はてなキーワード: 作品性とは
11水先案名無い人2012/12/09(日) 19:24:36.89ID:6+ES5Qvf0
■腐女子の特徴1
・語尾に「~なんでしょ?」「~ば?」などの威圧的な言葉を良く使う。
・煽るとき文末に大量の「w」を入れる。「~(ry」を多用。自分の意見に自信が無い証拠。
・「おおむね同意」「禿げ上がるほど同意」と意見や嗜好の一致をやたらと強調し、お仲間を作りたがる。
・注意されたり叩かれたりすると「嫌腐厨」「腐女子認定厨」等と、無理矢理な造語で責任転嫁を試みる
・黙っていればいいのに、「私女だけど、一緒にしないで!」と自己申告。アタマ一つ抜けたがる。
・煽り合いにも「ロリ」「デブ」「不細工」「モテない」「童貞」などといった悪口を使う。
・排他的意識が強く、自分に意見や注意をする相手を躍起になって排除しようとする。
・レスのタイミングは必ず「後出しジャンケン」。先手は取れない。
・相対的希薄化の例として「キモヲタもどっちもどっち」「2ちゃんにいる時点で漏れも藻前も痛いがな」などと、
同じ穴の狢定義をして自分のみっともなさをうやむやにしようとする。
・一般人にも嫌われている事実を認めたくないが為に「どうせキモオタが」「ヒキヲタニート」と、あらかじめ相手をキモオタ認定。
・絶対に自分だけが悪者になるのは耐えられず、どうあっても誰かを巻き込もうとする。
・「モチツケ」が得意。相手が平静を失っていると決めつけ、まずは精神的優位に立ち、
『荒れた場をなんとかしようとする親切な大人のお姉さん』になりきろうとする。
・だが持論を反論され、更に脊髄反論を試みる時もやっぱり第一声は「モチツケ」。自分が一番落ち着いていない。
12水先案名無い人2012/12/09(日) 19:45:04.09ID:6+ES5Qvf0
■腐女子の特徴2
・スレの題材をけなされたり、批判されたりすると煽りでも黙っていられない。
・まっとうな意見でさえ「スルー汁!」と聞き入れない。どっちにしろ半端に相手してしまう。
・言葉の間違いや言葉尻をとらえ、些細な事で揚げ足をとる。本題以外でしつこく相手を叩いたり煽ったりする。
・スレタイやテンプレだけ読んで怒り、既にレスが500超えているのに唐突に>>1やテンプレ叩き。
・たとえ正論であっても煽り口調で書かれていたら、煽り返さずにはいられない。
・すぐにヲチしたがる。
・「私はモテる!」「私はデキる!」「私はわかってる!」ということをやけに主張する。
・叩かれまくっても絶対に負けを認めず、必ず最後に捨て台詞を吐いてから話を終わらせるのが大好き。
・やたらと勝ち負けに拘るが、そもそもルールを守ってない時点で反則負けだという事が理解できない。
・な ん で 文 句 を 言 わ れ る の か 全 く 自 覚 が な い 。
・文章を読まず、0か100かの思考に持ち込む被害妄想が得意。女全体と特定していない書き込みに対しても、
「男だって~」「女にも理論的なのはいるわよ!」とムキになって反論し、すぐバレる。
・同性愛板で嫌われている事、801板でさえ嫌われている事もスルー。どちらも叩く。
・2chは誹謗中傷なんでもOKな場所だと勘違いし、とりあえず好き勝手に暴れておけば
アウトローぽくてカコイイ!バイオレンスで危険なアタシカコイイ!と暴走。
・自分はウザい女だと思っていないので、攻撃対象がウザい女全体になりそうになると「スレ違い」とか、
「男女板に行け」などと言う。しかも後者は男女板に対する女特有の偏見に基づくもの。
・「厨行為をする腐女子は迷惑。私は自重してる腐女子」などと自分だけはまともであると主張。
・陰謀論・政治的話題を持ち出せばその場を煙に巻けると本気で信じている。
・最近は、「腐男子」「腐兄」「嫌腐」という言葉を必死に流行らそうとしてはいるが定着はしていない。
13水先案名無い人2012/12/09(日) 19:47:46.02ID:6+ES5Qvf0
・同人系、ヲチ系に多い。 年齢層は広く、リア厨~主婦まで色々いる。
「自分は痛い、変態だということを自覚しているだけマシ」という論理で同類を攻撃。
・反論があると「嫌なら見なければいい」と言いつつ、自分は不愉快なサイトを好んでヲチ→叩く。
・反対意見は全て本人か関係者と認定して叩く。完全な思考停止状態。
・2chは誹謗中傷OKな場所だと勘違いしている者も多い。人格ヒエラルキーの最下層。
オバ厨型
・どこにでもいるが化粧、芸能系に多い。 硬派と思われる漫画や小説・映画などのスレにも巣食っている。
・主に20代後半以上の女と思われる。
・「私は冷静な大人」と思っているのか、言葉の節々に子供をなだめるようなニュアンスを込める。
・率先してスレの自治に務めるも、それがかえって荒らしを煽っていることに気付かない。
・言い負かされることを極端に嫌い、発言に保険をかけたりもする。 萌え抜きで語れる、賢い頭の持ち主だと思い込んでいる。
空気読めない型
・どこにでもいる。 自分が浮いた発言をしていることに自覚がない。
・年齢層は低めか
・馴れ合い重視型
・どこにでもいる。 顔文字やAAを多用し、場を和ませようとしているらしい・・・が、実際はひかれている。
・「空気読めない型」と層がかぶっているが、こちらは攻撃発言はあまりない。
・他の掲示板と2chのノリを混同している、非オタク女率が高めだと思われる。
16水先案名無い人2012/12/09(日) 21:56:46.09ID:6+ES5Qvf0
250 名前:チラシ ◆4PFx7PdJkA [sage] 投稿日:2007/09/19(水) 14:44:08 ID:TJWawS470
彼が休日に出かけた。
ただの飲み会と言いつつ、それに行ったのは会社の女の子と二人っきり。
何にも無かったとは言え、なんでわざわざ休日に彼女を放って置いて行けるのかなと激怒。
彼いわく「普通の女の子の話とかってどんなのかな?ってちょっと興味があっただけ」
その言葉にも傷付いて、完全にふてくされた私は唐突に彼と彼の幼馴染の友人の801ストーリーを書きなぐり。
怒りのあまり、彼×幼馴染ハード系36pを3日でがっつりと描けた。
我ながら良く出来たと惚れ惚れする作品に仕上がった。
私の友人が興味を示し読まれた。大爆笑と共にモエモエしてくれた。私もなんかスッキリした。
彼はかなり引いて、反省してもう2度としないと謝ってきた。
友人から話が漏れて、幼馴染の友人君もその作品を見て(見たいと言ってきた)「なんか入れられてるし!」
「なんかかけられてるし!」「出すな出すな!!」「なんで何もして無い俺がこんな一番酷い目にあってるんですかね!!」
17水先案名無い人2012/12/09(日) 21:59:19.58ID:6+ES5Qvf0
■教育の中での実害
552 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2009/05/21(木) 15:01:21 ID:fPxWWN7X
カチンと来た、とは少し違うかもしれませんが。
少し前に、小学三年生の息子が泣きながら帰ってきました。
家に駆け込んできたと思ったら、息子が大好きだったアニメキャラのぬいぐるみを
つかんでいきなりゴミ箱に投げ込もうとしたので、あわてて止めました。
何だか興奮しているらしく、様子がおかしかったので少し落ち着くのを待って
話を聞いてみたんですが。
同級生のA子ちゃんに「そのアニメキャラが好きなんて、息子君ホモなんでしょ」と
言われたと…
気持ち悪いからそんな事を言うのはやめて、と抗議したそうなのですが
「そのキャラは別のキャラ(男)と本当はつき合ってるの!だからそのキャラが
好きなら息子君もホモに決まってる!」と大声で言われて恥ずかしかったと。
そのうち女子が何人も集まってきて、一斉に「息子君、ホモだったんだー」と
はやし立てられたそうです。
息子は泣き疲れたらしく、今はアニメキャラのぬいぐるみを抱えて眠ってます。
私かなり腹が立って、さっきA子ちゃんのお母さんに電話をしたんですが
何だかよく分からない事をごちゃごちゃ言われてしまって…ホモの何が悪い、とか
息子君は目覚めるべき、とか…ものすごく気持ちが悪くて、止めて下さい、とだけ
ちょっと変わったお母さんだな、とは思ってましたけど。
これからまた何回も顔合わせ無いといけないのに…本当に気持ち悪くて嫌です。
565 名前:552[sage] 投稿日:2009/05/21(木) 16:10:20 ID:fPxWWN7X
だから余計に分からないんです。タママ二等兵なら少しはそれっぽいかもしれませんが。
もしかしたら、実際にはどうとかぜんぜん関係ないんでしょうか…
みなさん、いろいろありがとうございました。おかげさまで少し落ち着きました。
18水先案名無い人2012/12/09(日) 22:43:36.62ID:6+ES5Qvf0
■恐るべき化け物、それが腐女子
ではなぜ腐女子はそれほどまでに恐ろしい?
腐女子は弱点だらけだ
もてる女を嫌い できる女を嫌い ファッションや化粧は身を焼く
デッサン・伏線・ストーリー・男の友情を理解できず 現実に目をそむけ 恋愛に目をそむけ
ほとんどの腐女子はコミケでしか動けず 安息のねぐらは唯一ツ暗く小さなコミュニティだけ
インテグラ 何故だかわかるかな」
「それは決定的ではない」
「アク禁にしないと死なない事?」
「少々役不足だ 倒す法はそれに限らん」
「それは確かに恐るべきことだ だが無敵か、とは少し違う
「そうだ 腐女子が触れたものは皆腐ってしまうのだよ インテグラ
物語としてでなく ただ彼女の本能に従って作品を消費する『キモオタ』だ
女の形をした『キモオタ』なのだ これを最悪といわず何をいうのか」
19水先案名無い人2012/12/09(日) 22:47:52.14ID:6+ES5Qvf0
●キモさとウザさを同一視されがちだが実際は違う。男のオタクと腐女子
キモヲタには(2ちゃんで)うざいキモヲタと空気が読めるキモヲタがいる。
これらは全部別個の属性・特徴。
だってキモい女ヲタの中でも行動がウザイ奴を腐女子って呼んでるんだから。
「ウザイ腐女子」はトートロジーなんだよ。「痛い頭痛」と同じ。
まぁそういうことだ。
僕は昔から現在にかけて「男性向け・女性向け」ジャンルの作品/コンテンツを両方それなりに摂取している。
しかしその過程で僕は「女性向けコンテンツ」に辛さを感じるようになった。この記事ではその話を綴っていこうかと思う。
体験と気持ちを具体的に述べてくのでちょっと長い。時間が余った暇つぶし程度に読んで欲しい。
僕自身はオタクコンテンツかどうかに関わらずあまり物に男性向け・女性向けをつける必要はないと思っている立場だ。
何故なら、それを好むことに生まれ持った性別など関係無いし、実際(特に最近では)その表記関係なく両方の性別の人間が楽しんでいるコンテンツは多くあるからである。
しかしながら、両方を楽しむオタクをやっていく中で、この表記が必要不可欠かどうかは置いといて、"正しい"ものではあるということをひどく痛感した。
僕は小さい頃からジャンプや特撮や美少女深夜アニメを楽しんできた主に男性向け作品を楽しんできたタイプのオタクだ。
そんな中女性向け作品に初めて触れたのはアニ横・学アリといった人気もクオリティも高い、男性が楽しむにも敷居が低い少女アニメである。
そして本格的に女性向けコンテンツに手を出したのは恋愛シミュレーションゲームにハマっていた中高生の頃だ。
この頃は有名どころのギャルゲはそれなりにプレイしていて、それまで感じたことのなかった二次元キャラと自分との奇妙な関係性に衝撃を受けていた。しかもギャルゲ黄金期とも重なり良質なストーリーの作品にも恵まれ尚のことギャルゲにのめり込んだ。
そんな中ひょんなことから乙女ゲームである「緋色の欠片」というゲームを知る。
そしてこのゲームと会ったことが、僕が自分の首を絞め続けることになった元凶となる。
きっかけはYouTubeに上がっていたMADだ。その頃ハルヒと銀魂にハマってた僕は、杉田さん経由でたまたま緋色のMADを見かけた。初見は正直MADに組み込まれていたセリフで ああ乙女ゲームね(笑)とはなった。しかしギャルゲもやり尽くした感があった頃だった事や、犬夜叉を彷彿とさせる世界観に興味を持った事(結局全然違ったが)、ストーリーも面白そうで公式サイトを見る限りドストライクの女キャラがいた事もあり購入を決意した。
で、やった。
ストーリーの面白さもさることながら、女性向けという感じはあまりしない絵柄やキャラデザ、(描写に賛否あるものの)バトルも多いので馴染み易かった事、女性キャラも結構出てくるので読みやすかった事、美鶴ちゃん、など多くの要因が重なりあまり女性向けゲームという印象を強くは受けず、かなり楽しめた。あと中二病的固有能力設定にどハマりした。家で手に紋章とか書き込んでた。俺も風を操って真空の刃で敵倒すんだ妄想を授業中してた。
さて、ここで僕は「乙女ゲームも意外とイケるじゃん…?」という心境になった。そして他にもないかなと探し始めたのだが、まぁなかなか緋色並みにバチんと第一印象でくるゲームが見つからない。同じ絵師のゲームもあったがこちらはちょっとキャラデザと設定がやろうと思うに至らなかった。結局、探していくうち絵柄と設定があそこまで俺的敷居が低く印象が良いものは稀だったんだなと知った。
乙女ゲームという俺の中では手を伸ばすには異端ジャンルをやる上で、それを乗り越えてでもやりたいと思うほどの第一印象は大事だったのだ。
(あくまで僕の"第一印象"の話なので勿論神ゲーはいくつもある)
緋色がたまたまだったのだ…と思いつつ緋色の面白さを引きずっていた僕は、今までのオタク活動もそのままに緋色の新展開や新作乙女ゲーム情報を細々と追っていた。
さて気付かぬうちに首を絞め始めたのはこの辺りからだ。
この頃展開していた緋色のコンテンツは主に続編ゲーム、ドラマCD、アニメである。
ドラマCDはギャグ展開のものが多く大いに笑っていた。しかしたまに挟み込まれる恋愛要素や女性向け的台詞にうん…みたいな気持ちに僕はなっていた。
今思えば、いや今思わずとも、当たり前に当たり前の要素ではあるのだがなんか違うんだよな〜などと思っていたのだ。そもそもゲームにもそんな要素は当たり前にあった筈なのだが、出来上がったシナリオに必要不可欠な要素の一部として享受していたんだろう僕は、そこを強調されてもみたいな気持ちだったのだろう。
でもまぁこの時の僕はちょっと違和感程度で意識するほどは思ってなかったと思う。
そんな中、「夏空のモノローグ」という乙女ゲームが発売される。
緋色以降結局プレイに至るゲームは緋色の続編である蒼黒しかやってなかった僕だが、このゲームの広告一枚絵に衝撃を受けた。
儚げな少女と普通の男子高校生が佇む、爽やかでありつつどこか俺がのめり込んできた泣きギャルゲを感じさせる絵。
これは良いぞと公式サイトを見た。キャラデザ、ストーリー、沢野井…これは俺でもイケる、絶対面白いとそう思った。
また僕がその公式サイトを見たのは発売直後だったのだが、そこにはシナリオライターが発売に寄せる文章も載っていた。
そして多分これが1番の決め手になったのだが、そのシナリオライターめちゃくちゃ見たことのある名前だったのだ。それは緋色のナンバリングタイトルである翡翠リメイクの公式サイトで見た名前、西村悠さんだった。
翡翠リメイク公式サイトにて西村さんがこのリメイクにかける想いをとても丁寧に具体性を持って綴っていたことはかなり強く印象に残っていて、とても誠実に物作りをする方だなと思ったことを覚えていた。
だから、この夏空のモノローグという作品には信頼を置いていいと強く思い、購入を決意した。
とにかくこれぐらい強く想わない限り女性向けゲームに手を出せなかった僕だが、結局この夏空は神ゲーだった。
シナリオ音楽背景etcが神なのは前提として、この記事的にいうとゴテゴテしてないキャラデザと馴染みやすい絵柄、恋愛を主軸としながらも木野瀬をはじめかなり共感できるキャラクター達の葛藤…など、これもまた女性向けゲームという敷居を低く感じさせる作りで、とてもハマった。
スタッフブログにて登場するディレクターやシナリオの西村さんが男性だったのも馴染み易かった一因かもしれない。
やっぱり女性向け作品でも良いのは良い…!そう想いを強くした僕だったが、ここで衝撃の事実を知る。
夏空のモノローグ、当時めちゃくちゃ売り上げが低かったのだ。
今でこそ根強いファンを抱えるこの神作品だが、恐らく乙女ゲームを求める女性ユーザーには第一印象は良くなかったんだと思う。何故なら僕がうーんと思っていた絵柄や設定こそが求められていたものだったからだ。
よってこれ以降、このブランドから夏空のような素朴な絵柄や雰囲気のゲームはほとんど発売されていない。多分。俺基準かも。あったらすまん。
しかし人間は成功体験を忘れられない生き物で、男性向け作品に染まりきった僕でも楽しめる作品が乙女ゲームにはある…!とかなりこのブランドの新作情報は追っていた。
何より、1人のキャラの格好良さや魅力や葛藤を長編シナリオをかけて描写してくれる乙女ゲームという媒体は他の作品とは違った体験をくれるもので割と唯一だった。
結局僕が夏空以降にプレイした作品は、緋色のナンバリングタイトルである「白華の檻」と「Code:Realise」の2つである。
どちらも同じディレクターとシナリオライターが関わっており信頼のもと購入しそして信頼を上回る作品だった。
世界観やストーリー、作品描写が本当に良く、根強く心に残る作品であり大好きだ。
しかしながら、正直絵柄はどちらも若干苦手で(いや勿論めちゃくちゃ綺麗で素晴らしいとしか言えないのだが)"女性向け!"と思うものだ。
また他媒体展開においても、特にコドリア(Code:Realize)は発売から社をかけて運営されていたのもあってか、女性向けに満足度の高いものが多く展開された。
ドラマCDの内容や商品展開や続編の展開では女性向けのコンテンツなんだという事を意識させられるものが多く、求めてないなぁ…なんて思ったし、リアルイベントなんかはもう完全にそうなのであー…違うんだよな…となった。
こうして夏空からコドリアにかけゲーム内容も展開内容も段々と自分の求めてるものからかけ離れていくと感じていた中で、あぁ俺が求めてる作品はもう出ないんだろうな…どうして変わってしまったんだろう…と思うようになった。
そして割とマジで気がついてなかった、緋色から少しずつ感じていた違和感の原因に、ようやく気がつく。
そうなのだ。
…そうなのだ…。
そうなんだよな…。
いや勿論女性向けコンテンツで乙女ゲームということは分かっていたけれど、自分がマジで対象外だったそうだったという当たり前のことになぜか気がついていなかったのだ。本当に。あれだけ女性向けは食指を伸ばしづらいと思っていたにも関わらず、だ。
なんか求めてないんだよなと思ってはいたけれど。そう…そうなんだよ…俺、対象外なんだよ。
作品がどれだけ僕にとって凄い良くて、取っつきやすい作品性であっても、その後の展開はそりゃ女性向けに振るしそれが求められているのだ。何より夏空から段々とゲーム内容や他媒体展開の女性向け的色が濃くなったコドリアが圧倒的売り上げを誇っているのが何よりの証拠だ。
この事に気がついてから、コドリアをプレイしながら何度「俺はお前達と少年漫画で出会いたかったよ…」と思っただろうか。もしそういう環境下でこの作品が生まれていたらここの描写はもっと違ったんだろうか、とか、俺はもっと楽しめていたんだろうか、とか、と。
まぁでも
恋愛要素抜きにしても少年漫画じゃ絶対こんなの通らないし俺も読まんと思う。
それが答えだ。
このゲーム達は乙女ゲームという環境下でこそ生まれた神作品だ。
物語の終わりが保障されていて、信頼のおけるシナリオライターが書いていて、キャラクター1人1人の良さをじっくり知れて、様々な男性キャラクターが主軸になりいろんな視点から物語を進めていけ、最高の背景や音楽の下、快適なプレイ環境でやれるのは乙女ゲームでありこのブランドならではなのだ。
俺は本当にやるせない気持ちになった。
好きな作品のマーケティング対象外である事はよくある事だと思う。例えば僕は東映特撮も好きだがあれは対象は子供だし、プリキュアおじさんなんて言葉は正にその象徴たるものだ。
こんなに良い作品でこんなに好きなのに、だ。
僕自身はゲームの内容に満足しつつもその後の展開には満足できず、その内女性向け色が強くなったゲーム内容も楽しめなくなってしまったのだ…。
つまり
という
俺が悪い。俺が悪かった…。
今現在ではシナリオライターさんもブランドから離れていることも相極まって全く乙女ゲームには手を出していない。
好きになっちゃいけないのに好きになっちゃうみたいな悲恋エンドだからこんなん。
さて、
最近ではオタクコンテンツはアプリゲームが主流になりつつある。
女性キャラクターが際どい衣装を着て出てくるゲームや男性キャラクター同士がクソデカ感情をぶつけるゲームなど、以前より更に男性向け女性向けという意識が強いコンテンツも多くなった。アプリ課金という性質から単発的娯楽を提供するものも増え、終わりなき物語が量産されている。
しかしながらそれと同時に、アプリという手軽さや物語が終わらないという解釈の自由度が増した事により、男性向け女性向けに関わらずいろんな人が楽しむような時代になっているようにも思う。
また、僕の周りの友人達に割とそういう男性向け女性向けを超越するオタクが多くいた事もあり、やっぱり良いもんは良いんだよな…と改めて思っている。
けれど、(僕の場合は極端なコンテンツだったからというのもあるが) やっぱり男性向け女性向けという表記は商売である以上正しいしある程度は必要なのだとも思う。
僕自身は普段は出会うはずもない完全対象外の作品にハマってしまったが故の苦悩だった。
でも出会っちゃうもんは出会っちゃうし、良いもんは良いし、オタクは理性効かない。
この中途半端な立ち位置に居がちなオタク達はきっと事象は違えどいっぱいいるし内に抱える問題はきっとまだある。
【余談①】
尚僕は現在、男性向けコンテンツに出てきた男性キャラクターに傾倒したりもしている。
でも別にそういうんじゃなく女性キャラクターも普通に好きだし、格好良いものは格好良いな〜ってやりたいだけなんだけれども。
ただこのキャラクター今は女性向け作品に主に登場するようになり「アッ!ン!!違うんだよな!!!」というのをたまにまた繰り返しているところだ。
でもそれを上回る満足度の高いコンテンツなのでやっぱり出会えて良かったなと思っている。
【余談②】
この記事とズレるので余談とするが、前々から好きだった作品に最近別の層が流れ込みそこが消費者の主流になり、作品全体のターゲット層が変わり僕もターゲット層から外れだしたという出来事があった。これもまたオタクが抱えがちな難しい問題である。
例えば、お嬢様キャラだとお嬢様っぽい清楚な喋りを期待するだろう?
それと同じで、アニメの女の子キャラはみんな、お嬢様レベルとは言わないまでも、「現実にいないくらいの"いい子"」であることがデフォルトで期待されているんだよ。
いい子である方がスムーズに感情移入できて、素直に物語展開に応じて感動できるから。
美少女アニメ視聴者の多くは、低い声で下卑た語彙を用いながら教室でダベっているような、世間擦れしたリアルなJKには共感できないのだ。もちろんそういうリアルな作品性を出しているものもあるが、深夜アニメの特に美少女アニメではマイナーな方だ。
だから年頃の少女であってもどこの箱入り娘かという程に畏まったキャラが多いし、世間に慣れない感じがあるということは「幼さ」を感じさせる必要がある。そうなると演技としてやはり高い声が重用されるわけで、かつアニメという非現実の世界観に説得力を持たせるために、特徴的な声色の、アニメ声や萌え声が良い、となるわけだ。アニメは髪色髪型目の色などでキャラを描き分けるが、声色が特徴的であることも、特に女性キャラが多いアニメでは重要なのだ。オタクであっても、複数の声優が地の声で喋っている声優ラジオでは発言者を見失うことがあるくらいだ。
逃げるつもりで消してるんじゃなく、日記整理で消してるんだ。
毎日ブレストしてる勢いで数十回ダーッと書くからな、自分の中でクリーンヒットした記事だけ残したい。
早いと数分後に見返して「つまらんこと書いたな」と思ったら消すこともある。
意義の薄い記事を残しておくとうっかりバズってしまう事があるし、そんな記事ではてなを儲けさせたくない・人々の注意力を奪いたくないのもある。
わざわざサルベージしてまでトラバしてくれたみたいだが、たぶんキモさというワードに煽られた気持ちになってしまったんだろう。
じゃあより正確に書く。
村上氏や太宰治は作家自身のキャラクター性が高く、ナルシストでこじらせた個性を持つため、一般的な感性だとキモさを感じるのは周知の事実。
そのため、その読者が作者を呼ぶ時に「さん」づけしてしまうと、自分も同類・フォロワーであるかのような恥ずかしさを感じてしまう場合がある。
もちろん作品性は評価して敬意を抱いていることには違いないのだが、その個性に対する賛同と混同される心配を拭えない人が多いのだろう。
それで、呼び捨てにすることで「俺はそっち側ではないですよ」と距離を置いたような雰囲気を出すようになる。
けれど文章を読めば真面目な読者であることは伝わるであろうし、親しみを込めた呼び方とも受け取ってもらえるだろう、という算段だ。
そういう発想を、はてなーが読んでくれる程度の短文で表したら「キモさが自明だから」という文が浮かんだのだが、イマイチうまく伝わる文章にならなかった気がして消したんだ。
ソードアート・オンラインの全裸さん――アドミニストレータは、
人の理から半ば外れ、神にも等しい力を持った、冷酷かつ妖艶な女性であって、
そのキャラクター性を裸体によって表現しようというのは、特におかしな発想ではない。
彼女は別に露出好きというわけではなく、カーディナル同様アンダーワールドが外界の人間に造られた仮想世界だと知っているので、アバターの裸を晒そうがどうでもいい、むしろ恥ずかしがるのは滑稽だと思っているわけです。つまり矜持とかそういうやつです!— 川原礫;2/17コミティア《あ13a》 (@kunori) 2019年3月9日
原作者もこのようにツイートしているように、他人の視線など意に介さない、彼女の超越的な立場を強調しているのである。
いや、賢明なる皆さんは「それは口実でしょ?」と思われるかもしれない。「本当はエロを描きたいだけなんでしょ?」と。
原作において、アドミニストレータの容姿について描写されているところを引用すると、こんな感じになる。
横たわっているのは、ひとりの女性だった。
銀糸の縁取りがついた淡い紫――《ステイシアの窓》とまったく同じ色――の薄物をまとい、身体の上で、白く華奢な両手を組み合わせている。腕や指は人形のように細いが、そのすぐ上で薄い布を押し上げるふたつの膨らみは豊かで、慌てて視線を通過させる。広く開いた襟ぐりから覗く胸元もまた、輝くように白い。
――13巻『アリシゼーション・ディバインディング』
ここから怒涛の勢いでアドミニストレータの美貌が称賛されていくのだが、身体の部分に言及しているのはこの箇所だけである。
また、この直後のユージオが誘惑される場面はなかなかにエロティックであるものの、それは精神汚染のようなものであって、アドミニストレータの淫靡な姿態が描写されるわけではない。
さすがに紫の薄衣は爆風に絶えられなかったのか、引きちぎられて消滅してしまったようだが、一糸まとわぬ己の姿をまるで意に介さず、アドミニストレータは右手を持ち上げると長い銀髪の乱れを直した。
この部分は先日のアニメで放送された箇所にあたる。元増田が言っているのもこの部分だろう。
読んでのとおり、全裸であることがさらりと示されるだけで、卑猥さは特に感じられない。
【マイリスト】SAOアリシゼーション21話 アドミニストレータのみ https://t.co/Ef7Si5Q8FU #sm34753890— ヨナ (@ExtraAteriaru) 2019年3月11日
小説だと「彼女は一糸まとわぬ姿をしている」と書けばそれだけで済むが、
アニメでは「一糸まとわぬ姿の彼女」を描き続け、映し続け、動かし続けなければいけないのである。
今回の件については、以上のような媒体の違いが原因としてある。
単純に時期が悪いでしょ。外に出たくない正月シーズンおよび受験シーズンの真っ最中。
それにラブライブが、今までのアイドルではアンタッチャブルだった世代交代や代替わりみたいなものに正面からぶつかるテーマ性なのは無印のころから変わっていないし、アニメの方はそういう作品性になっているのは深いファンなら理解しているはずであまり問題ないと思う。
一見ライブが楽しみでキャラに萌え萌えしてるように見えるファンでも、真面目なファンはそういう面も併せ飲んで両面がラブライブのすごさだと認識していると思うし、今の若い子は深く理解してることを表に出さずにわざとチャラく表面的にワイワイ振る舞うしぐさがあると思うからね。
おいおいおい
ちょっと待ちーや
な・な・な・なんで?
なんでそこに?
スラダンで例えたら「流川×花道」から「牧さん×信長」への転向レベルに意味不明なカプ選びなんですけど!
せめてそこは「好きでも嫌いでもないどうでもいいカプ」に行って欲しかったわー
そしたら作品読むだけは読めるもんね
などと言いつつ試しに読んでみたよ
私は神の作品性にハマっているのだから地雷だろうが読めるはずだよ!
…
…
…
読めねーーー!
無理!無理みがすごい!
神の描写が緻密であればあるほど、心情の表現が繊細であればあるほど、ダメージが大きくなるだけーーーー!!!!!!
作品としてのレベルが高いせいで地雷としての純度もだだ上がりだ!
もうおとなしくあきらめますわ…
また神が次のジャンルに移動したら、今度こそは読めるカプに行ってほしいわ…ほんと…
昔とある作品の製作委員会に身を置いていたことがあるので、思い出を書く。
製作委員会というのは「製作」をする人たちの集まりであって「制作」をする人の集まりではない。
私も最初ここの違いが全く分からなかったが、中に入ってようやく理解した。
つまり、「その作品を作るためにお金を出した人たちの集まり」であって
原作者や監督や声優や脚本家が集まっているところではないのである。
(このへんがネット上では未だにけっこう誤解されている気がする。)
これは良いとか悪いとかいう話ではなく、カネのために集まった組織なのだから当然の話である。
■どんな人がいるのか/どんなことを考えているのか
会議に出席するのは、出資社(出版社とか、TV局とか、広告代理店とか、製作費を出す会社)から送られてくる、各担当者だ。
いろんな会社から、いろんな人が出て来て、異業種交流会みたいで、けっこう面白い。
そして、ここがポイントだと思うのだけど、この会議に出席してくるのは、必ずしも映像業界に詳しい人間ばかりではない。
彼ら(そして私もそうだったが)のミッションは2つ。
1.出資金以上のリターンを持ち帰ってくること
2.本業へ良い影響があるように、動き回ること
1つ目は分かりやすいと思う。株買って儲けようとするのと同じだ。投資だ。
でも、それ以上に、各社担当者にとって大切なのは、2つ目なのである。
例えば、広告代理店。
彼らが委員会に出資するのは、「その作品の広告の仕事が欲しいから」 以外には無い。
仮にその作品が映画だったら、映画のTVCMだけで何億円という発注を獲得できるのである。
それ以外にも、新聞・雑誌・交通広告・ウェブ広告・・・いくらでも仕事は降ってくる。
例えば、出版社。
出版社が参加している場合は、原作の出版元であることがほとんどである。
彼らが委員会に出資するのは、「原作がバカみたいに売れまくる事」を期待すること以外に無い。
そのための宣伝費と思えば、映像化する際の出資なんて大したことは無い
そもそも作品性なんてものは、監督や制作側の担当領域なので、製作委員会の担当社員からすれば、自分たちでどうにかできるわけでもない。
だから、 2つ目の目的=自社の利益になりそうなこと の達成ばかりに力を入れ始める。
■どんどん仲が悪くなる
各社が2つ目の目的を達成しようとすると、どうしてもバラバラな動きになる。
それぞれ目指すところ(=自社の利益)が違うからだ。当たり前だけど。
2社だけなら良いが、委員会はたいてい5社6社は当たり前。
ということで、担当者の仕事は「複数社間の利害調整」がメインになる というカラクリである。
■個人的な思い出
自分の経験からすると、他社の担当者とケンカしていたか、ケンカの仲裁をしていた思い出しかない。
何がめんどいって、「みんな業界が違う」 ので、企業文化どころか、業界文化が違う。
「こんなこと当たり前だろ」が各社バラバラなので、話がとにかく合わない。
それが一番面倒だった。
まず共通言語を作るところから始めるのが正しいんだろうけど、正直そんな時間はないので
出版社と広告代理店とTV局(この3つは大抵どの作品にもいると思う)の人たちの文化がとにかく古すぎて、いっつもイライラしていた思い出がある。いわゆるギョーカイ人側の人たちですね。
会社の人と話せば5秒で終わる話が、なんやかんやで1か月かかるなんてザラである。
ただ、いろいろな業界のお作法などが垣間見れたのは面白かったと言えば面白かった。
普通の会社にいながら、ギョーカイ人と触れ合える経験なんてあまり無いし。
スキルとしては、複数社間の利害調整能力というものが身についたと思う。大抵のケンカは仲裁できるようになった。
当然のことながら、映像に関する知識はあんまり身についていない。
自分は下っ端だったし、作品が成功するかなんてのは比較的どうでもよくて、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだったのが正直なところ。
だから、ネットで製作委員会方式が諸悪の根源扱いされるのも無理はないな、とは思う。
でも、本当に映像を作ってる人たち(監督とか)は、こうした状況を理解した上で、うまく利用してやろうという人もたまにいて、そういう人はどんどん有名になっていった。
今は全く違う仕事をしているので、最近どうなっているのかも知らないけど、
ケモノなんとか の騒動があったので、思い出して書いてみました。
(ケモノなんとか は見てません)
~~~
こんな糞記事にコメントしてくれた方、ありがとうございます。
>だけど「複雑な力学が働いてるから、たつきが善というわけでは無いぞ」と言いたいのかな、と思った。
もちろんたくさんの人に愛される作品を作った人という点では善だと思いますが、組織の中でどう見られるかは別の話なのですよね。悲しいかな・・・
>「いわゆるギョーカイ人側の人たち」の考え方が古いのは何が原因なんだろう?
やはり比較的、伝統的な手法を重視しますよね。これは別に製作委員会がどうこう、という話ではないと思いますが。
過去の成功体験に人間というのは縛られてしまうものなのだな、ということです。
立場も分かるので、ボロクソに叩くほどのことでもないと思っています。うまく操作してあげればそれでよいのです。ある意味わかりやすい人たちです。
まさに、ですね。普通こうした問題は事前に根回しがされるので、可視化されることは少ないと思うのですが、このパターンは珍しいですよね(だから騒がれているのだと思いますが)
ただ、その手前で十分に調整がなされたかどうかは分かりませんが、監督のツイートは説明不足過ぎるがゆえに事態を悪化させただけで、窮状を訴えるには良い手段ではなかった、と感じています。
いずれにせよ、調整がうまい人がいるかいないか は委員会運営には重要な要素ですね。
>これを敷衍すると、出版利権のカドカワが同人とか一枚絵とかウチ通さずに出してんじゃねーぞ、全部抜かせろって話?
そのへんは作品によって契約内容が違うので、外からはなんとも言えないところかと・・・
ただ、この業界頭悪い人しかいないので(汗)、契約なんてあってないようなものでして・・・今どうなのかは知りませんが。
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最近は、制作会社自身が出資するケースも増えてきていると聞きます。個人的には良い傾向かと思います。
ただ、最後は出資比率のパワーバランスになるので、常任理事国入りできなければあまり意味ない・・・というのもあるかも。
それこそディズニーじゃないけど、制作側でも札束で関係者を引っ叩ける存在が生まれると良いですね・・・
これはね、自分自身も含めてそうだと思っています。ほんと自分はバカなんで・・・残念ですが・・・!
自分のことはさておき、頭が良いことがアドバンテージになりにくいんです。
頭が良いかは二の次で(もちろん良いにこしたことはないですが)、そんなことよりとにかく「運がいい奴」が残る場所だなー、と個人的には思います。
逆に言うと、みんながディスりがちな「学歴社会」ではないので、それはそれで居心地が良い人もいるかも?
半分ぐらい当たってます笑
というか、逆に言うと「制作」の領域が神格化されすぎていて、現場の忙しい人は業務上何もタッチできないんですよね・・・
良く言えば分業化、なのかもしれませんが。
だから、よっぽど個人的に好きじゃない限り、興味もなかったです。
実際にものづくりにも参加できていたら、全然違ったんじゃないかな、と思いますが。どうなんでしょうか。
>ケンカ
ケンカ と書きましたが、ケンカするほど仲が良い というのは全くその通りで、意外と「現場に近い者同士」は、会社が違っても強い連帯感が生まれがちだと思います笑
会社同士はケンカしてても、現場の担当者同士はちゃーんと仲良くしています。
ある意味、「なんか知らんけど偉いっぽい人達」という共通敵が生まれるので、超連帯しやすいです!
だから、仕事で嫌なことも納得いかないことも沢山あったけど、それ以上に楽しいこともたくさんありましたよ!
猜疑心が強すぎるのでは。そういう乱れた場もあるのかもしれないが、
おそらく実際としては、現役コスプレの子たちの言っているような健全な場の方がはるかに多いのだと思う。
往々にして、外部の風評というのは特別醜悪な部分だけ抜き出し、誇張され、時に捏造されたものなので、
それをベースに現役の子たちに聞くと、その聞き方によっては自分たちを愚弄していると捉えられ、頑なに反発されるのは当たり前のことだ。それを隠蔽と受け止めてしまったのでは。
というより、そのコスプレイヤーたちもあなたの友達だったくらいだから、概ねあなたと同じくらいの知性や倫理観の世界で生きてきた人だ。あなたの憂慮するような事に遭遇したなら辞めていたはず。
続けているということはそういう乱れた層の人間とは遭遇していないか、したとしても距離を置いて、真っ当にやっているのだろうと汲んであげ、配慮した上で訊いてほしかった。
このような、内側の人と外側の人との乖離を、私も別の件で感じたことがある。
私自身、ラブライブという作品のファンで、その作品性に、キャラクターたちの関係性に、演じる人たちの熱意に、心動かされ感動することしきりだった。今も作品を大切に思っているし、ファンも大半は悪い人ではないと思っている。
なにしろ内容が、多様性を尊び、拙さにも寛容で、思いやりにあふれた優しい世界観でありながらパワフルなベンチャー精神を鼓舞するような内容だからだ。
けれども、偏見の目でみられやすい美少女ものかつアイドルものでもある。大ヒットしファンを大量に抱える中で、やはり外部の人からは「気持ち悪い」と思われる部分が、ことあるごとに抜き出され続けてきた。
全身にキャラ缶バッチをつけた人や特攻服を来た人が徒党を組んで街を闊歩しているだとか、ファンが聖地の甘味処で騒いだだとか、あるいは殺人事件を犯した学生がファンだったとか。
そういう悪評に繋がりそうなことを、ネットの暇人たちは目ざとくみつけてきて、そのたびに作品のファンの呼称であった「ラブライバー」は、ネット上においては蔑称として認知されていった。
実際にそれ単体で迷惑を掛けているとは言い難い「痛ファッション」などについては、私自身はいい歳のおっさんでありグッズ収集欲も見せびらかし欲もないとはいえ、
あまりに叩かれるのが不憫で擁護していたりもした。もっと生暖かい目で見られるくらいでいいとは思うのだが、やはり外部の人は弾圧の対象にしたいくらい気持ち悪がるものだ。
ネットを見ていると、非ファンの人が触れる情報は、そういう「ラブライバー」を揶揄するものばかりだから、「あの作品はクズのキモオタ・ヤンキーの集まりなんだな」という印象になってしまっているだろう。
けれども、私が街や劇場などで目にし、触れてきたファンの若者たちは、平均的な若者たちと大差なく、基本的に礼儀正しく、親切で、真っ当なバランス感覚を持っている人が多かった(あとカップルが多すぎ)。
その乖離は、私が運良くファンの一員として内側に居たからこそ気づけたようなもの。
もし2013年のあの時、偶然スクフェスをDLせず、ネットに篭ってゆるいアニオタを続けていたら、ラブライバーにいい印象は持っていなかったと思う。
それほどまでに、「理解しがたい奴ら」への「嫌悪感」は容易に人の心へ侵入してくるものだと言うこと。
2ちゃんのファンが集う板でも、「前は『ラブライバーwww』って見下してたけど…」という人はよく見かける。
けれどもそうした人は、ラブライバーdisで溢れているメジャーなまとめブログのコメ欄などには行かなくなるし、可視化されない。
結果として、他人の醜態を嘲る卑小な感性の人々の持論ばかりが、ネットの総意になりやすい。
同じようなことは、もちろん他作品でもある。○国嫌悪だとか、著名な人、政治家・芸能人・経営者への態度でも起こりうる。
そういえば私はその前に、堀江貴文さんに関しても同じことを経験していた。
彼がなぜ罪に問われたのかについて興味をもって、ニートで暇はいくらでもあったので、日本の司法や経済についてWebコラムや本を読み漁った。
いろんな方面の有識者の彼に対する見方を総合した結果、彼は過剰に批判されていると私は判断した。
そして、むしろ彼の才能や考え方は尊敬に値するものが多いと感じてファンになった。もともと自分の思想傾向が彼同様リバタリアンに近かったせいもあるだろう。
もちろん世間の感覚とは真逆だ。いつまで経っても彼を「でも犯罪者でしょ」と思考停止して評する人が多いのは、息苦しいがどうしようもない。
ただ、彼が他と違うのは、今でも著名な大学に招かるなど、風評と切り離して是々非々で評価する人たちからは求められていること。
彼に限らず、歯に衣着せぬ物言いをする人は、どうしたって悪印象を持たれ、する事なす事マイナス補正が掛けられる。
それでもやってる事が保守的な職人キャラなら好かれることもあるが、破壊的急進的な行動様式の持ち主であれば、多くの日本人は嫌う。
私は「叩かれまくっている人から良さを汲み取れるオレカッコイイフェチ」になっているのかもしれない。
ほかにも、極論ばかりと叩かれる池田信夫だが、氏のブログは普通に勉強になることが多い。感化されて『資本主義と自由』や丸山真男を読むようになったり。
一種の中二病と笑わば笑え、それでも「安易に悪意に染まらない」心という得難いタレントを得たと自分では思っている。
話を戻すと、増田が難儀なのは、コスプレの世界に踏み込みそうなのが彼女だと言う所。
これが自分自身であれば、まだ傷つくのを恐れず飛び込んできちんと判断してやろう、という良い選択肢があるのだが、そうは行かない分、慎重になるのは分かる。
もし、増田があげた彼女のくだりが虚構で、コスプレへの嫌悪感を表明するための方便だったとしたら、この下衆がと罵倒してやりたい所だが、本当にそういう事なら、提案がある。
彼氏彼女の仲なのだから、二人そろってコスプレに参戦してみたらどうか。
彼女を守りつつ虫除けもできるし、彼女にとってもその方が嬉しいし楽しめるだろう。
コスプレの元ネタ作品を一緒に鑑賞する機会などもつくれるし、一石三鳥だ。
それをせずに、彼女にコスプレの醜悪な部分ばかり語って忌避するように仕向けるのも手としてはある。
それも彼女が保守的な性格ならいいが、そうでなければ「了見の狭い男」と取られる可能性もある。
最近、twitterのトレンドで、#オタク老化問題が上がったり、他のSNSでも話題に上がるのを目にする事が増えてきた。
恐らく、同世代のネット民の高齢化でシンクロニシティ的に結構な人が同じような事を無意識的に思っているのだ。
オタクは快楽受給者、漫画やアニメ、ゲームで快楽と共に文化を享受している。メインは快楽(ポルノ)。
それが加齢に伴う知能の発達や、性欲の減退(こっちが大きい)で、ポルノを過剰に受け取れなくなった結果、
流行オタクコンテンツに対する興味離れや同世代オタクコンテンツにだけ固執するおじさんになるのだ。
若い頃は有り余る熱意や活力から『アニメ漫画は文化作品、オタクは作品性を見てるエリート』てな妄言を吐いたりもするが、
歳とると皆こうなる。有名人でもほぼそう。オタクエリート論を掲げてた岡田斗司夫なんて只の出会いオフパコ厨だったでしょ。
駄菓子から僅かに残る栄養分を摂取するが、栄養(文化芸術性)の積み重ねが無いので、歳とってオタク趣味に興味が無くなると
後には他に何も残らないおじさんになる。結局オタクなど思春期にだけかかるはしかのような物で(宮崎駿もインタビューで言ってる)、
いかにそこから蜘蛛の糸につかまり抜け出すかの地獄の底。それまで(性欲減退)に何も積み重ねなかった人間には何も残らない。
どうでしょうか??
映画や作品をdisる気は毛頭なかったしありがちな話題なのでスルーだろうなと思って投稿したらやたら盛り上がったので続きを。
http://anond.hatelabo.jp/20170118083140
ただ、ブクマコメント欄やトラバなどを読んでるとやはりある種、衰退してる感は否めない。そう感じる人も多いのではなかろうか。
作品性以外の要素、音響設備やコミュニケーションツールとしての映画館を楽しみとしている層の増加である。
結構なことで否定すべきものは何もないが、おそらくここ2〜3年でキネマ旬報は廃刊になるのだろう。
映画会社の努力によりエンターテイメントとしての映画は盛り上がっているのは間違いないが、芸術性として評価すべき映画はやはり廃れる運命にあるのだ。
何かが失われている流れに気がつかない人もいるのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20161212204726
あ、童貞Bです。皆さま、コメントとブクマ頂きありがとうございます。
相変わらず「逃げ恥」自体と HiGH&LOW ハイアンドロウ のネタバレもあります。
スイマセン! 偉そうな事、言っときながら HiGH&LOW ハイアンドロウ 劇場2作品とも見れておりません。ごめんなさい。
趣旨の大枠は間違えてない筈ですが……
それと私は HiGH&LOW ハイアンドロウ のストーリーと作品自体は好きではありません。興味深いとは思いますが……
金田淳子さんと宇多丸さんの評論を聞いて慌てて視聴しました。THE MOVIEは終わっていました。別の機会に見ます。
「シーズン1,2,それぞれの最終回以外は面白い。正確には最終回まで つまらなさを感じさせない。ただ最終回の減点がそれまでの得点を吹き飛ばして真っ赤。
逆に言うと作品自体が持つ矛盾、不愉快さ、欠点を 最終回にまで丁寧に集約しているとも言え、ストーリー構成、脚本は完璧。」
「『女性無視』を徹底すれば、他の強度がここまで引き上がるのは発見であり、ある種の快感。作品作りにおける割り切った取捨選択は素晴らしい。
「不愉快と最悪が整理整頓され集約されてる点において、好ましい作品。」「無論。音楽とアクションは最高だと思う。」
です。
「逃げ恥」も HiGH&LOW も役者さんの走り=ダッシュの演技が与えてる説得力が強いのも面白いです。
ドラマ「逃げ恥」10話の津崎 平匡役 星野源さんのダッシュと
HiGH&LOW チハル役 佐藤大樹さんのダッシュは どちらもそれだけで作品性が感じられます。
▽ドラマ10話の
原作2巻相当のみくりさん のモヤモヤを圧縮し、平匡氏のポジションが最弱のタイミングで、ガッキーさんの好感度をほぼ使い切っている小賢しい台詞ですな。
このための新垣さんか……。
みくりさん。貴方。それ言い出したら、平匡氏が最初から無条件で提供してる「雇用と住居」の安定と 安心と信頼はどうなるの? おいくら?
ホント。どうするんですかね?
みくりさんの解呪が実質のフィナーレ でしょうし、あれはみくりさんの内面で起きるから良い訳で……
【返信】
nemunetaさん whkrさん
そう言う訳で……。何かゴメンナサイ……。
kasuganoさん
私は、『平匡氏にとって、みくりさんはガッキー級に可愛く見えている。』と読み取っています。
視聴者に分かりやすいから配役が新垣さんなのであって、みくりさんの容姿も同レベルなら派遣切りにあっていないかと……、
hinailさん
「平匡氏にとっては1LDK さえ過剰なはず。プロの独身を自認してるし、合理的な性格だし、普通ワンフロアでしょ。」ってのが私の要点です。
pikopikopanさん
楽しんで頂けたのなら良かったです。是非、ハイローも見て下さい。
SndOpさん
どうも、そもそも「選択肢」が存在しているという前提が凄いと思っています。先にケーキ食べて羊羹は置いとけば良いと思います。
narwhalさん
それはしらん。
giszkさん
ハイローは1話30分なんで、すぐ終わりますよ。設定だけ見ると複雑そうですがハッキリしたキャラ分けと勢いのある脚本で見易いです。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
-----------------------------------------------
…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、