「カーディナル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カーディナルとは

2019-03-13

ラノベ全裸表現アニメ全裸表現の違い

ソードアート・オンライン全裸さん――アドミニストレータは、

人の理から半ば外れ、神にも等しい力を持った、冷酷かつ妖艶な女性であって、

そのキャラクター性を裸体によって表現しようというのは、特におかしな発想ではない。

原作者もこのようにツイートしているように、他人視線など意に介さない、彼女の超越的な立場を強調しているのである

いや、賢明なる皆さんは「それは口実でしょ?」と思われるかもしれない。「本当はエロを描きたいだけなんでしょ?」と。

原作において、アドミニストレータ容姿について描写されているところを引用すると、こんな感じになる。

横たわっているのは、ひとりの女性だった。

銀糸の縁取りがついた淡い紫――《ステイシアの窓》とまったく同じ色――の薄物をまとい、身体の上で、白く華奢な両手を組み合わせている。腕や指は人形のように細いが、そのすぐ上で薄い布を押し上げるふたつの膨らみは豊かで、慌てて視線を通過させる。広く開いた襟ぐりから覗く胸元もまた、輝くように白い。

――13巻『アリシゼーション・ディバインディング

ここから怒涛の勢いでアドミニストレータの美貌が称賛されていくのだが、身体の部分に言及しているのはこの箇所だけである

また、この直後のユージオが誘惑される場面はなかなかにエロティックであるものの、それは精神汚染のようなものであって、アドミニストレータ淫靡な姿態が描写されるわけではない。

さすがに紫の薄衣は爆風に絶えられなかったのか、引きちぎられて消滅してしまったようだが、一糸まとわぬ己の姿をまるで意に介さず、アドミニストレータ右手を持ち上げると長い銀髪の乱れを直した。

――14巻『アリシゼーション・ユナティング

この部分は先日のアニメ放送された箇所にあたる。元増田が言っているのもこの部分だろう。

読んでのとおり、全裸であることがさらりと示されるだけで、卑猥さは特に感じられない。

しかし、これがアニメになるとこうなる。

まさに映像暴力である

小説だと「彼女は一糸まとわぬ姿をしている」と書けばそれだけで済むが、

アニメでは「一糸まとわぬ姿の彼女」を描き続け、映し続け、動かし続けなければいけないのである

今回の件については、以上のような媒体の違いが原因としてある。

作品性ジャンル性と安易に結びつけるべきではないと言える。

2019-03-12

anond:20190312195149

作者の見解です。

2019-01-13

声優ってすごい

たまに声優ドキュメンタリーとか見ると普段自分が見ている作品の背後にこんな壮絶な世界が広がっているのかと感嘆、いや畏怖を覚える。

声優たちが「現場」と呼ぶ場所のあの張り詰めた空気。人から寄せられる期待の嵐。プロとしての責任。そういうのを見ているだけで苦しくなってくる。ぼくはあの場で正気を保っていられないだろう。立っていることすらままならないかもしれない。

いまぼくが生きているのは、彼らの仕事にかける情熱のおかげであると言っても過言ではない。極限まで洗練され磨き上げられた声は人の心を揺り動かすのに十分に過ぎると思う。それは芸術を見る目がなくこの上なく鈍感であるぼくですらもだ。アニメというのは声優の声に膨大な情報がのっている。文体だけでは決してのせられないような情報。それによって、作品によっては、難しく高尚な概念とされるものもなんというかその雰囲気というか、境地に達したものの醸し出す覇気のようなもの現実よりも誇張して増幅して見せるのである。それの尊さというものをなんとなく感じさせてくれる。人がそれへと向かっていくためにとても大切なもの。心暖まる気持ち

例えば最近でいえば、SAO のアリシゼーション編などはとても良い。ユージオとキリト関係の美しさとか、キリトが花を踏みにじられて流す涙とか、カーディナルキリトが抱きしめて「報われた」場面とか、そういうところにふと「いいなあ」と思う。誇張なく尊いものを感じる。心暖まる気持ち。これこそがもっと重要なのである。これこそがぼくがアニメに求め、救われたものなのである。それは自信を持って言える。これが一般アニメ表現したい本質の一端であると信ずる。この気持ちを闇に沈めて、世間の荒波に飲まれ醜悪の限りを尽くしている人間もいる。そういったものへの一種の反抗なのではないかと思っている。SAO最初ラノベ風のセリフ辟易としていたし、ユイに「パパ、ママ」などと言わせた時は「これだからラノベ・・・」などと思ったものだが、アリシゼーション編はそれとは "重み" の違うものを感じる。それこそ、描写の "重み" が比較にならないのであるアニメ関係者はもちろん、著者は腕をあげられたのかなあなどと思う。ぼくはああいアニメ本質を析出した透明に輝くものが好きである

いままで実に様々なアニメを見てきたが、やはり肝要なところはそこだと思う。そして、巷では (全てとは言わないが) ラノベ原作の内容の薄い、現実とのギャップ面白さと勘違いしているような、アニメ審美眼のない人々のために作られたアニメというのも跋扈している。

しかしその中で、余計の要素のない純度の高い美しいものがいくつかある。中には哲学的思想を描き出しているものもある。

そういった凄まじい表現力の影には、声優たちの熱き "願い" があるのだなあと感嘆した。セリフ一つに徹底的にこだわる彼らのその魂の叫びこそこの "重み" を作っているのだと、忘れてはならないと思う。

2018-12-07

anond:20181206234906

開発は一人でやってないよ

最終的なデスゲーム化する部分を一人で入れ込んでたはず

メンテイベント生成なんかはカーディナルっていうユイの元みたいなAIがやる

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん