社畜しましょう。現場はみんな疲れきっているけど社畜にしましょう。
労働法の基準を逸脱して働かせているが、確たる証拠を残さずに社畜にしましょう。
現場からは阿鼻叫喚が聞こえてきているが、気にしないで社畜にしましょう。
お金を払った以上にサービスを受けたいし、不快になったら怒鳴りたいし、自分達は神様なのだから従業員は社畜にしましょう。
それが「お客様」だ。
それが資本主義だ。
「お客様」なら正しい。
ならば、そのためにマネージャーが社員に暴威をふるったことだって正しいわけだ。
私の同僚をよってたかって袋たたきにしたことも、
冗談じゃない……
冗談じゃない!!!
田舎の人とは「のんびり」していて流行りにも疎いと、基本的には思われているらしい。
でもそんなうちの田舎でも、ADSLや携帯電話の普及は早かった。
特に携帯電話は、遭難、急病、事故などの際の緊急連絡用という需要があったからだ。
極論かもしれないが、都市部では一時的に通信機器から隔離されても、深刻な孤立状態に陥ることはない。
交番、書店の地図、駅など、頼りになるものがいくつもあるからだ。
林道での行方不明者の発生が防災無線でアナウンスされることもままある。
万一の時、周囲の目をあてにできないのだ。
だから、脱・現代技術のようなムーブメントが起こるのは、いつも都市部からだ。
都市という、巨大な現代技術の内部で生活しているからこそ、個人が技術から距離を置いても生活できるのだ。
その様子は、田舎の人にとってどこか滑稽で、冷めて映る。
あたしも虚構新聞は好きじゃないし、べつに読んでないけど、いつまでも批判してるひとたちってなんなんだろうって最近思う。
大手新聞社や政治家などに対して思想上の理由から粘着的に批判を繰り返すってならわかるんだけどさ、なんで虚構新聞みたいなどうでもいい弱い相手を執拗に批判しつづけるの?
それがもし暇つぶしなんだとしたら虚構新聞と同等のクズじゃん。
虚構新聞の態度がださいってのはわかる。でもだからなんだって感じなんだよね。お前、ださいよっていちいち言うことなの?
そりゃださいんだろうけど。
ださいと思ったらつぎから見なきゃいいのに、いつまでもださいやつのことを見てださいださい言ってる。
ださいってそんなに批判されるべきことなの?
幼稚でなにがいけないの?
これっていじめとなにが違うんだろう。
自分に他人を変える力があるだなんて思い上がってる人もいるのかな。
「おまえを矯正してやる!」って頑張っちゃってるの?
たとえば雑誌がくだらないと思ったらつぎからはもう買わないだけだよね。それを自分が気にいらないからって廃刊しろとか言っていつまでも粘着する?
ふつうしないよね?
虚構新聞はつまらないって批判もなんだかなあって思う。おもしろいと思ってる人がたくさんいるから人気サイトなんじゃん。
虚構新聞アンチには古参が多い感じがするけど、それこそ老害化しちゃったのかなあって残念に思う。
むかしはこういう俺様ルールの自治とか大嫌いなはずだったのに。
「俺たちは絶対正しいんだからネットの新参は俺たちに従え!」とか思ってるのかなあ。
なんか突っ込まれてるけど、「弱小サイト」っていうのは「人気サイト」とはふつうに共存するけど?
たとえば
ほとんど誰も見てないような地方自治体のサイトは巨大なサイトかつ不人気サイト。
PVのない個人運営ブログその他個人サイトは弱小サイトかつ不人気サイト。
PVのある個人運営ブログその他個人サイトは弱小サイトかつ人気サイト。
え?
いちいち説明しないとわかんないの?
要するにあたしが言いたいのは、政治的権力を持つ巨大な組織や政治家でもないたんなる一個人という弱い存在を攻撃しててバカみたいってことなんだけど。
一個人は一個人であって、かれがどんなに人気者であってもそれは弱い存在なんだよ?
の二点が心に残った。風間八宏氏のサッカー解説は、常に、ああ、そういう所を見るべきなのか、なるほどという知的感動がある。
あまり、こういうことを言うのはなんだが、セルジオ越後は辛辣だが、結局どこを見ているのかよくわからない。ネガティブなことを言いまくって、弱いうちはそりゃ当たってるんだろうけど、結局何をどうしたら、良くなるのか全然わからない。
風間氏はフロンターレを率い、デポルキラー大久保に「ストーリー立てて話してくれるので大変わかりやすい」と言わしめ、キャリアハイのゴール記録へと導く。素晴らしい指導者だと思う。それは、評論家時代からそうだったように思える。
今はやべっちFCでテレ朝がすごくいいサッカーTV局になっているが、ちょうど10年前ぐらいはフジテレビだった。中田英寿がペルージャに移籍し、活躍しているその様をなんとも表現豊かに的確に、オフザボールから解説してくれたのが風間八宏氏であった。
Numberももちろんそう。最新号のスカウトの目というのも素晴らしい。どこまでもよく見ているし、俺が見た試合の中で評価した。評価される場所にいない人はもちろん入っていない。それも運だよ。みたいな事が書いてあって、軽い評論家の数字の羅列↓
http://sakabuta.jp/archives/34386778.html には、全く現されない、重みがあった。
10年前のサッカーでは、FWの決定力不足が絶望的であった。だから、批評家にも価値が(無いけど)あるように思えた。悪い状態のチームの何がどう悪いのか具体的に提示するのは、非常に簡単な事に思えた。
サッカーのようなゴールが入りにくいスポーツにおいて、決定力の無いサッカーほどフラストレーションを具現化したような状態はない。批評する人も存分に叩いておけばよかった。欧州を見よと、あれができてない。これもできていない。大体言っときゃあたりの評論家。
状況は変わり、若い才能が、世界へと飛び出して、徐々に形を作った。今や、ミランとインテルに日本人がいる状況である。この状況においても、数字の羅列で表現している人がいる。
Numberでは、今の日本の課題はDFであり、その課題は育成フェーズでの基礎がなっていない、ということになっている。いまの日本代表は細かいパスサッカーを展開し、昔のMF大国の良い所を、世界の風を吸収することでフォワーディングして、前線が強くなった。
攻撃的に日本が進化して、むしろDFが置き去りにされているというのは、面白い現象だと思う、日本は工業国家で、クリエイティブさが少ない、真面目な国民性という紋切りでは、そうは言い切れないだろう。DFが育成が遅れているのは、MF側→FWへという昔の決定力不足の記憶がそうさせていて、その創造的な発展の次はFWを抑えるDFの育成になるということを考えると面白い進化途中の日本が見えてくる。
先に進化したのはFWであり、選手である。次はDFが進化しようとしている日本のサッカー。色々よく言われる日本の画一ばった、おとなしい周りに合わせる工業国という姿はもう、論じるに足りない。
そんなのいらないでしょう。もしいたら、真っ先に退場願いたいものだ。
うっせーな、お前なんかに頼まねーよ。
分かってることについて「分かってる」と言うこと(そしてどのように分かっているのか説明すること)は言い訳じゃねーよ。
拙者がdvorak配列を練習し始めたのは、たしか2007年春だったと思う。
これからも人生の中でいっぱいの文字をタイピングするんだろな、という心配があった。
人とは違うものへの憧れと、タイピング速度が速くなるというのと、
何より腱鞘炎になりにくいというらしいので、dvorak配列を覚えよう、ということにした。
どっかのサイトにdvorak配列のホームポジション練習があって、
aaaauuuueeeeoooo hhhhnnnnttttssss
と言った具合に、さいしょはホームポジションのキーを打ちつつ、頭の中で唱えてた。
えーえーえーえー と唱えながら aaaa と打っていた。
ゆーゆーゆーゆーおーおーおーおーえいちえいちえいちえいちえいち……
つまんなかったけれど、少しずつ続けた。一日五分位かな。
ホームポジション以外のキーも覚えてきて、じゃぁかな文字を書こう、ということになった。
これが大変だった。
文字を真似てみたり、文字を親に伝えたかったりするのが目的だと思う。
それと同じで、キーボード配列を覚える時は、かな文字を打つことが目的ではなく、
掲示板に書き込みたいとか、ブログを書きたいとかいう目的で覚えるのだと思う。
拙者は既にqwerty配列を使ってある程度のブラインドタッチが出来ていた。
その状態でdvorak配列を使って掲示板にかな文字を書こうとすると、大変に苦痛なのである。
というか、途中からdvorak配列などどうでも良くなり、qwerty配列で書いてしまうのだ。
こうして、しばらくはdvorak配列でかな文字を書く練習ができなかった。
それでも単一のキーをブラインドで打てるような練習は少しずつ続けていた。
次第にアルファベットならdvorak配列の方が得意になってきて、
学校の自分のLINUXをdvorak配列にしてぷろぐらみんぐするようになった。
(というか、ローマ字入力でqwerty配列を覚えた拙者にとって、
qwerty配列でアルファベットを入力するのはむずかしかった)
dvorak配列のローマ字入力の良い練習方がないかと探し続けていると、
昔docomoが販売していた、シグマリオンというキーボード端末を発見した。
調べてみると、シグマリオンのOSであるWindows CEには、キーボード配列をdvorakに変えるアプリがあるという。
早速試してみると、ちゃんと使えたではないか。
拙者はちょうど電車通学であった。
頭のシナプスが繋がっていないので、指先がこんがらがる感じだった。
しかし、電車の中は睡魔を除き、かなり集中してタイピングできる環境だった。
大体、九ヶ月くらいは練習だった。
半年を過ぎるとqwerty配列と同等になったため、それは練習じゃなくなった。
確かに指が疲れないという点だ。←ありきたり過ぎて死ぬ
この日記はiPadのqwerty配列で書いているが、なぜここまで片手が連続打鍵するのか問い詰めたいくらいだ。
上に行ったりしたに行ったり……qwerty配列にはいいことがないぜ。
これからdvorak配列を覚えたいという人へ、一つ忠告をしておく。
dvorak配列をマスターしても、ハードウェアキーボードは見つからないし、
iPadを買ってもdvorak配列を使えない。(設定項目はあるのにな…)
拙者は一度dvorakの村へ辿り着けた。
qwertyの村へ帰ってゆくだけの体力がない。
大卒6年目。仕事での周りの評価はお世辞にも良いとはいえない。
まあこれにはにはいろんな要因があると思うんだが、
一つの原因に言い訳をしないようにしてることがむしろ自体を悪化させてる気がしてきた。
自分「(いや、それはちゃんとさっき報告したつもりだったんだけどなぁ。
あれじゃ伝わってなかったか。。だけどここで『自分では報告したつもりです』とか言ったところで
自分「(いくらなんでも○○はわかってるつーの。舐めるなよ(ムカムカ)」←無言
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↓その結果
いままで自分はかずさ大好きで、雪菜のことはあんまり好きになれなかった。だって、彼女さえ割り込んでこなかったらみんな幸せになれたと思うから。
でも違った。アニメの12話を見てわかった。
「雪だ…」と電話越しにかずさは言った。春希は窓を開けて外を見た。マンションの下から、かずさの電話している姿が見えた。
雪が降らないと外を見てと言えないかずさ。
彼女に言われるまで雪が降っていることに気づけない春希。
二人のきっかけとなった雪は、やがてすべてを覆い尽くしていく。
雪が降らなければ、何も始まらなかった。
雪菜がいるべき理由がやっとわかった。
なんでもいいけど、虚構新聞ってそんなに嫌われてるの?
こんだけ長いことかけてこんだけ広まってるのに。
もともとまだそれ程ブログとか自体が広まって無いころからのものだけど、
その後、同じような主旨のものが次々と出てるけど、その中で未だに残ってるってのはかなり凄いと思うけどな、素直に。
嫌いだイヤだーとか言ってる人たちって、むしろ、さーどぶろがー()とかと同じ分類の
さーどヲッチャー()なのではなかろうか?
もう、アルファベータの後になんでサードが来るのかは置いておいて。
なんとなーくここ最近ネットでヲッチすることを覚え、さらに発言することを覚え、