はてなキーワード: 複素平面とは
数学の世界には無限の可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則。
三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。
ドミニク・シュタイナーはベルリンの研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学が絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。
その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女はロシアの数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデルを研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性や論理性を冷静に評価した。
パリでの国際数学会議で、ドミニクは自身の研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉で論理の精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学の普遍性に魅了されているようだった。
発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。
「シュタイナー教授、あなたの理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクスを適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」
ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。
「イワノフ教授、非線形方程式は確かに複雑系の挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学の役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」
「そのリスクは承知していますが、社会変革は非線形な過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます。複雑系の理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」
ドミニクは彼女の意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。
「社会変革が非線形であるという見解は理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデルが必要です。」
「シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学的美学の観点から異なる提案をさせていただきます。リーマン幾何や複素解析の観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります。特に、複素平面上での調和関数の性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定のパターンや法則が見出せるかもしれません。」
「タカハシ教授、あなたの視点は興味深いものです。調和関数の性質が社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデルを提示していただけますか?」
「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性があります。リーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的なエネルギーを視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができます。エネルギーの収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」
「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系のシミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」
「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系のシミュレーションと補完し合う可能性です。単独のアプローチでは見落とされがちなパターンや収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」
三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。
一方その日のパリは過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。
複素ウィグナー・エントロピーと呼ぶ量は、複素平面におけるウィグナー関数のシャノンの微分エントロピーの解析的継続によって定義される。複素ウィグナー・エントロピーの実部と虚部はガウス・ユニタリー(位相空間における変位、回転、スクイーズ)に対して不変である。実部はガウス畳み込みの下でのウィグナー関数の進化を考えるときに物理的に重要であり、虚部は単にウィグナー関数の負の体積に比例する。任意のウィグナー関数の複素数フィッシャー情報も定義できる。これは、(拡張されたde Bruijnの恒等式によって)状態がガウス加法性ノイズを受けたときの複素ウィグナーエントロピーの時間微分とリンクしている。複素平面が位相空間における準確率分布のエントロピー特性を分析するための適切な枠組みをもたらす可能性がある。
激レアさんにてモテたくて猛勉強して東大に入ったがモテなくて通学しながらホストになった話をやっていた。
この手のテレビの企画で定番なのが、いかにも頭のいいことやらせてスタッフには全然理解してない合いの手を入れさせることだが、今回は複素関数の積分で、東大生が定理の適用の仕方を語ってるところにスタッフが「なるほど…」と理解してなさそうなトーンで言っていた。
しかし東京大学の学生にしては簡単なことやってるなーと違和感があった。
計算用紙も見たがもろ
https://eman-physics.net/math/imaginary11.html
のあたり扱ってる内容で、このサイトを複素関数論から読み始めれば理系マーチに入れる学力なら複素平面終えたての高校生でも数日で計算できるようになる内容だろう。
なんだろう、むしろスタッフがわからないふりをしてるというよりも、むしろスタッフ側が複素関数の積分ぐらい知っててこれ東大生に言わせたらいかにもって感じじゃねって考えてて、むしろスタッフの方から東大生に何を言わせるか提案してると考えた方が自然に思えた。東大生におまかせしちゃうとそれこそゲージ理論と多様体の話とか難しさに際限がなくなっちゃうから…ってそれでも問題なく思えるんだど、とにかく東大生が勉強してると言ってる内容にしては簡単すぎて不自然に感じたのだ。
俺がすごいと思ったのは仕事中に他のホストが今どれぐらい売り上げてるか頭の中で計算して記憶してるって話。自分のワーキングメモリじゃ不可能だわ…
↓どこの大学よ
経済学部の文系の人でも、リーマン曲線の概念を理解することは可能です。ただし、リーマン曲線は数学的に高度な概念であり、複素解析幾何学や代数幾何学などの専門的な数学分野における概念であるため、学習には時間と努力が必要です。
リーマン曲線を学習するためには、まず複素数や複素平面などの基礎的な概念を理解する必要があります。その後、代数幾何学や複素解析幾何学の基礎的な知識を身につけることが望ましいです。これらの分野は、経済学部で必修科目として扱われることは稀であり、自己学習や別の学部や大学院での履修が必要となる場合があります。
しかし、経済学部の文系の人でも、リーマン曲線が経済学において重要な役割を果たしていることや、リーマン曲線を用いた代数幾何学的手法が経済学に応用されていることを理解することは可能です。また、経済学において重要な概念やモデルを理解するためには、数学的な知識を身につけることが役立つため、数学的な概念に対して理解を深めることは重要です。
ここでいう「ユークリッド幾何学」とは、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの解析的手法を用いないいわゆる総合幾何学のことです(*1)。2020年8月現在の高校数学のカリキュラムでいえば、「数学A」の「図形の性質」に該当する分野です。
ユークリッド幾何学が不要だと思う理由は単純明快で、何の役にも立たないからです。大学に入って、「補助線を引いて、相似な三角形を作って~」とか「コンパスと定規による作図」みたいなパズルゲームをやることは絶対にありません(*2)。これは常識で考えても分かると思います。たとえば工学の研究で、ある物体の弧長や面積などを測定しなければならないとして、ユークリッド幾何学の補助線パズルが適用できる多角形や円などしか測れないのでは話になりません。一方、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの手法は一般的な現象を記述する上で必ず必要になります。
もちろん、たとえば三角比を定義するには、「三角形の内角の和は180度である」とか「2角が等しい三角形は相似である」といった初等幾何学の性質が必要になります。そのようなものを全て廃止せよと言っているわけではありません。しかし、高校1年生で習う余弦定理:
を証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学の問題は解けます。それ以降は、ユークリッド幾何学的な手法や問題設定にこだわる必要はないと思いますし、実際それで問題ありません。
現状、少なくない時間がユークリッド幾何学に費やされています。数学の1単元を占めているだけではなく、その他の単元にもユークリッド幾何学の発想に影響された例や問題が多く登場します。たとえば、複素平面において4点の共円条件や垂直二等分線を求めさせる問題など。そして最も労費されているのは生徒の自習時間です。以前よりマシになったとはいえ、大学入試等には技巧的な図形問題が出題されるため、受験生はその対策に多大な時間を費やしています。
高校数学では以下のような事項が重要だと思います。ユークリッド幾何学を学ばせている時間があったら、このような分野を優先的に修められるようにすべきです。
これらの分野は数学の手法としても非常に強力ですし、大学以降で数学を学ぶ際、現実的な問題を数学や物理の問題として正確に記述する際に必ず必要になります。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で応用されるとしても、微分積分などと同レベルに重要だと真剣に主張する人っていらっしゃるでしょうか?
ユークリッド幾何学を初等教育で教えるべきだとする根拠には、大雑把に言って以下の4つがあると思います。
まず①は明らかにおかしいです。ユークリッド幾何学に限らず、数学のあらゆる命題は証明されるべきものだからです。高校の教科書を読めば、相加平均・相乗平均の不等式、点と平面の距離の公式、三角関数の加法定理、微分のライプニッツ則や部分積分の公式など、どれも証明されています。そもそも、数学の問題はすべて証明問題です。たとえば、関数の極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であるかそうでないかを定義や既知の性質に基づいて示す必要があります。したがって、ユークリッド幾何学だけが特に証明の考え方を学ぶのに有効だという理由はありません。
②もおかしいです。図形問題を扱うのはユークリッド幾何学だけではないからです。ベクトルや微分積分でも図形問題を扱います。たとえば、三角形の5心の存在や、チェバの定理、メネラウスの定理などはベクトルを用いても容易に示すことができます。また言うまでもなく、曲線の接線は微分で求めることができ、面積や体積は積分で求めることができます。また、ユークリッド幾何学の手法は問題ごとに巧い補助線などを発見しなければいけないのに対し、解析的な手法は一般に方針が立てやすく汎用的です。したがって、図形問題を扱うのにユークリッド幾何学の手法にこだわる理由はありません。
③は単なる個人の思い込みであり、科学的な根拠はありません。そもそも、数学教育の目的は「地頭」などを鍛えることではなく、「大学や実社会において必要な数学の素養を身につけること」のはずです。また、これも上ふたつと同様に「ユークリッド幾何学以外の数学では、『数学的直観』などは鍛えられないのか」という疑問に答えられておらず、ユークリッド幾何学を特別視する理由になっていません。
④もおかしいです。そもそも「歴史的に重要である」ことと「初等教育で教えるべき」という主張には何の関係もありません。歴史的に重要ならば教えるというなら、古代バビロニア、インド、中国などの数学は特に扱わないのはなぜでしょうか。もっと言えば、文字式や+-×÷などの算術記号が使われ始めたのでさえ、数学史的に見ればごく最近のことですが、昔はそれらを使わなかったからといって、今でもそれらを使わずに数学を記述するべき理由があるでしょうか。
数学で重要なのはその内容であるはずです。ユークリッド幾何学を擁護する論者は、「(表面的に)計算問題に見えるか、証明問題に見えるか」のようなところに価値を置いて、一方が数学教育的に有意疑だと見なしているようですが、そんな分類に意味は無いと思います。
大昔は代数の計算や方程式の解法(に対応するもの)は作図問題に帰着していたようですが、現代でそれと同様の手法を取るべき理由は全くありません。記述する内容が同じであれば、多項式や初等解析のような洗練された方法・重要な結果を導きやすい方法を用いればよいに決まっています(数学史家は別として)。同様に、ユークリッド幾何学も、解析的な手法で解ければそれでよく、技巧的な補助線パズルなどに興じたり、公理的な方法にこだわる必要はありません。
たとえば、放物線は直線と点からの距離が等しい点の軌跡として定義することもできますが、初等教育で重要なのは明らかに2次関数のグラフとして現れるものです。放物線を離心率や円錐の断面などを用いて導入したところで、結局やるのは二次関数の増減問題なのですから、最初から2次関数のグラフとして導入するのは理にかなっています。数学教育の題材は「計算問題か証明問題か」などではなく、このような観点で取捨選択すべきです。
三角比などを学んだあともユークリッド幾何学を教えたり、解析的な手法では煩雑になるがユークリッド幾何学の範疇ではエレガントに解けるような問題を出して受験生を脅したりするのは、意味が無いと思います。それは、「掛ける数」と「掛けられる数」を区別したり、中学で連立方程式を学ぶのに小学生に鶴亀算を教えるのと同様に、無駄なことをしていると思います。
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(*1)
現代数学では、n次元ベクトル空間R^n = Re_1⊕...⊕Re_nに
(e_i, e_j) = δ_i,j (クロネッカーのデルタ)
で内積が定義される空間上の幾何学はすべてユークリッド幾何学に分類されます。したがって、上にあげた座標空間、ベクトル、微分積分、一次変換なども敢えて分類すればユークリッド幾何学です。しかし、ここではその意味でのユークリッド幾何学が不要と言っているのではありません。飽くまでも、技巧的な補助線問題や、公理的な方法にこだわることが不要だと言っています。
(*2)
数学科の専門課程で学ぶガロア理論では、コンパスと定規による作図可能性が論じられますが、これは「作図問題にガロア理論が応用できる」というだけであり、「ガロア理論を学ぶのに作図の知識が必要」というわけではありません。
( 'τ') …
!たうたう星人も呆れて絶句!
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たうたう星人 とは…
・好きな文字 … τ (タウ)、 すなわち、円の半径と円周の長さ の比、 (τ=2 π )
・好きな数式 … 円の面積 A (Circle) = π * r^2 = 1/2 * (τ r^2)
円の面積では、係数の 1/2 が出てきており、ここがお気に入り。
1/2 が目に見えるおかげで、 円の面積は 「rの一次式」 を積分した結果 だと15歳のくそガキでも直感的に分かる。
経歴
円周率であるπを憎んでおり、2010年から学会で以下のように主張しつづけている。
それよりも、円周率を 半径と円周の長さの比で表現した τ の方が合理的だ。
理由 1. 円周を積分したら 1/2 の係数が出てきて目にみえること。 πでは この係数が消えてしまう。
理由 2. 複素平面上の回転操作では 1回転(360度)することで元の位置に戻る。よって1回転が基本単位だ。
しかし、現実に複素平面における 360度の回転操作は、 π を使うと 2π(rad) となり係数 *2 をつける必要がある。
ここで τ を使えば τ (rad) となり、係数の *2 を付ける必要がない。 1回転の操作 は 1τ 。
(数学1A2Bは高校でも大学受験でもやり、またⅢも文系クラスでも何故か最初(楕円と複素平面)だけやらされた状態です。
まあそういうのに関係なく復習的な段階や数Ⅲの基礎は前提ということでやろうと思います……指摘を見て、確かにそもそもまずは高校数学っていうのも大事だと身にしみました。)
ええと、統計のためだけならちょっと高校数学やるだけだし、みたいな発言を見てそう思ったのだとしたら、それもちょっとずれてるな、と。
楕円とか関係ないし。
でも、常日頃から大学では文系もこれからは数学が大事って言われるし、必修で課せられる統計学では、線形がどうたらとか出てくる。
自分でもいろいろやってみようと思ったが、何をすれば良いのやらよくわからない。
とりあえずとある事情で有名な杉浦先生の「解析入門」を見てみたが、流石に文系が独学でどうにかできるようには思えなかった。
理工学部の大学図書室へ行っていろいろ見てみたが、なかなか理解できそうなものはない。
世界史を学びたい場合、高校の教科書と「ガチな」専門への橋渡しとして、中央公論の「世界の歴史」が良いと思っているが
それにあたるものは数学にはあったりしないのでしょうか、と……
様々な書籍の紹介などを頂いたので、参考にしていろいろやってみようと思います。
実は当初、本来は理系学部の「線形代数」とかの履修でやろうと思いましたが、
理系の授業の聴講は、制度上はできるが理系学部までの距離などを考えると時間割上厳しいという感じでした。なので自力で本を読んだりするしか無くこうなったという感じです。
あとご指摘のどおりいわゆる文系しかない大学ではなく、単に自分が文系なだけで大学全体としては総合大学です。適当な表現ですみませんでした。
(数学1A2Bは高校でも大学受験でもやり、またⅢも文系クラスでも何故か最初(楕円と複素平面)だけやらされた状態です。
まあそういうのに関係なく復習的な段階や数Ⅲの基礎は前提ということでやろうと思います……指摘を見て、確かにそもそもまずは高校数学っていうのも大事だと身にしみました。)
先生「同士の過去形・過去分詞形は後ろにedをつけるんだぞ。」
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
こんな後出しルールばかりの世紀末教科ができる人は、こういう理不尽なルール変更みたいなの大丈夫な人なんだろうな。
いったい英語が楽しいって奴は何が面白くて英語の勉強ができるのか...
だけどな、数学を見てみろよアイツは正直だ。信用できる。
先生「んほおおおおおおお? x=±iでぇええ❤関数が複素平面をちゅらぬぃてるのおおおお"お"お❤❤❤❤!!!」
先生「抽象空間しゅきぃ~❤ 矢印も関数も❤!ぜんぶベクトルなのぉぉ❤❤!!」
「公理をっ❤満たすのっ❤ぜーんぶ❤ベクトルッひゃ❤なのんっほぉおお"お" ~~~っっっ❤❤❤❤!!!! 」
この違い、お分かりいただけただろうか。
RPGの戦闘のおやくそくをうまく説明するための公理系を考えてみました。
分かりやすい例として、随所でファイナルファンタジーをサンプルに挙げてます。
などが挙げられる。
生身の人間がコックピットでロボットを操縦しているような場合は、操縦者とロボットを一括りにして一つの生命体として取り扱う事もできる。
それぞれの生命体が持っている、戦闘行動を遂行するために必要なエネルギーのこと。
生命力は実数で表される。後述の「アンデッド」のように、負の生命力を持つ生命体の存在もありうる。以降の説明で「生命力」という言葉が出てきたら、数直線上のとある一点を表しているものと想像して欲しい。
通常の生物は代謝や呼吸によって生命力を維持するが、戦闘ロボットなどは電力・燃料などが生命力の源であると考えることが出来る。
生命力は、正(アンデッド以外)および負(アンデッド)の値を取りうるが、HPはその絶対値として表されるため、常に正の値となる。
運動エネルギー(物理攻撃)・熱エネルギー・電気エネルギー・化学反応(毒などのステータス異常攻撃)等の影響で生命力が削られて、HP(生命力の絶対値)が減少すること。
生命体に対して斬撃など何らかの攻撃を当てた場合、それが通常の生物であってもアンデッドでもダメージを与えることに変わりはないが、それは絶対値に対して影響を及ぼしているため。
生命体が、自身の生命力を失って戦闘行動を遂行できなくなった状態。
ダメージを受けて生命力が推移した結果、生命力が数直線上の原点(0)に一致するか、または原点を通過した(プラスからマイナス、あるいはマイナスからプラスに移動した) 際に成立する。
アンデッドは負の生命力を持つため、これらの効果はダメージとなる。
(タクティクスオウガの「マーシーレイン」のように、アンデッド・人間両方のHPを回復できる魔法も存在するが、これは「負→正の遷移」ではなく「生命力の絶対値を上昇させる」現象とみなすことができる)
上記とは逆に、生命力を正から負の方向に推移させる効果を持つ。そのため通常の生命体にとってはダメージだがアンデッドにとっては回復手段となる。
対象の生命力を、「その生命体の最大HP」の量だけ、正から負の方向に推移させる効果を持つ。
そのため通常の生命体にとっては「即死」という効果として現れるが、アンデッドにとってはHP全快という結果になる。
正の生命力を持つ生命体に対して、生命力を「マイナス1」だけ掛け算する効果を持つ。
これは数直線上を移動するのではなく、原点を軸として180度回転するという演算になる。
原点を通過するわけではないので戦闘不能扱いにはならず、自身のHP(=生命力の絶対値)もそのままとなる。
対象の生命力を正から負の方向に推移させ、その結果生じたダメージの量だけ自身のHPを増加させる行為。
アンデッドに対して行使した場合、生命力が正から負に推移することで発生するダメージ量は負の値となるので、自身のHP増加量も負の値となる。(つまり自分がダメージを受けて相手が回復する)
もしも複素数の生命力を持つ生命体が存在するとしたら、どんな現象が発生しうるか?
http://anond.hatelabo.jp/20140506144603
これだけのものを「ちゃんと」読めば、そりゃあなんとかなるでしょう。
しかし、何万円になるんだ。
高校時代からの友人で、東大に行った奴がいるのだが落ちぶれすぎていて痛い。
思えば入学すぐのゴールデンウィークあたりからもうおかしかった。
大学は自分で勉強する所とか言って講義にもろくに出てないとか、教授や先輩がいかにバカかを熱弁していた。
2年目の夏ぐらいから2ちゃんねるまとめを自動生成するシステムを作るとか言い出していろいろやっていた。
β版発表会とか言って、仲間内を集めてお披露目会をしていたが、ただのPHPを使った動的ウェブページで、
ソースを見たらオブジェクト指向はおろかサブルーチン呼び出しすらろくに理解していないようなウンコードだった。
これじゃスパゲッティになって開発続かないだろと思ったからそう指摘したら、
そんなもの俺には必要ない、お前らとは頭の出来が違うの一点張り。
文系に行った奴らはだまされてたみたいだが、プログラミングが分かる仲間はみんな(^^;)って顔になってた。
結局完成しなかったらしい。
この間久しぶりに会って、就活や勉強の話になったらもうひどいのなんの。
そいつもIT系なのに、流行りの技術はおろか、基本的な知識もない。
関数型言語を勉強していると言ったら時代はアセンブラだと言い返したり、
じゃあアセンブラでどんな開発したのと聞けば、なぜか古文の助動詞や複素平面の話になっていた。
古文は分からないけど、複素関数なら習ったからコーシー・リーマンの関係式の話でもしようとしたら、
遮って東大の過去問の、数学的には低級な話にもっていって、最終的には俺の知識の無さについての話になった。
それを聞いて、あぁ、こいつはダメになってしまったんだな、と思った。
所詮、高校までの勉強が俺よりマシな程度にできるだけだったというのに。
信頼とか友人らしい感情はもはや無い。
すごいめんどくさい話で大雑把に書くんだけど、物理屋なんかでわかってないことはたくさんあって
なんかしらないけど、そうなるから、そうしてる。みたいなことは沢山ある。
そのなんかしらないけど、そうなるから、そうしてる。に対してどういうアプローチをしていくか?というのが、凡人に出来る精一杯。
√-1を 平面上に展開して複素平面でというのはかなり高度なアイデアだけど
物理で出てきた時に、なんかしらないけど、そんなパラメーター。という風に、わからないけど、使える。アプローチできる。
(実際には習うけど)中学では√-1って存在しないって教わったけど、いいや、このまま使っちゃえと思えるかどうかが、発想力。
実際問題、中学1年ぐらいの 2次方程式の解の公式でも虚数は出てくるけど、存在しないって教える。
でも、存在しないって教えるのは虚数が高校生の範囲だから便宜上そう教えてるだけで 実際はあるし√-1って書いても何の問題もない。
数学やってる奴ならiって書かなくても√-1って書いてアレば 人間なんだから意味はわかる。
という、このアプローチ力を鍛えてないとだめなんじゃね?と 解き方を知ってる問題をとけるのは、犯人を知ってる推理小説の冒頭で犯人を言えるのが当たり前みたいなものだ。
問題等のは 解き方を知らないのに、解ける(実用上問題のない近似値が出せる)というところが、最も重要。