「本来」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 本来とは

2024-05-07

anond:20240507000715

誤用例まで本来のぬいペニの定義には通常含みません

基本的国語理解力に致命的な欠陥がある

2024-05-06

anond:20240505020820

フェミニスト少子化問題にしていない。問題にしていたのは女性差別

学校教育男女平等を習うのに社会に出たら男女不平等なので、そこを問題にしていた。

それと、男女共同参画とか女性活躍社会だと煽ったのは政治的作為によるものなので、本来フェミニスト問題視していた範疇を超えてる。

anond:20240506214101

本来個人主義とはそういうことを恐れて個人自衛する方向に進むものなんだよなぁ

日本のは甘え主義だよな

anond:20240506200505

偉人キャバクラしか興味ないのは仕方ないんだけど本来バトルもの創作ってのは俺の考えた最強のオリジナルキャラ語りが付きまとうので偉人が俺の考えた最強のオリジナルキャラと同等に強い方がおかしいんだわ。

anond:20240506175207

日本ってリベラル自称している連中があまりにも本来リベラルとかけ離れているんだよな

対話をしようとしないで暴言デマばかり言ってルールを守らずに私刑を優先する

anond:20240506170756

ジ・アンダーテイカー(The Undertaker、本名Mark William Calaway、1965年3月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州ヒューストン出身

ギミック上の出身地は死の谷とされている。リングネームの "Undertaker" は墓堀人(本来意味葬儀屋)を意味し、転じて「地獄の墓堀人」と表されることもある。TV中継では「テイカー」とも略された。

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

anond:20240506115921

ここで昼餉真赤な夏の花佇つゆゑ

(ここでひるげ・まっか/まあかななつのはなたつゆえ)

   

中村草田男(なかむら・くさたお)という明治まれ俳人の句で、上5と下5が字余り(ないし、中7と下5が「句またがり」)なので素直に十七音ではないね。書いている俺もこの句は知らなかったけど、読み取ってみようと思うよ。長くなるけどそれはしょうがないと諦めてくれ。

   

内容は、すごいざっくばらんに書かれた意味だけを言うと「ここで昼食にしよう、(近くに)赤い夏の花が咲いているから」だね。まぁ言葉意味だけ追っても俳句は分からないので、ここから深掘りしないといけない。

  

まず俳句は、その映像を思い浮かべるところから始まるよ。

  

「ここで昼食にしよう」ってことは、昼食の場所を選べるわけだね。すぐ後に「夏の花」があるので、それがある環境、つまり野外だということも読み取れる。夏で野外で食事場所を選べるとなると、これはつまり弁当を持って散策ハイキング的な行楽を思い浮かべるよね。

行楽なら、高原とか草原とか、そういう緑の多い場所が思い浮かぶね。(明治まれの人の句だから現代的な行楽とは違って、素朴なものだと思うよ)

行楽に出るくらいだから、天気は良いのだろうね。夏の晴れの日。緑の丘、青い空、流れる白い雲。夏の行楽は避暑目的、涼を求めてするので、高原の涼やかな空気感、風の流れも想像できるね。

昼食前から出発して、そろそろ腹が減ってきたのかな。そこで真っ赤な花が目を惹いたのだろうね。この赤い花の傍で弁当を食おう、と決めた。そういう句だろう。

ここまで丁寧に「そう連想される理屈」も書いたけど、俳句をそれなりにやってる人はこういう読み方に慣れているので、元の句を見ればすぐに、「行楽、夏の緑の中、赤い花の傍でお弁当を食べる」という映像直観的に思い浮かぶと思う。

   

ここまで映像を読み取ったけど、増田が知りたい「どう凄いか」とは、その映像をどう鑑賞するのか、というところになると思う。

   

「ここで昼餉」といきなり強い意志を示したね。普通俳句は作者の意思思考など入れ込まないので、これは珍しい作りだ。ちなみに短歌は人の意思を盛り込むのが普通なので、元増田にとっては「短歌で慣れたスタイル」だから、印象が強かったのかもね。確かにインパクトがあってちょっと驚かされる。もっと言うと、字余りとした分、「本来入りきらないものを押し込めた」ことによる作者としての強い意志、この「ここで昼餉」と決断した意思の強さも表現されていると思う。

  

「昼餉」の後は、なぜこの場所食事場所として選んだか、の理由を述べている。「真赤な花が咲いている/立っているから」と。

夏にまつわる緑や青を連想させつつ、ここで「真赤」と、異なる系統の強烈な色をぶつけてきたね。これもインパクトになる。「赤い」ではなく「真赤」としたのも、インパクトを強める方向へ作用しているね。

しかも「佇つ」とした。「佇む・たたずむ」は、静かに立っている、じっとしているという意味だ。夏の高原で風まで想像していた、ゆるやかな「動」の映像の中に、急に「静」が放り込まれた。これもインパクトだね。さらに言うと、「佇つ」という一言からは、その花が何本も群生している光景よりは、一本だけが生えている様子を思い浮かべる。青、緑の中に一点だけ「赤」が生まれた。この対比が映像としてとても鮮やかだ。美しさも感じる。うがった見方をすれば、この句を詠んでいる時、作者の中村自身が花の傍で「佇んでいた」のだろうな、と想像することも出来るね。その並びの映像ちょっとばかり面白みも感じるよ。

   

まとめると、作者の中村はしばらく、同じような「夏の風景」の緑や青の中を歩いてきたんだと思う。そこへ、まったく違う「赤」という色が浮かんだ。その鮮やかな驚きと、その赤の美しさ、魅力が彼の足を止めさせ、ここで昼食にしてこの花を眺めていよう・この花と並んでいようと思わせ、さらには句に詠ませたのではないかなと思ったよ。個人的にはその驚きに共感したし、表現も切れ味あって良かったし、良い句だと思ったよ。句にする価値のある驚きだった。(名作かと訊かれたらさすがに考えるけど)

   

俳句は情景・映像を詠むもので、作者の意思感情感傷を直接に書くことはないんだけど、情景の中に感情を織り込むことは可能で、この句はそのように情景や映像の中に作者の驚きを詰め込んだ句になると思うよ。

  

でも俺は下手の横好きでしかないし、人にこんなこと説明するのも初めてなんで、実は的外れなこと書いてたらごめんな。

anond:20240506155743

日本だと女性が買い叩かれていて、海外の方がより公平に評価するため、女性日本とは比較にならないほどとんでもなく高く評価される(というか本来価値に近い評価になるだけ)

anond:20240506153121

anond:20240506151513

海外日本帰国してく奴を沢山見てきた自分から言わせて貰えば、

海外がクソとか言ってる奴(ほとんど男)って要は能力低すぎて向こうでまともに適応できなかった奴なんだよね

日本の狭いカルト的な常識ややり方にいつまでも固執してる奴

セオリーとして、日本人に限らず、母国外で活躍してる人って、母国では大体その2倍くらい優秀な人なんだよね

母国活躍できない人が海外行ったところで、母国以上の価値は出せないわけ(当たり前)

日本だと女性が買い叩かれていて、海外の方がより公平に評価するため、女性日本とは比較にならないほどとんでもなく高く評価される(というか本来価値に近い評価になるだけ)


女性は優秀だし、日本より性被害性差別がなくて住みやすいって感動して頑張るから適応して充実して暮らしてることが多い

日本に帰ると年収が1/10になったり、待遇がめちゃくちゃ悪くなるから帰れない人も多い

anond:20240506150921

地方を見捨てることになるけど良いの?

本来なら地方過疎地にこそ多くのコストを掛けなきゃいけないはずだけど

ニャ~ン (子育て)

だって必死オッパイあげてるのに女と来たら・・・。 そんなに結婚したいなら相手なんか気にしないと思うんですよ。そこら辺の野良猫交尾して子供を産む猫を見習いなさい。

猫みたいにオスは精子提供するだけってのが本来の在り方だと思うんだけどな。産みたいのか産みたくないのか、本質はそこ

anond:20240505213212

まあ下方婚するくらいなら苦労して遺伝子残す必要いからね

原始の時代に戻って遺伝子レベルで優秀な男女だけが遺伝子残すのが本来生物の姿だと思うよ

平等人権?うるせーよw

生物としてそれが自然なんだから仕方ないだろ

anond:20240506103841

本来あるべき男女平等を歪めて導入したのはお前らだろ

人の情で死ねとまでは言わないから、社会から消えて欲しい

anond:20240506082637

元増田自分のとこの仕事に専念させた上で指揮命令したがってるから無理。

元増田がやりたがってるもの本来雇用契約じゃなきゃダメで、雇用主としての様々な制約を免れるために業務委託を選んだなら甘受しなければならない限界

そこを無理やり契約書にすると偽装業務請負になって、あとで労基からも被用者からもけちょんけちょんにやられる。

2024-05-05

家を買うんだが、実際に契約完了する前に引っ越ししたことにするってありなの?

契約も済んでさてお金がもうすぐ動くぞって時に仲介業者から言われたんだが

「現住所で登記すると引っ越ししてから再度住所変更の登記をしないといけないし、減税措置が受けられない(手続きが面倒)から先に引っ越せ」だと

理由はわかったけど実際にどのくらいの人がそういうことやってるんだろう

本来引っ越し先に住むより前に住所変更するのはNGだし、なにより不動産移転が行われていないのに住所だけが変わっていて行政上は住んでいることになっているのは、明らかにやばいことなんだよね

だってお金の受け渡しが行われるより前にそこに住んでいるってことになっているんだから

だけど行政はそれを理解はしていても書類上は通すしかないし、法務局だって住所が同じだっていうならその通りにするしかないんだと思う

みんなやってる?

anond:20240505143530

データ至上主義に陥って人間らしい心を失っている

感情に従うのが動物としての本来の姿

anond:20240505204829

転売ヤー自体も褒められたもんじゃないし居ないほうがいいが

自分で答えを出してるじゃん

別にやること自体自由だし法律に反してるわけでもないけど俺は非常に不快に思っているし、彼らが存在するせいで

自身業態アップデートすべきなんだよ

みたいな(本来やらずにすんだはずの)いろんな手間が発生するんだよな。それこそ転売ヤーみたいなのをはじくためだけの無駄な手間がたくさん出てきてマジで不毛

そういう穴が存在してしまうこと自体がどちらかというと責められるべきなんだよ

のもわからなくはないが、どんなシステムを作っても穴は出てしまうからいたちごっこしかならんのだよな。最初から完璧システムが作れるなら国会なんて要らんよ

近所のラーメン屋高菜無料だったのに一部の阿呆が全部の高菜を捨てる奇行をしたとして、それで高菜無料提供がなくなったとかそういうときでも別にそれは許された中での行動ではあるし店側の対策問題ともいえるけど、常識的にやるなよボケってうんざりするじゃん

いろんな人が善意で築いてきたもの破壊しながら自分達だけが利益を得て、そのうえでこれは許されているとか穴があるのが悪いとか、まぁそれは一面的には間違ってないんだが、全員がそういうことやり始めるとシステムのもの崩壊してしまうわけだし俺は本当にうんざりしてるってだけだよ

そのうえでさらに言いつくろってこれは問題ないとかシステム問題とか言われると本当にうんざりする やるならやるで、せめて他人迷惑をかけてる自覚をもてよっていう

もし何か既存体制共存するためのアイデアが練りこまれてるなら、システムアップデートと思って受け入れられるだろうけどな

話がそれたけど、なんつーか科学隠れ蓑に、科学風のことを言いながら問い詰められたら絶妙にこれは科学ではありませんみたいな顔をするペテン師みたいなの俺はめちゃくちゃ嫌いなんだよね

最初から科学なんて関係ねーってスタンスでやってるなら好きにやればいいじゃんと思うけど、不誠実だし本当にうんざりする

これで例えば5年後に本当にCO2の回収ができるシステムが開発されたとしたら、本来その人たちが受けるべきだった栄誉を不当に掠め取ってることになるわけだよな

本当に、本当に、うんざりする

anond:20240505203512

転売ヤーって言うほど悪いインパクトばかり与えてるか?

転売ヤーによる悪質な買い占めは確かに本来消費者の入手機会を奪ってより金積める人間優遇する傾斜を作ってるけど

そういうやり方が可能って時点で必ず誰か1人以上その隙につけ込む者があらわれる、気づいて実行する人が多いか少ないかしかない

ソフトウェア脆弱性と同じようなもので、そういう穴が存在してしまうこと自体がどちらかというと責められるべきなんだよ

転売ヤーっていうのは、言うなればミクロ経済デバッガーとして機能していて、生産者小売業者がより洗練された流通システムを構築していくための圧になっている

転売の餌食にされてる事業者はいつまでも転売ヤー責任をおしつけてないで、自身業態アップデートすべきなんだよ

もちろんクラッカーを褒めることがないのと同じで転売ヤー自体も褒められたもんじゃないし居ないほうがいいが

必然的に生まれるべくして生まれる「現象」のような不可避なもんだとおもうんだ

から転売ヤーを責める人ってのは頭が悪いと思う

anond:20240505153617

素材本来の味を楽しむのが食の本道だよね

anond:20240505184139

フェミニズム本来はDEIとか働き方改革とかの背景をきちんと支える役割があって、女性中心に労働者福祉全体を向上させる社会的役割や意義もあると思うんだけどはてブ増田で延々と続いているのってそういう建設的な方向に向かわないよね。リベラル政党もその辺ちゃん理論武装できていなくて、「レズビアンとかゲイ権利!」「夫婦別姓を!」みたいな枝葉末節の水掛け論を延々とやってたり女子社員愚痴みたいなのを延々とやってたり、「闘士」のSNS晒し上げたり、炎上ヲチしたり、なんかもったいない

anond:20240503205149

本来フェミニストは謝れるんだろうけど日本のは共産党立憲民主党の影響受けすぎていて別物になってる

同様に本来リベラルちゃんと間違いを認めるんだけど日本リベラル自称している人たちは何故か間違いを認めて謝れない変種になっている

なんで日本フェミニストリベラルだけは謝れなくなるように変化したんだろうか、他の国と比べて日本リベラルを誇れないのはこういう点なんだから直せばいいのに

https://anond.hatelabo.jp/20240505030127

元増田が色々酷いので、自分の知っている範囲で。余談多め。

アブラハム契約

アブラハムが、息子イサク犠牲として捧げよるよう神から命じられる。アブラハムは苦悩するも、神への信仰(息子を死なせたとしても、神は生き返らせる事が出来るという信仰)を貫き、実際にその通りにしようとする。イサクを殺す寸前で神はアブラハムを止めて、代わりの犠牲(羊)を捧げるよう指示する。この、アブラハム信仰を神は高く評価し、彼の子から人類を「原罪から救う者=救世主メシアが登場するという約束契約をする。これが、アブラハム契約と呼ばれる物で、アブラハム宗教と言われているのは、アブラハム契約した神様の教えを守っているから。

※余談

メシア本来意味は油を注がれた者。救世主という意味は後から付いてきた。

ユダヤ教

アブラハム以降、イサクヤコブヤコブ12人の息子と子孫が増えていく。このヤコブ12人の息子の一人、ベニヤミンの子であるモーセが書いたモーセ五書(トーラー)を含む旧約聖書聖典としている。アダムから受け継いだ「原罪」をメシアが取り除くという希望を抱いている。そのメシアはまだ来ていないというスタンス

※余談

ノアの時は十戒はまだない。十戒モーセノアの時は肉食が許可された事と、契約の虹(=洪水人類を滅ぼさない)が有名。メシアは、ヤコブ12人の息子の一人ユダからまれるという預言がある。

キリスト教

原罪」を取り除くメシアイエスだという教え。ただし、現状「原罪からはまだ開放されていないとする派閥もいれば、「原罪から開放されたという派閥もおり、この辺の教えは様々。聖典旧約聖書新約聖書。教派によって外典聖典扱いしたり、しなかったりするが、基本外典聖典扱いしている。

※余談

基本、内ゲバが多い。カトリックイエズス会宣教ガチ勢狂気に近い信念で行動しているヤベー集団聖書ガチ勢だったルター別に宗教改革とか考えていなかった。カトリックが良くなればいーなーぐらいのスタンスで、95ヶ条の論題を書いたけれど、思いの外バズって宗教改革につながった。時代の流れって怖いね元増田にはプロテスタント自由カトリックが厳しいというが、どっちもどっち

イスラム教

ムハンマド最後預言者という扱い。モーセ五書(トーラー)を含むクルアーン聖典としている。イエスについての記述もあるが、キリスト教ほど重要視はしていない。ユダヤ教キリスト教と比べ、メシア救世主重要度は低い。

※余談

イスラム教には詳しくないので、識者求む。

anond:20240504142112

ジークハイル (独: Sieg Heil) とは、ドイツ語フレーズで、文字通りには「勝利万歳」という意味である。「ジーク」が勝利の意、「ハイル」は本来様々な意味があるが、おおよそ健全状態などを表しており、この場合万歳に近い意。

ドイツナチス国家社会主義ドイツ労働者党)が力を持っていた間、政治集会においては、この言葉を繰り返し言う事が習慣であった。

anond:20240505083309

かい・粗い

の話ではなくて

正しい・間違っている

の話であることに留意する必要がある。

話が細かく感じるのは元増田理解できるように、

わかりやすく例を上げて過剰に説明しているからだろうか?

本来なら、

「この場合アニメという『ジャンル』を例えに持ち出すのは間違っているのでは?」

くらいに要約したいのだがそれでは理解が及ばないだろうと思い具体的に説明した。

その説明が細々としているように感じたのかも知れない。

だが指摘している内容そのものは、

冒頭にも書いたように

かい・粗い

の話ではなくて

正しい・間違っている

の話であることは理解して欲しい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん