はてなキーワード: 切磋琢磨とは
昨日の参院選比例区で私は「山本太郎」と大書して投票した。数年前まで彼を声だけデカい無知で無責任な芸人崩れだと思っていた人間とは思えない投票行動だった、と自分でも思っている。
山本太郎が福島の食品を「ベクれてる」と言った時は、被災地を侮辱するな、と大いに憤った。園遊会で天皇陛下(現、上皇陛下)に直訴の手紙を渡すという不敬な暴挙に出た時は、田中正造にでもなったつもりか、と不気味さを禁じ得なかった。小沢一郎と組んだ時は、オワコン同士仲良くやってろ、と嘲笑した。
そんな彼が「れいわ新選組」を立ち上げると発表した。最初はああ、そういえばコイツまだ国会に議席があったんだっけ、程度の認識だった。だが、早い段階で反緊縮に目を付けていたのは慧眼だった(当時は山本太郎が本気で反緊縮を標榜しているとは思っていなかった)。奨学金徳政令や消費税廃止は実現性は至難であるものの、既存の与野党揃って緊縮寄りである経済政策のアンチテーゼとしては、これくらい大きく出てもいいだろう。素人意見なのは承知だが、立憲民主党や国民民主党は優等生的な聞こえのいいことは言っているものの、腰砕けで本気で自民党に挑む姿勢がなく、煮え切らなさを感じていた。
私にとって山本太郎は本邦の国会の景色を変えるための武器だ。山本太郎を利用して自民党に脅威をもたらし、一強の体制を揺るがせたい。同時に地位に安住している腰砕けの野党にも危機感を持たせたい。山本太郎はそのための手段なのだ。本音を言えば、もし今後他の党が本気で反緊縮や消費税減税・廃止を訴えるなら、それが自民党だろうが共産党だろうが応援はするつもりである。政策の切磋琢磨は望むところだ。
減ってきているというか、いままさに底を打っていると思う。
長い間、新規採用は太秦関連とかコネがメインだったし、老害が幅を効かせて、わけわかんない京都の人情殺人事件しか書けないやつだけが脚本家だった。
たまに出て来る天才はいるが、本当にたまになので、全く弾数が足りない。
新人賞すらろくになかったのよ。アホか。そりゃあ小説原作のほうが面白くなるさ。競争と切磋琢磨という点においては、それこそなろうにも劣る。
最近はそういう状況に危機感が出てきたのか、少しだけ、ドラマ化確定脚本賞レースみたいなことも定期開催しだした。
これでマシになればいいよな。
ちなみにアニオリがつまんないのもほぼ同じ理由だが、新規発掘が盛んな漫画ラノベ業界とズブズブなので、とりあえず弾数には困らない。
チケットとれなくてライビュでやっと双騎見た人間の感想なのですが、めちゃくちゃ口が汚いです。注意してください。
勢いだけでライビュ後のイライラ全部ぶつけてるので文章もおかしいと思います。
とうらぶと役者の人気を当て込んだ別作品じゃん。としか思えませんでした。
明け透けな本音言うと、チケットとれなくてよかった〜〜!!です。
いやほんと手数料込みで1枚1万円近くするチケットでこれ見せられたらずっと強めにキレてたと思う。
現に1部見終わった後からずっとイライラしてる。「は????」の連発。イライラしたせいかちゃんと見たのに記憶も危うい
ライビュ代で済んでまだマシだった。
賛成派に聞いて回りたいんですが、これ刀剣乱舞でやる意味ちゃんと説明できます?
このミュを通じて源氏兄弟が何を成したかとか何を表現したかったとか説明とかできます?
推しキャラとか推し俳優が出てるからって理由で認識ガバってません?2部がいつも通りだったからって誤魔化されてません?
いやほんと曽我るなら曽我るでもっととうらぶキャラがやらなきゃいけない理由をつけたりできたよね???
事前に言っとけよって思ったし説明なしで最初から最後までただの曽我見せられたこっちの気持ち察してほしい。
そもそも曽我物語を見たいなら2.5舞台で見ようとか思わねーーーーしまじで。
アレンジならまだわかるんだよ。
名作やら古典使うことで話の軸がしっかりしたり、観客に興味を持たせやすかったり話を理解させやすいとかあるから
でもこれは、これはあれじゃん。とうらぶ詐欺だし源氏兄弟詐欺だよ。
源氏兄弟が役になりきって見ると楽しい。みたいな意見も見たけど、そんな器用なことできんわ
曽我祐成役 髭切
曽我時致役 膝丸
として見るとか無理
でしかなかったよ
このミュを高く評価してる界隈の感想もチラホラ見たんですけど、全然納得できない。
ここからさらに口が悪くなるんですが、茅野さんのエンタステージのインタビューで
みたいな意見を述べてましたよね?
賛成派もそこを肯定的に受け止めてるんですが、こんなん見せられるなら正直別に分断されたままでよくね????としか思わないんですよね。
いや.5界隈が一部の演劇好きの人から割とボロクソに言われてるのは知ってるし、演出も演技が稚拙なところがあるのはわかってるんです。
学芸会って言われても分かる〜って思うくらい劇としてのレベルが低いと言われるのも分かるんですよね。
ただその分断について取り組んだ結果が双騎なら別に既存の演劇界とくっつかなくてよくない??としか思いません。
こんなん見せられたら2.5はあと10年くらいは独自コンテンツでいいと思うよ。
たしかに2.5舞台が乱発してる今、演出や演技力の向上とかは必要だと思うけど、その結果が源氏の双騎なら大間違いだとしか思えない。
演技力とか技術方面が界隈が賑わえば切磋琢磨して勝手に上がると思うし、いっそこのままガラパゴス化した方がよっぽど面白いものになると思う。
顔のいい男達が一生懸命2次元の世界を表現してるのが醍醐味なのに、今回の双騎はその前提を利用した裏切りだとすら思う。
みんなの好きな作品とキャラで新作作るよ!って見せられたのがただの別作品とか冷静に考えてダメでしょ。
そもそもだいたいの2.5俳優って他の劇団や舞台とかに普通に所属できるじゃん。
2.5以外の作品に出演とか普通にしてる俳優さんいるし、逆に演出や作家も普通に演劇関係やら映画関係から2.5に引っ張ってこれてるじゃん。
なんていうか2.5に関わってるスタッフが2.5界隈を低く見てるから出る意見じゃね?
もしそうなら一番ダメなやつじゃん。
ジャニーズJr.の腹筋太鼓を「めちゃやべー演出!!見てろよすごいぜ!!」って自信満々に言い切る滝沢秀明くらいの気概を持って取り組んで欲しい。
実際腹筋太鼓は意味はわからないけど勢いがあってカッコよかった。
結局ここまで書いといて何が言いたいかと言うと、もっとうまく刀剣乱舞と曽我物語を混ぜろよ!!!です。
今回の件はマジでしんどいから、私の好きなコンテンツを気をつけて取り扱って欲しいし、次の新作マジで頼むぞ〜!!という気持ちを表明したかった。
あと再演は多分大幅な改変でもない限りライビュでも見ません。
学生時代は部活とサークル、どちらも体育会系のもので、毎日筋トレと技の練習をストイックにやってた。
辛くても苦しくても、技が身に付いた時の気持ち良さには代えがたいし、
学生から進化してニートになってからめっきり運動しなくなって、やばいなと思ってランニングを始めた。
今までの筋トレと同じような心持ちで、ナイキのアプリをインストールしてタイムをきっちり計った。3日後に記録更新をしなければ自分を責めて、追い込んで、
気付いたら初期よりもタイムが遅くなり、腰を痛め、ストレスで胃を壊して風邪で寝込むことが多くなった。
その時は11月で、もう寒いし辛いしで、結局ランニングを辞めた。
ランニングに敗北したことがずっと心残りで、温かくなってきた最近、ランニングをまた始めた。
ナイキのアプリは削除して、音楽だけ入れた。タイムは計らずに、苦しくなったらすぐやめて歩くようにした。
最近ハマったアベンジャーズのテーマを聞き、キャプテンアメリカに心を馳せながら走る。タイムは気にしない。
このところそれをするのが楽しみで、めんどくさいナァと思いつつも、風呂に入るような気分でランニングをするようになった。
息が上がることも少なくなったし、近場なら走って用を済ませる事が出来るようになった。痔も軽くなったし、胃も最近元気だ。
器械体操の内村航平は、昔から体操が大好きで、授業中体操の絵ばかり描いてたという。
友達で無理やり器械体操をやらされていた子は、高校卒業と共にやめてしまった。
それと自分を重ねるのも引けるけれど、やっぱりなんでも初めに楽しむ事が大切だと思う。何かを極める事も、結局は楽しむためにあるのだから。
みたいなクサいことも平気で書けるくらい楽観的でポジティブになれるので、ランニングを、ランニングを楽しむのがおすすめです。
令和元年6月19日
財政制度等審議会
更にはその成果は使った「量」に見合うものであったのかといった議論に焦点があてられることはほとんどなかった。
しかしながら、本来、「量」は教育政策や科学技術政策の目的を達成するための手段であることから、これでは本質的な議論とはならない。
政策に生かされなかったが正しい文面じゃね?
政策の目的を達成するための手段であることから、これでは本質的な議論とはならない。
とか言うべきだよね。増税する前に。
教育は一人ひとりに対するものであるという観点から、在学者一人当たりで見れば、OECD 諸国と比べて、教育支出は高い水準にあり、公財政支出に限っても遜色ない水準にある。
「教育は一人ひとりに対するものであるという観点」がズレている気がする。
よくわからないけど、塾とかの費用は含んでいるのか?正しいのか?
教職員数については、少子化の進展に伴う自然減や平成 29 年度の法改
正に基づく基礎定数化を勘案した見通しによれば、定数改善を行わなく
とも、児童生徒当たりでは増加することとなる。また、主要先進国と比
べても教員一人当たりの児童生徒数は遜色がない。〔資料Ⅱ-3-4参
照〕
「主要先進国と比べても」あるけど仕事の内容が同一じゃないから比較するのは明らかにおかしい。
あいまいに書くことでなんか言いたいような文章だけど。具体的なデメリットの内容がわからない。よくわからないけど金銭的なデメリットというだけじゃないの。
近所にあるとか。そのようなメリットを無視した文章だと思った。
まず、国立大学への公的支出の総額については、このうち国立大学運
営費交付金だけを取り出して、平成 16 年度の国立大学法人化以降、約
1,400 億円減少したとする指摘がある。しかしながら、この指摘は、教職
員の退職に応じてその都度別枠で補助してきた退職金相当額が退職者の
減により減少したことなど教育研究に直接影響しない減少を含んでしま
っている一方で、教育研究向けの補助金の増額を含んでいない表面的・
これらを勘案した実質的な教育研究向けの公的支出の総額を見れば、
法人化以降、約 600 億円増加している。
競争的資金の割合が増えたせいで安定した運営となる基盤の財源の割合が少なくなっていることとか書かれていない気がした。
昨秋の建議において、こうした現状を温存することなく、社会のニーズに応じた教育水準やグローバルレベルで通用する研究水準を確保するための全学的なマネジメントが行われるよう、
・ 教育・研究にかかる共通・定量的な成果指標による相対評価50に基づく配分を徹底し、
1つ目はいいと思うけど。大学の場合、小中高の共通ないようによるテストはないので手法として難しい気がする。またこの評価実行の金銭、時間コストは政策側が負担すべきものだろう。
2つ目は危ういと思う。新分野の教育について最初の評価は低くなりがちで革新を抑えるため、さらに教育が硬直する危険性がある。
一人ひとりの学生や研究者でみれば教育や研究の成果が現れるには一定の時間がかかるという主張もあるが、全学としてみれば、教育をした卒業生を毎年度送り出し、また、日々グローバルにしのぎを削っている多くの研究者を抱えている。
こうした過去からの努力の積み重ねとして毎年度現れてくる成果を適時適切に評価することなくして、評価やそれに基づく配分といった既得権を長期間固定してしまえば、新陳代謝や切磋琢磨を阻害し、ひいては国際競争の後れにもつながりかねない。
悪意を持って研究の評価と教育の評価と混在させた議論をしているように感じた。
時間スケールの異なることを議論して都合のよい部分だけをつまみ上げた文章である。
日本が主要先進国並みの研究開発の生産性を確保できれば、日本のトップ 10%論文数のシェアは主要先進国を上回ることができる。科学技術関係予算
の「伸び」が課題とされることが多いが、こうしたことを考えると、真の課題は研究開発の「生産性の低さ」であると言える。〔資料Ⅱ-3-31~34 参照〕
大学における研究環境の硬直性・閉鎖性が研究開発の生産性が低い要因であるということは、大学内外から指摘され続けてきた。実際、
・ 分野ごとの論文数のシェアや学部・学科の定員のシェアが長期にわたり硬直的であることや、
・ 日本の研究人材の国際流動性や国際共著論文数が主要先進国の中で劣っていること、
は明らかである。
雑務が多いと言われているので「勤務時間」を分母とした場合では生産性は明らかに低いことは同意する。
「研究にかける時間に対しての評価」に対しての生産性の議論をせず、単に研究の生産性(研究者が悪いと決めつけた議論)へすり替わっているのが気になった。
このため、まず、科学技術分野における戦略やプロジェクトを設定・
実施する際に、
・ 研究予算の多寡などの研究に使う「量」(インプット)を目標とするのではなく、これにより得るべき研究成果を相対的・定量的に評価可能な指標として目標化するとともに、
・ そのうえで、重点化する分野、いわゆる「ハリ」の分野のみを提示するのではなく、過去に総合科学技術会議が科学技術予算についてSABC の4段階評価55を行っていたように、温存しない分野、いわゆる「メリ」の分野も提示し、厳しい優先順位付けを明確にするべきである。
2つ目は悪名高い「選択と集中」。しかも、ここで評価をしたからといって全体の予算が増えるかどうかとの関係性は述べられていない。
全体の予算が増えない状況でこのようなこと時間をかけて行うモチベーションが湧くのか?非現実的な方法と思った。
加えて、官民の適切な役割分担・連携も重要である。日本の企業部門の研究開発投資は主要先進国の中でトップクラスの水準にあり、また企業部門の流動資産も過去最高水準にある。
[要出典]
姪「コジョフー!」
姪「なんでなんでー!!」
姪「やだやだー」
俺「うるせー!ゲーマーなんてのは所詮は誰かに作られたものを消費することしか出来ねえんだ!何も手伝いもせず出てきた餌を貪るだけの豚だ!文句があるならお前が作れ!お前が100人の仲間を集めてお前だけのゲームを作って、それでポケモン(株)を見返してみろ!お前にはそれは出来ねえだろ?なんでか分かるか。テメエにやる気がねえからだ。ゲームが好きだなんて言う奴なんてのはどれも怠け者ばかりで、ダラダラと無意味な時間を貪ることしか頭にねえ!そんな奴にプログラムがかけるはずがねえ!絵が描けるはずがねえ!せいぜいが自分の趣味の範囲までだ!仲間と一緒に売り物になるようなものを作るためにお互いの尊厳をぶつけあって切磋琢磨するだけのやる気なんてどこにもねえ!せいぜいが仲のいい数人と一緒にサークル活動で終わりだろ!そんな奴らが、世界的大企業を批判できるなんて思ってるんじゃねーぞ!調子に乗るな!
男性の育休義務化反対!おかあさんにこれ以上負担をかけないでほしい。
きっと毎日が日曜日のように楽しい日が過ごせるって本気で思ってたんだ。
しかし結論から言えば、仕事より家で育児をしてる方が楽だと踏んだ主人は2歳0歳の育児に耐えられず、育児ノイローゼになり、私は主人のフォローをしつつ実家に帰る日々を送っている。
・夜泣きの対応は私が担った上に長男の朝ごはんの準備や洗濯で慌しく動いてる私を尻目に悪気なく朝9時まで寝てる。
・子どもの面倒を見ておいてと頼むとテレビをつけて放置。自分はスマホゲーム
・私が家事をするのは当然だけど主人が家事をすると私に感謝を強要。
・上の子と散歩に行けば疲れた疲れたと言って寝転び夜まで起きない。
赤ちゃんが泣いてもスマホに夢中ということが目に余り、また私の目を盗んで寝ることも多かった。
私は主人の分の家事やら食事の負担が重く感じ、抗議していたが返ってくる答えはいつも疲れただった。
十数年間会社に尽くし同僚と切磋琢磨していた主人は、人間関係が閉じられ毎日同じ作業でやっていることの成果が見えない生活に悲鳴をあげていた。
またイヤイヤ期の上の子に対してもう離れたい、殴ってしまいそうだと言うことが多くなった。
今はお母さん達の産後うつなんかが周知されているが、男性も育休を取ると単純に鬱の確率は2倍になる。
無気力状態の主人。主人と遊びたい上の子は遊びに誘うが、空返事だったり逆ギレされたりで泣くことが多くなった。
上の子を一時保育に預けようと保育園に電話をしたら一番早くて1ヶ月待つ必要があるらしい。
周りに少しずつ助けてもらったが、最後は私が気力で切り抜けるしかなかった。
ストレスが溜まるからと子ども2人を公園に連れて行き、イヤイヤと疲れで、合わせて20キロ以上ある2人の子どもを抱っこして帰った。
ご飯はレトルトカレー連発で、夜泣きをするわが子にもう嫌だー!と叫んだ。
せめて主人だけでも仕事に行ってくれたらどんだけ楽になるか
世間は男性が育休を取れば幸せな子育て期間になると信じすぎてないですか?
違うんです。
我々世代は働く父に専業主婦の母親が育児という役割分担を見ていたのに、いきなり家事も育児も分担って厳しいんです。
育休義務化ってワンオペ激務の仕事に新人を送り込むことと一緒で、こいつの教育もお願いってもう、無理!
小町は高級住宅地に住む世帯年収2000万円以上の専業主婦がメインのユーザーだ。
一方はてなのメインのユーザーは30歳以上のIT業界に勤める東京在住のおっさんだ。
ところで小町は釣りの名所だ。釣り作家と釣り認定士が日夜戦いを繰り広げ、切磋琢磨して釣りの腕を磨いている。
はてなは哲学者のようにすべてを疑いネットの嘘を見破る場でもある。
これらのことをつなげて推測すると、はてなユーザーは世帯年収2000万円の専業主婦に化けて小町に潜伏し、釣りの見破り方と釣りトピの書き方を学んでいるのだろう。
この度、刀ミュを見てあらためて、見るたびに許せない、舞台奥に大きく階段を敷いただけの、ほぼ他に何も舞台装置を使わない演出。上下に動きをつけたいのはわかる。でも、碌な大道具もない照明も最低限のだだっ広い空間を役者が上下、右往左往するだけの絵面には面白みの欠片もない。どんな場面でも、なんの変化もつけられず、身体ひとつで動き回りながら台詞をこなさなきゃならないの、役者にだって酷じゃないの。舞台上に景色を描こうという意識がまるで感じられない。舞台装置と美術と脚本と役者の演技と、どれも欠かせない芝居の要素でしょう。なんなの。
例えば、歌舞伎の話をしますけど、役者を生かすのが大道具の技術だという。役者が死んでしまったら何にもならない、役者が立った舞台面が美しくなければ、芝居にはならないと。このあたりがピリッとするというところが役者役者にあると。
框にこう腰掛けた時の形、これが大事、合わないと芝居が決まらない。足先でちょっと格子を開けておもてを見る、この寸法、なんでもないようだけれど役の形にかかわる。((参考:釘町久磨次著『歌舞伎大道具師』))
鬘の位置の1ミリにまで、気を配り創意工夫を凝らして最高に役者の姿が、芝居が映える、格好良い、美しい場面を作り出すことに切磋琢磨してる。
そういうふうな仕事をしようという気はないの?もちろん、伝芸とは資本が違う。けれども、新しい演目をコンスタントにかけられ、毎回客入りも良く、全国規模で催すライブビューイングはどこもチケットを売り切ることの出来るコンテンツをして舞台装置にお金をかけられない訳がない。
例え話を出すまでもなく、演出家なんて職業、古今東西の舞台の手法を学び、同業者の仕事を観に行く機会も多く、いろいろと新しい演出を考えているものなのだと思う。
それでいて、ここまで階段に固執するということは、企画側からそうしてくれ・こうするからと指定があるのかと勘繰る程。それとも、私が知らないだけで、真逆いまやこの手法はスタンダードだったりするのだろうか。
この疑問に答えをお持ちの方は、是非ご教授下さい。
元増田です。
しばらく見ないうちにプチバズってたのでちょっと驚きました。
はてブや言及コメントも拝見し、いろんな意見があって面白かったです。
否定的な意見の中で代表的なものについて、いくつか反論(補足?)しておこうかな、と。
元記事と違って完全に私個人の主観の話なので、NTTに勤める人の一般的な価値観ではないことはあらかじめ言っておきます。
「無能だから転職できないんだろ」みたいなニュアンスですね。半分正解、半分不正解といったところでしょうか。
そもそも失職や転職のストレスを一生味わいたくないから今の会社を選んだので、転職してやっていくためのスキルや経験を積む必要性を感じていません。
少々自分語りになりますが、私の父は私とは真逆の仕事第一で家庭を顧みず、中小企業勤務で倒産や転職を繰り返した人でした(いまも働いているけど)。
加えてギャンブル好きなのでたまの休みもパチンコに行ってしまうため、家計は火の車で、家に借金取りが来るから知人の家に避難するなんてことも割と日常茶飯事。
そんな父を反面教師として育ったためか、物心ついた頃から「仕事はほどほど、家庭と趣味に生きよう」と決めていました。
実際に就職したり家庭を持ってみて、この判断は正解だったと思っています。
私は器用ではないので、妻との夫婦生活、子供の世話や将来に向けた教育・投資、加えて自分の趣味も充実させようとすると、とてもじゃないけど仕事のことを仕事中以外に考える暇も余裕もありません。ましてや転職なんてもってのほか。
私にとって仕事は完全に金を稼ぐ手段であって、それ以上でも以下でもないのです。
もし退職するとしたら、そこそこ軌道に乗ってきた副業(というか趣味がたまたま金になっている)がさらに伸びて、その収入と資産運用だけで死ぬまでやっていけるフィナンシャルプランが完成した場合ですね。
かなりリスクを避けたい性格なので、今の会社で定年まで勤めた場合の生涯賃金の倍額くらいの収入が得られるプランじゃないと辞めないと思いますけど。
そうですかね。ここは学生時代からかなり吟味した結果なので、割と自信をもって「大丈夫」と言えます。
一番安定している公務員は、副業禁止を始めとする縛りが強すぎて却下しました。収入も世間のイメージよりだいぶ低いですしね。
次に挙げたのがインフラ系で、最後まで迷ったのが鉄道会社、電力会社、そして通信会社でした。
いずれも産業革命レベルの発展が無い限り業界自体は安定です。加えて各企業の大株主の構成(というか国や自治体の資本がどの程度あるか)、財務諸表などを加味して選びました。
最終的にNTT(所要5社)が就職先候補に残り、その内2社にエントリーして内定をもらった結果、茸に行くことに決めました。ここが潰れるときは日本の終わりだと思ってます。日本が終わったら自分も終わりでいいかな、と。
出ました。コーディング至上主義です。特にSNSでは「コーディングできないSIer vs プログラマー」みたいな話がウケますね。
システムを世の中に出すのに必要な仕事はコーディングが全てではないですよ、としか言いようがありません。パン屋に必要なのはパン生地をこねて焼く人だけでは無いですよね。
ちなみに私自身は学生時代にコーディング経験がありますが、社会人になってからは仕事でコードを書くことはありません。
外部設計はもちろん内部設計のレビューやバグが出てログ解析する際の一次切り分けにソースコードを見たりするので、一応関わっている開発プロジェクトの言語知識はあります。
数年前に開発部に異動してきてから業務時間中に学んだものであって、業務時間外にわざわざ勉強したりはしていません。
私は自分のことをエンジニアだとは思っていませんし、一生開発業務をやるわけではなく「今は開発職」というだけです。
そもそも弊社は3~5年周期で社内異動を繰り返す(いわゆるジェネラリスト育成)ため、深く狭い知識より広く浅い知識を身に着けるスタイルになります。
・PowerPointでシステムのグランドデザインを書ければ、あとはBPが仕様書に落とし、ベンダが作ってシステムが出来上がる
・tableauで分析データを出せれば、あとはコンサルが改善案を出してくれる
・Prottでプロトタイプを作れれば、あとはデザイナーがデザイン仕様に落とし込み、ベンダが作ってWebサイトが出来上がる
ちょっと大げさに言えば、部署は違えど弊社のプロパーの仕事はだいたいそんな感じです。だから、自分で手を動かすことにやりがいを感じる人には向きませんよ、と言ったのです。
私が一番驚いたのは、想像以上に仕事にやりがいや人生における重きを置いている人が多いことです。
弊社にいると、管理職含めて「仕事はあくまで仕事、家庭や趣味が最優先」な人が大半なので、かなりカルチャーショックでした。
私はとにかくコスパ重視の人間なのですが、今の収入と労力のバランスは最高だと思っています。
もちろんもっと勉強して資格を取ったりガンガン外部で活動して人脈を作って高給の企業に転職すれば、収入は多くなりますが、私にとってそれはコスパが悪いのです。
今以上に安定している企業は無いであろうという理由もありますが、加えて私生活の時間を犠牲にすることへの抵抗が大きい。
「年間300時間も残業してワークライフバランスとか社畜かよ」というコメントもあったので、ちょっと気になって昨年度の労働時間を調べてみたところ、残業込みでざっと1900時間。
まぁ上を見ればきりが無いですが、そんなに長くは無いかなと思います。今の生活基盤を維持するには、それくらいは仕事に費やさないと罰が当たるんじゃないかと。
あと、こればかりは個人差が大きいと思いますが、私はもともといっぱいいっぱいの状態で何かをし続けるのがとても苦手なので、ゆるゆるの環境が好きなのです。
だから、スキルの高い人たちが集まり切磋琢磨しあって互いを高め合う、ちょっと勉強をサボるとおいていかれてしまう、そんな環境はたとえ高給でもお断りです。
弊社はだいたいどの部署でも勤務中の脳ミソの平均CPU使用率が20%くらいで仕事が回るので、理想的です。
私は人生でもっとも頑張る期間を高校生の3年間と決め、予定通りそれを終えました。
現役で国立大に合格し、自分で学費を稼いで大学院まで進み、失職や転職のストレスに悩まされないホワイト企業に進む。これで人生の基盤が完成した、と喜んだものです。
今はその基盤の上で、自分の趣味や家庭生活、育児に教育とやることが盛りだくさんなので、基盤の変更やアップデートにかけるコスト(時間)は持ち合わせていません。
なお、一応仕事も世の中にそれなりにインパクトを与えるものやサービスを提供し、フィードバックを得られるので、仕事自体のやりがいも皆無というわけではありません。
仕事でかかわる社内外の人も良い人が多くて、その点もとても満足しています。
今より給料が多く、今より労働時間が短く、それでいて一生潰れない会社に、ローコストで転職できるチャンスが来ない限り、転職することはないでしょう。
けものフレンズ2の負の連鎖が止まらない(そのうち、勝手に鎮静化するとも思うけれど。好きの反対は無関心だからね)
所説有るけれど、誰が悪い、というのが明確に(そして案外あっさりと)決まる話ではあると思う。
それを指弾しても仕方がないのでここでは敢えて触れないが、何となく「それは違うでしょ」と思うことが2つほど。
もはや煽り文句のように繰り返されるこの説は、余りに稚拙と思わざるを得ない。
吉崎先生もヒット作を持つクリエイターで、ヒット作を世に出すためにどれだけの人・金・時間が必要かを知っているはずだ。
人というのは関わる才能の広さ、高さ、そして数。それらはヒット作の必要条件だ。
けものフレンズは吉崎先生がキャラクタライズに相応の時間を使ってきた作品であることを誰も疑わない。
鳴かず飛ばずだったけものフレンズを押し上げてくれた、たつき監督という才能。
彼に出会えたことを一番喜んでいたのは、吉崎先生だったのじゃないかと私は思っている。
また、たつき監督が交代をTwitter上で触れるまで、吉崎先生はアニメ版を含め、ファンサービスに力を入れていたように思う。
たつき監督との関係も悪いようには見えないし、まさにこれからと思っていたはずだ。
しかし、あの日を境にTwitterでは何ひとつコメントされていない。余程のことがあったのだろうし、それは継続中なのだろう。
木村監督はアイカツで名前を上げた人だ。数年のロングラン作品のかじ取りができる能力を誰も疑わない。
ただ、木村監督はたつき監督ではないし、逆もしかり。そういう才能を持った監督だ、という話だ。
世の中にはいろんな作品があるべきだし、たつき味も木村味もあるからこそ顧客の選択と作家同士の切磋琢磨が生じる。
監督であるからこその責任は当然に生じる。その点で、彼は監督を受けるべきではなかった。
ただ、第3回上映会にて、かばんちゃんとサーバルの設定が練られていないことを監督自ら述べている。
アニメ監督は演出家に近い職務であるが、物語を知らなければ演出もできないのだから、監督が設定を知らないことは異常事態と言える。
理解の及ばぬ所にある物語を、無理に演出するからよく分からぬものが出来てしまう。
吉崎先生のところでも述べたが、作品を生むには人が不可欠だ。数年間人気作のアニメ監督を続けた木村監督が知らぬわけがない。
その彼をして設定が分からないと言うのは、やはり彼が抗いきれない力が現場に働いていたんじゃないかと想像してしまうのだ。
いずれにせよ、自分でも良く分からないものを、作品にまとめあげる作業は、大変なストレスだっただろう。
それでも彼は「真面目に」ノルマを終わらせたのだろうと思う。その真面目さが全て仇になったとしても。
ただ、どれだけ過大なストレスでもTwitterはやめるべきだった。そうしたら同情ももう少し集まったとも思うのでそこは残念。
<結局何が言いたいかというと>
けものフレンズ2は業界の闇が色々と詰まっていて、アップされた動画をいろいろ見ているとためになることも多い。
もちろん、動画もどこまで信じていいか分からないし真相は闇の中だ。
この駄文だって言いたいことは「クリエイターだって馬鹿じゃないんだから、外野が余り無思慮なことを言うもんじゃないよ」って程度なものだ。
今回書けなかった脚本のますもとさんは、正直私はよく知らない。
ただ、ゾンビランドサガの担当回に限れば、批判される回も有るにせよ、良い脚本も有ったのだから、頭ごなしに否定するのはやはり違うのではないかと思う。
やっぱり何か、監督や脚本が自分の手腕を発揮できない状態に追いやられてしまったのでは、と想像してしまうのだ。それは、時間なのか、人なのか、その両方なのか・・・やっぱり気になってしまうのよね。
ソーマ・えりな敗北
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実は勝ち上がっていた美作
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↓
↓
クロスナイブズを繰り返しつつ遠月中から集めた調理道具をクロスナイブズ
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/\ 異能A
/\ 異能C
↓
↓
美作「お前を倒したのは俺のパーフェクトレースでも、お前のクロスナイブズでもねえ」
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美作「遠月の地で育まれてきた食戟によって料理人同士が切磋琢磨し分かり合う文化」
↓
美作「そして、食戟を通じて俺たちに料理の楽しさを伝えてくれたある男」
↓
美作「ソイツと一緒にいると何故か皆がいつの間にか1つの目標に向かっていっちまうんだ」
↓
美作「お前を倒したのは、『食戟』×『ソーマ』の組み合わによって生まれた俺たちの思い出」
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「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「お粗末!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
↓
才波朝陽爆発四散
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ソーマの墓前に華を添える遠月学園の皆
↓
↓
ツイッターにて表現規制派と表現規制反対派両方をフォローしてるんだけど、どちらも対立側のレベルの低い意見を取り上げてはそれを批判するていばかりで、弱いものいじめと言うか残念と言うか。
これは納得いく考えだが、対立側はどう返すだろうという意見には噛みついてこないんだよな。たまたまその意見を見つけられないのか、それともそれはそれで納得したから特にツイートしないのか。
あと、同じ派のものでも、さすがにこれは酷すぎるていう低レベルな意見に対する批判も見たことがない。なんかさ、賛成派反対派どちらとも対立相手はあくまでも引き立て役で、自分はこんなに頭のいい人間だという独りよがりな感じで、互いに切磋琢磨して事象への深化を進め、人類のレベルを上げるような有意義な議論を見たいもんなんだがなぁ。
1年前、業務量がキャパシティを超えたようで、会社や電車で涙が出てくるようになってしまった。
休職期間はあっという間だったが、一人で旅行に行ったり、映画をたくさん観たり、ゆっくり休むことができた。
復職には少し不安があったが、同僚はみんなおかえり、と温かく迎えてくれた。
戻ってきてくれて嬉しい、と泣いてくれる後輩もいた。
上司からは、今まで業務量が多すぎたこと、私一人に業務を任せきりになっていたことを謝罪され、
これからは業務量を調整すること、増員することを約束してもらった。
それから1年経った。
同じ職種のメンバーもたくさん増え、業務量も適切になり、定時で帰れる日も増えた。
たまに他部署の無茶な要求に悩んだり嫌になるときもあるけど、仕事をやり終えたら過剰なほど感謝されるし達成感もある。
同僚と切磋琢磨して良い成果物ができたときは手を取り合って喜ぶし、その後ランチでいつもより美味しいものを食べたりするし、
少し疲れたらコーヒー仲間とのんびりコーヒーを買いに行って、それぞれの担当プロジェクトについて愚痴ったり褒め合ったりする。
通勤時間は苦痛だし、仕事自体が楽しいかと言われると怪しいけど、職場は楽しいと自信をもって言える。
ただ、それなのに、どうしても、体調が良くならない。
8時間×5日間、フルで会社に行けた週がほとんどない。週のどこかで、必ずと言っていいほど遅刻、早退、もしくは全休してしまう。
(一応出社・退勤時間は決まってはいるが、一度休職しているからか、ほとんど怒られない。むしろ無理しないで、と心配される。)
症状はそのときによって全然違う。動悸、頭痛、ひどい疲労感、眩暈、吐き気、腹痛。
薬は毎日欠かさず飲んでいる。
初期は抗うつ剤を飲んでいたが、効きすぎなのか副作用なのか、より不調になることのほうが多かったので、
医師の判断で、副作用が少ないという漢方薬をずっと処方されて飲み続けている。
最近また大きな不調の波が来ていて、しばらく会社を休んでいる。
私がやりたいと言って始まった大きな案件のリリースが控えていて、休んでる場合じゃないのに。
心が休まらないから見てはいけないと思いつつも、職場のチャットルームを覗いてしまい、
おそらく私がいないせいで溜まっている仕事を、後輩が残業して処理してくれているのが分かって、本当に申し訳なくて泣けてくる。
私はこんなにも職場が好きで、同僚に会いたくて、会社に行きたいのに。体が言うことを聞いてくれない。悔しくて仕方がない。
もうこれ以上会社や同僚に迷惑かけられない。2度目の休職はない。1年前のことがトラウマで、きっと心がこの職場を嫌がってるんだ。辞めるしかない。
いや、転職しても体調が良くなるって保障はどこにもない。何よりこんなにいい人たちに恵まれてる職場なんてもうこの先巡り合えない。絶対辞めたくない。
この二つが頭の中をずっとぐるぐるしていて、結論が出せないまま毎日が過ぎていく。
先日推しの若手俳優の配信を観ていて、どうしても耐えられないことがあったのでここに記す。
推しの配信は若手俳優がする配信としてありがちな、視聴者がリアルタイムでコメントを送れる配信だ。推しはそのコメントを拾って話を広げたり視聴者とのやりとりを楽しみ、また視聴者もそれを楽しむ。
本題に入る前に、推しにはAくんという舞台で共演して仲良くなった俳優仲間がいて、更にBくんというAくんとも仲が良く、推しとも仲がいい俳優が仲間に居るということを先述する。
その日の配信も推しはいつものように前にあった仕事の話をしたり、次の仕事の宣伝をしたり、事前に来ていた視聴者からの質問に答えたり和気藹々と配信は進んでいった。
配信も中盤に差し掛かり、手持ちの質問やネタがなくなりコメントの質問に答えてくれることになった。コメントは色々なものが来ていたが、その中で、
「BくんとAくんガチ勢として対決してほしい」
わたしは、そういう、腐に近いコメントを直接流すような人がいることに酷くショックを受けた。
推しは所謂2.5系俳優で、出演作は2次元作品がベースになっていることから2次元の作品からついたファンも大勢いる。
わたしは同拒の気があるため同担の知り合いは一人もいないが、舞台を観に行くと推しとAくんが演じるキャラのカップリングが好きな人が多いこともカバンや会話でなんとなくわかる。
AくんとBくんの演じるキャラも、原作を調べたり推しのフォロワーなので二人のこともリスインしているため、そのキャラ同士が仲がいいことも、本人たち自身が仲がいいことも知っている。
でもだからと言ってわたしは推しがAくんガチ勢だと思ったことは一度もなく、わたしが知る限り本人もそんな発言、一度もしたことがない。
仲がいい俳優で、互いに支えたり支えあったりする、切磋琢磨する仲間だとよく分かる発言をしているのは良く目や耳にしている。
実際コメントを読み上げたあと、推しには発言者の意図が伝わらず「Aくんは弟のようでBくんは兄のようだから対決とかじゃない」と言っていた。
わたしが推しのファン(?)のこのような発言を聞くのは今回が初めてではなく、前に推しのイベントの待機列でもたまたま耳にしてあまりの衝撃に固まってしまったことがある。
そういう発言を、推しのイベントで聞くなんて思わなくて本当にびっくりしたし、なによりもわたしの中で何かが傷ついた。
わたしは推しの仕事に対する真面目な姿勢や懸命さに、素敵なひとだなと思って推し始めた。
わたしの中で、推しは美しい存在だから、そんな風に下品な観点で推しを見ている人がいたことに、そういう目で見ているのだと大声でいう人がいたことに、傷ついたのかもしれない。
ただ人の妄想を弾圧する気はないから、推しとAくんとBくんが三角関係であるとか、推しとAくんが友情以上の関係であるとか、そういう妄想は、鍵付きの見えないところや同志同士でどこかに篭ってやるなら勝手にどうぞと思う。
でもそれを本人に対してコメントとして言ったりとか、どんなファンがいるかわからないようなイベント会場で大きな声で言うのはあまりにもモラルが無さ過ぎると思う。
大きな話になってしまうが、いじめのエスカレートや公共の場所の汚れと一緒で、モラルのない発言をするファンを許せば、そういう発言をしても『許される』俳優なんだ、と思われて配信でのコメント、イベントでのモラルのない会話が増えるのではないかと危惧しているし、意図的、戦略的ではなく推しがそういう扱いを許してしまう俳優になってしまうのだとしたら、わたしはあまりにも悲しい。
今後どういう方面に推しが成長していくのかわからないけれど、ファンによる推しへの扱いで、心が折れてしまうこともあるんだろうなと思いながらまだもう少し推しを推していこうと思う。
技術責任者だかエンジニアマネージャだかしらんけどおまえクソコードしか書けねーだろ。
つかほぼコード書いてないじゃん。そのくせ基盤部分とかアーキテクチャ設計に入りたがる。
そして飽きたら社員に任せて自分はドロン。基盤の設計がクソだから誰も触りたがらないしメンテコストがヤバいのよ。
自分でコード書けないのは自覚してるらしいけど、そんならそのポジション空けろよ。
おまえがそこにいられる理由はただひとつ。創業メンバーだから。
そのくせ知識だけはいっちょ前にひけらかしてくるからまたウザイ。
おまえネットベンチャーでちょこっとエンジニアやってた経歴しかないじゃん。
勉強会とかセミナーとか起業コンテストとか行きまくってるミーハー野郎じゃん。
技術選定のポリシーも何もなくて流行り物を選ぶだけ。技術力ちゃんと身についてます?
その技術によって採用のやりやすさだったり、外注エンジニアの単価が決まること理解できてる?もっと会社のこと考えろよ。
「この会社でエンジニアとして成長して市場価値を高めよう」とか言っちゃってるのもう笑えない。
何度も言うけどおまえコード書けねーじゃん。なんでそんな上から目線なの?自分のキャリアは自分で決められるから。
いや、別にそういう制度があっても全然いいのよ。会社として用意してるのは素晴らしい。
でもコード書けないやつが考えるキャリアアップなんてクソみたいなもんでしょ。
プログラマとしてクソみたいな実力しか無いのにトップに立ってるつもりなのやめろよ。
ありがたいことにたくさんブコメいただけたので全て目を通しました。
私が右派、左派という言葉を使ったのでそういうブコメ色が強くなってしまったというのは確かにあるかと思います。
あと民主党政権の議事録が一切残されていないとしたことへの反響に関しては多少言い過ぎた部分ありました。すみませんでした。
こちらの記事では震災時に限られますが、残したものもあるようですね。
https://r.nikkei.com/article/DGXNASFS2700A_X20C12A1MM0000?s=0
また元の47ニュースの記事が消えてしまっているので個人ブログで申し訳ないですが、議事録を残さないというのは震災時だけでなく鳩山政権からの方針です。
http://iiko.hatenablog.com/entry/20120128/1327755863
これらを踏まえてまた言わせていただきます。
他に多かったブコメとして私を右派とした批判、選挙を控えた誘導だと言う声、また元政権への意見を求める声が多くみられました。
答えとしては前回の本旨に出てると思うんですが、私のような人間は自民党を強く押す右派ではないと思います。
安倍政権は完璧な政権ではなく、それどころかボロも多い、しかし何故それに野党は勝てないのかと言う思いが強いです。
そして安倍政権に関わらず、自民党一党が単独で支持を得ている状態は憂いていて、ライバルがおらず、切磋琢磨もなく、一党がずっと政局を持ち続けていればやがて政治は腐っていくと言うのは真だと思っております。
なので、野党は自分達の支持率を考えて行動し、支持を伸ばして欲しい。与党と野党で切磋琢磨し、互いを引き締めるような関係でいて欲しい。その為には与党の失態をただ責めるのではなく、自分達はしないように帯を引き締めたり、過去の自分達の失態を反省し、支持に繋げて欲しいというのが私の本旨でした。
政権の監視も重要な仕事であるのはわかっていますが、政権を批判し続けることで支持を得ることが出来ないのは現状が物語っています。
一刻も早く安倍政権を、自民党政権を引き摺り下ろしたいならそれこそ支持を得ましょう。
相手が国民の声に耳を傾けず反省しないでボロを出していると言うなら野党は自分の失態、失策を反省し、自分達に対する国民の声にも耳を傾けて一つ一つ糧にしましょう。
都知事選後、野党に苦言を呈した宇都宮氏も丁度同じようなことを言って反発を受けていました。
完璧な清廉潔白とまでは言いません、人間ですから。しかし自分達の行いを総括・反省し、新しい方針を打ち出していくことはできますよね。そう言った前へ進む姿勢を見せて欲しいです。
野党の仕事が政権の監視であること、その支持者が政権に厳しく当たることはわかりますが、ならば同等に野党にも厳しく当たるべきだと思っています。
現与党が反省せず耳を貸さない嘘つき政党と責めつつ、同じことをした、してる野党は支持されるでしょうか?
特にこうした野党に少しでも文句をつけるような意見は“ネトウヨの声”として問答無用で切り捨てられもします。
民主党政権時代の反省もなく、都知事選の反省もなく(共産党は都知事選をよくやったと讃えてすらいます http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-01/2016080101_01_1.html)、しかし与党の不祥事はけしからん、最低最悪だと言い、それは政権の監視が仕事だからと理屈付ける。
私の言った助言というのはこの辺のことで、ブコメで野党はもっと支持を考えて欲しいだとか、その為にこうしたら良いのにとか意見付きで書いてるものをよく見ていたので書きました。
ソシャゲーは人の金を奪う.
この糞煮込み鍋の如きソフトウェアどもはプレイするためにあらゆる手段でリアルマネーを使わせる.基本無料だから云々という文句は受け付けない.なぜならこいつらが行っているのは実質第一種価格差別であり,それは最も効率よく企業が金を吸い上げるシステムであるからだ.
要するに500円で売り切れば500円以上出してもいいと思う人だけがきっちり500円払うのに対して,基本無料で無限に課金させるようにしておけば,100円くらいなら払ってもいいかなという人が0円ではなく100円払ってくれ,5000兆円課金して全部の絵柄が欲しいとぬかす豚は500円でなくちゃんと5000兆円払ってくれるのだ.500円の価値のものに5000兆円.そういうことだ.
おれはゲームが大好きだ.これまでの人生の少なくとも1割はゲームをしている時間だと思う.それくらいに好きだ.
ゲームのプラットフォームは時代とともに移り変わってきた.昔と比べればPCでゲームをするという行為も日本に馴染んできたと思う.しかしそれ以上に,スマートフォンでゲームをするという文化は日本の奥深くまで浸透している.
おれはスマホゲーを批判したいわけじゃあない.スマートフォンの携帯性や利便性とちょっとしたミニゲームの相性は抜群だし,指一本でプレイできる戦略性の高いゲームもたくさんある.
しかしスマートフォンというハードウェアの制約上,そこには間違いなく限界がある.全てのゲームが,スマホがスマホである範疇で快適にプレイできるわけではないのだ.少なくとも今の技術では.格ゲーやFPSをタッチパネルと指でまともに操作できるとは思えない.おまえらはどうせこの一文に対して「ボクたちはできるもん!ぷんぷん!」などと怒りを顕わにするだろうが,トッププレイヤーがスマホ対CS,スマホ対PCで同じゲームを対戦してスマホプレイヤーが勝つと本気で思っているなら病院に行った方が良い.プレイヤースキルは操作性の不自由を絶対に覆さない.
要するに,スマホでゲームを作る以上実現可能なことには限界があって,それを逸脱しようとしてもまがい物にしかならないということだ.
問題は,この国ではまがい物の方が売れてしまうということである.
ソシャゲー.他のゲームから丸パクリした取ってつけたようなゲームに,いつでも制作サイドで換装可能な絵を適当にひっつけ,あとは0.00000000001%の当たりを仕込んだゴミのような宝くじを実装した,それはもうまがい物としか言いようのない廃棄物に対して消費者が金を払うというシステムがこの国では完成している.笑えるような低コストで笑えるほどに利潤が得られるのだから,近視眼的に金を得たい企業が飛びつくのは必然である.
だがそれは逆に,真にゲームを愛し,真にクオリティの高い作品を世に送ろうとする者を殺す.苦労して作ったゲームが売れない.ふざけんじゃねぇよ.
おまえらがドブに捨てた金で本当に楽しく価値のあるゲームをプレイしようという気になっていたならば,もっとたくさんのゲームがその価値を認められていたに違いない.その機会を奪ったのはソシャゲーという巨悪であり,頭を使わず楽して金儲けをする企業であり,それに金を垂れ流すおまえらだ.
ここ数年この国では毎年E-Sports元年を迎えている.競技的にゲームをすることが毎年毎年毎年毎年ちょっとずつちょっとずつちょっとずつちょっとずつ市民権を得てきた.プロゲーマーの処遇に関してもまあ色々と問題があると思うが,それはまあ本題ではないので誰か詳しい人が語ればよい.
何がダメなのか.ソシャゲーとゲームが同値であるこの国において,ゲームの競技性が向上する余地が存在しないということである.
この存在する価値のないデジタルデブリ達は金さえ払えばゲームをクリアさせてくれる.意味が分からない.お前らは何のためにゲームをしているのか.
おれは人生において金に物を言わせショートカットをすることを批判したいんじゃあない.だがこれはゲームである.敢えて言うがたかがゲームである.たかがゲームで楽をして何が嬉しいんだ.
ゲームの目的は何だ.ゲーム体験の楽しさ,クリアによる達成感,ライバルとの切磋琢磨,プレイヤー内でのランキング,そういったものだろう.その過程にリアルマネーの入る余地があってはいけない.Pay2Winはゲームバランスを崩壊させるし,課金による近道はゲームというシステム自体を否定する.金を払うことが気持ちいいなら募金でもしてろ.
しかしながら,金を払うことでゲームをクリアするのが常識になったこの国では「自らの技を磨き,実力一本で強くなろう,人に勝とう」という意識が欠如してしまうのは必然である.
実際には,日本でも少なくない数のプレイヤーが上のようなマインドでゲームをプレイしているだろう.だがその数は,日本という国のゲーム人口や市場規模と比べると驚くほどに矮小だ.なぜなら未だに大多数が,げーむにまじになることを貶め,金の力で達成感を得ることを生業にしているからだ.これでは優秀な競技プレイヤーが一向に増えないのも当たり前だ.どれだけよい品種でも,畑が干からびているなら育つべくもない.
それでもお前らはお目当てのかわいいおんなのこのために金を貢ぎたいと言うかもしれない.だがその貢いだ金はどこに行くのか.クリエイターではない.制作会社だ.お前がかわいいおんなのこにいくら払おうが,そのかわいいおんなのこに魂を吹き込んだ偉大なるクリエイターはびた一文も儲からない.お前がこれまでに失ってきた巨額の資産は,直接クリエイターに絵を描いてもらうために使ったほうが良かったんじゃないか?
はっきり言って,ソシャゲーを根こそぎ刈り取るのは不可能と言っていい.パチンコに貧乏人どもが狂喜乱舞する国で,ソシャゲーとかいう脳を眠らせたまま金を垂れ流しているだけで快楽を得られるカスのような娯楽が流行るのは致し方ない.
ならばギャンブルに倣って規制を行ってはどうか,となるわけだが,ソシャゲーに対してそれを実行するのは非常に難しい.なぜならソシャゲーとそれ以外のゲームの線引きは非常に難しいからだ.
おれは課金制度を批判したいわけじゃあない.世の中には優良な有料DLC()が多数存在するし,それらには追加的に私財を投じる価値がある.だがそれらとソシャゲーの区別は余りに曖昧だ.個々のゲームを見て「これはソシャゲー」「これはソシャゲーではない」を論ずることはできるが,演繹的にソシャゲーの定義付けを行ったとして多数の例外が出ることはまず間違いない.結果的に課金制度そのものの規制につながりかねない.それはよくない.
そもそも一部を除いてソシャゲーは法に背いていない.お前らは自らの意思で合法的にじゃぶじゃぶ金を落としているのであって,それを理に適った大義名分で規制する術などありはしない.そしてそれらと優良なゲームの追加DLCとの間に線を引くことは,実質不可能である.
ご覧の通り,ソシャゲーはまごうことなきクソである.しかしそれと同時に,おれはそのクソをどうにかする術を何一つ提示できなかった.
結局,ソシャゲーという日本にはびこる病霜に対して,おれはほとんど無力だ.だからこうやって叫ぶしかない.
おまえらは、
今すぐ、
ソシャゲーをやめろ。