はてなキーワード: おとぎ話とは
非リアのおとぎ話を聴かせよう
予想外に好みで熱く愛おしいゲームだったのでだらだらと感想文を書く。
本編ネタバレあるので注意してくれよな!
まず、リア充爆発アドベンチャーと思いきや、リア充はほんの一握りしか出なかった。
エリートの正体が牛丼屋店員って時点で、あっ、これはリア充に憧れる非リアの話なのかもしれない。と思った。
ただ、幼馴染と小学生は非リアというよりかはリア充、って感じだったのでそこは主人公の心理描写を強めつつシナリオ進行のためというのもあったのかなと。
ラストの超展開はちょっと頭ポカーンとしたけど、俺氏の成長と熱い叫びとシルへの想いがとてもよかったので終わり良ければすべて良しってなった。
最終的に心に残るものさえあれば途中の疑問やほころびなんてものはどうでもいいのだ。
何者でもないしあんた(他者)でもない、俺(俺氏)は俺(プレイヤー)だ、って毎回言ってくれるのがいい。
あとたかしな。カーチャンモブで出てきたときはカーチャンwwwwって笑ってたけど、たかしが出てきたときにカーチャン現れた時めっちゃ泣いたずるい。たかしの炎上バトル終了後の叫びもずるい。
ほとんどは140字以内だったか、切り詰めて140字以内にしましたが、長いままのせたかったものはtwitlongerというサービスでリンクをおきました。
一つだけRTの多かったものに入っていますが、リンクとばきゃいけないということでRT伸びにくかったようなので、その一つ以外のものをここに書いておきます。
(女 刈谷市 1987)プロフィールに目を通していただけると嬉しいです。 Thank you for your message and wink. 一身上の都合により、4月に差し掛かるまでお返事をお休みさせていただきます。 心より深くお詫び申し上げますと共に、またご縁がございましたら宜しくお願いいたします。 アクセスして下さった方、気にかけていただきまして、どうも有難う御座います。 私は2014年10月3日にこちらのサイトに登録しました。 長月(ナガツキ)兎(ウサギ)と読みます。 ニックネームは、私が卯年の9月生まれである事が由来です。 初めは携帯電話からアクセスしていたため画面が小さく全体の把握ができなかった事と、英語に苦手意識を持っているため、お返事ができるようになるまでには時間がかかりました。 ログインする度にポップアップが出るので、クイック返信機能の設定と秘密のお写真を追加したところメッセージとウインクを沢山いただく事となり、お返事が追いつかなくなってしまいました。 その為、よく質問される事などを、この場をお借りしてもう少し詳しく記述させて頂こうと思います。 男性側はお金を消費なさっていると知ったので、少しでもお互いに時間的、金銭的負担がかからないようにと思い、恥を忍んで正直に書きます。 このサイトには心に疲れを感じた時に衝動的に登録しました。 知ったのは2014年の春頃で、確かネットサーフィン中に見かけてコンセプトに衝撃を受けたので、覚えていました。 私は、18歳の時に結婚と出産をしています。 小学生の子供が1人おりますが、第二子の予定はありません。 車の免許は持っておりません。 高校生の頃は歯科助手のアルバイト、出産後には複数のライブチャットサイトを掛け持ちしてチャットレディをしていました。 今は専業主婦をしています。 出身地は、愛知県名古屋市で、現在は愛知県刈谷市に住んでいます。 友人や知人からは、夫婦仲が良いとよく羨まれますが、私は違和感を感じています。 平日の過ごし方は、主に家事やお買い物をしています。 知人から声がかかればお出掛けもします。 休日の過ごし方は、学校や会社のイベントに参加してみたり、サイクリングロードをウォーキングしたり、市民プールに行ったりします。 学生の頃に経験した習い事と部活は、硬筆・ピアノ・珠算・水泳・学習塾・英会話・茶道・華道・手芸・バドミントン・軟式テニス・バスケットボールです。 よく聴く音楽は歌詞の無い物で、自然音やオルゴール、ヒーリングミュージックやリラクゼーションミュージックです。 よく飲む物はジャスミン茶です。 お花は、薔薇と金木犀が好きです。 装いはシンプルで質素な事が多く、装飾品はつけませんし、特別な用事がなければお化粧もしません。 髪色は茶系色です。 ヘアサロンでは、色白で小顔と言われ、ネイルサロンでは桃色が似合うと言われます。 お洒落をしないので、同性からは勿体無いと言われます。 笑うと可愛いのに、あまり笑わないと言われます。 笑顔が苦手です。 外出時にはコンタクトやカラーコンタクトを用いることもありますが、お家では眼鏡をかけています。 匂いに敏感です。 お酒はご迷惑をお掛けするといけないので外出先で他所様と飲んだことがなく、好き嫌いはありませんが一回あたりの食事量は少ないです。 少人数で静かに会話が楽しめる場所が好きで、繁華街など騒々しい場所は好みません。 急いだり慌てる行動は得意ではありません。 影響を受け易いので健康や清潔を心がける方が気になります。 凝り性で依存し易いので、趣味や興味は敢えて持たない様にしています。 勉強になりますのでお話しを聴かせていただく事が好きです。 どんな事でも教えていただければ嬉しく思います。 警戒心が強いので、恐怖感を抱く作品や暗所や虫はとても苦手です。 ストレスがかかると体重が減ります。 遠出や旅行の経験は極僅かです。 私よりも、身長か体重が少ない方とは、並んで歩く自信がありません。 元々、性格は内向的で小心者です。 こういうサイトを介しての出会いなので、人間性を重視し、信頼関係を築きたいと思っています。 人見知りで慎重を期すため、まだ誰ともお会いした事がありません。 無料通話アプリの使用を検討中です。 親しくなるまでに月単位のお時間を要します。 関係の進展を急がれる方にはお応えできませんので、ご遠慮ください。 更に、稀に援助を申し出て下さる方がいらっしゃいますが、お引き取りください。 主に平日の朝9時から15時くらいまでの自由時間に、お返事しています。 目的や希望は特に持っておらず、出会った方との流れに任せたいと思っています。 私は性行為のみが目的の方や、性的な話題しかなさらない方には全く魅力を感じません。 秘密のお写真は1ヵ月毎に1枚づつ追加しますが、雰囲気が分かる程度のお写真です。 お顔を載せる事はありません。 それでも鍵の申請をなさる場合は、メッセージを下さい。 スリーサイズは最近測っておりませんので、下着E65と服XS/SS/5号と靴23.5のスリーサイズでお許し下さい。 性行為の幅を広げるためにストレッチを行ったり、より感度を高めたいので体型や体重の維持に努めています。 体脂肪率は15%です。 自他共に傷つける事がない様に爪の長さにも気を配っています。 性的欲求が強く1週間に1度は必ず性生活を営みます。 気持ちが高ぶり易く1人で慰めることも多いです。 結婚前は、愛人となったり複数人と4桁回数ほど身体の関係を持ちました。 私より4歳から16歳年上の方、10名とお付き合いの経験があります。 ミミズ千匹や名器と言われます。 ストレス解消方法は大人の玩具で慰めてからお昼寝する事です。 性趣向はSと言われた事が無いのでMだと思います。 前のお口だけではなく後ろのお口でも上り詰めますし、手指の愛撫では潮吹きもします。 淫楽に貪欲で、興味や好奇心が旺盛なので、性具も多数所持しています。 後背位の時に掌で叩かれる事は好みますが、鞭と針と蝋燭は苦手です。 ノーマルからアブノーマルまで幅広く様々なプレイを愉しめます。 飲精は好みますが、聖水を飲む事と黄金を食べる事は出来ません。 恥毛は剃毛により無毛、または短い状態です。 ただでさえ容姿が悪い上に、出産時の会陰切開による傷と妊娠線で女としての自信を無くしました。 一糸まとわぬ姿に、内面的そして外面的魅力を感じていただければ幸いです。 来る者拒まず去る者追わずで仕方が無いと考えていますので、お気に入りやブロックは使いません。 私ごときでよろしければお相手して下さいませ。 稚拙な文章に目を通していただきまして、どうも有難う御座いました。 宜しくお願いいたします。 ごめんくださいませ。
(女 台東区 1996)フェミニストがいい。 人付き合いの為に中身のないことを塗り固めたような方は苦手です。 どうせこのような場で出会うのですから、礼節を除いて、そのような対応をして頂く必要はありません。 また、清潔感の無い人は嫌いです。 苦手ではなく、嫌いです。 体が太くない・髪にワックスがついてる=清潔感と思われてる方も嫌いです。 ワックスなどは、ついていないほうが清潔と感じることもあります。 誰にお会いしても恥ずかしくないという点で、スーツ姿はとても好きです。 上記の意味では非常に面食いです。 その他にも記載しましたが、求めている男性は二通り。 話を紳士的に聞いてくれる方 絵のモデルになってくれる方 どちらかに属する男性のみご連絡お願い致します。 現在は両タイプの男性が身近に居ますので、特に急ぎの用では御座いません。 様々な方とお知り合いになれたら、若い内の良い経験になると思っています。 宜しくお願い致します。
(男 中央区 1967)犯されたい願望を安全に、超リアルに叶えますよ 多くの女性が密かに持つ「乱暴されて犯されたい」願望を、安全第一で超リアルに叶えます。決して「レイ◎ごっこ」ではありません。主導権はあなたにあり、途中でいつでも中止出来ますので安全です。興味のある方以外はコンタクトしないでください。 ボタンが弾け飛び、無残に引き裂かれたブラウス。 鍛え上げられた男の前では、いくら泣き叫んでも無駄だ。 乱暴に押さえ突けられ、必死に抵抗したが、ショーツは強引に剥ぎ取られ、熱く大きく硬直した塊が湿った谷間を無理やり引き裂いて来た。 脳天を突き刺すようなピストンが激しく繰り返され、やがて・・・。 ★★★女性なら誰でも一度くらい、こんな妄想したことあるんじゃないですか? ただし、相手は福山雅治で、身の安全と避妊が100%保障されて・・・と言う条件付きでね(笑) でも、ちょっとした発想の転換で、そんなプレイが超リアルに、しかもあなたの主導で可能になるとしたら・・・。 勿論本当のレ○×は犯罪ですので、私は絶対にしませんよ。 唯一残念なのは、私が福山ではないということですが・・・ね(笑) 実はレ○×願望のある女性と、どうしたら超リアルなプレイになるか色々と意見を出し合って考えついた方法なんです。 で、彼女と実際にプレイしてみたら大好評! 今までに9人の女性とプレイしました。 最後まで行った人、途中までの雰囲気で満足した人、興奮し途中からホテルへ行った人・・・。 1人だけプレイ開始直前で中止(残念~笑)となった人がいましたが、みなさん大満足の様子でした。 私からはアクセスしませんので、興味ある方のみご連絡下さいね。 事前に十分メールのやり取りをし、お互いが信頼できないと無理なプレイですので・・・。 (類似の満員電車編もありまよ~笑)
(男 港区 1940)老人好色師にて候 一途に天与の仕事のみで生きてきて好色に疎く孤高を貫くように意地張りとうし今に至る。器量容姿不問にて相愛、緩慢、穏やかに睦みあえる40歳代以上80歳だいの淑女、ご婦人との出逢いを願う。一緒にバブルバスに入ったり、青柳貝角しゃぶりなどを好む。 花鳥風月を愛で書読を嗜み響きを傾聴し、時として女院を舐め吸う妄想にしたり夢中で天与の仕事に勤しみ半世紀を過ごし、我に返れば労歳境地に居り好色に疎く孤高を貫く如くに意地張通し今に至る。器量容姿不問にて心底より相愛静寂緩慢、穏やかに睦合える40歳代から80歳代の御婦人との出逢いを願います。
(男 葛飾区 1958)太いです。お腹ではありません 女性を悦ばせるのが好き、CU○Tを舐めるのが大好き。。。 冬はコートの下は全裸、夏はnoPan・noBura・ミニで散歩する「メス」が好み。 木、金曜日の昼間がF○CK TIME、葛飾区 「淫らん」は女にとって最高の『栄誉』であり、究極の『賛辞』である hubbyで満足できないcu◎tは、別のco◎ksを漁り、貪り、堪能する権利がある c◎ntは一滴残らず搾り取るためにある ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉づきのいい太腿が、窓外の陽を受けて白く光っていた。 それをたくましい腕と両肩ががっちりとらえている。 脚をばたつかせても、男は微動だにしない。 日焼けしたたくましい背中にさえぎられて、右耳のピアスだけが見えかくれしている。 白く光る太腿の間で禿げ上った頭が上下に、左右に、そしてグリグリと円を描き、ピチャピチャ卑猥な音がしていた。 妻は、禿げ頭を押しのけようと、もがき、身をくねらせ、「お願い、やめて・・やめて下さい・・」と、あたりをはばかるようにささやいた。 種豚のアレように膨らんだ“ニンニク”の向こうで、重そうに揺れていた一物が、太さを増しながら頭をもげた。 ・・・こいつは誰なんだ・・ 飛び込んで、パンパンに膨れ上がった“ニンニク”を蹴り上げようと思った瞬間、妻への疑念が甦った。 それは小さい棘のように、常に意識を離れないものだった。 ・・・・・妻の“真実”を・・・・・ 魔が差したも同然だった。 後ろからは長さが分からない。精子を注ぎ込むにはあり余る太さだ。“すりこ木”かと見まごうばかりの偉容に息をのんだ。 被虐の感覚にも似た衝撃の予感に脳髄が痺れだした。 葛藤した。 そうあって欲しくない。 他方で、それを望む自分がいるのだ。 痺れた脳髄には正常な判断ができなかった。 “すりこ木”によって暴かれる妻の本性。その淫靡な思惑には抗せなかった。 飛び込むどころか、むしろ舌なめずりしながらその思惑にのめり込んで行ったのだ。 私はそっと身をかがめ、両手を床に這わせて亀のように首を突き出した。 “すりこ木”の先っぽが標的をなぶり焦らすかのように、上下に、そしてグルグルとまさぐっていた。 いつの間にか絨毯に滴り落ちた淫水の溜りに気づくと、私は後頭部を強打されたかのような衝撃を覚えた。 それまで平穏だった半生の暗転の始まりだった。
(女 大田区 1988)癒しを下さい↷꒰ू´•௰ू• `꒱↷ 26歳、主婦しています。 産後2ヶ月 旦那と会話もしたくないし、本当消えてほしいです。自分は自由に行動している所や、愚痴ばかりグチグチ言う所や、妊娠期から我慢ばかりしてきました。 もう視界に入れたくないくらい本当うざい。 給料少ないくせに、今週忘年会だから一万。 今月きついから少しは協力してよ、と言うと逆ギレ、あたしは小遣いも無いし、遊びにも行けねーんだよ!早く死ね!!と本気で思う毎日です。 男性から優しくされたいです。。(;_;)
(男 日野市 1960)貴女は此処へ何を求めているのか? バーチャルの世界と現実の世界。 夢と現実を分けるのは時計に表わされる数字と、一着のドレス? ゆっくりと交錯する。 貴女の夢やおとぎ話の世界と私たちの甘美で柔らかな時間。 皆さんは我々男性に何を求めそしてどのような時間の流れに身を晒そうとしているのか。 触ると壊れてしまいそうなその瞳に何を見ているのか… 一時の幻なのかそれとも永久に続く終わりのない世界なのか… でもすべてはやがては醒めてゆく夢、羊は群れに紛れ消えてゆく。 柔らかで暖かなその羊毛は刈り取られ、また美しい羊が生まれゆく。 人は皆わがままで傲慢、でもそれが許されるのは貴女のみ? 貴女の夢や希望を叶えるため、男たちは奔走する。 決して報われない夢と分かっていても… 特別に何を求めているわけではありません。 何を求められているのか? 人の趣向は千差万別、なにを求められそしてどこまで叶えて差し上げられるのか。 人の欲望もまた終わりな様々。 どのようなものが欲しく、またどのようなことを望むのか。 隣にいる近親者には言えなくとも対面にいる見知らぬ誰かには聞いてほしいと! そんな願望や希望をお聞きするために私たちは此処に集っているのです。 お話やらメールやら・・・何でもお聴きしましょう、誰も貴女を苛めたりしません。 少しのわがままと沢山の吐息、そして取り戻せない時・・・
(女 瀬谷区 1980)ちょぴり怖いけど登録しちゃった 激しいH 好みのタイプは、年齢打と45~55才ぐらいで、80k以上の人、背が高くて男っぽい人、がっしりした人。大きい人。強風でも飛ばされない人がいいな。キュンキュンはアレ小さいから、大きい人・長い人はダメですからね。だって痛いから気持ちよくないだもの。理想は13~14センチで先細りしていない人が大好きです。 逆にダメなタイプは、背が低くい、痩せ型とか細マッチョ?の人はゴメンナサイ。 素敵な人と気持ちいい関係になりたいでーす。 1/21追記します。 とても沢山のお誘いのご連絡ありがとうございます。でも、希望ではない方々が多く今回興味のある方一人いましたが写真がなく、ご連絡するまではしませんでした。 少し曖昧だったかもなので、私の望む殿方は次の通りです。 ・年令50才以上の殿方 ・身長最低175cm以上の殿方 ・体重も最低85kg以上の殿方 50才までの男性に興味はありません。おじさん大好きっ子だから、低い身長もダメなんです。体重も最低の値なんです。だからお願いします希望以外の方々はご遠慮ください。私の希望に合う殿方にお願いですが、全体のイメージのわかる写真もお願い、よろしくおねがいします
(男 文京区 1983) アナキスト テロリスト 政治犯 アジテーター 孤独な芸術家 大衆に指示される事を目的としていない革命家 自分以外の全てに対するアンチテーゼ 私を表すには、どれも当てはまるが どれも正確ではない エイリアンやウイルスの発生源 または神や悪魔などが相応しいのでは無いかと思う 俺の考え方や生き方は現在では否定されるべきもので 今の世界から仲間はずれにされた疎外感や怒りが俺に強大な破壊衝動を芽生えさせた 人間達に同じ人間だと扱われなかった事が 俺に人間を超えた観点をもたらし それが俺の人間離れを加速させたのだと思う しかし何度か廻り合う人間(大衆)の仲間に入る機会を 悉く拒絶する選択をし続ける生き方を選んだ事実が 私を根源的に人間ではない事を証明している。
(男 城東区 1956)どちらかと言うとMな女性・人妻 長期で逢っている時は、恋人感覚の少しMな女性。既婚者でもOK。秘密厳守。またMac(パソコン)でのアクセスなので返事は遅れます。 1.セフレでも二人の時は恋人感覚の女性。2.顔写真要。イラスト不可。3.キスとぼくのものを舐めるのが好きな方。4..恥ずかしいことをさせられたり卑猥な言葉を言わされると興奮する女性。5.待合せは城東区諏訪の成城こうこうの正門を越えて最初の信号の辺り。変更はNGです。6.ぼくは女性が昇天する所を見るのが好きなので、まず、手・指・舌で何度も昇天して下さい。次はぼくの長いものででイ昇天する姿を何度も見せて下さい。8.最後は一緒にあなたがイクときにあなたのなかにぼくのものをいっぱい発射。9.もちろん、その後は、お口でぼくのものを綺麗に。ぼくはパイプカットしてるので妊娠の心配はありません。また、病気も持っていません。すべての番号がYesの女性は文句なしでお逢いしたい女性です。これはNGの方は、そのNGの番号を記して送信して下さい。既婚者でもOK。秘密厳守。またMac(パソコン)でのアクセスなので返事は遅れます。
(女 千種区 1963)心の癒しを求めています 若さを保つために恋愛はずっとしていたいです。 お互い高めあえるような、良い刺激を与えてくれる魅力的な男性希望。 刺激って性的なものでなく、文化的なものです。 多少の性癖がありますが、愛のない行為はいたしません。 恋愛できる人。セフレにはなりません。 プロフィールにあえて「秘密厳守」とか「大人の関係」って記載されていると、からだだけ目的って感じがしてとても印象悪いので、そういった方は遠慮させてください。 どしょっぱつのメール、ここにも1、2行のご挨拶しかしてこなかったり、いきなりタメ口の人とか多いんですね。手当たりしだいのコピペもご遠慮ください。 一般的なシモネタはしなくもないので、内容はかたくなくて大丈夫です。 でも趣味などに触れていただけると楽しいのではないかな、と思います。 デジタル機器大好きです。 けっこうおたくなので、かなりくいつきがよろしいかもです。 エンジニア系の職業を言われるだけで萌えるかもしれないです。 読書は実用書オンリーで、コンピュータ系のものが多いです。 こんなデート場所だと喜ぶかも。 映画館、カラオケボックス、こじゃれたカフェ、ゴージャスなお食事、図書館、お部屋でいちゃいちゃ。 苦手なのは、スポーツ、お酒、旅行、ドライブ。 どしょっぱつから、ドライブ行きましょうとか、飲みに行きましょうとか、絶対やめてくださいね。 貴女って呼ばれるの、かなり嫌い。 まぁ、汎用的な表現しかできない人はコピペメールで気持ちがこもってないから嫌い。
(男 港区 1973)恋と言われたら、愛に行くよ! こんにちは。 僕は、中長期的にお付き合いできる彼女を一人だけ探しています。 ネットのニュースでこのサイトを発見たので、登録してみました。本来は男である僕のほうからコンタクトすべきなんですが、あなたからの連絡をお待ちしています!。 女性の方にはがメールが山のように来て覚えていられない聞いたので・・・。 気軽にコンタクトしてくださいね 僕はこのサイトを通じて、いろんな女性とお会いしました。 独身の方、DINKSの方、子持ちの主婦の方……。 全員とは言いませんが、ほとんどの方に共通する悩みがだんだんわかってきました。 それは、 ・パートナーと長い間レスである ・パートナーとの関係に満足していない ・そもそもパートナーがいない だから、心のスキマを埋めるための相手を探している、ということでした。 僕はこの事実に衝撃を受けました。 私がお会いした方は皆きれいで性格も素敵な方でした。それなのに、満足していないなんて。これは由々しき問題です。 もしあなたが先述のような悩みをお持ちでしたら、僕はあなたの期待に応えられるかもしれません。僕はあなたに楽しんでもらうために、ここにいるからです。 「男は自分さえ満足すればいいんじゃないの」という反論があるかもしれません。 僕もそれは認めます。しかし、それは満足の定義によります。 僕の満足は、あなたに精神的にも肉体的にも気持ちよくなっていただくことです。 「床上手」は僕にとって最高の褒め言葉です。 たとえば? こんなアプローチはいかがでしょう? シャワーから出て、バスタオルを巻いたままのあなたはベッドに腰掛けている。 僕は後ろからあなたのことをそっと抱きしめる。手を握りそのままじっとしていると、お互いの心臓の鼓動が伝わってくる。 男は髪を優しくなで始める。 頃合いをみて、女をベッドに横たえ、バスタオルをゆっくりと取る。 そして、額に、まぶたに、軽くて長いキスをする。 時々、まつげを舌先で軽く触れる。 次は、耳を軽く噛む。決して歯は立てないで。 耳のなかに舌先を入れる。唾液が入るとあなたが不快になるので、そこは注意しながら。 その間、ずっとお互いの片手は強く握ったまま 男の指は鎖骨の上のくぼみに触れる あなたは、ごつごつした男の指がこんなに繊細なタッチだったのかとそのギャップに混乱する。 男は、右手で女の左腕を上に上げる。 あなたは一瞬、脇の処理大丈夫だったかな、と少し焦る(笑) そんな女の様子を見て見ぬふりをして男は二の腕の内側をさする。 男は二の腕から指をゆっくり胸のほうに向かってはわせる。 あなたは脇のあたりを撫でられて、くすぐったいかも、と身構えてしまう。 ところが、しばらく忘れていた感覚に、じわりと溢れる箇所が気になる。 そして、思わず内股になって腰をあげる。 また男はそんな動作に気づかぬふりをして胸の膨らみを周りからゆっくり円を描くように指先を中心部に向かってなぞっていく。 あなたは、乳首触られる、と少し期待しながらその瞬間を待つ。 しかし、男の指先は決してそこには触れることなく周りだけをゆっくりと触れるだけだ。 あなたは「なんで触ってくれないのー」と、思いながらも恥ずかしくて言い出せない。 そんな気持ちを察した男は、小指の先で、ほんの一瞬だけ、乳首に触れる。 あっ、と声をあげ、びくびくびくっと二回ほど身震いするあなた。 もうこの時点で、あなたは頭が白くなりかけていたが、腰の下のあたりがひんやりとしたのに気づく。 腰を少し上げ、片手で腰の下に何気ないふりをして手を当てると、シーツがえらいことになっている。 ---悔しい、とあなたは思う まだ、肝心なところにはどこにも触れられていないのに、こんなになっちゃうなんて。 何とか、この状況を打開しなければ、どうなってしまうのかわからない。 あなたは勇気を出して言う 「もう限界。助けて」 男は、「じゃ、入れるね」と言うと、あなたはこっくりと頷いた。 あなたは少し、そして、ますます悔しくなった だって、肝心な部分に触れられてさえいないのに、もう入れられる状態になるなんて。 あなたは、ぼんやりと考えながら、男の物を受け入れる準備をした。 すると、男は親指と人差指であなたの顎を持ち、ぐっと下に下げた。 そして、あなたの顔のあたりに腰を移動させ、ちいさな口にカチカチの物体をねじこんだ。 予想外の展開に、あなたの頭は完全に真っ白になった to be continued とはいえ、なかなか女性の方から「女性を気持よくさせるのが好き」という男性にコンタクトするのは、抵抗があるかもしれません。その気持はよくわかります。 でも、ちょっとだけ勇気を出して僕に一声かけていただければ、十二単を一枚、一枚丁寧にはがすようにあなたをエスコートします。 あるいは、こんなこと言う人間は、もしかするとヤバイ仕事している男なのでは、と警戒されるかもしれません。 大丈夫です。まともな仕事をしています。 申し遅れましたが、こんな男です、という自己紹介をします。 僕は都内で会社を経営しています。 もしかすると、あなたも僕の会社の商品をお使いになったことがあるかもしれません。 そんな仕事をしていますので、僕にもリスクがあります。 だから、秘密厳守です。 秘密を守れる方法、場所をよく知っています。 通勤は毎日クルマですので、フットワークは軽いです。 時間は割と自由になりますので、昼間も大丈夫です。 外見は、身長172センチ、体重66キロ。 今のところ白髪もハゲもありません。 顔は好みがあるかと思いますので、後にお送りする写真でご判断ください。 性格は、冗談や笑い話が好きです。 また、諦めがよく、粘着質なところはありません。 人には丁寧に接するよう心がけています。 もし、もっと自分を開放したい、女性として満足したいという想いがいっぱいになったら、僕にコンタクトしてください。 きっとあなたの期待に応えます。 なお、僕はお気に入りに登録することはありますが、僕からはウィンクもメールも最初には送りません。 あなたに選んでいただきたいからです。 ウィンクでも、秘密写真のリクエストでも、どんな方法でも結構ですので、ご連絡ください。 プロフィールが書かれていて、雰囲気のわかる写真をご登録の方でしたら、必ず返信します。 なお、このサイトでは顔がはっきりとわかるプライベート写真は公開していません。 メアドを交換して、ある程度お話して、「じゃお会いしてみましょうか」という段階になった時点でお送りします。 気軽にコンタクトしてくださいね。お待ちしています。 よろしくお願いします! P.S. あのー、お願いですから、いわゆる「割り切り」を要求する方のコンタクトはやめてください。ここのところ「2枚」とか「3枚」を要求して、「西日暮里で会いたい」というコンタクトを複数もらっています。そういうの全く興味ありませんので、あしからずご了承ください。
(男 世田谷区 1977)酢豚にパイナップルは苦手派です 虫さされにはムヒよりウナ、居酒屋では焼き鳥より唐揚げ派、風邪っぽいときは葛根湯よりジキニン、並んでいる自販機できっちりお釣りを目論んで余計に10円玉とかを投入するのを見るとイラッとくる派、熱っぽいときは冷えピタよりは熱さまシート派で、「世界」と聞くと国際情勢より山ちゃんが思い浮かぶ庶民派でもあります。ですが、春の訪れを桜よりはヤマザキのパンまつり、夏はサザンの新曲よりもサライの合唱で感じる今風なとこもあります。 最近落ち込んだことは、浴室の掃除をしようとカビキラーを手にしたら、その容器にカビが生えていたことと、「訓読み」自体が音読みだとしったことです。気まずかったことは、美容室での洗髪中に顔にかけたタオルがずれて、片目だけ視線が美容師と合ったことです。ミルフィーユを素手を使わずに食べられる人や、カールを咀嚼する前に歯にくっつくことをためらわず食べられる人はリスペクトできます。系統は、草食系でもアキバ系でもありませんが、自宅のトイレはブルーレット置くだけにしています。
お前頭おかしいんじゃね?統合失調症だよ。完全に精神病んでるわ。精神病者だよ。
女なんてみんなそう言うものだよ。それを受け止めてやるのが男の甲斐性だろ?
現にお前は女のそう言う部分にはまってたんだろ?
しかも振られた腹いせに元カノを精神病者扱いですか?こりゃあ大した人格者ですねまったく。貴方前世はキリストかなにかじゃないですか?
精神医療に携わってたことがある俺としてはこういう「ただ単に気に入らないやつをなんでもかんでも精神病名つけて障害者扱いするやつ」が一番許せないんだよ。
「精神病院は気に入らないやつを基地害扱いして閉じ込められる便利なナチスの強制収用所」だと思い込んでるやつが多すぎて迷惑なんですよ。関係者としては。
誰がこのことをはじめに言い出したかなんて、わからないけれど、
人間の幸せを正確に数値化することは現代の技術をもってしても不可能で、
もし、技術的ににできたとしても、ベンツの車で送り迎えをしてもらいながら育った人と、
かっぱ寿司が1年に1度のお楽しみだった人では幸せの感じかたが違うのは明らかである。
世の中的なフツウの見ること感じること味わうものすべてを人並み外れてありがたく思うわけではない。
100円のお寿司、久兵衛に連れて行ったり、しまむらを着てた人をドーバーストリートマーケットで好きなだけ買い物できたとして、すぐに幸せになれるかといったらそうではない。
貧乏だけではない。お金があっても、精神的な幸せを味わって来なかった、どこか物足りなさを感じていた人間は、幸せをイメージできないことがもっとも不幸なのだ。
つまり、美味しいお寿司、快適な車、お金、そして、何かからの愛をいざ手に入れても、その正しい価値を知らないから、ただもらっただけでは手放しで幸せにはなれないのである。
そんな私は、何か自分にとって幸せな瞬間が訪れたとき、私はつい後のことを考えてしまう癖がある。
これを食べたら太る、飲酒をしたら浮腫む、この靴を買ったら来月のカードの請求が、結婚までにそして、大好きなこの男とヤッてしまったらもうお付き合いができない…。
目先の快楽、そしてその先の幸せを、そんなネガティブがどんどんどんどん、薄めてゆく。ヴィヴィットカラーはチューブから出したばかりの色が一番綺麗なのだ。
食事、買い物、飲酒、セックス…すべてにおいて、数少ない経験則や人から聞いた話なんかを思い出し、ついつい物語の続きを思い描けず、ストップしてしまう。しかしこれは無理もないことなのかもしれない。
なぜなら私たちがお手本にしたかったおとぎ話は、ぜんぶ王子様とお姫様は幸せに暮らしました、で終わっているのだから。
その後、家庭内暴力を振るわれて離婚したとか、ふたりのもうけた子供に重篤な病気がとか、お金がなくなったとか、”めでたし”のあとロールモデルにすべきは自分で経験するしかなかった。
そんなわけで、こじらせ女子の幸せの時間は普通より短いかもしれないが、
あれや、これやと思いめぐらせている思慮深いところもあり、
そして、こじらせ女子だと自覚のあるものは、大変なことにならない程度に、まずは目先の快楽を手放しで受け止める訓練をするべきなのである。
ある日、しこたまお酒を飲んだ快楽のあと、たいへんな鬱状態に陥ってしまい、インターネットで快楽の後の精神状態について調べたことがある。
じつは、科学的にも快楽を享受している瞬間には、体内のセロトニンだかドーパミンだかなんだかわからないが、快楽物質を大量に消費するから、のちにとても気分が憂鬱になるというのが定説らしい。そしてそれは間違いなく当たっていると思う。様々な関連サイトを巡っていて、見つけた”快楽は幸福の前借りだ”というフレーズがあって、そのことばがたまらなく好きだ。
幸福の前借りをすれば、あとで必ず返済しなければならないのである。人によって違う、その落差が幸せをポイント化できる何かなのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20150115221007
1)トイストーリー3
2)マレフィセント
3)シュガーラッシュ
5)『ウォーリー』(WALL-E)
6)カーズ2
8)モンスターズインク
あれ、ゴミ焼却炉で死にそうになるやつ。ほぼ死んだと思わせて。どうやって助かったか忘れたけど。なんか奇跡的に。
ちょん切られたアレがくっついた!
これは冒頭の、幼少期マレフィセントが、枝をくっつけていたシーンが伏線になっている。
溶岩に落ちて死にそうになる。プログラムのバグで助かったっぽい。
フリンはゴーテルにナイフで刺され死ぬ。涙で生き返る。おとぎ話だからほんとに死んで、からのシンプルな奇跡でも許容される。
ロボなのでWALL-E は当然ラストで壊れる。修理はするものの、記憶が戻らない…ところまでが「偽装された死」
記憶が戻るのは奇跡(再生・復活) 理由・メカニズムには具体的説明はなく、その点が○イ○ックスと違う。(おとぎ話寄り)
最大のピンチが焦点ぼけてたような
ドアが壊れて帰れない(帰せない)>直った あたりかな
確かにピンクは好きなんだよ、うん。
ピンクにしておけば売れるんだと思う。
でもさ、やっぱりいるんだよ。「ピンクしかないならピンクでいいけど、外の色があるなら外の色を選ぶ」って子とか、「フリフリは嫌だ」って子が。
そういう子向けの選択肢を用意しているアイカツはすげーいいなあ、という話。
「フューチャリングガール」
というゲーム内のブランドがあるんだけど、コレが青と白ベースでテクノというか近未来っぽいデザインが特徴なのね。
最初アイカツ見た時、ブランドの見分けつかなかったんだけど、これだけはわかった。
しかも、設定が「最先端のお洒落を楽しむ女の子向け」なんだよ。ボーイッシュ限定じゃないの。
フリフリじゃないお洒落があるってのをメーカーが推してくれてるってのがすごいな、って思った。
いや、プレミアムレアは割とみんなフリフリだから、やっぱりフリフリのほうが売れるんだと思うけどね。
この、スカート履くだけがお洒落じゃ無いんだぜ! ってやってくれるのが嬉しい。
アニメでは前主人公の星宮いちごのお気に入り、「エンジェリーシュガー」。
「絵の具セットのケースのピンク」や「戦隊のピンク」でなく「リズリサのピンク」と同質に昇華している。
とまあ、この辺はプリパラとかでも押さえてるんだろうけど(ふりふりじゃないポップ系はプリパラのが強いと思う。メーンギミックがサイリウムチェンジ(衣装が虹色に光る)だし)
現実で言うとチチカカとかマライカ(え?どっちもアメリカ大陸? 気にすんな)とかそっち系。ガチのエスニック。
これ幼女に理解できるのか? って思ったけど大人的には楽しい。
実は今の2015年シリーズではまだ登場していないので、もしかしたらリストラされてる可能性もあるのだが……
このブランドより先にあった、同じく民族衣装をモチーフに取り入れたオーロラファンタジー(ヨーロッパ系)のも登場してないので、なんともいえない。
あれ、スパイシーアゲハ(セクシー系。アゲハというより渋谷系)とハッピーレインボー(原宿系)もまだか?
2015年シリーズのブランドドレスは「おとぎ話」がテーマなので
とかで出てこないかなあ。
でいこう。うん。
実際は、
ぜい肉のいっぱいついた、お腹もおっぱいもブヨブヨな風俗嬢である。
まさか、股を開いただけでにおってくるとは思っていなかった。
ウッ、とする。何事もない風にして耐える。
感謝の念すら浮かんだ。
20歳童貞にしてみれば、セックスなんてものは、遠い世界のおとぎ話である。
セックスは、ミッキーマウスの素顔みたいに、手の届かない神聖な領域に属するものだと思っていた。
おもむろに腰を動かしてみた時、あまりにも世界は平凡であった。
ああ、こんなものか。
けれど、思うように射精ができない。
セックス中、別人の姿を思い浮かべて果てる、という話がある。
これを聞いた時は、「まさか」と思った。
物理的刺激が存分にあるはずなのに、イケないはずがない、と。
「バカか」、と。そんなロマンはどうでもいいから、金を払ってでも経験したほうがいい、と。
射精ができなくて、虚しく腰を振りながら考えた。
本当に好きな人(あるいは美女)だったら、もっと楽しいのかな。
「ちっちゃくなっちゃったのかな」
いろいろあって、結局、自分は果てた。
後悔はしてない。
おとといまで、セックスを知らないことは、
自分にとってとても気がかりだった。
心の中で、溶けきらない小麦粉のダマみたいになっていて、
そのことだけが視界の隅にこびりついていた。いつも、いつも。
だからこそ、気が済んだ、という思いがとても強い。
まあ、もう二度と、お金を払ってこんなことはしない。
セックスをしない。そう決めた。
例外として世間一般的にはそこまでかわいくないかもだけど笑顔がかわいいってのも個人的にはあり。
その例外が自分にあるのだと思い知らされた子で、世間一般的には「よくいえば愛嬌はあるかもしれないけど、一般的にかわいいとは言えない・美人ではない」という評価をされるような子の笑顔に一目惚れした。
2年半くらいずっと片思いして最後同じクラスになったときにがんばってそこそこ話す仲になったけど、振られることが怖かったから、これは相手も俺を憎からず思っていると確信するに至るまで時間をかけた上でそれとなく告白して成就。おっぱい大きかったってのはオマケ。
でもいざ付き合えたら何をどうしたらいいかわからなくて空回りばかりして挙句の果てにちんけなプライドを守ってカッコつけて最後には当てこすりすら言ってしまって3ヶ月くらいで振られてしまった。
人生において自分が好きな相手と少しの間だけでも付き合えたっていうのはこれ以上なく贅沢なんだろう。
でもセックスどころかキスさえも、それどころか手をつなぐことすらできなかったとしても幸せだったか?
結局おまけについてきた大きなおっぱいも触れずに終わったのに?
…確かに幸せだったと思う。付き合えることが確定した瞬間は。
つきあってめでたしめでたしじゃなくて、その後に続く物語こそが本番だという意識がなさすぎた。
大学受験で燃え尽きてそれ以降落ちぶれてしまったときと同じだ。
ゴールを見誤ってしまって何がゴールかすらわからなくなってしまった。
何をしたらいいか、していいかわからないまま、付き合っているという事実だけが空回りしてしまった。
それで自信をなくしてもうひとりでいいやってなってしまった。
付き合う前は、好きだな、付き合いたいな、あわよくばセックスしたいなって思ってたけど、実際具体性をもった付き合ってからやりたいことがセックスくらいしかなかったんだよな。
いや違うや。チャリに2ケツして川沿いの土手走りたいって夢もあったけど、これは半分叶った。川沿いの土手なんかなかったけど、普通に2ケツできたことが唯一の思い出だ。
とにかく付き合いたいと思って告白するに至ってまで、付き合ってからのビジョンがなさすぎたのが敗因だった。
もはや登校途中に曲がり角で転校生とぶつかって恋が芽生えるくらいの偶然でも無い限り、自分から動こうとは思わないし、どうでもいい。
世間体が悪いのと親に対して後ろめたいのがめんどくさいだけ。
あああと小学生のときにかわいいのにこんな俺に猛アタックしてきてくれた子もいたな。
結局照れ隠しでごまかしてあいまいな関係のまま相手は引っ越してしまってそれっきりだった。
ねぇ あんなにも欲しかった日々がここにあるのに
明日を信じられる僕たちは まだ いない
永遠に終わらない
答えを1つ1つ つみかさねていくから
マニアックなものでなければ、だいたいハッピーエンドで終わるのが最近よく見るマンガのほとんどだけど、マンガの主人公はこの話に出ているヒロインとだけしかセックスできないっていう誓いに近いレベルでセックスをしている感じがする(ハーレムものはまた違うけど)。
このあとこの主人公たちはどうなるんだろうと思うとおちおち賢者モードにもなれないんだ。
この男は一生この女としかセックスしないのかとか考えると、なんかかわいそうに思えてくる。
そんでそんな大事なセックスをのぞきみするような形でおかずにしてしまった自分がすごく心もとなくなる。
他にもいろんなマンガでいろんな主人公のいいとこどりで擬似セックスをしまくっているとかんがえるとすごく後ろめたく感じる。
たかがエロ漫画、フィクションになに思い入れ持ってんだよと言われればそれまでだけど。
その点、ふたりエッチの真はすげーと思う。
1.本作の主題?
大々的に宣伝されていたこの作品の主題は「家族の絆」であった。「時をかける少女」「サマーウォーズ」で、揺れ動く思春期の心情を細やかに描き出してきた細田守監督が、特殊な事情の母子家庭の波瀾万丈を通して、母と子の結びつきを表現する王道の家族劇であろう、と私は予想していた。
しかし実際には、冒頭でおおかみおとこと主人公の花が「哲学」の講義をきっかけに出会うことに示されているように、家族それぞれの社会的承認やアイデンティティの確立といった「生き方」への問いかけが大きなウェイトを占めている。いずれ花と結ばれ父になるおおかみおとこは、人間社会にひっそりと適応しながら、大学にもぐりソクラテスの「無知の知」についての講釈に耳を傾けていた。彼自身の特殊性と人間社会との融和点、すなわち「自分は何者なのか」を彼はまだ知らない。もっともそれは花も同様である。彼らが「真に何者であるのか」が判明するのは、その後の人生の中で、主観的にも客観的にもそうだと考えられる地点に辿り着いた時である。
13年という長い月日を描く作品であるため、一時期に割ける時間は限られている。花は前半の少ない上映時間の中で、おとぎ話のようなおおかみおとことの恋と別離から、残された二人の子どもの育児という生々しい現実へと転がり進んでいくこととなる。わざわざアニメーションという媒体で母子家庭の奮闘記を描くのであれば、母子家庭の「リアリティ」をどれだけ表現できるかが生命線となる。そのためにも花は一刻も早くおとぎ話から抜け出す必要があった。
しかし出産も子育ても、半ばおとぎ話の状態からなかなか抜け出せずに進んでいく。その一つの要因として、花がすでに片親の父を亡くしている(母は離婚、別居済み)、という極めて日本のアニメ文化的な手軽で便利な設定の中にいたことにある。したがっておとぎ話のような恋の終わりと厳しい現実の到来を告げるはずの「親との葛藤」のシーンはない。東京に下宿させていた女子大生の娘が、フリーター(?)の狼に食われて子どもを作り大学を辞め、しかも(おおかみこどもであることを知られるわけにはいかないため)全く子どもに会わせようとしないなど、並の親なら勘当ものである。両親が既にいないにしても、親戚や最悪の場合行政施設の関係者などの後見人や身元引き受け人もいない、では未成年の大学生が家を借りるにも何をするにも無理が出てきてしまう。しかし花は劇中ではほとんど言及されることのない両親不在設定を免罪符に、自由におおかみおとこと結ばれ雪を出産し、一年後雨を生んだ後におおかみおとこと死別するまで、誰と葛藤することもなく擬似的な新婚生活を満喫するのである。しかも医者にもかからず独学で自然分娩を行い、子ども達も一度も医者には連れて行っていないなど、事情はわかるが少し無理のある状況が続く。リアリティのある家族を描くためには、例え核家族であったにせよリアリティのある一族が描けなければならない。そしてそのためには、リアリティのある社会が描けなければならない。しかし作品の土台となる花の周りの人々との繋がり(親族関係、社会関係)が抜け落ちた「おとぎ話」のまま、二人はほとんど社会から孤立して描かれている。
親族や後に移住する田舎社会の人々に、意を決しておおかみおとこの血を引くこどもたちの秘密を打ち明けていたなら、物語は一風変わった方向へ進んでいただろう(行政や医療組織に打ち明けていたなら、悲しい話になってしまうかもしれないが)。しかしこれは二者択一の選択である。おおかみこどもの秘密を守り通そうとするなら、一家は孤立するしかない。秘密を打ち明けてある範囲の人々を味方に引き込んでいたなら、出産、子育て環境のリアリティはある程度担保されるが、おおかみこどもを受け入れる周りの人々、というまたまた別種のおとぎ話的な絵が出来上がってしまう。この部分のリアリティを保つのは並大抵のことではない。本作は前者、おおかみの本性を隠し通すことで、雨と雪の存在のリアリティを保つ代わりに、一家を孤立させて社会生活との折り合いのリアリティを失うことを選んでいる。
3.本作の根底を貫く3つの近代的概念:①選択権としての自由観
社会から孤立した者を待ち受ける宿命は、社会からの排除である。雨と雪を隠し続け、医者も児童相談所も拒み続ける花は、居場所を失い田舎への引っ越しを決意する。この辺りから見え隠れし始め、映画のクライマックスで明らかになるのが、取捨選択の権利としての自由を尊ぶ近代的な自由観である。花が田舎へ引っ越した主な理由は、人目を避けるためでもあるが、雨と雪が「人間か、おおかみか、どちらでも選べるように」したいということが大きなウェイトを占めている。そして学校や田舎の人々に対して秘密を守りながら姉弟は大自然の中で育ち、おてんばの雪と引っ込み思案の雨という当初の関係性を逆転させ、最終的に雪は人間として、雨はおおかみとして生きていくことを決意する、と読み取れるあたりでこの作品は幕を閉じる。二人の姉弟が(そして母が)どのような生き方を「選ぶ」のか、というアイデンティティの「選択」が事実上の主題となってくるのである。つまり、二人のおおかみこどもは、人間として生きる事も、おおかみとして生きる事も可能であり、その選択権を自分自身で持っているという考え方が根底に存在している。こうした権利概念や自由観は、歴史の悲劇から人類がようやく辿り着いた価値ある理念ではあるが、問題が無いわけではない。
「おおかみであること」はファンタジーではあるが、現実の例えとして捉えることも可能である。元来日本語の慣用句でも「一匹狼」などのように「狼」は単に動物を指すだけではなく、社会の周縁に生きるしかないアウトサイダーを指す言葉でもある(押井守監督の『人狼』に描かれているように)。そこから暴力的な存在という意味合いを除外して考えれば、「おおかみであること」は何らかの理由から迫害され、多数派と融和できない少数派に「非自発的に」刻まれた「抑圧のスティグマ」である。先の近代的自由観に基づけば、我々はあらゆることを強制されず、自発的に選択する権利としての自由を何よりも大事なものとして持っているが、実は選択していないにもかかわらず押し付けられているものもたくさんある。我々は男性として、あるいは女性として生まれることを選んだ覚えはなく、この国、この家族の元に生まれることも選んではいない。選択の自由を行使する以前に、強制的に親や社会から色々なものをもらって今の私たちは存在している。こうした、我々が意図せずに所属しているアソシエーションから抜け出すことは、それが被抑圧的アソシエーションであればなおさら、多大な困難を伴う。
いわば「人間か、おおかみか」どちらかの生き方を選べ、というのは私に対して「日本人か、男性か」どちらかの生き方を選べと言うのに等しい。日本人であることも、男性であることも、やめること自体は可能であるが、多大な葛藤と苦労を伴うし、何より大半の日本人は日本人であることをやめたがっているわけではなく、大半の男性は男性であることをやめたがっているわけでもない。当然私は「日本人男性」として生きざるを得ないが、それを嫌がっているわけではない。「おおかみであること」は、私にとって「日本人であること」以上に雨と雪の二人のアイデンティティに深く絡み付いている。彼らは望んで「おおかみこども」として生まれたわけではなく、そして何より自己の不可分の半面としての「おおかみであること」を辞めることは不可能だからである。逆もまた然り。雨と雪にとっては、「人間であること」も捨てることはできない。したがって大多数の人間が、国籍や人種などの複数の非自発的アソシエーションに従属して生きざるを得ない以上に、彼らは「おおかみにんげん」としてしか生きられないはずである。人間としてだけ生きていてもおおかみの本能は満たされず、おおかみとしてだけ生きていても人間の知性は満たされない。一方を選択して他方を捨てることでは、幸福な真の自由は訪れない。というのも、私を含め大半の日本人男性が、日本人であることや男性であることを嫌がったりしておらず、むしろそれを誇りに思うことも時にはあるように、雨と雪も本心から「おおかみであること」あるいは「人間であること」を嫌い、やめたいと感じているわけではない。真相は逆である。雨と雪に限らず「抑圧のスティグマ」を持つ人間が求めているのは、それを捨て去ることではなく、周囲が抑圧的な処遇をやめ、そのスティグマが価値あるものとして社会的に承認されることである。黒人や女性は差別されるから黒人であること、女性であることをやめたがっているわけではない。彼、彼女らが求めているのは、差別をやめること、すなわち黒人であることや女性であることを誇らしく思えるような、他の人々と対等の処遇である。自分の非自発的なアイデンティティを差別や迫害を理由として捨て去ることは、雪がおおかみに変身することを必死に避けていたように、それ自身当人にとって新たな大きな抑圧となるだけであり、それを捨て去ることを強制することもまた、抑圧からの真の救済とはなりえない。
「人間であること」のみを選択した雪は、今後もおおかみの衝動に苦しめられ続けるだろう。「おおかみであること」のみを選択した雨は、おおかみとして生きるだけでは無力であり、人間から森を守ることはできないことにいずれ気がつくだろう。したがって雨も雪も、「人間であること」か「おおかみであること」のいずれかを選ぶ権利としての自由を持つ、のではなく、彼らはどこまでも「おおかみにんげん」として生きることを運命づけられている。そのため彼らを幸福な真の自由へと導くのは一面を捨て去る選択ではなく、両面を受け入れる承認、すなわち抑圧されることなくありのままの「おおかみにんげん」として生きていくことを人々、社会から認められることでなければならない。そしてその基点にして起点となるのは、二人の秘密を知る唯一の存在、母である花のはずだった。しかし雨と雪は選択権としての自由を行使し、「人間であること」、「おおかみであること」の一方を選んで他方を捨て去る。この彼らの選択は同時にもう一つの取捨選択となって現れている。それは、特に雨に顕著なように「個人」としての自己の生き方を選択する代償として、それまで所属していた「全体」としての家族を捨て去っていくことである。
取捨選択の権利としての自由観には、この近代的な自由観と表裏一体になって形成され、社会に受け入れられてきたある考え方が寄り添っている。取捨選択の権利としての自由は、何に帰属しているのかを考えればその考え方も見えてくる。「生き方」の選択の権利は、国家にあるのでも何らかの組織にあるのでも、両親にあるのでもない。近代的な自由は常に「個人」の手の内にある。「個人」は選択の権利を持ち、それを他者に妨害されない権利もまた持っている、というわけである。こうした個人観も尊重されるべき人類の英知だが、その発達によって我々人間は別の問題に現在直面している。「個人」の肥大化により、家族や社会等の共同体の絆を、そして古い慣習や信仰などに息づいていたいわゆる「大きな物語」や「宇宙的秩序」を破壊して、人類がただのバラバラの個人の寄せ集めになってしまう「アトミズム」に陥るという問題である。したがって家族という、人々の繋がりを描くべき物語の根底に、こうした個人観を置いてしまうと、家族は崩壊してしまう。雨は山へ飛び出したきりおおかみとして生活し、どういうわけか雪も全寮制の中学に入り、あとに残されたのはひとりぼっちの花だけ、というわけである。雨は個人としての自分を選び、家族を捨ててしまったのである。
家族を最小の社会であると考えたヘーゲルは、市民社会、国家、世界史へと繋がっていく人倫の弁証法のスタート地点を家族においている。そして王道的な家族の物語はおおよそ、仲の良い親子(正)に何らかのきっかけで対立が生まれ(反)、最後は和解して「雨降って地固まる」(合)という弁証法的なプロセスを辿るし、実際の子育てにおいても、子どもは両親べったりの幼少期から、反抗期を経て、何らかの和解を踏まえて真の自立へ旅立っていく。反抗期が自立そのものなのではない。このようなプロセスが多くの家族ドラマで踏襲されているのは、それが流行っているからでも面白いからでもない。人間が最初に個人として生まれるのではなく、家族という全体の一員として生まれることが不可避である以上、家族の絆を知るには、家族と対立して家族そのものを対自化、対象化しなければならないからである。毎日当たり前のように存在する両親と、本当に強い絆で結ばれているのかを知るためには、わざと両親に反発し、お互い真剣に向き合う期間が必要だというわけである。こうした視点から本作を見ると、ただただ雨と雪のためだけに「個人」としての自己を押し殺して子育てに奔走する花と、それをただただ当たり前のこととして享受する幼少期の二人は、弁証法の正の段階、無垢な統一としての家族である。そして二人が小学校の高学年に近づくにつれ、激しい対立、反の段階が現れてくる。雨も雪もお互いの違いを強く認識し、雨は特に自分を家族の一員ではなく個人(個狼?)として考えるようになる。花の言いつけに反しておおかみの力を使ってしまった雪や、徐々に自然の世界の魅力に飲まれ、家を空けがちになる雨、そして激しい姉弟喧嘩など、家族はそこかしこに対立の火花を散らすようになる。
しかしここまでである。その後一家は和解して家族の絆を再確認することはない。雨は嵐の山から母を助けはしたが、家を飛び出して以後母と会話をすることはなかった。雪は草平と嵐の学校の中で自立への憬れを語り合い、その後母が迎えにくる描写も、直接会話をする描写もない。花は山で気を失っている間、おおかみおとこと再会し、彼にそれまでの人生を肯定し承認される言葉をもらっている。しかしそれは夢の中の出来事に過ぎない。花は以後雨の遠吠えを聞き、祈りの中でおおかみおとこと対話することによって家族の絆を信じ込むのである。真理は主観と客観の統一にある。どれだけ心の中で絆を信じていようとも、花の現状は孤独である。そこには反発しつつも助け合うという家族の現実的な絆も、現実的な幸福もない。雨が個人(個狼?)として家族を捨てて旅立ち、残された花は母としてのアイデンティティを失い空虚に祈るしかない。この物語は家族ドラマの王道スタイルである弁証法の構造の反の段階以後を切り捨ててしまったような形になっているのである。だから少なくとも映画の終わりの段階では、家族がバラバラになり、皆、特に花は絆を失って見えるのである。そんな状況になっても、どんな時でも笑顔を絶やさない花の表情は不憫ですらある。この物語の家族が弁証法のプロセスにおける対立から総合の段階へと移行できなかったのは、無論、前説の自由観に付随する個人観が差し挟まれ、家族の再統一、和解を妨害しているからである。個人としての生き方を選択し、家族を捨て去ってしまうことが子どもの「自立」である、という錯覚がここにはある。個人(個狼?)として生きることが家族として生きることと両立不可能なら、雨にも花にも真の幸福は訪れない。家族がバラバラの個人に分解してしまうことも、幸福でもなければ自立でもない。
5.本作の根底を貫く3つの近代的概念:③価値を放棄する平等観
そして何よりも花を不憫に思わせてしまうのは、単に雨がいなくなってしまったからではない。雨が「おおかみとして生きること」を選んだからである。しかし劇中では、雨がおおかみとして生きることに、花は戸惑いはしたものの最終的には肯定したし、作品全体のスタンスとしても、別れの悲しさはあっても、「おおかみとして生きること」自体は肯定的に表現されている。ここには、前二節の近代的な自由観、個人観から導かれる第三の概念が潜んでいる。すなわち、生き方の選択権としての自由が個人には備わっており、それは何者にも妨害されてはならない尊重されるべきものである。したがって、「個人が生き方を選択する」こと自体が重要で価値のあることであり、その選択自体を尊重するために、政府や他者は個人の選択した生き方の「内容」にケチをつけてはならないという平等観である。これも近代以後の社会には欠かせない重要な概念である。職業に貴賤はなく、魚屋として生きる生き方と教師として生きる生き方はどれも同等に尊重されるべきである、というわけである。この概念も、極端に押し進めると、我々人類を文明的に発展させてきた一つの原則、すなわちチャールズ・テイラーがAuthenticity(ほんもの)と呼んだ理念そのものの破棄へと到達する。この理念は、「ある生き方は、別のある生き方より価値がある」として、人間の生き方には価値の序列があることを前提に、真に人間が生きるべき姿、「ほんものの生き方」を模索するというスタンスを形成する。近代的な平等観に慣れ親しんだ人々にとっては、生き方の優劣を価値付けることは、政府による不必要な介入や、職業身分による差別など危険な事柄を助長するようにも思えるだろう。しかし逆に急進的な平等観の元では、あらゆる生き方が平等の価値を持つと見なされる。言い換えれば、「生き方」の選択を重視してその内容を無視するということは、あらゆる「生き方」の内容が平等に論争点にはなりえないどうでもよいもの、すなわち無価値となる。偉大な学者の生き方も、高名な僧侶の生き方も、愚かなギャンブル狂の生き方も、みな平等に無価値なのである。
このことが本作においてはどのように現れてきているのかというと、「人間として生きること」が「おおかみとして生きること」と平等に価値ある選択肢として描かれている点である。そしてそれは裏を返せば、「人間として生きること」は「おおかみとして生きること」と同等に無価値であるということの表明に過ぎない。だから姉弟がどの生き方を選んで「決定」するのかということだけが重要視され、その選択した生き方の「内容」の善し悪しは一切吟味されないのである。人間の人生が理性を持たない単なる動物に過ぎないおおかみの Permalink | 記事への反応(2) | 08:36
私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。
それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。
もっとも制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。
あなたはもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。
そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女が現実に我々の社会を照らす光なのだということを。
最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。
嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味なパロディ作品であった。
——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか。
その日が来る前に、伝えておかなければいけない。
敢えてそう主張しよう。
それは何だろうか。
笑わないで聞いてほしい。
魔法少女とは時代や年代で移り変わる少女の価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女の資格であり、約束事であり、存在意義なのだ。
いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートとフラメンコガールくらいのものだろう。
ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。
男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。
主人公は12歳の女の子。魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。
すると賢しい人はこんなことを言う。
「まどマギが正統派の魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。
……いいだろう。
そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。
アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中の神話や民話に繰り返し登場する人物像を抽象、統合したものをいう。物語分析においてはキャラクター類型論の礎として重用される。
この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプに還元される。
〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女の至上命題だ。
誰でも知っているように、すべての魔法少女はフェアリーテール(おとぎ話)の主人公なのである。
本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年。アニメ版は2010〜2012年)だ。
以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。
知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。
以下に読み解いてゆく。
『ウテナ』の真の主人公、姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦〉である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲のアイコンだ。
一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルなキャラクター。
しかしこれは倒錯ではない。
洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。
ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。
さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。
閑話休題。
他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦〉であることに説明は不要だろう。
なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。
未確認生物(サル?)のチュチュは典型的なダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女の必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。
「学園の外の世界」だ。
そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生のメタファーである。
管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。
選んだのは未知に挑むという生き方。
〈王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。
ではバロットはどうなっただろう。
彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。
さらに最後の敵(破壊の象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。
運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。
どうだろう。
彼女は男性とは異なる価値観と武器を身につけたバトルヒロインとして成熟の階段を登っているのだ。
締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。
この作品は途中、主人公が事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しかし彼女はその後ふつうの人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。
この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナの処女喪失シーンはこの発展ともいえる。
魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。
それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。
結論からいえば暁美ほむらはダークヒーローの女性版に過ぎない。
そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後はヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。
結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがりな正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。
それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかのヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。
実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。
皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。
願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である。
ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。
無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。
しかし、だ。
『まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズムの糾弾であるようで、その実勝つために既製の概念やルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。
そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。
しかし、我々は豚ではない。
食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。
——部屋の灯りが落とされた。
そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。
最後に。
これだけは言っておく。
以下、全部コピペ
【2012 NHK紅白歌合戦】
● NHKの公式発表乙ww
さて、本当に創価が人体実験をしているかどうか、その真偽を確かめたい方は、創価の犯罪手口(保険金殺人)を10年も研究している、日本で唯一の創価研究ブログ『richardkoshimizu's blog』で、調べてみてください。
『richardkoshimizu's blog』
まあ、コラ画像だとわかったうえで補足すると、この画像がコラかどうかは、実はあまり重要ではありません。
人体実験並みの、保険金目的の殺人犯罪を組織的に取り組み、莫大な利益を上げて母体を肥やしてきたのが、創価という裏社会の実態だからです。
尾崎豊が亡くなってから約2年後に、10万人近くのファンの署名で「再捜査嘆願書」を警察に提出したが、受理されなかった。
事件は尾崎ファンがオウムに取り込まれていくなど、風化していった。
しかし、7年後の1999年、突如として写真週刊誌『フライデー』に蘇生装置が施された写真が掲載された。(7年間もこの写真が隠されてきたわけだ)
また、当時の捜査員の証言などもあって、その死因の不可解さがますます深まっていった。
そして、尾崎豊の怪死から実に15年もの月日が経過したとき、突如としてスクープが雑誌に掲載される。
ついに「尾崎に覚醒剤を盛り、複数人でリンチした」と決定的な証言をする、実行犯の暴力団組員が現れたのだ。
■ 月刊 keitaiバンディッツ 2007年5月号(4月7日発売)より
「若きカリスマ 15年目の死の真実」
時効直前スクープ!
この「俺が尾崎豊を殺した!」スクープについては、次のブログで読めます。
<ぜひ、このメロンパンさんの記事をご一読ください>
夕焼け朝焼けメロンパン「尾崎豊さんの死と創価○会」2008.10.08
さて、メロンパンさんの記事では、暴力団組員は尾崎を暴行したと告白してはいるが、全ての真相は明かしませんでした。
でも、ここまでわかると全部わかったようなものですね。
はたして、黒幕は一体何者なのでしょうか?
週刊誌のリーク画像のとおり、尾崎豊が全裸で病院にかつぎ込まれたとき、リンチを受けていたアザが無数にありました。
はい、知らなかった人は驚くかもしれませんが、尾崎豊の死因は、自殺でも肺水腫でも薬物依存でもありません。
尾崎の死体検案書に、外傷性くも膜化出血とあるのは、どう考えても顔面を強く、何度も殴られたからです。
くも膜化出血になるまで転んで頭を打ち続けたんだ、とか言い訳にもならないわけです。
写真を見ればわかりますが、AEDのような装置が尾崎の体に取りつけられています。
そんな状態なのに入院もせずに、「すぐさま」家に帰ったとか、あまりも不自然ですね。
そもそも、芸能界は昔から裏社会とズブズブなので、いつ誰が死んでも別におかしくはないのです。
海老蔵が殺されかけた事件が記憶に新しいのですが、海老蔵はあのとき死んでいてもおかしくなかった。もしも、あのときに死んでいたら死人に口なしの法則で、真実は闇に葬り去られたことでしょう。
芸能界とは、そういうところです。
もちろん、下っ端の人間にはそこまでの危険性はないはずですが。
関東連合と芸能人が深い関係である限り、海老蔵くらいのリンチ殺人未遂事件なんて、表面上の事件にすぎません。
● 尾崎事件の謎解き
まず、尾崎豊は薬物依存ではありませんでした。
不可抗力で覚せい剤を酒にもられて、その後に裏社会の人間からリンチを受けたのです。
もちろん、ハルシオンなど酒で割ることができる薬物を使用したため、普通に飲むことができます。
尾崎はボロボロに殴られたあと、這って歩いたために服が脱げ落ち、全裸になってしまいました。
虫の息だった尾崎は、近くの民家まで這っていき、通報された後に病院に搬入されました。
病院で検査して、尾崎が意識朦朧としながら「家に帰りたい」とうわごとで言ったため、妻が無理やりマンションに連れて帰ったのです。
本当は薬物関係に詳しい病院でキチンとした対処がなされれば、尾崎は死ななくても良かったはずです。
尾崎は適正な治療が施されることもなく、キチンとした検査も受けないまま帰宅し、自宅マンションの一室で寝かされただけでした。
そして、部屋で数時間後に尾崎は帰らぬ人となりました。
その後、尾崎との関係が冷えきっていた妻が著作権などの遺産を受け取り、逃げるように海外へと移住しました。
創価を快く思ってなかった尾崎は、創価に都合が良いようにタイミング良くいなくなりました。
妻はその後、尾崎事務所のアイソトープを自分のものにして尾崎作品で商売を始め、最近では息子を尾崎の代わりに売り出して、尾崎の名声を利用した商売で、利益をあげ続けています。
妻がまるで被害者かのように偽装された、尾崎の真相追求サイトが、ネット上で氾濫しています。
それらの大量に存在する「ネット火消し工作サイト」は、一体どのような人たちが書いたのでしょうか?
尾崎の他殺説で浮かび上がってくる犯人像といえば、○○学会以外に見つからないことは明らかです。
○○学会がネットで火消し工作をするなんて、信じられないかもしれませんが、創価の母体が朝鮮カルトであることさえ理解できれば、全てが理解できるようになります。
ネットで調べていけば、ある程度はわかると思いますが、創価に詳しくない人がいくら調べても、世の中の真実には絶対にたどり着くことはできません。
逆に、創価に詳しい人ならば、ある程度の推論が可能です。
ただし、尾崎事件に関しては全国民を納得させるような絶対的な物証は、もうでてこないでしょう。
それでも、ブラックアイになるまで殴られた写真が、尾崎の無念を物語っていると思います。
本当は他殺の証拠が重要というわけではないのです。
世の中の仕組みさえ理解できれば、証拠なんてこのたかだか2,3枚の写真で十分です。
決定的な証拠がなければ信じないという考え方では、常識という偏ったものの見方から抜け出すことはできません。
つまり、本当に重要なのは、世の中の仕組み、つまり、カルトや裏社会の構造を考察できる「タブーであっても受け入れる柔軟な考え方」なんです。
「一度でもいいから、あえて常識を疑って考えてみる」こと、それさえできるようになれば、世の中がどのようなからくりで動いているか、はっきりと理解できるようになると思います。
マスコミが伝える情報は、裏社会の存在をまるっきり排除した、とても裏社会に都合が良い表面上の報道でしかないのです。
このような報道規制が誰のために存在して、誰のためにテレビが放送されているかということを、一度考えてみてください。
尾崎事件とオウム事件が裏でつながっているように、そこに存在する「在日特権やカルト利権」のつながりを想像してみてください。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/snowman-yukio/ozaki3.htm
はい、これが典型的な「妻を擁護する」創価学会の火消しサイトです。
全部創価に都合よいことしかかいてないし、創価カルト論を避けていますね。
創価カルト論を論破できないのが、創価なのですから。
真実を見抜くなんて、思ったより単純で簡単なことだったんですね。
どちらが都合の悪い真実を避けているか、それだけでわかります。
創価の御用達司法である裁判所で、訴訟を提起した妻の繁美が裁判に半分負けたような判決を受けた時点で、どれだけ疑惑だらけなんだよとわかっちゃうわけです。
マスコミにヤクザがリンチして殺したことがバレたら創価はマズイわけです。
そうしたら、当然ながら犯人探しになるわけです。
犯人探しが始まると、どう考えても一番怪しいのが創価となります。
裏社会はそれが嫌だから半殺しにして、救急で病院に搬送させてから、かの有名な「創価注射器」で薬物を注入するわけです。
もしくは、家でコッソリと創価注射器で薬物を注入する。
それが、創価の最高の筋書きなんです。
絶対に、「ボコボコに殴られた挙句、最後に薬物を注射されて殺された」という筋書きではマズイのです。
誰のために都合がよいかを考えれば、わかるでしょ?
「おいおい、そうか、そうかって、何でもかんでも創価のせいにするのは、いくらなんでもこじつけでしょう!」
はい、そうですね。
このような理屈は「単純すぎるため、虫の良いはなしだからおかしい」と思われるかもしれません。
しかし、世の中の利権構造に創価などの在日カルトの特権が、ここまで深く組み込まれていることが全ての問題の原点であるため、この話を避けて通るわけには行きません。
普通に考えれば「真実がそんな単純なわけがない」と思うのは当たり前ですが、常識の範囲内で裏社会のことを調べていては、現実に存在するカルトなどの「腐敗した世界」の構造を理解することはできません。
話が飛躍していると思うかもしれませんが、創価の母体とは朝鮮宗教であり、この在日宗教カルトこそが様々な在日特権をうみだしてきたのです。
もっというと、統一協会や創価などのカルトに特権を与えてきたのが、GHQ占領軍であり米国でした。
戦勝国の米国が日本の独立を助けたという「お話」は、おとぎ話であり、そんなものはまやかしにすぎません。
そもそも、米国が参戦した動機が、欧米の植民地を次々と奪っていった憎い日本を、完膚なきまでに叩き潰し、二度と欧米列強に歯向かえないようにするためだったわけです。
そして米国は、戦争で勝ったからには、日本のあらゆる権利を没収し、恒久的に国家から資産を搾取していこうと考えたのです。
「そんな難しいこと簡単にできるわけがない」「米国が日本を民主化してくれたんだ」と思うかもしれませんが、米国はどこまでも狡猾に巧妙に、その支配体制を構築していきました。
米国は、日本に勝ち、すぐさま日本を武装解除させ、米国占領軍という強大な「武力圧力」で恫喝し、米国に逆らうものは公職追放令で次々と追い出し(10万人以上)、あらゆる権力構造に被差別部落の朝鮮人を組み込んでいきました。
つまり、米国は戦後すみやかに占領体制を構築し、無理やり大日本帝国という国家を解体したあとに、日本を米国に都合の良い米国式国家へと、国を一から作りなおしたのです。
まず、GHQ占領軍の指導のもとで、朝鮮人により在日朝鮮人連盟(現在の韓国民団と朝鮮総連の母体組織)が結成されました。
そして、米国が「朝鮮人は差別されていた」「朝鮮人こそが戦勝民族なんです」とプロパガンダを行って、朝鮮人に被差別感情を植え込んでいきました。
そのようにして、朝鮮人を優遇していった一番の理由は、朝鮮人と日本人は明確な見分けがつかないからです。
アメリカ人が政治の分野などに直接でてくれば、白人だと一目でわかるし、政治家が外人だらけになれば、それはもはや日本人には主権が存在しないことがあきらかです。
そして、現在の政治家に朝鮮人脈が、いかに組み込まれているのかを知れば、今の日本人におかれている状況に危機感を感じざるをえません。
だって、現在の安倍総理が、カルト統一協会の自民党清和会に所属している、朝鮮人脈派閥だったなんて、そんなことを日本人は信じたくもないからです。
このように、米国GHQが在日朝鮮人に特権を与えた理由は、在日という外国勢力に日本を乗っ取らせ、朝鮮人に日本を間接統治させることにより、米国の都合の良いように国家を運転していくことでした。
これが開戦当初から米国のもくろんでいた、欧米列強の植民地主義に変わる、対日本マイノリティ支配戦略だったのです。
それらの国家を少数支配で乗っ取る方法や、外国勢力により国家を間接統治する支配体制を、まとめて「ユダヤ式マイノリティ支配」と言います。
なぜユダヤ式なのかというと、ユダヤ国際金融資本という金権特権組織が一番奥に潜んでいるからです。
そのようなわけで、戦後の日本においては、カルトにもヤクザにも在日特権が与えられ、その背後には常に米国やユダヤ金権勢力が暗躍してきました。
日本にはそのような歴史があるため、カルトやヤクザは戦後から勢力を拡大する一方で、在日組織が犯罪の温床でタブーとされたことは、当然至極のお話なのです。
そして、その在日カルト宗教の筆頭である創価がタブーを隠れ蓑にして「保険金殺人システム」を構築し、私腹を肥やしていても、さもありなんということです。
尾崎に関して言えば、死因とされた肺水腫は当然ながら監察医のねつ造であるわけです。
当初、肺水腫でとりあえず死亡結果を発表したけれど、タイミング悪くブラックアイのリンチ写真がリークされてしまい、一気にマスコミや国民からの疑惑が噴出してしまいました。
そこで、その辻褄をあわせるために司法解剖の結果である、覚醒剤反応を後出しジャンケンで発表することにより、「尾崎は薬物依存だったことが判明しました」という自殺の線を補強して、裏社会に組するゴロツキたちが「尾崎他殺説のもみ消し」を計ったという顛末だったのです。
● 尾崎を亡き者にする動機
しかも、カリスマ性をもった影響力のある人が、日蓮に改宗するとか、鞍替えるなんて、創価にとっては危険な存在になるわけです。
そして、何よりも尾崎を殺害しても、簡単にもみ消すことのできる「保険金殺人システム」が構築されているのです。
これを使えばそう簡単にはバレないわけです。
実際に、尾崎は自殺か覚せい剤におぼれて死んだだけなんだと、国民に裏側にある事実はまったくバレていないのです。
まず、日蓮を敵視するショッカーが、妻と田崎とヤクザを遺産と著作権利権で利用してこの作戦に巻き込んでいきました。
当然、尾崎の死後、CDなどの著作権は創価の懐に入ることになります。
尾崎をリンチしたヤクザはガンで余命半年となり、罪悪感からかその胸中を告白しました。もちろん、創価のことは伏せています。
しかし、創価の実態さえわかれば全てがスラスラとつながってしまいます。
覚せい剤を致死量の3~5倍、酒にもってからの暴力でした。
覚醒剤は2時間もあれば、胃の中で消化されるようですが、消化しきれないほど飲ませたから、胃から覚醒剤が検出されてしまったわけですね。
通報で駆けつけたのは、これまた創価専属の警察官でした。
全裸でのた打ち回る、尾崎の奇妙な様子を確認しただけで、保護しないで何もせずに帰るとか、どんな判断だったのでしょうか?
週刊誌リークの写真と、まったくかみ合わない説明を繰り返す「火消しサイト」のみなさん。
「自分で頭をうちつけて、自分で転げ回って細かい傷だらけになっただけだ」とか、「ブラックアイも石かなんかに、偶然倒れたときに打ちつけてできただけだ」とか、ちょっと都合が良すぎる解釈だと思うのですが。
一見して、どう考えても普通に思いつく答えが、暴行のような気がするのですが、リンチ行為があったことすらも他殺説につながるからマズイ、ということなんですか?
しかし、実際に自宅で数時間後には死んでしまうような「虫の息の人間」を、寝かせて安静にさせていただけという状況は、はっきりいって異常な光景だと思います。
死ぬ間際まで衰弱していた人間を、どうして病院から連れ戻す必要があるというのでしょうか?
これは推測に過ぎませんが、病院で死なれたら何かマズイことでもあったのではないでしょうか。
実際に、リチャード・コシミズ氏が提唱する創価の「保険金殺人システム」を応用すれば、病院で注射をうたれてその場で死んでしまうことはよくあることのようです。
つまり、この事件は病院では元気そうに見えた尾崎が、なぜか自宅で息を引き取ることに、全ての謎をとく鍵があるように思ってしまうわけです。
これ以上書くとヤバイかもしれないので、全ては書かないでおこうと思います。
病院で尾崎が死んだら、ヤクザではなく医者にも疑いがかかってしまいませんか?
本当は、ヤクザが自白したのも、自分が「半殺しにしたんだ」「薬漬けにしたんだ」と告白させることで、注意を自分に向けて、誰かをかばうことになっているのではないでしょうか。
ヤクザが薬を使ったのならば、その後に薬を使ってもわかりくくなります。
そうだとすれば、ヤクザが余命わずかと言ったことも、ウソということになります。
とまあ、勢いで全部言ってしまったような気もするのですが、さすがに考えすぎのような気もするのも事実です。
もしそうだとしたら、全てが用意周到に計画されたことになりますので、裏社会にしたらうまくやった、本当にお手本のような事件だったのではないでしょうか。
さて、全ての結論を申し上げる前に、裁判所において、次の歴史的な大事件がおきたことを、皆さんはご存知でしょうか?
(ちなみに尾崎豊の兄、康さんは裁判官として2004年から5年間、裁判所で働き、2012年からは弁護士として活躍されています)
ということで、尾崎事件の途中ですが、以下のことを理解しなければ、尾崎の真相も理解できないと思いますので、少し話題はそれますがもう少しなので、我慢して聞いてください。
はい皆さん、心の準備はよろしいでしょうか?
これは、あまりにも荒唐無稽な話なので、ヘソで茶を吹くかもしれませんが、動揺しないで聞いてくださいね。
なんと、「現在の国会議員は全員「不正選挙」により当選した」ことが明らかになってしまったのです!!!
それでは、次の国家転覆に値する「不正選挙」の実態について、以下の記事をご参照ください。
★ 【日本初】裁判所から裁判官が脱走wwww「不正選挙」の黒幕を裁判所が暴露!【今、裁判官が逃げてったんだけどw】
『目の前で裁判をしている真っ最中に、いきなり裁判所が裁判を放り出して、裁判官が3名とも裁判所から逃走した!?』
(∂εδ)ちるみぃ「えっ?」
★ 裁判所が裁判をやらないでござるの巻
【不正選挙】
『この動画の公開は犯罪行為です!』
★【大炎上】「不正選挙」裁判の録音をネット公開してる前代未聞のバカ発見www【通報しました】
裁判中に録音した音声データをネットで公開するなんて、前代未聞の行為をやってやがる!!
うわあああああああああああああああああああああああーーーーっっ!!
何なんだよこいつら、マジでやべえんじゃねえのかwww
(∂εδ)ちるみぃ「コソコソしないで、顔見せやがれっ!」
(∂v6)ちるみぃ「はひっ、すみません、犯人はあたしです!」
(∂εδ)ちるみぃ「えっ?」
(∂v6)ちるみぃ「えっ?」
さて、若干お話がそれてしまいましたが、ここまでお話を聞いていただけたのであれば、あとは何となく想像がつくかと思います。
オウムが第7サティアンで作っていたのは、なんと覚せい剤(LSD)だったのです。
簡単に言うと、オウムがやっていたことは、北朝鮮麻薬の商売でした。
オウムが麻薬を作って利益があるのは、ヤクザやカルトの裏社会です。
税務署が捜査できない宗教法人、つまり、カルトを地下銀行として利用すれば、麻薬で潤ったブラックマネーを安心して運用することができるわけです。
ここまでの解説で察しがつくと思いますが、オウムの背後には巨大な黒幕がいました。
わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。
中学の入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネットの世界にのめり込んでいった。
友達と放課後にマックに行ったり、クラスの男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、
ちょっと不良ちっくな男の子達のリアルな体験談にわくわくした。
わたしは地味で目立たないタイプの中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。
というか、クラスに友達がいるっていうだけで、クラスメイトと普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。
そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。
あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、
そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。
毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然にあいさつとかするようになった。
あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、
(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)
あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。
あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。
いつの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。
あなたはどんな人なんだろう、
どんな生活をしてるんだろう
人望厚く、生徒会長をやってるらしい。
(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)
すきなマンガはるろけん。
てゆーかけっこうオタク。
って思っていた。
それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、
というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、
(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)
その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。
でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。
私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。
だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。
そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、
使い方が謎すぎて放置していたメーラーの説明書を100万回読んでメールのやり方を会得し、
(メールの画面が夢にまで出てきた)
やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。
あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活!リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、
他愛のないお話ばかりをしたと思う。
みたいな見栄もはったきがする。
でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、
少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。
夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。
あの人がどんどん近くなって来るような気がした。
ある日わたしは決心した。
あの人が生活する街を見てみたくなった。
本当は会いたかったけど、言えなかった。
あの人が歩いているだろう道を歩いて、
あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。
源氏物語みたいなやつ。
今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。
ではないと思いたい。
そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。
それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。
文字以外のあの人のことを何も知らない、
会ったことも見たこともない。
でも気持ちだけは本当だった。
そしてあの人にはあっさりふられた。
高校生活は最悪だった。
高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。
成績もガタ落ちで留年寸前だった。
私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。
両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて
わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。
誰かに理解されたかったんだろうけど、
それをうまく言葉にすることもできなかった。
絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。
どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、
たぶん私が言いだしたようなきがする。
心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。
それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンなHNでやりとりしてたの笑
なんか本当に不思議な感じだった。
はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。
なにをあんなに話したんだろう?
たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。
気づくと朝日が昇って、朝になってた。
そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。
「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」
「・・・わかんないよ笑」
「・・・すき。」
どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。
たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑
でもわたしたちはこの電話をきっかけに付き合いはじめることになった。
携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)
会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、
どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。
あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデルの女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)
それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。
それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。
当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。
今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。
自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。
でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。
本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。
それを説明することともできなくて、
たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。
実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。
変だよね。(笑)支離滅裂だ。
よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。
やめる前後はピークに荒んでいたけど、
いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、
それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。
それから3カ月。
今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに
冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。
ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。
厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。
家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。
付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。
でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。
相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。
というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw
わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。
あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。
朝6時に起きて掃除、点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校。
はげしいルーティン。
ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、
もちろん携帯電話は禁止。
というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、
どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。
この公衆電話がまたすっごいの!
長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!
でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)
そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、
あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)
あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。
それでも。
地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。
そうだ、手紙も何通か交換したんだ。
今でも大事にとってある。
あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。
(確かにあの人は字がへただった(笑)
あの人と実際に会おうかって話になった。
あの人は大学生になっていて、
せっかくだからついでに会おうよってことになった。
その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。
あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、
みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。
わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール。
でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。
だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから。
と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。
いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、
誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。
だから私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。
ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、
なんにも向き合えてなかった。
実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。
会うのが怖かった。
実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。
あの時、わたしはもう本当に緊張していた。
心臓爆発だった。
わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を
わたしは一生忘れないと思う。
あの人は細くて折れそうな体で
外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。
あの人は私に一言、
「でかっ!」
って言ったんだ笑
不思議な感じだった。
はじめて見たあの人は知らない人だったけど、
声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。
人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、
それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。
綺麗な新緑のさわやかな感じも、
あの人の横顔も
今もあの日のように思い出せるよ。
よく歩いて、よくしゃべった。
わたしは寮生活の話を。
帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。
手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、
寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。
「楽しかった。また会いたい」って。
私もおなじ気持ちだった。
数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。
いま考えれば不思議なことはなんにもない。
必然だったと思う。
もう人と深く関わるのが怖いって。
ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。
私になにかできることはないのか?って思った。
少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。
あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、
怖くないって言いたかった。
あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉が不思議とすらすら出てきた。
そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。
混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。
私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。
それは数年前の私たちにはできなかったことだ。
今までどうしても踏み込むことができなかった、
でもとても知りたかった、
知って欲しかったことだった。
話しても話しても話したりなかった。
やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。
ずっとそうしたかったんだと思う。
一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。
あの人が私に言葉をくれたんだ。
本当はわたしは不安だった。
戸惑ってたんだ。
でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。
そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。
帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。
あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、
離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。
あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。
わたしも同じだった。
メールや電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、
いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、
私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。
私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。
ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。
お父さんみたいだった。
肉親以上の愛情を注いでくれた。
あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。
思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。
わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。
わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。
なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。
それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。
真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、
会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸と栃木、クリスマスに買いすぎたモスチキン、
大学のピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、
別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。
ねえ、わたしはおかしいのかな?
思い出を美化しているだけなのかな?
もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。
だからはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ
あの人がいればなんだってできるような気がした
あの人に話してないことがひとつだけある。
わたしはそれでも迷っていたんだ
私は若くて無知だった
本物がどれなのか判別がつかない程に。
奇跡だと思ってた
完璧だと思ってた
わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた
いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った
むしろそうなるべきとも思った
そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから
早くあの人を大切にできる自分になりたい
いつの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、
あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、
あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった
わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした
あの人を失ったわたしは
かたずっぽになって
うまく立つことができなくなった
うまく声も出せなった
うまく笑えなくなった
うまく人と話せなくなった
怖くてわたしを押しつぶしてくるの
何時の間にかわたしはあなたに
荷物を預けて楽してたみたいだ
全部がのしかかってきて
息ができなくなった
笑顔は今でも引きつってる気がしてる
それでも
わたしは受け入れていった
考えることをはじめた
どうしてこうなってしまったのか、
ここはどこなのか、
これからどう生きていくべきなのか 、
あの人のことを何度も思った
ずっと考えていて
分かったことはふたつだった。
ひとつめは、
今自分が感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと
どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ
ふたつめは、
本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなたと出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。
出会えたことがすべてってこと。
自分の心に問うてみたら、幸せ度は相当に低まっていると言えてしまう実情。
好きな街に住み好きな仕事をして好きな仲間と好きな企画立てて遊びに行けた。
身近に大好きなことがいっぱいあって、それがあたり前だった。
そんな日はあたり前に続くと思っていたし
それでもまだ足りない、ぐらいに思っていた。
いま。
夫が作ってくれた夕飯を囲んでみんなでお風呂に入る。
もちろん、そのはずなんだけど。
なんでこんなに苦しいのか。
なんで心の奥がカラカラなのか。
でも、守ることをしなくちゃいけない。
この生活、家。
自由、仕事、みんな制限されたなかで繰り返す。
別人と認めざるを得ない。
どうしたら良かったんだろ?
どうしたらこの生活で充足感を得られるのか?
ステージは、変わったのか。
どんなに誇らしいだろうって羨ましく、まぶしい。
でもたぶんきっと
このアイデンティティークライシスをうまく乗り切ってきたとは思えない。
もっと話したい。肝据えてこれが私の選んだ生き方だと言いたい。
逡巡はまだまだ続く。