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はてなキーワード: 主文とは

2018-08-13

判決を言い渡す

  主                文

        お前は死刑

  理                由

 昭和時代に、ブサイク男だったか国家採用されたものの、

上の者と違い、とりたてて大きな野望もなく、成績も不良で、

仕方なく国家仕事をしていたが、大きな野望を持つ上の者が

人生絶望し、次第に国家から離れ、現在では、かつて下にいた

者が形式的幹部職員になっているだけで、組織全体としては、

何の意味もなく、むしろかつて下っ端だったブサイク男が、若い

日本人嫉妬し、様々な嫌がらせをしているだけと認められ、

組織自体社会にとって癌細胞であって害悪であるからお前は

処刑することとし、主文のとおり判決する。

   平成30年8月13日

      増田地方裁判所刑事11部

                    裁判官   善良な俺

2017-06-29

はてなブックマーク - バニラ・エアに声をあげた障害者に「クレーマー」、広がるバッシングに疑問の声

id:(略)←無知公共交通機関提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできない」https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544

はてなブックマーク - 車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ

貴方敗訴します「公共交通機関提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではある」https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544


https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544

あとになって見つけましたが、「公共交通機関提供している航空会社であれば、身体に障がいのある乗客に対し、身体の状況を事前に告知すべきことを要求することはできないところではある」(大阪高裁平19(ネ)2425、判例時報2024p20)との判例があり、本来原則こちらです。



これなん?

障害者情報を知らされず搭乗拒否控訴棄却のやつ。

身体障害者航空機搭乗についての一考察

http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170629092629.pdf?id=ART0009677741

判例の引き方を知らないか孫引きで長いから流し読みで略しまくりだけど。


(略)

⑵ 本件に至る経緯
①  原告は、平成15年7月30日から同年8月
4日までの日程でタイ王国バンコク)へ
の旅行計画した。

(略)

②  原告は、前記の予約に際して、両上肢及
び両下肢に障害があって車椅子使用する
こと、言語障害があること、同行者はなく
単独搭乗を予定していることを旅行会社に
伝えず、そのため、被告はこれらの情報を
当日まで知らなかった。

(略)

④  同日午前8時50分ころ、被告日本支社
関西国際空港支店空港カスタマーサービ
ス部長である E は、原告及び B らに対し、
原告は介助者の同行がなければ搭乗するこ
とができない旨告げるとともに、その理由
として、原告言語障害があり、意思の疎
通がスムースにできないこと、上肢及び下
肢に障害があることを挙げた。
   B らは E に対し、搭乗拒否理由につ
いて具体的な説明を求めるとともに、原告状態説明するなどして単独搭乗を認め
るよう要望したものの、E は原告単独搭
乗を認めず、結局、原告SQ973便に搭
乗することができなかった。

(略)

  神戸地裁尼崎支部平成19年8月9日で
は、航空会社である被告原告単独搭乗
を拒否したことについて、原告が、本件搭
乗拒否旅客運送契約上の債務不履行であ
り、かつ、公序良俗に反する不法行為であ
るとして、被告に対して慰謝料等を請求し
た事案において、原告には、身体を抱えて
移動させるとともに、緊急脱出を円滑に行
うという客室乗務員にとって対応困難な援
助が必要であるから原告身体状態は、
本件規定安全上の理由があることが認め
られ、被告原告のこのような身体状態
を知ったのは、本件飛行便の出発約2時間であるから被告において、原告身体状態考慮した人的、物的な対応を期待
するのも無理な状況であったと認定し、被
告従業員による留保解除権行使によって
原告単独搭乗を拒否したことは、本件規
定に基づく正当なものであるとして、原告請求棄却した。そこで原告は、一審判
決を不服として控訴した。

2  大阪高裁平成20年5月29日(控訴棄
却・確定)

(略)

⑴  被控訴人の債務不履行の有無について
   公共交通機関提供している航空会社
であれば、身体障害のある乗客に対し、
身体の状況を事前に告知すべきことを要求
することはできないところではあるけれど
も、前記認定控訴人の身体障害の状
態、動作の実情、これまで航空機に搭乗し
た経験等の諸事実に照らすと、時間的余裕
を持って上記の諸事実が被控訴人に知らさ
れていれば、控訴人が単独搭乗することに
ついて必要とされる介助や緊急時の援助態
勢に関する検討をすることは十分可能であ
り、それによって、被控訴人が控訴人の安
全確保に関する不安を払拭できたのではな
いかと推測することができる。
   しかし、E は、控訴人に対し、D からの
前記報告以外に、その情報を一切知らされ
ていなかったために、SQ973便の搭乗手
続直前の段階における D から情報に基
づいて、前記の検討をした結果、上記のと
おり控訴人に対する介助や緊急時における
控訴人に対する援助態勢について不安を持
ち、介助者の同行を求めるという極めて慎
重な態度をとったものであるが、限られた
情報時間的余裕のない中で、E の取った
対応が、航空会社として不合理に過ぎる判
断であったとまでは言い難いものである。
   以上の点を考え合わせるならば、身体障害のある人の積極的社会参加、そのた
めの移動の自由の確保及び旅客航空機の社
会的役割に着目し、客室乗務員乗客に対
し、これまでに述べた意味での適切な援助
を提供すべきであること等を考慮してもな
お、E が留保解約権を行使して、控訴人に
対する本件搭乗拒否に及んだことが、当該
時点において E が認識していた事実関係
のもとでは、不合理であったとまではいう
ことはできない。
   したがって、本件搭乗拒否が E の故意・
過失による違法判断に基づくものとし
て、被控訴人に対し、その債務不履行責任
を問うことまではできないと言わざるを得
ない。
⑵  本件搭乗拒否公序良俗に反するとして
被控訴人に不法行為責任が生じるか否か)
について
  上記の事案の概要等で摘示した本件搭乗
拒否に至った事情及び判断記載のとお
り、E は、控訴人の前記身体の状況や外観
によって控訴人を差別的に取扱い本件搭乗
拒否に及んだものではなく、控訴人につい
ての限られた情報時間的余裕のない中
で、控訴人には単独搭乗を拒否できる前記
特別の援助が必要との判断に基づき本件搭
乗拒否に及んだものであって、このことが
公序良俗に反するとまでは言えず、本件搭
乗拒否について、被控訴人に不法行為責任
を問うことはできない。
⑶  以上のとおりであるから、原判決結論
において相当であり、本件控訴理由がな
い。よって、主文のとおり判決する。

最初ツイートのは平成19年

後のほうのは控訴棄却平成20年。(事件の日は平成15年

これ同じやつかな。

⑴  被控訴人の債務不履行の有無について

   公共交通機関提供している航空会社

であれば、身体障害のある乗客に対し、

身体の状況を事前に告知すべきことを要求

することはできないところではあるけれど

も、前記認定控訴人の身体障害の状

態、動作の実情、これまで航空機に搭乗し

経験等の諸事実に照らすと、時間的余裕

を持って上記の諸事実が被控訴人に知らさ

れていれば、控訴人が単独搭乗することに

ついて必要とされる介助や緊急時の援助態

勢に関する検討をすることは十分可能であ

り、それによって、被控訴人が控訴人の安

全確保に関する不安を払拭できたのではな

いかと推測することができる。

https://twitter.com/ktgohan/status/880081514070892544

で言われてる原則のあとに「けれども」つってなんか色々続いてるけど。

相当な理由があれば障害の内容については要求可、絶対ダメとはならない感じ。

2017-05-30

[]金田@衆院環境団体組織的犯罪集団とは到底考えられない」金田参院環境団体人権保護団体でも組織的犯罪集団になりうる」

国会ウォッチャーです。

 タイトルは昨日の本会議のアレですが、ようやく第一歩を踏み出しましたね。詳しくは今日の東京新聞で()。衆院本会議入りでは、環境団体の結合の基礎としての共同の目的は正当なものだから、組織的犯罪集団にもあたることはないし、処罰対象にもならない、といっていました。ゴールが見えてきたんでこれからアリバイ作りのためにちょっとずつ本音さらしてくると思いますが、看板に関わらず、実態に応じて検挙するし、どんな団体グループだって警察嫌疑を持った段階で捜査対象となる、この事実を認めてもらって、その上で国民判断がどうか、ということなので、クソくだらない「一般人捜査対象にも調査対象にもなりえない」みたいなことで時間を浪費することがなければいいですけど。

参院法務委員会も質疑期間中の林真琴刑事局長入りがいきなり採決

まぁ予想通り。歴史上2例目。委員長公明党:秋野公造議員です。公明党が歯止めになるとか言ってた人たち、よくこの人の議事運営をご覧くださいね公明党はもうただ盲従してるだけだよ。参院民進党の本気度もいまいちわかんない。言うとくけど全然信用しとらんで。まじめに議論してなんか意味あるのかしら?

カナダ共謀罪+参加罪

 海外の共謀罪、参加罪の規定をつらつらと見ています外務省説明によると、カナダ共謀罪がもともとあったのにも関わらず、参加罪を新設したとのこと。

 

共謀罪

 465.1 

 (1)法律で明示的に規定されている場合を除き、以下の規定共謀として扱う。

  (a)カナダ国内外を問わず、殺人または他者に殺人を行わしめることを他者と共謀した者は、公判犯罪での有罪とし、最大で終身刑の責任を有する。

  (b)ある人物にかけられた疑惑を告発することを、当該人物が、実際に犯罪を実行していないことを知りながら、共謀した者は、公判犯罪での有罪とし、以下の責任を有する

  (i)疑惑をかけられた犯罪が、有罪となった場合に、終身刑または14年以内の自由刑記述されている犯罪であった場合、10年以内の自由刑の責任を有する

  (II)疑惑をかけられた犯罪が、有罪となった場合に、14年以下の自由刑記述されている犯罪であった場合、5年以内の自由刑の責任を有する

 (c)公判犯罪であって、(a)、(b)に規定されていない犯罪の実行を、他者と共謀した者は、共謀した別の被告有罪判決を受けた場合、その被告と同等の処罰を受ける責任がある。

  (d)即決裁判処罰可能な犯罪を他者と共謀した者は、即決裁判処罰可能とする。

 

 最高裁判決(1982 R.v.Carter, S.C.R. 938)で示された有罪となる三要件

  1.検察は、共謀存在に関する合理的な疑いを十分に払拭できているか

  2.検察は、被告が確かに共謀メンバーであったと証明できているか

  3.全ての証拠考慮して、被告は、共謀メンバーであったということに対する合理的な疑いを超えて、有罪となるかどうか

 また共謀のもの最高裁判決による要件(1954 R.v. O'brien S.C.R.666)

(1)同意(1980, S.C.R.644によると、同意は暗黙でも良い。犯罪を実行するという共通の目的・意思が合意達することが必要であり、当事者はそれらの目標同意に関する認識必要である共通の目的を持った共通の計画を十分に認識している必要があるが、明示的である必要は無い。)

(2)不法な目的あるいは計画の共有

参加罪

  467.1

  (1)刑法において、以下の規定犯罪組織とする。これは、集団でありながら、組織されており、

   (a) カナダ国内外に関わらず、3人またはそれ以上で構成される集団であり、

   (b)その主たる目的あるいは、主たる活動が、集団あるいはその構成員によって、犯罪が実行された場合に、財政上の便益を含む、直接的あるいは間接的な物質的便益をもたらす可能性がある、促進行為、あるいは1つまたはそれ以上の重大な犯罪の実行にあるものをいう。

ただし単一の犯罪を即座に実行するために構成される偶発的な集団はこれに該当しない。

 重大な犯罪とは公判犯罪であって、刑法あるいは、他の議会が定める法律において、5年あるいは、それ以上の自由刑によって処罰される、集団あるいは、集団構成員によって行われる犯罪をいう。

(2)促進行為

467.11、467.111の目的において、促進行為は、特定の犯罪の実行の促進をしているという認識、あるいは、その犯罪が実際に行われていることは要件にはならない。   

  (3)犯罪の実行とは、このセクション、467.11、467.13において、犯罪を実行する、とは、組織に参加している、あるいは、参加するように相談をすることを言う。

(4)別段の定めにおいて、議会は、(1)に定めた重大な犯罪に該当することを記載することができる

となっていますポイントは法益侵害の高い蓋然性が無い共謀罪対象(cは共謀共同正犯)、は、殺人、あるいは虚偽告発、そして、軽犯罪に限られているということで、このままでは、TOC条約の2条の要請は満たさないでしょう。TOC条約の締結に向けて参加罪を整備したということのようですが、カナダは、ヘルズエンジェルスという暴走族対策として、1997年に、そもそも5-5-5ルール(5人で、5年以上の犯罪を行うことを目的としている組織に参加すると、5年以内の自由刑)と呼ばれる参加罪を成立させています2002年改正されたのは最初の5人を3人に変更したということ、組織的犯罪集団の定義に、物質的、あるいは間接的な物質的便益という部分を追加した、ということ。あと、対象犯罪は5年以上のままである、というところ。4年以下の自由刑、というのは刑法の中ではそれほど多くは無いですが(裁判所命令に従わない、証人その他への脅迫等の存在認知しながら報告しない、保護観察命令下でその指示に違反する、あるいは命令を拒否する、などがとりあえず見つかったけど、特別法は見てない)、条約要請に該当しないと判断した場合、2条の留保なしにserious crimeの定義を4年以上にすることも可能という点。OECDではないですが、マレーシアなどでは、serious crimeの定義は10年以上の自由刑とされていますが、これも2条への留保は無い。これ大事な点だと思いますけど、ちゃんと調べてんのかな。

 参加罪の(b)のほうの限定結構大事で、2004年にこの参加罪の規定憲法に照らして、組織的犯罪の規定が不必要に広く、個人の自由と安全を保障する権利を侵害していないかを争ったのオンタリオ州高裁憲法審判決(R. v. Lindsay 2004, 182 C.C.C.)の中で判断が示されています

組織的犯罪対策の目的は、不正オートバイギャングなどの暴力犯罪を犯す集団と対峙するだけでなく、経済犯罪に関与する団体に対処し、組織犯罪利益の追求を押しとどめる目的もあります。またこの法律は、合法で、非犯罪的な行為に対して適用されるものでもありません。犯罪組織の定義は、グループの主な目的または主な活動の一つが、重大な犯罪の促進あるは実行であることが要件とされています。これは単なる集団活動を規制するものではありません。重大な犯罪の定義には、刑法以外の連邦法にも基づく犯罪が含まれるという事実も正当です。組織化された犯罪は、タバコの密輸や、人身売買有害廃棄物処理などのさまざまな活動が含まれるため、この犯罪の対象として、クローズドリストを設けて特定化することが、対策邪魔をしてしまう可能性があります。その意味で法律は過大なものではないと言えるでしょう。

犯罪組織という用語は、憲法上許されないほど漠然としているわけではありません。この要件は法律で規定されており、議会は、最低人数を3人以上と設定できる、という事実は、この用語の意義を限定していますし、集団共通目的(主たる目的あるいは主たる活動)が、集団あるいはその構成員によって行われる、物質的利益を受ける、少なくとも1つ以上の重大な犯罪の促進または実行にある、と規定されています。この物質的利益という用語はあいまいではなく、物質的、という表現には、重要な、あるいは本質的な、という要件が求められ、この意味で、法的に頻繁に搭乗する用語です。あるものが、この物質的利益に該当するかどうかは、個別のケースごとに判断されますが。これは司法判断手続きとして適切なものであるといえます。また関連する(associated with)という表現も、憲法上許されないほど漠然としていません。この用語は、犯罪組織との関係において、犯罪を実行するものは、たとえ、正式な構成員でなくても、この法律が適用されることを意図して導入されています。この用語は、被告人犯罪組織と関連して刑事犯罪を行うことを要件としています。ある関係性が、この用語の要件を満たすのに十分であるかは裁判所が、事実関係に基づいて判断することになります

ここはまぁそういうだろうなぁというところです。またこの後段では、憲法に違反していない限り(この判決では違反していないと判断)、法律の規定が広すぎるかどうかは、国民代表である議会が決めるべきであり、裁判所がその望ましい範囲について言及することは望ましくない、などとしていますが、面白かったのは、仮説的な例として、どういう場合に組織的犯罪集団になるか、あるいはならないか、というものを挙げているところ。

(b)三人の人が、環境破壊に抵抗するための団体を作った。彼らの主な活動は、環境保護のためのスローガンを、オフィスビル街でスプレー缶で書いて回ることである。彼らはその実行によって逮捕され、いたずらの罰として5000ドル以上の罰金刑を受けた。彼らは少なくとも8回以上同様の犯罪を実行したことが示唆されている。

 彼らは組織的犯罪集団への参加罪が問われるか、というところ。オフィスビル街に落書きして回ること自体は、軽犯罪だけど、それが業務妨害している、などとされると適用可能性が出てくる例。枝野さんの質疑、あるいは今日の糸数慶子さんの質疑で出てきた例に近い。

467.1(1)は、その主たる目的、あるいは主たる活動が、少なくとも一つ以上の重大な犯罪の実行あるいは促進にあること、さらにその実行が、財政的な便益を含む、直接的あるいは間接的な物質な便益をもたらず可能性があるもの対象としている。この環境活動家たちが行った軽犯罪が、なんらの物質的便益をもたらしていないことは明らかであるため、彼らは組織的犯罪集団には該当しない。

これが結構大事なところで。物質的便益の規定が無ければ、彼らは組織的犯罪集団になるわけでしょ。だって除外要件をそれしか挙げてないし、この要件は重要だって主文で述べてるしね。

糸数慶子議員法務委員会質疑

糸数

「(略)沖縄県民は、知事衆参両院国政選挙全てで辺野古の新基地建設反対の候補者を当選させており、新基地建設の反対の意思は、ちゃんと民主主義手続きを経て示してまいりました。ところが政府無視し続けています沖縄県民人権無視、沖縄の自治権無視であり、政府の行為こそが重大な憲法違反であると考えます政府が、県民の意思を無視して、基地建設を強行するとき意思表示最後の手段である抗議行動、座り込みブロックを積む行為、その共謀罪適用対象となるとお考えでしょうか」

安倍

「(終始視線は紙)テロ等準備罪は、組織的犯罪集団が、関与する、一定の重大な犯罪の遂行を計画したことに加え、実行準備行為が行われた場合に、成立するものであります組織的犯罪集団、とは、えー組織的犯罪処罰法のその団体(どの?)のうち、結合関係の基礎としての共同の目的が重大な犯罪を実行することにあるものを言います。そして組織的犯罪処罰法団体とは、共同の目的を有する、多数人の継続的結合体であって、その目的または意思を実現する行為の全部または一部を組織すなわち、指揮命令に基づきあらかじめ定められた任務の分担にしたがって、構成員が一体として行動する結合体により、反復して行われるものをいう、わけであります。その上で、犯罪の成否を具体的に、個別に、事実関係を離れて一概に結論を申し上げることは困難でありますが、あくま一般論として、申し上げれば、ご指摘のような集団団体の要件をそもそも基本的に?どだい?もとより?)満たさない、と思われるうえ、基地建設反対または、基地建設に反対することにより、地域の負担軽減や自然環境保全を目的としており、一定の犯罪を遂行することを目的として、構成員が結合しているとは考えがたいので、テロ等準備罪が成立することはない、と考えております。」

枝野さんの質疑で明らかになった、下部組織として、外部人を含む実行部隊に、2条の団体構成要件は適用されないこととか、衆院議論がまったく反映されないこの繰り返し答弁聞いててむなしいわ。)

糸数

「沖縄の高江では、基地建設に反対して、座り込みを行ったことに対し、全国から機動隊を動員し、多数の市民を負傷させ、また抗議行動のリーダーである山城博治さんをはじめ、多くの仲間を逮捕拘留しました。この山城さんへの不当逮捕拘留は国内外から強く非難されております山城さんは6月にジュネーブで開かれます国連人権理事会で、不当弾圧の実態についてスピーチを行うことになっています沖縄県民からすれば、今回の共謀罪法案は、政府に抵抗する行為を、未然に一網打尽にする意図が明らかにあるのではないかと疑わざるを得ません。このような懸念を払拭できるのでしょうか。」

安倍

テロ等準備罪は、国民生命財産を守るため、テロを未然に防止し、これと戦うための国際協力を可能とする国際組織犯罪条約を締結するための法案であって、ご指摘のような意図はまったくない、と申し上げておきます。」

糸数

日本全体の人口の1%程度の沖縄県民の意思は本土意見にかき消され、無視され続けています安倍総理はご自身への批判に対しては、印象操作はやめてくださいとおっしゃいますが、沖縄県民から見れば、政府が、沖縄県民に寄り添い、丁寧に対応しているかのような、また県民が不当に抗議行動を行っているかのような印象操作こそやめていただきたいと申し上げたいと思います。沖縄の状況は、本土メディアではほとんど報じられることがありません。沖縄のメディアが真実を報じると、それに対する圧力とも取れる発言が、平然と行われております。これは印象操作どころか、情報操作が行われているのではないかといわざるを得ません。なぜかと申します国境なき記者団によりますと、日本報道の自由は74位、先進国では最下位。なぜ沖縄県民が基地建設に反対するかといいますと、太平洋戦争で、唯一地上戦が行われ、県民の4人に1人が亡くなるという状況の中で、平和に対する思いが人一倍いからです。沖縄に基地が集中するがゆえに、再び攻撃対象となる不安があるからです。不安を煽る、安倍総理国会答弁に対して、たとえば、韓国報道官は、自制する必要があると不快感を示しました。仮想的な状況を想定した発言は誤解を招く恐れがあり(目くらましで突然言い出したサリン弾頭のことかな)、朝鮮半島平和や安全に否定的な影響を及ぼしかねないと指摘しておりますナチスヒトラー後継者といわれたゲーリングは、普通の市民は戦争を望まないが、戦争は簡単に起きる。市民は常に指導者たちの意のままになる。それは、自分たち外国から攻撃されているといい、平和主義については、愛国心が無く、国家を危険さらす人々だと公然非難をすればよいだけのことだと述べています。まさに、安倍政権は今、朝鮮有事国民の不安をあおり、反対する人々を、共謀罪で未然に取り締まろうとしていると思えてなりません。(略)沖縄県民は、全ての選挙で、辺野古の基地建設に反対する意思を示しています。その意思を無視して、県民に寄り添っている、とおっしゃるわけですが、そうであれば、県民の不安を払拭し、私たち県民に与えられた唯一の抗議行動、あれだけ多くの県民が座り込んでいます。そして県民の意思を無視して、今日も辺野古の海を埋め立てています。このことは県民の意思ではないと、強く申し上げ、私の質疑を終わります。」

環境保護団体や、基地建設反対、マンション建設反対などの抗議行動(座り込みデモ威力業務妨害)が団体の基礎としての共同の目的となることは、林局長も認めている所だし、昨日の金田答弁で一歩ステップアップしたし(これも安倍さんの答弁とまた一致してないんだよな、こんなんばっかり。)、物質的利益、の縛りもないし、山城さんはじめ、沖縄平和運動センターのような組織は、もうご普通に適用対象になるとしかおもえないんだよなー。

2017-03-22

兵庫県淡路島洲本市で2015年3月、住民5人が刺殺された事件で、殺人罪などに問われた無職平野達彦被告(42)=同市中川原町中川原=の裁判員裁判判決が22日午後4時から神戸地裁で始まった。長井秀典裁判長主文を後回しにして判決理由を先に読み上げたうえで、検察側の求刑通り死刑を言い渡した。

兵庫・洲本5人刺殺、死刑の判決 神戸地裁

はてな村から死刑囚誕生たかと思うと味わい深い。

2016-12-02

[] H24民訴コメント

全体的に丁寧で反省させられました。俺のは雑すぎ・・・

第1

1.

ここまで書く必要があったか、と勉強になりました。

2.

これでばっちりなんだけど、Pが挙げた昭和33年判決言及できるとなおよい。

第2

ここは参加的効力の[Ⅰ]発生要件、[Ⅱ]主観的範囲、[Ⅲ]客観的範囲、という次元の違う3つの点を論じないといけないので、三段論法がぐちゃぐちゃになりやすい。

(1) 答案の「両者に利害対立がある場合には参加的効力は及ばない」ってのは[Ⅱ]の議論

(2) 「その効力は判決理由中の判断についても及ぶ」ってのは[Ⅲ]の議論

(3) [Ⅰ]は補助参加の利益だけど実感に論じる実益は乏しいと書いてあったのでスルーでよいです。

個人的には「要件[Ⅰ][Ⅱ]を満たせば、[Ⅲ]の範囲でCに参加的効力が及ぶ」という書き方をすると三段論法にうまく乗って書きやすいと思う。

2(2)

「参加的効力の生じる範囲問題として処理すべきである」とあってその通り。

ただ、これは民訴学者要件事実論を良く分かってなくて、[Ⅱ]と[Ⅲ]がごっちゃになってしまった黒歴史みたいな話なので、書かなくてもOKす。

3(1)

平成14年判例で「判決主文を導き出すために必要な主要事実に係る認定及び法律判断など」に生じると判示されたので、まるごと暗記しておくといいっす。

3(2)

丁寧で好印象。俺も見習います(てか俺ここ盛大に間違えてるな・・・)。

第3

2(2)

ここは41条3項がポイントなので見といてくだせぇ

2015-06-16

       主   文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用原告負担とする。

       事   実

 原告被告昭和四十三四月一日附でなした稲沢市役所庁舎建設用地収得に関

する専決処分を取消す。被告昭和四十三年五月十一日稲沢市以下略>、〇〇〇

平方米の土地市役所庁舎建設用地として買収するための土地売買契約を締結し金

千万円也の手付金を支出した措置を取消す。訴訟費用被告負担とする。との

判決を求め、請求の原因として、(一)稲沢市役所の位置は同市役所の位置に関す

条例昭和三十三年十一月一日施行第十号)により稲沢市以下略>と定められ

ている外その位置を変更しようとする条例は何等定められていない。(二)しか

被告昭和四十三年四月一曰専決処分をもつて稲沢市条例に定める市役所の位置

稲沢市以下略>)の西方約二千五百米の位置にある稲沢市以下略>その他の

土地市役所庁舎建設用地として買収することを決定し、同年五月十一日これが買

契約を締結し、手付金として金二千万円を支出した。(三)このような被告の措

置は右市役所の位置に関する市条例規定に反し、右買収土地の位置に同市役所

位置を変更しようとするものであることは明白である。従つてこれら被告措置

地方自治法四条第一項の規定違反する違法措置で当然取消されなければならな

い。仮に被告が今後において市役所の位置を右買収土地の位置に変更又は変更しよ

うとする市条例権力盲従市議会議員同意のもとに制定公布したとしても右買収

土地南北約六千米、東西八千米の中心点より西北約千三百米、市民重心点の西北

西約二千三百米、交通の中心名古屋鉄道国府宮駅西方約二千三百米であることを

勘案した場合地方自治法四条第二項の規定の変更等の特別事情の変更のない限

り同条項に反する位置へ市役所を変更しようとする市条例無効市役所の位置に

関する条例であると看做す外なく、右買収土地市役所を変更することは不可能

ある。

因みに稲沢市昭和四十三年度予算において市庁舎建築予算が可決され本件議案が廃

案となつたことをもつて被告市議会議決すべき議案を議決しなかつたとして右

専決処分をもつて右土地売買契約を締結したものであるが本件議案は右買収土

地に市役所の位置を変更する事業実施することの承認を求めるに外ならない議案

であることが明白で市役所の位置を定める市条例違反する処置事業執行承認

を与える議決無意味無効議決であるとして討論採決しなかつた市議会処置

適切である。このような無意味違法議案を市議会議決しなかつたとしてなした

被告の右の専決処分もまた無意味違法処分である。又被告は本件議案提出のため

議会招集の暇がなかつたとしているが右土地の買収契約締結まで四十曰の期間が

あつたので議会招集する暇がないとの理由は成立しない。以上いずれの点よりみ

るも被告地方自治法第百七十九条に示された被告専決処分を容認する事由は見

当らない。かかる違法専決処分により右土地売買契約を締結し手付金として金

千万円を支出した被告措置地方自治法第百三十八条の二並びに地方公務員法

第三十二条規定に反する違法処分であり、いずれも取消を免れない。(四)そこ

原告被告の右契約による公金支出につき稲沢市監査委員に対し監査等の措置

請求したところ七月十八日監査結果の通知(甲第一号証)があつた。原告は右の監

査結果に不服があるので地方自治法第二百四十二条の二第一項の規定により本訴請

求に及んだ。と述べ、被告の主張事実(二)の点を認めた。

 被告主文と同旨の判決を求め、答弁として、請求の原因たる事実(一)、

(二)の各点と同(四)のうち原告より監査請求のあつたことと右監査結果が原告

に通知された点を認め、その余の点を否認し、被告の主張として(一)原告は右監

査の結果に不服があるとしながらその不服事由については何等主張がなく、かかる

具体的事由の主張のない本訴請求は許されない。(二)被告の右の専決処分昭和

四十三六月二十日稲沢市議会において承認可決されたのでもはや専決処分のみの

取消請求は決して許されない段階となつた。と述べた。

証拠省略)(昭和四三年一〇月三一日名古屋地方裁判所判決

       主   文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用原告負担とする。

       事   実

第一、当事者の申立

一 原告

被告原告に対し、金四○〇円を支払え。訴訟費用被告負担とする。」との

判決を求める。

二 被告

主文同旨の判決を求める。

第二、原告の請求原因

一、原告は、訴外株式会社東京スポーツマンクラブの株主で、同会社東京都南多

摩郡<以下略>において経営するゴルフ場府中カントリークラブの正会員である

が、昭和四〇年九月二一日同ゴルフ場を利用したところ、被告地方税法(ただ

し、昭和一年法律第四〇号による改正のもの。以下同じ)第七五条第一項第二

号、第七八条の二及び東京都条例(ただし、昭和一年東京都条例第五四号によ

改正のもの。以下同じ)第四八条の一五第一項第二号、第四八条の一七第二項

規定により、右利用に対する娯楽施設利用税として、原告から金五〇○円を徴収

した。

二、しかし、右娯楽施設利用税の徴収は、以下に述べる理由によつて無効である

(一) ゴルフ場の利用に対しその利用者に娯楽施設利用税を課することを定めた

地方税法第七五条第一項第二号、第七八条の二の規定憲法第一三条違反する。

 憲法第一三条は、個人の尊重生命自由及び幸福追求に対する国民権利の尊

重を規定しているが、およそ人として健全な身体を有し健康を維持するのでなけれ

ば右の権利保障はまつたく無意味であるから国民健全な身体及び健康の維

持・増進を求めて体育ないしスポーツをする自由は、当然同条の保障する国民の権

利に含まれ立法その他の国政の上で最大の尊重必要とするものと解すべきであ

り、このことは、憲法第二五条教育基本法学校教育法等の規定からも明らかで

ある。従つて、体育ないしスポーツ一般的に禁止又は制限することはもとより、

特定スポーツを直接禁止又は制限することも憲法上許されないことは当然である

が、更に、スポーツ自体の禁止又は制限でなくても、ある種のスポーツをすること

に対して課税し、あるいはそのスポーツ性質一定施設必要とする場合に右

施設の利用に対して課税することは、担税能力のない者からスポーツを奪う結果と

なる点において、スポーツに対する間接の制限に外ならないから、かかる課税はや

はり憲法第一三条違反し許されないといわなければならない。ところで、わが国

におけるゴルフは、以前はたしかに一部の富裕者の娯楽とされていた時代もあつた

が、今や老若男女を問わず一般大衆に親しまれ、長期にわたつて人生最高の潤いを

もたらし、青少年体位の向上、老壮年健康の保持等国民一般の希望に密着し、

健全スポーツとして異常な進歩・発展・普及をとげ、ゴルフ人口は二〇〇万人以

上といわれるほどであり、ゴルファを統合する団体も数多く設立され、また、最近

においては、高校大学等でゴルフ部を設けているところが少くなく、ゴルフを正

式の体育の教科としている大学すら存在する。かくて、今日ゴルフは、社会通念上

スポーツとして観念され、これにより国民体位の向上、健康の増進、スポーツ

神の涵養をはかる重要手段とされるにいたつたのである。そうだとするならば、

ゴルフゴルフ場必要なことは明らかであるからゴルフ場の利用に対し娯楽施

設利用税を課することを定めた地方税法の前記規定は、スポーツであるゴルフを間

接に制限するものとして、憲法第一三条違反無効であるというべきである

(二) そればかりでなく、右地方税法規定は、憲法第一四条にも違反する。

 すなわち、スポーツ一定施設の利用を必要とし、かつその利用に対して料金

を支払うものとしては、ゴルフの外にもスケートテニス水泳等があるが、テニ

スコート水泳プールの利用に対して課税されたことはなく、また、スケート場

も、以前はゴルフ場とともに娯楽施設利用税の課税対象施設に含まれていたが、昭

和三二年七月の地方税法改正の際、スケートにはスポーツ性が強いとの理由によ

課税対象施設から除外されたのであり、他にアマチユアスポーツ施設の利用に対

して課税している例をみない。しかるに、等しくスポーツのために利用する施設

ありながら、ゴルフ場だけは依然娯楽施設利用税の課税対象施設として存置され、

その利用者に対してのみ右利用税が課されていることは、明らかに他のスポーツ

利用者との間に税負担の公平を欠くものであり、法の下の平等原則違反する

といわなければならない。

(三) 仮に地方税法第七五条第一項第二号及び第七八条の二の規定違憲でない

としても、本件府中ゴルフ場は右規定にいう「ゴルフ場」には該当せず、少なくと

原告の同ゴルフ場の利用に対しては娯楽施設利用税が課されるべきでない。

 地方税法第七五条第一項各号は、娯楽施設利用税の課税対象施設を掲げ、それが

どのような実体のものをいうかについては格別の定めをしていないが、娯楽施設

用税が娯楽施設の利用に対して課されるものである以上、営利目的をもつて不特

定多数の第三者に利用させ、料金も徴する娯楽用の施設に限ると解すべきであり、

従つて、形式的には右各号に当る施設であつても、社会通念上右のような性質を有

しないようなもの課税対象施設に含まれないといわなければならない。例えば社

法人日本クラブ内にあるまあじやん室や東京弁護士会内にある撞球室をそれぞれ

の会員が利用することに対して娯楽施設利用税が課されていないのはこの故であ

る。ところで、ゴルフ場はいわゆるパブリツク制のものメンバーのものとが

あり、本件ゴルフ場はこの後者に属するがパブリツク制とは、個人又は法人がゴル

フ場を設置し、営業としてこれを不特定多数第三者に利用させて一定の料金を徴

するものであり、その施設の設置には利用者はおおむね関係しないのに対し、メン

バー制は、主に法人主体となつて会員を募集し、入会者から三〇万円ないし三〇

〇万円程度の入会金(保証金としての預り金又は株式払込金)を徴し、それによつ

ゴルフ場施設をつくり、その会員にのみ利用させるもので、会員は利用の都度

若干の利用料金(府中ゴルフ場では二五〇円)を支払うほか、運営費として一定

年会費を納めるだけであり、会員以外の者(ビジターと称する。)は、会員と同

伴するか、又はわずかだけ発行されるいわゆるビジター券を所持する場合に限り、

相当高額の利用料金(府中ゴルフ場では三、五○〇円)で利用を許されるにすぎな

いという仕組になつている。そして、このようなメンバー制のゴルフ場において

は、施設の所有者である会社とは別に、会員によって組織されるゴルフクラブ(カ

ントリークラブ)という法人格なき社交団体があり、理事長常任理事等の役員

おき、会員総会、理事会等によつてゴルフ場の秩序ある運営にあたつており、その

主たる目的ゴルフ競技にあるのではなく、あくまでも会員相互の親睦によつてゼ

ントルマンとしての教養モラルを涵養することにあり、このため、本件府中カン

トリークラブにおいても、会員を選定する手続は厳正で、正会員となるには、まず

前記株式会社東京スポーツマンクラブの株式六○○株を取得し、正会員二名の推せ

んを得て入会を申し込み、理事会がゼントルマンとしての資格の有無を厳格に審

査・選考して入会を決定するものとされている。また、メンバーゴルフ場におけ

ゴルフの競技についてみても、上記の点に重きをおいた厳しい規則が設けられ、

まつたく健全スポーツとなつており、娯楽などというべきものではなく、まして

営利性や射こう性が全然ないことは明らかである

 以上のような諸点からすれば、メンバー制のゴルフ場は、営利のために不特定

数の第三者に利用させることを目的とするものではないし、また、社会通念上も娯

施設といわれるものには当らないというべきであつて、地方税法第七五条第一項

各号に併記されているぱちんこ場、射的場、まあじやん場などのごとき営利本位・

射幸的な娯楽施設とはまつたく性格を異にするばかりでなく、前記パブリツク制の

ゴルフ場とも本質的に相違し、これらと同一に取り扱うことはとうていできないも

である。かように考えると、同条第一項第二号にいう「ゴルフ場」とは、パブ

ツク制のゴルフ場意味し、メンバー制のゴルフ場を含まないと解するのが正当で

あり、少くとも本件のようにメンバー制のゴルフ場をその会員が利用することに対

しては娯楽施設利用税が課されるべきではないといわなければならない(ビジター

が課税されるのはやむをえない)。

三、以上の理由により、被告原告から娯楽施設利用税として前記金五〇〇円を徴

収したことは、なんら法律上の原因なくして原告財産により利益を受け、これが

ため原告に同額の損失を及ぼしたものというべきであるから被告原告に対し、

右金五〇〇円を不当利得として返還すべき義務がある。

 よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

       主   文

本件申請はいずれもこれを却下する。

訴訟費用債権者らの負担とする。

       事   実

第一、当事者双方の求める裁判

一、債権者

債務者昭和四二年四月一日付をもつてした

(1) 債権者aに対する前橋営林局事業部土木課根利林道事業所に配置換する旨

意思表示

(2) 債権者bに対する浪江営林署事業課椚平製品事業所に配置換する旨の意思

表示

(3) 債権者cに対する沼田営林署経営課に配置換する旨の意思表示

は、本案判決確定に至るまでいずれもその効力を停止する。

二、債務者

主文同旨

第二、申請の理由

一、(当事者

 債権者はいずれも農林省林野庁農林技官として、債権者aは林野庁前橋営林局

福島営林署に、債権者b・cは同営林局白河営林署に勤務していた。

二、(被保全権利

(一) 債務者林野庁前橋営林局長n)は、昭和四二年四月一日付をもつて、債

権者aを前橋営林局事業部土木課根利林道事業所に、債権者bを浪江営林署事業

椚平製品事業所に、債権者cを沼田営林署経営課に、それぞれ配置換する旨発令し

同月四日債権者らに対しその旨の辞令交付した。

(二) しかしながら、本件配置換の意思表示は、債務者の不当労働行為であり、

人事に関する権利の濫用として無効である

 すなわち債務者債権者らが組合活動積極的従事している者であることの故

をもつて、債権者らに対して本件配置換を命じ、債権者らに対して不利益な取扱を

し(労働組合法七条第一号違反)、本件配置換によつて債権者らがその中核とな

っている組合青年婦人部、後記学習協議会、同音楽協議会組織破壊し、労働

者が組合運営することを支配し、これに介入(同法第七条第三号違反)したもの

である

 詳言するに、債権者はいずれも全林野労働組合(以下組合という。)の組合員

(1) 債権者aは昭和三八年組合前橋地方本部福島営林署分会青年婦人事務局

長、昭和三九年同分会執行委員昭和四〇年同分会執行委員教宣部長全林野福島

県連絡会議常任委員青年婦人部長昭和一年同分会青年婦人部長に任じ現在

至り、他方昭和三八年一一月以来労働団体集合体にして組合前橋地方本部福島

林署分会がその一員たる福島県労働者学習協議会(以下学習協議会という。)福島

支部全林野代表者として、組合における学習活動の中心となり、分会教宣部発行

日刊紙担当責任者であるとともにその間昭和三九年一〇月から学習協議会福島

支部常任理事となり昭和一年二月から協議会福島支部事務局長として現在に至

り、

(2) 債権者bは昭和三八年二月組全林野前橋地方本部白河営林署分会青年

人部書記長昭和一年四月から六月まで同分会執行委員昭和一年七月から

在まで同分会青年婦人書記長組合前橋地方本部中通りブロツク青年婦人常任

委員に任ずる他方昭和四〇年から昭和一年五月まで組合前橋地方本部白河営林署

分会がサークルの一員となつている白河勤労者音楽協議会(以下音楽協議会とい

う。)の企画委員事業部副部長運営委員事務局長歴任し、組合文化

動に従事してきたもの

(3) 債権者cは昭和四〇年三月組前橋地方本部白河営林署分会青年婦人部副

部長昭和一年七月同分会青年婦人部長に任じて現在に至り、他方昭和四〇年四

から現在まで白河勤労者音楽協議会における組合サークル代表者であるととも

に、同音楽協議会企画副部長として組合文化活動従事してきたものである

が、右組合青年婦人部、学習協議会音楽協議会は、組合活動の中核的存在であ

り、また、組合組織の強化建設維持、文化活動にとつて不可欠の存在である。すな

わち、

(イ) 労働組合にとつて一般にその青年婦人部が組合活動の中心であることは周

知の事実であるがとりわけ、全林野労働組合にあつては青年婦人部が中核的存在

あり、債権者aの所属する組合福島分会においては、組合員総数二八四名のうち

ち、青年婦人部員は八二名を占め、債権者b・cの所属する組合白河分会において

組合員総数一六三名のうち、青年婦人部員は六八名を占める。

(ロ) 学習協議会労働組合員の意識を高め、自覚にもとづく規律によつて労働

組合組織を強化し、民主的組織としての労働組合建設維持するため不可欠の組

織であり、組合においても組合活動重要な一環としてこれを組織運営してい

る。

(ハ) 音楽協議会地方都市における労働組合にとつて重要文化活動であり、

組合員文化的要求の充足、文化水準の維持向上のため不可欠の組織である

 従つて、債権者らを配置換することは組合組織の基盤をゆるがし、組合員組合

運営することを人事移動に藉口して支配し、介入することとなるものである。し

かも、債権者aと同居しているその両親は病弱であり、同じく同居している弟は未

中学校三学年に在学中であり、東京就職したばかりの弟(当一九年)の収入

全く債権者aの家計に入らないため長男である債権者aが一家の支柱で、同人には

現在結婚の予定もあり現任地を離れ遠く群馬県である前橋管内の山深い僻地への

配置換は一家の家族生活経済生活にとつて耐え難い打撃を与えるし、債権者aは、

昭和三五年福島営林署に現地採用されて以来今日まで同営林署に勤務しているもの

であり、また債権者bは、現在地を離れることができない家族事情のため、高等学

卒業白河営林署に採用されたものであり、本件配置換により現任地を離れると

同人小学校三学年以来成人に達するまで養育してくれた病弱の伯母の身辺の面倒

をみることができなくなるばかりでなく、同人には結婚の予定もあるので、本件配

置換は債権者bの一家にとつて、家族生活経済生活両面にわたり堪え難い打撃を与

えるのである

(三) 本件配置換については、次の事実により債務者に不当労働行為意思の存す

ることが明白である。すなわち、

(1) 債務者は次のとおり組合特定部門役員に対し集中して毎年配置換をく

りかえしている。

組合福島営林署分会関係

(イ) 昭和三九年四月一日付をもつて組合福島分会執行委員であつた福島営林署

経営課勤務の農林技官dを富岡営林署経営課に配置換

(ロ) 昭和四〇年四月一日付をもつて、組合福島分会生月年婦人事務局長であ

つた福島営林署経理課勤務の農林技官eを群馬県大間々営林署経理課に配置換

(ハ) 右同日付をもつて、組合福島分会執行委員であつた福島営林署経営課勤務

の農林技官fを群馬県沼田営林署経営課に配置換

(ニ) 右同日付をもつて、組合福島分会青年婦人部長であつた福島営林署経営

勤務の農林技官gを福島営林署水保担当事務所に配置換

2015-05-28

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

2015-05-20

死刑

  主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

8 -

2015-05-19

死刑判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

  • 1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

  • 2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

  • 3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

  • 4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

  • 5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

  • 6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

  • 7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

  • 8 -

2015-05-16

死刑に関するわが国の考え方が伺われる最高裁判決

         主    文

     本件上告を棄却する。

         理    由

 弁護人西村真人上告趣意第一点は「原判決法令解釈を誤りて適用した違法

判決である即ち原判決被告人に対し刑法第百九十九条同第二百条を適用して死刑

の言渡をしたがこれは憲法違反である何となれば新憲法第三十六条は「公務員によ

拷問及び残虐な刑罰絶対にこれを禁ずる」と規定している而して死刑こそは最

も残虐な刑罰であるから憲法によつて刑法第百九十九条同第二百条等に於ける死

刑に関する規定は当然廃除されたものと解すべきである然るに原判決被告人に対

し新憲法によつて絶対に禁止され従つて又当然失効した刑法第百九十九条同第二百

条に於ける死刑規定適用して被告人死刑を言渡したのであるから法令解釈

を誤りて適用した違法判決として当然破毀を免れざるものと信ず」というにある。

 生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる

刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑

である。それは言うまでもなく、尊厳人間存在の根元である生命のものを永

遠に奪い去るものからである現代国家は一般に、統治権の作用として刑罰権を

行使するにあたり、刑罰の種類として死刑を認めるかどうか、いかなる罪質に対し

死刑を科するか、またいかなる方法手続をもつて死刑執行するかを法定してい

る。そして、刑事裁判においては、具体的事件に対して被告人死刑を科するか他

刑罰を科するかを審判する。かくてなされた死刑判決は法定の方法手続に従つ

現実執行せられることとなる。これら一連の関係において死刑制度は常に、国

刑事政策の面と人道上の面との双方から深き批判考慮が払われている。されば、

各国の刑罰史を顧みれば、死刑制度及びその運用は、総ての他のものと同様に、

常に時代環境とに応じて変遷があり、流転があり、進化がとげられてきたという

  • 1 -

ことが窮い知られる。わが国の最近において、治安維持法国防安法陸軍刑法

海軍刑法、軍機保護法及び戦時犯罪処罰特例法等の廃止による各死刑制の消滅のご

ときは、その顕著な例証を示すものである。そこで新憲法一般的概括的に死刑

のものの存否についていかなる態度をとつているのであるか。弁護人の主張するよ

うに、果して刑法死刑規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。

まず、憲法十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対す

国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規

定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉に反しない限りという厳

格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生

命に対する国民権利といえども立法制限乃至剥奪されることを当然予想してい

ものといわねばならぬ。そしてさらに、憲法第三十一条によれば、国民個人の生

命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によつて、これを奪う刑罰を科せら

れることが、明かに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけ

ると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきであ

る。言葉をかえれば、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑執行によつて

特殊社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会防衛せんとしたものであり、また

個体に対する人道観の上に全体に対する人道観を優位せしめ、結局社会公共の福祉

のために死刑制度の存続の必要性承認したものと解せられるのである弁護人は、

憲法第三十六条が残虐な刑罰絶対に禁ずる旨を定めているのを根拠として、刑法

死刑規定憲法違反だと主張するのであるしか死刑は、冒頭にも述べたよう

にまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのも

のが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ

死刑といえども、他の刑罰場合におけると同様に、その執行方法等がその時代

環境とにおいて人道上見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合

  • 2 -

は、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり

はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定され

たとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条違反するものというべ

である。前述のごとくであるから死刑のものをもつて残虐な刑罰と解し、刑

死刑規定憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

 同第二点は「原判決は審理不尽違法がある即ち被告人は本件犯行当時精神障礙

者ではないかとの疑顕著なものがあるこれを記録に徴すると左の如くである(一)

問(裁判長)「先ニ言ツタ様ニ母ヤ妹カ食糧不足ノ事ヲ辛ク当リ被告人カ真面目ニ

カスソレニ米ヲ取ツタ事等喧シク云ツタトシテモソノ為メニ殺スト云フ事ハ普通

人ニハ到底考ヘラレヌ事ダガ他ニ事情デモアツタカ」答(被告人)「他ニハ別ニア

リマセンデシタ」トノ記載(記録第一七七丁表)問(裁判長)「……其ノ原因ハ被

告人ニアルコトテソレガ為メ殺ス気ニナルト云フノハ普通ヘラレヌ事ダガドウカ」

答ヘストノ記載(記録第一七七丁裏)(二)検事はその論旨に於て被告人一見

神ニ異常ヲ来シ居リタルニ非ズヤト疑ハシメルモノアリ云々」との記載(記録第一

八六丁裏)(三)弁護人が弁論に於て被告人は「当時一種ノ精神病ニ冒サレ居リタ

ルニ非スヤトノ懸念ヲ生セシムルモノアリ」との記載(記録第一八七丁表)抑々被

告人の行為当時に於ける精神状態の如何は事実裁判所職権を以て調査を為すべき事

項に属するのであるから本件の如く被告人精神状態に付き顕著なる疑ひある場合

は当然進んで職権を以つて鑑定人の鑑定に附すか又は裁判所自ら之を調査して被告

人の精神障礙の有無、程度を判定し刑法第三十九条に該当するや否やを決しなけれ

ばならぬ、然るに原判決はこの挙に出でず漫然被告人死刑に処したのは審理不尽

の不法あり此の点に於て破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、記録を精査しても、本件犯行に際して被告人精神障礙のあつたことを

疑うに足りる事跡がなく、原審も被告人精神障礙のないことを認めて判決したの

  • 3 -

であるから、原審が被告人精神状態につき鑑定その他の審査をしなかつたとして

も、審理不尽違法はなく、論旨は理由がない。

 同第三点は「原判決判決に示すべき判断を遺脱した違法がある即ち原審に於て

弁護人被告人が「当時一種の精神病に冒され居たるに非ずやとの懸念を生ぜしむ

ものあり」(記録第一八六丁裏)との弁論を為し犯行当時被告人精神に障礙あ

るを以つて法律上本件犯罪の成立を阻却すべき原由たる事実上の主張を為したので

あるから判決は右の主張に対する判断を示すことを要するに不拘此の点に付き特

判断を示すことをして居ないこれは判決に示すべき判断を遺脱した不法な判決

あるから到底破毀を免れないものと信ずる」というにある。

 しかし、原審公判調書によると、原審弁護人は、公判の弁論において、被告人

精神病懸念があることを主張したに過ぎず、刑事訴訟法第三百六十条第二項に規

定する事由があることを主張したものとは解せられないので、原判決がその点につ

いて判断を示さなかつたからとて、判断を遺脱したものとはならず、論旨は理由

ない。

 よつて裁判所法第十条第一号、刑事訴訟法第四百四十六条より、主文のとおり判

決する。

 以上は裁判官全員の一致した意見である

 なお、上告趣意第一点に対する補充意見は、次のとおりである

 裁判官島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同河村又介の各意見

 憲法は残虐な刑罰絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰

あるとすれば、憲法は他の規定死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法

第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科

しうることが窺われるので、憲法死刑ただちに残虐な刑罰として禁じたもの

はいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映し

  • 4 -

て右のような規定を設けたにとどまり死刑永久是認したものとは考えられな

い。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断国民感情によつて定まる問題である

而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時

代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りう

ることである。したがつて、国家文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする

平和社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感

じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定され

るにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条解釈もおのずから制限されて、

死刑は残虐な刑罰として憲法違反するものとして、排除されることもあろう。し

かし、今日はまだこのような時期に達したものはいうことができない。されば死

刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決違法を主張する弁護人

論旨は採用することができない。

 裁判官井上登意見

 本件判決理由としては大体以上に書かれて居る処でいいと思ふが、私は左に法

文上の根拠に付て少しく敷衍して置きたい。

 法文に関係なく只漫然と、死刑は残虐なりや否やということになれば、それは簡

単に一言で云い切ることは出来ない。「残虐」と云う語の使い方如何によつてもち

がつて来る、例へば論旨の様に「死刑は貴重な人命を奪つてしまものたから、こ

れ程残虐なものはないではないか」と云うふうに使う人もある、(仮りにこれを広

義の使い方と云つて置く)しかし、又「残虐と云う語は通常そう云うふうには使わ

ないのではないか、虐殺とか集団殺戮とか或は又特別残酷な傷害とかそう云う様な

場合特に用いられるので、単純な傷害や殺人に対しては余り使はれないのではな

いか」と云えば、そうも云えるであろう(仮りにこれを狭義の使い方と云つて置く)

こんなことを云つて居てはきりがない、我々の当面の問題はこう云うことではない

  • 5 -

ので、具体的に憲法第三十六条の「残虐の刑」と云う語が死刑現代文明諸国で通

常行われて居る様な方法による死刑の意以下同意義)を包含する意味に使われて居

るかどうかと云うことである(我々の問題死刑規定して居る刑法の条文が憲法

第三十六条違反するものとして無効法律であるかどうかと云うことであり、つ

まり同条は絶対死刑を禁止する趣旨と解すべきものなりや否やの問題からであ

る)そしてこれは純然たる法律解釈問題から何と云つても法文上の根拠と云う

もの重要である私は前にも書いた通り残虐と云う語は広くも狭くも使われ得ると

思ふから憲法第三十六条の字句丈けで此の問題を決するのは無理で、法文上の根拠

と云えば他の条文に之れを求めなければならないと思う、そこで憲法十三条は「

すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権

利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重

必要とする。」と規定し同第三十一条は「何人も、法律の定める手続によらなけれ

ばその生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定

て居る、これ等を綜合するとその裏面解釈として憲法公共の福祉の為めには法律

の定めた手続によれば刑罰によつて人の生命も奪はれ得ることを認容して居るもの

と見なければならない、之れと対照して第三十六条を見ると同条の「残虐の刑」の

中には死刑は含まれないもの即ち同条は絶対死刑を許さないと云う趣旨ではない

と解するのが妥当である(即ち同条は残虐と云う語を前記狭義に使用して居るので、

私は此の使い方が通常だと思ふから右の解釈字義から云つても相当だと思う)反

対説は第三十一条は第三十六条によつて制限せられて居るのだと説く、しかし第三

一条を虚心に見ればどうしてもそれは無理なこじつけと外思えない、若し第三十

六条絶対死刑を許さぬ趣旨だとすれば之れにより成規の手続によると否とに拘

はらず絶対刑罰によつて人の生命は奪はれ得ないとになるから第三十一条に「生

命」と云う字を入れる必要はないのみならず却つてこれを入れてはいけない筈であ

  • 6 -

る、盖同条に「生命」の二字が存する限り右の趣旨に反する前記の裏面解釈が出て

来るのは当然であり憲法文句としてこんなまずいことはないからである、他に第

三十六条絶対死刑を禁止する趣旨と解すべき法文上の根拠は見当らない。

 以上は形式的理論解釈である、現今我国の社会情勢その他から見て遺憾ながら今

直ちに刑法死刑に関する条文を尽く無効化してしまうことが必ずしも適当とは思わ

ぬことその他実質的理由に付ては他の裁判官の書いた理由中に相当書かれて居

ると思う。最後に島裁判官の書いた補充意見には其の背後に「何と云つても死刑

いやなものに相違ない、一日も早くこんなもの必要としない時代が来ればいい」

と云つた様な思想乃至感情が多分に支配して居ると私は推察する、この感情に於て

私も決して人後に落ちるとは思はない、しか憲法絶対死刑を許さぬ趣旨では

ないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し

死刑必要としない、若しくは国民全体の感情死刑を忍び得ないと云う様な時が

来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上

裁判官死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはない

のが実状だから

 検察官橋本三関

  昭和二十三年三月十二日

     最高裁判所法廷

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

            裁判官    長 谷 川   太 一 郎

            裁判官    霜   山   精   一

            裁判官    井   上       登

            裁判官    真   野       毅

            裁判官    庄   野   理   一

  • 7 -

            裁判官    島           保

            裁判官    斎   藤   悠   輔

            裁判官    岩   松   三   郎

            裁判官    河   村   又   介

 裁判官藤田八郎は出張中につき、署名捺印することができない。

         裁判長裁判官    塚   崎   直   義

  • 8 -

2015-05-13

日本世間制度

   主    文

     原判決中、被告人らに関する部分を破棄する。

     本件を東京地方裁判所差し戻す。

         理    由

 東京地方検察庁検事正代理岡崎格の上告趣意第一について。

 そもそも憲法一条規定する集会、結社および言論出版その他一切の表現

自由が、侵すことのできない永久権利すなわち基本的人権に属し、その完全なる

保障民主政治の基本原則の一つであること、とくにこれが民主主義全体主義

区別する最も重要な一特徴をなすことは、多言を要しない。しか国民がこの種

自由を濫用することを得ず、つねに公共の福祉のためにこれを利用する責任を負

うことも、他の種類の基本的人権ことなるところはない(憲法一二条参照)。こ

の故に日本国憲法の下において、裁判所は、個々の具体的事件に関し、表現の自由

擁護するとともに、その濫用を防止し、これと公共の福祉との調和をはかり、自

由と公共の福祉との間に正当な限界を劃することを任務としているのである

 本件において争われている昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集

示威運動に関する条例(以下「本条例」と称する)が憲法に適合するや否やの問

題の解決も、結局、本条例によつて憲法保障する表現の自由が、憲法の定める濫

用の禁止と公共の福祉の保持の要請を越えて不当に制限されているかどうかの判断

帰着するのである

 本条例規制対象となつているものは、道路その他公共の場所における集会若

しくは集団行進、および場所のいかんにかかわりない集団示威運動(以下「集団

動」という)である。かような集団行動が全くの自由放任さるべきものであるか、

それとも公共の福祉――本件に関しては公共の安寧の保持――のためにこれについ

て何等かの法的規制をなし得るかどうかがまず問題となる。

をのぞいては、通常一般大衆に訴えんとする、政治経済労働世界観等に関す

る何等かの思想、主張、感情等の表現内包するものである。この点において集団

行動には、表現の自由として憲法によつて保障さるべき要素が存在することはもち

ろんである。ところでかような集団行動による思想等の表現は、単なる言論出版

等によるものとはことなつて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的内外からの刺激、せん動等によつてきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合平穏静粛な集団であつても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躪し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険存在すること、群集心理法則現実経験に徴して明らかである従つて地方公共団体が、純粋意味における表現といえる出版等についての事前規制である検閲憲法二一

条二項によつて禁止されているにかかわらず、集団行動による表現の自由に関する

かぎり、いわゆる「公安条例」を以て、地方情況その他諸般の事情を十分考慮

入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に

講ずることは、けだし止むを得ない次第である

 しからば如何なる程度の措置必要かつ最小限度のものとして是認できるであろ

うか。これについては、公安条例の定める集団行動に関して要求される条件が「許

可」を得ることまたは「届出」をすることのいずれであるかというような、概念

用語のみによつて判断すべきでない。またこれが判断にあたつては条例立法

術上のいくらかの欠陥にも拘泥してはならない。我々はそのためにすべからく条例

全体の精神実質的かつ有機的に考察しなければならない。

る(一条)。しか公安委員会集団行動の実施が「公共の安寧を保持する上に直

危険を及ぼすと明らかに認められる場合」の外はこれを許可しなければならない

三条)。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されて

いる。従つて本条例規定の文面上では許可制採用しているが、この許可制はそ

の実質において届出制ことなるところがない。集団行動の条件が許可であれ届出

であれ、要はそれによつて表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支

えないのである。もちろん「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らか

に認められる場合」には、許可が与えられないことになる。しかしこのことは法と

秩序の維持について地方公共団体住民に対し責任負担することからして止むを

得ない次第である。許可または不許可の処分をするについて、かような場合に該当

する事情が存するかどうかの認定公安委員会裁量に属することは、それが諸般

情況を具体的に検討、考量して判断すべき性質の事項であることから見て当然で

ある。我々は、とくに不許可の処分が不当である場合を想定し、または許否の決定

が保留されたまま行動実施予定日が到来した場合の救済手段が定められていないこ

とを理由としてただちに条例違憲無効と認めることはできない。本条例中に

は、公安委員会集団行動開始日時の一定時間前までに不許可の意思表示をしない

場合に、許可があつたものとして行動することができる旨の規定存在しない。こ

のことからして原判決は、この場合に行動の実施が禁止され、これを強行すれば主

催者等は処罰されるもの解釈し、本条例集団行動を一般的に禁止するものと推

論し、以て本条例違憲と断定する。しかしかような規定不存在理由にして本

条例趣旨が、許可制を以て表現の自由制限するに存するもののごとく考え、本

条例全体を違憲とする原判決結論は、本末を顛倒するものであり、決して当を得

判断はいえない。

若しくは集団行進については「道路その他公共の場所」、集団示威運動については

場所のいかんを問わず」というふうに、一般的にまたは一般的に近い制限をなし

いるから、制限が具体性を欠き不明である批判する。しかしいやしくも集団

行動を法的に規制する必要があるとするなら、集団行動が行われ得るような場所

ある程度包括的にかかげ、またはその行われる場所の如何を問わないものとするこ

とは止むを得ない次第であり、他の条例において見受けられるような、本条例より

も幾分詳細な規準(例えば「道路公園その他公衆自由交通することができる場

所」というごとき)を示していないからといつて、これを以て本条例違憲無効

である理由とすることはできない。なお集団的示威運動が「場所のいかんを問わず

として一般的制限されているにしても、かような運動公衆の利用と全く無関係

場所において行われることは、運動性質想像できないところであり、これを

論議することは全く実益がない。

 要するに本条例対象とする集団行動、とくに集団示威運動は、本来平穏に、秩

序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由行使範囲を逸脱し、静ひつを乱し、

暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであり、従つてこれに関

するある程度の法的規制必要ないとはいえない国家社会表現の自由を最

大限度に尊重しなければならないこともちろんであるが、表現の自由を口実にして

集団行動により平和と秩序を破壊するような行動またはさような傾向を帯びた行動

を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得るようにすることはけだ

し止むを得ないものと認めなければならない。もつとも本条例といえども、その運

用の如何によつては憲法一条保障する表現の自由保障を侵す危険絶対に包

蔵しないとはいえない条例運用にあたる公安委員会権限を濫用し、公共の安

寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力

  • 4 -戒心すべきこともちろんであるしかし濫用の虞れがあり得るからといつて、本条

例を違憲とすることは失当である。以上の理由によつて、上告人の主張は結局正当

なるに帰し、本条例違憲無効とする原判決は破棄を免れない。

 よつて刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条本文に従い、主文のとお

判決する。

判例S29.11.24 大法廷判決 昭和26(あ)3188 昭和二四年新潟県条令第四号違反(第8巻11号1866頁)(新潟県公安条例事件

判例S29.11.24 大法廷判決 昭和26(あ)3188 昭和二四年新潟県条令第四号違反(第8巻11号1866頁)(新潟県公安条例事件

判示事項:一 いわゆる公安条例合憲性の限界

二 昭和二四年新潟県条例第四号許可制公安条例合憲性。

三 適用条例公布並びに施行日時を審理し、判示することの要否。

四 条例土地に関する効力。

五 昭和二四年新潟県条例第四号(公安条例)の属地的効力。

要旨:一 地方公共団体の制定する公安条例が、行列進行または公衆集団示威運動につき、単なる届出制を定めることは格別、一般的許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法趣旨に反するが、公共の秩序を保持し、または公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定場所または方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、これらの行動をなすにつき予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめて、このような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を設け、さらにまた、これらの行動について公共安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せずまたは禁止することができる旨の規定を設けても、これをもつて直ちに憲法保障する国民自由を不当に制限するものということはできない。

二 昭和二四年新潟県条例第四号は憲法一二条第二一条、第二八条および第九八条違反しない。

三 裁判所裁判するにあたり適用すべき条例公布並びに施行日時については、特に必要ある場合のほかは、これを審理し、またはこれに対する判断を判示する必要はない。

四 地方公共団体の制定する条例の効力は、法令または条例に別段の定めある場合若しくは条例性質上、住民のみを対象とすること明らかな場合を除き、法律範囲内において原則として属地的に生ずるものと解すべきである

五 昭和二四年新潟県条例第四号(公安条例)は、新潟県地域内においては、この地域に来れる何人に対してもその効力を及ぼすものであつて、他県の在住者といえども、同県内において右条例罰則にあたる行為をした以上、その罪責を免れるものではない。

参照・法条:

  憲法21条,憲法28条,憲法12条,憲法第12条,憲法第21条,憲法第28条,憲法第98条,憲法92条,憲法94条,昭和24年新潟県条例第4号,昭和24年新潟県条例施行手続刑訴法335条,地方自治法14条,地方自治法2条2項,地方自治法2条3項1号

主    文     本件各上告を棄却する。

         

理    由 被告人弁護人牧野芳夫、同関原勇、同竹沢哲夫、同石島泰、被告人弁護人牧野芳夫、同関原勇の各上告趣意(後記)第一点について。

 原判決の判示するところは、条例は直接に憲法四条によつて認められた地方公共団体立法形式であつて、同条により法律範囲内において効力を有するものと定められているほか、条例をもつて規定し得る事項について憲法上特段の制限がなく、もつばら法律の定めるところに委せられているのであるから法律準拠して条例罰則を設けることは憲法上禁止された事項とは解されないという趣旨であつて、所論のように、条例法律委任があれば刑罰権を無制限に附することができるとか、またはいかなる事項でも無制限に定めることができるというような趣旨を説示したものとは認められない。所論は判示に副わない主張を前提として原判決憲法四条解釈を誤つたと主張するのであつて採用することはできない。

 同第二点第三点について。

 行列行進又は公衆集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民自由とするとこるであろから条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法趣旨に反し許されないと解するを相当とする。しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定条例に設けても、これをもつて直ちに憲法保障する国民自由を不当に制限するものと解することはできない。けだしかかる条例規定は、なんらこれらの行動を一般に制限するのでなく、前示の観点から単に特定場所又は方法について制限する場合があることを認めるた過ぎないからであるさらにまた、これらの行動について公共安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもつて直ちに憲法保障する国民自由を不当に制限することにはならないと解すべきである

 そこで本件の新潟県条例(以下単に本件条例という)を考究してみるに、その一条に、これらの行動について公安委員会の許可を受けないで行つてはならないと定めているが、ここにいう「行列行進又は公衆集団示威運動」は、その解釈として括弧内に「徒歩又は車輌道路公園その他公衆自由交通することができる場所を行進し又は占拠しようとするもの、以下同じ」と記載されているから、本件条例が許可を受けることを要求する行動とは、右に記載する特定場所又は方法に関するものを指す趣旨であることが認められる。そしてさらにその一条二項六条及び七条によれば、これらの行動に近似し又は密接な関係があるため、同じ対象とされ易い事項を掲げてこれを除外し、又はこれらが抑制対象とならないことを厳に注意する規定を置くとともに、その四条一項後段同二項四項を合せて考えれば、条例がその一条によつて許可を受けることを要求する行動は、冒頭に述べた趣旨において特定場所又は方法に関するものに限ることがうかがわれ、またこれらの行動といえども特段の事由のない限り許可することを原則とする趣旨であることが認められる。されば本件条例一条の立言(括弧内)はなお一般的な部分があり、特に四条一項の前段はきわめて抽象的な基準を掲げ、公安委員会裁量範囲がいちじるしく広く解されるおそれがあつて、いずれも明らかな具体的な表示に改めることが望ましいけれども、条例趣旨全体を綜合して考察すれば、本件条例は許可の語を用いてはいるが、これらの行動そのもの一般的許可制によつて抑制する趣旨ではなく、上述のように別の観点から特定場所又は方法についてのみ制限する場合があることを定めたものに過ぎないと解するを相当とする。されば本件条例は、所論の憲法一二条同二一条同二八条同九八条その他論旨の挙げる憲法のいずれの条項にも違反するものではなく、従つて原判決にも所論のような違法はなく論旨は理由がない。 (なお本件条例四条一項は、文理としては許可することを原則とする立言をとりながら、その要件としてきわめて一般的抽象的に「公安を害する虞がないと認める場合は」と定めているから、逆に「公安を害するおそれがあると認める場合は」許可されないという反対の制約があることとなり、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会裁量によつて、これらの行動が不当な制限を受けるおそれがないとはいえない。従つてかかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とすれば、本件条例憲法趣旨に適合するものでないといわなければならない。しかしながらこれらの行動に対する規制は、右摘示部分みを唯一の基準とするのでなく、条例の各条項及び附属法規全体を有機的な一体として考察し、その解釈適用により行われるものであるこというまでもないから、上記説明のとおり結論としてはこれを違憲と解することはできないのである。)

 同第四点について。

 所論は、原審で主張なくまたその判断を経ていないばかりでなく、単に原判決法令違反を主張するに過ぎないから刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお裁判所裁判をするに当り適用すべき法令については、職権をもつて調査する責務があり、条例もこのうちに含まれることは所論のとおりであるが、これらの法令原則として証拠調の対象となるものでないから特に必要ある場合のほか、これを審理し又はこれに対する判断を判示することを要するものではない。従つて原審が本件条例適用するに当り、所論の点につき明示しなかつたからといつて、原審の手続違法があるとはいえない。なお本件条例昭和二四年三月二五日公布同日施行されたことは明らかである。)

 同第五点について。

 所論は、原審で主張なくまたその判断を経ていないばかりでなく、単に原判決法令違反量刑不当を主張するのであるから刑訴四〇五条の上告理由に当らない。 (なお地方公共団体の制定する条例は、憲法特に民主主義政治組織の欠くべからざる構成として保障する地方自治の本旨に基き〔憲法二条〕、直接憲法四条により法律範囲内において制定する権能を認められた自治立法にほかならない。従つて条例を制定する権能もその効力も、法律の認める範囲を越えることを得ないとともに、法律範囲内に在るかぎり原則としてその効力は当然属地的に生ずるものと解すべきである。それゆえ本件条例は、新潟県地域内においては、この地域に来れる何人に対してもその効力を及ぼすものといわなければならない。なお条例のこの効力は、法令また条例に別段の定めある場合若しくは条例性質住民のみを対象とすること明らかな場合はこの限りでないと解すべきところ、本件条例についてはかかる趣旨は認められない。従つて本件被告人長野県の在住者であつたとしても、新潟県地域内において右条例五条罰則に当る行為があつた以上その罪責を免れるものではない。されば原判決には法令違反も認められない)。

 被告人Bの上告趣意(後記)について。

 所論は、量刑不当の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

 よつて刑訴四〇八条に従い主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官藤田八郎の各弁護人の上告趣意第二点及び第三点に関する少数意見を除く外裁判官全員一致の意見である

 裁判官藤田八郎の少数意見被告人弁護人牧野芳夫、関原勇、竹沢哲夫石島泰、被告人弁護人牧野芳夫、関原勇の各上告趣意第二点第三点に関する)は次のとおりである

 行列行進又は公衆集団示威運動公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民自由とするところであるから条例において、これらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的許可制を定めて、これを事前に抑制することは、憲法趣旨に反し許されないと解すべきことは多数説の説くとおりである。又、本件条例四条一項は、その要件として、きわめて一般的抽象的に公安委員会は「公安を害する虞がないと認める場合は」許可を与えなければならないと定めているのであつて、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会裁量によつて、行列行進等の集団運動が不当な制限を受けるおそれがないとは云えないなら、かかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とするものとすれば、本件条例は、憲法趣旨に適合するものでないとみとめなければならないこともまた、多数説の説くところである

 多数説が右のごとき大前提是認しながら、なお、かつ、本件条例をもつて違憲にあらずとする所以のものは、右条例は如上集団行動を一般的許可制によつて抑制する趣旨ではなく「特定場所又は方法についてのみ制限する場合があること」を定めたものに過ぎないからであるというに帰する。そうして、その「特定場所方法」というは本件条例一条中括弧内に「徒歩又は車輌道路公園その他公衆自由交通することができる場所を行進し、また占拠しようとするものとあることを指すものであることは明瞭である

 しかしながら、およそ問題となるべき行列行進又は公衆集団示威運動ほとんどすべては徒歩又は車輌道路公園その他公衆自由交通することができる場所を行進し、又は占拠しようとするものであつて、それ以外の場所方法による集団行動は、ほとんど、ここで問題とするに足りないと云つても過言ではあるまい。右条例掲示のような場所方法による集団行動のすべてを許可制にかかるとすることは、とりもなおさず、この種行動に対する一般的抽象的な抑制に外ならないのであつて、これをしも、場所方法とを特定してする局限的の抑制とするがごときは、ことさらに、顧みて他をいうのそしりを免れないのであろう。

 多数説は、その他に一条二項、六条及び七条に、これらの行動に近似し、又は密接な関係があるため、同じ対象とされ易い事項を掲げてこれを除外していることをあげて、これをも本件条例一般的抑制でない一つの証左としているけれども、一条二項に掲げるところは、「学生、生徒、児童のみが参加し、かつ教科課程に定められた教育の為め、学校責任者指導によつて行う行列行進は許可を要しない」と規定しているに過ぎず、この種の行動のみを除外したからといつて、一般的抑制でないとするに足らないことはいうまでもないのみならず、むしろ、かかる教課的のもの以外の集団行動はすべて許可を要することを明らかにした点において、この規定の反射的効果は強大である。又六条七条規定はこの条例趣旨に関する立法自身独断解釈を宣示するに止まり、―たとえば、この条例をもつて、公の集会等の監督検閲権限公務員に与えるもの解釈してはならない、選挙演説に許可を要するもの解釈してはならない等―多数説のいわゆる「特定場所特定方法」に何物をも加えるものでないことは、その条項の文辞自体からみて極めて明らかである

 以上綜合すれば本条例は、一条二項に掲げられた修学旅行のもの以外の道路公園等で行われる行列行進又は公衆集団示威運動はすべて、必ず事前に公安委員会の許可を受けなければならない、これを受けないで行うとき一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処せられるとするものである。そうして、四条には「公安委員会公安を害する虞がないと認める場合は……許可を与えなければならない」と規定されてあつて、これは多数説のいうごとく、「公安委員会公安を害するおそれがあると認める場合は、許可されないという反対の制約があること」を意味するのであつて、かかる行動の公安を害するおそれあるや否やの判定は公安委員会の極めて広範な―特に何らの基準の定めもない―自由裁量に委ねられているのである

 いうまでもなく、この種集団行動は憲法保障する言論集会の自由に直結するものであつて、これを一般的に禁止し、その許否を一公安委員会の広範な自由裁量にかからしめるというごときことは、憲法趣旨に合するものでないことは多数説の説くとおりであつてしかも多数説が本条例をもつて一般的禁止にあたらないとする論拠の一も首肯するに足るものがないことは如上説示のとおりである

 自分は、多数説が一般的禁止にあらずとするところを是認することができないが故に、多数説の大前提とするところに同調して本条例を以て違憲であると断ぜざるを得ないのである

 裁判官井上登岩松三郎の補足意見は次のとおりである

 憲法は各人の自由保証して居るけれども、それは無制限のものではない。或人の自由な行動によつて他の人のこのエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2015-05-04

二 原告本国韓国)に送還される場合処罰されることが客観的に確実である

かどうかについて

1 この点につき、原告有罪判決を受けたとか或いは起訴されたとか、または逮

捕状が発せられたとかを主張も立証もしないが、しかし、右の場合に限られず、客

観的にこれらと同視すべき程度に処罰の確実性があると認められる事情がある場合

もこれに当たると解すべきことは前示のとおりであるから、この点について検討

るに、成立に争いのない甲第八号証ないし第一一号証、同第二二号証ないし第二五

号証、証人P8、同yの各証言原告本人尋問の結果を総合すれば、つぎの事実

認めることができ、他にこれに反する証拠はない。

 昭和三六年五月一六日、軍事革命によつて成立したP4政権は、同年六月日国

家再建非常措置法を制定して、国会内閣に属していた権力を一手に掌握し、革命

裁判所を設置し、反共体制確立し、これに反対する一切の活動を禁圧するため

に、同年六月二一日前記の特別法を、同年七月四日反共法を、さらに同年九月九

集会臨時措置法をそれぞれ制定、公布した。そして、その具体的実行として、南北

平和統一経済文化交流等を唱導することは、北朝鮮平和攻勢に同調するも

のであつて、右特別法違反するとの方針のもとに、革命裁判所において、昭和

六年八月二八日民族日報事件につき、同社幹部八名に対し、死刑三名を含む重刑の

判決が言い渡され、同年九月二七日革新党幹部六名に対し、懲役一二年等の重刑の

求刑がなされ、同月二九日社会大衆党幹部七名が起訴され、ついで同月三〇日前年

の四月学生革命を推進した民統学連の幹部九名に対し、懲役一五年等の重刑の判決

が言い渡された。さらに、これらのほかにも、多数の国民思想犯として処罰

れ、これらの者の一定親族、知己に対してまでいわゆる連座制しかれ、思想調

査が行われるなど、その取締りはきわめて厳しいものであり、昭和一年末当時、

思想犯関係者の数は五、六万人にも達した。また、日本国から強制送還された者に

対しては、韓国上陸の際、特に北朝鮮との関係の有無について取調べがなされ、

北朝鮮スパイの容疑等で多数が逮捕された。

2 以上認定事実と前示のとおり、原告が行つたeの救命活動反政府的言動で

あるとして、本国韓国)の国政を尊重在日韓国代表部とも連絡のある民団中央

本部幹部から非難され、民団事務局長の職を失うに至つた事実総合して考える

と、原告本国韓国)に退去強制されるときは、本国において、前示の純粋の政

犯罪について相当の処罰を受ける客観的確実性があることを否定することはでき

ないというべきである

三 以上の次第で、原告国際慣習法たる政治犯罪人不引渡しの原則適用を受け

政治犯罪人であるというべきところ、本件処分は、送還先を韓国指定した退去

強制であつて形式上は上来述べてきた本国韓国)への引渡しそのものではない

が、退去強制令書執行は、送還先に送還してなされるものであり(出入国管理

二条三項)、その実質は本国韓国)への引渡しとなんら異なるところはないか

ら、政治犯罪人不引渡しの原則は、本件処分のごとき退去強制にも適用されると解

すべく、したがつて、原告本国韓国)に送還することは、右の国際慣習法に違

反するといわなければならない。ところで、確立された国際法規を遵守すべきこと

憲法八条二項に定めるところであり、同条項の趣旨とするところは、確立され

国際法規の国内法的効力を認めるというにある。それゆえ、右の国際慣習法に違

反する本件処分は、違法であるといわざるをえない。

第五 結論

 よつて、本件処分は取り消さるべきものであるから原告の爾余の主張について

判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容することとし、

訴訟費用負担につき民事訴訟法九条適用して、主文のとおり判決する。

裁判官 杉本良吉 中平健吉 岩井俊)

別紙第一

国家保安法

第一章 罪と刑

一条 (反国家団体構成

 政府を僣称する国家を変乱する目的結社または集団(以下反国家団体と称す)

構成した者は次の区別により処罰する。

一、首魁は、死刑または無期懲役に処する。

二、幹部または指導任務従事した者は、死刑、無期または五年以上の懲役に処

する。

三、それ以外の者は、七年以上の懲役に処する。

二条 (軍事目的遂行

以下省略

別紙第二

特殊犯罪処罰特別法

       主   文

 被告昭和三七年六月二九日付でした原告に対する退去強制令書発付処分は、こ

れを取り消す。

 訴訟費用被告負担とする。

       事   実

第一 当事者の求める裁判

原告

 主文同旨

被告

 原告の請求を棄却する。

 訴訟費用は、原告負担とする。

第二 原告の請求原因

一 原告大韓民国(以下「韓国」と略称する。)人であるところ、昭和二六年四

月一〇日頃勉学のため本邦に密入国し、昭和二七年九月東京大学理学部物理学科に

研究生として入学し、昭和三〇年九月まで同大学において理論物理学を専攻してい

ものであるが、昭和三六年八月頃密入国の容疑で、東京入国管理事務所に収容さ

れ、同月一二入国審査官aより外国人登録令一六条一項一号に該当するものと認

定されたので、右認定に対して口頭審理を請求したが、同年八月一九日特別審理官

から認定に誤りはない、と判定された。原告は、右判定に対し、即日法務大臣

に対し異議の申立てをしたところ、その頃同大から右異議の申立てを棄却され、

同三八年六月二二日主任審査官cから送還先を韓国とした退去強制令書の発付処分

(以下「本件処分」という。)を受けた。

二 しかしながら、本件処分は、以下に述べる理由により違法である

1 原告は、政治犯罪人である政治犯罪人を本国へ引き渡してならないことは、

確立された国際慣習法である。それゆえ、本件処分は、右国際慣習法違反し、ひ

いては、確立された国際法規を誠実に遵守すべきことを規定する憲法八条二項に

違反する。また、本件処分は、逃亡犯罪人引渡法二条にも違反する。

(一) 原告政治犯罪人である

(1) 原告は、昭和三五年九月頃から在日大韓民国居留民団(以下「民団」と

略称する。)栃木県本部事務局長となつたが、右局長として在職中・左記の行為

行つた。

(ⅰ) 昭和三六年四月に行われた栃木県民団本部長の選挙にあたり、P4軍事

権により敵性団体とされている韓国社会大衆党の党員である訴外d(同人韓国

同党から国会議員選挙立候補したが落選した。)を同団長に推薦し、右訴外人

選挙責任者となつて運動一切を指導し、ついに同訴外人を同団長当選させた。

(ⅱ) 韓国社会大衆党の党員であり、かつ、民族日報社を設立して同名の新聞

発行し、南北朝鮮民族の平和統一を主張し唱導していた同社社長の訴外eが、①東

京で元進歩党党首zの助命運動をした、②社会大衆党である、③新聞を発行して

南北朝鮮の平和統一を唱導したことが反国家行為特殊犯罪処罰特別法六条)であ

るとして、昭和三六年六月、P4軍事政権によつて逮捕され、ついで起訴されたの

で、以来その助命運動をした。特に

(イ) 昭和三六年九月初旬頃、日比谷野外音楽堂で同訴外人救命在日韓国人民衆

大会主宰し、その実行責任者となり、東京都並びに栃木県在住の韓国人多数を集

めてP4軍事政権反対、同訴外人死刑反対のアピールをした。

(ロ) 韓民栃木新報の編輯長として、同新聞編集をしたが、昭和三六年九月一

五日号、同二五日号等において、P4軍事政権反対、右訴外人死刑反対の主張をく

り返し掲載した。

(ⅲ) 昭和三六年四月頃、P4政権により敵性団体とされている日本社会党の栃

木県支部から親善を申し込まれたので、団長相談の上右趣旨賛同し、同党が同

年五月頃宇都宮スポーツセンター労働者慰安演芸会を行うにあたり、民団より二

万円を寄附し、その際受け取つた右演芸会の切符二〇〇枚を民団各支部に分配した

が、その分配にあたり、日本社会党政策賛同するよう要請する趣旨文書を添

付した。

(2) 右のように原告は、社会団体重要な職位(民団栃木県本部事務局長)に

いた者で、国家保安法昭和三五年五月三〇日公布、同日施行)第一条政府を僣

称するか国家を変乱する目的結社または集団構成した者-別紙第一)に指定

れた反国家団体韓国社会大衆党、民族日報社、日本社会党)の情を知りながら、

その団体あるいはその活動同調その他の方法でそれを助けた者であつて、特殊

処罰特別法昭和三六年六月二一日公布公布の日から三年六月までさかのぼつ

適用六条(別紙第二)に該当し、又(1)(ⅱ)の行為反国家団体韓国

大衆党、民族日報社)とかその構成員(e)の活動を讃揚、鼓舞またはこれに同

調するとか、その他の方法反国家団体を利する行為をする者、前項の行為をする

目的文書、図画その他の表現物を製作--保管、運搬、頒布、販売--した者

反共法昭和三六年七月四日公布、同日施行)第四条--別紙第三)に該当し、

 さらに、前示(1)の(ⅱ)の(イ)の行為は、集会臨時措置法(昭和三六年九

月八日公布、同日施行)(別紙第四)第一条規定違反して集会を開催した者で

あつて、同法第三条に該当し、いずれも各該当法条に従つて処罰を免かれないもの

である

 ちなみに、韓国刑法によれば、「本法は大韓民国領域外で罪を犯した内国人にも

適用する。」(三条)、「本法総則は他法令に定められた罪にも適用する。但し、

その法令特別規定がある場合例外とする。」(八条)と定められているが、

前記特殊犯罪処罰特別法反共法、集会臨時措置法には、特別規定存在しな

い。

(3) 特殊犯罪処罰特別法は、P4政権によつてその軍事革命を完遂するため、

国家再建非常措置法(昭和三六年六月六日公布、同日施行、別紙第五)二二条

項に規定された犯罪行為処罰するのを目的として」(特殊犯罪処罰特別法一条

国家再建最高会議によつて制定されたものであり、国家再建非常措置法二二条

革命以前または以後の反国家、反民族的不正行為または反革命者を処罰する為

特別法を制定できる」と規定していることからみてもその内容が、政治的色彩の強

ものであることはいうまでもない。

 反共法国家再建最高会議によつて制定されたものであるが、同法一条には「本

法は国家再建課業の第一目標である反共体制を強化することによつて国家安全

危地においやる共産系列活動を封鎖し国家安全国民自由を確保する事を目

的とする」と規定し、その内容と相まつてその政治色をむき出しにしている。

 集会臨時措置法についても、内容自体からみられるとおり反対者の集会を一切認

めないものであつて、前記諸法律と全く同様である

 すなわち、これらの法律は、P4政権がその主張する反共国家体制ないし秩序を

維持強化することを目的とし、その秩序を侵害するか、そのおそれある行為厳罰

に処しようとするものであつて、これにより処罰される行為は、もつぱら政治的

序を侵害する行為というべく、いわゆる純粋政治犯である

(4) これを要するに、原告の前記各行為は、普通道義的または社会的にはなん

非難さるべき行為ではないのであるが、韓国政治弾圧立法である前記諸法律

よりはじめて犯罪とされる、いわゆる純粋政治犯であるから原告は、政治犯

罪人に該当するというべきである

(二) 政治犯罪人不引渡しの原則国際慣習法である

(1) 政治犯罪人については引渡しを行わないということは、現在国際慣習法

上も、条約締結の実際においても学説上も一般に確認されており(横田喜三郎法律

全集国際法Ⅱ一七六頁、高野雄一法律学講座、国際公法一二頁、田村幸策、有

斐閣国際法中巻一五七-一五九頁、一又正雄「密入国政治亡命」ジユリスト二一

八号三六頁-三七頁 英 Oppenheim Lauterpacht,Int

ernational Law I.p.643,米 Hackworth,Di

gest of International Law vol.IV,p.4

6,米 Briggs,The Law of Nations,1952,p.

596,独 H.Siebenhaar,Der Begriff des po

litischen Delikts im Auslieferungsrec

ht,1939,独 H.Gr●tzner,Auslieferung(im 

Strupp-Schlochauer W●rterbuch des V●l

kerrechts Bd.I.,S.1171)独 V.List,V●lke

rrecht,12 Aufl.,S.355.仏 P.S. Papathan

asion,L’Extradition en matj●re politi

que,1954,スイスaul Guggenheim,Trait● de

 Droit international Public,tome I,p.

363-365,一八八〇年オツクスフオードにおける国際法学会議決十三条

ハーバート大学犯罪人引渡条約草案五条一項)、それは決して単なる主義と目す

べきものでないことは明らかである

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