手美大予備校の昼間部に所属し、3年間誰よりもデッサンと色彩構成と立体制作に明け暮れ、現役で東京藝術大学デザイン科に合格する」
この進路の舵取りは一般的に考えて極論中の極論だとは思いますが、この事の是非を質問として問いたいです。いかがでしょうか。
長くなりますが、このように考えることになった経緯をお話しますので、お時間ありましら是非一読いただき助言いただけましたら幸いです。
この目標を確実に達成するためにどうすればいいのかを考えますと、やはりデザイナーの最高の教育機関たる東京藝術大学デザイン科に入り、数多くの作品を作り最高のポートフォリオを仕上げた上で卒業し、新卒でデザイナー入社試験を受けるのが最良との思いに至りました。
東京藝大は気が狂ったレベルの難関です。それは充分に理解しています。
ですので、1%でも高い確率で東京藝大デザイン科に入るためには1秒でも長い時間を実技対策に投じて腕を磨くことが重要と考えます。そのことを考慮した場合、一般の美大受験生と同じように高校通学に併せて美大予備校夜間部に通い対策をするというようなことでは、藝大デザイン科合格45名の椅子を巡る戦いに現役で確実に勝てる確率は相当低いと言わざるを得ません。
藝大デザイン科現役合格というのは、はっきり言って狂気の沙汰です。であるから、こちら側も狂気的姿勢で受験に臨む他ありません。一般的な受験生と同じ姿勢で臨んだのでは勝てません。そこで考えた受験戦略が「中卒後即大手美大予備校昼間部通学」というストラテジーになります。
一つは、他の藝大志望高校生に対し実技研鑽で圧倒的な差を付けられるということです。
藝大志望の高校生が予備校で使える実技学習時間は夜間の3時間のみ。週5日通うして一月の学習時間は3(h)×5(d)×4(w)で60時間に過ぎません。対して、昼間部は基本的には一日6時間ですが、朝の教室解放後最速でアトリエに入り制作を開始することで実質7時間は制作できます。これを一月やりますと7(h)×5(d)×4(w)で140時間。高校夜間部生に対し一月で約2.4倍の実技学習時間が実現し、現役生という枠の中であれば圧倒できます。
二つ目の利点は、「昼間部に三年通うことは実質的に三浪するのと同程度の力になる」という点です。藝大受験においては、当たり前ですが現役生以外に浪人生も相手取って戦わなければなりません。私も予備校見学に行った際に目にしましたが、浪人生というのは化け物みたいな画力を持っています。そんな彼等とも刃を交えて戦う必要があるのであれば、彼等と同じ土俵に入って学ぶのが一番です。そのための昼間部通学でもあるわけです。いくら浪人生といえども、三年も浪人している人間はなかなかいません。ですので、ここで私が高卒年齢に達するまでの昼間部三年通いという戦略を実行することで、浪人生以上の経験と実力を18歳時点で積み込めると考えたわけです。
以上がこの戦略の利点となります。ここまでやれば高い確率で藝大デザイン科に現役合格できるのはないかというのが私の考えです。
何故私がここまで現役合格にこだわるかといえば、それは就活の際に一歳でも若いというアドバンテージを得たいがためです。
私が目指す企業は任天堂です。任天堂ともなればゲームCGデザイナーの椅子を巡って日本最高の戦いが繰り広げられるわけです。そこに上がってくるライバルは様々な意味でデザイナー志望として最強の人間達であり、そんな中で勝ち抜いていくためには何か一点でも彼等に対し有利を取れるポイントを稼ぐ必要があります。それが年齢というわけです。藝大生は浪人生の割合が比較的高く、現役年齢であるだけで就活の際は彼等に対し有利を取れます。突出した才能を持っていないにもかかわらず、何が何でも任天堂に入りたい私としては、わずかでも有利になれるポイントをかき集めて戦いに挑むしかないということです。
「中卒後即美大予備校昼間部通学」という戦略を実行するにあたり、学科はどうするのかという声がありますが、学科に関しては独学で充分やっていける学力的自信を持っていますので問題ありません。中卒ということは大学進学時に高卒認定を受ける必要がありますが、試験問題を見たところそれも余裕で突破できるでしょう。
藝大に対する熱意のあまりつい長文になってしまって申し訳ないですが、ご助言いただけましたら幸いです。
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◆追記◆
もう夜も遅かったですし、この記事を投稿してからすぐに寝たんですが、喉が渇いて水を飲みに今起きて何気なく増田を開き直したらこんなにも助言の声をいただけてて本当に嬉しいです…!!
明日も早いため、またすぐに寝るのですが、明日また時間ができたらまとまった時間に皆さまのご助言を読ませていただき、可能であれば返信もさせていただきたいです。
本当にありがとうございます…!!
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◆再追記◆
ブコメにも沢山ご意見をいただきありがとうございます!
再び起きてしまいましたので、改めて寝る前にできるだけお返事を。
トラバとは違って、直接お返事をすることのできないブコメにこちらで返信をしたいと思います。
id:sangping 他人事だから適当に言うけど「任天堂に入りたい」が真の目標なら、もっと直截「任天堂に」狂気をぶつけた方がいいんじゃない?まずは任天堂の人事や経営陣にアポを取って話を訊いてみるとか。犯罪にならない範囲で。
「任天堂に直接狂気をぶつける」心に刺さりました。名言ですね。任天堂社員の方はSNSに情報を漏らさない(Facebook上であっても自分が任天堂社員であることを名乗らない)というのは聞きますが、もし任天堂社員の方と連絡が取れる機会がありましたらダメ元でダイレクトアタックしてみたいと思います。まだ何者にもなっていない有象無象の坊主のために任天堂の方のお手を煩わせるのは恐縮ですが、聞けるだけのことは聞きたいなと。
id:i5s4y デザイナーです。デザインの技術はテクノロジーでひっくり返されるので、そうならない基礎教養を高校できちんと学んだ方が良いと思います。あなたが構想しているのは “現在の” 任天堂の入り方です。
デザイナーの方に意見を頂けて嬉しいです!数年前にGoogleがAIにこの世の終末みたいな絵画を描かせたり、はたまたpixivでは綺麗な自動彩色サイトが流行ったりと、デザイン・クリエイティブの分野でもひしひしとテクノロジーによる作画技術の代替が起こっている波を確かに感じますね。高校で学べる範囲のことでテクノロジーに抗する、あるいは利用する教養を得られるとしたら数学・英語でしょうか。それらは情報デザインの分野とも結び付きますし、一考させて頂きたいですね。また恥ずかしながら、私は浅学ゆえに "未来の" 任天堂の入り方は分かりません。ただ愚直に、"現在の" 任天堂の入り方に固執し我武者羅に頑張るしかないところは恥じ入るところです。ですが、今後成長していく中で "未来につながる" 構想が獲得できましたら、より合理的に方針を転換して戦っていきたいです。
id:tsubo1 このブコメを書こうとして、書いては消し、書いては消しして10分経った。私はあなたの若さが持つデタラメな焦りが羨ましいよ。あなたの書いていることは隅から隅まで全くの見当違いだが、その情熱はいいと思う。
ありがとうございます。不覚にも、ウルッときました。私のこの殴り書きのような粗削りの計画書に何かを感じ取っていただき、ブコメを書くのに多少なりともの時間を掛けていただいたということに対して、私の方も沁み入るものがあります。ブコメやトラバを確認しますと、やはりこの計画が如何に無謀で見当違いかを思い知らされますが、情熱を評価していただけた点に深く感謝致します。
id:migurin 職種は違うがデザイナー歴約15年です。応援します。ただ、技術はいつかアドバンテージではなくなります。自分自身を磨くことを忘れないこと。入社を目的にせず、人を豊かにすることを目的にすることを勧めます。
デザイナー歴15年という、ベテランの方にもご意見を頂けて嬉しいです!応援頂き誠にありがとうございます。技術的アドバンテージに限りがあり、それに抗するため自分磨きを続けるという事、ご指摘いただきありがとうございます。深層意識に刻み込みます。私も、任天堂に入れたら、そこで世界の人々の感情を豊かにするゲーム作りに携わりたいと願っております。
id:MiG 技術を伸ばす「だけ」ならいいかも。でも遊びを作るのに遊び(も含めたいろいろ)の経験がないのは就職活動〜その後の職業人生で逆に不利になることが多いように思う。当方ゲーム会社勤務10年超デザイナーヨリ。
ゲーム会社勤務歴10年のデザイナーの方からもご意見を頂けて大変嬉しいです!美術版受験ガリ勉になるのではなく、様々な遊びが必要であるということ、良く分かります。今の計画を白紙に戻し高校へ行くというのはまだ抵抗がありますが、少なくとも確定している未来として藝大(あるいは万が一失敗したら武蔵美・多摩美)に入ってからはうんと遊びたいですね。芸術に関することだけでなく、都内で、そして海外で、様々な遊びを経験し糧としたいと思います。
id:manganzenseki 任天堂のデザイナーになった知人が何名かいるけど、みんな私大でしかもファインアート出身。あと受験漬けの美術版ガリ勉よりも教養あったりスポーツなどに秀でた人の方がするっと受かるよ。広く感性も磨くべし。
任天堂デザイナーになったという貴重な知人の方の例を紹介いただきありがとうございます!私大(武蔵美・多摩美)からも任天堂への内定を出していることは存じ上げていましたが、しかしその採用率となると藝大有利だろうという思い込みがありました。しかし知人の方の全員が私大出身であるということで、必ずしも藝大に固執する必要が無いということを気付かされたのは大きいですね。いずれにせよ藝大の魔に魅入られた私は藝大を目指しますが、万が一受験に失敗した場合は私大受験に切り替える柔軟さも持ちたいと思います。教養に関しては、藝大同期にゼルダ青沼さんがいらしたトラバの方の投稿を読んで重要性を改めて認識しましたね。ありがとうございました!
id:kash06 桁外れに難しい目標であるから、極限まで自分を伸ばす方法を……その覚悟は凄まじい。今の増田には考えづらい事だが、そのルートに乗れなかった時の為の保険を考えられる人が、うまく助言できる事も加えて願う
藝大の倍率はかつては東大の10倍以上にも及び、過酷すぎる競争になるのは火を見るより明らかでしたので、その対策の最善を考えていった結果の産物でしたね……。目指すルートに乗れなかった時の保険(藝大失敗→武蔵美・多摩美 任天堂失敗→他の有力ゲームメーカー)は既に決めてあるので、あとは私に最終的に損切りする覚悟があるか……ということでしょうね。ありがとうございます!
いただいたトラバ、ブコメは全て拝読してます。本当に参考になりました。
この記事を投稿した時はチラホラとした反応がある程度を想像してたので、全てのトラバなりブコメにお返事できると思っていたのですが、予想外に反応いただけたため全てのトラバ・ブコメに返信することは難しく、せっかく貴重な意見をいただいたのに申し訳ありません…!
改めて申し上げますが、いただいたコメントは全て拝読してますので、皆様のご回答全てが私にとって等しく参考になっています。
実は今狙い目なのが岐阜情報科学芸術大学院大学の男の子通称「IAMASボーイ」。モテモテ慶應ボーイより、ガッツあるワセ男より、IAMASボーイを彼氏にする理由をご紹介します。
偏差値はよくわからないし、低くはない。凄いお金持ちもいるし、奨学金で生きてる極端な貧乏も。専門的な理工学の知識を持っていて、その分野で一流の専門的な会話ができる男の子が多いのです。「専門家が一番」と言う言葉をよく耳にしますが、「一流」にすることは実は大変な事なのかも。
IAMAS生は5割が多摩美・武蔵美を落ちた人たち。受験勉強では所謂“挫折”を経験しているのです。挫折を経験せずに全て完璧で何の苦労もなかった男の子は、自分が辛かったり挫折した時に気持ちを分かってくれません。IAMASボーイならその気持ちが痛いほどわかるはず。
IAMASボーイは母校がいっぱいあるので、他大の人とも分け隔てなく仲良くする事ができるのです。また、大学院に入学する前に学部から上がってくるばかりでなく、高専から入学する人、一流企業をやめてくる人、大学院を渡り歩く人等様々な人種がいるため、色々な人種の友達と繋がっているのです。
「普通の人生」という大きな壁に敗れたIAMASボーイ。それでも岐阜情報科学芸術大学院大学という知名度のない大学院に入学したのだから、少しの事ではへこたれないハングリー精神の持ち主なのです。
人生を踏み外した仲間が10割もいるが故、その“コンプレックス”が、“コンプレックス”にならずにもはや“合言葉”になるのだ。そして恥ずかしげもなくそれを他人に言う事ができる。嫌みっぽくないので聞いているこちらも清々しく、応援したくなるのです。
IAMASは理系大学院のみの大学、だから女子が少ないのです。女子より留学生の方が多いくらい。そう、IAMASボーイは女子からの熱い視線から反れたところで生息しているのです。だからこそ良い男の子がゴロゴロ余っているのです。
伊勢丹の蚤の市でドライフラワーを前に、梨木香歩さんの小説また読みたいなとつらつらあらすじを思い出していたら、時間を忘れた。
どうやって家に飾りつけようかとインスタを流しながらドライアイスの道を滑るように帰ってまだ決まらない。
何かの映画で見たポスターを奥に飾り紐で吊り下げるのはどうだろうと決心がついて、机の引き出しを探すが画鋲も押しピンもなかった。
その代わり石膏がついたままのネジが一つ。
思い返せば文房具店に足を運んだのは二子玉川の高島屋が最後か?
...十二年前だった。家族がまだいた頃だ。
男やもめも過ぎると、画鋲がないことにも気づかないらしい。
JRシステムの壁掛けカレンダーは新年会の二次会の景品だから無理と毎年うっすら諦めて、今年も諦めたことを思い出した。
部屋干しの外套がかかったままのカーテンレールが決して動くことがないように
壁紙もまた気づけば日に焼けた色もそのままに空白のまま。
それもイメージフィルタをかざせばわからないし、何もない壁につけた机の上は写真台にちょうどいい。と思っていた。
武蔵美の人の迷著「線の稽古 線の仕事」に従えばどんなキャンパスにこの壁はなるのか。
白い壁を前にまた時間を忘れた。歳とった。
今、写真の勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達が高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。
写真家と呼ばれる職業の人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種の人達ではない。
今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。
以前は東京写真専門学校やビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し
優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近の写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ
ではなく写真と言葉、ステートメント、ポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。
港 千尋ー早稲田大
奥山由之ー慶応義塾
木藤公紀ー東北大学
・・
そのほかにも最近の写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的で視点が面白い。
プレゼンスタイルも高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。
勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市立芸大、その他の多摩美、日大、武蔵美、大芸大なども
多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外で写真を学んできている人もいるだろう。
写真ポートフォリオレビューでもフランス人やアメリカ人のポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに
まずは英語が最低でもできていないと自分の写真の意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、
書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。
「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥムも理解できず3行で寝てしまうという始末。
元々、コンセプト写真は海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真の技術とセンスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる
特に最近は写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真=芸術とみなし、芸術家と自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように
思えるし、InstagramやSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。
写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家の写真集が良いの?」
と揶揄される始末。マイナー・ホワイトやピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。
マイナー・ホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。
佐野研二郎氏盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。
彼はご存知の通り多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業し、現在はアートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています。
実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身が講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)
統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス(世田谷区)にあります。
学科長はプロダクトデザイナーの深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナー・インターフェイスデザイナーの中村勇吾教授、HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクターの佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学科専任の講師や先生で構成されています。
現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授(統合デザイン論)と中村勇吾教授(メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。
世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザイン・ベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的にローンチできるプロジェクトのデザインを学んでいきます。具体的には現在、グラフィック・プロダクト・インターフェイス・描写などの必修と、そのほか選択を受けています。教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインをあらためて"統合"することで、「これからのデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在、デザインそのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材が必要とされています。一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなものも学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたものが現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります。
(武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)
(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)
先ほども言った通り、まだ学科が生まれてから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから、就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。
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ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科のサイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います。
さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。
関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授と現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身、亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。
最初に自分があのエンブレムをみたとき、直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京のイメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的で結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒で形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからのベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科の学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭のロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブなイメージで彼がデザインしたということはないかと思います。
造形的にベルギーのデザイナーのエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています。
さらに、ベルギーのデザイナーはそのロゴを商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。
記者会見で佐野教授が感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係の仕事が多く(映画やTOYOTAの広告の成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストランで新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真を新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思います。 http://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/
このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授に問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員に問題があるのです。他に、もっと「オリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。
その選考が一般的な選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインだから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的に選考は名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。
これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授の下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまったからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります。一般的なデザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事でお金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。
ネット上では、佐野教授周辺の関係図みたいなものが話題となっています。審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまり、デザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います。業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。
自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックやプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナーの作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったもののなかには現在問題視されているような業界内評価システムの土壌でうまれたものもあるのかもしれません。
一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。
いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインがネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈が形成されていくと、そこには明らかな引用や模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインもスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体を否定することと同じになってしまいます。なにかから影響を受け、文脈が形成されていくことを「パクリ」の一言で否定しないでください。
今回の件で佐野教授に問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックのエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。
亀倉雄策の仕事で一番好きなのは1964年の東京オリンピックのエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプルで骨太な仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインはシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザインは思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。
エンブレムの問題とトートバックの問題は根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。
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・エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭のロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォントが幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的なフォントであったとは思いません。
・学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊な試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚は私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・。
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・ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまいます。商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみます。 http://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックのエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w
・佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生ごときが評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事もダメになるというか、結局ものをつくるときの姿勢ってそのひとの評価やデザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナーや関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリや模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。
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・多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。
・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザーが根拠のない事実を拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。
エンブレムの件以来、いくらなんでもデザイナーやデザイン業界がバカにされすぎてて腹が立ってしょうがない。
普段デザインのデの時も興味のない、センスも何もない奴らがなんで上から目線で叩きを続けてるんだろう。
【互助会とか言ってるけど、互助会に入るためのハードルがどんだけ高いと思ってんの?】
多摩美武蔵美を出てもほとんどはカスみたいなデザイン事務所に就職してる奴らだらけで、
電博に入れるのなんてエリート中のエリートなの。その時点で「選ばれた人たち」なわけで
センスのかけらもない一般人のお前らが叩いていい相手じゃないの。
どうせしょうもないデザイン専門学校とか出てるクソみたいなデザイナーなんだろうけど、
お前らのせいでデザイン全体のレベルが下がってるのでデザイナー面しないでもらえますか?w
お前らなんて建築家に対しての土建屋みたいなもんなんだからしゃしゃり出てくんな。
【まさか普段デザイン展に行ってもいないくせに叩いてないよね?w】
あんだけ上から目線で叩いてるってことは、デザイン展とかもきちんと見に行っている
そういうのを見に行ってないくせに叩いてるやつは自分を恥じたほうがいいと思うけど。
今週の弱虫ペダルを見た。ネタバレになるから詳しくは控えるけど、「1位以外は意味がない」という言葉が心に残った。
オリンピックや世界大会だったら、普通の人なら銀メダルでさえ超人的なすごさだと思うだろう。
対して、その二位になった人は表彰台では笑顔を振りまいているが、悔しさで一杯のはずだ。
この一般人と選手の認識の差はなんだろうか。もちろん、理想の差なんだけど。
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時たま、何かに突出してるようなすごい人に出会うけど、
そういう人ってある分野に対してものすごく理想が高いんだと思う。
もはや野望だ。貪欲に知識を吸収するし、もちろん努力もしてる。
そして、俺は意図的にその状態に持っていけるのではないかと考えてる。
その手段としては、理想の高い人に近づくことやその環境に身を置くことだ。
そこにしばらく身を置けば、大分成長するのではないか。
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これはよく認識されている事項だとおもうけど、ちょっと説明する。
高校生でクソバカ共に囲まれれば、美容師などの大学で学べない分野を除いて、
専門学校が当たり前だろという感じになる。
これには美大に行けるほど頭は良くなくて、そんなくらいのバカでも通えるから、という消極的な前提が含まれている。
それで進学したその専門学校には同じような考えの奴らがいるから、さらにそんな価値観に侵されていく。
逆に藝大や武蔵美多摩美以外ありえないという環境に囲まれれば努力する下地が整って行くのではないだろうか。
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超進学校なら旧帝大未満は人にあらず…などの「暗黙の線引き」がある。
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本人がマーチも行きたいけど日東駒専でもいいやと思っているのなら、
それは日東駒専未満はありえないという線引きをしている。
だから、そいつはほぼ確実に日東駒専以下の大学に行くハメになる。
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この、「⚪︎⚪︎未満(以外)はありえない」みたいな価値観を内面化するのって成長の点において物凄く重要だと思う。
仮に超進学校から旧帝大以上に行けなくてクラスメイトから蔑まれたとしても、
それをバネにして在学中に会計士などの超大型資格を取る人もいる。
そのようなものでしか満たされないからだ。だけど、辛酸を舐めた分努力はできた。
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だから、⚪︎⚪︎上手くなりてえなあってのがあったら、その分野のガチ勢のコミュニティに入って揉まれていくのが重要なんではないか。
英語ぺらぺーらになりてえ…と思ったら、ガチ勢のサークルに揉まれにいく。
英検一級、TOEIC900すら取れんとかありえないという価値観を内面化する。それがバネになる。
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よく自己啓発本でミッションステートメントとか願望を書こう、とかがあるが、
この暗黙の線引きを引き上げることの方が重要なんじゃないだろうか。
もちろんミッションステートメントを否定するわけではないけど。
「思いのタネを撒き…」ってくだりが有名だけど、
この暗黙の線引きそこが思いのタネの正体なんだと思う。
暗黙の線引きと自分の現状を比べて、その線引きに満たなかったら、動く。
線引きのレベルと現状が同じなら、習慣にもならんし、努力もしないじゃんということ。
だって⚪︎⚪︎未満は自分にとってあり得ないんだし。⚪︎⚪︎を満たしているならもう動かないじゃん。
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一つは単にファッションとしてその分野を触りたいと思うのであれば、
意識高い奴じゃなくて、「今日はベンチャー系のセミナーに出た。いい刺激になった」などと
Facebookでほざくただの意識高い系に成り下がるということ。
もう一つは、これは「自分の」成長の為に使うのであって、
「他人を」見下すためにあるのではないということ。