はてなキーワード: プロヴァンスとは
フランス料理の起源を完全に王侯貴族の宮廷文化に求めるのは短絡的です。フランス料理は、地域ごとに異なる素材や調理法を活かした豊かな家庭料理が基盤にあるのです。例えば、ブルゴーニュ地方のワインを使ったビーフ・ブルギニョンや、プロヴァンス地方のオリーブオイルとニンニクを使ったラタトゥイユなど、様々な地方料理が存在します。
確かに、宮廷料理もフランス料理の歴史に大きな影響を与えています。しかし、フランス革命後に失業した元ベルサイユの料理人たちがレストランを開くようになったことで、それまでの家庭料理や地方料理の技術や知識が広まり、高級レストランで提供されるようになったのです。
つまり、フランス料理は家庭料理や地方料理と宮廷料理の双方が融合し、多様な選択肢が増えていったと言えます。それぞれの価値観やニーズに応じて変化し、進化してきたのが現代のフランス料理です。
[B! 食] 「お腹が空いていないお客様」|黒ワイン|note
発展途上のお客様を大切に暖かく見守る、というのは、わかる一方で、自分ではいいことをいっているように思っているんだろうけど、選民意識が透けて見える、といったブコメの感想にも同意だな。
たかがイタ飯。リストランテって、内心ではこんなに客を見下しているのかと思うと、怖くて行けないよ、と思われても、やむを得ないよ。
トラットリアだろうが、リストランテだろうが、味とサービスで互角に勝負してほしいわ。
それでもリストランテという誇りを大事にしたいなら、完全予約制にしたらどうか、と思ったり。
とはいえ、客に嫌味をいうのが珍しいかといえば、世界的には別に驚くことじゃないだろう。
ヨーロッパ、特にフランスあたりでは、ダメな客は、嫌味どころか露骨に差別されたりするからな。
映画「プロヴァンスの贈り物(2006年英)」で、注文を取るラッセルクロウが、「ねえ、サラダはノンオイルドレッシングにベーコン散らして」とか頼んでいるアメリカ人夫婦に、
メニューを取り上げて、「マックが近くにあるからそっちにいって」と乱暴にあしらって立ち去るシーンがある。
そこまでの経験はしたことはないが、こちらが英語で必死に頑張っても、フランス語でしか対応してもらえなかったことはあった。文句や苦情がでても、店ではなく徹底的に客のほうが悪いという文化のように感じる。
郷に入れば郷に従え、で、居酒屋には居酒屋の作法があり、バルにはバルの、高級レストランには高級レストランの作法がある。
客の立場として、自分の話をする。カネに余裕ができて、ちょっと背伸びしておしゃれなレストランとか行き出した時期のことだ。
10年くらい前に、ひょんなきっかけで、イタリアワインにちょっとした縁ができた。
俺は今でも全く素人なんだけど、知人つながりで、いろいろ機会が増えて、少しずつイタリアンの面白さがわかってきた。
それまでイタリアンとかフレンチなど全く未知の世界だったが、いつのまにか日本のトップレベルあたりで切磋琢磨している様子も垣間見る機会ができるようになった。
就職したばかりのときは、残業続きで、終電間際の駅前の街中華の半額弁当を買うがせいぜいだったので、まるで別世界に入った感じだ。
テーブルマナーは、失敗しながら教えてもらって身に着けてきた。
テーブルマナーはリストランテに行かないと結局身につかないし、わからないから、お店の人に時には厳しいことを言われるのもしょうがないんじゃないかとも思う。
その意味で、冒頭の黒ワインの人のように、温かく見守るような店のほうが、ど素人にはありがたいね。
それ以来、少しだけだが、グルメに目覚めた気になって、日本のみならず、世界の各地でグルメを楽しむようになった。
ヨーロッパのミシュランガイド星付きの店も結構足を運んだよ。ヨーロッパでは特にスペインの星付きレストランのコスパとサービスのクオリティに驚かされた。
どういう店がクオリティが高いのか、自分なりのスタンダードが次第に作られていくのが楽しくて。
俺的には、ペアリングメニューとかマリアージュを経験して初めて、ワインや料理そのものに興味を持てるようになった。
10年前、興味をもつきっかけを作ってくれたソムリエの方は、先月残念ながら、お亡くなりになった。
その意味では、この世界のサービスがどういうものであるかを一番手っ取り早く知る方法は、グルメの知人をもつことかな。
そして、ミシュランガイドに載っている店やその人の勧める店に、その人と行ってみることだと思う。
その理由は、
1.ミシュランガイド(星の数やいくつかカテゴリがあるけど、さしあたりどれでもいい)に載っている店はサービスにハズレがないと期待できる。
2.自信がつく。ちょっとやそっとのことでは、おどおどしなくなる。経験値からサービスを比較することができるようになってくる。
3.知人の紹介する店に連れて行ってもらうことで、作法を学べる。店の人に嫌な顔をされる前に。また一緒に食べることで、料理やワインに興味がわく。それも含めて舌が肥えてくる。
こうして慣れていくと、逆に、だんだんわからなくなってきたことがあった。
それは高級レストランっていったいなんなの?ということだった。
高級レストランがあることは知っているが、その価値がよくわからなくなってきた。高級の定義はなんぞや。
例えば、ミシュラン・ビブグルマンで選ばれている店は、実は高級とか無関係だ。
トラットリアだろうが、カジュアルな店だろうが、洋食和食、ジャンル問わず、うまくてサービスがよくコスパのいい店が選ばれる。
そうしているうちに、次第に気が付いてきたのが、うまい店はミシュランだけではないこと。
ミシュランに関わらず、世の中には、料理や酒に情熱を注いでいるひとがいて、いっぱい埋もれた名店が潜んでいるということ。
家の近所のイタリアンのスタッフと気が合って、最高!ってことだってある。
近年、ミシュラン獲得したけれど、お客様にカジュアルな雰囲気じゃなくなって敷居が高くなったと思われたくないから引き続き、予約はとらない方針でいく、という店もあった。
一方、記念日利用で、初見で高級なお店を選ぶこともあるんだけど、けっこうイチかバチかだ。
最近は、口コミ評判や値段、高級かそうでないかは、ほとんど当てにならないと思っている。
特に、サービスが悪いっていう口コミは、本当に店のサービスのせいなのか、客が慣れていないだけなのか判断がつかない。
それと、例えば東京カレンダーみたいなマガジンがあるよね?デートの利用先に困ったお兄さんが読むアレ。
景色とか雰囲気重視だったら、ああいう雑誌情報は役に立つと思う。高い金出して、雰囲気を買う。
でも味やサービスという点では、、当たりはずれはあると思う。ハズレというのは、コスパ的な意味に結局はなるかな。これで1人2万円はねーだろ!みたいな。
そう思っていても、東カレみてワクワクしながら期待値マックスで行った高級店であればあるほど、ガッカリ感は大きい。勢い、口コミで、その店をくさしてしまうこともあろう。
俺も、ご多分に漏れず、口コミで店の悪口を書いてしまうこともある。ブコメ感覚でね。
でも、そういう口コミを目にした店のスタッフが発奮して、よし!もっといいサービス頑張ろう!と前向きにとらえてくれるとも思えないわけで。
それに、「この店は味が落ちた」だのなんだの書く俺は、自分自身の体調や経験の変化を考慮していないわけで。
ムカついて書いては、しばらくして反省して消す、みたいなことを繰り返しているうちに、口コミ自体やめてしまった。
結局のところ、
今日は撮影の日で、その道では有名な料理研究家の先生が作った料理を、カメラマンと一緒に撮影するために、都内にある先生の料理スクールに行った。
夏のプロヴァンス風料理特集ということで、事前に相談して、いろいろ作ってもらった。
ほんとうに、きらびやかな料理ばっかりで、眼がくらむほどだった。
私はレフ板持ったりとか、雑用のほかに、先生のコメントとりも担当した。
作ってくれた料理を味見しながらの仕事で、ほんとうにおいしかった。
とくに、トマトを中心に、夏野菜がたっぷり入ったプロヴァンス風ラタティーユがほんとうに鮮烈な味で、感動した。
だから、「このラタティーユ、ほんとうにおいしいですねっ!!」といった。
「あ、ラタトゥイユですね! 気に入っていただけでよかったです!」といった。
なにか間違ったことをいってしまったのかな、と思って、ひやひやしながら、パンにつけて食べたら、いっそうおいしかった。
「バケットにつけて食べるとほんとうに味がひきたちますね!!」といったら、
先生はなんだか急にむすっとして、
「ああ、バゲットですね ええ、そうですね」と、急にセリフが棒読みのようになった。
そのあとはなんだかぎくしゃくして撮影が終わった。
後になって調べてみたら、ラタトゥイユとバゲットだったんだね。