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2022-03-01

息子のイヤイヤ期がまだ来ない(3歳9ヶ月)

もはやタイムリミット絶望超過。

「息子のイヤイヤ期が来ない(3歳8ヶ月)」

増田日記を書いて一ヶ月。。

その後も根気よくあの手この手でイヤイヤ期に誘導しているのだが成果が出ない。

子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は乳幼児において自己確立必須ターンと示されており、

故に我が子にも正常なイヤイヤ期を経て欲しいと願っている。

てかもう乳幼児ですらねぇし。

未熟児ギリの体重で産まれたから発育が遅いのは覚悟していたが、これほどとは。

 

最近「僕が一番」に拘るようになり、都合よく乱用したのを反省している。

「お風呂に入るよ」

「嫌だ」

「じゃぁお父ちゃんが一番に入るね」

「やだー僕が一番」

ちょろい

 

ついつい楽な手を使ってしまう。

ここで彼の意思をないがしろにし無理やり風呂に連れていけばイヤイヤするのかもしれない。

と思って何度かやってみた。

捕まえて無理やり服をひっぱがした。

新しい遊びと勘違いケラケラ笑いながらフルチンで逃げ回ってるだけで効果無かった。

飽きたら最後には大人しく風呂についてきた。

 

寝かしつけもいつまでもぐちゃぐちゃ話が終わらない。

かくれんぼしよう、毛布をかけろ」

だの

「ずるっこじゃんけんをしよう」

(俺が先に出してから息子は手を変えれる特別ルール

最後は「じゃぁパパと僕で2人で勝つやつね」とアイコの手をだしてくれるのが日課しか絶対に勝たせてはくれない。

だの

今日は何曜日だ」

木曜日だ」

「なら明日休みからパパと遊びに行けるか?」

金曜日から保育園がある、わかってて言ってるだろ?」

アホみたいな会話が延々と続く

 

ママが「いい加減に寝なさい」と怒る。

仕方がないので

「おとうちゃんが寝るの一番、ママが二番、J君は三番だね」

「やだ、僕が一番がいい」

「じゃぁ目をつぶっておしゃべりやめなさい」

寝る、ちょろい、ちょろすぎる

 

まもなく幼稚園、その後で反抗期に入られても困る。

はやくイヤイヤしてくれと焦る俺。

 

隣家の絶叫お嬢さん

在宅勤務二年、幼稚園から帰宅し1,2時間絶叫してたのがここ一ヶ月パタリと止まった。

三時に上司に検温メールしなければならず時報代わりに使っていたのに、困る。

もしやウザくなって消したのではなかろうかと案じていたら笑い声が聞こえるようになった。

反抗期が終わったのだろう。

いいなぁ

 

ともかく、ウチは反抗期どころかイヤイヤ期もまだだからこの先どうなるのか。

 

自閉症スペクトラムADHDではなかろうかと疑っている。

チェックリストを見るとほとんど引っかかるのだ。

 

 

ほぼイエスではないか

しかし著名な心理学者によると障害を抱えているからといって他の子供と比べてはいけませんと書いてあるので比べないようにしている。

 

の子はこの子らしく成長してくれればいい。

ちなみに三歳検診はぶっちったのでプロ見解は知らん。

一歳半検診には連れて行ったがあまりにアホらしい内容で唖然としていたら翌日ノロゲロ

間違いなく検診会場で食らった。

まぁノロはいずれ感染して免疫獲得しなきゃしょうがいからさっさとかかってくれるのは良いのだが。

検診内容がチープすぎる、子供あやし方とか、どーでもいいわ。17,8のママじゃあるまいし。

行政虐待チェックのエビデンス残したいだけじゃねぇか。

誰がこんな可愛い我が子を虐待できましょうか。ありえないので結構です。

 

ともかく自閉症スペクトラムのチェックもほぼすべてひっかかる我が子でありこれは運命から仕方がない。

 

なんせとにかく電車しか興味が無い。

電車識別名称は覚えるのにそれ以外はダメ

ひらがなを教えているが飲み込みが早いのでウチの子天才だと思っていたら

ひらがな電車図鑑電車名前を覚えていただけだった。

ひらがなを読めているのではないのだ。

電車図鑑のページのひらがなは読める(ように見える)のに、単独ひらがなだけ見せてもまったく読めない。

絵本音読していたのでひらがな読んでるのかと思ったら何度も読み聞かせしてるから音で覚えているだけだった。

 

試しに「なんでも好きなひらがなを書いてみ」と紙とペンを渡したら

ドヤ顔で「い」を書いた

ドクターイエローのド!」だってよ、アホかとボケかと。

電車図鑑の「い」はドクターイエロー

 

次に「へ」を書いて「カシオペアのか!」

電車図鑑の「へ」はヘッドマーク、絵はカシオペア

 

面白いのでもう一つ書かせたら、「し」

しまかぜのし!」

うん、あってる、わかってないだろうけど。

 

とにかく電車が好きで、特にパンタグラフに目がない。

先日地下鉄に乗った時にヤバと思いつつもバカから気がつくまいと思っていたらパンタグラフが無いと騒ぎ出した。

どこみてんだよ。

地下鉄トンネル断面を小さく、掘削コストを下げるため架線ではなく第三軌条と呼ばれる導体から受電するのです、だからパンタグラフはありません」

説明第三軌条を見せてやっているのに納得しない。

パンタグラフが無いと騒いでいる。実に鬱陶しい。

さらには「先日阪急恵美須町に行った時は地下鉄なのにパンタグラフあったではないか」と。

そんなどうでもいいことは覚えんでよろしい。

「あれは相互乗り入れパンタグラフ阪急が走れるように仕方なく架線もあるのだ、

たぶん掘削コストは余分に40億円くらいかかってるんじゃないかな、しらんけど」と説明しておいた。

 

京都鉄道博物館ボタンパンタグラフ上下させるアクティティがあるのだが30分やってる。

止めなければ1時間でも2時間でもやってそう。

ADHDである

同じ年頃の子供を見ていると2,3回やれば飽きるものだ。

それが正常な子供だろう。あのコ達は正常な時期にイヤイヤ期もあったに違いない。うらやましい。

 

パンタグラフ上下させるためだけにJR新快速(大好き)で京都まで連れて行かされる。

誰だよこんなもん教えたの、俺だ。

息子の入館料は年パスでタダだが俺の分は980円取られる。俺電車になんの興味もないのに。

パンタグラフ上下作業に満足したらバスバスもちょい好き)で四条大宮まで移動し嵐電に乗り(路面電車にも目がない)

車折神社で降り(嵐山まで乗らないのが通)散歩しつつ、渡月橋渡り

桂川右岸を走り回りつつ阪急電車阪急チョー好き)で帰る。

これがお気に入りコース

なんやかや4000円はかかってる、近所の公園で遊べばタダなのに、実に浪費。

 

鉄道模型レンタルレイアウトに連れていくと阪急電車Nゲージ、12800円)のパンタグラフを指で上げ下げしている。

いや、走らせようよ、それ家でもできるじゃん。

触りすぎて4つあるパンタグラフの3つが無くなった。

残り一つになり、己の愚行で3つ無くなったのを自覚しているようで慎重に触るようになった。

いや、触るなよ。アホなのか。

最後の一つが無くなったらどんな反応になるか楽しみ。

残り2つになったとき、息子と日本橋専門店まで交換パーツを探しに行った。

Amazonでも良いのだが物を壊したり無くした結果のOJT

俺は鉄道Nゲージ模型にもミリ興味が無い、知識が無い。

販売スタッフに聞いたところ互換性のあるパーツは無い、メーカー在庫も無いのだそうだ。

その説明を聞いて息子も諦めた。わかったかバカモノ。

 

しかしどうせ最後の一つも壊すの目に見えており、ギャーギャー騒ぐであろうから

既に似たようなパンタグラフは購入済みで取り付ける算段もついている。

 

最後の一つが壊れ、泣き崩れていると、颯爽と修理するパパ、

流石父上、お父様、羨望を浴びる。くくく

はよ壊せ。

 

で、唯一イヤイヤし泣き叫ぶのがこのレンタルレイアウトから連れて帰る時だけ。

時間から帰ると指示すると笑顔一転ブチギレモードで泣き叫ぶ。

抱きかかえて店から連れ出しタイムアウトで反省を促す。

毎度毎度「時間なのに帰るのイヤイヤしてゴメンナサイ」と反省を述べるが

翌週にはまたブチ切れる。

店にご迷惑であり、出禁食らわないように各地をローテしているが。

これだけは半年改善せず、イヤイヤの素質が無いわけではないのだ。

やれば出来る子なのだ

なぜ普段生活もっとイヤイヤできないのか。

これではイヤイヤ期ではなくただ鉄道チョーきな子供ではないか

鉄道好きで左利き、はぁどう考えてもアレだよねアレ(偏見)。

 

風呂上がりにポップルコーンを食べるの習慣になっている。

これを食べなきゃ眠れないよねー、みたいな。

ポップルコーンとはポップコーンの事である

我が家ではちょくちょくウソ単語を教えている。

俺は小学校3年で田舎から大都会大阪に転校し方言で虐められたおかげでひねくれた人間に育ったので息子にも同じ思いをして欲しい。他意はない。

「ポップルコーンってなんだよ、だせぇな、ポップコーンだろ、バーカ」

みたいなシーンを想像すると笑える。

そして

「なんで俺はアホなお父ちゃんに育てられてしまったのだろう、ウチは世界一不幸な男の子や」

みたいな。笑える。

この程度の楽しみは子育てオプションとして享受してよかろう。

ともかくポップルコーンを作らされる。

作るまで足にしがみついて離れないのだからしょうがない。

どれほど欲しいかダンス表現するように命じている。

ポップルコーン頂戴ダンス

一人は恥ずかしいとモジモジしている、一緒に踊ってやる、意味わからん

ダンスはクソ下手クソ。父の遺伝から仕方ない。

風呂上がりで糞暑いのに、ダンスしてポップコーンを作る

ポップコーン百均で豆を買ってくれば山盛り作っても原価10円ほどであり

業スー最高級オリーブオイルを使うが、20円もかかってないだろう。

中華鍋で1分もかからない。

こんなもんで満足してくれるのだから安上がりでちょろすぎる。

ビールを飲みながら一緒にポップルコーンを食べる。

俺の山盛りの皿を見て「パパの方が多い」とクレーム

「当たり前でしょ?体の大きさが違うでしょ。でも愛してるから三個分けてあげるから1個頂戴」

1個くれる。かわいいなぁ

もう一つ頂戴と頼んだら「イヤー」と断られた。

どのみち自分の分を食い終わったら俺の皿を襲撃するのだから同じだろうに。

 

先日家族スシローに行った。安くて美味しいよね。

軍艦イクラにはキュウリが添えられている。

これを処理するのはキュウリ好きの息子の役目なのだ

さすがにいつもキュウリでは可哀想だ、もうすぐ4歳になるのだからイクラを食わせてもよかろう。

試しに3粒ほど食わせてみた。

なんじゃこりゃ、みたいな満面の笑顔になり

「口中へ赤玉投入せよ」みたいな顔で口をぽかーんと開けている

金魚みたいで可愛いと思った、全部食われて軍艦だけ残った、俺が食わされた。

下剋上か、ほんの少し磯の香りがした。

 

ともかくちっともイヤイヤ期してくれない、どーすんの。

とうちゃん挫けそう

2022-02-14

バレンタインで思い出したが、20年ほど前にトリビアの泉でやっていたネタ

相談者「もしかしたら僕のことが好きだけど恥ずかしいから渡せないという恥ずかしがり屋の女の子いるかもしれません。

   そんな女の子でもチョコを渡せるように心理的ハードルを下げる方法心理学的に考えてください」

心理学者の回答「席にカバンだけ置いてその場を離れる。誰もいないカバンにそっと入れるのが最も心理的ハードルが低い」

2021-12-10

anond:20211209212532

それは無いです

日本お金に対する考え方がおかしいとか金持ちに対する偏見ガーとか言うけれど、『お金は汚い』と言う考え方は割と普遍的な考え方で

(サイコパスほど金持ちになりやすいと言う事実と、財産の引き継ぎにより強力な金持ちになり独占していくと言う現実があるのだから仕方がない)


アメリカには、Financial Psychology と書くが、投資心理ではなく、

自身の不合理なお金の信念に気付き/手放し、お金との付き合い方を健全しましょうという主旨のセラピストもいたりなんかする。

それらの創設に携わったブラッド・クロンツ博士日本語でのざっくりとした紹介はこち

「金ですべて解決できる」なら億万長者に悩みはないはず?|大富豪ばかり相手にする心理学者の洞察クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/87220/?ate_cookie=1569731540


健全ではないお金に対する信念として、


お金回避
(教育レベルが高い人/福祉系に人にありがち。十分な報酬を受け取らない。むしろ無意識的に拒否する)

お金の崇拝
(そのまま。稼げば稼ぐほど幸せになると信じており、それと同時に自分は充分な額を稼げないと信じている。高額商品を購入したり買い物依存症だったりする傾向が強い)

マネーステータス
(自己資本年収自己価値イコールで結び付ける)

・ドケチまたは病的な貯蓄屋
(お金に対し異常な警戒心を持っている。いくら貯蓄しても永久安心出来ない)


 

などがあるそうな

自分マネーステータスかな。もろに年収自己価値 である

不正利用されたら支払え無い枠があるクレカ持ってまさかドヤ顔したりしている。
(まぁ不景気からクレヒスが良好ならグーレドも枠も年収関わらず上がるのが実際のところなんだけども、年収証明として自己満足してる)

2021-11-16

anond:20211116151203

とはいえイライラするのは人間であれば当然生じることだから、皆自分を変えようと必死だよ!

心理学者なんてそのための体系をちゃんと学んだ専門家なんだから相談に値するのに、日本って全然活用しないよね。

それで社会が悪くなっているのに、元増田のように言い訳するやつばっかりで大変よろしくない。努力しないやつは本当に迷惑

2021-11-01

「当日急に誘ってくる男は遊び目的」みたいな認識広めるのやめろ

恋愛指南的なサイトとか見たら結構書いてあるし、見たことある、実際参考にしてた、って女性も居ると思います

ハッキリ言います

大嘘です。マジでやめてくれ。

俺は本命の子ほど前日の夜とか最悪当日の朝に連絡します。数日前から前もって連絡とかしません。

なんでって、自分に自信がないから。

スケジュールに余裕もたせて誘って断られたらショックだけど、前日晩とか当日朝に声かけて断られても「急だったよねごめん!」で話終わらせられるし、こっちも急に誘ったし仕方ないよな、でショック受けずに済むんだもの

何なら「用事がなくてもこまめにLINEくれる男性は脈あり、自分から連絡しないと来ないなら脈なし」みたいなのも大嘘です。俺みたいなチキンには本命の子ほど用もないのに自分から連絡とか無理。面と向かってない文字のやりとりだから話広げれる自信ないし、万が一スルーされたら怖いじゃん。

何でこんな時間にこんな事愚痴ってるって、同期の子LINE交換して仲良くなって、3回デート誘ってOKしてくれたし脈ありかなって思ってたのに、帰り道手繋ごうとしたら「遊び目的なんですよね?そっちから用事ある時しかLINE来ないのに、デートの誘いは当日とか前日とかいつも急だもん」って言われて、え、どういう事…?って思ってショックで固まって返答できなかったから「やっぱり図星なんですね」ってみなされて、そっから気まずくなってLINEもやりとり無くなって、もう無理だって諦めたのが5ヶ月前で未だに引きずってるから

〇〇されたらセフレ扱いとか、

〇〇する男性は遊び目的とか、

何処がソースで誰が調査した何のデータ根拠にしてるのか知らないけど、謎の恋愛心理学者()的なクソ女がさも自分認識が正しいかのように決めつけてあたかもそれが常識かのように広めてくださったせいで全くそんな意図もなく順調に進展できてると思ってたド本命の子諦める羽目になったんだが、いやー本当マジで大した恋愛心理学プロ様っすわ。

あーまた思い出してしんどくなってきた。キッツ。

明日はあの子も出勤だからまた病みそう。

仕事行きたくねー。

2021-10-10

anond:20211009214522

成果主義的な奴らのご家庭など、子々孫々に至るまで滅んでしまえと思っているので、

この願いが成就するといいけど、

子供も時に大学に連れてこられている時があり、

こっちも興味津々なので、やさしげに話をしてみるが、子供にはどことなくはつらつとしたところがなく

このおじさんは偉いのか弱いのかというような軸で評価している言動がある。

やっぱりこの子達も、もう子孫を残さずこの代で滅ぶべきなの?

その一派の子供達が、学校不適応だったり、非社会的な行動をとったり、

学校でのトラブルが多かったりする。そこで、私が心理学者なので相談を受けたりする。

親がそうだから、子も変になるとは思うのだが、とてもそれは言えない。

この不幸の連鎖をここで断ち切った方がいいのは確かかもね。

2021-10-09

anond:20211009214522

そういや最近話した教育心理系の人(学歴ロンダ旧帝大単位取得退学)が、まさに業績主義ガチガチって感じだったな。

あの人に育てられる子供マジで可哀想だと思った。

意外と心理学者が紺屋の白袴みたいになっちゃってるかもしれないから、その結果は早く然るべき雑誌投稿すべき。

2021-09-12

コロナ富裕層仕業投稿に引き寄せられた居酒屋店主…

マスク着用での入店お断りします居酒屋店主の男性が、新型コロナ感染対策拒否する貼り紙をしたのは、今年3月のことだ。

妻が偶然、SNSで見つけた投稿に引き寄せられた。

<実はコロナ世界富裕層仕業><さな自営業者を潰し、資産を吸い上げるのが真の目的だ>

客がいない店内で妻と2人、スマホを手にひたすら情報を集めた。同じような説を唱える投稿ばかりが芋づる式に目に入ってきた。「今までだまされていたのか」と憤りが募った。店のツイッターで「うちはマスク不要」と発信を始めると、遠方からの客が増え、売り上げは持ち直した。店主の行動は感染を広げかねない危険もので、一部の常連客は離れた。だが店主は意に介さない。

コロナ騒動は仕組まれものだ。国や役所に従ったら犠牲になってしまう」

人間自力ではどうしようもない状況で、強い不安さらされると極端な言説を信じやすくなる――。

米国心理学者研究では、こんな結果が出ている。社会学者の辻隆太朗さんによると、過去にも海外エイズエボラ出血熱流行時に、「黒幕がいる」「人口削減を画策している」とのデマが広がった。

先行き不安高まると、誰かのせいにできる単純明快解釈を受け入れることで、「『自分真実を知っている』という気持ちになり、不安定な心理状態が緩和されると考えられている」と辻さんは説明する。

コロナ富裕層仕業投稿に引き寄せられた居酒屋店主…[虚実のはざま]第4部 深まる断絶<2> : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン

https://www.yomiuri.co.jp/national/20210910-OYT1T50000/

2021-07-06

心理学者さんが分析!「ナンシーおじさん」はなぜバイクの排気量を聞きたがるのか? の心理学者さん

https://mc-web.jp/life/zatsuneta/54718/

ナンシーおじさんというのは、バイクに乗ってる人に「このバイク、何ccなの?」って話しかけてくるおじさんのことです。

心理学者さんはそういうおじさんのことを

ナンシーおじさんは会社では冴えないオヤジで、家に帰っても家族から相手にされず口を聞く相手もいない……だから仕事のことや家族のことを聞かれると黙り込んでしまうことが多い傾向にあります

って言っちゃってるけど、そこまでおかしい人扱い?

この心理学者さん意地悪すぎない???

別にccってきかれるぐらいどうってことなくね?

さすがにこりゃ世知辛い世の中じゃなくね?

まあ、おれはそんなのいちいちきかないけど

2021-06-27

anond:20210627120459

有名な心理学者 Ajico が昨年発表した論文によると、

女児売春するのは自然の摂理とも読み取れます

私が思うに、親の教育程度で売春欲を抑えきれるとは到底思えません。

からこそ、買う側の成人に対する規制必要なんでしょう。

マズローはもう古い!新しい欲求ピラミッドできたよー!

https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/11/28/181855

2021-05-17

借金パクリ問題

借金玉のパクリ一覧

フレーズの流用や見解サンプリングはパクりと言えないかもしれないけど、借金玉がreiにしてるパクリ認定基準採用するとパクリ。また借金玉はパクるだけじゃなく、起源を主張して他人の流用を許さな領土化を行っている。パクリよりこちらの方が深刻な問題であり、発達障害当事者言論が不当に制限されるのみならず、当事者が積み重ねてきた言語自体強奪に他ならない。作家なら他人言葉に敬意を払えよ

フォロワー自分に向けられた銃口の数」→元ネタエターナル総書記の「フォロワー自分に向けられた銃口の数だよ」と思われる。本人は自分オリジナルと主張。本来意味でのパクツイに近い

お気持ち」→揶揄として使ったのはTwitterではむしが最古かつ界隈で使われていた。本人は自分オリジナルと主張

https://i.imgur.com/vzU2ghf.jpg

「会話を独演会にする」→昔からずっと使われてた比喩表現。また同表現を使った『一流の人の話し方 二流の人の話し方』はベストセラー。本人は自分オリジナルと主張

「やっていき」→界隈で普遍的に使われていたが借金玉が起源主張して領土化した為、ダサくなったのもあって使われなくなった。本人は自分オリジナルと主張

自己肯定感は塩水」→ショーペンハウアーの「富は塩水」を元ネタとして、精神科医高垣忠一郎が公演や本でよく用いていた表現。本人は自分オリジナルと主張

ポリコレ棒」→元ネタは砂鉄蛙の「ポリコレという棒を振り回してる」。本人は自分オリジナルと主張

発達障害安易ライフハックに頼る前にまず基礎生活を整えろ」→まくるめの借金玉に対する苦言を、その翌日に自分意見としてツイート

「奇妙な共感」→恒内

HSPASD関係」→reinote

身体にいいものばかり食べさせられた子供マクドナルドにハマる」→まくるめが教育者親族から聞いて借金玉に話した事であるが、本人は自分の見分としてツイート

大きな白紙アイデアを書く→心理学者トニー・ブザンが提唱し、シリコンバレーで広まったマインドマップという手法。本人は自分オリジナルと主張

茶番センサー→kentzが作り界隈で普及していたフレーズ借金玉が起源主張して領土化した為、ダサくなったのもあって使われなくなった。本人は自分オリジナルと主張

神棚ハック、本質ボックス、扉のない棚で視覚化&一覧アクセス→いずれも元財務省官僚野口悠紀雄の記したベストセラー『「超」整理法―情報検索と発想の新システム』に記載されてるライフハック。本人は自分オリジナルと主張。ここまで一つのから被ってるとなると本来意味でのパクリ可能性あり

机の上の物をザーッとやる→小説家スティーブキングが公演でよく言うジョーク。「小説の書き方」にて同じようなニュアンスジョークを多数載せている。本人は自分オリジナルかつ「ジョークである」と主張

生活では着る物を制限したして決断を減らせ→スティーブ・ジョブズがいつも同じ服装をしている理由として有名。本人は自分オリジナルと主張

見えない通貨、会話のプロトコル霊長類学者ロビンダイバーが「ことばの起源」で述べている考え方。ダイバー自身言葉の交換を形のない通貨表現。本人は自分オリジナルと主張

就活記事借金玉が就活記事案件を書けないので、まくるめが代理執筆していたような事をツイートする。また就活記事は大体本人の経験もしくは知見として語ったりTwitter宣伝

https://i.imgur.com/zY7znRk.jpg

https://i.imgur.com/EjQdfkn.jpg

https://i.imgur.com/9X0pqs0.jpg

https://i.imgur.com/SEuwqA2.jpg

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-05-12

anond:20210512200911

アドラーだってマズローだってそりゃ今でも「使われてる」ぜ?

けどまともな心理学者ならこんな使い方はしないんよ

2021-04-10

anond:20210410021602

どうでもいいのに「死ねばいい」って、全然どうでもよく思ってないじゃん笑

多分だけどあなた、冒頭の「年収500万の妻」に該当する人物でしょ?

「こんな夫がほしい」って思ってる女性じゃないかな?独り身ではなさそうだね。

はてブなんてやってるぐらいだから独身でそんな厚かましい条件を希望する女性に対するネットの住人からの当たりのキツさは弁えてるだろうし、無謀だってこともはてブにたどり着くぐらいネットに浸ってたら知ってるでしょ。

から、そんな条件を男性に求める女性ということを鑑みると、増田は少なくとも既婚者というステータスぐらいは備えていて、そこから来る自信ゆえに「いつか白馬王子さまが迎えに来ると信じてる女」と差別化は出来ていると思い込んでいる、結婚相手を選ぶのに失敗した既婚女性と予想してみる。

妄想上の人物が現れますように」ではなく、「現実人物がこうなってくれますように」って願いだからまだ進歩的って自負が総資産一億うんぬんみたいなスペック旦那様を恥ずかしげもなく捏造できた……とか?

全部妄想だけど心理学者ぶってみた。

2021-04-08

anond:20210407191608

人権同士が衝突することも多いってのを勘案してくれ。

世の中はままならないので、増田のような、人権侵害は迷うことな拒否してよいしそれでうまくいく、って整理では片付けられないのだ。

たとえば要介護者の世話は、家族など周囲の人間が担わねばならんのだが、やりたくもない介護をさせられるってのは周囲の人間人権侵害している。

公的にも私的にも扶助はあるが、それでもきょうだい障害者を持って生まれた辛さ、親の介護の辛さ、みたいな記事がたまにバズるよな。

これは要介護者と健常者の人権がぶつかる中で、妥協点を探って暫定的に今の仕組みになってるわけだ。

万人の人権を万全に守ることは残念ながら不可能

なので、仕方ないけど周囲の健常者や国民の税を要介護者にあてがいましょうという仕組み、これが現時点での対処である

だが、増田のような考え方では、介護公共のためであっても、人権制限に繋がるあてがえ論はノータイム拒否してよい、となってしまう。

介護者の意見で聞く価値があるのは「私は障害があり要介護者だけど仕事や外出や人間関係を楽しみたいのが本音だ、でもそれには他人介護強要する人権侵害をせねばらなんので、おとなしく家にこもることを選ぶよ」という内容だけだ! なんてことを誰かが言ったら、現代社会では賛同されづらいだろう。

そして増田の、弱者男性意見で聞く価値があるのは「ぼくは女性とのコミュニケーションが欲しくて苦しいが、その苦しみの解消には女性人権侵害せざるをえないとわかってるから、おとなしく苦しみつづけることにします」ってタイプ弱者男性だけだ……という態度はこれに近いのだ。

それ自体もまずいが、もっとまずいのが、増田の主張の危うさに気づいていいはずのブコメ聴衆さえも、増田道徳的で素晴らしい考え方をしていると褒めまくってしまうことである

弱者男性の生きづらさが認めてもらえないというのは、誰か一人が偏った意見を言うってこと以上に、それを客観的に聴いているはずの大衆までもが無自覚弱者男性に辛さを押し付けてるってことだと思うぞ。



俺の論をもう少し詳しく説明しよう。

話を簡単にするため、シスヘテロ弱者男性を想定して論じる。

弱者男性論の中でも、異性恋愛部分で揉めやすいのは、わかりやす人権同士が衝突するからだ。

周囲の人間自由意志尊重することと、キモいとされる男性が異性とのコミュニケーションを得られず孤独に苦しむのをを救うこと、その両立が困難だと判明してきたからこじれているのだ。

(多くの人間または男性の心には、性的対象とのコミュニケーションによってしかまらない大きな飢えがあり、非恋愛の友人関係では満たせない、という仮定はとりあえず正しいとする。その真偽は心理学者などが長い時間をかけて研究せねばならないだろう)

箇条書きにすると、以下のようになる。

不快相手との交流を強いられることは人権侵害である

・だが、悪意がなくても他者不快感を抱かせがちな上に改善困難な人間存在し、その代表キモくてカネのないおっさんのような弱者男性である。(女にもそういう存在はいる)

・彼らと交流させられることは、人権侵害である

・よって、他者不快感を抱かせる弱者男性は、諦めて孤独に暮らすべきだ。

・いや、それで本当に倫理的にいいのだろうか?




繰り返すが、弱者男性人間関係についての話は、介護障害者支援と近いんだよ。特に支援が進まない精神障害問題

接触すると周囲の負担になりやす人間をどう扱うか、という問題だ。

介護者を厄介者みたいに言うのはかなり危ういんだが、実際のとこ、厄介者(とされちゃう人)をどう包括するかを真面目に考えることで社会福祉は成り立っている。

現在日本では、家族扶養義務とか、介護ビジネスへの補助金とか、福祉とか、障害者雇用義務とかで要介護者に対処している。

たまたま家族に要介護者がいるからってその世話をさせられるのは人権侵害ではないか、という論点は当然あるが、今のところ、その人権侵害一定程度許容してでも、要介護者を社会から切り捨てるのを防ぐべき、という風になっているわけだ。

その果てに介護疲れによる自殺などもあるんだけどな。

ここで増田の整理を抜粋する。

耳を傾ける意見:「正直異性(他人)とのコミュニケーションは欲しいが、現実女性意思人権制限するなんて酷いことは考えていない」

無視すべき意見弱者男性問題解決のために女性意思人権制限すべきという意見全般(女をあてがえ派を含む)

すなわち、周囲に不快感を抱かせてしま気持ち悪い弱者男性にもコミュニケーション欲求があるのは納得するが、その援助が周囲の人権制限しなければならないなら無視してよい、ということになるだろう。

自由意志制限するべきではないので、周囲が世話をしたがらないなら要介護者は介護される必要なし、弱者男性につきあってやる必要なし。

それで本当にいいのだろうか。



弱者男性を要介護者と並べるのは突飛に見えるかもしれない。

だが、弱者男性と言うカテゴリの中には、精神障害者やパーソナリティ障害発達障害さら障害と健常のボーダー位置する人間がおそらく結構割合で含まれる。

また、そのボーダー時代と共に変化し、歴史の傾向としては要支援障害者認定される範囲が広がっているのだからワガママで苦しいアピールする人間と正当な要介護者を現在基準で完全に分割して別物と扱うのは適切ではない。

これは弱者女性についてもそうだ。

そして、弱者男性問題を、介護障害と地続きの問題として見れば、精神障害者への支援の遅れと近いことに気づける。

対人能力人格情緒の安定にハンデを抱えている人間に対する扱いは、いまだに相当に厳しい。

障害者支援代表例は雇用義務だが、精神障害は本当に厳しくて、障害者雇用でも採用されるのはおもに身体障害者だ。

精神障害者の雇用義務ができたのは、驚くべきことに2018年というつ最近だ。(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192051.html

精神病院についてのゴタゴタも頻繁に取りざたされる。

今も世の中には、「精神障害のある人たちも苦しいだろうけど、関わるの負担が大きいし、その負担を強いるのは人権侵害から、仕方ないだろ」なんて感覚があるのだ。

そして精神障害者と弱者男性の避けられ方は近い。



(このパラグラフだけ4/9の朝に追記

弱者男性支援する具体策については、深く踏み込みたくない。

政策知識のない俺が具体的なことを考えたってツッコミどころが多いだろうし、そこにツッコミが入りまくると、まるで総論としても弱者男性論が間違ってるような印象を持たれるからだ。

具体策として考えた内容に穴があるからって、総論としての方向が間違ってるとは限らないのにな。

……と思ってたが、「要は公的カウンセリング風俗か? それとも奴隷化か?」なんて人が多いので、それ以外の方法として、AC広告みたいなイメージ戦略なども考えられるよね、とトラバで書いた話を追記として挟んでおく。

弱者男性を「コミュニケーション介護者」と捉えた場合、その支援職員訪問しておしゃべり、みたいな直接的な支援に限らない。

たとえば、コミュニケーション介護者ともできるだけ親しく関係を持つのがよいことです、というプロモーションを明に暗に打ち続ける。

年寄り地域交流しましょうもたつきは温かく見守りましょう、白杖を持っている人が立ちすくんでいたら声を掛けましょう、みたいな感じでな。

仕事としておしゃべり介護してもらうより、プライベート友達恋人が作れたらもっと嬉しいんだし、プロモーションの影響で世間からキモくてカネのないおっさんおばさんに対するイメージがよくなり「自由意志」でイチャコラしてもらえる可能性が増すならよろこばしい。

これは弱者男性に限らず弱者女性コミュニケーション介護者に含むことができ、彼女たちの孤独を和らげることができるだろう。

男女問わずボダメンヘラや鬱や統合失調症アダルトチルドレン無職の人も友達恋人セフレができやすくなるってわけだ。(弱者女性はむしろセックス相手として求められすぎて困ってるみたいな話もあるが)

なにより、社会がお前たちを排除矯正していくつもりではないというメッセージを出すことで、彼ら彼女らに希望を持たせられるのがいいことだ。

弱者男性の中に反フェミニズムに熱心になる層がいるのは、フェミニズムの声が主に重視されて自分たち男性相対的にどんどん追い詰められる未来が予想されて不安鬱憤があるからだろう。

そこを変えて、フェミニズムで女の欲望肯定していくけど、同時に男の欲望は男の欲望社会として肯定していく意図があるよ、という雰囲気があればだいぶ状況が変わるのではないか

もちろんこれは「コミュニケーション介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するので常にバランス綱引きが行われるだろう。

あとはアンドロイドセクサロイド代替とかってのもアリかもと思うが、それならそれで、真面目にその方向の技術振興をしましょうという政策議論に繋げるべきだ。

「50年後か100年後にできたらいいよね~科学の発展に期待だね~」じゃなくて、それを少しでも早められるよう本気で向き合い、技術や金を使うために協力してほしいんだよ。

追記ここまで)



まあダラダラ書いたけどさ、とにかくこういうことよ。

健康で文化的な最低限度の生活のためには周囲に負担を強いることが必要になる、広い意味での「要介護者」は世の中にけっこういる。税金を利用する全員がそうだとさえいえる。

人権侵害絶対拒絶すべきという考え方をすると、周囲の強制負担も認められないということになり、その「要介護者」たちは見捨てられることになってしま

現代では、人権同士が衝突する場面も多いとわかってきたのだから、その中でどう折衷していくかが大事だ。

そのためには、人権侵害議論余地なく即却下、という素朴で潔癖な姿勢は話が進まなくなるので良くない。




このさい、弱者男性論はさておいてもいいや。

現代では人権同士がぶつかりあってるので、「人権絶対守るべし。そしてみんなの人権を同時に守れる方法はある」とシンプルいかないことはわかってくれや。

心理学は役に立たない学問

英語版のQuoraを見ていたら心理学は役に立たないから専攻してはいけないという意見が書かれていた。

 

言われてみれば確かにその通りだと思う。私も自分を救うために心理学勉強をしてみたがそこに書かれてあることは何の役にも立たなかった。役に立ったのは金儲けに関する知識コンピュータスキルで面倒な人とは関わらず金を稼いでいれば楽しく暮らせることがわかった。

今思うと心理学者や精神科医には変な人が多い。彼らがコミュニケーションの達人ではない。どちらかと言えばコミュ障だ。そのことに早く気づいていたら自分もっと早く楽になれたかもしれない。

2021-03-30

最初からそうだけど、エヴァって壮大な親子喧嘩であって、父殺しの話であって、

父殺しといえば、ガンダムテーマの一つでもあったと思うんだよなあ

初代ガンダム酸素欠乏症で、母親も銃を撃つような野蛮な子供に育てた覚えはないとか平和ボケしてて、

そりゃ、ワイがジオン兵に撃ち殺されても良かったん??あーん??となるわなあ

テレビシリーズ5話でシンジくんがオヤジディスると、レイちゃん激昂してビンタ一閃。これ、今から思えば不自然に感じませんか。レイちゃんってそんな激しいやつか? ナメた口をきくガキは即座にビンタ。お前は桃井かおりか。キャラがきちんと固まってなかったところに、美少女ちゃんからいきなりステーキ突然ビンタされるショックと恍惚を優先させたんでしょ。

いや、綾波レイユイなのだから、息子とはいえ最愛旦那をディスられたのだからビンタをするのは当たり前というか、

普段大人しいマッマやけど、息子がパッパのことを糞味噌にこき下ろしたら、誰のおかげでご飯が食べられてると思ってんの!?

みたいにキレられても普通の家庭でもおかしくないわけで、

それに対してワイは、神様のおかげやし、ワイが生きとるのも、母ちゃん父ちゃんが生きとるのも、

父ちゃんが食える仕事にありつけたのも運であって、運というのは人間にはどうにもならん、

それを面白おかしくいじれるのは神様だけの特権であって、思い上がるな、人間風情が、

みたいにハガレンラストみたいなことをワイは思うわけやけど、

そもそも父殺しだのキモい解釈であって、要は男の子父親母親女性として奪い合うみたいな深層心理があるんでないの?

みたいなことを心理学者だの思想家だのが言うわけだけど、ねーよwとしかワイには思えないわけで、

あのな、半分嫌々かもしれない見合い結婚したうちみたいな家庭にな、そんな解釈は成り立たんのだよ、

そもそも男性オマーン湖におちんぽ挿入したがるのは、

歯が付いた女性器という下の口に陰茎を噛み切られたがってるからだ、

とかどうやったらそんな結論に到達するんだ?

ワイはそこまで変態やないぞ、とか思うわけだけど、エヴァはそういった解釈踏襲しているわけで、

からゲンドウとシンジユイを奪い合ってるし、ゲンドウは死んだユイに会いたいがためにレイを創ったりしたのだろうし、

シンジゲンドウを父殺しして、しかしながら母とは別の女性を求めなければならない、近親相姦ものではないのだから

で、テレビとかでそれはアスカの役目のように思わせておきながら、

アスカクローンとはいえケンケンとかヘムヘムみたいな🐶のような男性が好きだったわけで、

じゃあどうすんべ、と庵野氏は考えたんだろうけど、

まさか庵野氏まで刑事コロンボのように「うちのかみさんがね…」みたいな男性になっていたとは露知らず、

トウジの妹も飲尿ピンクもその他大勢も、

新しいエヴァ世界キャラクター設定画に貞本氏らしさが感じられず、

これってモヨコだよなあ、違うのかもしれんけど自分にはそうにしか見えないんだよなあ、とモニョモニョさせられて、

だったら飛行石持った俺の嫁が空から降ってくれば問題ないやん、みたいに思ったのかどうなのか知らんけど、

なんかそんな感じで、ケジメは付けたいんだろうけど、内心さっさとエヴァを終わらせて次のネタをやりたいだ、俺は、

みたいなのが感じられて、でも観に行ってないんで知らんけど…

2021-03-22

あは

さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論たか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。

 それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智いるかどうかを尋ねた。

「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしまから

 彼女はそういって、店先から見えている階段上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、

「オー」

 と変な返事をして、明智はミシミシと階段下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。

 何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。

「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」

 私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。

 私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富知識を持っていることだ。

 年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことな愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。

「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」

 明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。

「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。

「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」

「ホウ。そいつはすてきですね。詳しく聞き度いものですね」

 私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。

「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋犯人指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います

 それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈たか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。

 さて、犯人着物縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチ指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」

 そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。

警察では、君の指紋犯人指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しまから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。

 併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋人達指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。

 君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチ指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」

 この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。

「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。

 ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」

 古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。

「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手蕎麦屋ですから便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。

 そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」

 私は少し言葉を切って、明智発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。

「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋トリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。

 さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」

 読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。

「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」

「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」

「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから犯人着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」

 彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。

「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」

 私は、彼の自信ありげ議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。

嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題道路全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。

 私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。

「これは実際あったことですが、今度は、この『証人記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」

 それは左の様な記事であった。

(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物出版は一九一一年)ゲッティゲンに於て、法律家心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホール真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉動作が、予め予習されていたこと、その光景写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題からというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるもの茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)

ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」

 読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人申立て否定し、犯人指紋否定し、犯人通路をさえ否定して、自分無罪証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪のもの否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。

「で、君は犯人の見当がついているのですか」

「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜

2021-03-07

いくつか参考になりそうな文献があったので貼っておく

多くの人が運転中に感情ストレスを覚えるらしいので「運転という環境下では誰しもストレスがかかり、感情的になりやすい」と考えたほうがいい

しかあなた父親には問題があるが、それは運転という状況下によるもので、本人の人格はあえて切り離して対処法を考えたほうがいいか

日本アンガーマネジメント協会安藤俊介代表理事は、イライラした場合でも、6秒、間を置くことで多くの人は冷静になることができるので、その間に言葉に出して気持ちを落ち着かせるのが望ましいと言います

その際に有効なのが、イライラする場合を想定して、自分自身にかける言葉をあらかじめ用意しておくことで、「大丈夫」とか「たいしたことない」といった、前向きな言葉を言い聞かせることが大切だといいます。また、温度計イメージして、自分がどれくらい怒っているのかを客観的に考えることで、怒りを行動に移すのを避けることができると指摘します。

運転中になぜキレやすい? | NHK生活情報ブログ:NHK

https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/283055.html


職業ドライバーアンケートを取って聞いた対処法の具体例がいくつか載っている

ドライバー感情特性運転行動への影響 - 国際交通安全学会

https://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h076.pdf

対処法としては

運転前に、身体状態をチェックする。

運転前に軽い体操をし、身体をほぐす習慣をつける。

変だなと感じたら、運転を控える。

無理のない計画を立て、適切な休憩を取る。

正しい運転姿勢を習慣づける。

などがあります

一般高齢者の皆さんは、

安全を守ろうとする強い気持ち

自分コントロールできる

豊富経験

高い遵法意識

などの長所をお持ちです。それらの長所いかすとともに、自分自身の心身機能状態自覚し、安全運転を心がけましょう。

安全運転講座/高齢者身体心理的特性

http://www.anzen-unten.com/home/a2/b3/drive023.html

原因の一つは、車という場所プライベート空間公共の場狭間位置するからです。「車に乗っていると、どこか匿名になったように感じるのです」と語るのは、ヴィラノーヴァ大学社会心理学であるErica Slotter氏。「匿名感覚により責任を負わなくてはならないという感覚希薄になってしまうため、時に普段は取らないような行動を取ってしまうのです。」

自制心には限界があり、運転という行為自分を律する能力負担がかかりますフロリダ州立大学の心理学者、Roy Baumeister氏は自制心をガソリンに例えました。それを使って衝動感情コントロールしますが、いつかは使い切って空になってしまうということです。

そして自制心が空になると私たちは「判断疲れ」を起こし、自分抑制する能力が低下します。判断疲れが起きると、乱暴な行動を起こそうとする衝動を抑えにくくなるのです。

心理学者Mark Muraven氏は、自制心が疲弊した人でも、その行いが他人の為になると伝えられると、自制が必要作業をうまく行えるということを発見しました。ということは、「落ち着いて親切な運転を行えば同乗者や他の車を危険に晒さなくて済む」と運転中に言い聞かせることで自制心を強くすることができるというわけです。

運転中に乱暴になってしまうのは何故なのか?

https://www.gizmodo.jp/2016/01/aggressive_driver.html

anond:20210306160755

2021-02-23

anond:20210223223322

横だが

精神科医玉石混交すぎて基本的に信用できないわ

DSMにそって診断して、薬の説明書音読して終わりって感じの医者はほんとに教科書レベル知識しかないし

逆にベテラン名医扱いされてる医者は、フロイトだの持ち出してくる心理学者だし(科学的かはともかくPTSDなんかには効くのかもしれないが)

発達は発達専門に行かないと、精神科医者も専門外のことはたいして知らない。

2021-02-16

男性孤独

孤独共感欠乏症だ

共感能力の低い男性は、現代では孤独に陥りやすいらしい

それは男達は村を出て狩に、女達は村で手仕事をしていたことに由来すると心理学者は言う

から女は目的もなくお喋りを楽しめる才能があるが、男性にはこれはないらしい

もちろんこれは実証不可能人文科学お得意の妄想だが、彼らの御伽噺を信じるのなら

男は男たちだけで狩りに出ることで孤独を埋められるかもしれない

狩猟免許持ちの独身男性コミュニティは、よく聞く

山賊ダイアリー漫画家もたしか独身だった

案外男は友達BBQでもしてろと言うのは間違っていなかったのかもしれない

ただ手仕事をしながらの交友よりは、何か一つの目的を共有した活動の方がいいかもしれない

2021-01-12

anond:20210111211021

それは下痢気持ち良さじゃなくて排便の気持ち良さでは?

ユングか誰か心理学者が排便の気持ち良さについて言ってたような・・

本当の下痢は腹痛とひどい時は吐き気も同時なので辛い。

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