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はてなキーワード: 特攻服とは

2024-10-30

ヤンキーやたら漢字好きなのが不思議

特攻服いまだに来てる人いるんだ(八王子)

お経読んだらいいのでは。

陀羅尼とか魅惑的な漢字世界が広がってますが。

お坊さんヤンキー布教夜露死苦

2024-08-02

若い頃は特攻服作ってた

すぐ破くからもう作ってあげない!宣言して

縫い方を先生に教わりに行ったヤンキー勉強に目覚めてマーチまで行ったんだ

断ってよかった

2024-06-14

anond:20240614035229

2007年くらいに離れたあと俺はネトゲ廃をやっていた

ギルドチャットシステムの方が居心地がよかったぞ

ニコ動のような共同のように見えて双方向ではない不特定多数のやつらが悪ふざけをしている場よりも

あいうワチャワチャ感は身内の閉じたコミュニティで楽しむべきだ

ニコ動はまったく閉じていないんだがユーザーは閉じているという体でガンガン露悪をインターネット世界発信している

アイドル系のライブイベント刺繍いり特攻服で駆けつけて目立とうとするヤンキーに近い顕示欲を感じる

会議も数回行ったが、ニコ動ユーザーが扱うもの自体は多様なんだが

まりにも「お前らどうせ千本桜好きだろ」みたいな嗜好のおしつけをベースに作られている感じがした

2024-04-17

anond:20240417010216

ワイ東京民で東京きじゃないけど、それはそれとして福岡とかグンマーとか茨城の、中学校卒業式特攻服着たどうしようもないクソガキチンパンジーがしこたま出てくる動画見てると東京ではありえないなーってドン引く

2024-04-14

anond:20240414151507

令和の時代特攻服着て中学校卒業式ちゃう輩がウヨウヨいる地域ちょっと

残念ですが川崎東京に入るのはご勘弁いただけますでしょうか

2024-03-23

anond:20240322000014

中学校の荒れ具合は地区によるんだと思う

大阪府岸和田市の各公立中学校はどうしようもないDQNが多く、YouTube金髪リーゼント自作白ランで来てるバカ集団がたくさん見れる

栃木茨城群馬福岡辺りもおそらくそういった中学がポツポツあるんだと思う

親が40万出して中学の子供の卒業式特攻服買ってやったってインタビューで答えてたの見て眩暈がしたわ

バカがガキ作ると本当にろくなことにならん

2023-12-27

俺の娘は中学2年くらいで急激にグレた

俺の娘は中学2年くらいで急激にグレた。学校に行かなくなり不良グループと夜な夜な暴走族をしているようだった。

中学3年のクリスマスたまたま帰宅してた娘に特攻服プレゼントした、チーム名が大きく背中に書いてあるものだ。右下に俺と妻と娘の名前を小さくいれた。ダサくする事で、やりたい放題していた娘に対する親からの反抗?と見守ってるぞのつの意味で。バレたら娘はブチ切れるだろうなと思っていたが、娘はその事に気づいた時、照れた顔で「ありがとう」と言ってくれた。

そしてクリスマス暴走?があるからとその特攻服を着て出かけていった。

それが最期の娘の姿だった。事故だった。

俺が殺してしまったんだ、俺のせいだと後悔したがもう遅い。

その時、急に安倍晋三の姿が頭の中に浮かんだ、そうだ、悪いのは俺じゃない、安倍晋三だ、すべて安倍晋三のせいなんだ

2023-03-14

anond:20230314105300

まず着てる服がめちゃくちゃだよな

サッカーは観客もみんな公式ユニフォームで揃えてるけど

阪神勝手に色をピンクにしたり

刺繍入れまくった改造ユニフォームとか

意味不明特攻服着てる奴とか

秩序もクソもあったもんじゃない

2023-01-06

anond:20230105180645

プレスライダーの影響から始まった旭日旗が、日の丸はちまきや特攻服七生報国とか難しい漢字濫用スタイル奇形進化した流れは、なんか近世初期のかぶき者っぽい。

平和時代闘争心の有り余った若者が取り残されると、バロック暴力性の誇示や、極端な復古メンタリティに走りがち。

たぶんWW1直後のドイツで初期のナチス党に流れた貧乏青年たちもこんな感じだったんじゃないのか。昭和後期の暴走族がみずから特攻隊見立てたのと似たようなノリで、ワーグナー聴いて中世騎士かに憧れたんだろうな。

こういう連中を左翼は救えなかったが、戸井十月みたいな全共闘世代ジャーナリストの一部は反体制目線暴走族好意的だった。石井聰亙映画狂い咲きサンダーロード』もそういう視点

2023-01-05

暴走族車両デザインの源流を説明する(2/2)

https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き

 

60年代カフェレーサー

カフェレーサーというのは1960年代イギリス流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである

カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。

このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。

すると、カウルハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。

そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。

珍奇とは他と違うという事だから所属を表す象徴作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である

これはバックミラー鬼のように付けたモッズベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前祭り山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。

 

一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用問題が絡んでいる。

カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。

から更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である

あんな高い所にカウルヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである

 

コルク帽(ヘルメット

車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。

これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明エントリがあったはずだが忘れてしまった。

ここで説明したいのはコルク帽の由来だ。

もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。

次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代60年代バイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。

これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。

次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイス進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。

まりコルクとは半帽ヘルの事を指していた。

現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである

1968年富士重工ラビットスクーターディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年ディスコンになるとスクーターベスパ以外製造されない時期が続いた。

ホンダはここにバイクと無縁な主婦市場があると見抜き、1976年ラッタッタでお馴染みのソフトバイクロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンリリースする。

この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れますバイクとは違うものですってイメージにならない。

そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。

http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html

歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデル小川ローザだ。

それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所スーパー自転車屋であってバイク屋ではない。内装ナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。

ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。

1986年原付ヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。

こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族ヤンキーしかいない。なのでまた所属象徴である。それで90年代にはヤンキー暴走族象徴するアイテムになった。

 

からロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ

更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称60年代を借用して実体オリジナル70年代にある、という錯綜した現象なんである

 

族ヘル

ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。

70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイス暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。

このタイプデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。

 

「○○レーシング」「スペクター」のようなチーム名

暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字名前と分かれている。

これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナ名前を使う。

一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフ漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値問題である

 

街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分エンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。

 

世界に広がる暴走族の輪

こういう風に族車デザインは当初はスピード象徴であったもの文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体価値を持つという現象である

特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。

カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーロケットカウル組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である

 

こんな珍奇な族車だが、実は日本キッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。

試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?

日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツフェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこち大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本キッチュ大好き国民なんじゃないかな?

更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku

結構な人気ジャンルなのだ

出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本暴走族ファッション中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディース特攻服着物特に人気のようだ。

 

そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。

2022-08-29

ぼったくりバー店員だったことがある 其の一

かに話したくなってきた。

まだ二十歳ほどの頃、地元広島特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。

福山駅付近にある繁華街だった。福山といったら知名度ほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパート暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。

地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。

すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。

ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?

正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。

幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。

官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。

それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。

なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。

当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。

親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈り洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼて見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。

ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。



というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。

当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式特攻服を着る者や……。学校トイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。

先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あん中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。

それで、ついにある時、新築に近い状態体育館タバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。

グーグルマップ。クチコミを参照

中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。

休みチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師しか部活顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。

荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。

しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。

昼休憩の中頃、体育館ステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初カーテン燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。

担任先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。

なんか、ここまで書いただけで精神力ほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。

火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいたか

その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。

俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。

当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子モテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって

俺の父親会社経営者だった。祖父地元市役所の偉い人で、曾祖父町長だった。親戚だって職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。

彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。

法律も慣習も、常識非常識も、論理的思考人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。

あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。

そろそろ筆を休める。いい文が書ける気がしない。また明日投稿してリンクを貼っておく。

https://anond.hatelabo.jp/20220830220250

2022-06-15

日教組被害を受けた僕ら」の歴史的経緯

これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592

 

この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。

この言説のキーマン小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。

 

日教組批判が激しくなったのは1980年代後半から

日教組昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。

右翼による日教組批判特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである

街宣車大音量日教組日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校先生組合なんて知らんもんである。但し右翼一般受けは悪かったので日教組評価は下がらなかった。

また日教組集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量軍歌を流し音圧を競うようになった。

すると近所の会社仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。

でも日教組知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。

 

こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。

その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である

ソ連敵性喪失

右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼統一教会も皆同じだ。

だが1985年ゴルバチョフ書記長就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連改革政策ペレストロイカ推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。

それによって西側ではゴルバチョフ歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである

更にソ連共産党活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。

これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男ソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。

 

また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。

まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。

またソ連大使館前の道路街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバス20分以上立往生なんて事はザラだった。

 

こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。

だとしたら残存敵性勢力である日教組に向かうしかない。

という事でこの時期に日教組悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである

 

任侠右翼参入増による右翼街宣車の大増加

まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売テキ屋も同じだった。

区切りを引いたのは警察である

戦後右翼は、例えば児玉誉士夫など体制癒着しそれは米国従順という事でもあった。

1960年代末に左翼学生運動が盛んになるとこれに対する体育会右翼学生組織されていった。新右翼と呼ばれる。

新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。

ここを境に右翼系の政治結社誕生して行く。そしてそれらは「街宣車軍歌を流し辻説法をする」というスタイル確立していく。

この街宣車は最初旧軍自衛隊国防色(カーキと灰色バトルシップグレイ)だったのが後述の事情威圧感の強い黒塗りになっていく。

よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年から右翼政治結社街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。

因みに日本会議中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである

 

80年代になると校内暴力学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族右翼感染が進んだ。特攻服旭日旗暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである

更に暴走族ヤクザ構成員リクルートの場になる。

こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。

 

思想右翼の主な資金源というのは機関紙販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。

が、もう一つのパターン不正思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。

ヤクザが参入する主目的後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業商業活動暴力団が威圧をもって参入する事だ。

企業恐喝街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。

暴力手段行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。

 

因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり学生運動就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会不正糾弾する記事を書きまくり総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正総会屋が潰されると大方廃刊

だが技能を身に付けた者は大手メディアフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身結構居たのである

 

こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組集会8月9日反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエーススピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。

ハイデッキ観光バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ自動車電話冷蔵庫バーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党共産党のようなプロの街宣用スピーカーアンプを搭載して、北方領土の日にはフェリー陸路釧路とかの空港回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである

しか一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。

 

ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザ描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察問題視されていた。

そこで暴対法施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。

伊丹十三ミンボーの女には暴力団が右翼街宣車企業恐喝に来るシーンがある。この映画暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹ヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。

余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社道路に面しておらず、また同社は本社付近建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。

 

ちょっと長くなったが、「えせ右翼在日朝鮮人右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。

えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的ヤクザ運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。

 

90年代右翼不遇の時代 

こうして

1.バブル的に増加した任侠右翼暴対法により急速縮小

2.ソ連消滅により敵を喪失

となってソ連勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。

そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞コラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。

そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである

当時は欧州もみな社民政権リベラル人気で冷戦後世界情勢にも楽観的だった時代だった。 

 

 

 

続き→https://anond.hatelabo.jp/20220615180755

2022-05-25

ナンバMG5(原作)を読んで思ったこ

ドラマ面白いし、ちょうど漫画アプリ無料になってたので読んだんだよ。

そしたら、「今どき特攻服姿なんて頭おかしいんじゃねーのか?」みたいなセリフが何度も出てくる。

ドラマ時代設定は現代(2020年代)だから当然としても、原作は連載始まったの2005年なんだよね。

その頃俺はまさに漫画舞台と同じ千葉県中学高校時代をすごしていて、同じ中学普段から特攻服を着て暮らしてるヤンキー普通にいた。

しかも、主人公の剛が住んでる千葉の南の方じゃなく、東京と隣接してる松戸でだ。

あんまり千葉ヤンキー時代遅れっぷりを舐めないでほしい。

あ、あと作中に市松高校っていうヤンキー高校が出てくるんだけど、千葉には松戸市立松戸高校(一番有名な卒業生俳優阿部サダヲ)ってのがあって、地元じゃ略して市松って呼ばれてるんだよね。

どうせ架空名前にするなら別なのにすればよかったのに。

湖北とか浦南とか、いくらでもあるだろ。

ちなみに実在する市松はヤンキー高校ではないです。(平均よりちょっとバカな奴が集まる普通高校)

2022-03-10

てか特攻服着て学校行ってんのか。

馬鹿じゃない?

2021-11-01

京王放火したやつの

どうみても成人式特攻服とかきてそうなパワー系池沼のなんだが・・・

日本治安がいいのに、なんで一定比率でこういうのが発生してしまうん?

2021-08-21

anond:20210821213527

だよねえ

喧嘩上等プリントされた旗をもって特攻服を着て街を散歩していたらいきなり殴られた」ような話

2021-06-14

オタク彼氏彼女を探そうとするやつ多いけど逆に上級者向けだよね


90年代後半から00年代初頭くらいまでのオタクとかを想像していたらいいなぁって思ってる奴ら多いけど

ハルヒかいろんな変遷を経てるけどここ最近だとやっぱりラブライバーみたいな集団が生まれたりとか

オタのくせにオラついてる奴もけっこうな数がいて

最近ヤンキーとかチーマーが居なくなったからそういう半端もんになれなかったのが流れてくるようになってるのにさ

ライブ特攻服着ているのがいる時代だし

そういう意味では非モテほど非オタ彼女彼氏探した方がいいんだよな実際ところ

2021-03-01

スーパークレイジー議員の件で、「普通議員といえばいい大学を出ているもので・・」みたいなコメントを見かけたのだけど

ゆうて市議レベルでそんなに高学歴者だらけって普通なのか?

学歴云々よりも前科とか入れ墨とか、そのへんのほうがより特異的があると思うのだが……。

マイナス面を跳ね返しての当選がすごいみたいな話であっても、あるいはふさわしくないという批判であっても、同じことが言えると思う。

そういう話とは関係ないけど、特異的という意味では特攻服選挙活動とかも目立つ点だろう。


他の本人が持ってる要素を勘案すると、そこまで学歴云々が一番に意味を持つポジションとは言えないのではないかと感じるんだよな……

とはいえ自分地元市議とかは地方の市の市議だし、それを見てるからこういう事思うのかもしれん。

東京政治界隈だと、あの特異的な選挙活動すら学歴の前には些細なことになるぐらい、高学歴が通常というほど地方とは違う世界ってことなんだろうか。

2019-11-21

anond:20191120220832

髪を金髪にそめて特攻服きて竹刀もってPTA一回出たら二度と言われなくなるよ

2019-11-12

1990年代映画と、現代のなろう小説に見る、若者にとっての世界必要性について

結論を言うと、現代若者世界に愛想をつかしており、救う価値が無いと思っている、ということである

一方、資本階級である老人は、この世界は皆にとって素晴らしく、救う価値があると思い続けている。

映画創作で人気が出るものは、その時代二次創作であるターミネーター北斗の拳冷戦時代の「いつか核が落ちて世界が荒廃してしまうかも」

という恐怖の二次創作として、読者は共感し、物語に入り込んだ。

どちらも来るべき運命を、救世主が救うというストーリー。当時の皆はこの世界は救う価値があるし、自分が上に立って救いたい、という救世主に憧れる思想があった。

当時は若者がそれなりに多かったし、世間の目も若者に向いていた。

しかしそういった作品も、冷戦が終わり、反戦雰囲気が醸成されていくにつれ、

そこから最終兵器彼女エヴァンゲリオンスターウォーズwp1も、ある意味セカイ系に近い。のような、「大人の事情」によって子供世界を救わされるという作品が幅を利かせてくる。いわばセカイ系と呼ばれる作品だ。

ここまでは、まだ現代舞台で、この世界は救う価値があるかはわからないが、自分英雄になって世界を救ってみたい、といわば中途半端思想だった。しかし、スターウォーズジュラシックパークが幅を利かせてきたように

「ここでないどこか」への幻想というものが生まれてきたのもこの時代なのではないかと思う。

そこから異世界系の物語ゼロ魔だとかが人気になる。千と千尋の神隠しもそうだ。「大人の事情」によって子供が「異世界を」救わされるという作品が表立ってくる。

しかしここまでは、この世界は救う価値があるかもわからないけど、戻る価値はあった。自分英雄になって世界を救いたい、という思想は残っていた。

そしてそこから不良マンガ流行った。一種パラダイムシフトなんかではないかと思う。

この世界は救う価値は無いが、少なくとも自分の周りの地域は救う価値はあるんじゃないか地域の中の英雄くらいには慣れるんじゃないか、という思想

しかしそれもすぐ終わる。不良が色々やらかしたのを見た人々は、反骨精神も、世界価値も、英雄譚的物語も、現実だとしょうもなくくだらないものに見えてしまった。

全てが虚無でダサいものになってしまった。というより、不良は伝統と化した。

特攻服を買うのは一部の金持ちのボンボンの子だけで、不良的ツッパリも逆に今の教師世代からは推奨される始末。twitter決闘の話が、守るべき貴重な青春物語として保護されるようになった。

そして現代に至る。景気は良くなってると言うけれど、肥えるのは中年資本家だけ。若者は職にはありつけるが賃金は低い。年金問題がよく語られるが、それを見て解るのは

貧しい若者の金が、さらに肥えてる中年に吸われていく絶望的な営み。消費税が上がって、年金問題解決すると喜ぶ老人たち。世の中にあふれる物語も、左翼全盛期の中年の為に用意されたポリコレばかり。

洋画シリーズ物興行収入を稼ぐものばかり。結果、なろう小説流行る。

なろう小説は「行きて帰らない物語」だ。英雄になりたいとは思っても、ニヒリズムに溢れた主人公で、人の上に立ちたいという欲望は薄い。

この世界は救う価値が無くなり、英雄にはなりたいけれども、人の上には立ちたくない。自分の周りの大切なヒロインを守ってればそれでいい。

という価値である一億総るろ剣時代だ。皆を助ける事は出来ないが、自分の周りくらいなら助けられるだろうと言う世界観。

現代を救う話は、共感できなくなってしまった。むしろ現代を壊す側の方に感情移入してしまう。

天気の子が売れたのも、そういう世相を反映してるのではないかと思う。君の名はまでは小さな地域を救う話だったが、天気の子はセカイを壊す話だ。

ゼロ年代あたりで生まれセカイ系物語に対する回答、「一人の子供ですら潰して利用する世界価値はない」という回答。

「何も知らないままで、知らないふりをしてる」豊かな人たちに「何も足さず、何も引かないでください」と訴えかける作品

ジョーカーが人気が出たのも、そういう世相を反映しているからではないか

現代を描くには否定的になり過ぎ、異世界を描くには肯定的になり過ぎる世界。この先はどうなるのだろうか。

異世界にすら絶望して、人一人、自分すら救えない話になるのだろうか。

ひょっとすると、ジョーカー一種異世界モノなのではないかと思う。兎に角世界を壊して、勝手に皆が英雄として崇め、ニヒル笑顔でそれを見つめる。

今時世界を救う話なんて流行らないんだよな。

2019-09-27

即位なんとか

知らんかったわ、成人式みたいに特攻服着るのか?

2019-01-14

anond:20190114221650

めちゃめちゃダサい特攻服みたいなやつでしょ

もっと品があって華やかな服を男性も式典のときに着れたらいいのにってこと

2019-01-13

19歳女子大生。初めて、ではないんだけど…私のお漫ってどうかな?教

はいどうもー」

「僕らなんで漫才やってるか、って言うと、端的に言えば、大金持ちになりたいからなんですよね」

「《芸能人》、夢があるわな。おれはベタやけど、漫才大金を稼いで、ええクルマに乗って、タワーマンション最上階でシャンパンあけたろと思ってるんです」

「僕は、大金持ちになったら、服を買います

ファッションかいな」

「《イケメンじゃないと着こなせない服》って世の中にはあるじゃないですか。それと同じで、僕の好きなファッションって《お金を持ってないと、できない服装》なんですよね」

「たしかにあるよね。《ヤンキーじゃないと着れないし似合わない服》とかね」

ピンク特攻服とかね」

「ド田舎ヤンキーと熱心な阪神ファンしか着てない服やね」

「そうなんです、それと同じで。僕も本当はこんなスーツじゃなくて、ターバン巻いてマントを着たいんですけど」

「……」

「どうした?」

「おれの思ってたお金持ちのファッションと違うけど、続けて?」

「あと、お付きの人もお揃いのターバンマントをつけてもらって」

石油王やん!一瞬考えたけど、完全に石油王やん!そんな一国の王のするファッションがしたいの?たしかに、大金持ちにしか出来ん格好やけど!」

「そんな風に言われるでしょ?世間は、異端迫害するでしょ?…だから僕ははやく大金持ちになりたいんですよ」

「いや流石に、それは、常識的に考えて」

「なりたい自分になったら、ダメなんですか!」

「……」

「……」

「…ダメじゃないけど」

「でしょう?」

せやな

「だから僕は漫才成功して」

せやな

大金持ちになって」

応援するわ」

ターバン巻いてマント着て」

「なりたい自分になる」

天下一武道会悟空と戦って」

「……」

「腕が折れたら、千切って、再生して」

ピッコロやん!石油王じゃなくて、ピッコロやん!」

「…ピ…コロ…?」

「嘘つけ!絶対知ってるやろ!たしかに一国の王というか、それ以上の、神的な存在やけど!」

「(無視して)まあとにかく、そんな風になりたいんですよ」

「お付きの人の名前は?」

ミスターポポ

絶対ピッコロやん!」

「(無視して)マントの下には道着を着て」

ピッコロやん」

オリジナルロゴをつけるんです」

「知ってる、漢字悪魔の《魔》やろ?」

「いや違う」

「じゃあ何なの?どんなロゴ?」

「(ドヤ顔で胸を指差して)《I don’t use mortgage deductions》」

ドヤ顔で言われても!全然意味わからん!」

「《住宅ローン控除は使いません》」

「どんな自慢やねん!」

「いやだって住宅ローン控除で返ってくる所得税額ってすごいですよ?今なら住宅ローン年末残高の1%所得税額が返ってくる。仮に所得税額よりも返ってくる金額のほうが場合は、さら住民税からも返ってくるし。最大限活用したい場合は、あえて夫婦で別々にローンを」

「そんな饒舌になられても!」

だって、各年最大40万、10年間で400万が返ってくるんだよ。それを使わないってことは」

「それはたしかに大きいね!大きいけど!」

「…そうやって細かな節税蔑ろにする日本金融リテラシーの低さは問題だよね」

「そんな話してた?そもそも、そんなに有利な節税なら、なんで(住宅ローン控除を)使わんの?」

「それは」

「お、わかった!大金持ちやから不動産現金で買う、だから住宅ローンは借りない、借りないか住宅ローン控除は使えない!」

「いや違う。合計所得金額が、3千万円を超えると、住宅ローン控除は使えなくなるんです」

「おれ、さっきから税務署の人と話してるの?」

常識でしょ」

マニアックすぎへん?」

「(ヒソヒソ相談して)このネタを書いてる33歳既婚子持ち・こないだマンション買ったおじさん曰く《常識》だそうです」

「設定めちゃくちゃやん」

「とにかく、僕はタワーマンション最上階でシャンパンをあけて神戸ビーフを食べたいんですよ」

なんや結局おれとかわらんやん」

「いや違う」

「何がよ」

「全部ふるさと納税

税金の話ばっかりか!もうええわ」

https://anond.hatelabo.jp/20190111180250

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