はてなキーワード: 即身成仏とは
一ミリも関係ないんだけど、全然関係ないところから空海が言ってる
睡眠が教義の謎の宗教、ヤバいペースで信者が増えてしまう 【スヤスヤ教】 https://youtu.be/OLdvnaLV3e0?si=tmEOHS8Ud04RHKFb
超絶難しい十住心論をアバタローさんという読書YouTuberの方が「大日如来と一体になるのが悟りの最終形態」と紹介してるのですが…ここだけずっと謎でした。
【名著】三教指帰|空海 全ての悩みは、10段階で消滅する。 ~現代人の心を救う、天才僧侶の秘密の教え~ https://youtu.be/u9thajcl2oc?si=4IiHParjPiNaKii3
十住心論は、かなり画期的な本で、
を、悟ったと言ってる本人が解説しようとしてる歴史的に見てもすごい本で、今読んでも参考になる。
を考える時にかなり面白い本
ざっくり言うと
本能のまま生きる→
(ちゃんと人に伝わる方法や愛情を持つことで)自分が流れを作れるようになる→
全てが移り変わるものであることをポジティブに捉えられるようになる→
健やかで穏やかな時間を生きる
という感じ
で、最後の「大日如来と一体になるのが悟りの境地」だけ「そもそも大日如来ってなんだよ」「仏と一体っていみわからん」と思ってた。
「心が落ち着く場所・行為・習慣の中に身を置くことで、生きながらにして健やかで穏やかな状態になってることか!」
と納得
仏教の教えは用語が哲学的過ぎたり、大げさな言い回しになりがち。
スヤスヤ教は宗教のメリットである「心や体にいいこと言ってる」要素を、シンプルかつ肉体の健康にも敬意を払ってるからとてもわかりやすくていい!
「大日如来と一体になる≒おふとんと一体になる≒心安らぐ時間・習慣を大事にする」と捉えると、
「心安らぐ時間を大切にするなら、推し活やオタ活でもいいの?」
と思う人もいるかもしれない。
推しがロスした時にパニックにならないならいいんじゃないですか?
スヤスヤ教とて、信じすぎて
「睡眠に執着する」
「執着や煩悩は悪。そんなもん捨てろ」
があるけど…アレ、「お前の物事との付き合い方おかしいよ」という話です。
付き合い方がおかしくなるほどアツくなったら執着かと
ブッダ自体が「煩悩や執着を捨てる厳しい修行したけど、全然悟れなかったわ」というてますし。
無欲になることよりもむしろ、「物事は常に移り変わっていくけど、自分の中で心地よい習慣や関係性作っていく・その都度見つけていくの大事よね」というね…。
人体で生きてる限り、欲は必ず生まれるし
スヤスヤ教も
「移りゆく世の中でも、俺は家に帰って必ず寝る時間をちゃんと確保する。これが心を豊かにしてくれる」
というものを見つかったなら、空海のいう即身成仏(生きてるうちに仏になる)なんじゃないですか?
様式美としての仏教が好きな人から怒られそうなこというてるけどね…
本書く時に「メンタルの勉強するなら、心理学・哲学・仏教全部やろう」と勉強して、面白い考えを取り入れてるだけ。
元々仏教自体がインド哲学の流れを汲んだ哲学やから、そういう楽しみ方してます
日本で一番信者が多いのは(無戒律主義で、僧侶にも肉食妻帯が許される)浄土真宗ですよ?
事実上なにも言ってなくない?
浄土真宗と真言宗は、いずれも日本の仏教の一派ですが、その教義、修行方法、歴史的背景などに多くの違いがあります。
浄土真宗は阿弥陀仏の慈悲に頼る他力本願の信仰を基盤とし、念仏を唱えることを中心とするシンプルな教えです。一方、真言宗は大日如来を中心とする密教の教えに基づき、複雑な儀式や修行を行い、即身成仏を目指します。これらの違いは、各宗派の修行方法や信仰の実践、歴史的背景に反映されています。
『孤島部長』っていう漫画が好きすぎて、いろいろと廃人状態になっているっていうものです。
八海つむ先生という漫画家さんが描いていて、pixivやtwitterで最初の1話が読めるのでよかったらどうぞ。
ざっとしたあらすじは、ゆるい天然系の新卒・小松ちゃんと、小松ちゃんの会社(そこそこの商社らしい)の第一営業部の古藤部長(若くして部長にのぼりつめた昇り竜と呼ばれている男)が2人で遭難して無人島に流されるというところからはじまる、お仕事&サバイバル要素こみこみのラブコメです。今のところ、コミックは3巻まで出ていて、最近マンガワンというアプリで連載が完結し、8月くらいに最終の4巻が出る予定です。
もう…ほんと…好きすぎてしんどい…。
主人公が小松ちゃんという名前なのですが、最近はスーパーで小松菜を見ても目頭が熱くって、なんかすかさずかごに放り込んじゃうし、ストーリーの流れ(伏線回収?)上とても重要なある気候条件(?)があるのですが、そんな空を見るたびに(なかなかはっきり観測はできませんが)、あああああああーーーーーーー尊い!!あの作品の尊さに比べたら私とかまじゴミだけど、それでもこの空を見て少しでも前を向いて生きていくのよっていう気持ちになるし、なんていうか、病気を通り越して、もはや私ったら解脱してるな~って面持ちの澄み切ったまなざしで即身成仏を果たしています。
どのくらいになるんだろう、コミックを狂ったように読み返す日々をそれなりの長さすごしているんだけど、毎日の生活の中で、ある意味コミックが不要になってきたっていうか、皿を洗いながらでも脳内再生余裕みたいな状態になってきて、最近、きづいたら家事が終わっていて、「ん?タイムリープでもしたかな?」ていうことが多いです。いやー、家事ならまだいいんだけど、仕事とか何かとんでもない見落としとかしてないかな?ミスして部長に詰められたいっていう願望はありますが。しかしまあ、好きすぎて脳内に漫画がインストール完了みたいな便利な状態になってしまって、たぶん、私が今世での命を終えるとき、フランダースの犬のネロにおけるルーベンスの絵的な立ち位置で、小松ちゃんと部長が私の枕もとに現れて、私を天の御国へといざなってくれる気がする。
私はもうコミックもマンガワンのほうも、合計5000兆回くらい読み返しているのですが、その5000兆回のうち、1,2回くらいは「はー、結局男は、かわいくて、スキンケアしなくてもお肌ぷりぷりで、ムダ毛がはえなくて、パイオツカイデーで、びっくりするくらい華奢で、ゆるい天然だけど一生懸命な顔がかわいい、若い処女が好きだよな~」って思って、スン…って顔になったこともありますが(当方、人生に疲れた既婚経産婦)、いや、男だけじゃない!私も好き!!私もそういう子好き!!!っていうか小松ちゃん好き!!!!!大好き!!!!!!!!!!!って感じです。
私の解釈だと、部長はもう就活の面接の時点で小松ちゃんのことが好きで、できる男かつ悪い男だから「社会人として使い物になるよう、私のところで研修させてもらいます」(めがねスチャッ)みたいな流れで第一営業部にひっぱってきたと確信しているんですわ。コミック4冊分のストーリーの中で、部長がきびしめの顔やら、変顔してたりするのは、全部、小松ちゃんかわいさからくるニヤけをおさえているという目線で読んでしまっているので、全てのコマが愛おしいんですわ…。「(ネクタイ)キュッキュしすぎだったもんね!」(←本田山社長談)って、部長、どんだけリビドー自制してるんですか…がんばったね!!
そうそう、島の住人は、2人の他は、古藤部長の上客のパラレル不動産・本田山社長と社長秘書のセイコさん、そして、以前、古藤部長の部下だった染谷くん、という、なんで全員知り合いだよ、確率えぐいな、みたいなメンバーで、これもまた全員に対して私の愛が爆発してるわけなんだけど、特に本田山社長が好きすぎて、私もパラレル不動産に入社したい。初登場の時「ビジュアルきっつ…」と思ったこと、社長、ごめんなさい。社長はね、ほんと、大人物よ。社長の絶妙なアシストとひょうひょうとした感じで放つ核心を突いたセリフがもう最高です。社長の「人を動かすのにたけてらっしゃる」そのお力のおかげです、尊さの成就の相当な部分は社長のお力添えによるものと、私は思っております。
私、今まで、二次創作とか同人誌みたいな文化には一切触れてこなくて、そういう、ある作品への愛が募ったが故の創作物みたいなものが存在する意味が分からなかったんです(失礼な言い方にお気を悪くされる方がいらしたらごめんなさい)。でも、私、今ならわかるわ。ほんとに、ほんとに、続きが読みたい。これからの2人の生活のどんな断片でもいいから見せてほしい…。つむ先生にも描いてほしいと切に願ってるし、つむ先生が次回作に集中されるなら、誰か描いて!!!って感じ。とりあえず、なんらかの後日談がリリースされるのを心待ちにしつつ、日々、自分の脳内でこの珠玉の物語を反芻していこうかな。エブリデイ走馬灯。
「6年勤めたNTTを退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt に寄せて。
この方は修士卒→NTT研究所という有能かつエリートな道を歩んできた方ですが、極端に有能すぎてあまり参考にならないケースですね。無能代表として僕の事例も紹介しておきます。
・NTT社員の子として誕生。生まれ出づる時はかわいらしい赤子であった。健康に恵まれるものの、勉強運動コミュニケーション能力全てダメ。部活もバイトも恋愛も人とおはなしすることすらせず、無駄飯食らってすくすくと育つ。
・三流私立大学の文学部に入学。進学動機はそこしか受からなかったから。在学中はキーボードすら打ち込まなかった。
・就職活動に取り組むものの、地図を見て会社にたどり着けない(当時はGoogle Mapとかいう便利なものはなかった)、人と目を見て話せない等のスキルをいかんなく発揮し、見事全敗。無い内定のまま無益に卒業。おまえの おかあさんは 泣いているぞ!
・全ての気力をなくして部屋に閉じこもり、悟りを開こうと昼寝の修行を積み重ねるも、それを見かねたパパのコネで無理やりNTT地域会社の子会社(契約社員)の面接を受けさせられる。
・面接では痛罵される。23年間ぼんやりと生きていた人間に価値はないらしい。面接官にやる気と能力のなさを見せつけるも、なぜか合格。親のコネってすごい。
・入社後、ろくな研修を受けないまま、某地方の拠点に配属される。辺り一帯に草が生えてた。
・配属初日に出社後、課長代理と面談するも、90秒で嫌われる。
・配属後、しばらく電話番をするも、人というものが怖くて怖くてたまらない僕には全くできない。電話番という仕事を取り上げられ、OJTをするもどうにもならない。
・仕事自体はサルでもできる内容だったが、サル以下の知能しかない僕には全く理解できない。次から次へとトラブルを引き起こしたせいか、契約社員なのに次から次へと別部署に飛ばされる。引越しの荷造りスキルが格段に向上する。
・人件費削減目的で設立された子会社には、似たような境遇の契約社員がたくさんいた。彼らは皆生産性のない仕事に従事していた。正社員への道はほどんどない。なれたとしても新卒正社員と同じ待遇にはならず、給与面で差別される。当然皆やる気が出るわけがない。
・僕の成績は最低だったが、なぜかクビにならない。国家資格や社内資格に無理やり挑戦させられるも連戦連敗。パートのご婦人の方々に罵倒され、息も絶え絶えに徒然を過ごすなか、無駄に歳を積み重ねる。
・当然若い世代も入ってくる。正社員(中途採用)の枠が広がったせいか、契約社員のやる気が上がり、下の世代に次から次へと抜かされる。子会社枠での新卒正社員採用が始まり、有能な方々が入社する。
・彼らの台頭により、猫の額ほどであった僕の居場所が全くもってなくなる。そうこうしているうちにメンタルを病んで逃げるように退職。就職活動もせず、うどんやそうめんを食いながら生をつなぎ、今に至る。無職の病は悪化する一方だ。
文を重ねるうちにいよいよ即身成仏でもしたくなってきましたけど、無能の立場から見たNTTについて論じていきます。
NTTには団塊世代の方、契約社員やパート・アルバイト、新卒採用の方等、立場は違いますが、多くの方が在籍しております。びっくりするほど有能な方もおり、それぞれの部署で活躍していました。
問題はやる気を全くなくしたもの、極端に無能なものを排除する仕組みがないことです。社員はクビにはできませんが、パートや契約社員をクビにしないのは本当におかしいとしか思えません。僕の契約は一年契約でしたが、会社の利益を考えるなら入社後一年で切るべきでした。仕事のできない非正規を何度も配置転換(引越し代金は全て会社持ち)までして雇用を継続しようとするのは、正気の沙汰と思えません!
給与については皆話したがらず、噂話程度しか知り得ませんが、団塊世代の給与は会社再編に伴って削減されたらしく、手取りですが月額20万円を割り込むという話を聞いたことがあります。現在ほとんどの方は退職されたと思います。
僕の年収は200万円代後半(額面)からスタートし、月1000円程度給与は上がっていきました。新卒正社員(子会社)の場合は年収は300万円程度(額面)からスタートしていきますが、400万円程度(額面)で頭打ちになり、それ以上を目指すなら管理職コースに乗らないといけない(はず)です。正規社員は手厚い福利厚生が受けられますが、非正規にはそれはありません。
NTTでは人より10倍仕事ができる人間に、10倍の給料を支払うことはありません(一部営業を除く)。しかし10倍の量の仕事を押し付けられることはおおいにあり得ます。
NTTでは部署全体の仕事の量により、人員の配置数が決められる傾向があります。仕事ができるもの、やる気のないもの、仕事ができないもの。部署内では全て「一人」としてカウントされます。できない、もしくはやろうとしない人間に仕事を回してもどうにもならないため、彼らの分の仕事は必然的に仕事のできる人間に回っていきます。当然ギスギスします。
上記の話とは相反しますが、会社全体として労働法の徹底遵守が推し進められています。月30時間以上の残業は原則禁止ですし、サービス残業なんてもってのほかです。社員(僕もでしたが)は終業時間後、会社から雁首そろえて脱兎のごとく逃げ出していきます。
しかし会社に残っての自主学習(仕事に必要な技術の訓練)には給与は出ないという話も聞いたことがありますので、部署によってブラックな方針を立てているところもあるかもしれません。
NTTの組合は巨大です。NTT組合は正規非正規関わらず、雇用を守ろうとし、処遇を改善していく姿勢を打ち立てています。NTT研究所にいらっしゃった方のブログの記述にある、「組合としては現在は相対的に冷遇されてきた契約社員・有期雇用・再雇用などの方々の待遇改善を通して護送船団方式で全体の改善を図っている」は僕も聞いたことがあります。
労使共に巨大組織なので、一個人の話はなかなか通りにくいでしょう。ソフトウェアエンジニアのPC環境の改善はとても理にかなっていますが、要求として吸い上げられるとは、僕には思えません……。
NTT自体はとてつもなく大きな会社です。僕は末端を垣間見る機会しかありませんでしたが、「カネを稼ぐぞ!」という意識は低く、僕の目から見ても上から下まで無駄なことばかり力を注いています。
典型的な親方日の丸商売で成り立っている会社なので、部署によるでしょうが、何年いても外で通用するスキルを習得するのは難しいかもしれません。ISDNの仕組みにいくら詳しくなったとしても、それで一生食っていくのは無理そうです!
NTTの社内システムは非常に使いづらい印象を受けます。末端までセキュリティ施策を推し進めるのは結構ですが、全体最適化のために推し進められた施策が個々の部署の生産性を大きく押し下げているケースが多々あります。
NTTの組織は官僚以上に官僚的だという話を聞いたことがあります。幹部候補生は様々な関連会社、関連部署に飛ばされます。管理スキルは向上するでしょうが、専門性を高める機会に恵まれません。ある部署でITに携わってもしても、3年程度で別部署に飛ばされるため、継続的な学習は困難です。特定分野の専門家は社内で出世できません。
NTT研究所にいらっしゃった方が述べたように、上層部のITリテラシが低いのは当然の帰結であり、むべなるかなとしか言いようがありません。
駄説を長々と述べましたが、NTTはとてもいい会社です。ーーできない人に限ってですが。できる人に負担をかけてまで、無能を排除しない。無能と有能で給与に大きな差が出ない。先々のキャリアプランが見えやすい会社ではあります。
できる人はやる気をなくし適当に過ごすか、転職するかのどちらかの道を選ぶ場合が多く、やる気を継続したまま定年まで勤められるのはレアケースです。さすがに僕のまわりでGoogleに転職された方はいませんが、NTTを踏み台にして別の道に進まれた方はたくさんいらっしゃいます。
NTTには無能ばかり残ります。しかし会社は潰れません。NTTは会社自体に特別な法律が適応されるほどの特殊な企業であり、国策企業だからです。NTTが潰れる時は、日本国が潰れる時です。
とにかく何もしたくない、しかしほどほどのお金が欲しい方はNTTに潜り込むことをおすすめします。Googleに入れるほど優秀で意欲にあふれる方には絶対におすすめしません。現場からは以上です。
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11/27 1:45 タイトル・本文中の「退社」を「退職」に修正、本文中の表記、誤字修正。
11/27 1:57 NTTの組織全体のどこの子会社かわからないため「パパのコネで無理やりNTTの子会社」から「パパのコネで無理やりNTT地域会社の子会社」と表記修正。orbital_velocity氏、ご指摘ありがとうございます。
11/28 18:30 複数の方よりご指摘のあった、「パートの妙齢のご婦人」を「パートのご婦人」に表記修正。その他表記修正。ご指摘ありがとうございます。パートどころか老若男女関わらず平等に罵倒される日々を送っていた記憶もありますが、本文中はそのままにしておきます。
12/8 21:38 あとがきを書きました。https://anond.hatelabo.jp/20181208213728
日蓮宗では、本迹一致を立てている。この本迹一致論は、
天台大師が『法華玄義』に説いた「本迹異なりと雖も不思議一なり」との解釈によるもので、
大聖人様の御教示ではないのです。
迹門という小さな川も、本門の大海に収まれば同じ海水となるという、
決して身延のような本迹二門を対等に見た上での「一致」を説くものではないのです。
大聖人様は『治病大小権実違目』に、
「本迹の相違は水火・天地の違目なり」と、
本門は事の即身成仏なり」と法華経の本迹の相違を明確に御教示されています。
法華経本迹二門は、
その説かれる法体においても勝劣があり、
しかし日蓮宗では、「実相一体」や「本迹未分」という勝手な解釈を加え、
「本迹一致」の邪義を主張していますが、
宗祖の正意に背く謗法の論となることは明らかです。
それを要約すれば、
二、釈迦一体仏
三、大曼荼羅
四、一尊四士
五、二尊四士があり、
このうち一、と三、を法本尊、
二、四、五、を仏本尊とし、
その中心は三、の大曼荼羅と、
四、の一尊四士であるが、
祖書の教示等に照らし、
『此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。
末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか』との御文を挙げ、
「仏像出現」の語句によって本尊は仏像が正意であるとしています。
末法の仏像に対する「出現」という表現を対比してみなければなりません。
後の「此の時地涌千界出現して」の御文と同じく、
あくまで現実に現れるということを示されたと拝すのが正しいでしょう。
「此の時地涌千界出現して、
「本門の釈尊を脇士と為す」を「本門の釈尊を脇士と為る」と誤読し、
一尊四士が正意であるとしている。
しかし、宗祖が御在世中に一尊四士の仏像を自ら造立された事実はなく、
との御教示ではありません。
法本尊について御教示された御書に照らして見ればいっそう明らかです。
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり(草木成仏口決)」
「妙法蓮華経の御本尊供養候ひぬ。此の曼荼羅は文字は五字七字にて候へども、
三世諸仏の御師(中略)此の曼荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、
十方の諸仏は法華経より出生し給えり。故に全く能生を以て本尊とするなり(本尊文答抄)」
日蓮大聖人様の御真意は一尊四士などの仏像本尊にあるのではなく、
【補足】
(二、)釈迦一体仏
誰が言い出したんディスカもー。
我が社のプログラマなんて饒舌そのもののお喋りグッドメンですから、トイレにいくたびに(毎日3時間くらいは社のトイレを専有)、中から「これはTrue、これはFalse、True、False、True、True、True、False……」というつぶやきが即身成仏になるための念仏のように聞こえてくるよ!
きっと我が社は戻って来るだろう
プログラマが深刻な顔で換気扇と空気清浄機を求めてきた。煙草の煙がキツイからというが、我が社に喫煙者は一人もいない。喉をかきむしるその姿、血走るその視線。きっとあなたは酸素欠乏症なの。お薬を飲まずに緑あふれる自然公園で散歩をしよう。いまの案件が終わったら長期休暇をとるべきだよ(有給が出るとはいってない)
ああわたしをつつみこむ
野崎まど『know』を読んだ。早川SFクラスタでやたらと評判がよいのでいつか読もうと思いつつも、過去に同氏の作品を拝見した中生まれていたわだかまりと作品の底のようなものが邪魔をしていたのだが、ここにようやく機会を得たので所感をはき出しておこうと思う。
一言でまとめると、『know』という作品はSF的/ライトノベル的想像力によって描かれた『ブッダ』である。つまり〝知ル〟という名の少女が正覚を得るまでの生涯およびその後の万人救済を、それに連れ添ったものの手で描いた物語の体裁を採っている。宗派は技術系過激派の大乗仏教といったところ。福音書と呼んでもよいのだが、本書に織り込まれた示唆(エピグラフとクライマックスが創世記の引用であることなど)に反して作中で知ルらが辿った道は真言宗のそれに近いように思えたため本稿ではそちらの用語を採用する。
こう考えると『know』というタイトルも知ルという少女を指すとも解釈できる。だが最もわかりやすいのは目次に並ぶ章題だろう。〝birth〟から〝death〟までまさしく一生が記されている。
さて本作の舞台は2081年の京都、情報材と電子葉という未知のテクノロジーによって情報空間と現実と思考との直結を果たした世界である。一方で情報へのアクセスと保護の格差は法律で規定されるまでに進む。そんな中、語り手を務めるのは作中トップクラスの情報エリートである。
〝birth〟の章では全知を定められた十四歳の少女・知ルとの出会いとともに、社会革新の原動力となった研究、そして彼女の誕生が描かれる。ちなみにこの配置のために作者は作劇上結構な力業を用いている。またここではもうひとりのクラス9・問ウも登場している。彼の姓であるアリステラというのは「最上級」を意味する名前。位置づけがわかりやすい。ただ女性名なのは気にかかるが……。
〝child〟では神護寺を訪ねて高僧と悟りについて問答する。ここで択ばれた真言密教とは即身成仏を極意とし、また教えを秘する——つまりオープンの逆をゆく——ことを是とする仏教の一宗派であり、つまりは作品の主題と密接に関わる教義を掲げている。物語構成上からも初日にふさわしいといえよう。
〝adult〟では京都御所に匿われた古文書を通じてイザナミ・イザナギの二柱の行いから生きたまま黄泉路を往く手段を学び取る。これで境界を越える準備は万端、残るは実践のみである。
〝aged〟において知ルは当初の目論見通り入定を果たす。その前夜、主人公と知ルは〝知恵の実をかじる〟と称して情報交換における無上の行為に達する。つまりセックスをする。
〝death〟では知ルの死後の肉体と、彼女の還りを信じる主人公の姿が描かれる。この情景は高野山の奥の院で空海が今でも生存しているという伝説を想起させる。
そしてエピローグでは生還した知ルによる革新が成った社会が語られ、物語は終わる。
——わけだが、この小説の価値はなんと言っても計算されたフィニッシング・ストローク(最後の一撃)だ。
作中では真理に至るための方法を量子葉によって脳を育て、高密度の思考による情報のブラックホール化を行うことだと説明しているが、これはあらゆる意味で知ルを育てた天才技術者の言うように「我々では無理」なのだ。彼の生誕は2014年であり、刊行年の一年先に設定されていることに留意したい。アーサー・C・クラークの名作『幼年期の終わり』は年少の読者に対して希望を残したが、この作者の意地の悪さはそれさえ許さない。
しかも知ルが死後の世界で目にし、人々に広めたものが何であるかは一切語られることなく物語は終わる。
この物語が抱える問題意識は情報格差である。作者はそれを人類間のレベルから、全知の存在たる神との格差へと推し進めた。だからすべての人が全知となった瞬間、格差は消滅し、万人救済が果たされることになる。しかしそれはあくまで作品世界内の話にすぎない。読者はその外にいる。その格差を肌で感じた瞬間、初めて読者は揺さぶられ、知ることへの欲求を呼び覚まされる——格差を埋めたいという渇望によって。ただ純粋に「知ることと生きることは同じ」と断じた知ルに比べて何と浅ましいことだろう。けれどそれもまごうことなき人間の本質である。語り手が中途半端な情報強者に位置づけられていたことも、妙に鼻持ちならない人物であったことも計算ずく。すべてはこの一行の効果を最大化するための小道具に過ぎない。
もとよりメタフィクションを指向する作家であると感じてはいたが、人工的な世界を下敷きにすることでより巧みにそれを演出できるようになったらしい。
で。
実はここまではすべて前置きである。読者を操ることを至上とするこの作家がメタフィクションへの可能性をこの程度のウェルメイドな小説に留めるはずがない。
この作品に残された最後の謎はずばり〝ただひとりに向けられた暗号〟である。正直な話、この解明に挑む資格があるのは野崎まどの全作品を電子化して常に携帯するような気狂いだけに違いない。
けれど非才を尽くしてその手がかりくらいは拾い集めておきたいと思う。
(後編へ続く)
30年前の即身成仏したという話は本当なの?もし本当ならなんでそんな大事なことを隠して子弟を募集してたんだ。