はてなキーワード: 幸せについて本気出して考えてみたとは
いつでも安楽死に行きつくのさ
「幸せ」とそれに関係する「怒り」「哀しみ」について書いてます。
本気で考えたから長くなったし、読みにくいと思う。
生活が豊かになっても、富を得ても、幸せでなければ意味はない。
「人より生活が豊かである」ことに幸せを感じる人もいるだろうが、 「あらゆる人より」は世界に1人しかいないので、「誰かより」と人と比べることになるだろう。
どんな環境であっても、自分を幸せだと思う人もいれば、常に自分は不幸だと思っている人もいる。
自分が何のために行動しているのかを、もっと掘り下げて自問しなければ、自分で自分が理解できない。
「自分が理解できない自分」を他人に理解してもえることはほとんどないが、稀にあり、その出会いは幸せであるので感謝する。
「自分が何のために働いているのか」「何のために怒っているのか」「何のために勉強をするのか」「何のためにそこに住んでいるのか」
幸せになる方法は、あらゆる選択肢の中から自分の「好き」を選ぶこと。
付き合う人や孤独であること、仕事・仕事でない生きる方法、住む国や場所、食べるもの、着る服、宗教・無宗教など、すべてを「自分の」幸せと照らし合わせて選んぶ。
傲慢は誰も幸せにしない。傲慢であることに幸せを感じる人もいると思うが、私はそういう人とは付き合わない。
幸せを実現する手段を教えることはいいことだが、その選択自体は、他人にとやかく言われることじゃないし、他人に口出しするものでもない。
「人それぞれ」という言葉に不安を覚える人は、宗教や学問を選ぶと、自分以外の場所に確かな指標や信じるものが出来ていいと思う。
それを信じている間は、幸せのカタチを変えられないというデメリットも分かっていたほうがいい。
宗教だって学問だって、信じられなければ変えればいいと思うけど。
その手段は相手に対して間違っていることがあるかもしれないが、それを「偽善者」の罵る人は、想像力が足りない。
お金があること自体に幸せを感じる人は、自分をまだあまりわかっていない。
「お金あっていいな」とは思うけど「お金あればアレができるのに」はみんな違う。
「そのために何をしている、何をする」が近い人とは過ごしやすいし、「その手段もあるのか」「こういう手段もありますよ」がお互いを幸せにする可能性を広げる。
「わたしはこっちがいいんです」と言われても、それはその人の幸せのカタチなのだから、落ち込む必要も怒る必要もない。
こういう考えが自分に合ってるというだけで、それこそ個人個人にもっと合う考え方があると思う。
数多の国・宗教・文化があり、法律・戒律は違えども、すべての目的は「幸せになること」で、根っこの部分は本当によく似ている。
幸せのカタチはみんな違うけど、皆自分の生活をより良くしたくて、または今の良い生活を維持したくて、行動している。
怒りを感じる事自体は悪いことではなく、あたりまえの本能なのだけれど、それで幸せが遠のくのであれば、感じすぎないほうがいい。
怒りの成分は大きく分けると「自分の幸せへの危害」と「嫉妬」くらいだろうか。
嫉妬とは「相手の幸福により、相対的に自分が不幸になること」に対する怒りであり、あんまり自分の幸せがなんなのか分かってない時にあふれだす。
自分の幸せの手段である何かを持っている人に対して湧く感情なので、消し去ることはできない。
「今嫉妬してるってことは、自分もああなりたいんだなぁ」と言い聞かせて、「羨ましい」と言葉にすることで、少しは解放されるかも。
「それを持っていることでなぜ幸せなんだろう」と掘り下げることで、「元から嫉妬するようなことでもない」と気づけるかも。
「怒り」は「幸せ」を守っている。
ただ、必要以上の怒りは、怒っている本人を含めて誰も幸せにしない。
「何に怒っているのか」を自分で理解して、それ以外のことにぶつけてはいけない。
怒りの多くは、その原因を取り除けば解決できる。
「その手段でしか幸せになれない」と思っているから怒るのであって、他の方法を探すことで、かなりの怒りから開放される。
他人に対して怒りが湧くときも、お互いが「相手も幸せになりたくて、その行動をとっているんだ」と思えば、多少軽減できるし、「じゃあどちらも幸せになるように新しい手段を探そう」と原因の解決に迎える。
あらゆることに対しても怒りが湧くときは「眠い」か「疲れている」か「お腹が空いている」。怒っても解決しないので、うまいもの食って休もう。
「怒り」から遠ざかることで、「怒り」から遠い存在である「幸せ」に近づくことができるのではないだろうか。
哀しみを感じる事自体も悪いことではなく、あたりまえに持ってる本能だけど、それで幸せが遠のくようであれば、感じすぎないほうがいい。
幸せも怒りもわりとすぐに忘れてしまうけれど、哀しみはなかなか慣れない。
怒りと違って、死や離別など、原因を解決できないことがほとんど。向き合って鎮めるか、逃げるしかない。
仏壇に手を合わたり、十字を切ることで、寂しさから解放される人もいるだろう。一種のルーティーン。
大事な人やモノを失うと寂しい。いつもの幸せな日々が終わってしまうから。幸せなときにいつもやっていたルーティーンによって「大切なものの1つを失ったが、今も幸せである」と思い出す。
それは幸せなのかと言えば、そうではないと思う。哀しみをごまかしているだけではあるが、他にいい方法がない。
哀しみと向き合うのは、辛すぎる。
どうあがいても哀しいものは哀しい。
ずっと哀しんでいないといけない雰囲気がある。
それって誰が得するかと考えると、やっぱり宗教なのかなと。
余計に哀しむ必要はない。普通に過ごせば、みんな充分哀しんでると思う。
「哀しく感じていた感情を忘れる哀しさ」があるのも、また真実。
哀しく感じなくなったからと言って、愛していた事実がなくなるわけじゃない。それだけを愛情のモノサシにしなくても良いのでは?
私はいろんな人に愛されていると思っているから、私が死んだときにはそう考えて欲しい。
「恐怖」とはなにかを考えると、「幸せを害される」ことに起因する感情。
自らの死、病気、老い、孤独、蔑視など、人生においては恐怖も少ない方がいいが、避けようがないものもある。
悪い結果を想定して、余裕を持っておく。
恐怖を乗り越える「覚悟」を持っていれば、もはやそれは恐怖ではない。
老いたから、即不幸なのか。何ができなくなることが不幸なのか。若いままでいて、何ができることが幸せなのか。
病気も孤独も蔑視もそう。それ自体が不幸なのではなく、その結果なにかができなくなることが不幸であり、逆に何かしたいことができるままであれば、それ自体は恐怖の対象ではなくなる。
「死」の恐怖はすさまじい。「死」は積み上げた幸せを失う。
死んだことがないから、またわからない。わからないものは怖い。
あれもしたかった、これもしたかったはたくさんあるけど、「この人と一緒に過ごせてよかった」とか「得られるだけの幸せを手に入れた」と満足することこそが、生死の際まで幸せでいられる手段ではないだろうか。
この世との別れは哀しい。それは絶対に避けられない感情だけど、それより人生に対する幸福感が上回れば、受け入れられないものでもないのかも。
うん、やっぱりどう考えても今は死にたくないな。
長生きするのは不幸だという意見だったけど、失う対象が少ない状態で死ねると考えれば、今はじめて、少しだけ羨ましくなった。
「幸せな死」にこれから出会えることがあれば、そこから学ぼう。
出会う前に死んだら、仕方ないな。
怒りや恐怖について考えられる日も、多分幸せな日だけ。
哀しみについては、哀しい日の方が考えられるかも。
余裕ができたら、余裕がなくなったら、また読み返そう。
ポルノグラフィティが好きです。
Jazz up
1作目の1曲目からハイテンション・荒削り感・セックス!Dive in the mother's sky…バンバンボバンバンババンボン…
見失いがちになる欺瞞(ゲンメ〜〜〜ィ)の発音とサビの盛り上がりが好きです。
綺麗で雨上がり感があってこれは売れるよなぁという曲です。
暗い曲調が好きです。そもそもポルノに興味を持つきっかけになった曲です。(あとサボテンも)
世界観が好きです。歌詞の中身もいいし、メロディーへののせ方がさらによい!グラスに沈め〜からのところなど。
ノリが良く、とても耳に残る。友人がこの曲をアラームにしていたが、アラームにしたい気持ちがとてもわかります。
ドリーマー
汚い感情をノリノリの曲に合わせて爽やかにした感じがいい。
IN THE DARK
イントロの曲には度肝を抜かれるが、変なイントロから繰り出されるこの曲の完成度は高い。これもバランス型か。
ロスト
この曲は私の中ではかなりの上位に入る名曲。歌詞は大切な人を失ったことを歌っていて悲しい。
2012Spark
元気づける系の素晴らしい曲。明るいのに感動的。
これも名曲。私はノリがいい曲が好きなんですが、ロストやこの曲のように、暗い曲にも良曲が多い。
THE DAY
元からとってもかっこいいとは思っていたけど、ライブで聴いていたく感動しました。
狼
アゲハ蝶のB面だが、これがA面としてリリースされる予定もあったらしい。その世界も見てみたかった。絶対に売れる。
好きじゃない曲
カラオケなどで、一般的によく知られている曲を歌う必要がある場合でも、まずこの曲は選ばない。恋するウサギちゃんはどうなんだなどと思ってしまう。
この曲の主人公のような男性の恋愛観にイラっとしてしまう。同じ理由でラビュー・ラビューもムッと思うけどあっちはメロディは好き。
この曲をいまいち好きになれない一番の理由は、昔私がこの曲をカラオケで歌ったとき、あまりにも自分の歌が下手すぎて戦慄したことがあり、それを思い出してしまうからである。しかし、歌詞も好きじゃなくてもやっとする感じ。
元からあんまり好きじゃない曲だったが、昔付き合っていた人が、俺はグレてたけどこの曲を聴いてマトモになったんだよな〜的な武勇伝を語っていたので。
この曲はかなり好きじゃない。単調すぎるのが原因か。
結局beachに行けてない…
誰がこのことをはじめに言い出したかなんて、わからないけれど、
人間の幸せを正確に数値化することは現代の技術をもってしても不可能で、
もし、技術的ににできたとしても、ベンツの車で送り迎えをしてもらいながら育った人と、
かっぱ寿司が1年に1度のお楽しみだった人では幸せの感じかたが違うのは明らかである。
世の中的なフツウの見ること感じること味わうものすべてを人並み外れてありがたく思うわけではない。
100円のお寿司、久兵衛に連れて行ったり、しまむらを着てた人をドーバーストリートマーケットで好きなだけ買い物できたとして、すぐに幸せになれるかといったらそうではない。
貧乏だけではない。お金があっても、精神的な幸せを味わって来なかった、どこか物足りなさを感じていた人間は、幸せをイメージできないことがもっとも不幸なのだ。
つまり、美味しいお寿司、快適な車、お金、そして、何かからの愛をいざ手に入れても、その正しい価値を知らないから、ただもらっただけでは手放しで幸せにはなれないのである。
そんな私は、何か自分にとって幸せな瞬間が訪れたとき、私はつい後のことを考えてしまう癖がある。
これを食べたら太る、飲酒をしたら浮腫む、この靴を買ったら来月のカードの請求が、結婚までにそして、大好きなこの男とヤッてしまったらもうお付き合いができない…。
目先の快楽、そしてその先の幸せを、そんなネガティブがどんどんどんどん、薄めてゆく。ヴィヴィットカラーはチューブから出したばかりの色が一番綺麗なのだ。
食事、買い物、飲酒、セックス…すべてにおいて、数少ない経験則や人から聞いた話なんかを思い出し、ついつい物語の続きを思い描けず、ストップしてしまう。しかしこれは無理もないことなのかもしれない。
なぜなら私たちがお手本にしたかったおとぎ話は、ぜんぶ王子様とお姫様は幸せに暮らしました、で終わっているのだから。
その後、家庭内暴力を振るわれて離婚したとか、ふたりのもうけた子供に重篤な病気がとか、お金がなくなったとか、”めでたし”のあとロールモデルにすべきは自分で経験するしかなかった。
そんなわけで、こじらせ女子の幸せの時間は普通より短いかもしれないが、
あれや、これやと思いめぐらせている思慮深いところもあり、
そして、こじらせ女子だと自覚のあるものは、大変なことにならない程度に、まずは目先の快楽を手放しで受け止める訓練をするべきなのである。
ある日、しこたまお酒を飲んだ快楽のあと、たいへんな鬱状態に陥ってしまい、インターネットで快楽の後の精神状態について調べたことがある。
じつは、科学的にも快楽を享受している瞬間には、体内のセロトニンだかドーパミンだかなんだかわからないが、快楽物質を大量に消費するから、のちにとても気分が憂鬱になるというのが定説らしい。そしてそれは間違いなく当たっていると思う。様々な関連サイトを巡っていて、見つけた”快楽は幸福の前借りだ”というフレーズがあって、そのことばがたまらなく好きだ。
幸福の前借りをすれば、あとで必ず返済しなければならないのである。人によって違う、その落差が幸せをポイント化できる何かなのかもしれない。
なんて幸福論を語るほど酸いも甘いもかみしめているわけじゃないが一般論で語られるタバコを吸っている人は不幸だなんていうのは間違いだと断言できる
幸福っていうと家庭を築いて愛に埋もれて金に困らないで飯がうまくて酒もうまくてどこにでも歩いていけるということだと定義されているが
タバコをやめてみて感じたのはタバコを吸っていないことが幸福なんじゃなくてタバコを吸っていないことが普通であってニコチン依存になってタバコを吸わなければいけないことが不幸なんだと感じた
酒にも似たような感覚がある。仕事をしていて平日の休みにみんなが働いているのに休んで飲むビールはうまいが無職で毎日が休みなのに昼からビールを飲んでもうまくない
ビールを飲むことが幸福なんではなくてビールを飲んでもいいということが幸福がビールによって増幅されるんだよ
タバコも吸ったことがある人ならわかるがうまいタバコっていうのは自分を落ち着かせる効果がある
これは医学的にも証明されていてタバコは深く吸うとダウナー系の鎮痛効用があり浅く吸うとアッパー系の興奮効果がある
一般に言われている酒やたばこなどある種、退廃的なものはそれ自体が不幸なのではなくそれをしなければいけなくなったりそれをやめることができなくなったりすることが不幸なのであってタバコや酒を飲んでいることは不幸なんてことはない
権利とは社会的なものだが最近の禁煙ブームによって喫煙者はどんどん迫害されていっている。けれど振り返れば昭和の後期には6割の男がタバコを吸っていたしタバコを理由にレッテル貼りされることなどほとんどなかったんだよ